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2016年8月 1日 (月)

続々・奥の細道擬紀行(その16) 高岡市の「富山黒ラーメン」と「高岡城跡公園」

「海王丸パーク」を後にして、。「万葉線」にほぼ沿うルートで次の目的地、高岡市を目指します。県道350号と国道415号を西進し、新庄川橋で庄川を渡りました米島交差点で県道24号に入り、国道156号の片原町交差点を左折するとほどなく万葉線(氷見線)の始発駅高岡駅前に出ました。ちなみに、高岡駅はJR西日本の氷見(ひみ)線と城端(じょうはな)線の始発駅でもあります。
 
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駅前にある駐車場ビル(市営高岡中央駐車場、1時間まで無料)に車を停め、横断歩道を渡って道路の反対側にある「ウイング・ウイング高岡」へ向かいました。高岡市の公益施設と民間施設が入る複合商業施設です。高岡駅前地区の再開発で2004年(平成16年)に完成したビルです。
 
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広場にある「ドラえもんの散歩」にはキャラクタが飾られています。「ドラえもん」の原作者である藤子・F・不二雄氏がここ高岡市の出身出ることによるようです。ちなみに、川崎市にある「藤子・F・不二雄ミュージアム」を1年半前に紹介しています。
 
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12時を30分ほど過ぎていますが、「ウイング・ウイング高岡」1階のラーメン店「らあめん 次元」には待ち行列ができていました。幟(のぼり)や看板に表示された「富山ブラックラーメン」が有名な店です。ちなみに、駒沢オリンピック公園で開催された「東京ラーメンショー2011」で食べた麺屋いろは(射水市)の「富山ブラック」が強く印象に残り、富山県を訪れた機会に立ち寄ることにしたのです。
 
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店外での待ち時間を含めて15分後に出された「黒醤油ラーメン」(700円)と「梅塩ラーメン」(780円)を同行者とシェアすることにしました。前者は店が違うためか「東京ラーメンショー2011」の時に食べた「黒醤油ラーメン」のようにスープが黒くありませんが、醤油味は辛すぎず、さっぱりした印象です。表面をラードが覆(おお)っているようで、いつまでも温かいままで、中太の縮れ麺によく絡み合っています。
 
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一方、「梅塩ラーメン」は梅の香りがほどよく、塩ラーメンをより爽(さわ)やかにしていました。いずれのラーメンも期待通りの美味しさです。私は2年前に高松市で食べた「梅うどん」を思い出しました。
 
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高岡駅前には立ち寄りたいスポットがもう一つあります。「大伴家持(おおとものやかもち)と子供たちの銅像」です。先の記事で簡単に紹介したように、万葉集の代表的な歌人であった大伴家持は746-751年の5年間、越中国の国司(長官)として越中国府(現在の高岡市伏木古国府)に赴任している間に、223首もの和歌を詠(よ)んだそうです。注、伏木は富山湾に近い地区
 
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かつて、高岡市の伏木の地には、奈良時代に越中国(現在の富山県)の国府が置かれていました。この国府に、わが国最古の歌集『万葉集』の代表的歌人である大伴家持が国守として赴任してきたのは天平18年(74629歳の時でした。家持は越中の地に5年間滞在しました。そして美しい自然のなかで数多くの優れた歌を詠み、万葉集に残しています。

 

大仏寺の高岡大仏(銅造阿弥陀如来像、市指定有形文化財)
 
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はじめは木造金色の仏像でしたが焼失し、昭和8年に銅造で再建されました。大円輪の光背がそびえる大仏は珍しく、奈良、鎌倉の大仏とともに日本三大仏と称されている(注、異説あり)そうです。
 
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次いで向かった高岡古城公園(国の史跡、日本桜名所100選)の大手口(高岡市立博物館近く)で「高山右近像」を見つけました。
 
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説明文には、『摂津国(大阪府)高槻城主となって織田信長に仕えましたが、豊臣秀吉により明石(12万石)に移封され、さらに秀吉のバテレン追放令を拒否して追放されましたが、加賀前田家に高禄(1万石以上)で迎えられた経緯があります。築城の名手として金沢城の修築や高岡城の縄張りを行なったと伝えられるなど、軍事・政治両面で利長を支えました』 とあります。ちなみに、高山右近と高槻城跡については「西国街道巡り」の記事の中で紹介しています。

 

高岡古城公園の案内図
 
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『高岡城は加賀藩2代藩主、前田利長によって築かれたものです。慶長14年(1609年)大火に見舞われたと山城に代わり、加賀・能登・越中の中心に位置する関野の地(現在の高岡市)に居城と城下町を移しました。縄張り(設計)を担当したのは、築城の名手と謳(うた)われた高山左近とつたえられています。元和元年(1615年)幕府の一国一城令により高岡城は廃城されましたが、歴代の藩主は、城址を高岡町奉行の管理下において、土塁や堀を残す処置をとりました。明治8年(1875年)に高岡公園としてしていされました』 と高岡城の歴史が説明されています。
 

高岡古城跡(旧二の丸)には「射水(いみず)神社」(越中国一宮)がありました。明治8年に二上の地(高岡市と氷見市の境界)よりこの高岡城本丸跡地(高岡古城公園)に遷座(せんざ)されたそうです。左手にある参拝者用駐車場(無料)に車を停めました。
 
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この第一鳥居は平成25年の行われた伊勢字神功の式年遷宮のあと、豊受大神宮(外宮)坂垣北御門(鳥居)を譲与されたものであると説明されています。
 
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茅の輪(ちのわ)くぐり
 
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拝殿で参拝する同行者
 
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樹齢400年の紅梅
 
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それよりかなり若い白梅
 
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射水神社(二の丸跡)の左手には高岡城の本丸跡がありますが、パスすることにして朱塗りの橋高岡城の掘(城址全域の1/3を占める)を渡り、
 
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次の目的地へ向かいます。(続く)

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