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2017年3月27日 (月)

40年ぶりのミャンマー訪問(その7) ニャンウー市場

ターミナル・ビルの手前の部分は天井が低い平屋建てでした。左手のドアが預けた荷物の搬入口で、乗客区は右手の入り口からターミナルに入ります。ちなみに、国際空港として通関の機能はあるそうですが、現在、国際線の定期便は運行されていないようです。また、昨年(2016年)バガンを訪れた外国人観光客は約28万4000人、前年から急増(15%増)しているそうです。近年の政治的な安定が背景にあるのでしょう。
 
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機内に預けたスーツケースを待つ間にざっと確認すると、日本人観光客がほぼ半数を占めているようでした。手作業で行われるため、5分以上待たされました。写真はその奥にある天井の高い到着ロビーで、両替所が3-4店舗あるものの、無人の(営業していない)店舗が多く、観光ガイドと待ち合わせるためだけの殺風景なエリアです。
 
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ターミナル・ビルの正面は、ミャンマー風の装飾が施されていて、観光地の空港らしい雰囲気を演出しています。
 
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荷物をトヨタ車に積んでもらい、着陸して約15分後の午前9時10分にニャンウー村と新旧のバガン・エリアへ観光に出発しました。
 
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この車も右ハンドル、操作パネルなどの表示も日本語
 
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道端に遺跡と思われる小型の煉瓦積みを見かけました。
 
 
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バガン(Bagan)はミャンマー中央部のマンダレー地方にある上座部仏教寺院が林立する地域で、インドネシアのボロブドゥールとカンボジアのアンコールワットとともに、世界三大仏教遺跡のひとつとされます。イラワジ川中流域東岸の平野部にある11世紀から13世紀に建てられた仏教遺跡群(当時は数10万存在したともいわれる)が存在し、約40平方キロメートルにおよぶエリアに残る仏塔(パヤー、パゴダ)の数は2000以上ともいわれます。 

 

バガンはモン族(中国西部から東南アジアへ移住したモンゴロイド系の種族)の王朝を亡ぼしてミャンマーで最初の統一王朝となったビルマ族(チベットに住んでいたモンゴロイド系種族が南下してインド・アーリア人に属するロヒンギャ人と混血した種族)のパガン(Pagan)王朝が874年にパガンへ都を移しました。慣習により治世が変わるたびに遷都されましたが、パガンは宗教的な中心地として引き続き発展。1044年に王位に就いたアノヤター国王は周辺の民族や国々を制服して領土を拡大し、東南アジアで有数の王国となった「パガン王朝」は1287年にモンゴルの侵攻によって亡ぼされましたが、その重要な地位はその後も続きました。注、40年前にミャンマーのヤンゴンを訪れたころ、バカンはパガンと呼ばれていた 

 

バガン地区で最初に立ち寄ったのはバガン・ニャンウー空港から約3kmの距離(所要時間約10分)にあるニャンウー市場。ニャンウー村(ガイドさんによると人口2万人)はバガン・エリアにおける交通のターミナルであるとともに、バガン周辺の交易の中心的存在とのこと。この市場では衣料品や日用雑貨のほか、調味料、野菜・果物・肉・魚などの生鮮食料品を扱う店が多いそうです。バイクや小型トラックを利用して地域住民が集まるのだそうです。
 
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ガイドさんにしたがって市場の中に入りました。屋根と柱だけの建物がいくつもつながっているだけの簡素な施設です。売り子の呼び声が喧(かまび)しく、多数の買い物客と観光客でごった返していました。ミャンマー人の生活をしる参考として、いくつかの店先に並んでいた主な商品の写真を紹介します。

 

まず、ミャンマーを象徴する天然の化粧品(日焼け止めの効用も)である「タナカ」です。砥石(といし)を使ってタナカと呼ばれる木を磨り潰して採取した樹液を成人女性や子供たちが顔に塗ることがミャンマーの伝統的な習慣(文化)であり、現在も40年前とあまり変わっていません。ただし、ガイドさんなど一部の若い人たちはタナカ離れをしているとも聞きました。新しいことは、左半分に積み上げられた小皿のような形をした砥石(すり鉢)と共にタナカの固形石鹸とメーカー製のタナカ・ペイスト(右上の黄色いパッケージ)も併せて売られていることです。
 
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野菜類は日本のものとほぼ同じに見えます。
 
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衣料品店には鮮やかでカラフルな商品が豊富に展示されています。右手にはロンジなどを仕立てるための生地(きじ)も置かれていました。注、ロンジは男女ともが身に着ける巻きスカート、男女で巻き方(留め方)が異なる(詳しくはこちらを参照のこと)
 
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コメの量(はか)り売り
 
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トマト、唐辛子(とうがらし)、鶏肉
 
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ニンニク、玉ねぎ、イモ、香辛料(こうしんりょう)類
 
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切り花屋ではきれいな花が売られています。菊に似た花もあり、同行者は『クロアチアでも花屋で菊の花が売られていたわね!』 と昔(3年半前)のスプリット旧市街地トロギール旧市街地における思い出話を。
 
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骨董品(こっとうひん)屋には大小さまざまな仏像と
 
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タバコを吸う大きな煙管(きせる)などが並べられています。
 
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乾物屋には魚の干物と魚醤(魚類または魚介類に塩を加えて漬け込んで作る醤油)と同じ製法で作られた右ンガピ(味噌)も
 
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2棟が一体化した建物の反対側に出ました。市場には広めの通路を挟んでもう1棟(写真右)あり、その規模の大きさに驚かされます。注、帰国してから航空写真で確認すると、約100m四方の敷地内には、これら3棟のほかに、奥に向かって(右手方向に)細長い建物が数棟並んでいると思われる
 
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ガイドさんにしたがって、別の出入り口から同じ建物に戻ると、何度も見たミャンマー固有のバナナの房が吊るされていました。緑色が黄色くなるまでこの状態で保存されるのだそうです。
 
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これはもちろんココナツ(椰子の実)。通常、寺院への供え物とするため、長く伸びている枝が折れると商品価値が下がるそうです。よく見ると、添え木をしたものと長い棒に固定されたものがありました。
 
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豆類のようですが・・。
 
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ドラゴンフルーツ(別名:ピタヤ)はサボテンの果実です。ハワイのホテルでデザートとして食べ、ベトナムではバスで移動中にその果樹園を見かけたこりしたことがあります。その下にある黒い果実はアボカドのようです。
 
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20分ほど市場内を見て回ったあと、午前40分ごろに次の目的地へ向けて出発しました。(続く)

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