« 「超高速名城巡り」<山陽・山陰編①> 国宝「姫路城」(その2)  | トップページ | 「超高速名城巡り」<山陽・山陰編①> 国宝「姫路城」(その4) »

2016年10月12日 (水)

「超高速名城巡り」<山陽・山陰編①> 国宝「姫路城」(その3)

坂道を上がって南入口門跡から西の丸庭園(中書丸御殿跡)に入りました。前方に見えるのは南東の隅櫓(すみやぐら)である「カの櫓」です、順路は右に折れています。百間廊下(西の丸長局)を経由して化粧櫓(化粧の間)へ向かうことにしました。
 
2016_09250356
 
 

こちらは南西の隅櫓「ワの櫓」です。その左手の土塀に設けられた柵のようなものは石落としです。
 
2016_09250357
 
 

振り返って見た大天守と2つの小天守
 
2016_09250359
 
 

ここも順路に従います。
 
2016_09250360
 
 

「百間廊下」の案内看板には、『百間廊下(西の丸長局)は長さが約300mもある長屋で、建物内は城外側が廊下、城内側が部屋になっています。このうち、ヨの渡櫓(わたりやぐら)には廊下に面して納戸のある小さな部屋が並んでいました。これが長局(ながつぼね)で、西の丸御殿で働く女中の澄んだ部屋とみられます。防衛能力を強化するため、廊下には金属と漆喰(しっくい)で強化された格子窓、鉄砲で攻撃するための狭間(さま)である「銃眼」、石落としがいくつも設けられています。』 と説明してあります。
 
「ワの隅櫓」脇に「百間廊下」の観光客用の入口がありました。
 
2016_09250362

 
姫路城とその城下の変遷が説明されています。ちなみに、黒田孝高(官兵衛)が秀吉に献上した城はもともと赤松氏の一族、小寺氏が城主であった御着城(ごちゃくじょう)の支城で、小寺氏の家老であった父の後を継いで官兵衛は城代になっていました。詳しくは「播磨灘物語の記事」を参照してください。

 

こちらの説明には、『「百閒廊下」は「ワの櫓」から「化粧櫓」までの約240mと説明されています。2階建ての櫓と櫓の間は、渡櫓(わたりやぐら)と呼ばれる長屋で結ばれている、別名多門櫓(たもんやぐら)と呼ばれます。(以下略)』 とあり、外にあった案内看板とは長さが異なります。
 
2016_09250364
 
 

「千姫ゆかり」とは、重要文化財の化粧櫓が徳川秀忠と江(崇源院)の長女として生まれた千姫の休息所として造られ、千姫に仕えた侍女たちが居た場所を百間廊下(西の丸長局)と呼んでいることによります。

 

「トの櫓」地下から出土した巴文(ともえもん)の軒瓦(のきがわら)は黒田氏時代かそれ以前のものとみられるそうです。
 
2016_09250366
 
 

池田家、本多家、松平家、酒井家など徳川時代における歴代城主の説明パネル群の間に下り階段がありました。閂(かんぬき)が架けられています。
 
2016_09250371
 
 

上り階段がありますから渡櫓に入るようです。
 
2016_09250373
 
 

タの渡櫓」の窓から見た天守
 
2016_09250377
 
 

「播州姫路城図(大絵図)」は縄張りと建物の詳しい平面図で、左下の「西の丸御殿」、中央下の「向屋敷」の池、右下には掘に囲まれた「東曲輪(出丸)」も描かれています。
 
2016_09250378
 
 

「廊下の大戸」の内側は女性の住んでいたところなので、頑丈な大戸を毎夜閉ざして厳しい守りをしていたと説明されています。
 
2016_09250379
 
 

「廊下の大戸」を過ぎると、廊下の脇に小部屋が並んでいました。注、振り返って撮影
 
2016_09250389
 
 

小部屋のひとつにある「防御のしくみ」の説明看板には、『掘りや土塁で城下町全体を囲む総構(そうがまえ)を築き、内堀・中堀・外堀が螺旋状(らせんじょう)に廻(めぐ)り、堀で区画された3エリアをそれぞれ内曲輪・中曲輪・外曲輪としました。籠城戦(ろうじょうせん)のときは、兵士の数に応じて螺旋状の堀沿いに効率的に配備できるようになっています。』 と簡潔に説明されています。
 
2016_09250380
 
 

「伝統の技術」では、耐久性の高い屋根瓦、継手(つぎて)・仕口(しくち、しぐち)による木組、外観の美しさと防火性・保湿機能に優れた漆喰(しっくい)、野面(のづら)積み・打込み接(つ)ぎ・切り込み接ぎの三種類ある石垣がパネルで説明されています。
 
2016_09250384
 
狭間(さま)には木枠が嵌(は)められています。
 
2016_09250387
 
「カの櫓」を経て二層の化粧櫓(けしょうやぐら)に入りました。急な階段を上がると、畳を敷いた2間(15畳敷き+3畳分の床の間、18畳敷)があり、その先(窓側)の明るい部屋(6畳敷)には百人一首をして遊ぶ2人の女性(にんぎょう)がいました。千姫と女中でしょう。ちなみに、千姫が本多家に嫁ぐときに将軍家からもらった10万石の化粧料で建てられたため、この名前があるようです。
 
2016_09250388

 
「化粧櫓」を出たところで、「百閒櫓」を振り返りました。
 
2016_09250390
 
ちなみに、私は利用しませんでしたが、城内の各スポット(大手門・三の丸広場(御殿)・西の丸・にの門・はの門・大天守)ではスマホやタブレット用専用の[姫路城大発見アプリ」を使うことでAR(拡張現実)とCG(コンピューターグラフィックス)を活用した解説サービスが始まっているようです。(続く)

« 「超高速名城巡り」<山陽・山陰編①> 国宝「姫路城」(その2)  | トップページ | 「超高速名城巡り」<山陽・山陰編①> 国宝「姫路城」(その4) »

文化・芸術」カテゴリの記事

旅行・地域」カテゴリの記事

趣味」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/146335/64321661

この記事へのトラックバック一覧です: 「超高速名城巡り」<山陽・山陰編①> 国宝「姫路城」(その3):

« 「超高速名城巡り」<山陽・山陰編①> 国宝「姫路城」(その2)  | トップページ | 「超高速名城巡り」<山陽・山陰編①> 国宝「姫路城」(その4) »

2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ