« グルメを求めて上信越を巡るドライブ旅」 (その7) 前橋市の「原嶋屋総本店」と「敷島公園バラ園」 | トップページ | グルメを求めて上信越を巡るドライブ旅」(その9) 「群馬県庁舎展望ホール」 »

2017年6月15日 (木)

グルメを求めて上信越を巡るドライブ旅」(その8) 「前橋市蚕糸記念館」

「バラ園」の奥(北西の角)にある前橋市の「蚕糸記念館」(入館無料)にも立ち寄りました。
 
2017_05310161
 
明治44年(1911年)に国立原蚕種製造所前橋支所の本館として建てられた建物(注、国内6地方にあった支所のうち現存する唯一の棟)で、その後は名称が蚕糸試験場などと変わりましたが、昭和56年(1981年)に前橋市が払い下げを受け、解体・移築し、前橋市蚕糸記念館としてこの地に設置したそうです。玄関のエンタシス状の柱、レンガ積みの基礎、上下開閉の窓、入口のドアの低い取手(とって)、避雷針の設置など、明治末期の代表的な擬似洋風木造建築物の特徴をもっています。(出典:現地の説明看板)

 

館内には玄関から奥に続く廊下とそれと直行する廊下(つまり逆T字形の構成)によって4つの展示室が結ばれていました。順路にしたがい右手の廊下へ進むと、壁面に掛けられたパネルには「日本で最初の機械製糸場跡」(明治3年に前橋藩がスイス人技師を招いて住吉町で創業した藩営機械製糸所)および「糸の町前橋」の歴史が説明されていました。その先に第一展示室のドアが見えます。
 
2017_05310166
 
第一展示室は設立の経緯(いきさつ)と開所当時の様子を示す資料が並べられていました。まず、雅蚕(ちさん)人工飼料の「くわのはな」の説明とサンプルの展示および「繭見本」の展示があります。
 
2017_05310167
 
 

「天蚕(てんさん)」は日本原産の大型の野生絹糸虫(けんしちゅう)で、天然の山野でナラ・クヌギ・カシワなどの葉を食物として、美しい「緑色の繭」をつくることから「青やまこ」とも呼ばれています。第二次世界大戦によりその生産が途絶えましたが、長野県蚕業試験場などの30年にわたる努力が功をそうして現在長野県13市町村の約100戸で飼育されています。(出典:説明パネル)
 
2017_05310168
 
 

「蚕の一生」を説明するサンプル標本
 
2017_05310170
 
 

第二展示室に移ると、「絹の起源」と「養蚕に使われる道具類」の展示がありました。
 
2017_05310171
 
「蚕棚(かいこだな)」(右側)と蚕(かいこ)が繭(まゆ)を作る部屋となる「蔟(まぶし)」(左奥)
 
2017_05310173
 
 

第三展示室には製糸業に用いる道具と器械が並んでいました。

 

「毛羽(けば)取機」
 
2017_05310174
 
 

「生糸ができるまで」のコーナーには、4つの工程である①繭に熱を加えて蛹(さなぎ)を殺し、乾燥させ水分を取り除いて乾繭を作る、②鍋で蛹を煮て煮繭を作る、③繭の糸口を見つけて数本の糸を集めて生糸にして寄りをかけて小枠に巻き取る繰糸(そうし)、④小枠に巻き取った生糸を乾燥させてから太枠に巻き取る揚返(あげかえ)し、の説明と「繭煮鍋(まゆになべ)」と糸口を引く「箒(ほうき)」のサンプル展示があります。
 
2017_05310175
 
 

繭の糸口を見つけて小枠に巻き取る旧式の「牛首(うしくび)」とその改良型である上州座繰機(じょうしゅうざぐりき)は安政時代のものです。
 
2017_05310176
 
 

生糸の品質を計る秤(はかり)である「検位衡(けんいこう)」および糸の太さを調べるために一定の長さの糸を取り出す「検尺器(けんしゃくき)」など
 
2017_05310177
 
 

小枠(こわく)に巻き取った生糸を大枠に巻き取る「揚返器(あげかえしき)」
 
2017_05310178
 
 

野生の蚕蛾(さんが)の繭から取った「さくさん糸」、繭を真綿に成型して指先で紡(つむ)いだ「手紡(てぼう)」、渋柿で染めて生活素材として活用された「染糸(そめいと)」
 
2017_05310179
 
 

「結城紬(ゆうきつむぎ)」
 
2017_05310180
 
 

絹糸を何回撚(よ)ったかを計るための「検撚器(けんねんき)」
 
2017_05310182
 
「撚糸用六角棒」と「まわたつむぎ器」
 
2017_05310184
 
 

「撚糸機(動力式)」
 
2017_05310185
 
 

「糸巻機」と「糸撚車(いとねんしゃ)・紡車(つむぎぐるま)・竹車(たけぐるま)」
 
2017_05310186
 
 

見学コースで最後となる第四展示室には機織(はたお)りと養蚕信仰の資料がありました。

 

紡(つむ)いだ糸を整理したり、糸の必要量を数えたり、染色した糸を乾燥させ、杼(ひ)に巻き取る時に用いた折りたたみができる糸車である「糸かせ」
 
2017_05310191
 
 

座った状態で使う機織り機である「居座機(いざはた)」(奥の大きな器械)、織機の付属具である「筬(おさ)」(その手前)、布を機織り機で折る際に緯糸(よこいと)を素早く通すことができる「飛び杼(ひ)」(最前列、注、名札が居座機に載せられている)。ちなみに、「居座機」は5世紀ごろに中国から機織り技術が伝わったときに導入された織機であり、折進にしたがって座る位置を移動させることが名前の由来です。「筬」は竹または金属の薄片を櫛(くし)の歯のように並べて枠をつけたもので、経糸(たていと)を整え、緯糸(よこいと)を打ち込むのに使います。
 
2017_05310187
 
 

織り機の台に腰をかけた状態で使用する「高機(たかばた)」は木製手機(水平織機)の一種で、大和機または京機とも呼ばれます。(注、写真に写るのは足踏み式で踏み木が4本、つまり経糸を通す小さな穴が空いた糸状のものを収める綜絖枠(そうこうわく)が4枚あるタイプで、ペダルで綜絖枠に固定された経糸をまとめて上下させて緯糸を通す開口部を作ることができる) 原始的な織機である「地機(居座機)」を改良して、機の位置が地機より高い位置にあることが名前の由来。注、「居座機」と「高機」はいずれも「手織の機」で、動力を使用する織機(自動織機)と区別される
 
2017_05310188
 
 

ちなみに、当ブログでは、「インドネシア・バリ島」(2015年)と「ミャンマー・古都アマラブラ」(2017年)の記事で海外の機織り機を紹介しています。

 

かなり専門的な展示でしたが、分りやすく説明されていました。子供の頃に見た記憶があるものがいくつも展示してあり、昔を懐かしみながら館内全体を見学しました。

 

最後に養蚕についての薀蓄(うんちく)です。紀元前2000-3000年前に中国で発祥(はっしょう)したとされ、紀元前200年ころ(弥生時代)に稲作とともに日本に伝わり、大宝律令が制定された701年には租税(祖・庸・調)を絹で納める制度が定められました。(例、調布の地名)

 

同様に、隣接するアジア諸国(インド・ペルシャなど)やシルクロード(絹の道)の名にあるように陸路や海路でヨーロッパ(エジプトやローマ帝国など)へも伝わり、中世になるとヨーロッパでも生糸の生産が始まりました。 

 

「富岡製糸場」の記事で紹介したように、日本は明治初期から国策として生糸の生産を拡大する一方、先行するヨーロッパで病害が発生したてめ養蚕が大打撃を受けたことで、日本が生糸の主要輸出国になりました。その後も日本の生糸産業は興隆を極めて、昭和5年(1930年)には世界一の生産量(40万トン)を誇りました。しかし、第二次世界大戦後は海外諸国の安い生糸に押されて日本の生産量(養蚕農家)が激減し、1970年代中ごろには10万トンを切り、中国や韓国からの輸入が急増しました。現在は国内で消費される生糸の99%が海外製品になっているそうです。また、国内の生糸生産量は群馬県(シェア40%)と北関東・南東北・甲信・南九州に限定され、生糸を製造する企業は2社のみとなりました。ちなみに、繭の生産量では中国・インド・ブラジルが多いとのこと。

 

今回のドライブ旅は始まったばかりですが、ここで投稿を小休止します。(続く)

« グルメを求めて上信越を巡るドライブ旅」 (その7) 前橋市の「原嶋屋総本店」と「敷島公園バラ園」 | トップページ | グルメを求めて上信越を巡るドライブ旅」(その9) 「群馬県庁舎展望ホール」 »

文化・芸術」カテゴリの記事

旅行・地域」カテゴリの記事

趣味」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/146335/65410619

この記事へのトラックバック一覧です: グルメを求めて上信越を巡るドライブ旅」(その8) 「前橋市蚕糸記念館」:

« グルメを求めて上信越を巡るドライブ旅」 (その7) 前橋市の「原嶋屋総本店」と「敷島公園バラ園」 | トップページ | グルメを求めて上信越を巡るドライブ旅」(その9) 「群馬県庁舎展望ホール」 »

2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ