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2017年3月28日 (火)

40年ぶりのミャンマー訪問(その8) バガンを代表するシュエズィーゴォン・パヤー

ついで訪れたのは、約2km(10分ほど)の距離、同じくイラワジ(エーヤワディー)川沿いのニャンウー村にあるバガンを代表するシュエズィーゴォン・パヤー。パガン朝の初代国王アノーヤターがタトォン国を征服した後に建設を始め、第3代国王チャンスィッターによって12世紀初頭(1090年ともいわれる)に完成。最初はエーヤワディー川の岸に建てられましたが、水害がひどいので現在の場所に移されたそうです。ここには仏陀の歯と骨が納められているそうです。名称は、シュエが金、ズィーゴォがパーリ語の勝利・祝福の地を意味するそうです。

 

土産物を売る露天商が両側に並ぶ屋根つきの南側の参道に入るため、指定された場所で履物を脱いで素足になりました。
   
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その脇には巨大な狛犬ならぬライオン仏塔を護っています。
 
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黄金色に輝くシュエズィーゴォン・パヤーの全景写真
 
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通路を抜けると境内に出ると、三層の方形基壇(きだん)上に高さ約40mの丸みを帯びた円錐形の塔が聳(そび)えていました。写真とは異なり、上半分がくすんだ色をしているのは、3年ごとに行われる金箔を張る作業用の竹製足場を覆(おお)う同じく竹製の日除けが被(かぶ)せられているためだそうです。上の写真と比較するとややズングリして見えるのはそのせいでしょう。ちなみに、左の建物は信者が寄進した木製の塔とのこと。(航空写真はこちらを参照)
 
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右手前の建物は主塔の周りにある仏像にお祈りする礼拝所(お堂)のようで、僧侶の姿も見えます。
 
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仏塔の頂上部には上から風見鶏、閉じた日傘、ハスの葉のツボミ、円錐下部には風鐸(ふうたく、鐘型の鈴)が傘状に広がり、その下には蓮弁(れんべん、ハスの花弁の文様)があるそうです。また、三層の方形基壇の上に釣鐘形の塔身(ドーム)が載る構造はミャンマー型パゴダの原型(典型)とのこと。
 
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仏塔の周りに置かれた仏花装飾
 
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方形基壇の角にはライオン像と礼拝する場所があります。
 
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仏花装飾の基台の最上部が社(やしろ)を模(かたど)られており、その中に小さな黄金の仏像が祀られています。仏教を根付かせるために、下部にあるミャンマー土着のナッツ神(精霊)が上部の仏像を支える形で一緒に祀る形をとったのかもしれません。
 
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仏塔の反対側(裏手)に出ました。
 
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基台に設けられた階段の先に施錠された入口があります。
 
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ガイドさんにしたがって装飾の少ない建物に入ると、
 
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多くの如来像(坐像、ざぞう)が祀ってありました。ただし、賽銭箱(さいせんばこ)はあまり見当たりませんから、仏像の展示庫(ギャラリー)かもしれません。
 
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仏像は様々な印相(いんぞう、手と指の形)でメッセージを伝えています。インド系の顔立ちが多いことから、古い時代のものでしょう。
 
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左手にある菩薩(ぼさつ)または仏陀の弟子を表現したと思われる仏像(立像、りゅうぞう)と賽銭箱を見ながらミャンマーの伝統楽器、タィエイ(獣などの皮を使用した楽器)の一種であるドーバッ1を叩く男の子がいました。
 
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建物の外に出ました。作業用の梯子(はしご)が架けられた仏塔(右)と本尊(過去四仏)を祀る仏塔の四方にある仏堂(左)です。注、過去四仏は釈迦が現れる前にこの世に現れた7の仏(過去七仏)に含まれる四仏、燃灯仏をはじめとする24の過去仏を挙げる説もある
 
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これは東側の仏堂ですから、祀られているのは黄金のコーナーガマナ仏(倶那含牟尼仏、なごんむにぶつに、金の仙人を意味する仏陀の一人)のはずです
 

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先ほど見た礼拝堂には僧侶から熱心に仏話を聴く信者たちがいます。ガイドさんによれば、お教と同様、毎回同じような話を聞くそうですが、現代のビルマ語ではない(古いパーリ語と思われる)とのこと。私が子供のころ、日本のお寺(実家に近い大きな寺院)も日曜学校として似た信者(檀徒)と子供を対象にした集会を開いていたと記憶しています。注、言語はミャンマーごではなくビルマ語
 
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この後にも続くパヤー(仏塔)と寺院巡りに便利だろうと、参道脇の露店商から草履(ぞうり)を買い求めました。履いてみたあと、店主が手際よく鼻緒(はなお)を調整してくれました。40年前には単色のゴム草履(現代風にいえばビーサン)が一般的でしたが、現在は観光客向けでもあり、綺麗なデザインと畳のような感触は蒸し暑いミャンマーに合っているようです。ただし、あまり凝ったデザイン(布素材)の草履を買うと雨でお釈迦(おしゃか、駄目の意味)になることがあるそうです。
 
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シュエズィーゴォン・パヤーの周りを35分ほどをかけて時計回りに巡(めぐ)ったあと、次の目的地へ向かいました。ここで例によって投稿を小休止します。(続く)

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