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2016年9月30日 (金)

超高速名城巡り<近畿編②> 「福知山城」(前編)

舞鶴若狭自動車道の綾部JCTまで戻り、同自動車道をそのまま南西方向へ進み、
 
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綾(あやべ)部ICの先にある私市(きさいち)トンネル(長さ770m)を通過しました。
 
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「私市」は難読名称ですが、大阪府交野(かたの)市にも私市の地名があります。大阪府のhpには、『「日本書紀」によると、天皇の后(キサキ)の用事をする役所を私府(キサフ)と言い、また后のための農耕をした人などを私部(キサベ)と称していた。推古天皇時代から皇室領であった交野の村々は皇后の部民(ベノタミ)であり、私市(キサイチ)という変わった地名の由来は、その中心となった村であることからも「私部内」(キサベノウチ)から訛(なま)って私市となったものである。』 と説明されています。

 

福知山ICから道幅が広く緩(ゆる)やかに下る国道9号(山陰道)を走行して福知山の市街地を目指しました。
 
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土師川に架かる新土師川橋を渡った自衛隊下交差点を標識にしたがって右折し、さらに福知山市役所の角を右折し、県道24号と県道55号(お城通り)を東へ進むと、右手に福知山城の大天守と小天守が見えて来ました。
 
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掘にかかる太鼓橋が見えます。その右手にあるのは隅櫓(すみやぐら)風の福知山市佐藤太清記念美術館のようです。
 
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堀沿いの道へと右折して、午前11時25分ころに福知山城公園観光駐車場(60台、無料)に車を停めました。隣には「ゆらのガーデン」があります。

 

福知山城の前身は「横山城」と呼ばれ、在地豪族横山氏の砦(とりで)でしたが、天正8年(1580年) のころ、丹波の平定に成功した明智光秀がその拠点としてこの砦あとに城を築いたのが始まりとされます。それ以来、 戦乱の時代に城主が交代する中、整備が順次進められ、慶長5年(1600年)ころに完成したそうです。

 

横山丘陵先端の地形を利用して築かれた福知山城には、3層4階の天守閣や広大な二の丸御殿など、多くの建物がありましたが、明治4年(1871年)の廃藩後次々に取り壊され、天守台から本丸にかけての石垣や「豊磐の井」と呼ばれる井戸、銅門番所などが残るだけになりました。現在の城は昭和61年(1986年)に再建されたもので、内部は「福知山市郷土資料館」として利用されています。

 

駐車場を出て道路を横断し、福知山城公園に入りました。太鼓橋の「昇龍橋」を渡ります。
 
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掘(法川)は県道55号の下を抜けて北へ続いているようです。
 
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南方向にも堀が伸びています。
 
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公園の一角にある福知山市佐藤太清記念美術館の近くを抜けました。日本画の巨匠「故佐藤太清画伯」の作品を中心に展示している美術館です。
 
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福知山城美術館(福知山市佐藤太清記念美術館)の看板脇にある「福知山歩民コース・周辺観光案内 福知山城散策コース」には福知山城・一宮神社・稲葉山古墳・醍醐寺・御霊神社が示されており、また福知山の市街地は由良川と弘法川に囲まれた天然の要害(ようがい)であることが分かります。
 
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美術館では秋季特別展として「いわさきちひろ ピエゾグラフ展」が開催されていました。
 
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その脇には県道55号を跨(また)ぐ太鼓橋風の横断歩道橋があります。
 
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その先にある下り坂を下りてUターンすると、前方に福知山城の天守閣へ向かう急な坂道「登城路」がありました。
 
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坂道は本丸の外周を進むようで、右へとカーブしています。
 
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本丸下の石垣に沿って登城ルートが続きました。福知山市の指定文化財である石垣は築城当初の面影を残す野面積(のづらづ)み・乱石積(らんせきづ)み・穴太積(あのうづ)みなどと呼ばれる自然石をそのまま用いた豪放(ごうほう)なもづのです。
 
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本丸跡に出ました。昭和60年(1985年)に小天守と続櫓が、翌年に3層4階の大天守が、松平時代の絵図や天守平面図をもとにして復元されました。左手の平屋の建物はその時に二の丸から天守台へ移築されていた銅門(あかがねもん)番所が現在の場所に再移築されたもので、その脇に転用石展示場があります。
 
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丘陵の最先端部の一番高い所、標高35m、比高約25mに本丸を置き、その西に二の丸、更に西に伯耆丸(ほうきまる)、内記丸(ないきまる、西の丸)と続く四つの連郭式城郭を形成していたそうです。全体として東西約600m、南北約150-300mの規模で、本来は本丸と二の丸は繋(つな)がっていましたが、明治時代に二の丸が削り取られてしまいました。また、伯耆丸と内記丸の間も繋(つな)がっていましたが、福知山線の建設にともないそれぞれ独立丘陵となってしまったそうです。

 

天守閣(大天守)は三層四階建ですが、最上階だけが異なる形をしていることは安土城と似ています。昭和61年(1986年)の11月に再建されました。こちら(西側)が大天守の正面のようです。
 
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坂を上りきると天守閣(大天守)の前出ました。「福知山城」の説明看板には、『明智光秀は城下町を造るために堤防を築いて由良川の流れを変え、街に地子銭(じしせん、税金)免除の特権を与えて商家を育てたとも伝えられ、城下町の鎮守である御霊(ごりょう)神社に祀られています。(中略)今に残る城下町の形態と壮大な城郭が整備されたのは、有馬豊師の時代と推定されます。』 とあります。
 
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「福知山城天守閣復元鯱瓦(しゃちがわら)」は高さ150cm、基部たて80cm、よこ45cm
 
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(続く)

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