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2016年11月

2016年11月30日 (水)

昔懐かしい「丸の内仲通り」を散策(最終回)

次に見かけたパブリックアートは三木俊治作「行列-並列」(2015年)
 
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大型プランターの植込み
 
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「三菱商事ビル」のクリスマスツリー
   
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同じく、北海道出身の彫刻家・安田侃(かん)作「天空」(2006年) 注、同氏の作品は9年前の記事「東京ミッドタウン」、「これって何?」の7年前の記事「意心帰(いしんき)」と「町のシンボル」、6年前の「ストーンサークル」でも紹介
 
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三沢厚彦作「Animal 2015-08B」(2015年)
 
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「アーバンテラス」の準備が進んでいます。
 
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丸の内パークビルにある「丸の内ブリックスクエア」まで戻りました。友人たちとの会食がこの地下1階にあるイタリアンレストランで正午からあるのです。
 
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目的地のイタリアン/バール「ラ・カサリンガ」の名前を案内パネルで探した上、別の案内パネルで場所を確認 注、バール(bar)はイタリアなど南欧の軽食喫茶店・酒場を指す
 
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ホールの反対側に「ラ・カサリンガ」を見つけました。イタリア国旗の下に同国の地図と日本人サッカー選手の写真が貼られています。その他の白黒写真は“vini”(注、ウィー二―と発音)の文字が見えることからワインのイメージを表現するものでしょう。
 
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その右側(国旗の右下)には「浅井力也 絵画展」のポスターが貼られています。浅井力也氏について調べてみると、脳性麻痺(まひ)の障害がありながら絵画の能力を国内外で認められたハワイ在住の画家でした。店先の左端にある「ロバート・キャパ 魂の記録」のポスターについても調べてみました。宝塚歌劇団「宙(そら)組」が2012年に上演した20世紀を代表する報道写真家の半生を描いたミュージカルで、凰稀(おうき)かなめさんが主演しました。ちなみに、店先に貼られているのは2014年に再演された時のポスターのようです。

 

ワインバーのカウンターを抜けて店内に入ると、南イタリアのトラットリア(大衆料理店)の雰囲気を感じさせインテリアが施され、シンプルなデザインのテーブルとイスが並んでいました。また、入口脇の壁にはイタリア・トスカーナ地方の地図を使って“vini”(ワイン)の産地が説明されています。幹事さんはコース料理(飲み放題付、4500円)を予約してくれたようです。

 

イタリアのビール(モレッティ)で乾杯。最初に配膳されたのは鮮魚のカルパッチョ(オリーブ油とスパイス和え)/ハーブ添えです。いずれも大皿に盛られて提供されますから、自分の分を取り分けて食べます。食べ過ぎにならないようにまずは少量にしました。
 
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惚(ほ)れ薬ともいわれたルッコラとフルーツトマトのサラダ
 
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真タコのカルパッチョ
 
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ヤリイカとイカ墨のリゾットは珍しいメニューです。ちなみに、別の皿に載っているのはイタリアのパンであるチャバタのようです。オリーブオイルをつけて食べると美味しいとのこと。飲み物を白ワインに切り替えました。注、日替わりのハウスワインがこの店が推すビオ・ワイン(自然派ワイン)であったかどうかは未確認
 
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チーズがたっぷりかけられたこのパスタはスパゲッティボロネーゼ(ボローニャ風ミートソース味)だったと思います。
 
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メイン料理は牛ランプのローストビーフ/山わさび添え
 
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デザートはドルチェ(洋菓子風に作られたアイスクリーム)でした。ティラミス(チーズケーキ)、ヨーグルトのソルベ、ヘーゼルナッツとリコッタチーズのケーキの3種のようです。
 
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品数の多いコース料理はいずれも万人向きの味付けで食べやすく、ワインのグラスがかなり進みました。なお、名称などは私の推測によるため思い違いがある場合は何とぞご容赦下さい。美味しい料理と友人たちとの年相応の会話を阿楽しんだ午後3時過ぎに「ラ・カサリンガ」を出ました。そのころには雨がすっかり上がっており、定例となっている二次会の会場へとタクシーで向かうことに。
 
勤務していた会社の本社が丸の内から他の場所に移転してから30数年、すっかり足が遠のいていた、「丸の内仲通り」の変化を十分実感する感慨深い半日となりました。(終)

2016年11月29日 (火)

昔懐かしい「丸の内仲通り」を散策(その3)

「三菱一号館広場」を出て「丸の内 MY PLAZA(マイプラザ)」と表示された「明治安田生命ビル」の前に出ました。1階ロビーに控えめサイズのクリスマスツリーが飾られています。ちなみに、このビルと隣接する「明治生命館」の地下2階から地上3階までが「丸の内マイプラザ」となっています。また、明治安田生命ビル」の1階(写真左手)にはハーマンミラーストア(ファーニチャーショップ)、1階と2階(南東角、写真左手前)にはティファニー丸の内東京店(宝飾品)が入居しています。
 
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“PAGLICCO(パリアッチョ)丸の内( トラットリア&イタリアンバール)の表示があるのは「丸の内仲通りビル」(地上9階建、1963年竣工、旧三菱電機ビル)
 
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「丸の内二丁目ビル」の1階にはニューヨーク発のファッションブランド”kate spade”のショップが入居しています。バッグ、シューズ、アパレル商品、アクセサリーを中心に扱っている専門店のようです。また、同じ1階(北西角、写真左奥)には1年前にリニューアルオープンした服飾品を扱う日本企業のトゥモローランド丸の内店も。402年前のことです。このビルに三菱重工の本社があった1974年に過激派による爆弾テロがあり、当時港区の高台にあるビルに勤務先があった私は昼休みにその屋上から東京駅方面に巨大な白煙が上がるのを目撃しています。
 
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丸の内仲通りにあるパブリックアートの草間彌生作「われは南瓜(かぼちゃ)」(2013年)
 
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歩道に埋め込まれた「丸の内仲通り」の標識
 
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「アーバンテラス」(公的空間活用モデル事業のオープンカフェなど))の準備が始まったようです。
 
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「三菱商事ビル」(地上21階建、2006年竣工)の1階には吹き抜けを利用して大きなクリスマスツリーが飾られています。写真には写っていませんがその北隣には二代目の「郵船ビル」(地上15階建、1978年竣工)があります。注、1923年(大正12年)に竣工した初代「郵船ビル」(地上7階建)は占領軍によって約10年間接収され極東空軍尉官宿舎となった
 
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三沢厚彦作「Animal 2012-01B」(2015年)
 
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「丸の内ビル」(地上37階建、地上高179.2m、2002年竣工)は丸の内エリアで11月10日より開催される“Marunouchi Bright Christmas”のメイン会場として、3階歩廊に広がる高さ15m、幅65mのガラス面を巨大スクリーンに見立てたクリスマスシアターが登場し、「くるみ割り人形」のストーリーをモチーフにしたプロジェクションマッピングが上映されているようです。
 
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「丸の内ビル」(丸の内仲通り側)と地下へ入る階段
 
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行幸(ぎょうこう)通り(都道404号皇居前東京停車場線)に行き当たりました。天皇が行幸されるために利用される道路であることから行幸通りとも呼ばれています。皇居前の和田倉門交差点から東京駅前の東京駅中央口交差点まで長さ930mと短い都道で、内側の道路が歩道と馬車道となっています。
 
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右前方には「新丸ビル(正式名称:新丸の内ビルディング)」(地上38階建、地上高197.6m、2007年竣工)
 
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行幸通り側から見上げた「丸の内ビル」
 

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左前方には「東京海上日動ビル(旧東京海上火災ビル)」(地上25階建、1974年竣工)とその奥に並ぶ「同新館」(地上16階建、1986年竣工)
 
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丸の内はもう1ブロック先の永代通り(国道1号)まで続きますが、所要の時間が近づきましたので、ここで引き返すことにしました。当ブログは8年前に丸の内全体で開催された「カウパレード東京丸の内2008」を紹介しています。
(続く)

2016年11月28日 (月)

昔懐かしい「丸の内仲通り」を散策(その2)

HERMES(エルメス)”が入る北隣のビルは「新東京ビル」(地上9階建て、1965年竣工)はSMBC日興証券本店などが入居しています。隣の「新国際ビル」とともに高度経済成長期に建てられました。1-2階部分のファサードは今風に変更されています。
 
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右手を見ると、「新国際ビル」と「新東京ビル」の間にある道路はJR有楽町駅の北側にある「東京国際フォーラム」に行き当たっていました。旧東京都庁跡地に建設されたこの施設には7つのホールと大型展示ホール、多数の会議室があり、東京でも有数のコンベンションセンターです。
 
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丸の内仲通りを挟んだ反対側ではビルの建て替え工事(丸の内3-2計画)が進行中でした。
 
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「富士ビル」「東京商工会議所ビル」「東京會舘ビル」の3棟を一体で建て替えるもので、2018年に竣工する予定のようです。その北側を皇居(二重橋前)と東京駅の南東にある鍛冶橋交差点(外堀通り)を結ぶ馬場先通り(都道406号)が通っています。写真の左端には皇居前広場(楠木正成像付近)が少し見えます。
 
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工事現場に北隣にある高層ビルは「丸の内 MY PLAZA(マイプラザ)」が入る「明治安田生命ビル」(地上30階建、2004年竣工)、その左隣りにあるのは国の重要文化財である「明治生命館」(地上8階建、1934年竣工)です。
 
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一見すると「明治安田生命ビル」とツインビルを構成するように聳(そび)える高層ビルは「丸の内パークビル」(地上34階建、2009年竣工)です。
 
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東京駅丸の内口にある「丸の内ビル」と「新丸の内ビル」と同様、4階までの低層階が商業ゾーンの「丸の内ブッリクスクエア」となっています。手前のアネックスにメインゲートがあるようです。
 
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馬場先通り(都道406号皇居前鍛冶橋線)に出て馬場先門から二重橋方面を望みました。
 
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馬場先通りの東京国際フォーラム側では地下通路接続工事が行われています。この先の地下には京葉線の東京駅があり、駅と周辺のビルを接続する地下通路の延伸工事でしょう。ちなみに、その通路は東京駅丸の内地下通路と同八重洲地下通路ともつながっています。
 
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広い馬場先通りを横断すると、2つの高層ビルに挟(はさ)まれた「丸の内仲通り」が人影がない並木道となって続いていました。「小雨降る地上広場」の記事でも紹介したシャンソン曲 『小雨降る径』 の物悲しいメロディーが私の頭の中に静かに流れ始めました。
 
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「丸の内パークビル」の南東角にある「丸の内の案内地図」
 
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同じく、こちらは江戸時代の大名屋敷を描いた古地図です。掘に囲まれたエリアに、葵の家紋がある多くの松平家、肥後熊本藩細川家、老中であった久世大和守広周邸と安部伊勢守正弘邸などが現在の大型ビルと同規模の敷地を有していたことが分かります。
 
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その先の歩道に彫像を見つけました。パブリックアートとして設置されているイタリアのジュリア―ノ・ヴァンジ作「追憶」(2004年)です。丸の内仲通にある彫像は箱根彫刻の森から提供されたもので、3年毎を目途に新しいものと交換することで、より多くの彫像を鑑賞できるように配慮されているそうです。
 
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右手の「丸の内パークビル」(写真左)とその「アネックス」(同右)にある通路から敷地内に入ると、それらの建物に囲まれた中庭ともいえる「三菱一号館広場」がありました。直線的な「丸の内仲通り」の堅いイメージと対比させるため、曲線を多用してより広がりを演出した構成の広場には、数十種類のバラをはじめ、さまざまな草木やオープンカフェで構成されています。人工的に造られた起伏と植栽の配置でうまく立体感を演出して広場は、かつて機能優先で無機質であった丸の内には無かったスペースです。
 
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普段は噴水であるという場所に、美しい花を纏(まと)ったたくさんの妖精たちが華麗に舞いを披露する様子をイメージしたというクリスマスツリー「花の精のワルツ」が飾られています。その右奥には明治時代の雰囲気を演出するガス灯が見えます。
 
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イギリスのバーナード・メドウズ作「恋人たち」(1981年)
 
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イタリアのエミリオ・グレコ作「うずくまる女 No.3」(1971年)
   
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中庭の奥に「三菱一号館美術館」がありました。「旧三菱一号館」は1894年(明治27年)にジョサイア・コンドルの設計によって建設された日本初のオフィスビルで、1968年(昭和43年)に解体されましたが、2009年に現在の場所に当時の姿に似せて赤レンガで再建され、2010年に美術館として開館しました。
 
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「三菱一号美術館」側の「丸の内パークビル」は敷地の一角にあった「丸の内八重洲ビル」のファサード(建物の前面)が保存され、「丸の内パークビル」の外壁として使われているようです。(続く)

2016年11月27日 (日)

昔懐かしい「丸の内仲通り」を散策(その1)

東京メトロ日比谷線を日比谷駅で下車し、A3番出入り口から地上に出ました。「有楽町電気ビル南館」(地上18階建、1979年竣工)の1階です。北隣は「有楽町電気ビル北館」(地上20階建、1975年竣工)。ちなみに「電気ビル」の名前がつくのはこのビルが建つ前の地権者の代表格であった電気協会と電気倶楽部のビル名が受け継がれたものです。南館の1階にはジョルジオ・アルマーニ(イタリア・ミラノ)のビジネスユース用デザインブランド(ディフュージョンライン、普及版)を販売するアルマーニ コレツィオーニ東京店が入っています。
 
 
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有楽町電気ビルと同北館の向かい側には2007年に開業したザ・ペニンシュラ東京(地上24階建)が聳(そび)えています。香港上海大酒店有限公司が運営する高級ホテルです。その左手は晴海通り(注、遠くに見える日比谷交差点の先は内堀通り)で、右手が丸の内仲通の入口。
 
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あいにくの雨天ですが、所用までの余裕時間を利用して丸の内仲通りを散策することにしました。皇居の日比谷濠沿いの日比谷通りと東京駅丸の内駅舎前を通る大名小路(都道402号)の間にあるビジネス街丸の内のメインストリートです。50年近く前に社会人になった私は、最初の15年間ほど所要がある時に、東京メトロ日比谷線の日比谷駅を降りて、さまざまな思いを胸に抱いて丸の内仲通りに面した本社ビルまで歩いたプロムナード(登城路)です。注、標識の下にある千代田区の区章は、「千」をツルの形にアレンジして「よ」に似せ、丸枠と組み合わせて「田」を表したもの
 
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有楽
町電気ビル北館の北隣には終戦直後に開館した映画館のスバル座が2階に入る「有楽町ビル」(地上11階建、1966年竣工)が続きます。1階に入居する“BOGLIOLI(ボリオリ)”は伊藤忠商事グループのコロネット社が扱うブランドのひとつで、イタリアの伝統的なサルトリアーレ(仕立て屋)を継承するジャケットを売りにしているようです。
 
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その向かい側には、丸の内仲通側から順に、蚕糸(さんし)絹の研究開発と産業振興を行う「財団法人大日本蚕糸会」が入居する「蚕糸会館」(10階建、1983年竣工)、「ニッポン放送本社ビル」(地上9階建、2004年竣工)、そして日比谷通り(皇居の日比谷濠)側には「日比谷サンケイビル」(左端)と「丸の内警察署」(その右隣)が並んでいます。
 
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「有楽町ビル」の北隣にある「新有楽町ビル」(地上14階建、1969年第2期工事竣工)
 
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その向かい側の農林中央金庫と表示された建物は「DNタワー21第一農中ビル」は名前から想像されるように、戦後GHQに接収されて総司令部本部となった第一生命館(日比谷通り側)と農林中央金庫有楽町ビル(丸の内仲通り側)のファサード(前面デザイン)を残しながら1995年までに建て替えられた地上21階のビルです。
 
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「DNタワー21第一農中ビル」の北隣は「国際ビル」(地上9階建、1966年竣工)、帝国劇場があることから「帝劇ビル」とも呼ばれます。
 
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1階にあるイタリア・ミラノ発の “F.clio(クリオ)”はバッグや革小物を扱うファクトリーブランド、金沢福光屋は米発酵技術(日本の伝統文化)を発信する酒蔵のコンセプトショップ、”JOHN LOBB(ジョンロブ)は150年の歴史を持つイギリス・ロンドンの紳士靴店です。
 
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そして、その向かい側にある「新国際ビル」(地上9階建、1965年竣工)はオフィスビルで、生命保険協会(3階)、日本交通協会(9階)、三井住友銀行丸ノ内支店、ラ・メゾン・デュ・ショコラ丸の内店などが入居している半世紀前の丸の内を象徴する伝統ある建物のひとつです。1階に入るのは左から、イタリア・フィレンツェの老舗バングブランドの”GHERARDINI(ゲラルディー二)、高級ヘアアクセサリの専門店の”ALEXANDRA DE PARIS(アレクサンドルドゥパリ)、フランスのファッション用メガネフレーム店”alain mikli(アランミクリ)”です。
 
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その前の車道に「歩行者専用」の表示がありました。平日は午前11時から午後3時まで、土・日・祝日の午前11時から午後5時までが歩行者天国になるようです。季節感に乏しい都心ですが、雨に打たれた落ち葉が晩秋の風情を演出しています。雨天のせいか「アーバンテラス」(道路でオープンカフェや移動式店舗が営業する公的空間活用モデル事業)は開催されていないようです。
   
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(続く)

2016年11月25日 (金)

人気テレビドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」を観る

昔からラジオが好きな私は、テレビを観る時はニュースや社会・経済・文化などの番組にほぼ限定していますが、2年前の日曜劇場(TBSテレビ系)「半沢直樹」(原作池井戸潤氏)に続き、久しぶりに毎週欠かさず観ているドラマ番組があります。それは「逃げるは恥だか役に立つ」です。私が好きな女優・石田ゆり子さんが出演する新番組ということで観はじめたのですが、「半沢直樹」と同様、すっかり嵌(はま)ってしまいました。

 

後で知ったことですが、このドラマは海野(うみの)つなみ氏のラブコメ・マンガが原作です。独身のブロを自認する一流大学卒の男性と高学歴(院卒)にもかかわらず派遣切りに遭(あ)った恋愛下手の女性が、ものの弾(はず)みで、入籍しない偽装結婚を装った家事代行の雇用関係(住み込みの家政婦契約)を結んで同居するという、破茶滅茶(はちゃめちゃ)な、つまり非現実的な設定があります。しかし、リア充(注、現実の生活に満足して人間関係を楽しんでいる人)が横行する現在にあっては却(かえ)って斬新(ざんしん)に感じられます。そして、ブラック企業・就職難・派遣切り・結婚に価値を感じない男女の増加など、当節の社会問題もさり気なく織り込まれています。さらに、ドラマの舞台が横浜であり、バブル時代のトレンディー・ドラマのお洒落(しゃれ)なテイストを適度に加味していることも、若い世代に受ける要因でしょう。

 

ドラマの長いタイトル(由来:ハンガリーの諺)は原作のままですが、「逃げ恥」と省略されることが多いようです。毎回、異なるキーワードをサブタイトルとすることで、話題に変化を持たせています。例、第一話は「プロの独身男と秘密の契約結婚」、第七話が「あのキスのあとさき」 また、演出においては、女性主人公の妄想(もうそう)が人気テレビ番組(歌謡ベストテン、情熱大陸、徹子の部屋など)の番組用セットと主題曲を使って表現され、まるで別の番組が誤って挿入(そうにゅう)されたのかと視聴者を感違いさせます。また、台詞回(せりふまわ)しがユニークなのは原作であるマンガの雰囲気を生かす意図(いと)があると思われます。

 

配役にも凝(こ)っています。男性主人公の津崎平匡(ひらまさ)役はシンガーソングライターで俳優の星野源(げん)さん、女性主人公の森山みくり役が女優で歌手の新垣結(あらがきゆい)さん、みくりの母方の伯母・土屋百合(独身)役を女優の石田ゆり子さん、そのほかには古田新太さん、大谷亮平さん、藤井隆さん、宇梶剛士さん、富田靖子さんなど、バラエティーに富んだ脇役が、薄っぺらで上滑りしかねない二人の主人公を盛り立てます。石田ゆり子さんが期待通りに天然キャラの伯母役を自然に演じています。もちろん、星野源さんが演じる平匡は一流大学卒のIT技術者でありながら異性関係での不器用さや、妄想癖(もうそうへき)のある小賢(こざか)しいみくり役を演じる新垣結さんの初々(ういうい)しいさにも心惹かれます。

 

そして、ドラマの最後に主な出演者が踊る恋ダンスは、ピコ太郎さんの”Pen-Pineapple-Apple-Pen(PPAP)”ほどではないにしても、大人気となっているようです。今週火曜日(11月22日)に放送された第7話では、恋ダンスの前に第8話の予告編が挿入されました。それによると、平匡さんのことが好きになったみくりさんがその感情に耐えられなくて住み込み先から逃げ出し、同じくみくりさんに心惹(ひ)かれはじめた平匡さんがみくりさんを追うストーリー展開になりそうで、ドラマはどうやら山場に差し掛かるようです。これまで以上に今後の放送が楽しみになりました。

 

まだ観ていない方で興味をもたれた方はTBSのホームページを参照されると良いでしょう。□

2016年11月21日 (月)

「ココログ」についての雑感

2005年10月6日に“@nifty ココログ”(以下、ココログと省略表記)を利用してブログを始めてからちょうど11年が経過しました。最初は手探りで短い記事を投稿するだけでしたが、慣れるにしたがい記事が長くなるとともに掲載する写真の枚数が徐々に増えました。そして、記事の件数は約2000件、掲載した写真の総数はほぼ3万枚に達しました。その結果、ココログで使用するストレージの容量が、ベーシック(無料)の2GBを超え、プラス(有料)の5GBへ増量してもすぐに不足し、さらには最大の容量(10GB)が利用できるプロ(有料)へと変遷しました。その過程で、2013年11月にブログの名称を「温泉大好き、ドライブも!」から「旅行大好き、飛行機も!」に変えました。さしたる理由はなかったのですが、温泉巡りの種が尽きてきたことと、気分転換のために記事のデザインを一新したくなったのです。 

さて、本題です。無料のYahoo!ブログを練習用として短期間だけ使ったあとは、上記のようにココログを長年利用しています。このサービスを気に入ってこれまで使い続けてきましたが、もちろん短所もあります。1番の短所はアップルの携帯端末からの投稿が不便なことです。ブラウザの”Safari”(サファリ)はやっと数年前からリッチテキストに対応したのですが、パソコンからの入力を前提として作られたココログの入力画面は表示が細かすぎて、私には簡単な内容しか入力できないのです。また、投稿済みの記事を編集しようとするとHTMLの編集画面が表示されるため、修正作業が大変なのです。そして、待望していたiPhone用のアプリ”ココログ for iPhone”が最近になってやっと提供されました。さっそく、試してみると機能が限られており、常用するには不満があります。注、iPodiPadでも使用可 

 

もう一つの不満は投稿(アップロード)した写真の管理です。投稿した記事を削除してもアップロードした画像(フルサイズとナムネイルの2種)はサーバーに残っています。フルサイズの写真は「マイフォト」で編集と削除ができますが、私のようにアップロードした枚数が多くなると、新しい順に表示される仕組みでは古い写真にアクセスすることが大変なのです。1回に表示できる枚数はデフォルトの20枚とオプションの5枚あるいは50枚から選べますが、1万枚前の写真へアクセスするためには50枚に設定しても、200回もページ送りをしなければなりません。注、ここでいうフルサイズとは撮影した画像を1/10以下の300kB程度に圧縮したもの 

 

困った私はあれこれ調べて裏技を見つけました。強引な方法ですが、1回に示できる枚数を設定するモードで、上部に表示されるURLの文字列(最後の"&limit="以下の部分)を改竄(かいざん)することで、同時に表示できる枚数を100枚ないし500枚、極端なケースでは5000枚に設定することができます。これであれば何とか目的の写真を見つけることは実行可能でしょう。ちなみに、"&offset" 以下の数字は最新画像から何番目の古い画像かを示します。一方、サムネイル(縮小画像)はファイルマネージャーでアップロードした年月日でチェックし、その中から不要なサムネイルを選んで削除することができます。 

 

データ容量が最大10GBに限られていることも多数の写真を付けたブログ記事をほぼ 毎日のように投稿する人には大きな制約条件です。サービスプロバイダーによっては1TBないし無制限としているところもあるようです。別のアカウントへ移行することは簡単ですが、同じテーマで扱うには使い勝手と一括管理が不便に(マイナス要素と)なりますから、これも躊躇されます。そこで考えた荒業(あらわざ)が古い写真(フルサイズの方)を削除することです。サムネイルの写真は残っていますから、記事に添付された写真はそのまま残っており、実害は生じません。ただし、写真をフルサイズで表示することはできなくなります。 

 

以上の考察のあと、古い写真(フルサイズ)を削除することに決めました。その方法は簡単です。ココログの管理ページにある「マイフォト」を選び、「アルバム」欄の「ブログにアップロードした画像」をクリックすると、画像のサムネイルとタイトルが表形式で表示されます。その中から削除したいサムネイル(複数可)の脇にあるボックスをクリックして(チェックマークを付け)、次いで表(ページ)の左下にある「削除のボックス」をクリックすると確認画面へ移行します。内容を確認した上で承認すれば削除は完了です。ちなみに、同時に削除できる枚数には制限はないとしていますが、画像容量には上限があるようで、数十件を超えると正常に動作しないことがありました。 

 

かなり忍耐と時間を要する作業でしたが、1万枚近く削除すると、「利用中のディスク容量」が70%強まで低下しましたから、これから1年以上はディスク容量を気にすることなく画像をアップロードできます。1-2年後に利用中のディスク容量が90%を超えれば、上記した削除作業を再度行えばよいわけです。いわゆる、“FIFOFirst in First out”(ファーストインファーストアウト、先入れ先出し)の手順です。容量に限りがある場合に採用される簡便な手法です。これは論理回路のシフトレジスタ(データ全体を一方向に移す)と同じ考えに基づいています。□

2016年11月18日 (金)

「超高速名城巡り」 帰路(後編)

前方に三河富士と呼ばれる信仰の山、本宮山(ほんぐうさん)(標高789.2m)が現れました。
 
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額田(ぬかた)トンネル(長さ1840m)
 
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雁峰(がんぼ)第二トンネル」(長さ800m、下りは810m)は雁峰第一トンネルから観音山トンネルまで9本連続するトンネルの8本目 注、観音山トンネルの写真は「新東名高速道路の延伸区間を走る」の記事で紹介済み
 
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9本目の「雁峰第一トンネル」(長さ580m)
 
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往(ゆ)きに立ち寄った「長篠設楽原(ながしのしだらがはら)PA」を通過します。近くにある「設楽原歴史資料館」を2年前に紹介しています。
 
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「いなさJCT」が近づき、間もなく静岡県浜松市に入ります。
 
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「清水PA」に差し掛かった103.9km地点から頂上付近に雲を冠(かん)した富士山が見えました。
 
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休憩のため「清水PA」に立ち寄ることにしました。
 
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NEOPASA清水」には自動車やオートバイを展示するコーナーがあって、毎回楽しみにしています。
 
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今回は国産のプロトタイプレーシングカーとして知られる“DOME S102.5”でした。童夢社が、2008年にフランスのル・マンに参戦した”S102”の改良車として、2012年にベルギーのスパ・フランコルシャンとフランスのル・マンで開催されたカーレースに参戦した車です。
 
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“MV Agusta Motorcycle Art”
のバイクが2台展示してありました。右は “RIVALE 800”(4ストローク・3シリンダー・798ccのエンジンを搭載)、左奥は旧モデルの”F3 800”のようです。
 
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同行者が土産物を探している間に、昼食を残したため小腹が空いた私は「鉄板焼き 鉄一(てついち)」で「タコセン」(250円)を求めました。タコ焼きとエビセンの食感が楽しくて満足です。
 
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そこへ溶けかけたソフトクリームを持った同行者が現れました。
 
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新清水ICに差し掛かりました。
 
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新東名高速道路(上り線)を走行しながら見る富士山をお楽しみください。
 
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新富士IC付近から見た愛宕山塊の愛宕山・位牌岳(いはいだけ、標高1458m)と越前岳(標高1504m)、その後方には箱根外輪山の金時山(標高1212m)
 
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御殿場JCTで東名高速道路に合流して神奈川県に入っても順調に走行できましたが、厚木ICの直前で工事渋滞に巻き込まれてしまいました。「12km、30分」と表示されています。
 
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午後5時少し前に帰宅できました。「超高速名城巡り(山陽・山陰編)」のドライブ旅との合算ですが、総走行距離は2083.7km、平均燃費が25.8kmでした。
 
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これに「超高速名城巡り(近畿編)」のドライブ旅(総走行距離798.5km、平均燃費25.3km/ℓ)を加えると、総走行距離2882.2km、平均燃費25.6km/ℓと安定した燃費を確保できました。

 

 

<同行者のコメント> 近畿地方のドライブに続いて、今回も雨に出会うための旅行になりました。車で走っている間はいいのですが、お城の石段を上がったり下りたりするのは大変です。私でも知っている姫路城・松江城・岡山城なら土産話にもなりますが、強い雨が降る中、運転手さんに引かれて鳥取城の石垣をいくつも巡ったのはまさに悲劇そのものでした。運転手さんが山頂を目指している間、誰もいない石垣の上で待っている時、丹後半島の灯台近くの駐車場で強風に揺れる車の中でひとり待っていたことを思い出しました。でも、純白で美しい姫路城を訪れたあと鳥取砂丘でポケモンGOで遊び、松江では美味しい「出雲そば」を食べることができたことはいい思い出になりました。(終)

2016年11月17日 (木)

「超高速名城巡り」 帰路(前編)

オチビちゃんとコチビちゃんの家を出発して、第二京阪自動車道と京滋バイパスから名神高速道路を経由して新名神高速道路に入りました。新名神高速道路は延伸工事が神戸JCT-大津JCT間(2016年度から2023年度の開通予定)と亀山西JCT-四日市JCT間(2018年度開通予定)で進められていますから、これらが完成すると京滋バイパスと名新高速道路を経由しないで、新名神高速道路から伊勢湾岸自動車道へ入ることができます。

 

前方に鈴鹿山脈が見えて来ました。北は関ヶ原の南に位置する霊仙山(標高1094m)から鈴鹿峠あるいは油日岳までの範囲(総延長約60km)を指すようです。ちなみに、最高峰は標高1238mの御池岳(おいけがたけ)。

 
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鈴鹿トンネル(長さ4010m)に入ります。
 
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三重県亀山市に入ると、亀山西JCTの工事が進められていました。
 
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安坂山トンネル(長さ1480m)
 
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急な下り坂を下りて東名阪自動車道に入ります。4か月前に伊勢神宮からの帰りに道として利用した高速道路です。
 
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断続的に渋滞が発生する東名阪自動車道から伊勢湾岸自動車道へ入ります。東海環状自動車道の東員出口は新名神自動車道と接続する予定だそうです。
 
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この日は日曜日のため、「ナガシマスパーランド」(写真右手)が近い湾岸長島ICでは出口から本線上(路側帯)まで続く長い車列がありました。開園時間から2時間近くが経過しているはずですが・・。
 
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木曽川を渡って愛知県に入りました。正午近くになりましたので刈谷ハイウェイオアシスで昼食をかねて小休憩をとります。
 
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「名古屋めし三昧」の「ごはんや ODAIDOKORO 於大処」に入りました。同行者は台湾ではなく名古屋名物である「台湾ラーメン」(700円)を、
 
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そして私は同じく名古屋名物の「名古屋どて肉みそ丼[小きしめん付]」(780円)を選びました。
 
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ひき肉とニラがトッピングされた「台湾ラーメン」(名前の由来:台湾出身者が味付けを工夫したラーメン)は初めての体験(味見だけ)ですが、見た目通り唐辛子が効いたピリ辛味で、癖になりそうな魅力的な味です。「きしめん」は美味しかったのですが、「名古屋どて肉みそ丼」はホルモン(内臓肉)が私の味覚に合わないためかなり残してしまいました。牛すじ(牛のアキレス腱または腱のついた肉)が使われていると思って注文したのです。お店の方、「ごめんなさい!」。「矢場とん」の店ではありませんが、名古屋名物の「味噌カツ丼」にすれば良かったと思い直しました。

 

東名高速道路と交差する豊田JCTです。
 
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往(ゆ)きにも撮影した矢作川(やはぎがわ)に架かる「矢作橋」(愛称:豊田アローズブリッジ)
 
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豊田東JCT
 
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左側にある切通しの法面(のりめん)には巨大なアンカーボルトが設置されています。工法としては「グラウンドアンカー工」と「ロックボルト工」の2種類があるようです。
 
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岩中岩戸トンネル(長さ650m)
 
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岡崎東ICを通過
 
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(続く)

2016年11月16日 (水)

「超高速名城巡り」<山陽・山陰編⑤> 「岡山城」の続編 特別名勝「岡山後楽園」(後編)

五十三次腰掛茶屋」は、幕末から明治時代初期にできた建物で、東海道五十三次を描いた扁額(へんがく)が掲(かか)げられていたことから、この名が付いたといわれています。
 
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扇形をした小さな絵(東海道五十三次の浮世絵)が貼られたパネルの下にある「沢の池」に面した連子窓(れんじまど)を通して見る「岡山城天守閣」や「唯心山」の景色には格別の趣(おもむき)があります。
 
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寒翠細響軒(かんすいさいきょうけん)」は南側の「沢の池」と北側の「松林」を眺(なが)めることのできる美しく小さな建物です。ちなみに、「寒翠」とはさえた緑色、「細響」は細やかな響きという意味です。
 
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水車が清流で回っていました。この右手に曲水の源流があるようです。
 
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苔生(こけむ)した松林の高台
 
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「鶴鳴館(かくめいかん)」は、江戸時代から伝わっていた建物が戦災で焼失したため、戦後になって山口県岩国市の吉川邸を移築したもので、武家屋敷のたたずまいをよく伝える建物だそうです。現在には各種の会合などに利用されているようです。
 
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正門を出ると、
 
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正面には岡山県立博物館がありました。
 
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旭川沿いの遊歩道から「月見橋」と「馬場口門跡」を経由して「岡山城」へ戻りました。「隅櫓」と「油櫓」がある「下の段」から見上げた「月見櫓」には防備を考慮して小さな窓しかありません。「中の段」側(東面と南面)から見た最上階(3階)には月を見るために大きな開口部が設けてあるのですが・・。(「岡山城のhp」を参照)
 
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「数寄方(すきかた)櫓跡」に続く「伊部櫓跡」の石垣です。その右手に続く「多門櫓跡」の石垣とは色合いが大きく異なるのは、前者の石垣が積み直されたからかもしれません。
 
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「内堀」側の石垣は土塀の先に続く「修覆櫓跡」のようです。
 
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「大納戸櫓跡」の下を通って「「内下馬門跡」(大手門の枡形跡)を抜けたところで、〆の写真を撮影しました。
 
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「目安橋跡」の先にあるのは「岡山県立図書館
 
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東方面に続く「内堀」の先にあるのは『春屋櫓跡」(左)と「宍粟(ししざわ)櫓跡」(右)でしょう。
 
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コブハクチョウに見送られて「岡山城」を後にしました。
 
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午後5時半ころに烏城公園の駐車場を出発して「岡山城」と「岡山後楽園」の外周を走ると県道402号との交差点の少し手前に「夢二郷土美術館」がありました。
 
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ちなみに、美人画で知られる武久夢二氏は大正ロマンを代表する画家・詩人で、岡山県瀬戸内市の出身であり、当ブログでは「赤城山」「雑司が谷」「九十九里浜」の記事で同氏に触れています。

 

旭川沿いの狭い道へと直進して県道96号との交差点を左折して旭川を渡り、さらに国道53号で山陽自動車道の岡山ICへ向かいました。久しぶりとなる倉敷市にも立ち寄りたかったのですが、スケジュール的に無理がありますので、次の機会に譲ることにします

 

休憩のために三木SAに立ち寄りました。5年前に訪れた「三木城址」の近くです。
 
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そのフードコートで、私は播州ラーメン(680円)、同行者は棒棒鶏(バンバンジー)冷麺(880円)を選びました。いずれも広東麺のような細麺が出汁の味と絡(から)んで美味しい。加えて、播州ラーメンに入れられた播州牛肉はボリュームがあり、冷麺は冷たい分だけ硬めの麺とゴマだれの相性が良く、いずれも期待通りの美味しさでした。
 
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一番人気の加古川名物「元祖カツ飯」(880円)と「丸ごとトマトと但馬牛の石焼丼」(税込1380円)、「播磨農業高校ポークの黒酢あんかけセット」(税込1180円)などは別の機会に譲りました。

 

神戸JCTで中国自動車道に入り大阪府へ入った途端、4日前と同じ土砂降りになりました。前が見えない上、大型トラックの巨大なタイヤで踏み飛ばされた水しぶきがフロントガラスを襲います。そして、自らの轍(わだち)で飛ばした水の固(かた)まりが自動車の腹を打ちました。まるで、波頭に乗っかって進むモーターボートのようです。

 

吹田JCTで名神高速道路へ入っても状況は変わりません。オチビちゃんとコチビちゃんの家に帰着した午後9時に小降りへと変わったのも4日前と同じで、今回も雨に祟られたドライブ旅になりました。ちなみに、総走行距離が1,630.1km、平均燃費は25.0km/ℓ。
 
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<同行者のコメント> 今回も雨に出会うための旅行になりました。車で走っている間はいいのですが、お城の石段を上がったり下りたりするのは大変です。私でも知っている姫路城・松江城・岡山城ならまだいいのですが、強い雨が降る中、運転手さんに引かれて鳥取城の石垣をいくつも巡ったのは悲劇そのものでした。そして、山頂を目指している運転手さんの帰りを誰もいない石垣の上で待っている時、丹後半島の灯台近くの駐車場で強風に揺れる車の中でひとり待っていたことを思い出しました。でも、翌日は鳥取砂丘ではポケモンGOを短時間できました。もっとたくさんポケモンを捕まえたかったのですが・・・。

2016年11月15日 (火)

「超高速名城巡り」<山陽・山陰編⑤> 「岡山城」の続編 特別名勝「岡山後楽園」(中編)

築山を東側へ下りた場所に「流店(りゅうてん)」がありました。
 
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『亭舎の中央に水路を通し、中に美しい色の石を配した、全国でも珍しい建物になっています。かつては、藩主の庭廻りの時に休憩所として使われ、簡素なたたずまいを伝えています』(出典:岡山後楽園のパンフレット)
 
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反対側から見た「流店」は背景の木立に溶け込むようです。
 
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散策路のしたがって「流店」から南東方向へ進むと、木立の先に「岡山城の天守閣」が見えました。
 
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ズームアップすると「天守閣」がひときわ大きくなりました。木立の手前には藤棚も見えます。
 
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庭園の南東端には園内を正門近くから「延養亭」「南門」「唯心山」「流店」の脇を巡ってきた曲水が流れ込む「花交(かこう)の池」、幕末の家老の下屋敷にあった利休堂を移築した「茶祖堂(ちゃそどう)」、約100本も梅がある梅林などがありますが、それらはいずれもスルーして北へ移動しました。

 

蓮田(はすだ)に蓮(はす)が咲いている初夏をイメージしながら「天守閣」と「流店」を1枚に収めました。
 
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その隣にある「井田(せいでん)」では稲穂が色付いていました。『「井田」は、かつて園内に広がっていた田畑のなごりで、中国周時代の田租法にならい幕末に形作られたものです。2000年の時を経てよみがえった大賀ハスは6~7月頃が見頃です』 とパンフレットに解説されています。
 
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散策路の反対側にある「茶畑」は、築庭当時からこの位置にあり背景のゆるやかな曲線を描く土手山と調和していると立て看板に書いてあります。
 
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その隣にある「由加神社」の鳥居がありました。日本三大権現の一つで厄除けの総本山として知られ藩主池田侯の祈願所であった「由加神社本宮」(倉敷市児島)から分霊された神社です。江戸の池田家本亭に祀られていましたが、廃藩後にこの地に移築されたそうです。ちなみに、左奥にあるのは「唯心山」から見た「福田茶屋」。
 
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北側から見た「沢の池」
 
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「沢の池」に浮かぶ「中の島」(右)には、「島茶屋(しまぢゃや)」(前編の後ろから3枚目の写真参照)があり、太鼓橋が掛かっています。そして、その手前には「舟宿」がありました。
 
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御野島(みのしま)」には「釣殿」が設けられています。
 
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巨岩を割って運び組み上げた「烏帽子岩(えぼしいわ)」
 
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その後方にある「慈眼堂(じげんどう)」は、池田綱政が藩内の平安と池田家の安泰を願って建立した観音堂です。ちなみに、慈眼堂の本尊は池田家に返されたため、現在は空堂になっています。
 
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「沢の池」を泳ぐ鯉(こい)たち
 
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庭園を取り囲むように続く松林
 
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(続く)

2016年11月14日 (月)

「超高速名城巡り」<山陽・山陰編⑤> 「岡山城」の続編 特別名勝「岡山後楽園」(前編)

旭川に架かる「月見橋」を渡って特別名称「岡山後楽園」へ徒歩で移動しました。
 
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旭川が天然の外掘になっていることが分かります。川の左手は「西の丸」の先にある「三の曲輪跡」(現岡山神社・県立美術館)と「三の外曲輪の内」で、左端には「二の丸跡」に建てられた「岡山シンフォニーホール」が見え、
 
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「岡山城」の方向を振り返ると、旭川が「岡山後楽園」との間を流れ、漆黒の「天守閣」に「金の鯱瓦(しゃちがわら)」が映(は)えています。ちなみに、「岡山後楽園」の遠方には「天守閣」から見た操山があります。
 
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「月見橋」で対岸に渡り、行き当った道を右に折れました。日本三名園のひとつである「岡山後楽園」の正門は左手にありますが、午後5時近くになっていますから、旭川沿いの南門(入口)から入園することにしました。
 
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前方にカフェ&レストランの「碧水園」(手前)と「城見茶屋」(奥)が並んでいるのが見えます。すでに「岡山後楽園」の敷地内に入っているようです。
 
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「岡山後楽園」の「南門」(岡山城口)です。入園最終時間(午後5時45分)まで50分ほどの余裕がありました。
 
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「岡山後楽園」は「岡山城」の「天守閣(本丸)」から展望しやすい場所に勾玉(まがたま)にも似た形で配置されているのが分かります。
 
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「岡山後楽園」は約300年前に岡山藩2代藩主池田綱政(いけだつなまさ)が藩主のやすらぎの場として作らせた庭園で、広い芝生地や池・築山・亭舎が園路や水路で結ばれ、歩きながら移り変わる景色を眺めることができるよう工夫された庭園とされます。

 

「南門」を抜けて進むと、左手から伸びる水路に清水が流れて来ます。
 
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順路は指定されていませんので、水路を渡って直進すると、芝生に覆われた広場に出ました。
 
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左手遠くにに見える茅葺(かやぶき)の建物は藩主が後楽園を訪れた時のいまであった「延養亭(えんようてい)」と正門に近い瓦葺(かわらぶ)きの「鶴鳴館(かくめいかん)」(山口県岩国市の吉川邸を移築した武家屋敷)です。
 
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右手には池と築山があるようです。
 
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十字路を右に折れて、「沢の池」の脇を歩きました。
 
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白砂青松が美しい「砂利島(じゃりじま)」が印象深い景観を作り上げています。
 
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右手奥に建つ茅葺屋根の建物は眺望が良いことから池田綱政が好んで利用したとされる亭舎の「廉池軒(れんちけん)」
 
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「廉池軒」の目の前にある築山の「唯心山(ゆいしんざん)」
 

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「唯心山」の頂上は撮影スポットになっています。
 
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「沢の池」に浮かぶ「中の島」(手前)と「御野島(みのしま)」(奥)、対岸にある「五十三次腰掛茶屋」(左奥)と「慈眼堂(じげんどう)」(観音堂)を一望できました。鳥居がある「由加神社」の右手は「福田茶屋」(休憩所)です。
 
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反対側にある石段の脇にある茅葺きの東屋が見えます。
 
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案内看板には、『「唯心山」は池田綱政の子、継政(つぐまさ)が作った約6mの築山で、平面的だった庭園が立体的な景観へと変化しました。山腹には「唯心堂」があり、斜面には石組に合わせて、ツツジやサツキが植えられ、初夏には紅白の花で彩られます』 と説明されています。
 
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(続く)

2016年11月13日 (日)

「iPhoneのブルートゥース接続トラブル」の顛末記

2016_1011iphonese00012か月ほど前のことです。購入後3年半以上も経過してバッテリーがへたり始めた”iPhone 5”を同サイズ(4インチディスプレイ)の”iPhone SE”に機種変更しました。私はこのサイズが気に入っているのです。携帯電話ショップの在庫は前のバージョンである“iOS9.3.5”でしたから、ただちに“iOS 10.0.2”にバージョンアップ。“iCloud”で“iPhone 5”と同じ環境に戻すと、アプリとデータには何の支障もなく、かつバッテリーの持ち時間も回復しました。

しかし、車で出かけるときに違和感がありました。エンジン・スイッチを入れた時、いつものように『ポータブル端末と接続されました』 のメッセージが表示されないのです。カーステレオのブルートゥース接続を確認すると、『ポータブル端末が接続されていません』 のメッセージが表示されていました。つまり、携行している”iPhone SE”を認識していないのです。これでは運転中に”iPhone SE”からブルートゥース経由でカーステレオへ音楽を転送することができません。

 

2016_1011iphonese0002その上、”iPhone 5”では問題がなかった自宅の“iPad Air”とも接続(ペアリング)できないことが分かりました。”iPhone SE”の設定(全設定とネットワーク設定)をリセットしてみましたが解決しません。”iPhone SE”自身に何か不具合があるのかと心配になり、購入した携帯電話ショップへ相談に出かけました。スタッフは親切に聞いてくれたあと、ショップではこのような不具合には対応できないので、「アップルストア」(アップルの相談窓口)に解決策を聞くことを助言されました。

ショップの電話を借りて「アップルストア」の担当者にあれこれ状況を説明し、いくつかの質問にも答えました。しかし、解決策らしきものにたどり着かず、専門家にも意見を聞いてくれましたが・・・。そして、アップル製品サービス(アップルの認定修理窓口)を何か所か紹介されました。帰宅後、ネットで確認すると、連休後(3日後)に最寄りの「アップル製品サービス」の予約が取れました。

 

2016_1011iphonese0003「たらい回し」をされているようで、だんだん不安な気持ちが積もり、『データ類が削除される』 あるいは『修理に時間がかかる』 などネガティブなことが心配性の私の頭をよぎります。「アップル製品サービス」の店では、私が訴えた問題事項を聞いた担当者は、ただちに実機でのチェックを実施すると言います。テスト用のワイヤレス・キーボードとの接続テストです。すると、あっけないほど簡単にペアリングに成功し、文字の入力と削除が行えることが実証されました。”iPhone SE”に問題はなさそうです。

この店のスタッフに勧められて、帰宅後に再び「アップルストア」に電話をかけました。今回は、これまでの顛末(てんまつ)を詳しく説明し、指示に従って”iPhone SE””iPad Air”JBL製ワイヤレススピーカーとのペアリングテストを行いました。しかし、ペアリングは一向にできません。”iPhone SE”が他の端末を認識しないのです。技術的に詳しいスタッフが代わってくれましたが・・・。iPhone SE”で40分ほど会話したあと、固定電話に通話手段を切り替えて確認作業が続きました。その中で、ついにJBL製ワイヤレススピーカーから”iPhone SE”へのペアリングが成立したのです。

 

2016_1111iphonese0002それまでできなかったことがなぜできたのかは分かりませんが、”iPhone SE”からJBL製スピーカーへの接続もでき、音声の転送もできることが確認されました。これで、”iPhone SE””iPad Air”の両端末からJBL製ワイヤレススピーカーへのペアリングが相互にできることが確認されました。これで問題は解決かと思われ、丁重に礼を言って電話を切りました。しかし、その後に行った”iPhone SE””iPad Air”のペアリング操作は相変わらず成功しません。つまり、"iPad Air"を"iPhone SE"の子機とする「テザリング」がブルートゥースではできないのです。注、WiFiでも「テザリング」接続はできる

2016_1112iphonese0003念のため、カーステレオのオーディオ・モードにあるブルートゥースの接続ボタンを押して"iPhone SE"とカーステレオとのペアリングも試みましたが、やはり駄目でした。『ポータブル端末の設定を確認してください』 とクールなコメントが・・。そこで、カーステレオを『設定モード」に切り替えてポータブル端末”iPhone SE"を新たに登録するすると、今度は見事に接続が完了しました。接続する相手端末を事前に登録する必要があることを失念していました。

 

以上の状況から考えられる原因は、”iPhone SE”が搭載しているOSiOS 10.0.2)が影響していることです。ネットの書き込みでは”iPhone 7”でワイヤレス・イヤフォンとのブルートゥース接続に問題が起きているとの報告があるようです。現状では打つ手がなさそうですから、次回のバージョンアップまで待つことにしました。しかし”iOS 10.1”と“iOS 10.1.1”とOSのバージョンアップをしましたが、今日現在ではまだ解決されていません。

 
 

[追伸] テザリングについての後日談(2016.12.22) 

 

12月16日にリリースされたiOS10.2の評判が良いことから数日後にアップデートしました。以前のバージョンでも何ら不都合はなかったのですが、唯一不満だったテザリングが出来ないことが解決することを期待したのです。しかし、その期待は裏切られてしまいました。 

 

これまでと同様、設定モードの「モバイル共有を設定する」をクリックしてテザリングを設定しようと試みましたが、「webに移動」するかを問われ、それをクリックすると”My Softbank"のテザリングオプションのページが表示されました。「テザリングが利用できない時は電源ON/OFFをしてください」と説明されています。さっそく試してみましたが、状況に改善はみられません。

 

機種変更した時にサービスの契約内容を私の利用状況に合わせて少し見直していますから、それが原因かもしれないと考え、”My Softbank"で契約内容を確認しました。テザリングを利用するために必要な「データ定額」は従来通り容量”5G”で間違いなく契約されていました。つまり、機種変更する前にテザリングを利用していた時と同じです。 

 

やはり、専門家に尋ねる必要を感じた私は携帯電話ショップに出かけました。店員に目的を伝えると、私の契約内容をチェックして、『テザリングが申し込まれていない。データ定額になっているから、利用を申し出ればテザリングを無償で利用できる』 というのです。もちろん、申し込みました。『機種変更する前はそのような
手続きをしたことはないが・・』 と尋ねると、『何年前ですか?』→『3年ほど前』→『そのころならそうかもしれません』と続きました。「データ定額」との組み合わせで、それまで有料であったテザリングは1年半ほど前、無料オプション(申し込み制)に変わっていたのです。
 

2016_1222bluetooth0001帰宅後、再度確認すると、設定モードの「モバイル共有を設定する」のページの冒頭に、テザリングを利用するには「テザリングオプション」へのご加入が必要で、その申し込みは”My SoftBank”、「ソフトバンクショップ」などで受けつけていると書いてありました。
 

 

本件も私の粗忽(そこつ)さによって自らが引き起こしたトラブルでした。「データ定額」の契約は必要条件であり、十分条件ではなかった」のです。そして、店員さんが言ったとおり、翌朝にはテザリング機能が使えるようになりました。「これにて一件落着、目出度めでたし」です。

2016年11月11日 (金)

「超高速名城巡り」<山陽・山陰編⑤> 漆黒の「岡山城」(後編)

笠松で制作した「ついたて」
 
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「宇喜多直家の備前統一」の説明パネルには、『直家は、天文13年(1544年)に乙子(おとご)城主となり、その後、新庄山(奈良部)城、亀山(沼)城、龍ノ口城などを手に入れ、領地を広げてゆきました。そして、永禄10年(1567年)明善寺(みょうぜんじ)合戦で三村元親(もとちか)の2万の大軍をやぶり、その地位を築きました。元亀元年(1570年)には当時の石山城主金光宗高(かねみつむねたか)から城を奪い、城主となり、備前、美作(みまさか)を統一して戦国大名となりました』 とあります。

 
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4階には「城のふしぎ」をテーマに、岡山城の建築の特徴、その他居城に関するエピソードなどが分かりやすく紹介されていました。その最初は「烏城(うじょう)七不思議」です。
 
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「鉄(くろがね)門」の妻飾り部材「懸魚六葉(けんぎょろくよう)」は縦20cm、よこ16cmの木製で、城が取り壊される時に岡山藩士の手に渡り、その子孫が昨年5月に市へ寄付したものだそうです。
 
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この鯱瓦(しゃちがわら)は、『岡山城本丸中の段の隅櫓や城門などの城郭建築物に使用されていた鯱瓦の1つで、明治15年以降の建物の取り壊しに際して関係者のもとで保存されていましたが、この度天守閣の展示資料に寄贈されました』 と解説してあります。
 
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鎧甲冑(よろいかっちゅう)
 
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3階は「しろのあゆみ」(宇喜多・小早川の時代)として、まず「宇喜多秀家画像」を中心に、「宇喜多氏略系図」(右)と「関ヶ原西軍であった秀家の波乱の生涯」(左)が説明されています。(撮影禁止)

 

こちらは関ヶ原東軍の「小早川秀秋」
 
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2階は「城のあゆみ」(池田の時代)
 
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東照宮奉納「唐太刀」、池田家伝来の「陣太鼓」などの展示品は残念ながら撮影禁止

 

「城主の間」
 
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「塩蔵(しおぐら)」
 
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「天守閣」を出て、「塩蔵」の脇にある石段で「中の段」へ下りました。
 
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ふたたび「表書院跡」へ
 
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築城時(宇喜多秀家のころ)の旧石垣
 
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「廊下門」を出ます。
 
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「廊下門」の上屋は「上段(本段、藩主の住居)」と「中の段表書院」を結ぶ城主の通路として使われていたため、この名で呼ばれました。また、「不明門(あかずのもん)」は通常閉じられていたため、この「廊下門」が「二の丸」から本丸の「上の段」へ至る登城口になっていたそうです。ちなみに、昭和41年に鉄筋コンクリート造りで再建されました。
 
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「小納戸櫓跡」下の石垣と「月見櫓」(右)
 
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「月見櫓」は二代目藩主の池田忠雄が岡山城の増改築に際して、本丸搦め手に備えて建てた江戸時代初期の隅櫓です。二階の城内側は廻り縁側を設けて開け放した佇まいで、日常の生活にも使用できるような構造となっていて、名前のとおり月見にも適していました。二棟しか残っていない当時の建物の一つで、重要文化財です。ちなみに、初代藩主となった池田忠継の代行に当たった兄の池田利隆が、江戸時代初頭に二の丸の西側の防備に設けた隅櫓の「西の丸西手櫓」も重要文化財です。(出典: 岡山城のhp
 
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「天守閣」北側の「花畑御殿跡」から見た「岡山城」の「天守閣」と「塩蔵」(注、「廊下門」は右奥、左手に伸びる旭川沿いの道を進むと、「六十一雁木」(石段)と「六十一雁木上門」を経て、本丸の「上段」へ行くことができます。
 
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今回の「名城を巡るドライブ旅」最後の「岡山城」を後にして、旭川を挟んだ場所にある「岡山後楽園」へ向かいますが、ここで気分転換のため投稿を小休止します。(続く)

2016年11月10日 (木)

「超高速名城巡り」<山陽・山陰編⑤> 漆黒の「岡山城」(中編)

「上段(本段)」の正面奥には昭和41年(1966年)に鉄筋コンクリート造りで再建された大入母屋造りの基部に高楼を重ねた三層六階複合式望楼型の岡山城天守閣」が聳(そび)え、その右手には「長局跡」(木立の場所)、および「上段」に入るもう一つの門である「六十一雁木上門(がんぎうえもん、別名:要害門)」がありました。
 
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右手には天守閣を再建する時に移動して再配置された「天守閣の礎石」と「長屋続櫓跡」があり、
 
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六十一雁木上門(がんぎうえもん、別名:要害門)」の前に出ました。旭川に臨む「水の手」から本段へ直に登る勝手筋の階段は「六十一雁木」と呼ばれていたことでこの名があるようです。そして、「六十一」は当初の階段数に因(ちな)むものと思われます。
 
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「岡山城天守閣」の外観は黒漆塗(くろうりしぬり)の下見板が特徴的で、この印象から漆黒(しっこく)の天守閣が烏城(うじょう)と呼ばれる所以(ゆえん)です。城が築かれた岡山の頂の地形に合わせた不等辺五角形をした天守台の上に4重6階の天守閣が建てられています。(注、前面は直線的で、背面は尖っている) 安土城を模(も)したものともいわれているそうですが、私には そのようには・・・。また、天守閣の目立つ場所には金色の鯱瓦(しゃちがわら)が飾られ、上部の軒瓦(のきがわら)も金箔瓦(きんぱくがわら)が彩(いろどり)を添えていて、「金烏(きんう)城」の異称もあります。左手の白い壁の建物は渡櫓がない別櫓の「塩蔵」です。ちなみに、同じ岡山市北区(高松)にある秀吉の毛利攻めで知られる備中高松城址は3年前に訪れています。
 
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天守閣の地階に受付がありました。岡山城の入場料は大人300円(岡山後楽園との共通券は560円)、最終入城時間は午後5時で、あと30分を残すだけでした。後楽園の方は午後5時45分まで入園(3月20日-9月30日)できますから、迷わず共通券を選びました。

 

天守閣の地階エントランスからカーブして伸びる通路にある「戦国合戦絵巻」が入場者を出迎えてくれます。
 
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「池田家鉄砲住人組使用 火縄銃」(全長: 135cm)
 
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『岡山城天守閣の「シャチホコ」は、天守閣が昭和41年に再建された時に作られたもので、土製の瓦として焼かれた後に、漆(うるし)を接着剤にして金箔(きんぱく)を貼りつけたものである。同様のものが現在の天守閣の最上部にも掲(かか)げられている。宇喜多秀家期の岡山城では、主要建物の屋根のうち目立つ箇所を中心に、こうした金箔瓦が施されていたことが、発掘調査の出土品からも窺える。(以下略)』 と説明書きがありました。
 
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エレベーターに乗って天守閣の4階まで上がります。

 
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さらに階段で上階を目指しました。
 
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『宇喜多秀家によって築城された岡山城の特徴は、埠頭編五角形の1階平面を持つ天守台の上に建てられた大建築であり、旭川水路を変更して城下に導き、外堀として利用できるようにして防御に役立たせたことです。また、初期の城建築に共通の芯柱のない工法など、最も古い天守閣の形を持ちます。石垣は自然石を積み上げた野面(のづら)積みや、切りだした石で、ていねいに築いた打込接(うちこみはぎ)など、場内に残る石垣には、築いた城主によって、その時代差があらわれており、丘y間上の歴史をさぐる手がかりとなっています』
 
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「岡山城月見櫓の鬼瓦」には「備前蝶」という揚羽蝶模様があります。これは「姫路城の記事」で紹介したように播磨姫路藩の池田氏の家紋を備前岡山藩の池田氏が受け継いだものです。
 
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「さまざまな櫓と櫓門」には、建てられた年の年代差や、のちの修理時の改変で、その形式にかなり差があったと、明治食の取りこわし前や戦災前の「本丸表向月見櫓(重要文化財)」「本丸南面」「本丸南面西端」「本丸西面南端」「石山門西南面」「天守閣北面」「本丸南面東端」の古写真が掲載されています。
 
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最上階(6階)に到達するると、岡山市外地を展望することができました。南方向には、「上段」の木立の先に見える大きな建物は「内堀」に面した「岡山県立図書館」で、その後方は岡山県庁です。また、遠方の山々は隣接する玉野市と倉敷市との境界になっている「常山(つねやま)」(標高307m)と「龍王山(りゅうおうざん)」(標高286.8m)。
 
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西方向に目を転じると、黄金のシャチホコが目の前にあり、眼下には旭川が少し見えます。左手の介護施設「丸の内ヒルズ」の左後方には「岡山シンフォニーホール」が確認できます。
 
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北西方向には旭川がS字に蛇行し、それに架かる「月見橋」が見えました。この橋を渡った対岸に「後楽園」とボート乗り場があります。
 
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東方向には旭川に沿って長く伸びる「後楽園」の南端の先にある操山(みさおやま、標高169m)
 
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天守閣の天井
 
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5階へ下りて見た「後楽園」
 
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(続く)

2016年11月 9日 (水)

「超高速名城巡り」<山陽・山陰編⑤> 漆黒の「岡山城」(前編)

烏城公園の駐車場から見た「岡山城」の内堀(北方面)です。右端は「太鼓櫓跡」のようです。
 
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内堀沿いに東へ歩くと「目安橋(めやすばし)」がありました。『大手(表口)から本丸へ通じる橋で、明治になって撤去され、土橋に改められました。池田光正(みつまさ)の代に、橋のたもとに領民からの投書を受付けるための目安箱が置かれたことからこの名がつきました』 と説明されています。
 
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コブハクチョウが二羽並んで泳いでいます。上嘴(うわくちばし)の基部に黒い突起(コブ)があることが特徴で、オオハクチョウとコハクチョウのようにシベリヤへ渡らない半野生化した留鳥が多いそうです。
 
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「烏城公園」に入りました。
 
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巨大な石碑の脇にある「大石の使用」と題する看板には、『岡山城の建設当時には、大名が権勢を誇る目的で石垣に巨石を集めて、築くことが流行していた。岡山城の大石はこの辺りに多く使われている。また、石餓鬼の石は瀬戸内海に浮かぶ犬島などから運びこまれた』 とあります。

 

『岡山城は天正元年(1573年)に宇喜多直家により築城が始められ、慶長2年(1597年)に宇喜多秀家が完成した後、江戸時代に入城した木下家定の子(小早川隆景の養子)、小早川秀家には嗣子がなく小早川家は断絶し。ついで姫路城の池田氏の子や鳥取状の池田氏による岡山藩の城府となり、明治維新により廃城になりました。戦災で天守閣と石山門が焼失しましたが昭和41年に再建され、内部は展示室として、城跡は烏城(うじょう)公園として整備されています』(説明文のポイント)
 
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内堀は南面と西面にしかありませんが、他の二面は旭川(あさひがわ)が天然の外堀となり、城域(下の段・中の段・本段)は扇形をしています。「中の段」へ入るには「鉄(くろがね)門跡」あるいは反対側(北側)にある「廊下門(ろうかもん)」の2ルートがあり、「本段」は「不明門」と「六十一雁木上門(がんぎうえもん)」の2つが入口になっていることが分かります。この地図には含まれていませんが、内堀の左手(西側)と下(南側)にかけて「二の丸」があり、その外側(南西方向)に「三の丸」と別の「内堀」、さらには「中堀」と「外堀」があったそうですが、現在は市街地化されていて、その様子を見ることはできません。
 
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内下馬門跡の石垣」の案内看板には、『本丸の正門(大手門)があったところで、城の威厳や大名の権力を誇示するために、巨石が組み込まれている。最大の石は、高さ4.1m、幅3.4mであるが、厚みはなく、意太子を建てたものである』 と説明されています。ここには、高麗(こうらい)門と渡櫓(わたりやぐら)門が建てられた枡形虎口(ますがたここう)があったそうです。
 
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「中の段」の「大納戸櫓跡」(石垣)
 
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石垣に沿って右手へ進むと広場に出ました。「史跡整備工事中」の看板には「史跡岡山城跡歴史的環境整備工事」と表示されています。
 
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同行者は「中の段」へ入る「鉄(くろがね)門跡」へ向かっています。
 
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上方には「上段(本段)」への入口である「不明門」が迫力で迫ります。
 
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長い石段を上がりました。
 
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「鉄(くろがね)門跡」の先にある踊り場の先にも短い師団が続きました。
 
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「中の段」に出て折り返すと、左手に「表書院跡」がありました。「岡山藩の政治が行われた建物で、数棟からなり、大小60を超える部屋がありました。登城してきた家臣らは南東の玄関から入り、広い廊下を通って奥へ進み、それぞれ所定の部屋に詰めていました。廊下に面した徒番所(とばんしょ)は城内の警備や雑用にあたる家臣の詰所でした。藩主は、住居である本段の御殿から渡り廊下を通って北西の招雲閣(しょううんかく)に入り、南座敷で政務を執(と)っていました。泉水(せんすい)を備えた中庭には、数奇屋(すきや、茶屋)が立っていました。(以下略)
 
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「表書院跡」を過ぎると、「不明門」の前に出ました。
 
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『表書院(藩庁)の南端から「上(段本段、城主住居)」へ上がる石段の入口に設けられた渡櫓門、天守閣のある本段全体の入口を固めた大型の城門である。普段はこの門は閉ざされていたことから、「不明門」と呼ばれた。明治の廃城後取り壊されたが昭和41年、鉄筋コンクリートで再建された』
 
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「不明門」を抜けて「上段(本段)」へ入ります。
 
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(続く)

2016年11月 8日 (火)

「超高速名城巡り」<山陽・山陰編⑤> 松江から岡山へ

県道37号で大橋川に架かる宍道湖(しんじこ)大橋を渡ります。2002年に「景観に調和する、人にやさしい橋」というテーマに沿って修景設計され4車線(片側2車線)化されました。歩道には「日本の夕日百選」に選ばれた「宍道湖の夕日」を眺めるためのスポット(扇のような屋根付)が設けられています。
 
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ちなみに、大橋川は汽水湖である宍道湖から松江市の市街地を横切って同じく汽水湖の中海へ注いでいますが、これらはすべて一級水系・斐伊川本流の一部です。宍道湖までが汽水湖であることは意外ですが、もともと潟湖(せきこ)であった宍道湖と中海の水位にほとんど差がないため、潮位の影響をうけるのだそうです。宍道湖はシジミの漁獲量が日本一です。

 

右前方、宍道湖畔にあるのは松江城の天守閣から見た「島根美術館」(1998年6月竣工)で、「公共建築賞・特別賞」に選ばれたそうです。「宍道湖の夕日」のビュースポットとして、夕日鑑賞に適した設計(西側が全面ガラス張り・屋上展望テラス)になっているようです。注、屋上展望テラスは屋根に空いた丸い穴の部分
 
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行き当った国道9号で袖師(そでし)ヶ浦を抜けました。県道24号との分岐点を過ぎた松江玉造(たまつくり)ICから山陰自動車道に入りました。
 
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松江玉造料金所
 
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松江玉造ICから34km(約30分)西進すると出雲IC(現在の西端IC)で、いわずと知れた「出雲大社」があります。大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)を祭神とし、縁結びの神社として人気が高いようです。2013年5月に本殿の屋根の大改修の官僚と共に「平成の大遷宮」が行われました。時間の余裕があれば立ち寄り先の候補に入れていましたが、ほぼ予定通りの進捗ですから、中間地点にある宍道(しんじ)JCTに差し掛かるまで迷いましたが・・。

 

やはり、宍道(しんじ)JCTから松江自動車道に入って山間に伸びる走行しました。三刀屋木次(みとやきすき)ICまでが有料道路です。
 
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島根県雲南市から中国地方最長の大万木(おおよろぎ)トンネル(長さ4878m)を抜けて広島県庄原市へ入り、三次IC方面を目指しました。

 

高茂(こも)トンネル(長さ535m)は「松江自動車道」で16番目のトンネルです。
 
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三次(みよし)東JCT」と「尾道道(尾道自動車道)」の案内標識
 
 
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「三次東JCT」は中国道(中国自動車道)との分岐点で、この付近だけが片側2車線になっています。
 
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尾道本線料金所」に差し掛かりましたから、山陽自動車と交差する「尾道JCT」はすぐ先にあるようです。
 
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「尾道JCT」の案内表示板です。いつかは「しまなみ海道」をドライブしたいと思います。
 
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「尾道JCT」で「山陽自動車道」に入り、「福山西IC」を通過します。ちょうどその時、間欠モードに設定したワイパーが動き出してしまいました。
 
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福山SAで短い休憩をとることにしました。
 
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倉敷ICを通過します。「総社(そうじゃ)」の地名は「備中高松城址」を訪ねる時に利用したJR西日本・吉備(きび)線の主要駅であるとともに、「古代吉備国」の中心地であり、備中国総社の「總社(そうじゃ)」があることでも知られます。
 
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瀬戸中央道が分岐する倉敷JCTを通過すると、
 
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まもなく岡山自動車道が分岐する岡山JCTが近づきました。
 
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鼓山(つづみやま)トンネル(長さ560m)
 
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岡山ICから国道53号に出て、市の中心部へ向かいました。
 
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柳川交差点を左折し、奇抜なデザインの「岡山シンフォニーホール」の前を通過、「烏城(うじょう)みち」を抜けて、「岡山城」の駐車場を目指しました。
 
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烏午後4時15分に岡山市北区丸の内にある烏城公園の駐車場(1時間300円、岡山城への入城者には割引き有)に車を入れました。ちなみに、烏城は岡山城の別名です。
 
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(続く)

2016年11月 7日 (月)

「超高速名城巡り」<山陽・山陰編④> 国宝「松江城」の続編 出雲そばの「八雲庵」

正午になりましたので、食事処へ向けてを駐車場から内掘に沿って北上すると、天守閣内で模型を見た「北惣(そう)門橋」がありました。
 
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「北惣門橋」を渡ると「二の丸下の段」(左)の脇を抜け、「馬洗池」と「中曲輪」を経て「二の丸」へ行くことができます。また「馬洗池」の脇を抜けると「外曲輪」にある「護国神社」に至ります。
 
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「北惣(そう)門橋」から見た内堀(大手前方面と北堀川方面)
 
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その反対側には城下町文化を歴史に焦点をあてて紹介する武家屋敷風の市立「松江歴史館」がありました。
 
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内堀に沿ってさらに北へ進むと、江戸時代に中級武士が住んでいた北側堀沿いの塩見畷(縄手)には長屋門と塀が続き、城下町らしさが残っています。注、大手前方面を撮影
 
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内堀を「堀川めぐり」の遊覧船が通過して行きます。
 
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当時のまま保存されている市文化財の「武家屋敷」がありました。
 
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その先を観光客が列をなして歩いています。
 
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出雲そばの人気店「八雲庵」は松江城の内堀沿いの古民家風の建物でした。
 
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同行者を入口で降ろして、すぐ先にある駐車場へ向かいました。幸運なことに、狭い駐車場(6台)から車が1台出るところで、待たずに駐車することができました。写真は駐車場と「八雲庵」の間にある塀と通用門。
 
 
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入口を入った右手に店舗があり、
 
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左前方にも別棟(座敷席)があり、繁盛しているそば店であることが分かります。
 
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その手前にある池の錦鯉
 
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同行者が右手の建物の奥にある小上がりで待っていました。椅子(いす)席がいっぱいのため奥へ案内されたそうです。私は心積もりしていた大好物の「鴨南蛮そば」(920円)、天ぷらが好きな同行者は「天ぷら割子そば(えび天、かきあげ、鴨汁)」(1520円)を選びました。注、割子(わりご)は丸い漆器(しっき)の重箱のこと
 
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「鴨南蛮そば」はさっぱりした汁と鴨肉が蕎麦(そば)にマッチしています。味見をした「割子そば」は、出雲そばの特徴とされる辛(から)い醤油味の出汁(だし)が私好みではありませんでしたが、「えびの天ぷら」と「たまねぎのかき揚げ」は期待通りの美味しさです。ただ、「そば湯」は要求しなかったためか出されませんでした。(詳細は八雲庵のhpを参照)
 
 

参考までに、「出雲そば」についてネットで検索すると、『その最大の特徴は、従来のそばと比較して黒っぽいそばとその食べ方にあります。出雲そばは、玄(げん)そば(注、殻のついたそばの実)をそのまま製粉するため色は黒みがかり香りが高く、風味と独特の食感があります。薬味は、主にねぎ、のり、もみじおろし、かつおぶしなどから好みのものをのせ、徳利(とっくり)に入った「そばつゆ」を上からさっと回しかけ、そばとなじませていただきます』 とありました。

 

「八雲庵」の約100m先には小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が松江で1年3ヶ月弱滞在した内、約5か月間過ごした「小泉八雲旧居(ヘルン旧居)」(入館料:大人300円)と昨年7月にリニューアルオープンした「小泉八雲記念館」がありますが、時間の制約があるため、大手前方面へ引き返すことにします。注、小泉八雲は日本各地に計14年間滞在しましたが、当時のままで保存されている住居は「小泉八雲旧居」だけであるため、国指定史跡に指定されています

 

大手前駐車場を過ぎたところで「内堀」越しに「中櫓」と「南櫓」を撮影
 
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松江市には、松江藩主松平家の墓所がる「月照寺(げっしょうじ)」(国の史跡)、松江城の北端にあり小泉八雲が散歩でよく訪れたという「城山稲荷神社」、堀尾吉晴が松江城を築き・城下町を造成した当時に開創された「普門院(観月庵)」など、立ち寄りたい場所がまだありますが、ちょうど午後1時になりましたので、次の訪問先である岡山市へ急ぐことにしました。(続く)

2016年11月 6日 (日)

「超高速名城巡り」<山陽・山陰編④> 国宝「松江城」(最終回)

襖(ふすま)に描かれた地元出身の日本画家安達不伝(あだちふでん)氏による障壁画がありました。左から、堀尾吉晴が築城の地を決めた場面の「吉晴公床几山より眺望して城地を定める」、吉晴の妻がもちを配って築城の大工らを激励した「松江に千鳥城を築く」、松平家初代の若武者姿「直政公の初陣」などが20枚続きます。
 
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3階へ上がると、全国の城の写真と「松江城本丸の復元雛型(ひながた)」がありました。後者には、本丸の北西にある「乾ノ角(隅)櫓(いぬいすみやぐら)」(左端)、同じく西側にある「鉄砲櫓」(中)、同じく南西角の「坤櫓(ひつじさるやぐら)」(右手前)、「一ノ門」へ続く「多門櫓(たもんやぐら)」、そして天守閣の附櫓(つけやぐら)の隣にある「祈祷櫓(きとうやぐら)」も再現されています。
 
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さらに4階へ上がりましたが、何も展示されていません。
 
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そこで、そのまま踊り場がある階段で最上階(5階)へ
 
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望楼(最上階の5階)に出ました。
 
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「国宝指定書」
 
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天守閣最上階(5階)の天井
 
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松江城と城下町の古地図
 
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明治初年の松江城
 
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「天守閣」の望楼(最上階の5階)から見た松江市街地です。南方向には、窓の前に「千鳥破風」の屋根と鬼瓦があり、眼下には「二の丸跡」にある「御広間跡」(左)、「松江神社」と「興雲閣」(右)、そして島根県庁・島根県警本部(電波塔がある)・松江市役所と宍道湖大橋(いずれも確認できない)の先には「宍道湖(しんじこ)と風光明媚(ふうこうめいび)な松江らしい景色がありました。左端に写る高層ビルは山陰合同銀行本店、宍道湖に浮かぶ島嫁ヶ島(注、堀尾吉晴が天守閣からの眺めに感動したと伝えられる)、その先に見える白い建物は水との調和をテーマにした島根県立美術館(左奥)です。
 
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南南西方向には「本丸」に設けられた通路の先に「登閣券売り場」と「一ノ門」「南多門櫓」(左端)、遠方には「宍道湖」も。
 
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西方向には眼下に「本丸」があり、木立の先にある市街地には丘陵地帯が迫っています。
 
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北北東方向には松江市北部の街並みが広がり、その左手の山岳地帯には戦国時代に尼子氏が築城した山城「白鹿城址」(標高154m)と尼子氏に対抗する毛利方が築いた「真山城址」(標高256m)があるはずです。
 
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東方向には「松江歴史館」(手前)と北堀川に掛かる北堀橋(旧宇賀橋)、そして小さな丘は「楽山公園」、遠くに見える2つの山、左の嵩山(だけさん、標高326m)と右の和久羅山(わくらさん、標高280m)を望むことができました。
 
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東南東方向には「ちどり茶屋」と「松江観光案内所」、「大手門跡」、そして城外には「島根県民会館」(右)と「大手前通り」が「楽山公園」方面へ続いています。
 
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最上階から急な階段を下りました。
 
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天守閣の附櫓を出て「祈祷櫓(きとうやぐら)跡」の脇から見た「三ノ門跡」と「太鼓櫓」(右端)
 
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「太鼓櫓」下の石段脇にある推定樹齢350年で樹高14mの楠木(くすのき)と「二の丸下の段」
 
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駐車場付近からみた「中櫓」(右)と「南櫓」(左)
 
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(続く)

2016年11月 5日 (土)

「超高速名城巡り」<山陽・山陰編④> 国宝「松江城」(その3)

板の厚みが約10cmもある桐(きり)の階段を上がります。この階段はいざという時、容易に引き上げるため軽い桐材が使われているのだそうです。
 
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1階へ出ました。
 
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松江藩主の系図(三家十四代)
 
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「松平直政初陣図銅像」(安来出身の彫刻家米原雲海作)
 
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同(松江出身の彫刻家青山泰石作)
 
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これらは松江城の城主であった松平直政は若干十四歳で大阪の陣に初陣を果たした時をイメージして制作されたもののようです。ちなみに、後方にある太い柱は「包板(つつみいた)」と呼ばれる板が張られ、鎹(かすがい)や鉄輪(かなわ)で固定されています。その目的は不良材の割れ隠しなどのためとされるそうです。

 

また、松江城の天守閣は、姫路城大天守の東大柱と西大柱のような長大な通し心柱を用ず、短い柱を上手く使うことで、上層階の荷重を下層階の複数の柱に分散させる工夫がなされているとのこと。

 

釣人を描いた絵画
 
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室町時代・安土桃山時代・江戸時代における様々な趣向(しゅこう)を凝(こ)らした兜(かぶと)が十刎(はね)ほど展示されています。
   

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武将が戦の指揮に用いたうちわ形の道具「軍配」(右上)、軍勢の指揮や易占(えきせん)・呪術(じゅじゅつ)のための道具「軍扇」(右下)・護身用の暗器(隠し持つ武器)である「鉄扇」(左上)
 
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「種子島火縄銃」と「種ヶ島短筒」
 
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松平家の家老であった大橋家に伝わる「具足」と弓矢
 
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個別のガラスケースに入った具足(二領)のうち、右側は「伊予札桶側胴具足一領(いよざねおけがわどうぐそくいちりょう)」と表示されています。兜(かぶと)の前立てに毛利の家紋があり、広島の方が寄贈したことが表示されていますから、毛利家のものだったのでしょう。
 
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こちらも「伊予札桶側胴具足」です。
 
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伊予札(いよざね)は、通常の兜の錏(しころ)に用いられる小札(こざね)よりも幅広であり、また頭の部分に刻みを入れたもので、樋側胴(おけがわどう)は横筋が見える姿が桶(おけ)に似ることから名付けられました。この甲冑(かっちゅう)は、革糸(かわいと)で縅(おどし)されており、胸の部分が毛引縅(けびきおどし)となる段替胴(だんがえどう)となっています。

 

「美女面頬(めんぼう)」 注、面頬は平安時代からあったとされる顔面と喉を保護するための防具
 
 
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次いで2階へ上がります。
 
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松江城天守解体にあたって仮設された覆(おおい)いである「素屋根(すやね)」の雛型(ひながた)
 
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「北惣(そう)門橋」の縮尺模型(縮尺1/10)には、『この橋は内堀の東側にあった家老屋敷と城内を結ぶ重要な通路であった』 と説明されています。
 
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旧藩時代の松江市街(嘉永年間)
 
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昭和50年現在の松江市街
 
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一層と二層の間(2階)の四隅と東・西・北面にある「石落とし」は、『石垣に接近したりよじ登ってくる敵兵に石を落としたり熱湯をあびせたりして撃退するもの』 と解説されています。注、現在は金網で塞(ふさ)がれている
 
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説明書きには、『松江城天守からおろした鬼瓦は二十二面あり、各面相は一つ一つ異なっていて、その表現が独創的、創作的な手法であることと、角のないのが特色とされている』 とあります。
 
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(続く)

2016年11月 4日 (金)

「超高速名城巡り」<山陽・山陰編④> 国宝「松江城」(その2) 

石段を上がりきると「二の丸」の入口である「三ノ門跡」に出ました。
 
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「松江城下絵図」に描かれた内堀と外堀に囲まれた「松江城」とその城下町の配置は現在の街並みとほとんど変わっていないようです。
 
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天守閣がある本丸の周囲を取りこむように配置してあります。「二の丸」の奥には、「北の丸」と「馬洗いの池」、そして心霊スポットともいわれる「ギリギリ井戸」があるようです。注、ギリギリは頭のつむじをさす方言

 

左手にある広場へ向かうと、平成13年(2001年)に再建された3つの櫓が並んでいました。向かって左から、「太鼓櫓(たいこやぐら)」・「中櫓」・「南櫓」です。このうち、「太鼓櫓」と「南櫓」、およびそれらをつなぐ土塀は国の史跡に指定されています。その土塀には傾くのを防ぐ控柱(ひかえばしら)が取り付けてあります。
 
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それぞれの案内看板には、『「太鼓櫓」は平櫓建で、中櫓と同規模ですが、入口に庇(ひさし)がつくところが異なる。「中櫓」は「東の矢蔵」あるいは「御具足蔵(おんぐそくぐら)」と呼ばれたことから、中に武具などを保管する倉庫であったと考えられる。「南櫓」は二之丸南東角に建てられた2階建ての櫓で、その用途は分かっていないが、城下町の南東方向を冠しする櫓であったことが考えられる』 と説明されています.

 

南櫓の先には「三の丸」(現在は島根県庁)へ続く「南口門」と内堀に架かる「千鳥橋」があるようです。「南櫓」の前で振り返えると、「二之丸上の段」の「御広間跡」と「天守閣」が見えました。ちなみに、左端にある建物は「井戸屋形」のようです。
 
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「三ノ門跡」方面へ戻る途中、洗面所の前に「二ノ丸番所跡」の案内看板を見かけました。藩主が居住した御殿の入口を警備する人々が詰めていた場所で、東西12間半(22.87m)・南北三間半(6.405m)の建物だったと説明されています。
 
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その先に鳥居が見えますので立ち寄ることにしました。初代藩主・松平直政、七代藩主・松平治郷(はるさと)、松江開府の祖・堀尾吉春、徳川家康を祀る「松江神社」です。ちなみに、左隣には松江市が明治36年(1903年)に工芸陳列所として建てた洋風建築の「興雲閣(こううんかく)」があります。
 
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クランク状に折れ曲がった順路にしたがい、「二ノ門跡」から「一ノ門」へ向かう石段を上がりました。正面に見えるのは「南多門櫓」、右奥は「武具櫓跡」のようです。
 
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前方に「一ノ門」と「武具櫓」を繋(つなぐ)ぐ「南多門櫓」(右)があり、そこを抜けると左手に「登閣券売り場」がありました。ちなみに、入城料は大人600円。
 
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右手の本丸内に続く遊歩道の先に国宝の「天守閣」が聳(そび)えていました。全国で現存する12天守(山陰地方ではただ一つ)のうち唯一の正統天守閣(木造複合式望楼型4重5階地下1階)ともいわれているようです。
 
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松江城のhpによると、『最上階に望楼(ぼうろう)を巡(めぐ)らした五層の「天守閣」の前に天守閣の忘備を固くするために取り付けられた附櫓(つけやぐら)は、入口に鉄延板張りの大戸があり、入ると枡形の小広場が二段あって、進入しにくいようになっている。また鯱鉾(しゃちほこ)は木彫銅張りで、向かって左が雄、右が雌、高さは2.08m(現存する木造のものでは日本最大)、入母屋破風とその下にある上部が丸くなった華頭窓(かとうまど)、下層の黒い下見板張りなどが特徴である』 そうです。

 

「天守閣」の入口近くからは石垣の様子がよく分かります。自然石や割石を積んだ野面(のづら)積みと平坦な面の角を加工して合わせやすくした打ち込み接(はぎ)が組み合わす穴太衆(あのうしゅう)によって積まれたものです。注、穴太衆は滋賀県大津市坂元町穴太に居た石垣築成集団で、安土城彦根城竹田城大原大原三千院どに穴太積みの石垣が残っている
 
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「附櫓」の地下1階で履物(はきもの)を脱ぎ下足箱に入れ、木製の階段を上がって天守の地階に入ります。ただし、「附櫓」の上階に入ることはできません。
 
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頭上に掲げられているのは「松江城」の別名である「千鳥城」と彫刻されていると思われる無垢板(むくいた)です。崩した字体にまったく自信のない私はさっそく「千鳥」の草書体をネット辞書で検索・確認しました。ちなみに、「千鳥城」と呼ばれた由来は、初期の天守閣は二層目三層にも「千鳥破風」があったことによることが、最近の調査によって実証されつつあるようです。
 
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地階の「穴蔵の間」は籠城(ろうじょう)用生活物資の貯蔵倉庫で、中央に深さ24mの井戸がありました。
 
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この井戸は北方の池の底とほぼ同底で常時飲料水が得られたそうです。
 
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井戸の横に展示されている鯱(しゃち)は、『天守閣五層大棟の東西に取り付けてあったもので、松厚板箱さし造り、銅張り、高さ6尺8寸5分(2.08m)、昭和30年天守修理完成と共に新しいものと取り換えられた』 と説明されています。
 
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「天守祈祷札(きとうふだ)」の赤外線写真・翻刻(ほんこく)文です。平成24年5月に地階の通し柱で発見されたこの祈祷札(他にもう1枚あり)に「慶長拾六年年の文字が確認されたたことで、松江城天守の完成時期が判明したことが国宝指定の切っ掛けになったそうです。そして、祈祷札自身は国宝附(つけたり)、つまり国宝の付録とされ、「松江歴史館」に保管されています。注、祈祷札があった場所には模擬札が貼られている(3枚上の写真の両端)
 
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(続く)

2016年11月 3日 (木)

「超高速名城巡り」<山陽・山陰編④> 国宝「松江城」(その1) 

米子中ICから山陰道(有料道路)に入って西進し、米子西IC・安来(やすぎ)IC・東出雲ICを通過しました。
 
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安来ICと一体になった安来本線料金所(TB: Toll Barrier
 
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安来市といえば、「どじょう踊り」という滑稽(こっけい)な踊りとともに歌われる地元民謡「安来節」が有名ですが、実はもうひとつ意外な施設があります。それは米国の日本庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」が12年連続で日本一に選んだという庭園を有する「足立美術館」で、年間50万人もの観光客が世界中から訪れているそうです。
(詳細は足立美術館hpを参照
 

松江JCTを通過し、松江東ICを出て国道432号を走り、相生町交差点で国道9号(津田街道)へと左折し、さらに袖師交差点を右折して県道37号の宍道湖(しんじこ)大橋を渡り、県道37号が行き当った場所に松江城大手前駐車場を見つけました。満車であったため、写真の左端に写る入り口で少し待たされましたが、午前11時20分ころには車を停めることができました。料金は1時間300円(2時間500円)。
 
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右手の内堀端にある「城下町松江」の案内看板
 
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その右手にも「さくら名所100線の地 松江城山公園」の石柱と「堀川めぐり」の案内看板が立っています。
 
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内堀の角「ふれあい広場」に遊覧船の発話着場「大手前乗船場」がありました。内堀の城山内堀川と北田川、そして外堀を兼ねる米子川と京橋川を周回する「堀川めぐり」(料金1230円)は全長約3.7km、遊覧時間約50分です。
 
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「史跡松江城・国宝松江城天守」の案内看板には、『慶長16年(1611年)に松江開府の祖、堀尾義晴(ほりおよしはる)とその孫で二代藩主の忠晴(ただはる)によって築かれ、京極氏の治政を経て、寛永15年(1638年)に松平直政が城主になる、以降明治維新まで十代にわたって松平氏が城主を務めました。山陰地方では唯一、天守が現存する貴重な城郭勇んで、上位機一帯は昭和9年(1934年)に国の史跡に指定されました。(中略)平成27年7月日に国宝に指定されました』 とあります。注、昨年までは国の重要文化財
 
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「松江城保存につくした人たち」の案内看板には、『明治4年(1871年)に廃城が決まった松江城の入札において元松江藩士・高城権八(たかぎごんぱち)と豪農・勝部本右衛門栄忠(もとうえもんしげただ)と息子の景浜(かげはま)の3人が天守閣を180円(現在の価値では換算方法により100-400万円の水準)で落札して松江城天守閣はのこされることになった』 ことが説明されています。
 
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駐車場を出た場所にある松江城を築城した「堀尾義清」の像
 
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「松江城」の入口(大手木戸門跡
 
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小雨が降るなか、高い石垣の上にある南櫓(みなみやぐら)を見ながら、広大な枡形(46m平方)である「馬溜(うまだまり)跡」を抜け、右手へ続くなだらかな坂道を上がって松江城の大手門(南総門)跡へ向かいました。その脇にある立て看板に「大手門」の詳細情報を500万円で求めていることが書かれています、再建することが検討されているのでしょう。
 
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「大手門跡」の標識には『長さ8間(14.5m)、幅3間半(6.4m)の鯱(しゃちほこ)を付けた大きな門で、防衛の要となる門でした』 と説明されています。
 
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木立ち越しに天守閣が見えます。
 

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大手門跡の先には米蔵などがあった「二の丸下の段」が広がっていました。右手にある建物は蕎麦と喫茶の店「ちどり茶屋」と松江観光案内所(右端)です。
 
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大手門跡の先を左に折れる太鼓櫓(隅櫓)下の登城ルートは長い石段になりました。中央にある手摺(てす)りの両側だけが段差の少ないコンクリート製の階段になっています。石段の右手には大きな楠(くすのき)が聳(そび)えていました。
   
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石段を上がる右手に「小泉八雲文学遺跡」の標柱には、『ここは八雲の在松中、尋常(じんじょう)中学校の運動場であった。その模様を八雲は英語教師の日記の中にかき、また通勤の近道であった』 とあります。
 
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『明治の日本と日本人の心を流麗な文章に乗せて世界に紹介した小泉八雲(ラフカディオ・ハーン、1850-1904年)は、ギリシャのレフカダ島で誕生、幼少時代をアイルランドで過ごした後、世界各地を旅し、1890年日本へたどり着きました。約物松江での暮らしは約1年3か月でしたが、松江藩士の娘で伴侶となったセツ夫人が語る「怪談ばなし」に深く魅了され、また、失われつつあった日本の面影を見つけ、名作「怪談」などを描くインスピレーションを得ました』 (出典: 松江観光協会「水の都 松江」)
 

太鼓櫓は太鼓を打って時刻を知らせた隅櫓だそうです。黒い板壁を背景に雨粒を確認できるほど雨足が強くなりました。
 
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石段は枡形状に右へ折れて「三ノ門跡」へと続きます。
 
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二之丸地区解説板」には、『本丸南側の一段低い平地で、江戸時代には中央に呉書院があり松平二代藩主綱隆(つなたか)の時まで藩主の居宅となっていました。呉書院の北には御殿女中の住居である局(つぼね)長屋、南には御月見櫓があり、ほかに御広間、御式台(おしきだい)、御作治小屋、番所、井戸がありました。また石垣に沿って二之門、三之門、定御番所(さだめのごばんしょ)、御門東之櫓、下雪隠(しものせっちん)、太鼓(たいこ)櫓、腰掛、中櫓、南櫓がありました』 と説明されています。
 
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(続く)

2016年11月 2日 (水)

山陰地方の道路状況

山陰地方の主要道路といえば、なんといっても国道9号(山陰道)でしょう。古代の律令時代(7世紀後半の大化の改新から10世紀ころまで)においては五機七道(ごきしちどう)のひとつである日本海側の行政区分であり、同時にそこへ至る近世の主要街道でした。道路としての山陰道は、江戸時代に整備された丹波を経由するルートである「山陰街道」もありましたが、現在の国道9号は律令時代の「山陰道」をほぼ継承しています。

 

同地方は中国山地によって山陽地方と隔たれているため、日本海に沿って長く伸びる国道9号(山陰道)と現在整備中の山陰自動車道(高速道路と準高速道路が混在)と中国山地の盆地をつなぐ国道482号(宮津-米子)や国道183号(広島-米子)を横糸とすれば、山陽地方の都市へ至る陰陽連絡国道(旧街道)・同バイパス・自動車専用道(新設)などの縦糸が多数存在します。例えば、姫路市と鳥取市を結ぶ因幡街道(若桜街道、現国道29号)、志戸坂(しとさか)峠を越える智頭往来(ちづおうらい、現国道373号)など。

 

つまり、山陰地方の道路は碁盤の目あるいは魚の鱗(うろこ)の形状で構成されているのです。なお、自動車専用道路については鳥取県のhp「山陰道の事業区間」と島根県のhp「島根県の高速道路」に分かりやすく説明されています。ただし、中国自動車道(高速道路)は山陰地方と山陽地方の境界より南側の岡山県と広島県の中国山地を貫いています。

 

減少が続く山陰地方の人口は、鳥取県が約72万人、島根県が約59万人と少なく、最大の鳥取市(県庁所在地)でも19.7万人、松江市(県庁所在地)が19.4万人、そして米子市14.8万人、出雲市14.3と続きます。山陽地方の岡山県と広島県と人口密度を比較するとほぼ半分の水準です。(平成22年の国勢調査結果)

 

上記した交通事情(とくに道路事情)に加えて、地理的な条件(居住や農耕に適する平地)においても、最大の出雲平野(東西20km・南北8kmの沖積平野)、天神川の沖積平野である倉吉平野(北条平野・羽合平野・倉吉盆地を含む)、千代川の沖積平野である鳥取平野、日野川の沖積平野である米子平野に限られていることも影響していると考えられます。

 

このように中国山地に隔てられている(交通の便が悪い)ことと大きな平野に恵まれないことが山陰地方の発展を阻害する二大要因になっているようです。そのため地元出身の政治家たちは長年にわたって道路建設を重視し、それに尽力してきたといわれます。上記したように、山陰自動車道路と陰陽連絡国道、なかでも鳥取自動車道、米子自動車道、松江自動車道、浜田自動車道の整備が現在進められています。瀬戸内海に3つの渡海橋ルート(神戸淡路鳴門自動車道、瀬戸中央自動車道、西瀬戸自動車道)が造られたことと同様の理由(地元の強い願望)があることは確かでしょう。

 

                           ☆

 

さて、京都から車で山陰地方へ行くには、さまざまなルートがあります。まず、京都から国道9号を利用する従来ルート(山陰本線のルートにほぼ沿う)が分かりやすいと思います。国道9号で京都府の亀岡市・南丹市・福知山市と兵庫県の朝来(あさご)市・養分(よぶ)市を通過して日本海側へ出た場所が鳥取市です。

 

高速道路を利用して京都から鳥取市へ行く場合は以下の2ルートが考えられます。京都縦貫道で宮津市へ出て、国道312号と国道178号で豊岡市を経由して鳥取市に至るルート(京都南IC-宮津天橋立IC間=100.9km/1時間26分、3140円、宮津市-鳥取市間=126.6km/2時間45分、全区間は227.5km/4時間11分、3140円)、もう1つは中国自動車道の佐用JCTで鳥取自動車道(佐用平福IC-鳥取西IC間:無料)に入るルート(京都南IC-鳥取IC間=206.1km/2時間40分、3990円)ですから、日本海側を走る希望がないかぎり後者が良い選択でしょう。

 

同じく、京都から米子市へ行く場合は中国自動車道の落合JCTで米子自動車道に入るルート(268km/3時間23分、6320円)で決まりでしょう。

 

しかし、裏技(うらわざ)があります。鳥取市から国道9号のバイパス、建設中の自動車専用道路「山陰自動車道」の無料区間を利用する方法です。つまり、「鳥取IC-鳥取西IC」「青谷IC-はわいIC」「大栄東伯IC-米子西IC」「米子西IC-東いづもIC」は無料の準高速道路ですから、利用しない手はありません。そうすれば、時間が少し多目にかかりますが、京都南IC-佐用平福IC間の通行料金3990円で米子市まで快適に行くことができます。以上の比較検討によって、今回のドライブ旅のルートを決めました。
 

また、島根県松江市から岡山市まで戻るルートについても、以下の2ルートを比較してみました。

 

[ルート1 米子自動車道] 松江玉造IC-米子JCT-落合JCT-北房JCT-岡山JCT-岡山IC(169.4km/2時間21分、4150円)

[ルート2 松江自動車道] 松江玉造IC-宍道JCT-尾道北IC(130.2km/1時間54分、860円)、尾道北IC-岡山IC(83.3km/53分、2210円)、総計213.5km/2時間46分、3070円)

注、松江自動車道と尾道自動車道の尾道北IC-三刀屋木次IC間は無料

 

両ルートを比較すると、

所要時間(短い順): [ルート1] [ルート2]

通行料金(安い順): [ルート2] [ルート1]

距離は「ルート1]が20kmほど短い(所要時間は20分ほど少ない)のですが、通行料金では[ルート2]が大幅に安いことが分かりました。なお、[ルート2]の前半と[ルート1]の後半を中国自動車道で繋(つな)ぐルートは、距離236.1km、所要時間3時間19分、通行料金4650円と両案より劣ります。

 

蛇足です。山陰地方をドライブして一番印象に残ったことは、軽自動車とスピードを出す運転手が多いことです。他の地方に比べると時速で10kmほど早いように思われました。調べてみると、県別の交通事故件数では鳥取県と島根県の両県は事故件数が少ないベスト2です。人口・面積当たりでみても両県は交通事故の発生が少ない県でした。何ごとにも慎重な県民性が、その理由とされますが・・。

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