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2016年10月16日 (日)

「超高速名城巡り」<山陽・山陰編①> 国宝「姫路城」(その7)

いよいよ大天守閣の最上階(6階)へ上がります。
 
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多数の観光客が滞留しているため大変な混雑です。望楼型天守の特徴である回縁は室内に取り込まれていいますが、開放的な連窓から眺望が楽しめました。1階で見た西方の景色は一階で見た時よりも立体的な(俯瞰し)ものに変わり、「西の丸」(中央から左手にかけて)がまるで縮尺模型のようです。そして、「西の小天守」(右下)、「にノ門」(その左上)や「はノ門」(その左手)の複雑な配置を俯瞰(ふかん)することができます。
 
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南方向も同様です。「備前丸」の下(先)にある「二の丸・上の山里」に石柱で円形に囲まれた井戸のようなものが確認できます。「お菊の井戸」でしょう。ちなみに、右手前は保存修理工事が行われている「りの一渡櫓(いちわたりやぐら)」と「りの二渡櫓」で、左手前は「りノ門」でしょう。左端には内掘も。
 
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視線を少し右手へ転じると、「りの一渡櫓」の右手に「菱の門、その右手に「西の丸」、その手前に「三国掘」が少しだけ見えます。
 
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目の前にある鬼瓦には意外にも「五七の桐」の家紋がありました。(その5)の「水二門」で紹介したように、豊臣秀吉の正室「寧々(ねね)」の兄、木下家定の家紋です。その下に少しだけ写っているのは池田家の家紋「揚羽蝶(あげはちょう)」のようですから、この鬼瓦は意図的に置かれたと思われます。
 
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調べてみると、姫路城の大天守には複数の家紋が描かれた鬼瓦が使われていることが分かりました。五重屋根隅棟部と四重屋根隅棟部には「揚羽蝶」、五重屋根降棟部には「五七の桐」、四重屋根唐破風降棟部には「三七の桐」、などです。これまでの私の知識では、『織田信長は「五つ木瓜(いつつもっこう)」を正式な家紋としたが、揚羽蝶(平氏の紋)や足利義昭から拝領した「五三の桐」なども使っており、その「五三の桐」を木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)に与えた』 というものでしたが、何と池田家では「桐の家紋」も使われていたそうです。ちなみに、「桐の紋」は天皇家の家紋(菊に次ぐもの)でしたが、足利尊氏が譲り受けてからは武士の社会で名誉ある家紋として広まったそうです。

 

最上階の中央北寄りに祀(まつ)られる長壁(おさかべ、刑部)神社は、姫路城が姫山に築かれる以前より、姫山にあった「小刑部(おさかべ)宮」という地主神を姫路城の守護神として祀(まつ)ったものといわれているそうです。姫路市では有名な神社とのこと。
 
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6階の平面図には長壁神社とともに、「幻の窓」の説明があります。『壁面すべてに窓が開けられる予定でしたが、途中で設計が変更され、四隅の壁を塞(ふさ)いだことがわかりました』 と説明されています。平面図にあるQRコードを使って調べると、『360度解放された窓の四隅を塞いで壁にした理由はわかっていません。(中略)また、姫路城築城当時、伊賀上野城の天守を倒壊させるほどの大風雨が西日本を襲ったことに対処したのかもしれません』 と補足説明されていました。
 
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最上階だけは書院風に造られていました。回廊の天井と埋木をされた左右の長押(なげし)にある釘の頭を隠す「六葉釘隠し」を撮影。
 
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内堀の先に見える建物は、市立美術館(左手前)、姫路東校と姫路北高(左)、姫路医療センター(中央)、カトリック淳心会本部とミッションスクール(右)です。
 
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美しく修復された屋根瓦
 
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鯱瓦を撮影していませんが、混雑する最上階から1階まで下りました。これは下り(降閣)ルートにある「1階の平面図」です。「石落とし」「六葉釘隠し」「筋交(すじかい)の説明があります。
 
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暗い地下1階の順路脇にある「西大柱」 注、フラッシュ撮影を控えたため「西大柱」と表示された照明パネルは露出オーバーで黒い文字が白飛びしている
 
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同じく「流し」
 
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「水六門」から大天守閣を出て、「水四門」を抜けます。
 
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「水三門」を出ると、順路は登城ルートとは慣れ、左手へ折れました。階段を下りて「備前丸」に出ます。ちなみに、左端に見えるのは「はノ門」から「にノ門」へ向かう途中に行き当たった天守を守る「ほノ門」から続く石垣です。
 
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その石垣の先(右下)に「菱の門」と「西の丸」が見えます。池田時代には石垣に櫓と長局が建っており、強固な防備策が施されていたそうです。
 
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巨大な石垣の上に「大天守閣」と「西小天守」が堂々と聳(そび)えている絶景を「備前丸」(本丸)の中央から楽しみました。なお、「水三門」からの下閣ルートは「西小天守」の石垣脇(左下)にほんの少しだけ写っています。
 
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ちなみに、「備前丸」は池田輝政が姫路城を築城した時、藩主自身とその家族のための居館を立てた場所です。ちなみに、備前丸の名前は次の本多家の時代になって付けられたもので、それ以降は「三の丸」に居館が設けられたため、「備前丸」の居館は取り壊されたようです。

 

「備前丸」の西端にある巨大な榎(えのき)の脇には池田輝政の居館跡の標柱があり、その先には井戸があります。
 
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「備前丸」を横切り、その東端にある「備前門」を出ると、石垣に縦長の四角い石がはめ込まれていることに気づきました。これは古墳に埋葬されていた石棺(せっかん)の身で、築城の際に石垣に転用されたものです。
 
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「備前門」の左側、本丸の石垣にも横長の「石棺」はありました。その石垣に沿って直線的に長く伸びる下城道が続きます。
 
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(続く)

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