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2016年10月17日 (月)

「超高速名城巡り」<山陽・山陰編①> 国宝「姫路城」(最終回)

右手に立つ「帯の櫓 腹切丸」の案内標識に気づきました。
 
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左側のこの建物を指しているようですが、立ち入りはできないようです。
 
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前方に「りノ門」が見えます。小さな高麗門ですが、隣接する「太鼓櫓」と一体となって守りを固めているようです。この門は解体修理中に軒天井板の裏面から「慶長四年」の墨書きが見つかったことから、池田輝政時代以前に建てられたことが判明した建物です。つまり、前述した木下家定が建てた門と思われるそうです。
 
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「上の山里丸(二の丸)」にある「お菊井」へ出ました。
 
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怪談話で知られる「播州(ばんしゅう)皿屋敷」に登場するお菊さんゆかりの井戸です。江戸・番町を舞台とする有名な「番町皿屋敷」は江戸中期の歌舞伎・浄瑠璃(じょうるり)「播州皿屋敷」をベースに、その後、講談「番町皿屋敷」となり、大正5年(1916年)には岡本綺堂(きどう)によって戯曲化されています。
 
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元となった「播州皿屋敷」のシナリオは、『戦国時代の姫路城主であった小寺則職(こでらのりもと、藤兵衛)の家老であった青山鉄山がお家乗っ取りを企てていることをお菊が知ったことで、お菊は家老の恨(うら)みをかうことになる。一計を案じた家老の手下が家宝の皿の一枚を隠し、これをお菊の責任としてお菊を責め殺してこの井戸に投げ込んでしまう。以来、夜になるとお菊の亡霊が現れ、皿を数える声が聞こえた』 というものです。注、小寺則職が御着城(ごちゃくじょう)へ移ったあと、小寺氏に仕える黒田官兵衛(孝高)の祖父・黒田重隆は姫路城代となり、父・職隆(兵庫助)は一番家老(姫路城代)となり、官兵衛も後(あと)を継(つ)いでいます。

 

ちなみに、この「上の山里丸」に建物や庭などが造られた記録は残っておらず、その目的ははっきりしないそうです。

 

「備前丸」の石垣
 
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保存修理工事中の「りの一渡櫓」と「りの二渡櫓」は「上の里山曲輪」の西端にあり、「チの櫓」と「ぬの門」を接続する渡り櫓で、「備前丸(本丸)」南西の重要な固めとして配置された建造物の一画を担うと説明されています。工事予定チャートには来年2月ころまでの工程(解体工事・木工事・屋根工事・左官工事など)が表示されていました。
 
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「大天守閣」の保存修理ほど大規模ではありませんが、その時と同様に見学用ブリッジから工事中の様子を間近に見ることができます。ちなみに、工事が始まる前の櫓には、「官兵衛歴史館」(無料)として、官兵衛にまつわる資料や太刀・甲冑(かっちゅう)などが展示されていたようです。
   
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展示されている明治時代・昭和時代・平成時代における「大天守の鯱瓦(しゃちがわら)」はなぜか鰭(ひれ)のデザインが微妙に異なります。全部で11個もある「大天守の鯱瓦」は時代を反映して徐々に繊細に、つまり荒々しさが無くなっているようです。これらは昭和の大修理に際して、もっとも古い貞享4年(1687年)製鯱瓦(一種類)をコピーした新しい鯱瓦と交換されたそうです。本来は、神社の狛犬と同様、「鯱瓦」は「阿吽の形(あうんのぎょう)」(雌雄)で一対とされていたのですが・・。
 
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「にノ門」と同様、柱、冠木などはすべて鉄板で覆われている強固な「ぬノ門」を出ます。しかも、櫓門の渡櫓部分が二階建てとなっており、上から2段構えの攻撃ができるように工夫されています。また、門の外に石垣が見えるように、折れ曲がった簡単な枡形になっていました。ちなみに、左手の石垣にあるという「鏡石」は、工事用シートに覆(おお)われているため、見ることができません。
 
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先を行く人たちが撮影していたのは、「備前丸」の二段石垣だったようです。下段は秀吉時代の自然石をそのまま使う野面(のづら)積みで、上段は算木(さんぎ)積みで積み上げられており、角部分が「扇の勾配(こうばい)」と呼ばれる美しい曲線を描いています。
 
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「ぬノ門」の外にある「扇の勾配」
 
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「をの門跡」(左の石垣)を抜けます。左後方へ折れた場所にひっそりと存在する「るの門」(埋門)は国宝「姫路城」(その2)で触れた天守へ至る最短コースなのです。つまり、敵兵が「菱の門」を突破して「いの門」へ向かうところを、横合いや後ろから急襲するための通路であり、逆に敵が「るの門」の存在に気づいた場合には内側に狭い階段があるトンネル状の「るの門」を容易に石で埋められる構造になっているそうです。
 
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「二の丸」へ出ました。右前方に「ろの門」が見えます。 
 
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井戸の脇を左に折れ、「いノ門」を経由して「菱の門」を出たところで見かけた「黒田官兵衛ゆかりの石垣」の案内表示にしたがって左手の坂道を上がると、「上の山里丸」の下へ出ました。
 
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案内看板には、『秀吉は築城に当たって、もっとも頼りとする重臣であり、地元の事情に精通している黒田官兵衛に普請(ふしん)を命じたことから、現存する羽柴期の石垣は黒田官兵衛ゆかりの石垣と考えられます』 と説明されています。
 
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正面からは判別しにくのですが、左手の「チの櫓」方面を見ると、二段石垣であることがよく分かります。その特徴は、『自然石(野面石)を使った「布積み崩(ぬのづみくず)し」で、隅角部稜線が不揃(ふぞろ)い・低い石垣を二段石垣で補い、間詰石は主に川原石を使用、転用材を多用している』 だそうです。注、「布積み崩し」は自然石を横積みし、横目地が長く通らない石垣の様式
 
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登城口で待っていた同行者と合流すると、同行者は知人に姫路城の土産を買いたいと脇にある土産物店へ入るといいます。店内には「姫路城」の名がある菓子や小物類が多数ありましたが、すぐあきらめてしまいました。少し先にある「西の丸茶屋」も覗(のぞ)きましたが・・。

 

もと来た道を戻って、桜門橋から城外へ出ました。
 
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(続く)

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