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2016年9月 3日 (土)

続々・奥の細道擬紀行(その40) 長浜市湖北町の「小谷城址」

国道365号で南東約4kmにある「小谷(おだに)城址」へ向かいました。郡上南(ぐじょうみなみ)交差点に差し掛かると前方に高い山が見えて来ました。方向からみて伊吹山(いぶきやま/いぶきさん、標高1377m)でしょう。日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の帰路に山の神に襲われた場所とされます。
 
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郡上南交差点を左折して400mほど進むと、「史跡小谷城跡」の看板が左手の小高い所に立てられていました。
 
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同じ意味に使われている「城址(じょうし)」と「城跡(しろあと)」についてのプチ薀蓄(うんちく)です。もともとは「城址」と表記されていましたが、戦後になって建物の土台を指す「址」が国の指定する当用漢字に入らなかったため、足跡(あしあと)や痕跡(こんせき)を意味する「跡」を代用して「城跡(しろあと、じょうせき」と表記されるようになりました。訓読みは意味を理解しやすいこともあったのかもしれません。しかし、最近は当用漢字の規制(縛り)が緩(ゆる)くなったことで、本来の「城址」と表記することが増えたようです。

 

行き当ったY字路の先には駐車場がありますが、「小谷城戦国歴史資料館」は右奥のようですから、右手に進みます。
 
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左前方に砦(とりで)の門をイメージした装飾があります。突然、フロントガラスに雨粒が・・。
 
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「小谷城戦国歴史資料館」に近い駐車場に到着しました。「小谷城戦国歴史資料館」は2007年に造られたものですが、浅井三姉妹がNHKの大河ドラマにしばしば登場したこともあって、根強い人気があるようです。
 
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車が通行できる道は沢に沿って600mほど先の行き止まりまで続いているようですが、ここに車を停めて散策することにしました。
 
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標高約495mの小谷山(おだにさん)から馬蹄形(ばていけい)の尾根筋に築かれた梯郭式(ていかくしき、本丸を中心に段下がりの郭がある)山城の「小谷城」は、浅井長政の祖父で浅井家当主の浅井亮政(すけまさ)が築城したと伝えられます。現在、国の史跡に指定されるとともに、日本五大山城の一つに数えられていますが、一般には長政と「お市の方」との悲劇の舞台として知られています。

 

先にも触れたように、元亀・天正年間の4年間にわたって織田信長に攻められた小谷城は落城。その後、秀吉が浅井氏の所領を継承(けいしょう)して今浜(現在の長浜)に居城を移すと廃城となりました。その上、長浜城の建築資材とするため小谷城は解体されてしまったため、現在は土塁・曲輪(くるわ)・石垣などの遺構だけが残っているそうです。
 

車道を少し戻ったところに「小谷山登山道(追手道)歩行者ルート」と書かれた立て看板がありました。
 
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追手道(おうてみち、城の正門である追手門/大手門へ向かう道)の左手は原っぱになっていて、小谷山を望むことができます。
 
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その小谷山へ尾根伝いに向かう追手道
 
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「磯屋敷跡」の石碑には、『磯野氏は磯野山城(賤ヶ岳の近く)を本拠とする浅井氏の重臣で、六角氏や信長との戦いで活躍したが、浅井氏が滅亡したあとは信長に仕え、高島郡一群を与えられた』 と説明されています。
 
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小さな木橋を渡ると山の中へ入るようです。
 
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「登山道入口」の立て看板の先は上り坂になっています。
 
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坂が急になって階段に変わりました。登山道は反時計回りに尾根筋にある多くの郭(くるわ)、つまり丸(まる)を巡(めぐる)るコースになっているようですが、かなり険(けわ)しい山道)を1時間半から2時間もかけて本丸まで登るためには軽装すぎますから、ここで引き返しました。後で調べると、郡上南交差点の先から入る山道を使えば車でも中腹にある番所跡近くまで上れたのです。ちなみに、番所跡から本丸までは徒歩で約30分とのこと。(参考:小谷城跡の紹介サイト
   
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近くに「お市の里」があるようですから、立ち寄ることにしました。国道365号を4-5km走った草野川橋北詰交差点を左折。神社の前に立つ「姉川の合戦とその周辺の歴史」の案内看板には、浅井長政・お市の方・三姉妹の茶々・初・小督 (おごう、江)について簡単に説明してありました。
 
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浅井文化スポーツ公園の施設の間を抜けて浅井歴史民俗資料館「お市の里」に到着しましたが、館内を見て回るとかなり時間が掛かりそうですから、入館することを思いとどまりました。ネット検索すると、 「お市の里」を紹介しているサイトがありましたので、参考までにリンクさせていただきます。
 
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草野川を渡って約1.5km先の野村町で脇道にそれて「姉川の戦さ」の戦場跡を探している間に東隣の佐野町(七尾地区)に出てしまいました。そこで偶然見つけた「北国脇往還の道標」には「左 江戸 谷汲 右 北国街道」と刻(きざ)まれています。「北国脇往還(わきおうかん)」は滋賀県北東部の「北国街道」と関ヶ原を通る「中山道」を連絡する脇街道であり、「谷汲(たにぐみ)は西国三十三番満願霊場の谷汲山華厳寺(岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳住)を指します。
 
 
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ちなみに当ブログでは、西国三十三所札所(西国観音霊場)である、第一番青岸渡寺、第九番興福寺(南円堂)、第十番三室戸寺、第十一番上醍醐寺、第十三番石山寺、第十五番今熊野観音寺、第十六番清水寺、第二十番善峯寺、第二十一番穴多寺、第二十三番勝尾寺、第三十三番(結願所)華厳寺、を紹介しています。注、青岸渡寺と華厳寺は説明のみですが、それ以外はドライブ旅の途中に参拝した札所です。

 

「奥の細道」を辿(たど)る旅がいよいよ終着地に近づいたことを実感したところで、投稿を小休止します。(続く)

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