« 「超高速名城巡り」<山陽・山陰編④> 国宝「松江城」(その1)  | トップページ | 「超高速名城巡り」<山陽・山陰編④> 国宝「松江城」(その3) »

2016年11月 4日 (金)

「超高速名城巡り」<山陽・山陰編④> 国宝「松江城」(その2) 

石段を上がりきると「二の丸」の入口である「三ノ門跡」に出ました。
 
2016_09250809
 

「松江城下絵図」に描かれた内堀と外堀に囲まれた「松江城」とその城下町の配置は現在の街並みとほとんど変わっていないようです。
 
2016_09250810

 
天守閣がある本丸の周囲を取りこむように配置してあります。「二の丸」の奥には、「北の丸」と「馬洗いの池」、そして心霊スポットともいわれる「ギリギリ井戸」があるようです。注、ギリギリは頭のつむじをさす方言

 

左手にある広場へ向かうと、平成13年(2001年)に再建された3つの櫓が並んでいました。向かって左から、「太鼓櫓(たいこやぐら)」・「中櫓」・「南櫓」です。このうち、「太鼓櫓」と「南櫓」、およびそれらをつなぐ土塀は国の史跡に指定されています。その土塀には傾くのを防ぐ控柱(ひかえばしら)が取り付けてあります。
 
2016_09250812 
2016_09250815 
2016_09250817
 

それぞれの案内看板には、『「太鼓櫓」は平櫓建で、中櫓と同規模ですが、入口に庇(ひさし)がつくところが異なる。「中櫓」は「東の矢蔵」あるいは「御具足蔵(おんぐそくぐら)」と呼ばれたことから、中に武具などを保管する倉庫であったと考えられる。「南櫓」は二之丸南東角に建てられた2階建ての櫓で、その用途は分かっていないが、城下町の南東方向を冠しする櫓であったことが考えられる』 と説明されています.

 

南櫓の先には「三の丸」(現在は島根県庁)へ続く「南口門」と内堀に架かる「千鳥橋」があるようです。「南櫓」の前で振り返えると、「二之丸上の段」の「御広間跡」と「天守閣」が見えました。ちなみに、左端にある建物は「井戸屋形」のようです。
 
2016_09250819
 
 

「三ノ門跡」方面へ戻る途中、洗面所の前に「二ノ丸番所跡」の案内看板を見かけました。藩主が居住した御殿の入口を警備する人々が詰めていた場所で、東西12間半(22.87m)・南北三間半(6.405m)の建物だったと説明されています。
 
2016_09250820
 
 

その先に鳥居が見えますので立ち寄ることにしました。初代藩主・松平直政、七代藩主・松平治郷(はるさと)、松江開府の祖・堀尾吉春、徳川家康を祀る「松江神社」です。ちなみに、左隣には松江市が明治36年(1903年)に工芸陳列所として建てた洋風建築の「興雲閣(こううんかく)」があります。
 
2016_09250821
 
 

クランク状に折れ曲がった順路にしたがい、「二ノ門跡」から「一ノ門」へ向かう石段を上がりました。正面に見えるのは「南多門櫓」、右奥は「武具櫓跡」のようです。
 
2016_09250823
 
 

前方に「一ノ門」と「武具櫓」を繋(つなぐ)ぐ「南多門櫓」(右)があり、そこを抜けると左手に「登閣券売り場」がありました。ちなみに、入城料は大人600円。
 
2016_09250825
 
 

右手の本丸内に続く遊歩道の先に国宝の「天守閣」が聳(そび)えていました。全国で現存する12天守(山陰地方ではただ一つ)のうち唯一の正統天守閣(木造複合式望楼型4重5階地下1階)ともいわれているようです。
 
2016_09250827
 
 

松江城のhpによると、『最上階に望楼(ぼうろう)を巡(めぐ)らした五層の「天守閣」の前に天守閣の忘備を固くするために取り付けられた附櫓(つけやぐら)は、入口に鉄延板張りの大戸があり、入ると枡形の小広場が二段あって、進入しにくいようになっている。また鯱鉾(しゃちほこ)は木彫銅張りで、向かって左が雄、右が雌、高さは2.08m(現存する木造のものでは日本最大)、入母屋破風とその下にある上部が丸くなった華頭窓(かとうまど)、下層の黒い下見板張りなどが特徴である』 そうです。

 

「天守閣」の入口近くからは石垣の様子がよく分かります。自然石や割石を積んだ野面(のづら)積みと平坦な面の角を加工して合わせやすくした打ち込み接(はぎ)が組み合わす穴太衆(あのうしゅう)によって積まれたものです。注、穴太衆は滋賀県大津市坂元町穴太に居た石垣築成集団で、安土城彦根城竹田城大原大原三千院どに穴太積みの石垣が残っている
 
2016_09250828
 
 

「附櫓」の地下1階で履物(はきもの)を脱ぎ下足箱に入れ、木製の階段を上がって天守の地階に入ります。ただし、「附櫓」の上階に入ることはできません。
 
2016_09250829
 
 

頭上に掲げられているのは「松江城」の別名である「千鳥城」と彫刻されていると思われる無垢板(むくいた)です。崩した字体にまったく自信のない私はさっそく「千鳥」の草書体をネット辞書で検索・確認しました。ちなみに、「千鳥城」と呼ばれた由来は、初期の天守閣は二層目三層にも「千鳥破風」があったことによることが、最近の調査によって実証されつつあるようです。
 
2016_09250830
 
 

地階の「穴蔵の間」は籠城(ろうじょう)用生活物資の貯蔵倉庫で、中央に深さ24mの井戸がありました。
 
2016_09250833 
2016_09250836
 
 

この井戸は北方の池の底とほぼ同底で常時飲料水が得られたそうです。
 
2016_09250831 
2016_09250835
   
 

井戸の横に展示されている鯱(しゃち)は、『天守閣五層大棟の東西に取り付けてあったもので、松厚板箱さし造り、銅張り、高さ6尺8寸5分(2.08m)、昭和30年天守修理完成と共に新しいものと取り換えられた』 と説明されています。
 
2016_09250832
 
 

「天守祈祷札(きとうふだ)」の赤外線写真・翻刻(ほんこく)文です。平成24年5月に地階の通し柱で発見されたこの祈祷札(他にもう1枚あり)に「慶長拾六年年の文字が確認されたたことで、松江城天守の完成時期が判明したことが国宝指定の切っ掛けになったそうです。そして、祈祷札自身は国宝附(つけたり)、つまり国宝の付録とされ、「松江歴史館」に保管されています。注、祈祷札があった場所には模擬札が貼られている(3枚上の写真の両端)
 
2016_09250834
 
 

(続く)

« 「超高速名城巡り」<山陽・山陰編④> 国宝「松江城」(その1)  | トップページ | 「超高速名城巡り」<山陽・山陰編④> 国宝「松江城」(その3) »

文化・芸術」カテゴリの記事

旅行・地域」カテゴリの記事

趣味」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/146335/64437465

この記事へのトラックバック一覧です: 「超高速名城巡り」<山陽・山陰編④> 国宝「松江城」(その2) :

« 「超高速名城巡り」<山陽・山陰編④> 国宝「松江城」(その1)  | トップページ | 「超高速名城巡り」<山陽・山陰編④> 国宝「松江城」(その3) »

2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ