「超高速名城巡り」<山陽・山陰編④> 国宝「松江城」(その1)
米子中ICから山陰道(有料道路)に入って西進し、米子西IC・安来(やすぎ)IC・東出雲ICを通過しました。
安来ICと一体になった安来本線料金所(TB: Toll Barrier)
安来市といえば、「どじょう踊り」という滑稽(こっけい)な踊りとともに歌われる地元民謡「安来節」が有名ですが、実はもうひとつ意外な施設があります。それは米国の日本庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」が12年連続で日本一に選んだという庭園を有する「足立美術館」で、年間50万人もの観光客が世界中から訪れているそうです。(詳細は足立美術館のhpを参照)
松江JCTを通過し、松江東ICを出て国道432号を走り、相生町交差点で国道9号(津田街道)へと左折し、さらに袖師交差点を右折して県道37号の宍道湖(しんじこ)大橋を渡り、県道37号が行き当った場所に松江城大手前駐車場を見つけました。満車であったため、写真の左端に写る入り口で少し待たされましたが、午前11時20分ころには車を停めることができました。料金は1時間300円(2時間500円)。
その右手にも「さくら名所100線の地
松江城山公園」の石柱と「堀川めぐり」の案内看板が立っています。
内堀の角「ふれあい広場」に遊覧船の発話着場「大手前乗船場」がありました。内堀の城山内堀川と北田川、そして外堀を兼ねる米子川と京橋川を周回する「堀川めぐり」(料金1230円)は全長約3.7km、遊覧時間約50分です。
「史跡松江城・国宝松江城天守」の案内看板には、『慶長16年(1611年)に松江開府の祖、堀尾義晴(ほりおよしはる)とその孫で二代藩主の忠晴(ただはる)によって築かれ、京極氏の治政を経て、寛永15年(1638年)に松平直政が城主になる、以降明治維新まで十代にわたって松平氏が城主を務めました。山陰地方では唯一、天守が現存する貴重な城郭勇んで、上位機一帯は昭和9年(1934年)に国の史跡に指定されました。(中略)平成27年7月8日に国宝に指定されました』
とあります。注、昨年までは国の重要文化財
「松江城保存につくした人たち」の案内看板には、『明治4年(1871年)に廃城が決まった松江城の入札において元松江藩士・高城権八(たかぎごんぱち)と豪農・勝部本右衛門栄忠(もとうえもんしげただ)と息子の景浜(かげはま)の3人が天守閣を180円(現在の価値では換算方法により100-400万円の水準)で落札して松江城天守閣はのこされることになった』 ことが説明されています。
「松江城」の入口(大手木戸門跡)
小雨が降るなか、高い石垣の上にある南櫓(みなみやぐら)を見ながら、広大な枡形(46m平方)である「馬溜(うまだまり)跡」を抜け、右手へ続くなだらかな坂道を上がって松江城の大手門(南総門)跡へ向かいました。その脇にある立て看板に「大手門」の詳細情報を500万円で求めていることが書かれています、再建することが検討されているのでしょう。
「大手門跡」の標識には『長さ8間(14.5m)、幅3間半(6.4m)の鯱(しゃちほこ)を付けた大きな門で、防衛の要となる門でした』
と説明されています。
木立ち越しに天守閣が見えます。
大手門跡の先には米蔵などがあった「二の丸下の段」が広がっていました。右手にある建物は蕎麦と喫茶の店「ちどり茶屋」と松江観光案内所(右端)です。
大手門跡の先を左に折れる太鼓櫓(隅櫓)下の登城ルートは長い石段になりました。中央にある手摺(てす)りの両側だけが段差の少ないコンクリート製の階段になっています。石段の右手には大きな楠(くすのき)が聳(そび)えていました。
石段を上がる右手に「小泉八雲文学遺跡」の標柱には、『ここは八雲の在松中、尋常(じんじょう)中学校の運動場であった。その模様を八雲は英語教師の日記の中にかき、また通勤の近道であった』
とあります。
『明治の日本と日本人の心を流麗な文章に乗せて世界に紹介した小泉八雲(ラフカディオ・ハーン、1850-1904年)は、ギリシャのレフカダ島で誕生、幼少時代をアイルランドで過ごした後、世界各地を旅し、1890年日本へたどり着きました。約物松江での暮らしは約1年3か月でしたが、松江藩士の娘で伴侶となったセツ夫人が語る「怪談ばなし」に深く魅了され、また、失われつつあった日本の面影を見つけ、名作「怪談」などを描くインスピレーションを得ました』
(出典: 松江観光協会「水の都 松江」)
太鼓櫓は太鼓を打って時刻を知らせた隅櫓だそうです。黒い板壁を背景に雨粒を確認できるほど雨足が強くなりました。
石段は枡形状に右へ折れて「三ノ門跡」へと続きます。
「二之丸地区解説板」には、『本丸南側の一段低い平地で、江戸時代には中央に呉書院があり松平二代藩主綱隆(つなたか)の時まで藩主の居宅となっていました。呉書院の北には御殿女中の住居である局(つぼね)長屋、南には御月見櫓があり、ほかに御広間、御式台(おしきだい)、御作治小屋、番所、井戸がありました。また石垣に沿って二之門、三之門、定御番所(さだめのごばんしょ)、御門東之櫓、下雪隠(しものせっちん)、太鼓(たいこ)櫓、腰掛、中櫓、南櫓がありました』 と説明されています。
(続く)
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