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2016年11月 9日 (水)

「超高速名城巡り」<山陽・山陰編⑤> 漆黒の「岡山城」(前編)

烏城公園の駐車場から見た「岡山城」の内堀(北方面)です。右端は「太鼓櫓跡」のようです。
 
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内堀沿いに東へ歩くと「目安橋(めやすばし)」がありました。『大手(表口)から本丸へ通じる橋で、明治になって撤去され、土橋に改められました。池田光正(みつまさ)の代に、橋のたもとに領民からの投書を受付けるための目安箱が置かれたことからこの名がつきました』 と説明されています。
 
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コブハクチョウが二羽並んで泳いでいます。上嘴(うわくちばし)の基部に黒い突起(コブ)があることが特徴で、オオハクチョウとコハクチョウのようにシベリヤへ渡らない半野生化した留鳥が多いそうです。
 
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「烏城公園」に入りました。
 
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巨大な石碑の脇にある「大石の使用」と題する看板には、『岡山城の建設当時には、大名が権勢を誇る目的で石垣に巨石を集めて、築くことが流行していた。岡山城の大石はこの辺りに多く使われている。また、石餓鬼の石は瀬戸内海に浮かぶ犬島などから運びこまれた』 とあります。

 

『岡山城は天正元年(1573年)に宇喜多直家により築城が始められ、慶長2年(1597年)に宇喜多秀家が完成した後、江戸時代に入城した木下家定の子(小早川隆景の養子)、小早川秀家には嗣子がなく小早川家は断絶し。ついで姫路城の池田氏の子や鳥取状の池田氏による岡山藩の城府となり、明治維新により廃城になりました。戦災で天守閣と石山門が焼失しましたが昭和41年に再建され、内部は展示室として、城跡は烏城(うじょう)公園として整備されています』(説明文のポイント)
 
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内堀は南面と西面にしかありませんが、他の二面は旭川(あさひがわ)が天然の外堀となり、城域(下の段・中の段・本段)は扇形をしています。「中の段」へ入るには「鉄(くろがね)門跡」あるいは反対側(北側)にある「廊下門(ろうかもん)」の2ルートがあり、「本段」は「不明門」と「六十一雁木上門(がんぎうえもん)」の2つが入口になっていることが分かります。この地図には含まれていませんが、内堀の左手(西側)と下(南側)にかけて「二の丸」があり、その外側(南西方向)に「三の丸」と別の「内堀」、さらには「中堀」と「外堀」があったそうですが、現在は市街地化されていて、その様子を見ることはできません。
 
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内下馬門跡の石垣」の案内看板には、『本丸の正門(大手門)があったところで、城の威厳や大名の権力を誇示するために、巨石が組み込まれている。最大の石は、高さ4.1m、幅3.4mであるが、厚みはなく、意太子を建てたものである』 と説明されています。ここには、高麗(こうらい)門と渡櫓(わたりやぐら)門が建てられた枡形虎口(ますがたここう)があったそうです。
 
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「中の段」の「大納戸櫓跡」(石垣)
 
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石垣に沿って右手へ進むと広場に出ました。「史跡整備工事中」の看板には「史跡岡山城跡歴史的環境整備工事」と表示されています。
 
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同行者は「中の段」へ入る「鉄(くろがね)門跡」へ向かっています。
 
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上方には「上段(本段)」への入口である「不明門」が迫力で迫ります。
 
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長い石段を上がりました。
 
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「鉄(くろがね)門跡」の先にある踊り場の先にも短い師団が続きました。
 
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「中の段」に出て折り返すと、左手に「表書院跡」がありました。「岡山藩の政治が行われた建物で、数棟からなり、大小60を超える部屋がありました。登城してきた家臣らは南東の玄関から入り、広い廊下を通って奥へ進み、それぞれ所定の部屋に詰めていました。廊下に面した徒番所(とばんしょ)は城内の警備や雑用にあたる家臣の詰所でした。藩主は、住居である本段の御殿から渡り廊下を通って北西の招雲閣(しょううんかく)に入り、南座敷で政務を執(と)っていました。泉水(せんすい)を備えた中庭には、数奇屋(すきや、茶屋)が立っていました。(以下略)
 
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「表書院跡」を過ぎると、「不明門」の前に出ました。
 
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『表書院(藩庁)の南端から「上(段本段、城主住居)」へ上がる石段の入口に設けられた渡櫓門、天守閣のある本段全体の入口を固めた大型の城門である。普段はこの門は閉ざされていたことから、「不明門」と呼ばれた。明治の廃城後取り壊されたが昭和41年、鉄筋コンクリートで再建された』
 
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「不明門」を抜けて「上段(本段)」へ入ります。
 
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(続く)

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