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2016年10月23日 (日)

「超高速名城巡り」<山陽・山陰編②> 「鳥取城跡」(その1)

鳥取駅の西側を通過したところで国道53号から県道192号へ左折すると、前方に小山が現れ、「鳥取城跡」の交差点名表示がありました。今年3月、観光客に分かりやすいよう、「鳥取森林管理署」から変更されたようです。
 
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堀に架かる「宝珠橋(ほうじゅばし)」を渡って鳥取城の駐車場へ向かおうとしましたが、鳥取城跡(実際は県立博物館)の専用駐車場(19台)が満車であるとして、交通整理をする人の指示で、内堀沿いの道路脇に白線で指定された駐車スペース(お堀端駐車場、24台)に車を停めました。対岸に鳥取城跡の全景が見えます。ただし久松山(きゅうしょざん、標高263m)の頂にある「山上ノ丸(天守)跡」は雲に覆(おお)われていて見えません。ちなみに、外堀(惣掘)は江戸時代初期に開削された人工河川の袋川です。
 
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ひときわ高い石垣は「御三階(三重櫓)跡」でしょう。
 
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「鳥取城」は、但馬(たじま)の山名氏と同族の因幡(いなば)山名氏によって、天文14年(1545年)に久松山(きゅうしょうざん、標高263m)に築かれた山城で、後に近世的な山の下に城郭(じょうかく)が築かれました。

 

その鳥取城は織田信長配下の羽柴秀吉と毛利軍との戦いの舞台(中国攻め・鳥取城の兵糧攻め)となり、戦国史でも類を見ない悲劇の場となりました。同じく秀吉が行った播磨の三木城に対する兵糧攻めを上回る徹底したもので、毛利方は飢餓者(きがしゃ)が続出したため城主であった吉川経家(きっかわつねいえ)は切腹して開城することになりました。
 
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江戸時代には鳥取藩池田氏の治下に入って近世城郭が整備されました。1943年(昭和18年)の鳥取大地震で天守台の石垣などが崩壊しましたが、その後、石垣を中心とした復元整備が行われていて、天守台・復元城門・石垣・堀・井戸などを見ることができるそうです。
 
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左手の「宝珠橋」へ戻ると、橋の袂(たもと)に童謡「ふるさと(故郷)」の歌碑がありました。長野県出身の国文学者・高野辰之(たかのたつゆき)作詞、鳥取県出身で東京音楽学校(現東京芸大)教授の岡野貞一作曲による文部省唱歌です。ちなみに、2人が作った曲には、「春が来た」「春の小川」「朧(おぼろ)月夜」「紅葉(もみじ)」などがあります。
 
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「宝珠橋」を渡って緩(ゆる)やかな上り坂(登城路)を進みます。
 
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左手の掘
 
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内堀の右手に架かるのは「大手橋
 
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北ノ御門」は慶長の大改築前は大手門でしたが、改築後には搦手(からめて、裏)門とされました。
 
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その先、右手に「仁風閣(じんぷうかく)」(国重要文化財)がありました「仁風閣」は鳥取藩主であった池田仲博侯爵によって鳥取城跡の扇御殿跡に建てた別荘で、フレンチ型ルネッサンス様式を基調とした白亜の木造瓦葺の2階建ての建物です。2階からは、徳川末期に11代藩主・池田慶栄(よしたか)の未亡人・宝隆院のために造られた「扇御殿」の池泉回遊式日本庭園の「宝隆院庭園」(昭和46年/1971年に整備)と唯一残された建物「化粧の間(現宝扇庵)」が一望できるそうです。
 
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「仁風閣」の先には「鳥取城」の案内看板と、
 
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突風で倒壊したため昭和50年(1975年)に復元された「中仕切門(西坂下門)」がありました。気がつけば、雨足がカメラに写るほどに強まって・・。
 
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門の先には長い石段が続いています。
 
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2つ続く石段を上がると広場に出ました。この「右膳(ぜん)の丸跡」は城代・高木右膳の屋敷があったことから名付けられたそうです。
 
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眼下には「仁風閣」の庭と「第4号久松緑地」と鳥取市の街並みが続いています。ちなみに、右端に写るのは「仁風閣」と向かい合う「県立博物館」の前庭です。
 
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後方の立派な野面積(のづらづ)みの高石垣は走櫓(はしりやぐら)と土塀があったという「二の丸」のものでしょう。昭和18年(1943年)の鳥取大地震(M7.2)で大きな被害を受けましたが、地元の努力により修復されたそうです。
 
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石垣が張り出している辺りは「二の丸裏御門」(手前)と「御三階(三重櫓)跡」(その奥)のようです。
 
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同行者が左手の「登り石垣」脇にある石段を見つけました。
 
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(続く)

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