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2017年4月18日 (火)

40年ぶりのミャンマー訪問(その20) マンダレー観光① 「古都アマラブラ」(前編)

突然でしたが、国道1号をそれて、集落の中を抜ける田舎道に入りました。バガンのニャンウーよりもバスや車の通行量の多いようです。到着したのはマンダレーの南約11kmにあるエーヤワディー川とタウンタマン湖の挟まれた「古都アマラブラ」。パーリ語で「不死の町」を意味するそうです。

 

1783年、ミャンマー最後の王朝となったコンパウン王朝のボードーパヤー王の手によって下流のインワから遷都され、1823年にパージードー王によって都はインワへ戻されました。1841年にはターラーワディ王が再びアマラプラへ遷都しましたが、1857年にミンドン王がマンダレーへ遷都しました。その際、主要な建物もマンダレーに運ばれたため、かつての都をしのばせるものはほとんどないそうです。注、日本でも飛鳥時代と奈良時代には、平均すると約10年ごとに遷都が行われ、それぞれ6か所、計12か所(ただし前期・後期難波宮だけは同じ場所)に都が置かれた。(当ブログ記事「平城京(後編)」を参照)

 

まず、訪れたのはミャンマー最大級で最高位の僧院のひとつ「マハーガンダーヨン僧院」(写真左手)。全国から集まった約1500人の僧侶が修行生活を送っている場所です。
 
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塀越しに、立ったまま談笑する何人もの僧侶の姿が見えます。広い部屋に多数のテーブルが並んでいますから、僧院の食堂と思われます。
 
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来し方を振り返ると人気のない道が確認できます。時計は午前11時15分を指していますが、早朝にはこの道で托鉢(たくはつ)をする僧侶たちの列も見られるそうです。
 
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僧院構内の地図には100以上の建物が表示されています。現在地は右下の入口付近。
 
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ガイドさんは入場する許可を得てくれました。ご飯を作る深絞りの大釜が積まれています。午前10時15分ころから1500人の僧侶が列をなして食事(昼食)を受け取り、大きなホールでいっせいに食事する行事は終わっていました。電光掲示板に書かれているのはこの日の食事を寄進した人の名前だそうです。なお、朝食としては早朝に軽いものを食べるそうですから、一日二食なのです。
 
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この僧院では僧侶の数が多いため、寄進された金品を使って、僧院内で食事の準備をするそうです。つまり、全員が外に出るのではなく、大半の僧侶は僧院内で托鉢を行っているのです。
 
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幼い僧侶見習いたちは托鉢の鉢を持っています。
 
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奉仕のためにこの僧院を訪れた信者(ボランティア)の集会所でしょう。全国からの希望者が多いため、1年前からボランティア活動への参加を申し込むのだそうです。
 
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装飾画施された純白の建物は創立者である高僧の住居跡と思われます。ちなみに、この僧院はイギリス統治下の1914年に創立されました。
 
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新しい建物も
 
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選択した僧衣が干されています。ミャンマーでは赤黒い色(あるいは海老茶色)が僧侶用、ピンク色が尼僧用です。ちなみに、僧衣はロンジーのような下半身用と袈裟として着用する上半身用(2x3mの四角い布)で構成されているそうです。
 
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駐車場にある見事な菩提樹の大木
 
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車で屋根付参道がある寺院の駐車場へ移動
 
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両側に衣料品などを売る店舗と露店が並ぶ道を歩きます。
 
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アマラプラは織物産業が盛んなことを示しているようです。
 
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ウー・ベイン橋の袂(たもと)に出ました。160年近く前、大地震により甚大な被害を受けたインワからアマラブラへ遷都された時の市長にあたるウー・ベイン(ベイン氏)がインワの旧王宮からチーク材を運び、アマラプラの東に広がるタウンタマン湖を渡るために架けた木製の橋です。注、インワは1364年からシャン族の都となり、後にビルマ族王朝の都となって約400年間栄えた
 
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昨年、洪水で破損したため、改修されたことが写真で説明されています。
 
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橋の上にも露店が出ています。
 
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1086本ある橋桁にはビルマ数字で番号が振られています。そうでした。几帳面(きちょうめん)なミャンマー人は番号を振るのが大好きなのです。
 
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(続く)

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