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2017年1月15日 (日)

目覚ましい興隆から長期停滞に陥った日本経済の戦後70年を振り返る

先月投稿した記事「日本が壊れて行く」の続編です。昨年は台風・地震・大火による大災害が多発しましたが、今年は世界の政治、ひいては経済の大きな変動が懸念されます。もちろん、日本はその蚊帳(かや)の外というわけには行きませんが、現時点で何が起こるかを具体的に予測することは困難です。そこで、本稿では終戦から72年目を迎え日本の経済状況の変遷を振り返って見たいと思います。

 

第二次世界大戦(太平洋戦争)で敗戦国となった日本の産業と経済は壊滅的な打撃を受けるとともに、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の命令により戦前まで日本経済を牽引した財閥が解体されました。それに加えて、資本の集中を排除し、自由競争の促進と労働組合設立の推奨、農地改革などの経済政策が強制的に行われ、ハイパーインフレと闇(やみ)経済が拡大して経済が大混乱に陥り、物不足が深刻化しました。

 

しかし、製鉄と石炭産業に集中する経済復興政策と1950年に勃発した朝鮮戦争による特需が弱体化した日本経済を復興させる起爆剤となり、わずか数年で戦前の経済状態まで復興しました。それには戦勝国に対する戦争賠償が比較的に軽かったことも幸いしました。注、第一次世界大戦後にドイツに課せられた過酷な賠償請求が第二次世界大戦の遠因になったことの反省と考えられる 
 
さらに、1955年から高度経済成長が始まり神武景気(1954-1957年)が訪れ、1960年には池田内閣による所得倍増計画は東京オリンピック(1964年)の特需があったことでわずか7年間で達成され、いざなぎ景気(1965-1970年)と1970年には大阪万博による特需が加わり、日本経済は給料増・購買力拡大・設備投資増大の好循環(良好な需給バランス)により絶好調を極めることになりました。加えて、この期間には欧米諸国からの積極的な技術導入が生産性を高めることに貢献したのです。
 
1960年代の初頭のことです。日本経済の発展を象徴するデータの一つとして、高校の社会科教師から日本の粗鋼(鉄鋼)生産量が同じ敗戦国でありながら日本以上の速さで復興して「経済の奇跡」と呼ばれた西ドイツのそれを追い越すのは間近であると教えられたことを今も覚えています。注、当時は、1位アメリカ、2位ソ連、3位西ドイツ、10年後の1970年代前半に日本はアメリカとソ連に肉薄して日米貿易摩擦(対米輸出自主規制)の原因となった。現在は中国が圧倒的なトップ/日本とインドが2位グループ/アメリカ・韓国・ロシアが続く

 

しかし、その直後に勃発(ぼっぱつ)した第一次オイルショック(1973年)と第二次オイルショック(1979-1980年)による原油価格の高騰で日本経済は停滞。この反省により重厚長大産業から知識集約産業へと経済の軸足を転換したことで、1973年から1991年までの安定成長期が日本経済を世界のトップクラスに押し上げることになりました。しかし、諸外国との貿易摩擦が生じることになります。1985年のプラザ合意(注、為替レート安定化に関する合意)による円高不況を解消するために日本銀行が行った金利政策によりバブル景気が生じて、名目上のGDP数値を押し上げました。
 
そして、1991-1993年にバブル景気が崩壊すると日本経済は上記と逆の悪循環により長期低迷に陥り、2008年のリーマンショックによるマイナス成長を経て、現在に至っています。注、平均経済成長率: 1956-1973年度=9.1%、1974-1990年度=4.2%、1991-2015年度=0.9%(出典:内閣府の資料)

 

経済的な豊かさを国際的に比較する指数の代表格は一人当たりのGDP(国内総生産)です。しかし、ドルベースに換算すると為替レートの影響を受けやすいため、これを避けるためOECDが発表する物価水準などを調整した購買力平価がよく用いられます。2015年の比較では日本が18位、北欧諸国・ドイツ・イギリス・フランスなど西欧の主要国に次ぐ位置にあり、ニュジーランドやイタリアとほぼ同水準で、OECDに加盟する35か国のちょうど中位にあります。これは1970年代とほぼ同じ状態です。

 

上記した安定成長期の1980年代に入ると順位が急上昇し、1990年には9位、1993年には6位とドイツを追い越してアメリカに迫る勢いでした。しかし、その後は先行するドイツを追うように年々順位を下げ、1998年に17位、2000年には19位と20年前の水準に下がってしまいました。そして、現在に至るまで15年間の長きにわたって18位前後の水準を維持していますが、その日本の後を追うようにイギリスもほぼ同じパターンを踏襲しています。一方、一旦低迷したドイツは2000年代末から急回復して1970/1980年代の水準近く(8位)まで回復しています。

 

このGDPを増大させるには人口を増やすか、あるいは一人当たりの労働生産性を上げるかのいずれかが必要です。人口が減少し始めた日本には後者の方法しかありません。それでは労働生産性とは何でしょうか。それは一人が単位時間当たりにどれだけGDPに貢献できるかを表す指標です。日本生産性本部の「2015年における労働生産性の各国比較」によると、日本はOECDに加盟する35か国中22位とあのギリシャ(失業者が多く就労者が少ない)の後塵(こうじん)を拝しているのです。ちなみに、一位はアイルランド、フランス(7位)やイタリア(10位)はドイツ(12位)を上回っています。

 

金額ベースでみると日本はアメリカ(3位)の約6割となっています。国別のGDPが9位となった1990年においても一人当たりでは16位と良くありませんでした。つまり、日本は西欧諸国よりも労働時間が長いことで経済を維持していることが分かります。ちなみに、上位にある国は金融・不動産・鉄鋼・生産性の高いグローバル企業(低い法人税による誘致)などの産業が労働生産性を上昇させる牽引力になっているようです。

 

2010-2015年の実質労働生産性上昇率の比較で日本は28位と35か国の下位に低迷しています。長く続くデフレ経済で低価格競争(リストラとコストカット)に追われて生産性の向上と新しい製品やサービス(付加価値の増大)への投資が十分できなかったことがアメリカなどとの格差が拡大した要因であるとの考えが専門家の間で有力です。

 

少し古い話になりますが、アメリカへの教訓をまとめることを目的に書かれた「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」(1979年)において、著者であるアメリカの社会学者エズラ・ヴォーゲル氏は、戦後の日本経済の高度経済成長の要因を分析し、日本の高い経済成長の基盤になったのは、日本人の学習への意欲と読書習慣であるとしています。また、優秀な通商産業省(現経済産業省)や大蔵省(現財務省)による経済への強烈な関与がまた日本の競争力を高めているとも語っています。

 

この本が出されて以来、外国から褒(ほ)められることが大好きな人間になった日本人は、自国の状況を楽観視して客観的に把握・理解することを止めたため、バブル経済がはじけてから20年以上が経過した今もデフレ経済から脱却できずにいるのです。

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