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2017年3月

2017年3月31日 (金)

映画『キングコング: 髑髏島の巨神』がついに公開された

新たなキングコング・シリーズである『コング:スカル・アイランド(Kong: Skull Island)』、邦題は『キングコング:髑髏島の巨神』が、先週土曜日(3月25日)に日本でも公開されました。この映画の舞台となったスカル・アイランド(髑髏島)は、キングコングや恐竜、巨大昆虫などが暮らす南太平洋の未知の島で、岩石層が髑髏(どくろ)の形をしていることから命名されたようです。ちなみに、キングコングは、1933年の第1作以降、続編や2005年のピーター・ジャクソン監督によるリメイク版「キングコング」でも描かれました。(オフィシャルサイトはこちらを参照)

 

昨年、ベトナムを訪れた時、ロケ隊がベトナムで撮影を行うと聞いた映画が完成したのです。ベトナムでは、北中部地方クアンビン省にある世界最大のソンドン洞窟や紅河デルタ地方クアンニン省にある世界遺産のハロン湾などでロケを行い、撮影する映像はキングコングの故郷の風景として使用されているようです。一昨年10月に撮影を開始し、米国のハワイとデトロイト、オーストラリアのクイーンズランドなどでロケを敢行。

 

ハリウッド版の『ゴジラ』を成功させたレジェンダリー・ピクチャーズとワーナーの両社が再び手を組んだこの新キングコング映画『コング:スカル・アイランド』のジョーダン・ヴォート=ロバーツ監督が今年に入ってベトナム観光大使に指名されたそうです。その理由はこの映画がベトナムの自然の美しさを世界各国にピーアールするチャンスになるからとのこと。

 

参考として、あらすじと登場人物を紹介します。『ベトナム戦争も終結を迎えつつあった1973年。秘密研究機関モナークは、未確認生物の存在を求め、太平洋に浮かぶ未開の孤島「スカル・アイランド(髑髏島)」に調査隊を派遣する。そこは、異形の怪獣たちが跋扈する先史時代さながらの危険地帯であった。彼らの前に突如姿を現した巨大なる「守護神」キングコング。本能と暴力が支配する原始空間の中で、人類たちは究極のサバイバルを強いられる。』

 

主人公は元SAS(英陸軍特殊空挺部隊)大尉で、ベトナムでは米軍の仕事を請け負うフリーランスの傭兵稼業でその名を知られていたコンラッド。ハイリスクな今回のミッションに対して、サバイバル術と追跡技術に優れた彼に白羽の矢が立つ。

 

ヒロインはベトナムで活動していた反戦カメラマンのウィーバー。戦争行為を正当化する政府の悪行を暴こうと活動していたが、髑髏島の調査ミッションには裏があると踏み、コネを駆使して「アテネ」号に乗り込む。

 

そして、主人公らと知り合って髑髏島の案内役となるのが太平洋戦争中に日本のゼロ戦との戦闘で相打ちとなり、見知らぬ島にパラシュートで不時着した戦闘機「P-51」のパイロット、マーロウ。共に墜落した日本人兵とは髑髏島で夢中で戦っていたその時、二人の元に30mをゆうに超える超巨大な類人猿が姿を現した。二人は「義兄弟」と呼ばれる程の絆となり、8回も脱出を試みるが、いずれも失敗する。

 

また、登場する巨大な怪物は、コングのほかに、スケル・バッファロー、バンブー・スパイダー、スポア・マンティス、リバー・デビル、スカル・クローラー、そして30m級でコングの最大のライバルであるスカル・デビル。

 

興味を持たれた方は映画館へ足を運んでみてください。CGで描かれたかいじゅう怪物とともに未開の地に設定されたロケ地の美しさを堪能することができるでしょう。

2017年3月28日 (火)

40年ぶりのミャンマー訪問(その8) バガンを代表するシュエズィーゴォン・パヤー

ついで訪れたのは、約2km(10分ほど)の距離、同じくイラワジ(エーヤワディー)川沿いのニャンウー村にあるバガンを代表するシュエズィーゴォン・パヤー。パガン朝の初代国王アノーヤターがタトォン国を征服した後に建設を始め、第3代国王チャンスィッターによって12世紀初頭(1090年ともいわれる)に完成。最初はエーヤワディー川の岸に建てられましたが、水害がひどいので現在の場所に移されたそうです。ここには仏陀の歯と骨が納められているそうです。名称は、シュエが金、ズィーゴォンがパーリ語の勝利・祝福の地を意味するそうです。

 

土産物を売る露天商が両側に並ぶ屋根つきの南側の参道に入るため、指定された場所で履物を脱いで素足になりました。
   
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その脇には巨大な狛犬ならぬライオン仏塔を護っています。
 
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黄金色に輝くシュエズィーゴォン・パヤーの全景写真
 
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通路を抜けると境内に出ると、三層の方形基壇(きだん)上に高さ約40mの丸みを帯びた円錐形の塔が聳(そび)えていました。写真とは異なり、上半分がくすんだ色をしているのは、3年ごとに行われる金箔を張る作業用の竹製足場を覆(おお)う同じく竹製の日除けが被(かぶ)せられているためだそうです。上の写真と比較するとややズングリして見えるのはそのせいでしょう。ちなみに、左の建物は信者が寄進した木製の塔とのこと。(航空写真はこちらを参照)
 
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右手前の建物は主塔の周りにある仏像にお祈りする礼拝所(お堂)のようで、僧侶の姿も見えます。
 
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仏塔の頂上部には上から風見鶏、閉じた日傘、ハスの葉のツボミ、円錐下部には風鐸(ふうたく、鐘型の鈴)が傘状に広がり、その下には蓮弁(れんべん、ハスの花弁の文様)があるそうです。また、三層の方形基壇の上に釣鐘形の塔身(ドーム)が載る構造はミャンマー型パゴダの原型(典型)とのこと。注、スリランカから伝わった釣り鐘型(シンハラ式)を先住民族のピュー族が球根型に変え、ビルマ族が興したパガン王朝のアノヤータ王時代に洗練されたこの形式になった
 
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仏塔の周りに置かれた仏花装飾
 
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方形基壇の角にはライオン像と礼拝する場所があります。
 
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仏花装飾の基台の最上部が社(やしろ)を模(かたど)られており、その中に小さな黄金の仏像が祀られています。仏教を根付かせるために、下部にあるミャンマー土着のナッツ神(精霊)が上部の仏像を支える形で一緒に祀る形をとったのかもしれません。
 
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仏塔の反対側(裏手)に出ました。
 
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基台に設けられた階段の先に施錠された入口があります。
 
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ガイドさんにしたがって装飾の少ない建物に入ると、
 
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多くの如来像(坐像、ざぞう)が祀ってありました。ただし、賽銭箱(さいせんばこ)はあまり見当たりませんから、仏像の展示庫(ギャラリー)かもしれません。
 
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仏像は様々な印相(いんぞう、手と指の形)でメッセージを伝えています。インド系の顔立ちが多いことから、古い時代のものでしょう。
 
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左手にある菩薩(ぼさつ)または仏陀の弟子を表現したと思われる仏像(立像、りゅうぞう)と賽銭箱を見ながらミャンマーの伝統楽器、タィエイ(獣などの皮を使用した楽器)の一種であるドーバッを叩く男の子がいました。
 
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建物の外に出ました。作業用の梯子(はしご)が架けられた仏塔(右)と本尊(過去四仏)を祀る仏塔の四方にある仏堂(左)です。注、過去四仏は釈迦が現れる前にこの世に現れた7の仏(過去七仏)に含まれる四仏、燃灯仏をはじめとする24の過去仏を挙げる説もある
 
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これは東側の仏堂ですから、祀られているのは黄金のコーナーガマナ仏(倶那含牟尼仏、なごんむにぶつに、金の仙人を意味する仏陀の一人)のはずです
 

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先ほど見た礼拝堂には僧侶から熱心に仏話を聴く信者たちがいます。ガイドさんによれば、お教と同様、毎回同じような話を聞くそうですが、現代のビルマ語ではない(古いパーリ語と思われる)とのこと。私が子供のころ、日本のお寺(実家に近い大きな寺院)も日曜学校として似た信者(檀徒)と子供を対象にした集会を開いていたと記憶しています。注、言語はミャンマーごではなくビルマ語
 
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この後にも続くパヤー(仏塔)と寺院巡りに便利だろうと、参道脇の露店商から草履(ぞうり)を買い求めました。履いてみたあと、店主が手際よく鼻緒(はなお)を調整してくれました。40年前には単色のゴム草履(現代風にいえばビーサン)が一般的でしたが、現在は観光客向けでもあり、綺麗なデザインと畳のような感触は蒸し暑いミャンマーに合っているようです。ただし、あまり凝ったデザイン(布素材)の草履を買うと雨でお釈迦(おしゃか、駄目の意味)になることがあるそうです。
 
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シュエズィーゴォン・パヤーの周りを35分ほどをかけて時計回りに巡(めぐ)ったあと、次の目的地へ向かいました。ここで例によって投稿を小休止します。(続く)

2017年3月27日 (月)

40年ぶりのミャンマー訪問(その7) ニャンウー市場

ターミナル・ビルの手前の部分は天井が低い平屋建てでした。左手のドアが預けた荷物の搬入口で、乗客は右手の入り口からターミナルに入ります。ちなみに、国際空港として通関の機能はあるそうですが、現在、国際線の定期便は運行されていないようです。また、昨年(2016年)バガンを訪れた外国人観光客は約28万4000人、前年から急増(15%増)しているそうです。近年の政治的な安定が背景にあるのでしょう。
 
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機内に預けたスーツケースを待つ間にざっと確認すると、日本人観光客がほぼ半数を占めているようでした。手作業で行われるため、5分以上待たされました。写真はその奥にある天井の高い到着ロビーで、両替所が3-4店舗あるものの、無人の(営業していない)店舗が多く、観光ガイドと待ち合わせるためだけの殺風景なエリアです。
 
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ターミナル・ビルの正面は、ミャンマー風の装飾が施されていて、観光地の空港らしい雰囲気を演出しています。
 
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荷物をトヨタ車に積んでもらい、着陸して約15分後の午前9時10分にニャンウー村と新旧のバガン・エリアへ観光に出発しました。
 
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この車も右ハンドル、操作パネルなどの表示も日本語
 
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道端に遺跡と思われる小型の煉瓦積みを見かけました。
 
 
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バガン(Bagan)はミャンマー中央部のマンダレー地方にある上座部仏教寺院が林立する地域で、インドネシアのボロブドゥールとカンボジアのアンコールワットとともに、世界三大仏教遺跡のひとつとされます。イラワジ川中流域東岸の平野部にある11世紀から13世紀に建てられた仏教遺跡群(当時は数10万存在したともいわれる)が存在し、約40平方キロメートルにおよぶエリアに残る仏塔(パヤー、パゴダ)の数は2000以上ともいわれます。 

 

バガンはモン族(中国西部から東南アジアへ移住したモンゴロイド系の種族)の王朝を亡ぼしてミャンマーで最初の統一王朝となったビルマ族(チベットに住んでいたモンゴロイド系種族が南下してインド・アーリア人に属するロヒンギャ人と混血した種族)のパガン(Pagan)王朝が874年にパガンへ都を移しました。慣習により治世が変わるたびに遷都されましたが、パガンは宗教的な中心地として引き続き発展。1044年に王位に就いたアノヤター国王は周辺の民族や国々を制服して領土を拡大し、東南アジアで有数の王国となった「パガン王朝」は1287年にモンゴルの侵攻によって亡ぼされましたが、その重要な地位はその後も続きました。注、40年前にミャンマーのヤンゴンを訪れたころ、バカンはパガンと呼ばれていた 

 

バガン地区で最初に立ち寄ったのはバガン・ニャンウー空港から約3kmの距離(所要時間約10分)にあるニャンウー市場。ニャンウー村(ガイドさんによると人口2万人)はバガン・エリアにおける交通のターミナルであるとともに、バガン周辺の交易の中心的存在とのこと。この市場では衣料品や日用雑貨のほか、調味料、野菜・果物・肉・魚などの生鮮食料品を扱う店が多いそうです。バイクや小型トラックを利用して地域住民が集まるのだそうです。
 
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ガイドさんにしたがって市場の中に入りました。屋根と柱だけの建物がいくつもつながっているだけの簡素な施設です。売り子の呼び声が喧(かまび)しく、多数の買い物客と観光客でごった返していました。ミャンマー人の生活をしる参考として、いくつかの店先に並んでいた主な商品の写真を紹介します。

 

まず、ミャンマーを象徴する天然の化粧品(日焼け止めの効用も)である「タナカ」です。砥石(といし)を使ってタナカと呼ばれる木を磨り潰して採取した樹液を成人女性や子供たちが顔に塗ることがミャンマーの伝統的な習慣(文化)であり、現在も40年前とあまり変わっていません。ただし、ガイドさんなど一部の若い人たちはタナカ離れをしているとも聞きました。新しいことは、左半分に積み上げられた小皿のような形をした砥石(すり鉢)と共にタナカの固形石鹸とメーカー製のタナカ・ペイスト(右上の黄色いパッケージ)も併せて売られていることです。
 
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野菜類は日本のものとほぼ同じに見えます。
 
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衣料品店には鮮やかでカラフルな商品が豊富に展示されています。右手にはロンジなどを仕立てるための生地(きじ)も置かれていました。注、ロンジは男女ともが身に着ける巻きスカート、男女で巻き方(留め方)が異なる(詳しくはこちらを参照のこと)
 
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コメの量(はか)り売り
 
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トマト、唐辛子(とうがらし)、鶏肉
 
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ニンニク、玉ねぎ、イモ、香辛料(こうしんりょう)類
 
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切り花屋ではきれいな花が売られています。菊に似た花もあり、同行者は『クロアチアでも花屋で菊の花が売られていたわね!』 と昔(3年半前)のスプリット旧市街地トロギール旧市街地における思い出話を。
 
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骨董品(こっとうひん)屋には大小さまざまな仏像と
 
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タバコを吸う大きな煙管(きせる)などが並べられています。
 
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乾物屋には魚の干物と魚醤(魚類または魚介類に塩を加えて漬け込んで作る醤油)と同じ製法で作られた右ンガピ(味噌)も
 
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2棟が一体化した建物の反対側に出ました。市場には広めの通路を挟んでもう1棟(写真右)あり、その規模の大きさに驚かされます。注、帰国してから航空写真で確認すると、約100m四方の敷地内には、これら3棟のほかに、奥に向かって(右手方向に)細長い建物が数棟並んでいると思われる
 
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ガイドさんにしたがって、別の出入り口から同じ建物に戻ると、何度も見たミャンマー固有のバナナの房が吊るされていました。緑色が黄色くなるまでこの状態で保存されるのだそうです。
 
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これはもちろんココナツ(椰子の実)。通常、寺院への供え物とするため、長く伸びている枝が折れると商品価値が下がるそうです。よく見ると、添え木をしたものと長い棒に固定されたものがありました。
 
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豆類のようですが・・。
 
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ドラゴンフルーツ(別名:ピタヤ)はサボテンの果実です。ハワイのホテルでデザートとして食べ、ベトナムではバスで移動中にその果樹園を見かけたこりしたことがあります。その下にある黒い果実はアボカドのようです。
 
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20分ほど市場内を見て回ったあと、午前40分ごろに次の目的地へ向けて出発しました。(続く)

2017年3月26日 (日)

40年ぶりのミャンマー訪問(その6) ヤンゴンからパガンへ(後編)

午前7:15発AIR KBZK7 242便は、霧で機体の到着が遅れたため、15分遅れで出発。畿内はビジネス客と外国からの観光客でほぼ満席。バガン空港までは約500km、約1時間20分のフライトです。ちなみに、KBZは航空会社の他に銀行などを所有する企業グループ(コングロマリット)で、昔ミャンマー東部のシャン地域にあった国名にちなむ名前とのこと。窓の外には同じAIR KBZ社のプロペラ機が並んで駐機しています。
 

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誘導路をタクシーイングして主滑走路へ向かいます。
 
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離陸すると左手に国際線用のターミナル1(左)とターミナル2(中央右寄り)、そして右端に国内線用のターミナル3が少しだけ見えました。
 

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機首を北へ向けて、ヤンゴン川に沿って飛行しています。
 
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離陸して15分ほど経つと軽食が配られました。
   
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サンドイッチ、チョコレート、ケーキが入っていますが、朝食を済ませていた私は手を付けません。
 
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1時間後に外を見るとヤンゴン川の本流であるイラワジ(エーヤワディー)川を確認することができました。遠く西方にはベンガル湾沿いに南北に伸びるヤカイン州の山脈らしき山影を望むことができます。
 
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乾季であることから、眼下からは次第に緑が消えて、荒涼とした茶色の大地が広がりました。
 
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そして、イラワジ川の支流には水がありません。
 
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田畑の区画が確認できます。イラワジ川沿いの地方都市マグェを過ぎてバガン空港(バガン・ニャンウー空港)が近づくと、田畑は細かい区画となり、上空からも人々の営みが感じられます。
 
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飛行機は徐々に高度を避けて行きます。
 
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木立の姿を確認できる高さまで降下。左手(西方)に小さく見える高い建物(中央右寄り)はオウリウム・パレス・ホテルの入口にある高さ約60mのバガン・ビューイング・タワーのようです。残念なことに、このホテルがあるミン・ナン・トゥ村はバガン(パガン)遺跡の見学コースに入っていないようです。
 
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いよいよバガンのニャンウー空港に着陸します。ハワイのナライ島のラナイ空港(滑走路長1524m)によく似た(一回り大きくした)空港のようで、現代的なターミナルに変わったヤンゴン空港とは異なるミャンマー風のターミナル・ビルのようです。ターミナル・ビルの右端に管制塔があります。
 
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飛行機は主滑走路(長さ2591m)から誘導路を経ることなくエプロンに入りました。定刻より30分近く遅れたようです。
 
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(続く)

2017年3月25日 (土)

40年ぶりのミャンマー訪問(その5) ヤンゴンからバガンへ(前編)

夕食後にチェックインしたのはダウンダウンの北方、カンドーヂ(ロイヤル)湖畔にある5つ星リゾートのチャトリウム・ホテル・ロイヤル・レイク・ヤンゴン。元はホテル・ニッコー・ロイヤルレイク・ヤンゴン(1988年開業)だったそうです。2010年に日航が経営再建のためホテル事業から撤退したためでしょう。セキュリティをしっかり確保するため、正門では守衛による入場車両の目視確認が行われ、玄関前ではすべての手荷物がX線で検査されました。現地係員がフロントでチェックインを代行してくれます。
 
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ロビーに置かれたミャンマーの伝統楽器であるチョー(弦楽器)の一種サウン・ガウ(ビルマの竪琴、写真右)とワーパタラ(竹製の木琴、写真左)。いずれも王宮音楽・仏教音楽に使用されていたといわれるそうで、一般の人が演奏する楽器ではなかったそうです。
 
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わが家にある16弦のビルマの竪琴(たてごと)と形・大きさともほぼ同じですが、大きな違いはギター用とよく似た調律用のつまみ(ペグ)が付いていることです。わが家の竪琴にはこの便利な機能がなく、弦の先につながれた赤い紐(ひも)を弓なりに湾曲した棹(さお)に縛(しば)ってチューニングする古い(伝統的な)タイプのため、素人の私には調律(調弦)することができません。ちなみに、ビルマの伝統音楽は中国の影響を受けた日本の伝統音楽と同様、すべてペンタトニック・スケール(オクターブが5音階で構成)だそうです。つまり、長音階(メジャースケール)でオクターブを構成する7音階から2音を抜いた5音階。ただし、厳密には西洋音楽的ペンタトニックスケールではないと思いますが。
 
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鐘と思われるものも飾られています。左手にある黒いものの形はロータリーに設置された金色のオブジェを逆さまにしたようです。
 
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こちらはパヤー(パゴダ)のミニチュア模型でしょう。
 
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ロビーの1階下、グランドフロア(地階)にはカフェテリアがあります。ミャンマーの王宮を模(かたど)ったと思われるオブジェの中にあの形をした陶磁器が置かれていることを発見しました。ちなみに、建物の階の表示法はイギリス方式です。
 
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この日の部屋は十分に広く最上階(9階)に近い7階にあるのは良いのですが、上級クラスの部屋ではないため、湖とは反対側に面しており、お世辞にも美しい眺望とはいえません。ちなみに、シュエダゴン・パヤーまで約1.5kmと近いこともこのホテルの魅力のひとつかもしれません。ただし、酷暑の炎天下を歩く観光客がいるとは思われませんが・・。そして、このホテルには日本料理店「琥珀(こはく)」があります。
 
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部屋に用意されていたウエルカム・フルーツ。モンキーバナナより少し大きくずんぐりした形のバナナと青いリンゴはいずれもミャンマー固有の品種のようです。
   
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翌朝は午前5:30にホテルを出発して、午前7:15発の便で上座部仏教(昔は小乗仏教と呼ばれた)の聖地であるバガンへ移動するため、NHKワールド(テレビ番組)を観ることと客室Wi-Fi(無料)によるインターネット接続サービスの利用はほどほどにして、早目に就寝しました。残念ですが、早朝の散歩もマンダレーからこのホテルに戻ってからにすることにしました。

 

翌日は午前4時前に早起きし、シャワーを浴び、身の回りの品を確認して、午前5時20分までにチェックアウトを済ませて、ロビーで待つ現地係員と合流。実はミャンマー国内の全旅程を私たち二人に同行してくれるガイドさんでもあることが分かりました。すべてお任せの気楽な旅行が出来そうです。早朝の出発であるため朝食はホテルが用意してくれた軽食ボックスを空港まで持参することに。写真はフロントがあるロビーフロアへ向かう時に通り抜けた7階のロビーです。あの形をした黒いもの(写真の左下)を見つけました。
 
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前日と同じ運転手はスムーズな運転で安心感があり、早朝(日の出前)で交通量が少ないため30分後の午前6時10分前にヤンゴン空港のターミナル3(国内線専用)に到着。昨年12月にオープンしたばかりの真新しい建物は、国際線用ターミナル1と統一感を持たせた設計になっているようです。
 
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ターミナル3の1階にはチェックインカウンターが並んでいました。左端にセキュリティチェックが少し写り込んでしまいましたが、ボディチャックも入念(二重)に行われます。
 
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2階の出発ロビーへ移動して搭乗時間までホテルで準備してもらった軽食ボックスを取り出しました。またまた、40年前に始めてミャンマー(旧ビルマ)を訪れた時、タイのドンムアン空港を発ったミャンマー航空の機内で出された軽食(パン、クッキー、ソフトドリンク)が質素であることに驚いたことを思い出しました。
 
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蓋(ふた)を開けてみると、隔世の感を覚えました。決して豪華とはいえませんが、内容は日本のコンビニでも売っているようなものばかりです。同行者は娘のように若いガイドさんとの話に花を咲かせていました。
 
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ちなみに、女性のガイドさんは29歳、流暢(りゅうちょう)な日本語を話しますから、ミャンマーに居ることを意識させません。お寺の学校で日本に長期滞在したことがあるミャンマー人から日本語を習ったそうです。ヤンゴンのダウンタウンから車で1時間ほどの郊外の町に両親と住み、3年前に始めた観光ガイドの仕事が入った時はヤンゴン市内のシェアハウスに宿泊するとのこと。

 

外の様子を見ようとターミナル3の左端に移動すると、何機ものプロペラ飛行機が駐機していました。霧が出ているようで、フライトの遅れが気になります。
 
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定刻になると突然アナウンスがあり、構内バスに乗りました。幸いなことに霧はすっかり晴れています。写真はミャンマー・ナショナル・エアウェイズのプロペラ旅客機。
 
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こちらはミャンマー・ナショナル・エアウェイズのジェット旅客機ボーイング737-800
 
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こちらのプロペラ機が我われの搭乗するAIR KBZK7 242便、機体はフランスとイタリアの航空機メーカーの合弁会社であるATR社製のターボプロップ双発旅客機ATR 72-500(あるいは72-600)。3年前にハワイのホノルル空港から離島のラナイ島にあるラナイ空港まで乗っで乗ったプロペラ機もATR社製だったと思います。注、ターボプロップ・エンジンは、ガスタービン・エンジンの一形態で、エネルギーのほぼすべてをプロペラの回転に利用する方式。戦後において国産初(国内での運用期間1965-2006年)の旅客機となったYS-11も採用したエンジン。
 
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後部ドアから乗り込むスタイルになっています。ちなみに、前部にあるドアは荷物の搬入口になっているようです。
 
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同行者も窮屈なタラップを上がります。
 
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(続く)

2017年3月24日 (金)

40年ぶりのミャンマー訪問(その4) ヤンゴン空港からダウンタウンへ

機内からボーディングブリッジに出ると直ちに熱波が体に伝わりました。午後4時過ぎとはいってもまだ最高気温からあまり下がっておらず、外気温は35度以上あるのは確かなようです。11番ゲートとの間にあるエスカレーターを利用して1階にある入国審査場(Imigration)へ下りると、ミャンマー国籍、ASEAN国籍、その他外国人(Foreigners)、外交官(Diplomat)の4種類に分けられたカウンターが並んでいました。

 

入国審査はパスポートとビザの確認はもちろん、カメラの映像による顔認証チェックを行う別の場所にいると思われる係官と音声連絡を取り合うという念の入れ方で、一人当たりの所用時間は一般的な国の入国審査の2倍以上とかなり長いものでした。ただし、到着する便数がそれほど多くないため、入国審査を待つ人がカウンター前のエリアに溢(あふ)れることはありません。

 

また、預けた荷物が引き取り所に出てくるペースも遅く、こちらの方がネックと思われます。ちなみに、ビジネス目的で訪れる人にだけ対応するアライバルビザのカウンターは左後方(ガラスで隔てられた出国チェックインカウンターエリア寄りにありました。

 

40年前にこの空港に初めて到着したのはバンコクのドンムアン空港を経由したため、入国手続きを終えてターミナルビルを出た時には、日はとっぷり暮れていました。暗闇の中、大人や子供たちの手が四方から私のスーツケースに伸びて奪い合いに! チップを貰いたいのです。その人混みを必死に掻(か)き分けて、なんとか出迎えの人を見つけた時には正に地獄で仏に会った思いでした。今回は荷物引き取りエリアを出たところで旅行会社の現地係官員が出迎えてくれました。

 

最初にすることはドル紙幣をミャンマーの通貨であるチャット(Kyat)に交換することです。近くにあったミャンマーの大手商業銀行であるMAB(Myanma Apex Bank)の窓口を利用することに。ミャンマーならではのユニークなルールに驚かされました。交換レートを表示するパネルを見ると、US$をチャットに交換する場合にはドル紙幣の額面に応じて3種類のレートがあるのです。100ドル札と50ドル札はもっとも有利なレートになっていますから、日本を出国する際にチャットへ交換する金額分についてはドル高額紙幣を入手するとよいでしょう。
 
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ちなみに、市中で米国ドルが普通に流通するベトナムほどではありませんが。外国人観光客が立ち寄るホテル・レストラン・土産物店などでは米国ドルを使用することができるそうです。また、通常流通しているチャット通貨(紙幣だけ)は50チャットから1万チャットまで7種類あります。
 
 

ターミナル1から出るとそこは成田空港と変わらない現代的な世界がありました。40年前の空港ターミナルの面影はどこにも見当たりません。
 
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ターミナル1の3階にあるショップ・レストラン街から連絡通路が駐車スペースの先まで伸びています。
 
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現地係員が携帯電話で連絡すると、比較的新しい日本車(トヨタ・クラウン)が現れました。この車に乗って約15km離れたダウンダウン方面に向かうようです。渋滞がなければ45分ほどとのこと。道順から考えればホテルにチェックインするのが先のはずですが、夕方になるとレストランがあるダウンダウンで渋滞が発生するため、先にレストランに立ち寄ることになりました。
 
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ちなみに、ミャンマーは他のアジア諸国(タイ、インドネシア、ベトナムなど)と同様、4Gサービスを含む携帯電話(SIMカード)が人口とほぼ同じ数までこの2年間で約10倍へ急増加ています。つまり、人口普及率は100%と日本と変わらないのです。携帯電話の会社別シェアは、国営のMPT(郵電公社)のシェアが約5割、ノルウェーのテレノール社が約3割、カタールのウーレドゥー社が2割弱。
 
 

ヤンゴンのダウンタウンへ向かう道路(U.Wisara Rd./ウー・ウィサラ通り)を南下。“WELCOME“ および「ビルマ語で歓迎を意味する言葉」が植栽文字で表示されている場所に差し掛かりました。現地係員に尋(たず)ねるとヤンゴン地区で最大のインヤ湖であるとの答えが返ってきました。40年前に訪れた時、インヤ・レイク・ホテルに立ち寄ったことを思い出します。ロシア(当時のソ連)の援助で建てられた湖畔の高級ホテル(主に外国人向け)で、現在はインヤ・レイク・リゾート・ヤンゴンの名称に変わっているそうです。注、言語はミャンマー語ではなくビルマ語、ミャンマーはビルマ族以外の独自言語を持つ民族を含む国名
 
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余談です。上の写真でも分かりますが車両は道路の右側を通行しています。戦前はイギリスの植民地であったことから車両は左側通行でしたが、1970年に旧宗主国イギリスの名残(なご)りを消そうと当時のネ・ウィン政権が右側通行に変更したそうです。ただし、経済的な鎖国や欧米諸国による経済制裁が長年続いたため、日本の自動車に対する人気が高く(シェア90%ともいわれ、その大半が中古車)、右ハンドルの車(日本車)が多数走っています。隣国のタイ(日本と同じ左側通行)から輸入したものかと思いましたが、調べると日本から直接送られた中古車とのことです。特に、バスやトラックは車体に日本企業の社名などが掛かれたものを多く見かけました。事実、我々が乗車する車(トヨタ・クラウン)も右ハンドルなのです。注、輸入する新車は左ハンドルのみが販売可

 

ヤンゴン大学脇を過ぎた巨大なロータリーの中央にパゴダに似た奇妙なオブジェを見つけました。これについても現地係員に尋(たず)ねましたが、その説明は後日の訪問先の項でしたいと思います。
 
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市民公園People’s Park)の中を抜ける道路(U Wisara Rd.、注、イギリス統治に抵抗したミャンマの高僧に由来する名称)からシングッダヤの丘に建つシュエダゴン・パヤー(Shwedagon Paya)を望むことができました。ヤンゴンを代表する信仰の地であり、観光地でもあります。注、シュエは金、ダゴンはヤンゴンの古い地名、パヤーはパゴダ(仏塔の英語表現)を意味するミャンマー語
 
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ミャンマー国鉄の鉄道線路を越える陸橋(跨線橋、こせんきょう)の先にある交差点でボーヂョーアウンサン通り(Bogyoke Aung San Rd.)へ左折して200m近く東進すると、ボーヂョーアウンサン・マーケットの前に出ました。ヤンゴンで最大かつ最もにぎやかなマーケットだそうです。ちなみに、ボーヂョーアウンサンはイギリスからの独立運動を主導したミャンマーの英雄アウンサン将軍の名前に由来し、アウンサン・スーチー氏の父親でもあります。
 
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さらに300m余り先、ボーヂョーアウンサン通りとスーレー・パヤー通りが交わる交差点の南東角にあるオフィスビルのサクラ・タワー(1999年完成)に午後5時半頃到着。日本企業が建てたこの高層ビルにはホンダや日本航空など日系企業が多数入居しているようです。
 
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最上階(20階)にある展望レストラン「ティリピサヤズ・スカイ・ビストロ」でビルマ料理を味わう予定です。注、このレストランでは洋食と和食も提供される トリップアドバイザーによるとヤンゴンのレストラン620軒中61位にランキングされています。ちなみに、左手の女性は今回の旅行でお世話になった現地係員。店内は日本人などの観光客とビジネス客が多いためか高級感があり、何と言っても北方向と南方向の眺望(ちょうぼう)がすばらしいのです。
 
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40年前の思い出に浸(ひた)ろうと、ヤンゴン(旧ラングーン)に長期滞在していた時、毎日のように飲んでいたマンダレービール(1886年創業、国軍系企業の製品、キリンビールが買収することを発表)を注文しましたが置いていないとのこと。現地係員の説明では現在のヤンゴンにはマンダレービールを置く店はほとんどないとのこと。代わりに人気があるというミャンマービール(現地製造をするハイネケンが20年前に撤退したことで同じ産業省系企業として発足、市場シェア約80%、昨年キリンビールが買収)を勧められました。マンダレービールは2日後にマンダレーを訪れるまでのお預けのようです! 日本風に冷やされたミャンマービールは味も日本のビールに似ており、ドイツの品評会で受賞するなどミャンマービールの品質は高く評価されているそうです。2杯目は無料でサービスされました。
 
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ボーヂョーアウンサン通りに面した窓際の席から北方にあるシュエダゴン・パヤーを望むことできます。木々が生い茂った丘の上にあるここと、周辺に高い建物を建てることが規制されているため西日に輝く黄金の仏塔が神々しい。
 
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配膳を待つ間、南側に広がるダウンタウン(旧市街地)も見てみたくなりました。その中心であるスーレー・パヤーSule Paya、注、スーレーは南方仏教聖典に使われたパーリ語で聖髪を意味する)を写真の中央やや右寄りに、そしてヤンゴン川にあるパンソダン埠頭(ふとう)付近にあるイギリス統治下に建てられた建物群を左手に入れて撮影。右端の建物は40年前にはなかったホテル「スーレー・シャングリ・ラ ヤンゴン」(22階建て)。シャングリラ系の中級ホテル「トレーダーズ・ヤンゴン」が2013年に改装されて、名称も格上げされたようです。
 
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旧市街地はスーレー・パヤー通りとマハバンドゥーラ通りが交差するロータリーにあるスーレー・パヤーが都市計画の中心地になっています。その左後方には独立記念塔(写真左端)があるマハバンドゥーラ公園と昨年オープンしたヤンゴン証券取引所(木立に囲まれた建物)。右後方にはAGD銀行(アジアグリーンデベロップメント銀行)と最近建てられたと思われる高層ビルが並んでいます。また、スーレー・パヤー通りがヤンゴン川に行き当る場所にある茶色の建物は貨物倉庫のようです。注、旧市街地が碁盤(ごばん)の目状に整備されたことが航空写真でよく確認できる
 
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ヤンゴン川沿いに左手方向へ視線を移すと、見覚えのある尖塔(せんとう)や丸いドーム状の屋根など、古い様式の建物が残されていました。イギリス統治時代の建物が多く残るエリアです。40年前に定宿としたストランド・ホテルもこの一角(尖塔がある建物の左手)にあるはずです。
 
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ミャンマー料理が配膳されました。手前はスープにも見えるミャンマー風カレー「ヒン」とライス、その後方には右手前から反時計回りに、揚げた魚肉のカレー味煮込み料理、海老とイカなどの海鮮料理、野菜サラダがそれぞれ大皿に盛られています。野菜サラダの手前にある小皿にはお好みに応じて振り掛けるものが入っています。ちなみに、ミャンマーの習慣ではこのように大皿や鍋で配膳された料理を各自が取り分けて食べるのが一般的なのだそうです。味はややピリ辛ですが日本人の口にも抵抗なく合うものです。ただし、量が多いため食べきれませんでした。
 
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これは「ラペットゥ」。小皿に取り分けて好きなものを好きなようにブレンドしてそのまま、あるいはお茶漬けにして食べるようで、ミャンマーのスナックあるいはフリカケといえるでしょう。中央の緑色のものは発酵させたお茶。「ラペットゥ」の名前の由来はラぺ(茶の葉)を混ぜた(トゥ)と単純です。
 
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レストランに立ち寄ることを優先した現地係員の判断は正しく、午後6時が近づくとボーヂョーアウンサン通りで大渋滞が発生している様子が見て取れました。道路の右側には丸いドーム屋根があるボーヂョーアウンサン・マーケットと聖三位一体大聖堂Holy Trinity Cathedral Church、イギリスによる植民地化が完了/インド帝国へ編入された1886年の創立)が見えます。ちなみに、国民の約9割が上座部仏教徒であるミャンマーで2番目に多いのがキリスト教徒だそうです。
 
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デザートはコーヒーまたは紅茶と餅米(もちごめ)ケーキです。満腹になった私は紅茶だけをいただきました。
 
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薄暮(はくぼ)になった午後6時30分ころ、先ほどまで夕日を浴びて黄金に輝いていたシュエダゴン・パヤーでライトアップが始まりました。夜の黄金仏塔は期待通りの幻想的な雰囲気に包まれています。
 
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(続く)

2017年3月23日 (木)

40年ぶりのミャンマー訪問(その3) 機内映画「ラ・ラ・ランド」を観ながらヤンゴン空港へ

12時50分ころ、飛行機は高度9100mで鹿児島県の屋久島上空(やや西寄り)を通過しました
 
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昼食のあとは入国カードに記入しながら、座席のスクリーンで話題のアメリカ映画「ラ・ラ・ランド(LA LA LAND)」(2016年作品、127分)を観て楽しむことにしました。アカデミー賞では13部門で14ノミネートされて前評判が高かったものの、結果は主演女優賞をはじめ、撮影賞・作曲賞など最多6部門で受賞しました。変わった題名は、”LA"つまりカリフォルニア州ロサンゼルスが舞台であることを意味するとともに、「おとぎの国」(ハリウッド)を指すようです。ネタバレがありますから、嫌な人は以下のあらすじを読み飛ばして下さい。
 
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[あらすじ]  渋滞する高速道路(空港から市内へ向かうフリーウェイ)のシーンで始まった。車から降りた大勢の若者が車の周りで踊りはじめるシーンは半世紀前の映画「ウエストサイド・ストーリー」を真似たよう。映画のタイトル”LA LA LAND”が表示されると元の大渋滞シーンにもどる。

 

まず、渋滞にイライラする男性、ついで近くの社内で書類を確認する女性がいる。売れない男性ジャズピア二ストのセバスチャンと女優志望の若い女性ミアだ。そして車の窓越しに一瞬だけ視線があった二人は偶然にも再会して知り合うことに。舞台はロスアンゼルス。男性が弾くピアノはもちろんアメリカが誇るスタインウエイ・アンド・サンズ製。

 

若い女性は青春ドラマのオーディションに参加できることになるものの、台詞(せりふ)を一言いっただけであっけなく不合格。春が訪れたころ、丘の上(グリフィス公園)で女性の車(プリウス)を探しながらの二人のシーン(歌とダンス)はその後の展開を期待させる。映画撮影所(ワーナー・ブラザーズ・スタジオ)のカフェでアルバイトをする女性に映画スタジオ内を案内される男性。ジャズバーと映画館でのデートで二人は熱く語りあい、夢を追う二人はやがて互いに惹(ひ)かれ合う。博物館のプラネタリウムでは星空の中で踊る二人。夏が訪れた。愛し合う二人は一緒に暮らしながらデートで音楽とダンスを楽しむ。そして、男性ジャズピア二ストが参加するバンドの舞台を観る若い女性の輝く顔をアップ。

 

秋が訪れた。ツアー公演を続ける男性との突然の再会に驚く女性。しかし、夢を巡(めぐ)って二人は言い争いになる。そして、男性は自らの劣等感から言ってはいけない言葉を女性にぶつけてしまう。レコード針がクリック音で曲の終わりを告げ(注、古い演出)、台所のオーブンからけたたましい警報音とともにモウモウと煙が出るカットは通俗的すぎる?!   深く傷ついた女性にさらなる困難が待ち受けていた。順調に進み始めたかと思われた女優への道にも試練が訪れたのだ。これに追い詰められた女性は、女優を目指す理由は単なる女優への憧れであり、毎回つまらない理由で駄目になると気落ちする。ミアは男性に別れを告げ津る。

 

それでも、何とか償(つぐな)おうとするセバスチャンの紹介でオーディションに挑戦するミア。それまでの拘(こだわ)りが吹っ切れたミアは自然体の演技(台詞と歌)が認められて・・。古い映画「フラッシュダンス」を想起させるシーンだ。男性も街に留まって好きな音楽を追求しながら店(ジャズハウス)を経営することを決心する。

 

冬が訪れ、そして5年後。ミアと新しい男性が小さな男の子と暮らすシーンが登場し、街頭に貼られたミアの主演映画のポスターがさりげなく写る。冒頭シーンと同様、大渋滞のシーン。夫と思われる男性と一緒にジャズハウスに立ち寄ったミアは店名の”SEB's” を見て驚く。それは以前彼女がセバスチャンに提案した店名だったからだ。

 

店内には好きなジャズピアノを弾く5年前に別れた男性、セバスチャンが。そして、ミアとセバスチャンは(冒頭で偶然出会ったシーンの続きとして)突然熱いキスを交わしたあと、絵本のようにカラフルな世界で楽しく踊る。窓の外には夜景が・・。二人のシルエットとダンスシーン、ジャズ音楽(トランペット演奏)、絵本の中に居るような二人のダンス。セバスチャンとミア、そして二人の子供は、すべては現実ではなく、パラレルワールドでの出来事(あるいは夢想)なのだ。夫とともに席を立つミアは、セバスチャンと一瞬だけ見つめ合って、微(かす)かながら思いの籠(こも)った微笑みを交歓してエンドロールに移ります。

 

[鑑賞後のコメント]  ミュージカル映画にしては「サウンンド・オブ・ミュージック」のように美しい音楽と歌が少なく、ダンスも「ウエストサイド・ストーリー」と較べて中途半端。主演の男優と女優は、決して美男と美女ではなく、どこにでもいる平凡な人間です。アカデミー賞が確実と前評判が高かった作品ですが、シーンとストーリーが交錯して難解なエンディングは賛否両論があると思われます。映画「2001年宇宙の旅」のように消化不良気味です。窓を開けると眼下には雲海が広がっていました。
 
                              ☆

 

さらに1時間が過ぎ(成田空港を出発して3時間半)、台湾の東を通過するころには雲海はほとんどなくなりました。真対気速度859km/h、対地速度857km/h、高度10,363m、外気温-41.0C。中国の海南(ハイナン)島の南からベトナムのダナン上空を通過し、そこから徐々に西へと方位を変えてラオスの上空を通過、タイ最東部のウボン(ウボン・ラチャタニ)上空を経たあとはわずかに北寄りの方位に転じ、コンケンでほぼ真西の方位に戻し、ピッサヌロークからヤンゴンへ向かいました。雲海が立ち込めていて、地上の様子を見ることができないため、機内映画をもう一作品観ることにしました。
 
                              ☆
 
題名にインパクトがある邦画「ボクの妻と結婚してください。」(2016年公開)は余命が6ヶ月と宣告されたバラエティ番組の放送作家の主人公が自分の死後に残される妻と小さな息子が笑顔でいられるのために妻の再婚相手を探すという奇想天外な人生最後の企画を実行しようとする話。私には可もなく不可もない(織田雄二ファンにはたまらないと思われる)作品でした。第三者から見て理想的な組み合わせと思われる男女が結ばれない結末は、意外性があるようでいて実は良くある成り行きであり、妻役の吉田羊さんとと再婚の候補者である原田泰造さんが好演をしたことが印象に残りました。つまり、吉田羊さんの夫への余りある愛情表現と原田泰造さんの飄々(ひょうひょう)とした演技に好感を持ったのです。注、樋口卓治氏の原作(2012年発刊)、内村光良主演で2014に舞台化と2015年にテレビドラマ化されている
 
                              ☆

 

国境付近にあるタノントンチャイ山脈/メーピン国立公園(Mae Ping National Park)を越えてミャンマーに入ると、眼下に巨大な川が現れました。サルウィン川(長さ2,815km))です。
 
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ミャンマーの主要河川であるシッタン川(全長500km)が注(そそ)ぐマルタバン(モッタマ)湾に差し掛かりました。ラッパ状の河口では土砂の堆積が進んでおり、船舶の航行はほとんどできないそうです。
 
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モッタマ湾横断した
飛行機は旋回しながら徐々に高度を下げます。
 
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ヤンゴン川の河口付近には広大なデルタ地帯(湿地帯と整備された田圃)が広がります。ちなみに、ミャンマーの三大河川は、支流チンドウィン 川を含むイラワジ(エーヤワディー)川、シッタン川、サルウィン川とのこと。注、ヤンゴン川はイラワジ川の分流
 
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ヤンゴン周辺に約20か所あるとされる工業団地のひとつ“Shwe Lin Ban Industrial Zone”には日系企業の工場もあるそうです。
 
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よく整備されたゴルフ場“YCDC Golf Couse”(1994年オープン)は池を活かしたコース設計になっているようです。
 
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いよいよヤンゴン空港(正式名称:ヤンゴン国際空港、所在地の地名から)に着陸します。ちなみに、成田空港からヤンゴン空港までの飛行距離は約5330km。この軍民共用の飛行場には滑走路が1本だけしかありませんが、長さ3,414m、幅61mですから、ほとんどの大型旅客機が十分発着することができそうです。
 
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フラップを上下に全開して急減速するころにはヤンゴン空港のターミナルが見えてきました。昔のままと思われる管制塔の右手にあるのは国際線の飛行機が発着する第一ターミナルです。昨年3月に完成し、夏ごろまでには多くの航空会社が利用できるようになったそうです。
 
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主滑走路から誘導路でエプロンへ向かいます。左手に主滑走路、右手(主翼の辺り)に主滑走路と平行する誘導路が確認できます。
 
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国際線用第一ターミナルの全景です。40年前のエキゾチックな小さなターミナルビルからは想像できない現代的で大きなターミナルビル(3階建)です。写真には写っていませんが、その右隣には第二ターミナル(2007年に完成した国際線用ターミナルで現在も使用中)と昨年12月に完成したばかりの国内線用ターミナルが並んでいます。40年前に訪れた時にはビルマ(ミャンマー)の寺院を模した小さなターミナル(50年近く前に完成、2007年から国内線専用)があったと記憶しています。ターミナル1の右脇ではその旧国内線用ターミナルの基礎部を取り壊す作業がまだ行われています。ちなみに、駐機する“MAI”と表示された飛行機はミャンマー国際航空(Myanmar Airways International)の近・中距離向け旅客機(エアバスA320、座席数150-180)。
 
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全日空NH0813便はシンガポールの子会社で地域航空会社の”SILK AIR”の隣(ターミナル1の右端)にある14番ボーディングブリッジ付近に停止しました。
 
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余談です。ミャンマーの巨大財閥であるアジア・ワールド・グループによって拡張工事が昨年完成したヤンゴン空港は従来の年間270万人の2倍以上となる年間600万人の旅客に対応できるよう設計されているそうですが、2022年には急増する需要がその許容量に達すると予測されるため、ヤンゴンの北東約70kmにあるパゴー地域に年間1200万人の受け入れ能力がある大型の新空港がシンガポールと日本の企業連合(JV)によって2022年までに建設される予定とのこと。(続く)

2017年3月22日 (水)

40年ぶりのミャンマー訪問(その2) 成田空港を出発

出発25分前の10時35分に搭乗の案内がありました。いつもの習いとして、短時間で機内へ入れるよう、人の列が短くなってから最後尾に並ぶようにしています。
 
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中型双発旅客機のボーイング767-300(座席数は214、巡航速度870km/h、航続距離9,700km)はほぼ満席(CAさんによると空きは約30席)です。この機種には空気抵抗を減らすウィングレットと呼ばれる垂直翼が主翼の先端についています。全日空(エアージャパン)はこの機種を大量に使用していますが、初期のものは導入して20年が経過するため新鋭機のボーイング787などに置き換えられつつあるようです。ちなみに、ビジネス席は横5列で余裕がある一方、エコノミー席は横7列でやや手狭な印象があります。主翼脇の座席を割り当てられることが多いのですが、今回は少し後ろの主翼を外れた場所ですから、窓越しの視界が良いと期待されます。ただし、エンジン音は?!
 
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ちなみに、隣に駐機するのはワイドボディで航続距離が長い双発旅客機ボーイング777-300ERのようです。

 

各座席にはUSB端子(入力用)が装備されデジカメやスマホの充電ができ、機内Wi-FiOnAir(有料)も提供されていました。USB端子(写真右)の左隣にある見慣れないコネクタはドック接続するiOS機器との接続用と思われます。
 
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最新鋭機のボーイング787がエプロンから先に出て行きます。
 
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離陸後の飛行時間は7時間19分の予定であるとのアナウンスと機内の安全についての注意があって定刻の午前11時ちょうどにターミナルを離れました。
 
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誘導路は飛行機が列をなして、ちょっとした渋滞が発生中
 
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エヤ-カーゴの駐機場脇を通過
 
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A滑走路を離陸したのは11時20分過ぎでした。
 
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東関東自動車道成田JCTの上空を通過し、
 
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印旛沼の手前で旋回し、
 
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成田空港の上空に戻りました。
 
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そして、成田空港の南西約10kmにある酒々井(しすい)プレミアム・アウトレットが眼下に現れたと思えば、
 
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あっという間に東京湾を横切って三浦半島に差し掛かりました。
 
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12時40分ころに昼食のサービスがありました。私は「鶏の唐揚げと彩り野菜弁当」を、同行者は「シーフードのトマト煮バジル風味」を選択。
 
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いずれも美味しく食べましたが、量が多めで、少し残してしまいました。(続く)。

2017年3月21日 (火)

40年ぶりのミャンマー訪問(その1) 成田空港でのチェックインと出国手続き

京成電鉄のアクセス特急は押上駅を出てちょうど1時間で成田空港成田第一ターミナル駅(地下1階)に到着。
 
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地下駅からエスカレーターを乗り継ぎ、第一ターミナル南ウイング4階にある航空会社のカウンターでチェックイン。
 
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Eチケットがありますから、手荷物カウンターでの手続きは簡単です。パスポートの写真との照合とミャンマーの観光ビザがあるかどうかの確認があるだけで、搭乗券と手荷物の預かり証を受け取りました。預けた荷物はいつも通りに普通サイズのスーツケースが一つだけで、もう一つは機内に持ち込むファスナータイプのキャリーケースです。後者は冬用の防寒着などが入っているだけで極めて軽いのです。1年前にベトナムへ旅行した際に預けたこのキャリーバッグがあまりにも軽かったためか、チェックで引っかかって(検査対象になって)待たされたことに懲りて機内持ち込みとすることにしています。
 
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出発まで2時間あまりもあるため、5階の展望デッキで時間を潰すことにしました。AIRPORT MALL内にあるエスカレーターでの4階から5階へ上がりました。ちなみに、写真に写るエスカレーターの先には喫煙所があるだけでしたが・・。
 
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展望デッキは風が強いため、キャリーケースから防寒着を取り出して着用しました。機内持ち込みにしたこと小回りが利きます。
 
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ターミナル1の南ウイングは全日空が大半の発着ゲートを使用していますが、それ以外には長い歴史を持つアメリカの三大航空会社のひとつであるデルタ航空(Delta Air Lines)、メキシコ最大の航空会社であるアエロメヒコ航空(Aeromexico、正式名称:AEROVIAS DE MEXICO)、ベトナム航空(VietnamAirlines)の機体が駐機しています。ちなみに、そのほかには韓国のアシアナ航空、エア・カナダ、エアージャパン、シンガポール航空、スカンジナビア航空、ニュージーランド航空、ルフトハンザドイツ航空などが発着ゲートを使用しています。
 
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A滑走路の脇には植栽(しょくさい)でNARITAと描かれています。
 
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ベトナム航空のボーイング787機が離陸します。午前9時35分の時間から判断して、午前9時30分発のVN301便(ホーチミン行)と思われます。
 
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多数の監視カメラ
 
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新旧2つの管制塔も見えます。新しい管制塔(写真左、高さ約87m)はA滑走路(2012年に長さ4000mへ延伸)、B滑走路(2009年に長さ2500mへ延伸)、C滑走路(横風用、長さ3200m、計画中止して誘導路として使用)を含む空港全体の視認性を確保するため1993年に完成。一方、成田空港が開港する直前の1978年3月に建設反対の過激派による占拠事件があった初代の管制塔(写真右、高さ約64m)は、新管制塔が完成してからは駐機場にある飛行機をコントロールするランプコントロールタワーとして使われてきましたが、老朽化したため、今夏から建設が始まる新タワーが完成する2018年に撤去されるそうです。
 
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午前9時40分近くに4階へ下りると出発ロビーの表示パネルに午前11時発のヤンゴン行NH813は定刻通りに出発することと搭乗ゲート55番へ向かうように表示されていますので、セキュリティチェックへ向かうことにしました。
 
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セキュリティチャックを抜けた4階ロビーから見える機体のほとんどは全日空機
 
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その中にLOTポーランド航空機(右端)が一機だけ駐機しています。ちなみに、“LOT”はポーランド語で航空(Flight)を意味するそうです。
 
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 エスカレーターで3階にある出国審査場へ向かいました。
 
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3階の搭乗ゲート55番に到着
 
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 この日に利用するのは全日空のNH0813便(子会社エアージャパンのNQ0813とコードシェア)です。
 
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(続く)

2017年3月17日 (金)

40年ぶりのミャンマー訪問: 「ミャンマーのビザ取得方法」

ビザの申請と取得は個人(自分)でもできますが、旅行代理店などが手続きを代行してくれます。自分で申請するのが面倒だと思う方は、ビザ料金のほかにサポート料(代行手数料)が一人当り3,000-8,000円掛かりますが、業者に依頼すると良いでしょう。以下は、自分でやってみたい方の参考として、私が実践した大使館に出向いて取得する方法と、大使館に出向くことが困難な方に便利な自宅からインターネット経由で取得する"e-Visa"についての手続き方法をできるだけ詳細にまとめたものです。

 

1. 大使館に出向いて申請・取得する方法(東京の大使館または大阪にあるミャンマー大使館公認ビザセンターの窓口を利用、郵送申請も可)

 

まず、日本にあるミャンマー大使館のホームページ(英文)にアクセスします。

 

 左欄の”Visa Information and Visa Form Download”をクリックして表示された一覧表の中から2項のTourist Visa(観光ビザ)について表の右端にある”Download”の中から”MS-Excel”あるいは”PDF”を好みに応じて選択(クリック)して様式(Form)をダウンロードします。あわせて、”SAMPLE”もダウンロードすると、申請書に記入する際の参考になります。

 

 Name in fullin Block letters)     姓名(アルファベットの大文字)

2 Father’s Name in full             父親の姓名(同上)

3 Nationality                   国籍 JAPANESE

4 Sex                      性別 MALEまたはFEMALE

5 Date of birth 生年月日           例、2 Jan 1950

6 Place of birth                 出生地 JAPAN

7 Occupation                  職業 例、OFFICE WORKER

  あるいは主婦 HOUSE WIFE

   8 Personal description

(a) Color of hair 髪の色            BLACK

(b) Height                身長   165 CM

(c) Colour of eyes           目の色 BLACK

(d) Complexion             肌の色 YELLOW

  9 Passport

(a) Number               パスポート番号

(b) Date of Issue            発行年月日 例、 1 JAN 2000

(c) Place Issue               発行地 TOKYO JAPAN

(d) Issuing authority           発行機関   MOFA(外務省)

(e)  Date of expiry           有効期間満了日 例、 1 JAN 2010 


  10 Present address in Japan          現住所
   

   11 Permanent Address            本籍地
 

   12 Contact Phone Number         電話番号 e-mail address (未記入可)
   

   13 Address in Myanmar           ミャンマーでの滞在先 XXX HOTEL
 

   14 Purpose of entry into Myanmar     渡航目的  SIGHTSEEING
     

   15 Detail Travel Programs in Myanmar   日程表(日毎の訪問地)
 
  

   16 Attention for Applicants                  注意事項を確認

 

     Date; 申請日            Signature of Applicant パスポートと同じサイン
 

 
なお、申請受付時間は平日の午前9時-12時(ミャンマーの休日を除く)で、添付するものは以下の通りです。
 

1) 本人のパスポート(6か月以上の有効期間)

2) ビザ申請者のカラー写真(45mm×横35mm 注、ビザ申請書に貼りつけ

3) パスポートの写真があるページのコピー

4) Eチケット(航空券)のコピー
注、在職証明書が必要との情報があるため、年金受給者である私は年金振込通知書のコピーを持参しましたが窓口で要求されず

 

上記に記載漏れなどの不具合が無ければパスポートの預かり証(支払うべきビザ料金と受け取り可能日が記載)が手渡されます。なお、バイオメトリックス機能を採用したことによるサービス料1000円はビザ申請時に窓口で現金で支払います(領収書が発行される)が、ビザ料金(4200円)は銀行振り込みで大使館が指定する口座に振り込む必要があります。大使館で直接受け取る時、または申請書を郵送する時にこの振り込み受証(原本)とパスポート預かり証を提出する必要があります。郵送の場合は返信用の書留あるいは簡易書留封筒(切手を貼ったもの)も同封することを忘れないでください。

 

注、指定された銀行と同じ銀行のカードを使ってもATMからは振り込みができなかった(注、銀行による)ため、銀行の窓口で振り込みの手続きをしました。ちなみに、ATMを使う振り込みは同じ銀行の同一始点であれば無料、他の支店へは108円。窓口での他の視点への振込手数料は通常324円ですが大使館宛のため300円(無税)です。

 

また、必要な手続き期間は前者が5営業日(1週間ほど)、後者は約3週間かかるとされていますから、時間的な余裕を持って申請することに留意してください。ちなみに、私の場合は金曜日の午前中に申請して、翌週月曜日の午後3時30分-4時30分に受け取ることができました。

 

[東京にあるミャンマー大使館へのアクセス]

 

JR山手線の大崎駅で下車。東口または南口から山手通りに出て、右手(東方向)へ緩やかな坂を下りて500mほど先の居木橋(いるきばし)交差点(目黒川)を渡り、神戸製鋼東京本社ビルと大崎MTビルの脇にある御殿山通りにはいる。急な坂を上りきると左手に小さな公園があり、右手の住宅街にエキゾチックな建物が見え始め、行き当たった丁字路(翡翠原石館前)を右折するミャンマー大使館がある。(大崎駅からは約800mの距離) 正門脇の通用門にあるインターフォンのボタンを押すと守衛が扉を開けてくれる。守衛所で名前と住所などを記帳してアネックス(手前の別館)に入ると待合所の正面に受付窓口がある。注、京浜急行の北品川駅からは約300mと近い
   

大使館へのルートの目印になる写真(左上から右方向へ)は、「大崎駅南口から伸びるペデストリアンデッキ」、「ゲートシティ大崎」、「山手通り」、「居木橋交差点」、「御殿山通り」、「ミャンマー大使館の遠景」、「ミャンマー大使館の入口」、「同本館(左)とアネックス(右)」
 
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2. インターネット経由でe-Visaを取得する方法

 

出発間近に申請する場合と東京または大阪の窓口に出向くことが困難な場合に有効な方法です。

 

まず、ミャンマー政府(労働・入国管理・人口省)のe-Visa”申請窓口のサイト(英文)にアクセスします。

 

 ビザの種類(商用/観光)、国籍、入国場所(空港名/検問所名)を質問されますので、それぞれの項目を選択して、その下の欄に表示されたセキュリティ確認の文字列(アクセスするたびに変化する)をそのまま入力します。大文字と小文字の区別に注意しましょう。

 

Visa Type : (種類) Toulist Visa(観光用)を選択

Nationality : (国籍) Japan」を選択

Port of Entry : (入国空港) Yangon International Airport」を選択

Security Verification : 「入力欄の下に表示された大文字と小文字の英字と数字」を入力

下部にある青いボタン「continue」をクリック

 

 次いで取得条件(Term and Condition)が9項目表示されますから、確認して”I Agree”のボタンをクリックする。

 

◯発行手数料は返却しない

◯観光ビザで働かない

◯ミャンマーの法律と規則を守る

◯法的処置はミャンマーの法律に基づく

◯ミャンマーの制限エリアに立ち入らない

◯承認レターを出してもビザを発行するとは限らない

◯承認レターの有効期間は発行から90日間

◯申請が却下されても却下理由は教えない

3日以内に申請結果を知らせる

 

上記を正確に理解し、無関係な活動を行わない

 

下部にある青いボタン「I Agree」をクリック

 

 個人情報(Personal Information)の確認)

 

Full Name : パスポートに記載した姓名

Nationality : (国籍) Japan

Gender : (性別) MaleまたはFemale

Date of Birth : (生年月日)

Country of Birth : (出身国) Japanを選択

Occupation : (職業)

Port of Entry : (入国空港)

Purpose of Entry : (入国空港)

Permanent Address : (パスポートに記載した本籍地)

Country : () Japanを選択

Postal Code : (郵便番号)

Accomodation Type : (ホテル) Hotel

Name and Address of Selected Accomodation in Myanmar : (ミャンマー国内の宿泊施設名と住所)

E-mail Address : (電子メールアドレス)

Retype E-mail Address : (再入力)

Cntact Phone : (電話番号) +81-(最初ね”0”を除く910桁の番号)

 

Pasport Information (パスポート情報)

 

Pasport No. : パスポート番号

Visa Type : (ビザの種類) Toulist Visa

Country of Issue : (発行国) Japan

Date of Issue : (発行日)

Date of Expiry : (失効日)

Are you travelling with Package Tour? If (yes) please fill -
 

Agency Name : (旅行代理店の名前)

Agency Cntact No. : (旅行代理店の電話番号)

 

Children Information

 

親のパスポートに記載された7歳以下の同行する子供

 

Minor Name : (名前)

Date of Birth : (生年月日)

Gender : (性別)

 

人数分を繰り返す

 

ビザ申請者のカラー写真(45mm×横35mm)をアップロードし、一番下にある青いボタン「continue」をクリックする。

 

確認画面をチェックして「confirm」をクリック

 

 ビザ発行手数料の支払いへ進んで、クレジットカードの情報を入力(注、観光ビザの場合はUS$50)すれば申請手続きは完了。配布された申請番号と支払い参照番号を進捗状況のページで入力して「under processing」と表示されれば、処理中であることを確認できる。

 

 ビザ申請用に入力したメールアドレスに承認レターが3営業日後に送られてくるので、発行から90日以内にミャンマーに入国しなければならない。旅行時にはそのコピーを持参して入国審査時に提出すればパスポートにビザ印を押印してもらえます。このために余白ページが2ページ以上あることと有効期間が6か月以上残っていることが必要です。

 

ちなみに、このビザ(e-Visa)により滞在可能な期間は最長28日となっています。

注、上記の情報は2017年2月か中旬現在
 

参考として、このサイトにアクセスしてデータを入力してみましたが、上記したように大使館でビザを申請しましたから、"e-Visa"は申請はしていません。

2017年3月14日 (火)

40年ぶりのミャンマー訪問: 「事前準備編」

ミャンマー(正式名称はミャンマー連邦共和国)は東南アジア諸国連合(ASEAN)に加盟する10か国のひとつで、アウンサン・スーチーさんが率いる国民民主連盟(NLD)が2015年の総選挙で勝利したことで、2016年3月に50数年続いた軍事政権から民主的な文民政権へ移行しました。(注、形式上は2011年に民政移行) ちなみに、日本では映画「ビルマの竪琴」(1956年公開、安井昌二主演)の舞台であったことから、ビルマの国名の方が知られているかもしれません。注、1985年に中井貴一さんの主演でリメイクされた

 

脇道にそれますが、「ビルマの竪琴」のストーリーと時代背景を説明します。

 

[ストーリー] 終戦間近の1945年7月、敗色濃厚で中立国のタイへ撤退する日本陸軍のある小隊では音楽学校出身の小隊長が隊の規律と団結を高めるため兵士に合唱を指導し、楽才のある水島上等兵はビルマの竪琴を演奏する人気者でした。敗戦を知った小隊長は敗戦を知らずに抗戦する他の部隊を説得するため水島上等兵を派遣。一方、小隊は降伏したイギリス軍の捕虜となって収容所に入れられる、そして、帰国が近づいたある日に水島上等兵によく似たビルマの上座仏教(昔は小乗仏教と呼ばれた)の僧が収容所のすぐ近くに現れる。イングランド民謡の「埴生の宿」と明治から昭和にかけての卒業式で歌われた「仰げば尊し」(アメリカの曲)が小隊の兵士とビルマ僧の間で交感される。

 

[背景説明] 中国(中華民国)との本格戦争(日中戦争、以前は支那事変と呼ばれた)に突入した日本は、連合国軍の中国(中華民国)への支援輸送ルート(通称:援蒋ルート)を遮断するため、日本陸軍が中国の広州(イギリスの植民地であった香港ルート)、仏領インドシナ(ベトナムのハイフォン-雲南省昆明ルート)に進駐し、次いでビルマ(ラングーン-昆明ルート)、さらにはインド北部のインパール(アッサム州-昆明ルート)を目指しましたが、いわゆるインパール作戦(1944年3月-7月)で補給が不十分であったため、日本陸軍は連合国軍に大敗(日本側戦死者2万人以上)してしまいます。

 

当ブログ記事で紹介しましたように、見聞を広めるためと称して会社から長期休暇の許可を得てヨーロッパへの観光旅行に出かけた翌年、41年前(1976年)にミャンマー(当時はビルマと呼ばれていた)を訪れました。初めての海外出張でしたが、2年間で3回におよび、滞在期間も都合2か月と長期になりました。その時の様子は「ビルマの竪琴」と「想い出に残る海外の旅行先」の記事を参照してください。

 
さて本題です。ミャンマーを訪れるための準備は、予防接種など特別なことは必要ありませんが、事前にミャンマーおよび訪問する場所についての歴史と、入国に不可欠なビザを取得する方法を説明します。
 

1.ミャンマーの歴史

 

例によって、ミャンマーの歴史を概観します。10世紀以前のミャンマーにはモン族やピュー人などの民族が住んでいましたが、唐の時代に中国南西部(雲南地方)の王国「南詔(なんしょう)」(738-902年)に滅ぼされてしまいました。その200年後の11世紀に雲南省の南詔国の支配下にあって中国西部(青海省付近)出身のチベット系ビルマ族が雲南省から南下してビルマで最初のパガン王朝を樹立。ビルマにおける勢力を拡大したパガン王朝は約250年後の13世紀にモンゴルの侵攻を受けて1314年に滅びました。

 

その後、内戦が起こりパガン王朝を建国したビルマ族の末裔(まつえい)によってタウングー王朝が建国されます。同王朝はビルマ内を平定するとともにタイのアユタヤ王朝や雲南の一部も支配しましたが、17世紀に入って衰退すると再興したペグー王朝(ビルマ族とタイ族の混血民族であるモン族とシャン族)によって滅ぼされてしまいます。1754年にはタウングー王朝の王が反撃してビルマを最統一してコンバウン王朝を建国し、南アジアで最強の王国となりました。

 

19世紀の3度にわたるイギリスとの戦争に敗れて1886年にイギリスの植民地になる前のビルマ(コンバウン王朝、1752-1886年)は東南アジアの大国でした。第二次世界大戦の末期(1943年)に日本軍の支援でイギリス軍を追い出してビルマ国が建国されますが、日本軍の敗色が濃厚となるとクーデターが起こり、イギリスの支配下に戻りました。

 

そして、二次世界大戦が終結した直後の1948年に独立した軍事政権は社会主義を標榜(ひょうぼう)して鎖国的な経済政策を継続したため誕生したビルマ連邦はアジアにおける最貧国のひとつになりました。2011年から解放政策を実施したことで、アメリカなどによる経済制裁が緩められ、他の東南アジア諸国に遅れて経済成長が期待される国(ラストフロンティア)として注目されています。注、1997年に東南アジア諸国連合(ASEAN)に加盟、国内では人口5500万人の約40%を占める多数の少数民族との間に問題を抱えている

 

2.訪問する都市

 

今回訪れることにしたのは、ミャンマー最大の都市(人口約250万人、都市圏人口は約500万人)で2006年まで首都であった(現在は州都である)ヤンゴン(1989年にラングーンから改称)、北部にある古都マンダレー、マンダレーの南西にある古都バガン(現在は地方の小都市になっている)の三か所です。ちなみに、現在の首都はヤンゴンの北方(ミャンマの内陸部)に新たに建設された都市であるネピドー。

 

ヤンゴンは海に近く、ミャンマーの重要な交易地として輸出拠点になっています。古くは6世紀にモン族が下ビルマに建設したシュエダゴン・パゴダを中心とする小さな漁村ダゴンでした。1755年にアラウンバーヤ王がダゴンを征服してヤンゴンと改名。1852年のイギリスとの戦争に敗れて、ヤンゴンと下(南部)ビルマを占領されます。イギリスはヤンゴンをラングーンに変更してイギリス領ビルマの中心地としてヤンゴン(ラングーン)川沿いに都市整備を行いました。1948年に独立すると植民地時代の多くの名前がビルマ的な名前に変更し、1989年にはラングーンをヤンゴンに名称変更されました。

 

マンダレーはヤンゴンに次ぐ第2の都市で、人口は約90万人(都市圏人口は約200万人)。イギリスに併合されるまではビルマで最後の王朝である「コンパウン王朝」(1752-1886年)の首都(1860-1885年)でした。バガン王朝の首都バガンが陥落するとその難民が流れ込むとタウングー王朝の初代王がこの地に王宮を建設してビルマ人の王朝を再興し、16世紀後半にはミャンマーの大半を支配下に置き、タイのアユタヤに侵入して属国としました。

 

さらにその勢力をミャンマーとタイの北方に拡大すると、中国の明王朝の柵封(さくほう、宗属関係)にあった多くの小国をその勢力下に入れたため、明王は軍隊を派遣してそれら地域を奪回した。明王朝に取って代わった清王朝に朝貢を始めた直後の1752年に第二次タウングー王朝は滅亡しました。これに取って代わったのが上述したコンバウン王朝(1752-1886年)です。

 

3.観光ビザ

 

ミャンマーについての説明はここまでにして、ミャンマーを観光目的で訪れるために必要なビザについて説明します。東南アジアにおいてミャンマーはカンボジアとともに観光のためであっても入国ビザが必要な数少ない国なのです。注、韓国、中国、台湾、フィリピン、香港、シンガポール、マレーシア、ベトナムとラオス、タイは指定された期間内の観光目的であれば不要です。なお、インドネシアは指定された空港から入国する観光客は30日以内の滞在であればビザが免除されますが、バリ島のデンパサール空港は指定空港ではないため、入国する際に簡単な手続きでビザを取得する必要がありました。

 

ミャンマーの観光ビザ(28日間有効)を取得するためには次の3つの方法があります。①在日大使館に出向いて申請する、②申請書を郵送する、③ネットでe-Visa(ETA)を取得して入国時にビザを取得する

 

①は短期間(約1週間)で取得できますが窓口が東京と大阪の2か所しかないことが不便であり、②は申請に出向く必要はありませが3週間ほどかかり、③は両者の利点を兼ね備えていますが入国時にも手続きが必要である(取得できる保証がない)ことが難点です。手続きに自信のない方は旅行代理店などの代行サービス(手数料3000~8000円)を利用すると良いでしょう。ちなみに、ビザの料金(大使館のサービス料1000円込み)は50ドルまたは5200円です。

 

いずれの方法もミャンマー大使館のホームページにアクセスして申請書をダウンロードして必要事項を記載するか、e-Visaの申請ページで必要事項を入力するだけで準備完了ですが、注意することはパスポートの有効期限(残り6か月以上)と未使用査証欄(2ページ以上)、証明写真(6か月以内に撮影した縦45x横38mmのサイズでカラー)、取得日から3か月以内に入国すること

 

次回はビザを申請・取得する方法について詳しく説明します。

2017年3月 9日 (木)

さようなら、ソニービル「It's a Sony展 Part 2」(後編)

ウォールアートには”SONY”のロゴと共にキーワードを構成する小さな文字(英数字)が8つ隠されており、それを見つけながらウォールアートを楽しむ演出もありました。
 
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最初に見つけたキーワード用文字です。(注、"Y"の上にある文字は画像処理済)
   
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キーワード発見ゲームの記入カード
 
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陽が傾き始めて、
 
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ついには夕やけが訪れたようです。
 
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振り返って見たウォールアート
 
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4階に到着すると、ソニーパークに対する意見と希望を来訪者が書いたメモ用紙が壁面を埋めていました。
 
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希望者は現在のソニービルの外壁(アルミ製のルーバー、羽板)の一部が数量限定でチャリティ販売されるようです。ちなみに、購入申し込み受付期間は2017年3月1日から同6月30日、価格は5,000円(税・送料込)、2個セット9,500円(同)、5個セット23,000円(同)。
 
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ゲーム結果の受付カウンター
 
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記念品はオリジナルステッカーとピンバッジ
 
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「都会の真ん中のパーク」をテーマにした展示の紹介は以上ですが、4階から解放的な空間が続く5階にある”Sony Innovation Lounge”の展示(3月31日閉店)も併せて紹介します。ソニーのチャレンジ精神や遊び心から生まれる今までにないカテゴリーやプロダクトを体感できるフロアとのこと。
 
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“Life Space UX”
は、今ある空間そのものを生かしながら新しい体験を作り出すこと、つまり「ありのままに心地よく暮らせる理想の住まい」「自由に伸びやかに、好きなものに夢中になれる空間」「自分らしい場所」を生み出すコンセプトとのこと。
 
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その先には「MESHタグ展示」と“Life Space UX”関連の製品群が展示されていました。まず、「MESHタグ展示」ではセンサー技術を利用したトランペット、ギター、裏返しスイッチのデモがあります。ちなみに、MESHタグとは、さまざまな機能を持ったブロック形状をした小さな物体(電子タグ)で、上記でものように単体でスイッチとしても利用できますが、MESHアプリによりコントロールしたり(写真右端)、インターネットにも接続して「IoT化」(モノ・コトのインターネット化)したりできる優れモノなのだそうです。
 
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以降は“Life Space UX”関連です。バンド部分にスマートウォッチとして必要な機能(FeliCaを含むガジェット)と電池などを集約し、腕時計のヘッド部分を自由にデザインできるハイブリッドスマートウオッチの”wena wrist”とバンド部の分解モデル(注、”wena”"wear electronics naturally"の略で、スマートフォンとの連携機能あり)
 
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ヘッドジェスチャー認識技術は、うなずき、首振りなど、ユーザーが自然な動きを用いて機器を操作することが可能な技術で、耳に装着する小型機器”Xperia Ear”(片耳タイプ)内のモーションセンサー(加速度・ジャイロセンサー)の値から、高精度にユーザーのジェスチャー(頭の動き)を判別するハンズフリー機能を実現できるものです。具体的には、専用アプリ(Android版)を搭載したスマートフォン(Android対応)と組み合わせてスマートイヤホンとして使われ、ブルートゥース接続でされたスマートフォンの様々な機能(例えばメッセージの送受信やスケジュールの確認、ニュースのチェック、情報検索など)をスマートフォンの画面を確認しないで音声で行うことも可能とのこと。
 
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ちなみに、”Xperia Ear”の奥置かれているガスライターのような形をしたものは充電用バッテリーを内蔵する専用ケースであり、左手の小さな部品は利用者の耳穴にフィットさせるアダプターだそうです。
 
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「見たいときに、見たい場所で」をコンセプトとするポータブル超短焦点プロジェクターは壁面やテーブルを利用するもので、壁面近くから斜め上方に投影される像の歪みを自動的に補正する台形補正の機能があり、最大で80インチほどに拡大することができるとの説明を受けました。
 
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透きとおるような音色で部屋中を満たしてリラックス空間をつくるグラスサウンドスピーカー(ランプ機能付き)は、”Part 1”で紹介した「Sountina(サウンティーナ)」(長さ約1メートルの有機ガラス管スピーカーシステム)を改良し、音質の向上と小型化したポータブル・モデルです。
 
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ウォールアートを逆に辿(たど)って2階まで下りると、アーティストが壁面に向かって絵を書き足しているところでした。
 
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GINZA SONY PARK PROJECT”で、地上の「銀座ソニーパーク」とショールームとショップが入る「地下フロア」を組み合わせた”Phase 1”が完成する2018年夏に再度訪れたいと思います。(終)

2017年3月 8日 (水)

さようなら、ソニービル「It's a Sony展 Part 2」(前編)

“It’s a SonyPart 2(後半)が2月22日に開幕しました。会場は3か月前に紹介したPartt 1(前半)と同じソニービルです。ちなみに、開催)時間は11時~19時で、入場は無料。2月12日に終了したPart 1は「歴史」をテーマに、日本初のトランジスタラジオ「TR-55」や初代ウォークマン「TPS-L2」、エンターテインメントロボット「AIBO」など、ソニー創業(1946年)以来の商品を730点展示する魅力的な展示であり、ソニー製品の愛好家など96万人が来場したそうです。

 

現在、開催中のPart-2は、「未来」をテーマに、ソニービルの建築上の特徴である花びら構造を活かした横に長く続く壁画を展開し、「都会の真ん中のパーク」を体感できる空間を作るということで期待して大きな「It’s a Sony展 Goodbye Sony Building, Hello Sony Park. Part-2 2017.2.22-3.31」と表示されたパネルを見ながらソニービルに入館しました。
 
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1階ロビーにも同じパネルが飾られています。
 
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芝生をイメージさせる緑色のカーペット(人工芝)が敷き詰められた階段を上がると、「ソニーパーク」のイメージを表現した模型が展示されていました。
 
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次いで”GINZA SONY PARK PROJECT”が3段階、すなわち現在のソニービル(1966-2017.3)、地上の「銀座ソニーパーク」とショールームとショップが入る「地下フロア」を組み合わせた”Phase 1”(2018-2020)、「新ソニービル」が加わる”Phase 2”(2022-)に分けて説明されています。
 
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壁面には“Goodbye Sony Building”の言葉、その隣には正面から見た現在のソニービルが写し出されています。階段付近から緑豊かな都会の風景を描いた長い壁画(横幅が約120mのウォールアート)が始まるようです。
 
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右手(反対側)の植込みの中には木製の小さな階段のようなものが設(しつら)えてあります。
 
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箸(はし)置きのような形をした木片が木琴の音板に相当し、それぞれは音符に合わせて音程を調整したり、無音になる(振動しない)ような構造に作られています。そして、それらの中央部分が溝のよう(ガイド)になっており、木製のボールがゆっくり転がり下りてメロディを奏でるのです。ソニービルの花びら構造を活かした傾斜で4階から2階まで約34mも続く「パークの木琴」でした。
 
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「パークの木琴」が奏でるメロディは“Louis Armstrong”(ジャズ・ミュージッシャンのルイ・アームストロング)の世界的なヒット曲”What A Wonderful World”(この素晴らしき世界)
   
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この曲はアメリカがベトナム戦争の泥沼に陥っていた1960年代に作られましたが、平和な世界が訪れることを願ってものだそうで、ルイ・アームストロング以外にも世界の多くの歌手によって歌われています。
 

ちなみに、花びら構造とは何かを説明する模型が入口の近くに展示されていました。
 
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ウォールアートは白い壁に黒いペンで描かれています。しかし、モノクロームで平板なウォールアートにプロジェクタを用いて投射された映像が重ねられ、人などが描かれている部分にはプロジェクションマッピングのように色を付けたりして立体感を持たせたり、雰囲気を大きく変えたり、といった効果を演出しています。
 
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この作品は1人のイラストレーターが手がけているものだそうです。スペイン・バルセロナのサグラダ・ファミリアと同様に未完成であり、期間内にそのウォールアートを仕上げている様子を見ることができるそうです。 (続く)

2017年3月 3日 (金)

名古屋駅周辺のビル群(後編)

工事中のためか行き止まりになった地点から「グローバルゲート(ウエストタワー棟)」(地上36階建て、高さ約170m、2017年度完成予定)を撮影。
 
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一階はショップとレストラン、2階から4階にはコンファレンスセンターが、6階から29階は賃貸オフィス、31階から36階はホテルになるそうです。ウエストタワーに接続される低層棟(地上4階建)はショップとレストランが入り、屋上庭園も造られるそうです。ちなみに、ウエストタワーの後方に見える高層マンションは大和ハウス工業が建設している大型複合賃貸マンション「ロイヤルパークスERささしま」(地上19階建、高さ約60m、東棟・西棟・南棟、計430戸、2015年竣工)にはまだ入居者募集中の垂れ幕が・・。

 

少し戻った場所にある「ささしまライブ駅」へ行く迂回路の案内看板
 
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「ささしまライブ駅」は左手にある大和ハウス工業のロゴがある「グローバルゲート(イーストタワー棟)」(地上17階建て、高さ約90m、2017年度完成予定)と愛知大学の前を経由する必要があるようです。ちなみに、イーストタワー棟は大和ハウス工業の名古屋支社と大和ハウスグループの名古屋地区における拠点が入るそうです。そして、イースト棟とウエスト棟の間に見えるタワーは中京テレビ本社の電波塔であり、左端に少しだけ写る建物は先に紹介した「マーケットスクエアささしま」です。
 

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名称が気になる「ささしまライブ駅」の説明看板を発見しました。「ささしまライブ駅」は名古屋臨海高速鉄道西名古屋港線(あおなみ線)の駅であり、「ささしまライブ24」とは旧国鉄笹島貨物駅跡地の約12.4ヘクタールと中川運河船だまり周辺を含む再開発地プロジェクトの名称だったようです。(あおなみ線のhp参照)
 
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名古屋駅方面に引き返す途中、名鉄バスターミナルのアクセス道路に立ち寄ってみました。長いスロープの先に見えるのは「セントラルタワーズ」です。
 
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ちなみに、バス乗り場は会社別に分かれており、「セントラルタワーズ」の右手前にある名鉄名古屋駅の上階(3階・4階)には名鉄バスセンター(高速乗合バスおよび名鉄バスと近鉄グループの三重交通バスの一般路線などが利用)があるようです。ただし、旧名古屋ターミナルビル(JRゲートタワーとして建て替え中)にあるバスターミナルを利用していたJRハイウェイバスはJR名古屋駅新幹線口前広場にある専用スペースを、名古屋市営バスは名古屋駅周辺の路上を暫定的に利用しています。

 

2017年4月には新しいバスターミナル(18バースの乗降所)が「JRゲートタワー」の1階と「JPタワー名古屋」の中間部(1階、名駅通り側)にオープンし、JR東海バスと名古屋市営バスが発着するそうです。

 

東海道新幹線、東海道本線、名鉄名古屋本線が脇を通過しています。ちなみに、近鉄名古屋線はこの区間が地下トンネルになっています。注、歩行者は管理事務所の前までしか立ち入れない
 
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中村区名駅南二丁目の横断歩道橋の先には建設されたばかりの「名古屋四季劇場」(2016年10月オープン)がありました。
 
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「JRセントラルタワーズ」と「タワーズガーデン」(手前)
 
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JR名古屋駅の新幹線口に移動して西側から見る「JRセントラルタワーズ」(中・右)と「JRゲートタワー」(左)
 
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駅前広場のモニュメントとJRハイウェイバス乗り場
 
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新幹線のホームから見た新幹線口前の景観にはほとんど変化がありませんが、手前には暫定的に設置されているJRハイウェイバス乗り場の全体が確認できます。
 
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今回の記事は、2012年に2回に分けて紹介した名古屋駅前のビル群に加えて、新たに建設された名古屋駅前の高層ビルの最新情報と「ささしまライブ24」地区の開発状況をほぼ網羅しました。東京の副都心ほどではありませんが、名古屋地区の経済が堅調であることがこれらのビル群でも確認できるようです。(終)

2017年3月 2日 (木)

名古屋駅周辺のビル群(中編)

新しいビル「名古屋クロスコートタワー」、「シンフォニー豊田ビル」、「センチュリー豊田ビル」を探しながら桜通りを東進しました。岡三証券名古屋支店が入る「桜通豊田ビル(旧近鉄新名古屋ビル)」(地上18階建、高さ約77m、1993年竣工)の近くとの目算でしたが・・。
 
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東隣にあるホテル「キャッスル プラザ」との間を右手に入ったところに店舗、事務所、ホール、会議室などがある複合施設の「愛知県産業労働センター」(高さ90m、地上18階建、2009年竣工)があり、
 
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その南側に高層オフィスビルの「名古屋クロスコートタワー」(地上17階建、高さ72.6m、2012年竣工)を発見。地上1階と地下1階は商業ゾーンになっているようです。
 
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路の反対側(南側)にはトヨタグループの豊田通商などが入居する「シンフォニー豊田ビル」(地上25階建、高さ115m、2016年竣工)
 
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「三井ガーデンホテルナゴヤプレミア」もこのビルに入居しています。
 
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東和不動産が所有するこの「シンフォニー豊田ビル」は、同じく東和不動産が所有する「ミッドランドスクエア」「名古屋クロスコートタワー」「センチュリー豊田ビル」と地下通路で結ばれているそうです。
 
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「名古屋近鉄百貨店」と「名鉄メンズ館」が前方に見えて来ました。
 
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「センチュリー豊田ビル」(地上16階建、高さ81m、2002年竣工)
 
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名駅通のJR名古屋駅方面
 
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学校法人日本教育財団(旧学校法人モード学園)が運営する3校の専門学校「東京モード学園」「HAL名古屋」「名古屋医専」が入るユニークな「スパイラルタワー」(地上36階、高さ170m、竣工2008年)は、「名古屋駅前のビル群」の記事(前編後編)で紹介しています。
 
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ビルの正面にあるラッパの形をしたモニュメントはドイツ人彫刻家、フロリアン・クラール作「ムーブメントNo.7 ミ ノトス」で、ネオン管による学校名サインが取り付けられています。そして、給気塔としても使用されているそうです。
 
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名駅通沿いに建つオフィスビルの「日本生命笹島ビル」(地上17階建、高さ75m、1974年竣工)は名鉄百貨店本館や名鉄レジャックビルとともに建て替えられる予定のようです。
 
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笹島交差点を渡って名駅通をさらに南下すると見覚えのある「住友生命名古屋ビル」(地上26階建、高さ102m、1074年竣工)は名古屋で100mの高さを越えた最初の高層ビルのようです。
 
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JRと名古屋鉄道の線路に沿ってさらに南下すると、線路の西方に高層ビル群が見えてきました。笹島操車場があった場所が再開発され、2017年10月に開業予定の「グローバルゲート」(中・右)や既存の愛知大学名古屋キャンパス(左)が見えて来ました。
 
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ガード下を潜ると「Zepp名古屋」(手前)と「マーケットスクエアささしま」(左奥)が目の前に現れました。
 
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前者はソニー・ミュージックエンタテインメントの子会社が運営するライブ会場で、後者は「マーケットスクエアささしま」は東急不動産が名古屋市よりささしま地区中核施設ゾーンの土地を15年間賃借して2005年に開業した複合商業施設です。2005年に開催された日本国際博覧会のささしまサテライト会場(ラ・バーモささしま)になったのち、現在は名古屋レジャーランドや109シネマズ名古屋などの娯楽施設が中心に入っているようです。

 

「ささしまライブ駅」の案内看板が気になりますが、「JICA中部/なごや地球ひろば」の建物と線路に挟まれた左手へカーブする道にしたがってさらに西方へ進みました。
 
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(続く)

2017年3月 1日 (水)

名古屋駅周辺の高層ビル群(前編)

名古屋市で所用があるため利用した東海道新幹線の車窓から見る富士山は青空に映えています。
 
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名古屋駅で下車、東口(桜通り口)を出ました。
 
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JR名古屋駅が入る複合施設の「JRセントラルタワーズ」(1999年竣工)はマリオットアソシアホテルが入るホテル棟(226m、地上52階建)とオフィス棟(高さ245.1m、地上51階建)からなるツインタワーです。駅ビルとしては2014年に完成した大阪の「あべのハルカス」に次ぐ高さを誇っています。オフィスタワー最上階(51階)にある「JR名古屋タカシマヤ パノラマサロン」を5年半前に訪れたことがあります。すなわち、「名古屋駅のビル群と名物ファストフード」と「名古屋の高いもの巡り」に続いて今回で3回目になりますが、空き時間を利用して名古屋駅前と周辺の高層ビル群を巡ることにしました。
 
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駅前ロータリーは変わっていませんが、左手には新たに見るオフィス兼商業ビルがありました。注、「JRセントラルタワーズ」の2階テラスから撮影
 
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前回訪れた時には1965年竣工の初代ビル(地上12階建)の建て替えが決まっていた「大名古屋ビルヂング」です。名古屋市を代表する建物であった初代ビルの後継として2代目ビル(地上34階建、高さ174.7m)が2015年に完成していました。初代のイメージを三越伊勢丹の店舗が入る低層階に留めています。
 
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右手には超高層ビルの「ミッドランドスクエア」(2006年竣工、地上47階建、高さ247m)は地元企業のトヨタ自動車などが入居しています。中部地方で一番高く、日本国内でも7番目も高さを誇っています。ちなみに、前回訪れた屋外型展望施設「スカイプロムナード」がある44階は220m、最高階(46階)のデッキの高さは約230m。その隣は木の葉をイメージした外観の形状を持つ複合ビルの「名古屋ビルディング」(地上14階建、高さ約76m、2009年竣工)。
 
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「セントラルタワーズ」の北隣には2017年4月開業予定の店舗・事務所・バスターミナルなどが入る超高層ビル「JRゲートタワー」(高さ約220m、地上46階建、15階までの低層階はセントラルタワーズと接続される)と店舗・事務所・郵便局・バスターミナルなどが入る「JPタワー名古屋(商業施設:KITTE名古屋)」(40階建、高さ約196m、2015年竣工、2017年4月開業予定)が並んでいます。
 
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「JRゲートタワー」は「タカシマヤ ゲートタワーモール」、ホテル、ビックカメラなどが入る手前の低層階と後方の高層オフィスビル(2016年オープン済)を組合せた構成になっています。また、地下5階/6階はリニア中央新幹線の名古屋駅のホームとして利用されるようです。
 
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正面から見た「JPタワー名古屋」
 
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商業施設とオフィスが入居するユニークな形をした「名古屋ルーセントタワー」(地上40階建、高さ約180m、2007年竣工)は現在も名古屋駅周辺の高層ビルとしては北端に位置しています。
 
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正面から見るとカーブした壁面の形が目立ちにくくなり、豊かな植込みがある低層部は一般的な高層ビルと同じ雰囲気です。
 
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名古屋駅方面を振り返りました。右手のひときわ高い建物は「JPタワー名古屋」、左手は「ミッドランドスクエア」、中央に見える変わったデザインの建物は専門学校の「東京モード学園」「HAL名古屋」「名古屋医専」が入る「「モード学園スパイラルタワーズ」
 
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名古屋駅方面へ戻ることにしました。道路の向かい側から見た「JRゲートタワー」の1階付近ではまだ工事が行われているようです。
 
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「大名古屋ビルヂング」(低層部)の前を通過
 
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「JRセントラルタワーズ」の全景
 
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ロータリー越しに見た「名鉄(めいてつ)百貨店」と「近鉄(きんてつ)百貨店」は再開発で建て替える計画があるそうです。ちなみに、50~60階建、高さ250~300mとの未確認情報があります。
 
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(続く)

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