« さようなら、ソニービル「It's a Sony展 Part 2」(後編) | トップページ | 40年ぶりのミャンマー訪問: 「ミャンマーのビザ取得方法」 »

2017年3月14日 (火)

40年ぶりのミャンマー訪問: 「事前準備編」

ミャンマー(正式名称はミャンマー連邦共和国)は東南アジア諸国連合(ASEAN)に加盟する10か国のひとつで、アウンサン・スーチーさんが率いる国民民主連盟(NLD)が2015年の総選挙で勝利したことで、2016年3月に50数年続いた軍事政権から民主的な文民政権へ移行しました。(注、形式上は2011年に民政移行) ちなみに、日本では映画「ビルマの竪琴」(1956年公開、安井昌二主演)の舞台であったことから、ビルマの国名の方が知られているかもしれません。注、1985年に中井貴一さんの主演でリメイクされた

 

脇道にそれますが、「ビルマの竪琴」のストーリーと時代背景を説明します。

 

[ストーリー] 終戦間近の1945年7月、敗色濃厚で中立国のタイへ撤退する日本陸軍のある小隊では音楽学校出身の小隊長が隊の規律と団結を高めるため兵士に合唱を指導し、楽才のある水島上等兵はビルマの竪琴を演奏する人気者でした。敗戦を知った小隊長は敗戦を知らずに抗戦する他の部隊を説得するため水島上等兵を派遣。一方、小隊は降伏したイギリス軍の捕虜となって収容所に入れられる、そして、帰国が近づいたある日に水島上等兵によく似たビルマの上座仏教(昔は小乗仏教と呼ばれた)の僧が収容所のすぐ近くに現れる。イングランド民謡の「埴生の宿」と明治から昭和にかけての卒業式で歌われた「仰げば尊し」(アメリカの曲)が小隊の兵士とビルマ僧の間で交感される。

 

[背景説明] 中国(中華民国)との本格戦争(日中戦争、以前は支那事変と呼ばれた)に突入した日本は、連合国軍の中国(中華民国)への支援輸送ルート(通称:援蒋ルート)を遮断するため、日本陸軍が中国の広州(イギリスの植民地であった香港ルート)、仏領インドシナ(ベトナムのハイフォン-雲南省昆明ルート)に進駐し、次いでビルマ(ラングーン-昆明ルート)、さらにはインド北部のインパール(アッサム州-昆明ルート)を目指しましたが、いわゆるインパール作戦(1944年3月-7月)で補給が不十分であったため、日本陸軍は連合国軍に大敗(日本側戦死者2万人以上)してしまいます。

 

当ブログ記事で紹介しましたように、見聞を広めるためと称して会社から長期休暇の許可を得てヨーロッパへの観光旅行に出かけた翌年、41年前(1976年)にミャンマー(当時はビルマと呼ばれていた)を訪れました。初めての海外出張でしたが、2年間で3回におよび、滞在期間も都合2か月と長期になりました。その時の様子は「ビルマの竪琴」と「想い出に残る海外の旅行先」の記事を参照してください。

 
さて本題です。ミャンマーを訪れるための準備は、予防接種など特別なことは必要ありませんが、事前にミャンマーおよび訪問する場所についての歴史と、入国に不可欠なビザを取得する方法を説明します。
 

1.ミャンマーの歴史

 

例によって、ミャンマーの歴史を概観します。10世紀以前のミャンマーにはモン族やピュー人などの民族が住んでいましたが、唐の時代に中国南西部(雲南地方)の王国「南詔(なんしょう)」(738-902年)に滅ぼされてしまいました。その200年後の11世紀に雲南省の南詔国の支配下にあって中国西部(青海省付近)出身のチベット系ビルマ族が雲南省から南下してビルマで最初のパガン王朝を樹立。ビルマにおける勢力を拡大したパガン王朝は約250年後の13世紀にモンゴルの侵攻を受けて1314年に滅びました。

 

その後、内戦が起こりパガン王朝を建国したビルマ族の末裔(まつえい)によってタウングー王朝が建国されます。同王朝はビルマ内を平定するとともにタイのアユタヤ王朝や雲南の一部も支配しましたが、17世紀に入って衰退すると再興したペグー王朝(ビルマ族とタイ族の混血民族であるモン族とシャン族)によって滅ぼされてしまいます。1754年にはタウングー王朝の王が反撃してビルマを最統一してコンバウン王朝を建国し、南アジアで最強の王国となりました。

 

19世紀の3度にわたるイギリスとの戦争に敗れて1886年にイギリスの植民地になる前のビルマ(コンバウン王朝、1752-1886年)は東南アジアの大国でした。第二次世界大戦の末期(1943年)に日本軍の支援でイギリス軍を追い出してビルマ国が建国されますが、日本軍の敗色が濃厚となるとクーデターが起こり、イギリスの支配下に戻りました。

 

そして、二次世界大戦が終結した直後の1948年に独立した軍事政権は社会主義を標榜(ひょうぼう)して鎖国的な経済政策を継続したため誕生したビルマ連邦はアジアにおける最貧国のひとつになりました。2011年から解放政策を実施したことで、アメリカなどによる経済制裁が緩められ、他の東南アジア諸国に遅れて経済成長が期待される国(ラストフロンティア)として注目されています。注、1997年に東南アジア諸国連合(ASEAN)に加盟、国内では人口5500万人の約40%を占める多数の少数民族との間に問題を抱えている

 

2.訪問する都市

 

今回訪れることにしたのは、ミャンマー最大の都市(人口約250万人、都市圏人口は約500万人)で2006年まで首都であった(現在は州都である)ヤンゴン(1989年にラングーンから改称)、北部にある古都マンダレー、マンダレーの南西にある古都バガン(現在は地方の小都市になっている)の三か所です。ちなみに、現在の首都はヤンゴンの北方(ミャンマの内陸部)に新たに建設された都市であるネピドー。

 

ヤンゴンは海に近く、ミャンマーの重要な交易地として輸出拠点になっています。古くは6世紀にモン族が下ビルマに建設したシュエダゴン・パゴダを中心とする小さな漁村ダゴンでした。1755年にアラウンバーヤ王がダゴンを征服してヤンゴンと改名。1852年のイギリスとの戦争に敗れて、ヤンゴンと下(南部)ビルマを占領されます。イギリスはヤンゴンをラングーンに変更してイギリス領ビルマの中心地としてヤンゴン(ラングーン)川沿いに都市整備を行いました。1948年に独立すると植民地時代の多くの名前がビルマ的な名前に変更し、1989年にはラングーンをヤンゴンに名称変更されました。

 

マンダレーはヤンゴンに次ぐ第2の都市で、人口は約90万人(都市圏人口は約200万人)。イギリスに併合されるまではビルマで最後の王朝である「コンパウン王朝」(1752-1886年)の首都(1860-1885年)でした。バガン王朝の首都バガンが陥落するとその難民が流れ込むとタウングー王朝の初代王がこの地に王宮を建設してビルマ人の王朝を再興し、16世紀後半にはミャンマーの大半を支配下に置き、タイのアユタヤに侵入して属国としました。

 

さらにその勢力をミャンマーとタイの北方に拡大すると、中国の明王朝の柵封(さくほう、宗属関係)にあった多くの小国をその勢力下に入れたため、明王は軍隊を派遣してそれら地域を奪回した。明王朝に取って代わった清王朝に朝貢を始めた直後の1752年に第二次タウングー王朝は滅亡しました。これに取って代わったのが上述したコンバウン王朝(1752-1886年)です。

 

3.観光ビザ

 

ミャンマーについての説明はここまでにして、ミャンマーを観光目的で訪れるために必要なビザについて説明します。東南アジアにおいてミャンマーはカンボジアとともに観光のためであっても入国ビザが必要な数少ない国なのです。注、韓国、中国、台湾、フィリピン、香港、シンガポール、マレーシア、ベトナムとラオス、タイは指定された期間内の観光目的であれば不要です。なお、インドネシアは指定された空港から入国する観光客は30日以内の滞在であればビザが免除されますが、バリ島のデンパサール空港は指定空港ではないため、入国する際に簡単な手続きでビザを取得する必要がありました。

 

ミャンマーの観光ビザ(28日間有効)を取得するためには次の3つの方法があります。①在日大使館に出向いて申請する、②申請書を郵送する、③ネットでe-Visa(ETA)を取得して入国時にビザを取得する

 

①は短期間(約1週間)で取得できますが窓口が東京と大阪の2か所しかないことが不便であり、②は申請に出向く必要はありませが3週間ほどかかり、③は両者の利点を兼ね備えていますが入国時にも手続きが必要である(取得できる保証がない)ことが難点です。手続きに自信のない方は旅行代理店などの代行サービス(手数料3000~8000円)を利用すると良いでしょう。ちなみに、ビザの料金(大使館のサービス料1000円込み)は50ドルまたは5200円です。

 

いずれの方法もミャンマー大使館のホームページにアクセスして申請書をダウンロードして必要事項を記載するか、e-Visaの申請ページで必要事項を入力するだけで準備完了ですが、注意することはパスポートの有効期限(残り6か月以上)と未使用査証欄(2ページ以上)、証明写真(6か月以内に撮影した縦45x横38mmのサイズでカラー)、取得日から3か月以内に入国すること

 

次回はビザを申請・取得する方法について詳しく説明します。

« さようなら、ソニービル「It's a Sony展 Part 2」(後編) | トップページ | 40年ぶりのミャンマー訪問: 「ミャンマーのビザ取得方法」 »

旅行・地域」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/146335/64882882

この記事へのトラックバック一覧です: 40年ぶりのミャンマー訪問: 「事前準備編」:

« さようなら、ソニービル「It's a Sony展 Part 2」(後編) | トップページ | 40年ぶりのミャンマー訪問: 「ミャンマーのビザ取得方法」 »

2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ