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2017年4月20日 (木)

40年ぶりのミャンマー訪問(その22) マンダレー観光② マハムニ・パヤーの黄金大仏

国道1号からサガイン-マンダレー道路に入って北上し、マンダレーの市街地に入りました。市街地の南部に、次の目的地であるマハムニ・パヤーはあります。ヤンゴンに次ぐ第2の都市、マンダレー(人口約90万人、都市圏210万人)において最大で、最も重要な仏塔だそうです。仏塔の名前は本尊にあたる高さ約4mのマハムニ仏(金属製の仏陀座像)からきているとのこと。ちなみに、アマラブラから車で15分ほどの距離です。履物を脱いで西参道(ペデストリアン・パス)へ向かいました。
 
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マハムニ仏は創建者のボード―パヤー王(在位1782-1819年)の手によってヤカイン地方(注、ミャンマー南西部、ベンガル湾岸のエリア)から運ばれてきたとの伝承があるそうです。

 

西参道の両側には商店が並んでおり、これまでの寺院やパヤー(仏塔)とは異なり、お供え物とお土産以外に仏像や仏具なども売られています
 
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なかでも黄金の仏像がひときわ目を惹きました。寺院に寄進したり、自宅に祀ったりするために信者が仏像を購入するそうです。ちなみに、中身は白い大理石であるとのこと。
 
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参道の奥に設置された大きなビデオスクリーンには黄金の仏像が映し出され、信者が金箔を貼る様子がリアルタイムで見ることができます。
 
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参道を抜けると広い本堂に出ました。前方に黄金の仏像が現れました。その手前の参拝エリアには熱心に拝む信者の姿があります。注、写真撮影をする場合は撮影料を支払って、シールを上着の目立つ場所に貼る必要がある
 
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マハムニ仏の近くにも人の姿があります。金箔を貼りすぎたようで、仏像の表面がお釈迦様の頭にある螺髪(らほつ)のようになっています。
 
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左手にあるセキュリティ・ゲートは仏像に金箔を貼りたい人が仏像近くへ立ち入る入口です。ただし、女人禁制とのこと。
 
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左手に折れて時計回りに本堂内を巡ると、仏像の横顔を見ることができる場所に出ました。こちらからも金箔を貼る人を確認することができます。もともとヤカイン地方にあったとされる仏像らしく、インド風の顔立ちのように見えます。ちなみに、黄金で輝くマハムニ仏は、このパヤーに安置された当時、金箔は貼られておらず、青銅製のままであったとのこと。
 
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本堂の広い回廊にヨーロッパの雰囲気があるのは、1884年に発生した火事で焼けた建物を立て直す時に、イタリア人が協力してイタリア式のデザインとしたためです。
 
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本堂を出て、別棟に向かいました。人間やライオンなど6体のクメール様式の青銅像を収められたお堂です。3体が獅子で、2体がインドのシヴァ(ヒンズー教の神の意)で、一体は頭が三つついた象があるとのこと。ちなみに、下の写真はシヴァと象。
 
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そして、これが獅子像
 
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自分の具合が悪い部分と同じ場所をなでると体の調子が良くなるという言い伝えがあるとのこと。
 
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これらの像はいずれも12世紀にカンボジアで造られ、アンコールワットに置かれていましたが、1431年にタイ(アユタヤー)の軍が持ち帰り、さらに1564年にはアユタヤ―(関連ブログ: アユタヤーへの船旅アユタヤ遺跡)に攻め込んだモン族の王バイナウンの軍がバゴー(注、ミャンマー南部、ヤンゴンの東北にある町)へと奪い去った。1600年にはやカインヤカイン(注、ミャンマー南西部のベンガル湾岸の地域)のラザヂー王がバゴーを侵略してこの像を持ち去ったが、1784年にコンパウンド朝のボード―パヤー王(在位1782-1819年)が奪い返し、マハムニ・パヤーへ収めた経緯があるそうです。注、カンボジアのクメール王朝(9-15世紀)では土着の信仰とヒンズー教、仏教が混じり合った宗教が信仰されていた

その先にある巨大な鐘
 
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主塔の周りにはこのような小仏塔が80基もあるそうです。
 
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もと来た参道を戻ります。ちなみに、写真右側の窓口で金箔を購入できます。
 
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朝のフライトが約1時間遅れたため、午前中の観光はやや端折(はしょ)り気味になりました。マハムニ・パヤーの境内はこちらのビデオも参照してください。正午を過ぎ、昼食会場へ向かうタイミングで、投稿を小休止します。(続く)

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