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2017年1月

2017年1月23日 (月)

汎アメリカ主義が復活する!?

1月20日、アメリカの第45代大統領にロナルド・トランプ氏が正式に就任しました。大統領選挙期間中に、「アメリカ第一主義」「企業活動(雇用機会)のアメリカ本土回帰」「貿易不均衡を解消する関税障壁の強化」「不法移民・麻薬流入対策としての国境壁建設」など、汎(はん)アメリカ主義(いわゆるモンロー主義)を想起させる発言を繰り返してきた経緯から就任演説の内容が注目されていました。

 

やはり予測通り(あるいは変わるのではないかとのかすかな期待を裏切って)、1月20日(現地時間)に開催された就任式における演説でトランプ氏は選挙期間中と同様のスローガンを繰り返すだけで、政治理念は言うにおよばず、スローガンを実現するための具体的な政策を述べることはありませでした。また、ホワイトハウスのhpで6分野(エネルギー/外交/雇用・経済/国防/治安・移民/貿易)の基本政策を発表して、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)からの離脱と北米自由貿易協定(NAFTA)について再交渉することを表明しました。

 

そして、目立ったのはオバマ前政権の重要政策からの方針転換を強調するものです。大統領令を出して、医療保険制度改革(いわゆるオバマケア)の撤廃方針を指示しました。ただし、ひとつだけ含まれていなかったことがあります。それはドル高の主要原因として中国を為替操作国に指定することでした。あまりにも現実と乖離した(注、現状の中国は大量のドルを売って自国通貨、元の低落を押さえており、その結果としてドル安に貢献中)ステレオタイプ(思い込み)の考えを自覚し、悪影響(逆効果)を考慮せざるを得なかったからでしょう。

 

閑話休題。200年前に第5代大統領のモンロー氏が孤立主義(アメリカ大陸と欧州の相互不干渉)を提唱しました。その背景は北米大陸にあったスペインの植民の独立運動に対して反ナショナリズムのオーストリアやラテンアメリカに工業製品を売り込もうとするイギリスなどが干渉したことであり、それをアメリカに対する敵対行為とみなすというもので、モンロー主義とも呼ばれました。また、ロシアが当時ロシア領であったアラスカから南下することも警戒していたとされます。注、当時のアメリカは東部の19州からなり、それ以外の地域(深南部のフロリダ/ミシシッピー/アラバマとミシシッピー川以西、ただしフランスから買収したルイジアナを除く)はフランスとスペインなどの領土であった

 

その後も、スペインの植民地から独立したメキシコから分離独立したテキサスの併合に次いで、メキシコとの戦争に勝利したアメリカはメキシコの領土(カリフォルニア、ネバダ、ユタ、アリゾナ、ニューメキシコ、ワイオミング、コロラド)を割譲(かつじょう、所有物の一部を譲ること)させてアメリカ大陸での勢力拡大を図り、1898年にはハワイを併合し、グアムとフィリピン(1946年に独立)を獲得して太平洋全域にも進出しました。

 

このことから明らかなようにアメリカの孤立主義、つまり汎アメリカ主義は相互に干渉しない単純な一国主義(単独行動主義)ではなく、他国からの干渉を排除しながら、自国の利益(特に領土獲得)を周辺地域で最大化するご都合主義であったことが特徴的なのです。

 

このモンロー主義を堅持して国力を蓄えたアメリカは日本との太平洋戦争を機に第二次世界大戦に参戦し、戦後になると台頭していたソ連との冷戦により、孤立主義を放棄して、いわゆる「世界の警察官」として国際社会へ積極的に介入する覇権(はけん)主義へと方針を転換しました。主要な対戦国のひとつであった日本を望ましい体制の国(親米国家)にすることに成功して自信を深めましたが、その後は朝鮮、イラン、ベトナム、ユーゴスラビア、アフガニスタン、イラク、東部アフリカ諸国などへの軍事干渉・介入の事例は枚挙に暇(いとま)がありません。しかし、いずれのケースも失敗に終わったことで2013年ころからアメリカ国内と議会に孤立主義の考えが復活し始めたのです。

 

この潮流にうまく乗ったトランプ候補は当初、泡沫(ほうまつ)候補とされましたが尻上がりに支持を集めて、最終的には大統領に選ばれたのです。経済のグローバル化により凋落(ちょうらく)・貧困化した白人労働階級やグローバル化とは無縁であった中西部の地域住民の心を巧みに掌握(しょうあく)することに成功。劇場型の演出により、論理的な矛盾を覆い隠し、具体的な政策と実行可能性の論議よりも、従来とは違うことだけを強調することに終始しました。

 

さきに述べたように、トランプ政権が繰り返し述べたスローガンをどのように実現するのかはまだ不明であり予断を許しません。しかし、200年前のような領土拡大は困難としても、経済分野と軍事分野での覇権(はけん)を目指していることは先の宣誓式における演説とホワイトハウスのhpに掲載された6つの基本政策からみて明らかです。

 

これに半年先行する形で昨年6月にイギリスでおこなわれた国民投票でEUを脱退する意見が過半数を占めて世界を驚かせました。EUとの難しい交渉を行うことになったテリーザ・メイ首相の考え方はトランプ大統領のそれとは異なります(むしろ対極をなす)が、世界経済への影響という点では同等に重要であり、今年はこの二人の政治家の動きから目を離せません。注、トランプ大統領は最初の首脳会談の相手としてメイ首相を選択(1月27日の予定)

2017年1月19日 (木)

「綱島温泉ゆけむりの庄」を楽しむ

綱島街道(神奈川県道2号)を綱島温泉方面へ南下しました。当ブログで紹介した綱島温泉「東京園」の近くに昨年新設された「ゆけむりの庄」がテレビ番組(12月20日にTBSで放送された「マツコの知らない世界」)で知った同居者が興味を示したのです。つまり、綱島温泉「東京園」の黒湯が気に入った同居者の強い意思表示であることを私は見逃しません。

 

調べると、都内調布市(仙川)と神奈川県川崎市宮前区(宮前平)、横浜市青葉区(つくし野)に立ち寄り湯を展開する企業の「ゆけむりの庄」と「ゆけむりの里」の姉妹店「綱島温泉ゆけむりの庄」でした。

 

目的地に向かう途中、綱島街道沿いにあるはずの「東京園」は何と工事用の塀が回(めぐ)らされていました。建て替えなのでしょうか。それとも廃業してしまったのでしょうか。気になります。
 
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確認すると、相鉄と東急の相互乗り入れで建設される直通線の地下新駅(仮称新綱島駅)が「東京園」の敷地の真下に建設されることにともなう休業(2015年5月から)でした。ちなみに、新駅の工事期間は約4年間の見込みでですが『東京園」の営業再開時期は未定とのこと。

 

鶴見川を渡った樽町(たるまち)交差点を左折して1kmほど東進すると、右手に「綱島温泉ゆけむり庄」の看板がありました。
 
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道路沿いは駐車場(200台以上)になっており、その左手にあるオフィスビルの陰(奥まった場所)に和風の建物を見つけました。
 
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高級感のある広いエントランスホールの先にかなり大き目の下足箱があり、その先に受け付けカウンターが並んでいますが、そこには入館を待つ人の列ができています。オープンして間もないこともあり、かなりの人気がある立ち寄り温泉のようです。
 
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午前中に入館すれば入館料(入浴・岩盤浴・エステ)と食事代がセットになった「早特」が利用できます。我われは入浴と食事だけの「梅コース」(1900円)を選びました。バーコード付きのリストバンドを渡され、料金は後払いであり、浴室は2階にあると告げられました。
 
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右手奥にはレストラン(食事処)があるようです。
 
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1階の中央にあるラウンジ(大型ストーブがシンボル)とショップ(お土産処)の前を通過して2階へ上がります。
 
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2階のホールに飾られた生花
 
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会員を募集するさまざまな広告看板の先に男湯の入口があり、
 
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右手に折れた通路の奥には女湯の入口が見えます。
 
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左手の壁には女性に人気がありそうなマッサージ、エステ、岩盤浴のポスターが貼られていました。
 
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細長い脱衣所(ロッカールーム)の面した浴室(大浴場)には冷水風呂と源泉電気風呂(41.22度)が並び、その奥には真湯のアミューズメント風呂(ジェットバスとバブルバス、38.7度)、洗い場の脇にはフィンランド式サウナ。ちなみに、源泉の泉質はナトリウム–炭酸水素塩冷鉱泉(いわゆる黒湯)、地下150mにある地層からの湧出量は毎分240リットル。

 

浴室を出た半露天の場所には、天然温泉を使った高濃度炭酸泉の浴槽、源泉壺湯、2段になった源泉岩風呂、一番奥にはうたた寝湯とスチーム塩サウナが配置されています。注、浴室内の写真は綱島温泉ゆけむりの庄のhpを参照

 

浴室を出た正面にある広いスペースが気になり、覗(のぞ)いてみました。会員制のフィットネスジム「PRiME fitnessspa」 ですが、当日(木曜日)は休館でした。
 
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1階にあるレストラン「とうふ旬彩 心音(ここね)」へ向かいました。ラウンジ奥にあるバーカウンターの横に釜戸(かまど)があります。ここで炊(た)いたご飯がレストランの売りのようです。
 
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受付けは回転寿司と同様の先着順(予約制)になっていました。予約端末には22組、44分待ちと表示されています。入浴前に予約すると良いのかもしれませんが、呼ばれて15分以内に戻り必要があるとの但し書きがありました。
 
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予測通り約40分後(午後1時少し前)に我々の番号が呼ばれました。館内に響きわたるような大声です。「梅コース」の食事メニュー(3種)から、同行者は「松竹梅御膳」を、私は「紅ずわいがにと湯葉の雑炊(ぞうすい)」を選びました。
 
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同行者は大好物であるアオサの味噌汁とタラの粕漬(かずづ)けにご機嫌(きげん)で、デザートに抹茶(まっちゃ)あんみつを追加注文。私が注文した湯葉と紅カニ雑炊は、見た目よりもボリュームがあり、まずまずの味に満足して完食できました。

 

階の奥にある休憩所(お休み処)も覗(のぞ)いてみると、かなりの広さ(100席以上)があることが分かりました。
 
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その間に同行者はショップ(お土産処)で見つけた「紅麹仕込み あまざけ」と「ゆず入り甘酒」を各2個ずつ購入していました。

 

最後に感想です。昨年4月21日にオープンしたばかりの「綱島温泉ゆけむりの庄」は館内が新しく、清潔さと明るさが感じられます。そして、黒湯源泉をいくつもの浴槽でたっぷり楽しむことができることが最大の魅力でしょう。同じ綱島温泉の「東京園」が休業中ですから、一手に入浴者の人気を集めていることは理解できます。ただ、館内の雰囲気にやや落ち着かなさを感じたのは気のせいでしょうか。

 

<同行者のコメント> 久しぶりに源泉の温泉に出かけました。期待した通りに黒湯は気持ちよくて、立湯にかなり長時間入ったままになりました。近くにあるジェットバスは混雑していたため敬遠。本当は昼食の後にも温泉に入りたかったのですが、旦那様は珍しいことに一度だけにすると言いますので、残念ですが諦(あきら)めました。ところで、東京園はいつ営業を再開するのでしょうか?

2017年1月15日 (日)

目覚ましい興隆から長期停滞に陥った日本経済の戦後70年を振り返る

先月投稿した記事「日本が壊れて行く」の続編です。昨年は台風・地震・大火による大災害が多発しましたが、今年は世界の政治、ひいては経済の大きな変動が懸念されます。もちろん、日本はその蚊帳(かや)の外というわけには行きませんが、現時点で何が起こるかを具体的に予測することは困難です。そこで、本稿では終戦から72年目を迎え日本の経済状況の変遷を振り返って見たいと思います。

 

第二次世界大戦(太平洋戦争)で敗戦国となった日本の産業と経済は壊滅的な打撃を受けるとともに、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の命令により戦前まで日本経済を牽引した財閥が解体されました。それに加えて、資本の集中を排除し、自由競争の促進と労働組合設立の推奨、農地改革などの経済政策が強制的に行われ、ハイパーインフレと闇(やみ)経済が拡大して経済が大混乱に陥り、物不足が深刻化しました。

 

しかし、製鉄と石炭産業に集中する経済復興政策と1950年に勃発した朝鮮戦争による特需が弱体化した日本経済を復興させる起爆剤となり、わずか数年で戦前の経済状態まで復興しました。それには戦勝国に対する戦争賠償が比較的に軽かったことも幸いしました。注、第一次世界大戦後にドイツに課せられた過酷な賠償請求が第二次世界大戦の遠因になったことの反省と考えられる 
 
さらに、1955年から高度経済成長が始まり神武景気(1954-1957年)が訪れ、1960年には池田内閣による所得倍増計画は東京オリンピック(1964年)の特需があったことでわずか7年間で達成され、いざなぎ景気(1965-1970年)と1970年には大阪万博による特需が加わり、日本経済は給料増・購買力拡大・設備投資増大の好循環(良好な需給バランス)により絶好調を極めることになりました。加えて、この期間には欧米諸国からの積極的な技術導入が生産性を高めることに貢献したのです。
 
1960年代の初頭のことです。日本経済の発展を象徴するデータの一つとして、高校の社会科教師から日本の粗鋼(鉄鋼)生産量が同じ敗戦国でありながら日本以上の速さで復興して「経済の奇跡」と呼ばれた西ドイツのそれを追い越すのは間近であると教えられたことを今も覚えています。注、当時は、1位アメリカ、2位ソ連、3位西ドイツ、10年後の1970年代前半に日本はアメリカとソ連に肉薄して日米貿易摩擦(対米輸出自主規制)の原因となった。現在は中国が圧倒的なトップ/日本とインドが2位グループ/アメリカ・韓国・ロシアが続く

 

しかし、その直後に勃発(ぼっぱつ)した第一次オイルショック(1973年)と第二次オイルショック(1979-1980年)による原油価格の高騰で日本経済は停滞。この反省により重厚長大産業から知識集約産業へと経済の軸足を転換したことで、1973年から1991年までの安定成長期が日本経済を世界のトップクラスに押し上げることになりました。しかし、諸外国との貿易摩擦が生じることになります。1985年のプラザ合意(注、為替レート安定化に関する合意)による円高不況を解消するために日本銀行が行った金利政策によりバブル景気が生じて、名目上のGDP数値を押し上げました。
 
そして、1991-1993年にバブル景気が崩壊すると日本経済は上記と逆の悪循環により長期低迷に陥り、2008年のリーマンショックによるマイナス成長を経て、現在に至っています。注、平均経済成長率: 1956-1973年度=9.1%、1974-1990年度=4.2%、1991-2015年度=0.9%(出典:内閣府の資料)

 

経済的な豊かさを国際的に比較する指数の代表格は一人当たりのGDP(国内総生産)です。しかし、ドルベースに換算すると為替レートの影響を受けやすいため、これを避けるためOECDが発表する物価水準などを調整した購買力平価がよく用いられます。2015年の比較では日本が18位、北欧諸国・ドイツ・イギリス・フランスなど西欧の主要国に次ぐ位置にあり、ニュジーランドやイタリアとほぼ同水準で、OECDに加盟する35か国のちょうど中位にあります。これは1970年代とほぼ同じ状態です。

 

上記した安定成長期の1980年代に入ると順位が急上昇し、1990年には9位、1993年には6位とドイツを追い越してアメリカに迫る勢いでした。しかし、その後は先行するドイツを追うように年々順位を下げ、1998年に17位、2000年には19位と20年前の水準に下がってしまいました。そして、現在に至るまで15年間の長きにわたって18位前後の水準を維持していますが、その日本の後を追うようにイギリスもほぼ同じパターンを踏襲しています。一方、一旦低迷したドイツは2000年代末から急回復して1970/1980年代の水準近く(8位)まで回復しています。

 

このGDPを増大させるには人口を増やすか、あるいは一人当たりの労働生産性を上げるかのいずれかが必要です。人口が減少し始めた日本には後者の方法しかありません。それでは労働生産性とは何でしょうか。それは一人が単位時間当たりにどれだけGDPに貢献できるかを表す指標です。日本生産性本部の「2015年における労働生産性の各国比較」によると、日本はOECDに加盟する35か国中22位とあのギリシャ(失業者が多く就労者が少ない)の後塵(こうじん)を拝しているのです。ちなみに、一位はアイルランド、フランス(7位)やイタリア(10位)はドイツ(12位)を上回っています。

 

金額ベースでみると日本はアメリカ(3位)の約6割となっています。国別のGDPが9位となった1990年においても一人当たりでは16位と良くありませんでした。つまり、日本は西欧諸国よりも労働時間が長いことで経済を維持していることが分かります。ちなみに、上位にある国は金融・不動産・鉄鋼・生産性の高いグローバル企業(低い法人税による誘致)などの産業が労働生産性を上昇させる牽引力になっているようです。

 

2010-2015年の実質労働生産性上昇率の比較で日本は28位と35か国の下位に低迷しています。長く続くデフレ経済で低価格競争(リストラとコストカット)に追われて生産性の向上と新しい製品やサービス(付加価値の増大)への投資が十分できなかったことがアメリカなどとの格差が拡大した要因であるとの考えが専門家の間で有力です。

 

少し古い話になりますが、アメリカへの教訓をまとめることを目的に書かれた「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」(1979年)において、著者であるアメリカの社会学者エズラ・ヴォーゲル氏は、戦後の日本経済の高度経済成長の要因を分析し、日本の高い経済成長の基盤になったのは、日本人の学習への意欲と読書習慣であるとしています。また、優秀な通商産業省(現経済産業省)や大蔵省(現財務省)による経済への強烈な関与がまた日本の競争力を高めているとも語っています。

 

この本が出されて以来、外国から褒(ほ)められることが大好きな人間になった日本人は、自国の状況を楽観視して客観的に把握・理解することを止めたため、バブル経済がはじけてから20年以上が経過した今もデフレ経済から脱却できずにいるのです。

2017年1月11日 (水)

住みたい街「武蔵小杉」(後編)

「グランツリー武蔵小杉」と東横線の高架の間にある通路を抜けました。
 
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「グランツリー武蔵小杉」の北側にある市道に出ました。
 
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パークシティ武蔵小杉ザ・グランドウイングタワー
 
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ガードを抜けて東横線の西側に出ると、昔ながらの雰囲気が残る商店街「こすぎ南壱番街」がありました。
 
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右手に市道が伸びていますのでそちらへ向かうことにしいました。従来から存在した東横線・武蔵小杉駅南口(現南口3)の前を通過。
 
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右前方に東横線の武蔵小杉駅複合した「武蔵小杉東急スクエア」(手前)と「エクラスタワー武蔵小杉」(奥)が見えます。東横線の西側に建設されたタワーマンションの先輩格です。
 

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JR
南武線の北側には以前からあるオフィスビル「武蔵小杉タワープレイス」(地上23階建、地上高100m、1995年竣工)を望むことができます。左手にある工事中の高層ビルは「パークシティ武蔵小杉 ザ ガーデン イースト」です。
 
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JR武蔵小杉駅西口の前に出ました。
 
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東横線の西側にあるもう一棟の高層ビルを目指して歩きましたが、道路工事が行われているためJR南武線の北側の市道へ迂回すると、高架越しに「プラウドタワー武蔵小杉」(地上45階建、地上高158.95m)の全景が見えました。
 
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反対側(北側)にはオフィスビルの「武蔵小杉タワープレイス」(地上23階建、地上高100m)を間近に見ることができます。
 
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その左手には先ほど南武線越しに見た建設中の「パークシティ武蔵小杉 ザ ガーデン イースト」(地上53階建、高さ178.9m、2017年12月竣工予定)
 
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歩道に埋め込まれた中原区のプレートに区役所が表示されていましたので、略図に従ってJR南武線の南側に移動して立ち寄ることにしました。
 
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中原区役所の建物には「川崎フロンターレ」の大きなユニフォームが飾られているのはこの地に本拠地があるからでしょう。
 
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ちなみに、中原の地名は江戸(東京)と厚木の中原御殿(将軍家の別荘)を結ぶ中原街道が通っていることによるそうです。その街道に沿う小杉御殿町には徳川将軍家の休憩・宿泊所の小杉御殿があったと伝えられます。

 

行き当った府中街道(国道408号)を右折して南武線の高架をくぐり、南部沿線道路(市道)でJR南武線の武蔵小杉駅方面へ戻ることにしました。交差点の左前方に工事中の高層ビル(タワーマンション)があります。「パークシティ武蔵小杉 ザ ガーデン ウエスト」(手前)と「パークシティ武蔵小杉 ザ ガーデン イースト」(右奥)のツインビルです。商業施設とコンベンションセンターもできるようです。ちなみに、新日本石油(現JXホールディングス)の社宅跡地を再開発するものだそうです。
 
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東横線の武蔵小杉駅を出発して高層ビル街を一周、約40分後にJR南武線武蔵小杉駅の北口(正面口)に到着。その後方には東横線武蔵小杉駅のロータリーから撮影した「パークシティ武蔵小杉 ステーションフォレストタワー」(中央)、その左に「KDX武蔵小杉ビル」と「ブリリア武蔵小杉」が確認できます。
 
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関連の参考情報です。現在の日本医科大学武蔵小杉病医院跡地(武蔵小杉タワープレイスの北側)には「三菱地所レジデンスツインタワー」(地上約50階建、高さ約180m、2022年竣工予定)が、ホテルエルシー跡地(武蔵小杉タワープレイスの南側)には170m級のタワービルが計画されているようです。

 

最後に公共施設についても説明しましょう。特徴的なことは中原消防署や川崎市中原市民館などがタワーマンションの低層階に入っていることです。もちろん、中原区役所や中原警察署なども武蔵小杉駅の周囲に集中していますから、いずれも徒歩圏内といって良いでしょう。

 

冒頭に書いたように、当ブログはこれまで2回にわたって武蔵小杉を紹介してきましたが、今回は大きく発展した武蔵小杉エリアにおける高層ビルの現状を網羅的(もうらてき)に紹介しました。それでは、知人たちとの会食(ランチ)の時間が迫りましたので武蔵小杉の高層ビル紹介はここまでにします。□

 

2017年1月10日 (火)

住みたい街「武蔵小杉」(前編)

リクルート住まいカンパニーが発表した「2016年度 住みたい街(関東版)で、恵比寿吉祥寺横浜、に次いで自由が丘に並んで堂々第4位にランクインされた「武蔵小杉」(川崎市中原区)を12月の中旬に所用で訪れました。ちなみに、第6位以下には、目黒池袋新宿東京二子玉川が続きます。今年度のサプライズは5年連続で第1位の座を独占してきた吉祥寺が恵比寿に大差でその座を譲ったことと、同じ東急・東横線沿線の自由が丘が第12位から第4位に躍進したことです。

 

「武蔵小杉」は昨年の第5位から着実に順位を上げていることも注目点でしょう。商業施設とタワーマンションの建設ラッシュ(注、「二ヶ領用水探訪」と「グランツリー武蔵小杉」の記事で紹介)が今も続いていることがその背景と思われますが、最大の理由は何と言っても交通の便が良いことです。JR東日本と東急の2社・5路線が「武蔵小杉駅」に乗り入れており、横浜駅はもちろんのこと、主な都心エリアに直行できるのです。

 

具体的には、東急・東横線の特急を利用すれば渋谷駅まで約13分(副都心線経由で池袋駅まで27分)、横浜駅まで 約15分 、JR横須賀線を利用すれば東京駅まで約17分、JR湘南新宿ラインでは新宿駅まで18分、横浜駅まで約10分、JR南武線で川崎駅まで約12分、立川駅まで約45分、その他には東急・目黒線、地下鉄南北線、地下鉄副都心線、地下鉄日比谷線線(限定ダイヤのみ)などが乗り入れています。

 

つまり、電車を利用する人には極めて魅力的な街といえます。ただし、再開発が行われているエリアは駅周辺に限られていますから、道路状況はお世辞にも良いとはいえません。交通についての説明はここまでにして、本題に入ります。

 

                       ☆

 

再開発されているエリアは、東急・東横線とJR横須賀線がJR南武線と交差して囲まれる武蔵小杉駅の南東側が中心です。再開発エリアに入るには東急・東横線の「武蔵小杉駅正面口2」と「同南口2」、あるいはJR南武線の「武蔵小杉駅東口」・横須賀線の「武蔵小杉駅新南口」が便利です。
 
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東横線の武蔵小杉駅舎と一体になっている「武蔵小杉東急スクエア」(写真右)と東口ロータリー(バス・タクシー乗り場)に接する商業施設「ららテラス武蔵小杉」(写真左、2014年にオープンした三井ショッピングパーク)があります。それらの後方には「エクラスタワー武蔵小杉」(写真右上、地上高39階建、地上高149m)と高層マンションの「パークシティ武蔵小杉ザグラントウイングタワー」(写真左上地上38階建、地上高い141.74m)が覗(のぞ)いています。注、写真は東口ロータリー側から撮影
 
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「ららテラス武蔵小杉」の左手に聳(そび)えるのは「パークシティ武蔵小杉ミッドスカイタワー」(地上59階建、地上高203.5m)。
 
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東口2の正面にある東口ロータリーの向かい側には「コナミスポーツ」と「foodium」が入る商業施設「パークシティ武蔵小杉プラザ」があり、その先には、「パークシティ武蔵小杉 ステーションフォレストタワー」(地上47階建、地上高160.68m)があります。
 
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「パークシティ武蔵小杉プラザ」の横、東口ロータリーの左手(北側)にある「KDX武蔵小杉ビル」(地上11階建、2013年竣工)は武蔵小杉の再開発地区には珍しく高さが低い賃貸オフィスビルで、その右奥に少しだけ見えるのは分譲マンション「ブリリア武蔵小杉」(地上20階建、2011年竣工)です。調べてみると、2つの建物は武蔵小杉再開発エリアの南半分(グランツリー武蔵小杉とシティタワー武蔵小杉)となった東京機械製作所玉川製造所の飛び地(社宅跡地)を利用して建てられたそうです。注、北半分は東京三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)のグラウンド跡地で、「パークシティ武蔵小杉」の名を冠する上記3棟の高層ビルが建設された
 
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「パークシティ武蔵小杉 ステーションフォレストタワー」(左)と「パークシティ武蔵小杉ミッドスカイタワー」(右)の間に南東方向へ伸びる道を歩きました。交差点の手前から右手(南方向)を見ると「グランツリー武蔵小杉」とその先には「シティタワー武蔵小杉」(地上53階建て、地上高190m)がありました。
 
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交差点の向かい側にある「パークシティ ステーションフォレストタワー」へのアプローチ
 
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その先には「パークシティ武蔵小杉」の公開敷地である「ふれあいの丘」があり、
 
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人気があるという「リッチモンドホテルプレミア武蔵小杉」(2008年開業)が並木道の前方に見えてきました。
 
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「グランツリー武蔵小杉」の特徴あるファサードが木立の間に現れました。後方は「リエトコート武蔵小杉ザ・クラシックタワー」(左)と「シティタワー武蔵小杉」(右)です。
 
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高層ビルの紹介はまだ続きますが、参考までに武蔵小杉エリアの高層ビルを高さの順に列挙しましょう。第1位「パークシティ武蔵小杉 ミッドスカイタワー」(地上59階建、地上高203.5m)、第2位「シティタワー武蔵小杉」(地上53階建て、地上高190m)、第3位)「パークシティ武蔵小杉 ステーションフォレストタワー」(地上47階建、地上高162.8m、第4位「リエトコート武蔵小杉ザ・クラッシィタワー」(地上45階建、地上高161.77m)、第5位「リエトコート武蔵小杉 イーストタワー」(地上45階建、地上高161.14m)、第6位「ザコスギタワー」(地上49階建、地上高160m)、第7位「プラウドタワー武蔵小杉」(地上45階建、地上高158.95m)、第8位「NEC 玉川ルネッサンスシティ ノースタワー」(オフィスビル、地上37階建、地上高155.25m)、第9位「エクラスタワー武蔵小杉」(地上39階建、地上高149m)、第10位「パークシティ武蔵小杉ザ・グランドウイングタワー」(地上37階建、地上高141.74m)、第11位「パークシティ武蔵小杉ザ・グランドウイングタワー」(地上38階建、地上高135m)、など20数棟(以下省略)。

 

綱島街道(県道2号)の中原消防署前交差点に出ました。「グランツリー武蔵小杉」(右)と並ぶ高層ビルは「シティタワー武蔵小杉」です。
 
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その左手に並んで建つ4つの高層ビルは右から「シティタワー武蔵小杉」「リエトコート武蔵小杉ザ・クラシックタワー」「ザコスギタワー」「リエトコート武蔵小杉 イーストタワー
 
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その「リコート武蔵小杉 イーストタワー」(右端)の左手には「野村不動産武蔵小杉ビルN」「シティハウス武蔵小杉」があり、その左後方には武蔵小杉再開発エリア外にあるNEC玉川事業場の「NEC 玉川ルネッサンスシティノースタワー」(屋上にヘリポート有)
 
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綱島街道を南へ歩いて「グランツリー武蔵小杉」の前(新丸子東3丁目交差点)に出ました。
 
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後方にある高層ビルは先ほど脇を通過した「パークシティ武蔵小杉ザ・グランドウイングタワー」(左)と「パークシティ武蔵小杉ミッドスカイタワー」(右)です。
 
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新丸子東3丁目交差点を右折して「グランツリー武蔵小杉」と「シティタワー武蔵小杉」の間にある市道を西進ししながら、振り返って「シティタワー武蔵小杉」を撮影しました。
 
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(続く)

2017年1月 6日 (金)

年末年始の風景(後編)

日本テレビ「大学箱根駅伝(往路)」(1月2日午前8時~)

 

青山学院大学(以下青学大)の三連覇がかかる箱根駅伝は定刻の午前8時に大手町をスタート。一団となって牽制(けんせい)し合うスローペースのレースが日比谷通りで続き、田町の交差点でいったん東洋大がスパートしますが、その差はすぐに縮まりました。六郷大橋と横浜駅前もトップ集団の競り合いが続き、鶴見中継所の直前になってわずかにリードした東洋大が1位でタスキを渡しました。以下、1-2秒差で東海大・早大・青学大・神奈川大の順。

 

花の2区(エース区間)に入っても混戦が続きましたが、中盤になると徐々にリードを広げた神奈川大が難所の権太坂(ごんたざか)で2位以下に38秒の大差をつけて1位として戸塚中継所でタスキを渡しました。今年も外国人留学生たちのゴボウ抜きが見事です。

 

3区では青学大の追い上げが急で、13kmを過ぎて海岸沿いに出るころには青学大の走者「湘南の神」が神奈川大を捉(とら)え、今回の駅伝で初めてトップに躍り出ました。青学大と神奈川大を追うのは早大・駒沢大・帝京大・東洋大。平塚中継所では青学大が1位で通過、1分22秒差で早大が2位、1分30秒差で神奈川大が3位、以下東洋大、駒沢大、帝京大の順。

 

4区は緩(ゆる)やかなアップダウンがある旧東海道の松並木が残る区間です。今回から距離が2.4km伸びたことで、準エース区間となり、各大学は強い走者を投入しているようです。予想外であったのは駒沢大のエースがコンディション不良で5位から8位へ順位を下げたことです。そして、中位のチームは目まぐるしく順位が入れ替わり、逆に順天堂大が順位を上げました。小田原中継所では青学大、早大、東洋大、帝京大、創価大、順天堂大、神奈川大の順。

 

山登り区間の5区は逆に距離が短くなり、さらにスピード競争が激しくなると予想されました。青学大が約1分半の差を維持してひとり旅をするなか、東洋大が早大を追い上げるシーンはありましたが、上位3大学には順位の変化はありません。ただし、順天堂大・駒沢大・中央学院大が徐々に順位を上げました。5区の終盤に早大が追い上げて、青学大との差を30秒近くまで縮めて激戦になりました。その結果、往路は青学大が往路優勝、早大が33秒差の2位、順天堂大が3位、以下東洋大、区間賞の駒沢大、神奈川大、中央学院大学、上武大、創価大、日本大の順。

 

                             ☆

 

テレビ東京「孤独のグルメスペシャル」

 

主人公は松重豊(まつしげゆたか)さんが演じる井之頭(いのかしら)五郎です。ドラマでは個人で雑貨輸入商を営んでいる設定になっていますが、ドラマの主題は商用先で見つけた庶民的で美味しい料理を食べることです。原作は久住(くすみ)昌之さんの同名の連載人気コミック(1994-1996年に雑誌掲載)。ドラマに登場する人物は俳優と女優ですから、自然な振る舞い(実は演技)が演出のないドキュメンタリーのようで、視聴者は五郎さんが食べる料理に集中することができます。ただし、最後のコーナーでは原作者の久住昌之さんと店のご主人(本人)が登場して味な店の魅力と料理へのこだわりを披露(ひろう)することで、現実感を与えるとともに料理の魅力をうまく伝えることも番組のポイントです。

 

BSジャパン「孤独のグルメお正月スペシャル〜真冬の北海道・旭川出張編」&「孤独のグルメSeason 5(全12話)」の再放送(午前10時〜午後7時) 注、箱根駅伝と放送時間が重なったため一部を抜粋して紹介

 

2016年の正月特別編で放送された「正月の旭川カニクリームコロッケ」とかぼちゃの煮物」「タレごはん」

 

10月23日に放送された第4話台湾宜蘭(ギラン)県羅東(ラトウ)の「葱(ねぎ)と肉紅麹(べにこうじ)揚げ」「焼飯(チャーハン)」「蛤(はまぐり)スープ」「葱餡餅(ツォンシャーピン)」 注、宜蘭県は台湾の北東部にある県
 

5話「台湾台北市 永楽市場(ヨンラーシーチャン)の鶏肉飯と乾麺」 注、乾麺(ガンメン)はスープのない麺のことで、スープがあるものは湯麺(タンメン)

 

11話(2015年12月11日放送)は埼玉県越谷市の「厨(くりや) SAWA

「カキのムニエル」「アメリカンソースのオムライス」「ババロア(黒蜜きな粉味)」

 

12話(2015年12月18日放送)に登場した東京都豊島区西巣鴨の「しゃぶ辰(たつ)」では「上州牛すき焼き定食(一人すき焼き)」と締(し)めの「うどん」。最後はすき焼き丼にして食べるのは五郎流。そして、「うどん」は卵とじで。デザートはコーヒー。

 

など12話が9時間をかけて一挙に再放送されました。

 

                           ☆

 

テレビ東京「孤独のグルメSP」(1月2日午後11時20分~)

 

2016年にSeason 5が終了し、お正月スペシャル!~井之頭五郎の長い一日~が放送されました。東京(関東)での一日がテーマです。

 

アメリカの西部劇シーンに迷い込んだ五郎は腹が空きすぎて仮眠中の車で夢から覚めました。川崎方面(川崎区の八丁畷)の一人焼肉店「つるや」へ向かうも一時間待ち。心当たりの別の店は閉店と不運が続きます。

 

次の仕事先の中野へ。仕事を終えた五郎さんは一軒の中華(上海)料理の店「蔡菜(さいさい)食堂」で白切鶏(バイツェーチ、パクチーたっぷりの蒸し鶏)の小、青菜たっぷりの水餃子、トマトタマゴ炒め載(の)せご飯、タレが美味いニラレバ炒め載せご飯(注、行儀は悪いがいずれも五郎さんの食べ方)を堪能(たんのう)する。デザートは胡麻(ごま)団子 注、餅の中に胡麻餡(ごまあん)

 

その後も仕事で千葉へ。わがままな顧客の要求で深夜まで居残って、仕事をする羽目になり、遅い夕食(夜食)として「テキサス津田沼」でテキサスリブステーキを食べることにする五郎。まず、「ガーリックライス(ハーフ)」を味わい、次いで300gのステーキ(ミディアムレア)にマスタードとガーリックで挑む。最後はライスに切り分けたステーキを載せたステーキ丼を平らげる。そして、仕事の方も早朝までに仕上げ、五郎の長い一日が終わった。

 

最後に、Season 6の放送が正式に決まったことが発表されました。

 

                              ☆

 

日本テレビ「大学箱根駅伝(復路)」(1月3日午前8時~)

 

正月の3日も晴天に恵まれました。気温の上昇がレースに影響する可能性があります。午前8時に復路を1位でスタートした青学大を追う2位早大は一時さを詰めましたが、再び差を広げられ苦しい6区となりました。前回区間新を記録した走者を配した日体大は期待通りに順位を大幅に上げ、法政大も好調な走りを見せました。一方、駒沢大は順位を下げてしまいました。小田原中継所では青学大、早大、順天堂大、東洋大、神奈川大、中央学院大、日体大、法政大、駒沢大、帝京大の順。

 

7区に入っても青学大はリードを約3分へと広げて盤石の態勢を築いて行きました。6区の勢いを持続した日体大はさらに順位を上げ、逆に順天堂大は下げました。残り5kmを切ったころにハプニングがありました。青学大の走者が脱水症のためか体調に変調を来たして、3分20秒/kmまで速度を落とし、2位早大の猛追を受けることになったのです。

 

平塚中継所まで持ち堪えた青学大はトップでタスキを渡すことができましたが、早大とは1分21秒差、3位は東洋大、以下神奈川大、日体大、順天堂大、中央学院大、法政大、駒沢大、帝京大の順。

 

前半が海岸沿いの平坦な8区は、打って変わり順位の入れ替わりがほとんどなく、静かなレース展開となりました。青学大は7区の遅れを取り戻して2分以上に差を広げ、区間賞を狙う走りで、選手層の厚さを示します。その他のチームでは7区で順位を上げた東海大がシード権を獲得できる10位に迫り、残り5kmを切った地点で神奈川大が3位に迫りました。戸塚中継所は、青学大、5分32秒差の早大、東洋大、神奈川大、順天堂大、日体大、中央学院大、法政大、駒沢大、東海大の順で通過。

 

9区でも順位に大きな変動がなく推移するなか、東海大がシード権を確実にするため8-9位へと順位を上げ、19km地点で東洋大が早大を抜いて2位に上がる一方、日体大は遅れました。その結果、鶴見中継所では、青学大、東洋大、早大、神奈川大、順天堂大、法政大、中央学院大、駒沢大の順。

 

最終の10区も9区と同様の展開となりました。6分30秒差の余裕がある青学大の走者は王者の走りを続けました。順天堂大は神奈川大を捉えて4位に。総合順位は、青学大、東洋大、早大、順天堂大、神奈川大、中央学院大、日体大、法政大、駒沢大、東海大の順で、これら10校がシード権を獲得しました。

 

前日の往路優勝に続けて復路優勝も果たした青学大は7分21秒の大差をつけて総合優勝。箱根駅伝の三連覇と三大駅伝(全日本・出雲・箱根)の三冠(グランドスラム)を達成しました。この2つを同時に達成するのは史上初の快挙だそうです。ちなみに、箱根駅伝の往路復路完全優勝による三連覇は戦後初で、総合優勝の三連覇は大東文化大・順天堂大・早大に次ぐ4校目です。
 
<同居者のコメント> 昨年は4月に熊本県で地震があり、10月には鳥取県中部でも地震が発生し、そして年末にも糸魚川市で大火がありました。いずれも最近訪れた場所でしたから大変驚きました。被災された方々にお見舞い申し上げます。そして、わが家が正月をつつがなく迎えることができましたことに感謝しています。(終)

2017年1月 5日 (木)

年末年始の風景(中編)

大晦日の夕食として年越し蕎麦を楽しみました。同居者が私の好きなニシン蕎麦を作ってくれたのです。濃(こ)い味付けをされた身欠(みが)きニシンの甘露煮(かんろに)とやや薄めにした醤油味の出し汁(だしじる)がほどよくバランスしています。
 
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                         ☆
 
NHK E
テレ「中村紘子さんの残したもの」(午後6時25分~、8月7日に放送された番組の再放送)

 

大晦日の午後620分から再放送された番組を見ました。戦後間もない少女時代に桐朋学園の「子供のための音楽教室」の第1期生として始めたピアノ演奏、懐かしいN響アワー、世界一周演奏旅行の途中のロンドンで伝説の振り袖姿で演奏したショパンのピアノ曲、1997年に演奏したチャイコフスキー「ピアノ協奏曲第一番」、ジュリアード音楽院への留学で出会った大きな試練、長年の努力により到達した高み、そして病魔との戦いなど、中村紘子さんの生涯が丁寧(ていねい)に描かれました。

 

                         ☆

 

NHK総合「第67回紅白歌合戦」(午後7時30分~)

 

久しぶりに年末恒例の歌番組を観ることにしました。ピコ太郎のPPAP が登場することと、好きなX-JAPANが前年に続いて7回目の出演が発表されていたからです。シン・ゴジラが東京湾から上陸して渋谷へ来襲し、これをX-JAPANがヒット曲の「紅」で撃退する演出はちょっといただけませんでしたが・・。

 

若い男女司会者のぎこちなさも目立ちました。そして、ふるさと審査員に選ばれたというタモリさんとマツコデラックスさんが演じる夫婦が入場券を持参し忘れたため、入場を拒まれたあと、舞台裏を巡るコントを長々と演じたことは歌番組のスパイスとなりました。しかし、ふたりはふるさと審査員の席に座ることなくNHKホールを後にしたことは、従来のNHKのスタイルとは異なっているだけではなく、演出としても違和感がありました。

 

また、途中経過(中間採点)では白組が圧倒的にリードしていたにもかかわらず、最終判定ではどんでん返しで紅組の勝利となったことには驚きました。圧倒的なシェアを持つ審査員の票(全員紅組に投票)が結果を決めたようです。いずれも、マンネリ化する紅白歌合戦を変えようとするNHKの意気込みを感じさせるものであったことだけは確かでしょう。

 

                         ☆

 

テレビ東京「ジルベスターコンサート」(午後11時30分~)

 

第22回を迎えた今回のコンサートの司会はテレビ東京アナウンサーの狩野恵理さん、そしてメインパーソナリティーが小倉智昭(ともあき)さん、という意外な組み合わせでした。演奏は東京フィルハーモニー交響楽団、指揮は昨年に続いて3回目となる大友直人さん、合唱は東京オペラシンガーズ。

 

オープニング曲はアニメ映画「ジャングル大帝」からジャングルの朝(富田勲作曲)、次いでイギリスぬメゾソプラ二スト、キャサリン・ジェンキンスさんが賛美歌の「アメージング・グレース」を歌いました。海外で活躍する23歳の天才バイオリ二スト郷古廉(ごうこすなお)さんの演奏でクライスラー作曲の「中国の太鼓」。

 

カウントダウン曲はロシアの作曲家ボロディンの歌劇「イーゴリー公」から「ダッタン人の踊り」。

注、キエフ大公国の公であるイーゴリー公による遊牧民族のダッタン(韃靼)人に対する遠征を描いた叙事詩「イーゴリー軍記」が原作。キエフ大公国は中世9世紀後半から13世紀前半において東欧の大部分を支配した国(首都はキエフ)で、ダッタン(韃靼)人はモンゴル高原から東欧にかけて存在したモンゴル系などの諸民族の総称。日本では韃靼蕎麦(ニガそば)の名称で知られている

 

2017年最初の曲は外山(とやま)雄三作曲「管弦楽のためのラプソディ」

 

ホルスト作曲「惑星」から「木星」(ジュピター)のテーマ”World in Union”をイギリスのメゾソプラニスト、キャサリン・ジェンキンスさんが歌いました。

 

東京オペラシンガーズがプッチーニ作曲「蝶々夫人」から「ハミングコーラス」を優雅に合唱し、テノールの錦織健(にしきおりけん)さんは歌劇トゥーランドット」から「誰も寝てはならない」を朗々と歌い上げました。

 

キャサリン・ジェンキンスさんが再登場してサルトゥーリ作曲”Time to Say Goodbye”はこの曲で知られる同じイギリス出身のサラ・ブライトマンさんとは異なるソフトな歌声で聴かせました。小倉智昭さんはキャサリンさんの方を持ち上げましたが、私はミュージカル出身のソプラ二ストとクラシカル・クロスオーバーのメゾソプラ二ストの違いであり、聴く人の好みによるものだと思いました。

 

大友直人さんの指揮、東京フィルハーモニー交響楽団の演奏でストラビンスキーが作曲したバレエ組曲「火の鳥」

 

アンコール曲はヨハン・シュトラウス作曲の「ラデツキー行進曲」

 

今回の「ジルベスターコンサート」もカウントダウン曲の終了と同時に新年を迎えられたことに安堵(あんど)しました。

 

                          ☆
 
元旦は和服を着て新年を祝うことにしています。そして、食卓にはお雑煮とお節が並びました。切り餅(もち)のほかには青菜・鶏肉・カマボコが入るだけのシンプルな田舎風の雑煮です。

 
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                           ☆
 

TBSテレビ「ニューイヤー駅伝(全日本実業団対抗駅伝)」(午前8時30分~)

 

トヨタ自動車の三連覇がなるか、あるいは2連勝のあと2位が2年続いたコニカミノルタが雪辱(せつじょく)を果たすかが注目される今回の駅伝は波乱のスタートとなりました。元旦の午前9時15分にスタートした第1区では日清食品グループが1位と健闘した一方、トヨタ自動車は10位、旭化成は13位、コニカミノルタは28位と出遅れました。

 

第2区はさらなる波乱が待っていて、DeNAが21位から3位へと大幅に順位を上げました。そして、第3区ではトヨタ自動車が23位から3位へ、コニカミノルタが12位から4位へ、ホンダが10位から5位に上昇し、下馬評で注目されたチームが順当に上位に付けることになりました。

 

第4区はトヨタ自動車九州が4位へ、旭化成が11位から5位へ。第5区では旭化成がトップに、トヨタ自動車九州が2位に躍り出ました。この区間でトップのチームが優勝するとのジンクスがありますが、距離は短いものの、アップダウンとカーブが多い難コースの第6区も注目されます。この区間に巧者を配したトヨタ自動車が2位に順位を上げてトップの旭化成を追撃しました。しかし、トップの旭化成は安定した走りを維持して2位との差を徐々に広げます。

 

最終区間の7区は各チームのアンカー対決ですが、トヨタ自動車は58秒差を詰めることができず、後半に区間賞と区間新記録を連発した旭化成が18年振りに優勝して今回の駅伝は終わりました。ちなみに、2位はトヨタ自動車、3位トヨタ自動車九州、以下大健闘したMHPS(三菱日立パワーシステムズ)、後半順位を下げたコニカミノルタ、そして富士通、DeNA、日清食品グループが入賞しました。

 

                              ☆
 
午後になってチビスケくんとチビエちゃんの一家が年始の挨拶(あいさつ)に来てくれました。室内でひとしきりゲームを楽しんだ後は大勢で食卓を囲みました。
 
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                              ☆

 

NHK Eテレで「ウイーン・フィル ニューイヤーコンサート2017」(午後7時~)

 

オーストリア・ウィーン楽友協会大ホールから中継。東京のスタジオでは司会が黒崎めぐみアナウンサー、出演者はウイーン生まれのトリンドル玲奈さん、音楽評論家の広瀬大介さん、ウイーン学友協会の特設スタジオからは奥田佳道さん、ウィン・フィルの元コンサートマスター のライナー・キュッヒルさんも参加。

 

今回は史上最年少で35歳、ベネズエラ出身のグスターボ・ドゥダメルさんが指揮者として初登場します。ベルリンフィルのジルベスターコンサート2010の指揮も務めた覇気あふれる演奏が注目される指揮者です。オーケストラはもちろんウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。

 

このコンサートで初めて演奏される多くの曲を含む選曲はグスターボ・ドゥダメルさんの意気込みを感じさせました。冒頭に演奏されたフランツ・レハール作曲「ネヒレディル行進曲」 もその一曲で、見事な掴(つか)みを演出しました。エミール・ワルトトイフェル作曲「ワルツ“スケートをする人々”」 が続きました。以下、演奏順に曲名を紹介します。

 

「ポルカ“帝都はひとつ ウイーンはひとつ”」 (ヨハン・シュトラウス作曲)

 

「ポルカ・シュネル“冬の楽しみ”」 (ヨーゼフ・シュトラウス作曲)

 

「ワルツ“メフィストの地獄の叫び”」 (ヨハン・シュトラウス作曲)

 

「ポルカ・シュネル“別に怖くはありませんわ”」 (ヨハン・シュトラウス作曲)

 

「“スペードの女王”序曲」 (フランツ・フォン・スッペ作曲)

 

「ワルツ“いらっしゃいませ”」 (カール・ミヒャエル・ツィーラー作曲)

 

「歌劇“ウィンザーの陽気な女房たち”から“月の出”」 (オットー・ニコライ作曲)、合唱はウイーン楽友協会合唱団

 

「ペピータ・ポルカ」 (ヨハン・シュトラウス作曲)

 

「ロトゥンデ・カドリーユ」 (ヨハン・シュトラウス作曲)

 

「ワルツ“奇抜”」( ヨハン・シュトラウス作曲)

 

「ポルカ・シュネル“インド人のギャロップ”」 (ヨハン・シュトラウス(父)作曲)

 

「ポルカ・マズルカ“ナスヴァルトの娘”」 (ヨーゼフ・シュトラウス作曲)

 

「ポルカ・シュネル“さあ踊ろう!”」 (ヨハン・シュトラウス作曲)

 

「ワルツ“千一夜物語”」 (ヨハン・シュトラウス作曲)

 

「ポルカ・シュネル“チック・タック”」 (ヨハン・シュトラウス作曲)

 

いずれの曲も奇(き)を衒(てら)うものではなく極めてオーソドックスな演奏であり、ウイーン・フィルを指揮をすることを楽しむように表情は常に和(にこや)かで、コンサートホールに飾られた生花と第2部の演奏中に宮殿から中継されたバレエも落ち着いた雰囲気で好感が持てました。

 

アンコール曲の「美しく青きドナウ」と「ラデツキー行進曲」は軽妙さと重厚感を兼ねそなえており、ウイーン・フィルの魅力を最大限に楽しむことができ、私は今年のニューイヤーコンサートに大満足でした。番組の最後には、来年の指揮者が5回目となるリッカルド・ムーティさんが、2004年以来久しぶりに、選ばれたことが伝えられ、来年への期待が膨(ふく)らみました。(続く)

2017年1月 4日 (水)

年末年始の風景(前編)

当ブログでこれまでも紹介してきましたように、現役を退いて以来、年末年始に行う行事を決め、それを守るようにしています。つまり、ルーティーン化しているのです。終活ではありませんが、正月は一年を大事に過ごすための一里塚と位置付けて、特に大切にしてきました。川崎大師への年末参拝に始まり、大晦日と正月三が日を自宅で過ごす年末のルーティーンです。

 

                           ☆

 

年末は恒例の川崎大師参りで始まりました。今年はこれまでで一番大人数となる12人で出掛けました。専用駐車場に車を停め、物売りの呼び声と飴を切る包丁の音に迎えられて表参道を歩いて、大山門へ向かいます。29日とまだ早いタイミングですから大山門では正月飾りを仕上げる作業が行われていました。
 
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境内では年末年始に参拝者を迎える準備が整っていました。
 
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昨年頂いた護摩札(ごまふだ)を納札殿にお返しし、社務所(お護摩受付所)で新しい護摩札を申し込むと、午前10時30分の護摩に間に合いました。
 
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チビスケくんとチビエちゃんはいずれも子供ミクジで大吉を引き当てて大喜びです。しかし、書かれていることは、『よく勉強して良い子になりましょう』 というもので、両親からそのポイントを突っ込まれています。
 
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ふたりは献香所で線香の煙を手で扇(あお)いで頭にかけます。毎年のことですが、今回はこどもミクジのお告げも影響したのかもしれません。
 
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大本堂に入ると、ちょうどお護摩が始まるところでした。
 
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子供たちは皆、お護摩に慣れているようで神妙にしています。一番小さい1歳と3カ月の赤ちゃんも大太鼓の大きな音にも驚くことはありません。

 

新しい護摩札を頂いたのは午前11時。昼食には少し早いのですが、大山門前にあるいつもの蕎麦屋「はやま」に入りました。思った通り、店内は空いていて、小上がりの席に座ることができました。私は定番にしている「かも南蛮そば」を、他のメンバーも例年通りのメニューにしたようです。コチビちゃんだけはカレーに凝(こ)っているようで「カレーうどん」を選びました。
  
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店を出る正午には例年通り席が空くのを待つ人の長い列ができていました。
表参道では、女性たちが「珈琲茶房 餅陣 住吉」の「くずもちサンデー」を、男性たちは高橋太一商店で干支の置物を買うのも例年通りです。写真は同行者が買い物をするため私に預けた食べかけの「くずもちサンデー」です。
 
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駐車場に戻って手荷物を車に置いたあとは、子供たちは広い大師公園で思いおもいの方法で遊び始めました。サーカーチームに入っているチビスケ君はお父さんとサッカーボールを元気に蹴り、他の子供たちは遊具で遊んでいます。大人たちはレアもののポケモンを捕獲することに夢中。1時間余りがあっと言う間に過ぎました。
 
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自宅に戻る途中、両親の墓がある寺に立ち寄り、全員でお参りすることができました。
(続く)

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