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2017年3月24日 (金)

40年ぶりのミャンマー訪問(その4) ヤンゴン空港からダウンタウンへ

機内からボーディングブリッジに出ると直ちに熱波が体に伝わりました。午後4時過ぎとはいってもまだ最高気温からあまり下がっておらず、外気温は35度以上あるのは確かなようです。11番ゲートとの間にあるエスカレーターを利用して1階にある入国審査場(Imigration)へ下りると、ミャンマー国籍、ASEAN国籍、その他外国人(Foreigners)、外交官(Diplomat)の4種類に分けられたカウンターが並んでいました。

 

入国審査はパスポートとビザの確認はもちろん、カメラの映像による顔認証チェックを行う別の場所にいると思われる係官と音声連絡を取り合うという念の入れ方で、一人当たりの所用時間は一般的な国の入国審査の2倍以上とかなり長いものでした。ただし、到着する便数がそれほど多くないため、入国審査を待つ人がカウンター前のエリアに溢(あふ)れることはありません。

 

また、預けた荷物が引き取り所に出てくるペースも遅く、こちらの方がネックと思われます。ちなみに、ビジネス目的で訪れる人にだけ対応するアライバルビザのカウンターは左後方(ガラスで隔てられた出国チェックインカウンターエリア寄りにありました。

 

40年前にこの空港に初めて到着したのはバンコクのドンムアン空港を経由したため、入国手続きを終えてターミナルビルを出た時には、日はとっぷり暮れていました。暗闇の中、大人や子供たちの手が四方から私のスーツケースに伸びて奪い合いに! チップを貰いたいのです。その人混みを必死に掻(か)き分けて、なんとか出迎えの人を見つけた時には正に地獄で仏に会った思いでした。今回は荷物引き取りエリアを出たところで旅行会社の現地係官員が出迎えてくれました。

 

最初にすることはドル紙幣をミャンマーの通貨であるチャット(Kyat)に交換することです。近くにあったミャンマーの大手商業銀行であるMAB(Myanma Apex Bank)の窓口を利用することに。ミャンマーならではのユニークなルールに驚かされました。交換レートを表示するパネルを見ると、US$をチャットに交換する場合にはドル紙幣の額面に応じて3種類のレートがあるのです。100ドル札と50ドル札はもっとも有利なレートになっていますから、日本を出国する際にチャットへ交換する金額分についてはドル高額紙幣を入手するとよいでしょう。
 
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ちなみに、市中で米国ドルが普通に流通するベトナムほどではありませんが。外国人観光客が立ち寄るホテル・レストラン・土産物店などでは米国ドルを使用することができるそうです。また、通常流通しているチャット通貨(紙幣だけ)は50チャットから1万チャットまで7種類あります。
 
 

ターミナル1から出るとそこは成田空港と変わらない現代的な世界がありました。40年前の空港ターミナルの面影はどこにも見当たりません。
 
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ターミナル1の3階にあるショップ・レストラン街から連絡通路が駐車スペースの先まで伸びています。
 
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現地係員が携帯電話で連絡すると、比較的新しい日本車(トヨタ・クラウン)が現れました。この車に乗って約15km離れたダウンダウン方面に向かうようです。渋滞がなければ45分ほどとのこと。道順から考えればホテルにチェックインするのが先のはずですが、夕方になるとレストランがあるダウンダウンで渋滞が発生するため、先にレストランに立ち寄ることになりました。
 
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ちなみに、ミャンマーは他のアジア諸国(タイ、インドネシア、ベトナムなど)と同様、4Gサービスを含む携帯電話(SIMカード)が人口とほぼ同じ数までこの2年間で約10倍へ急増加ています。つまり、人口普及率は100%と日本と変わらないのです。携帯電話の会社別シェアは、国営のMPT(郵電公社)のシェアが約5割、ノルウェーのテレノール社が約3割、カタールのウーレドゥー社が2割弱。
 
 

ヤンゴンのダウンタウンへ向かう道路(U.Wisara Rd./ウー・ウィサラ通り)を南下。“WELCOME“ および「ビルマ語で歓迎を意味する言葉」が植栽文字で表示されている場所に差し掛かりました。現地係員に尋(たず)ねるとヤンゴン地区で最大のインヤ湖であるとの答えが返ってきました。40年前に訪れた時、インヤ・レイク・ホテルに立ち寄ったことを思い出します。ロシア(当時のソ連)の援助で建てられた湖畔の高級ホテル(主に外国人向け)で、現在はインヤ・レイク・リゾート・ヤンゴンの名称に変わっているそうです。注、言語はミャンマー語ではなくビルマ語、ミャンマーはビルマ族以外の独自言語を持つ民族を含む国名
 
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余談です。上の写真でも分かりますが車両は道路の右側を通行しています。戦前はイギリスの植民地であったことから車両は左側通行でしたが、1970年に旧宗主国イギリスの名残(なご)りを消そうと当時のネ・ウィン政権が右側通行に変更したそうです。ただし、経済的な鎖国や欧米諸国による経済制裁が長年続いたため、日本の自動車に対する人気が高く(シェア90%ともいわれ、その大半が中古車)、右ハンドルの車(日本車)が多数走っています。隣国のタイ(日本と同じ左側通行)から輸入したものかと思いましたが、調べると日本から直接送られた中古車とのことです。特に、バスやトラックは車体に日本企業の社名などが掛かれたものを多く見かけました。事実、我々が乗車する車(トヨタ・クラウン)も右ハンドルなのです。注、輸入する新車は左ハンドルのみが販売可

 

ヤンゴン大学脇を過ぎた巨大なロータリーの中央にパゴダに似た奇妙なオブジェを見つけました。これについても現地係員に尋(たず)ねましたが、その説明は後日の訪問先の項でしたいと思います。
 
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市民公園People’s Park)の中を抜ける道路(U Wisara Rd.、注、イギリス統治に抵抗したミャンマの高僧に由来する名称)からシングッダヤの丘に建つシュエダゴン・パヤー(Shwedagon Paya)を望むことができました。ヤンゴンを代表する信仰の地であり、観光地でもあります。注、シュエは金、ダゴンはヤンゴンの古い地名、パヤーはパゴダ(仏塔の英語表現)を意味するミャンマー語
 
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ミャンマー国鉄の鉄道線路を越える陸橋(跨線橋、こせんきょう)の先にある交差点でボーヂョーアウンサン通り(Bogyoke Aung San Rd.)へ左折して200m近く東進すると、ボーヂョーアウンサン・マーケットの前に出ました。ヤンゴンで最大かつ最もにぎやかなマーケットだそうです。ちなみに、ボーヂョーアウンサンはイギリスからの独立運動を主導したミャンマーの英雄アウンサン将軍の名前に由来し、アウンサン・スーチー氏の父親でもあります。
 
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さらに300m余り先、ボーヂョーアウンサン通りとスーレー・パヤー通りが交わる交差点の南東角にあるオフィスビルのサクラ・タワー(1999年完成)に午後5時半頃到着。日本企業が建てたこの高層ビルにはホンダや日本航空など日系企業が多数入居しているようです。
 
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最上階(20階)にある展望レストラン「ティリピサヤズ・スカイ・ビストロ」でビルマ料理を味わう予定です。注、このレストランでは洋食と和食も提供される トリップアドバイザーによるとヤンゴンのレストラン620軒中61位にランキングされています。ちなみに、左手の女性は今回の旅行でお世話になった現地係員。店内は日本人などの観光客とビジネス客が多いためか高級感があり、何と言っても北方向と南方向の眺望(ちょうぼう)がすばらしいのです。
 
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40年前の思い出に浸(ひた)ろうと、ヤンゴン(旧ラングーン)に長期滞在していた時、毎日のように飲んでいたマンダレービール(1886年創業、国軍系企業の製品、キリンビールが買収することを発表)を注文しましたが置いていないとのこと。現地係員の説明では現在のヤンゴンにはマンダレービールを置く店はほとんどないとのこと。代わりに人気があるというミャンマービール(現地製造をするハイネケンが20年前に撤退したことで同じ産業省系企業として発足、市場シェア約80%、昨年キリンビールが買収)を勧められました。マンダレービールは2日後にマンダレーを訪れるまでのお預けのようです! 日本風に冷やされたミャンマービールは味も日本のビールに似ており、ドイツの品評会で受賞するなどミャンマービールの品質は高く評価されているそうです。2杯目は無料でサービスされました。
 
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ボーヂョーアウンサン通りに面した窓際の席から北方にあるシュエダゴン・パヤーを望むことできます。木々が生い茂った丘の上にあるここと、周辺に高い建物を建てることが規制されているため西日に輝く黄金の仏塔が神々しい。
 
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配膳を待つ間、南側に広がるダウンタウン(旧市街地)も見てみたくなりました。その中心であるスーレー・パヤーSule Paya、注、スーレーは南方仏教聖典に使われたパーリ語で聖髪を意味する)を写真の中央やや右寄りに、そしてヤンゴン川にあるパンソダン埠頭(ふとう)付近にあるイギリス統治下に建てられた建物群を左手に入れて撮影。右端の建物は40年前にはなかったホテル「スーレー・シャングリ・ラ ヤンゴン」(22階建て)。シャングリラ系の中級ホテル「トレーダーズ・ヤンゴン」が2013年に改装されて、名称も格上げされたようです。
 
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旧市街地はスーレー・パヤー通りとマハバンドゥーラ通りが交差するロータリーにあるスーレー・パヤーが都市計画の中心地になっています。その左後方には独立記念塔(写真左端)があるマハバンドゥーラ公園と昨年オープンしたヤンゴン証券取引所(木立に囲まれた建物)。右後方にはAGD銀行(アジアグリーンデベロップメント銀行)と最近建てられたと思われる高層ビルが並んでいます。また、スーレー・パヤー通りがヤンゴン川に行き当る場所にある茶色の建物は貨物倉庫のようです。注、旧市街地が碁盤(ごばん)の目状に整備されたことが航空写真でよく確認できる
 
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ヤンゴン川沿いに左手方向へ視線を移すと、見覚えのある尖塔(せんとう)や丸いドーム状の屋根など、古い様式の建物が残されていました。イギリス統治時代の建物が多く残るエリアです。40年前に定宿としたストランド・ホテルもこの一角(尖塔がある建物の左手)にあるはずです。
 
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ミャンマー料理が配膳されました。手前はスープにも見えるミャンマー風カレー「ヒン」とライス、その後方には右手前から反時計回りに、揚げた魚肉のカレー味煮込み料理、海老とイカなどの海鮮料理、野菜サラダがそれぞれ大皿に盛られています。野菜サラダの手前にある小皿にはお好みに応じて振り掛けるものが入っています。ちなみに、ミャンマーの習慣ではこのように大皿や鍋で配膳された料理を各自が取り分けて食べるのが一般的なのだそうです。味はややピリ辛ですが日本人の口にも抵抗なく合うものです。ただし、量が多いため食べきれませんでした。
 
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これは「ラペットゥ」。小皿に取り分けて好きなものを好きなようにブレンドしてそのまま、あるいはお茶漬けにして食べるようで、ミャンマーのスナックあるいはフリカケといえるでしょう。中央の緑色のものは発酵させたお茶。「ラペットゥ」の名前の由来はラぺ(茶の葉)を混ぜた(トゥ)と単純です。
 
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レストランに立ち寄ることを優先した現地係員の判断は正しく、午後6時が近づくとボーヂョーアウンサン通りで大渋滞が発生している様子が見て取れました。道路の右側には丸いドーム屋根があるボーヂョーアウンサン・マーケットと聖三位一体大聖堂Holy Trinity Cathedral Church、イギリスによる植民地化が完了/インド帝国へ編入された1886年の創立)が見えます。ちなみに、国民の約9割が上座部仏教徒であるミャンマーで2番目に多いのがキリスト教徒だそうです。
 
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デザートはコーヒーまたは紅茶と餅米(もちごめ)ケーキです。満腹になった私は紅茶だけをいただきました。
 
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薄暮(はくぼ)になった午後6時30分ころ、先ほどまで夕日を浴びて黄金に輝いていたシュエダゴン・パヤーでライトアップが始まりました。夜の黄金仏塔は期待通りの幻想的な雰囲気に包まれています。
 
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(続く)

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