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2016年10月10日 (月)

「超高速名城巡り」<山陽・山陰編①> 国宝「姫路城」(その1)

近畿の名城巡りを終えた3日後に山陽と山陰地方(まとめて中国地方ともいう)の名城と城址を5か所訪れることにしました。当初は9月下旬の飛び石連休中の平日である20日と21日の一泊二日の予定でしたが、台風16号が20日に四国と近畿地方を直撃するとの予報が出されため、急遽1日延期して、台風16号が通過するのをひたすら待ちました。そして、台風16号は紀伊半島を横断中の午後3時ころ、大阪府に最接近したようですが、風雨は懸念したほど強いものではありませんでした。

 

台風一過の朝、名神高速道路から吹田JCTで中国自動車道に入り、西宮山口JCTを直進しました。3日前に逆方向に走ったルートです。
 
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この日は神戸JCTで山陽自動車道にそれ、
 
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三木SAを通過しました。
 
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午前10時には山陽姫路東ICを出て、
 
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播但連絡有料道路脇の幅の狭い市道を経由して花田西交差点を右折して国道372号に出ました。
 
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市川に架かる新小川橋から前方に姫路城が見えました。注、姫路市は旧播磨(はりま)国ですから山陽道に属していたが、現在は近畿に含まれる
 
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二本松交差点を左折、ついで案内標識にしたがって大善町(だいぜんちょう)交差点を右折し、
 
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姫路城公園に到着し、
 
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ほぼ満車状態の大手門駐車場に車を停めました。約100km(所要時間1時間強)の距離です。駐車料金は3時間以上(1日)が900円。ほかに姫山駐車場なども利用できるようです。
 
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駐車場の角にある横断歩道を渡って内堀へ向かいます。
 
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駐車場に隣接する家老屋敷跡公園内には「いの屋敷」「ろの屋敷」「はの屋敷」が並んでいます。
 
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内堀沿いの広い通路を歩いて大手門へ向かいました。
 
 
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手前の橋は平成19年(2007年)に再建された桜門橋です。
 
 
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内堀と三の丸の石垣を撮影。ちなみに、内堀の外側を取り巻く中堀(武家屋敷の中曲輪を囲む)と外堀(城下町を囲む)は、外堀と内堀の役割を担っていた西側の船場川と城の北側と東側の中堀、東側の外堀はかろうじて残っていますが、城の南側の中堀(現在の国道2号)と外堀(姫路駅の北側)は道路化されたようです。注、北側の外堀は未完成
 
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大手門は昭和13年(1938年)に完成した高麗門(こうらいもん)で、壱や大きさは江戸時代のもの(三重の城門)とはまったく異なっていたと説明されています。つまり、桜門の奥に枡形を構成する桐二門と桐一門があったそうですが、今は2つ門と枡形の石垣はなく桜門だけになっています。
 
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大手門を警護するボランティア団体の「門番さくら組」たちは手持無沙汰のようです。姫路城にはこのほかに戦国武将隊「姫路城甲冑隊」(市民ボランティアの播磨甲冑倶楽部)がいるそうですが・・。ちなみに、名古屋城の「おもてなし武将隊」、「大阪城甲冑隊」(2015年12月解散)に出会ったことがあります。
 
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姫路城は、当ブログの記事「播磨灘物語」で紹介したように、赤松則村が砦を築いたのが始まりで、後に山名持豊の城になりましたが、応仁の乱で姫路城を陥落した赤松政則の一族である小寺氏から、その重臣の黒田孝高が城をあずかりました。
 

 

秀吉が毛利攻めの第一歩として攻めた三木城址年前の2011年10月に訪れています。羽柴秀吉の臣下となった黒田孝高(官兵衛)は中国攻略のため姫路城を秀吉に献上し、秀吉は三層の天守閣を築きました。関が原の戦の後、秀吉の重臣であった池田輝政が姫路城主(52万石)になり、城の大改築を始めました。 

 

池田氏が鳥取城へ移ると徳川家康の重臣・本多忠政が姫路城主(15万石)になり、三の丸、西の丸、そのほかを増築。次いで、松平・本多・榊原・酒井氏が城主になり、明治維新まで酒井氏が城を治めました。

 

つまり、西国統治の重要拠点として、羽柴秀吉・池田輝政・本多忠政が戦国時代から徳川時代初頭までの期間をかけて姫路城を拡張したことで、今見られる全容が整ったのです。(続く)

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