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2017年10月11日 (水)

出雲市の「出雲大社」(その3)

「素鵞社(そがのやしろ)」の前景
 
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『出雲大社摂社「素鵞社」の祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)で、天照大御神の弟紳であり、出雲国に天降りされ、肥河上において八岐大蛇(やまたのおろち)を退治して人々を助け、奇稲田姫を妻として、大国主大神を生んだ』 と説明されています。
 
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もと来た道を引き返しました。出雲大社摂社「氏社」の祭神は「天穂日命(あめのほひのみこと)で、天照大御神の第二子神。「大国主大神」の「国譲り」に際してその功をあらわし、天照大御神の言葉によって出雲大社へ大国主大神が静まると祭主として仕えたと説明されています。注、「天穂日命」は最初の使者
 
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その隣(南側)には17代の祖で出雲氏初代の宮向宿彌を祀っています。

 

「西十九社」は八百萬神(やおよろずのかみ)の遥拝所(ようはいじょ)であり、神在祭の際には神々の宿舎となるそうです。ちなみに、「瑞垣」の東側には「東十九社」があります。
 
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右手(西方向)に折れて、石橋を渡ると、昭和56年に造られた「神楽殿」です。
 
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「神楽殿」の正面
 
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神楽殿は「拝殿」にある注連(しめ)縄よりも大きな大注連縄(長さ13.5m、重さ4.5トン)があることで知られます。この日本一大きな大注連縄は来年7月に6年ぶりに取り換えられる予定だそうです。ちなみに、「出雲大社」の注連縄は他の神社とは捻(ね)じり方が反対です。その理由は、他の神社では神の領域に汚れたものが入らないための結界であるのに対して、「出雲大社」では大神が外に出ないための結界であるためとも言われます。注、注連縄の起源は、天照大神が天岩戸を出た際、二度と天岩度に入れないよう、布刀玉命(ふとだまのみこと、太玉命)が戸を塞(ふさ)ぐのに用いたこととされる
 
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「神楽殿」は名前が示すように、神楽を奏して神を勧請(かんじょう、迎えて奉安)する場所です。しかし、「出雲大社」の「神楽殿」場合、明治12年(1879年)、「本殿」とは別に出雲大社教の神殿として「大国主大神」を祀ったため、結界の役割を果たす大注連縄があるのだそうです。もともとは、「神楽殿」ではなく、宮司家の大広間として造られた建物だったようです。
 
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不思議な形をした噴水(あるいはオブジェ)
 
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石橋をふたたび渡って本殿方面へ向かいます。
 
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工事中のエリア
 
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国宝「出雲大社御本殿」と「平成の大遷宮」の説明
 
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「本殿」は、屋根が檜皮葺(ひわだぶき)で、屋根飾りとしてX字型・外削ぎの千木(ちぎ)が2組、横に伸びる鰹木(かつおぎ、勝男木)が3本、鬼瓦に似た鬼板(注、神紋が描かれている)が設置されています。ちなみに、鰹木は屋根と建物を守る重しといわれます。
 
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「拝殿」まで戻りました。
 
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「八足門」の右手(東側)にある「観祭楼(かんさいろう)」と「回廊(かいろう)」
 
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「東十九社」
 
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(続く)

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