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2017年11月

2017年11月30日 (木)

愛知県犬山市の「博物館明治村」を堪能する(その2)

「帝国ホテル中央玄関」は34年前に家族で「明治村」を訪れた時のままのようです。大正12年(1923年)8月に完成した「帝国ホテル」(東京都千代田区)は、9月1日の披露式の当日に発生した関東大震災による被害は少なかったそうです。「明治村」に移築されたのは、正面の玄関・メインロビー・車寄せ・前庭の池の部分とのこと。
 
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真正面から見た「帝国ホテル中央玄関」です。米国の建築家F.L.ライトが設計した「中央玄関」は幾何学的に彫られた大谷石と透かし入りレンガが使われた積み木細工のようでありながら、宮殿のような品格を持つファサードが印象的です。ちなみに、左後方に見えるのはSL用のアーチ橋。
 
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館内に入りました。
 
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喫茶室のテーブルとイス
 
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2階左手から見下ろした玄関ホールと対面にある喫茶室
 
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内側から見た玄関とその上にある喫茶室
 
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1905年9月5日、日本とロシアの使節により「ポーツマス条約」が調印された講和会議のテーブルです。
 
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「帝国ホテル中央玄関」を出て、5丁目を散策することにしました。前庭の池の脇(北側)にある建物は「名鉄岩倉変電所」(愛知県岩倉市)です。『名古屋電気鉄道により明治31年(1898年)日本で2番目の市内電車が名古屋市内に走るが、同社はその後も尾張地区に路線を伸ばし、大正元年(1912年)に犬山線を開通させた時、この岩倉変電所が建てられた。』 と説明されています。
 
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その前にある広場の先にはいくつもの建物が並んでいます。左から、「菊の世酒蔵」(愛知県刈谷市、明治初年/1868年頃)、「東京駅警備巡査派出所」(東京都千代田区、明治41年/1914年)、「金沢監獄中央看守所・監房」(石川県金沢市、明治40年/1907年)、瓦屋根の「宮津裁判所法廷」(京都府宮津市、明治19年/1886年)、右手前は「食堂楽のコロツケーの店」。
 
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さらに左手には、「隅田川新大橋」(東京都中央区/江東区、明治45年/1912年)と「聖ザビエル天主堂」(京都市中京区、明治23年/1890年)も
 
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「内閣文庫」は明治政府が中央図書館として建てた内閣文庫庁舎の主屋部分で、江戸幕府から引き継いだ子文書に加え、各地の古文書や海外の書籍が買い足され、蔵書の内容は充実していたとのこと。設計者は後に国会議事堂の建設を指揮することになる大熊喜邦。石とレンガで造られたルネッサンス様式であり、4本の円柱と2本の角柱が巨大なペディメントを受けている正面は、古代ギリシャ・ローマの神殿建築を思わせる姿であると説明されています。注、ペディメントは切妻屋根の妻側屋根下部と水平材に 囲まれた三角形の部分
 
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「皇居正門石橋飾電燈」(東京都千代田区、明治26年/1893年ころ)
 
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「展望タワー」は「川崎銀行本店」(東京都中央区、昭和2年/1927年)の正面左隅外壁部分を復元したものです。ルネッサンス様式を基調としており、当時の銀行建築の代表的な建物で、設計者はドイツのシャルロッテンブルグ工科大学(現ベルリン工科大学)に学んだ矢部又吉とのこと。
 
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最上部付近から北方には「内閣文庫」が、南方には「入鹿池」と「4丁目」の建物群を望むことができました。
 
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一階の展示室にある大型金庫群
 
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「大明寺聖パウロ教会堂」(長崎県西彼杵群伊王島)は明治12年(1879年)ころ、長崎湾の伊王島に創建された教会堂です。『内部こそゴシック様式だが、外観は鐘楼を除けば普通の農家の姿に過ぎず、いまだキリスト教禁制の影響を色濃く残している。教会堂内部は一般的には中央身廊と左右側廊からなる三廊式である。』 と説明されています。
 
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反対側(大明寺聖パウロ教会堂の前)から見た「展望タワー」
 
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(続く)

2017年11月29日 (水)

愛知県犬山市の「博物館明治村」を堪能する(その1) 

鞍ヶ池PAに併設されたスマートICで東海環状洞(外回り)に入り、
 
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豊田東JCTで新東名高速道路へ、次いで豊田JCTで東名高速道路へ反れ、名古屋ICを通過して名神高速道路方面へ向かいました。
 
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さらに、小牧JCTでは中央高速道路方面に進み、小牧東ICを出た県道49号を北上し、
 
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小牧市から犬山市へ入りました。
 
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郷中新橋南交差点を左折して「入鹿池」に沿う県道16号で「明治村」へ向かいました。
 
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案内標識にしたがって県道453号を北上して「博物館明治村」に到着
 
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「正門」を通過してやく1km先、北口前の駐車場に車を停めました。駐車料金は800円。三連休の中日であるため広い駐車場は満車状態で、一番奥のエリアに何とか駐車することができました。
 
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「博物館明治村」は、昭和40年(1965年)に開園した明治時代をコンセプトとしたテーマパーク(敷地面積約100万平米、移築展示建造物件数67件)です。そのhpには、『明治時代は、我が国が門戸を世界に開いて欧米の文物と制度を取り入れ、それを同化して近代日本の基盤を築いた時代で、明治建築も従って江戸時代から継承した優れた木造建築の伝統と蓄積の上に、新たに欧米の様式・技術・材料を取り入れ、石造・煉瓦造の洋風建築を導入し、産業革命の進行に伴って鉄・セメント・ガラスを用いる近代建築の素地を築いた。これらの建築のうち、芸術上、歴史上価値あるものも、震災・戦災などで多く失われ、戦後の産業の高度成長によって生じた、大小の公私開発事業により、少なからず姿を消していった。取り壊されてゆくこれらの文化財を惜しんで、その保存を計るため、今は二人とも故人となられたが旧制第四高等学校同窓生であった谷口吉郎博士(博物館明治村初代館長)と土川元夫氏(元名古屋鉄道株式会社会長)とが共に語り合い、二人の協力のもとに明治村が創設されたのである。』 とあります。
 

ちょうど正午になった時、「博物館明治村」の「北口ゲート」に到着。入村料金は大人1700円のほかに、SL/市電・バスが乗り放題の「のりもの一日券」(1200円)を別途購入しました。
 
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下り坂の遊歩道を進むと、
 
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「SL東京駅売店」の前に出ました。
 
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「博物館明治村」の「村内地図」の案内パネルを確認
 
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   「SL東京駅」から「SL名古屋駅」までSLに乗るつもりでしたが、待ち時間が30ほどあるため、予定を変更して、徒歩で「明治村5丁目」へ向かいました。
 
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「皇居外苑鋳鉄製柵」
 
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「三菱旧一号館」などのイラスト
 
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地下道ないにある「東京名所之内 新橋汐留蒸気車鉄道局停車館之真図」は、『1872年に新橋と横浜を結ぶ初の鉄道が開業した。この錦絵は、新橋停車場の様子を描いている。米国人ブリッジェンスが設計した駅舎や駅に集う人々の様子が写実的に描かれ、当時の風俗を知る上でも貴重な資料である。』と説明されています。
 
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「東京名所 京橋銀山通 煉化石 瓦斯燈 夕景図」
 
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下り坂をさらに下りると、前方に見覚えのある建物が見えてきました。同行者はずっと先を歩いています。
 
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「蒸気機関車12号 オリジナルボイラー」
 
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(続く)

2017年11月28日 (火)

愛知県豊田市の「鞍ヶ池公園」を訪れる

「香嵐渓」の駐車場を出て、国道420号を経由して、国道153号(飯田街道)と県道39号を戻りました。往路とは異なり、盛岡郵便局近くのT字路は直進して県道343号に入ると約5km先で東海環状道路の「鞍ヶ池スマートIC」出入口を通過し、東海環状道路の高架下を通過すると前方に広い公園が現れました。豊田市の東部にある市立「鞍ヶ池公園」です。灌漑(かんがい)池である「鞍ケ池」と若草山と呼ばれる丘などから構成される総合公園で、美しい緑に包まれた自然を満喫できる「ファミリーパーク」で、愛知高原国定公園に指定されています。

 

「東海環状自動車道」のすぐ先にある「東駐車場」を通り過ぎてしまったため、「鞍ヶ池」に近い「西駐車場」に車を停めました。
 
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坂を上がった所には「北駐車場(大駐車場)」もありました。
 
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徒歩で高台にある「桜園展望所」へ向かいました。

 
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「展望所」からは右手には「鞍ヶ池」を一望することができ、
 
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左手には芝生広場(広さ7000平米)にある大きなドーム屋根の施設とツインドームなどを確認できます。
 
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前者は「プレイハウス」で、約2000平方メートルの木の葉をイメージした大きな屋根と2階建ての建物が一体となっており、季節や天候に左右されず、多目的に利用できます。後者は植物園のようです。

 

「西駐車場」の背後にある高台にも施設が見えました。ネット検索すると、「トヨタ鞍ヶ池記念館」でした。
 
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「桜園展望所」を下りて「鞍ヶ池」方面へ歩きました。ちなみに、「鞍ヶ池公園」には1500本ほどの桜があり、特に桜園には約25種70本の珍しい桜があるそうです。
 
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県道343号の歩道を東へ歩くと、「豊田市鞍ヶ池植物園」と表示された門の前に出ました。「公園管理事務所」と思われる建物が見えました。
 
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しかし、敷地の奥には昨年オープンしたばかりの「豊田市動物愛護センター」があるようです。
 
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横断歩道を渡って県道343号の反対側に出て、「若草山」を目指しました。後方から園内バスが現れて追い抜いて行きました。
 
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「若草山」に登る階段へ向かいます。
 
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階段の途中で振り返ると、「植物園」「プレイハウス」「鞍ヶ池」を一望できました。
 
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こちらは県道343号の反対側にある「動物園」へ行ける歩道橋です。
 
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前方の「若草山」の頂上にある「美しの塔」
 
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その右手には奇妙な施設が少し覗(のぞ)いています。東海環状自動車道の「鞍ヶ池PA」にある「展望台」のようです。
 
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「園内移動車両ルートマップ」には「植物園前」から園内の北簿を巡回するルートと「若草山」と「鞍が池PA」へ向かうルートがあり、料金は大人100円/回または200円/1日とのこと。
 
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「自然が織りなす四季のさと 鞍ヶ池公園」の案内図
 
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「鞍ヶ池公園 ハイウェイオアシス」は「鞍ヶ池PA」と「鞍ヶ池公園」からアクセスできることを示しています。
 
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「プレイハウス」へ向かい、
 
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「鞍ヶ池」の脇を通過し、
 
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30分弱の散策のあと、「西駐車場」へ戻りました。(続く)

2017年11月27日 (月)

愛知県足助町の「香嵐渓もみじまつり」(後編)

右手方向に主な観光スポットがあるようです。
 
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散策路の両側から枝が伸びる楓(かえで)が色付けば「もみじのトンネル」に変身するのでしょう。
 
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「足助案内マップ」には飯盛山の一帯が「香嵐渓」として表示されています。
 
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茅葺(かやぶ)きの古民家は「栗の木茶屋 百年草
 
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「足助屋敷うまいもんマップ」の案内板
 
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広場では猿回しが芸を披露しています。
 
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その奥にはフードコート[足助屋敷うまいもん」がありましたが、同行者はそれには目もくれず・・。
 
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三州足助屋敷」 注、三州は三河の国の別称
 
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説明パネルには、『明治時代の足助地方の豪農邸をモデルに新築し、私たちの周りから消えていった、機織(はたおり・炭焼き・紙漉(かみす)き等多くの手仕事を復活・再現し、将来に伝えていこうとする施設です。) とあり、「本日の手仕事」として、わら細工・機織り・傘骨作り・傘はり・桶屋(おけや)・紙すき・紺屋(こんや)・炭焼き・鍛冶屋(かじや)・かご屋・木地屋(きじや)の11種類を挙げています。
 
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左手に伸びる「曹洞宗 香積寺」へ向かう道に入って、急な石段の手前を右手に進みました。
 
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薫楓橋(くんぷーきょう)」から見た巴川の流れ(下流方向)
 
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上流方向の右手には「川見駐車場」があり、遠くに「香嵐橋(こうらんばし)」(吊り橋)が見えます。
 
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「もみじのトンネル」をイメージしながら散策路を歩いて「待月橋」まで戻りました。日本三大紅葉の里とされる大分県中津市の耶馬渓谷(やばけい)、栃木県日光市の日光(中禅寺湖畔)、、京都府京都市の嵐山に比べれば見劣りするのかもしれませんが、宮城県大崎市の鳴子渓谷・京都府京都市の貴船などと並ぶ紅葉の名所といえるでしょう。
 
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(続く)

2017年11月26日 (日)

愛知県足助町の「香嵐渓もみじまつり」(前編) 

豊田東JCT」で新東名高速道路から東海環状自動車道へ入りました。
 
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新東名高速道路と同じ最高速度が表示されていますが、愛知県豊田市から岐阜県を経由し三重県四日市市に至る高規格幹線道路です。法律上では、高速自動車国道ではなく一般国道(国道475号)の自動車専用道路として扱われているそうです。ちなみに、高速道路である伊勢湾岸自動車道と組み合わせて環状道路を構成することになります。
 
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「豊田東JCT」から約3kmの距離にある「豊田松平IC」を出ます。
 
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行き当ったT字路を左折して、県道39号(足助街道)で足助(あすけ)方面へ向かい、「王滝渓谷(おうたきけいこく)」の入口を通過しました。「王滝渓谷」は愛知県豊田市松平町にある巴川(ともえがわ)の支流・仁王川沿いの渓谷で、1.8Kmの距離を148mの落差で清流が流れ、木々の間の遊歩道が整備されているハイキング向きの景勝地のようです。ちなみに、松平郷は徳川家のルーツといわれている松平氏の発祥の地でもあります。
 
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県道39号は巴川(ともえがわ)に架かる橋渡り、T字路を右折し、巴川に沿って上流へ向かいます。
 
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国道153号に行き当る追分(おいわけ)交差点でも右手に折れ、少し走ったところで案内標識にしたがい巴川の左岸に出ました。交通量の少ない市道です。
 
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国道420号に行き当って右折し、約100m先も足助八幡宮交差点をさらに右折すると、日本を代表する(東海随一)の紅葉スポット(約4000本のもみじ)といわれる「香嵐渓(こうらんけい)」に到着しました。11月1日(水)から11月30日(木)まで「香嵐渓もみじまつり」が開催されていることを知って立ち寄ったのです。ただし、この日は11月4日(土)で最盛期に11月中頃には10日ほど早いことも承知の上です。
 

足助八幡宮交差点から50-60mの地点に広い宮町駐車場を見つけました。空いているむねの表示がありますから、ただちに入れば良いのですが、私はまず車で「香嵐渓」を巡ってみたくなりました。旅館「香嵐亭」の裏手を抜けると、巴川沿いの狭い道に入りました。写真は「待月橋(たいげつきょう)」方面を振り返って撮影しました。ちなみに、紅葉の様子は「香嵐亭」のhpにあるビデオで見ることができます。
 
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「東海自然歩道」でもある道はどんどんせまくなるようです。時々、ハイカーとすれ違いました。
 
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宮町駐車場の前から2kmあまり走ると東川端町の県道362号に行き当りました。
 
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県道左折して巴川に架かる橋の上に出たところで、巴川の流れと始まったばかりの紅葉を撮影。
 
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橋を渡り終えると国道420号(鳳来寺道)に行き当りました。3年前に訪れた鳳来寺山(ほうらいじさん)へ向かう国道です。今回は「香嵐渓」が目的地ですから、左折して巴川の右岸に沿って足助町方面へ引き返しました。駐車する場所は「宮町駐車場」(一回1000円)でも良かったのですが、車で周回する時に見かけた「いわしみず駐車場」(一回700円)を選びました。

 

『香嵐渓近道』の案内看板にしたがい石段を下りて狭い露地へと向かいました。
 
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そして、両側に屋台が立ち並ぶ「香嵐渓」のメインストリートを巴(ともえがわ)川に向かって歩きます。
 
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散策路は巴川沿いに右に折れて「待月橋(たいげつきょう)」方面へ延びています。
 
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待月橋(たいげつきょう)」が見えてきましたから、この辺りが紅葉を鑑賞するベストスポットのはずですが・・・。
 
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「待月橋」の先にも散策路が続いているようですが、もらった地図で確認すると、先ほど車で周回した狭い道へ出ることが分かりました。対岸にも散策路が伸びています。
 
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「待月橋」を渡ります。
   
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下流側の川原に下りて遊ぶ人たちと一部紅葉し始めた「楓(かえで)」が見えます。
 
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橋の上流側にも
 
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(続く)

2017年11月25日 (土)

最高速度が110km/hにアップした新東名高速道路の「新静岡IC~森掛川IC間」を走行する

新東名高速道路の「森掛川IC~新静岡IC間」(約50.5km)で111日から最高速度が試行的に110km/hへ引き上げられていることを知り、さっそく走行して見ることにしました。3連休の中日(なかび)である114日(土)です。国土交通省が中心になって検討した結果。道路規格は第1種第1級(設計速度120km/h)である新東名高速道路の内、直線区間が多く事故が比較的に少ないこの区間を対象としてとして100km/hから110km/hへ10kmだけ引き上げて、1年以上にわたって事故のデータを収集・検証したた上で御殿場JCT-浜松いなさJCT間を対象に最高速度を110km/hに見直す方針のようです。ただし、これが適用されるのはこれまで100km/hが適用されていた大型バス、中型貨物の一部、普通自動車、オートバイで、80km/hの規制を受けていた大型トラックには適用されません。
 
 
午前5時30分過ぎに御殿場JCTで新東名高速道路に入りました。電光掲示板には最高速度が車種により100km/hと80km/h(いずれも従来通り)であることが表示されています。注、80km/hは大型貨物等・三輪車・牽引、100km/hはそれらを除く車両
 

駿河湾沼津SA」に立ち寄ったあと、予期したよりも早く、「新静岡IC」付近で100km/hの表示が110km/hに変わりました。
 
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清水PA」のすぐ先にある「羽鳥トンネル」(長さ1030m)内の最高速度表示
 
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それまで片側2車線であった新東名高速道路は片側3車線)は「静岡SA」付近で片側3車線に幅員が広がりました。ちなみに、長泉沼津IC・富士IC・新清水JCT・新静岡IC付近も同様に短区間だけ片側3車線化されています。
 
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「藤枝岡部 焼津出口800m」(藤枝岡部IC)の案内標識の脇にある電光掲示板に『110キロ試行区間
車間距離確保』と表示されています。注、この付近も片側3車線
 
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藤枝PA」を過ぎると片側2車線に戻りました。
  
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掛川PA」に近づきます。
  
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「倉真(くらみ)トンネル」(長さ660m)
  
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「西郷トンネル」(長さ1170)
  
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「試行区間」は残り500
  
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「試行区間」の終点で、最高速度の表示が「100km/h」に変わりました。
   
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森掛川IC」まで1kmの地点
 
   
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今回は早朝であったため車の通行量が少なく、しかも最高速度が80km/hである大型トラックもほとんど走っていなかったため、「最高速度110km/h」に従った走行はこれまでとの違いは感じられませんでした。大型トラックが多い時間帯では、速度差の拡大が運転のしやすさに影響する懸念が生じます。またの機会に感想を書きたいと思います。
 

「森掛川IC」まで600mの地点に差し掛かった場所で片側3車線に拡幅されました。短区間(1-2km)だけ拡幅されている他のICやJCTとは異なり、片側3車線の区間は浜松SAの先まで約7kmも続くようです。
 
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午前6時40分ころ、駐車場がほぼ満車状態の「浜松SA」で2度目の休憩(約15分)を取りました。ここで朝食にしても良いのですが、もう少し先へ進むことにしました。「新東名高速道路」の最高速度110km/h区間を走り終えて、新東名高速道路で最高速度が80km/hである「浜松いなさJCT」から先の区間に入りました。カーブとアップダウンが多い区間です。
 

午前7時40分を過ぎました。朝食に良いタイミングと考えて、「岡崎SA」の「NEOPASA岡崎」に立ち寄りました。
 
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新東名高速道路が延伸された直後、このSAに立ち寄っていますが、「NEOPASA岡崎」を利用するのは初めてです。フードコートに「みそかつ
矢場とん
」の店を見つけました。
  
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朝食に「みそかつ」はヘビーすぎますが、「みそかつ丼(みそ汁・漬物付)」(1200円)を注文して、同行者とシェアすることにしました。実は、自宅近くのコンビニで購入したおにぎりを食べながら東名高速道路走行したため、ひとりで食べる自信はなかったのです。やはり、濃い味付けのため朝食にはインパクトがありすぎました。
 
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午前8時10分ころに「岡崎SA]を出発し、「豊田東JCT」において新東名高速道路から東海環状自動車道へ入ります。初めて車を乗り入れる道路であり、走行するのが楽しみです。
  
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(続く)

2017年11月22日 (水)

津和野町の観光スポット「西周旧居」「永明寺」などを訪ねる(後編)

安野光雅(あんのみつまさ)美術館」は、地元津和野出身の画家・天野光雅氏の作品を展示する目的で、平成13年(2001年)に開館したそうです。その絵本と風景画は海外でも高い評価を受けており、国際アンデルセン賞画家賞など多数の賞が贈られているとのこと。午前9時の開館時間にはまだ50分ほどあり、入口はまだ閉まっていました。ちなみに、入館料は大人800円。
 
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「高岡通り」を挟(はさ)んで向かい側にある「桑原史成(くわばらしせい)写真美術館」は津和野出身の報道写真家・桑原史成の作品を中心に、国内外の報道写真を収集・展示しているそうです。ちなみに、開館時間午前9時~午後5時、入館料大人300円。
 
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踏切を渡って駅の反対側に出ると、「ラッピング列車」(山口自転車旅)が停まっていました。
 
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次の目的地である「永明寺(ようめいじ)」に向かいました。
 
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坂道の参道を上がった左手の石段の先に、徳川光圀の師・心越禅師(しんえつぜんじ)の揮毫(きごう)と伝えられる文字が掲げられた山門がありました。
 
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「永明寺」の案内板には、『応永27年(1420年))に津和野城主吉見頼弘によって創建された曹洞宗(禅宗)の古刹(こさつ)で、山号は覚皇山(かくおうざん)。島根県最古の別格大禅院で、かつては石見地方を中心に70以上の末寺を擁し、石州本山とも呼ばれていました。吉見氏12代、坂崎出羽守1代、亀井氏12代の長きにわたり、歴代津和野城主の菩提寺として尊崇されていました。永明寺の伽藍は、火災によりなんどか焼失しています。(中略)現在の伽藍は享保14年(1729年)の大火後に復興されたものです。境内地には、坂崎出羽守の墓と森鴎外(森林太郎)の墓などがあります。』 とあります。
 
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享保14年(1720年)に建物が再建された「永明寺」(県指定有形文化財)の前景です。ちなみに、拝観料は300円。「書院」の裏手にある日本庭園が見事だそうですが、この日も予定が詰まっていますから、広場から写真を撮影するだけに留めました。
 
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「中雀門(ちゅうじゃくもん)」「の先に見える本堂は寺院としては珍しい単層茅葺(かやぶ)き屋根です。
 
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同じく「庫院(くいん)」「大講堂」「書院」 注、庫院は禅宗における庫裏
 
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同じく鐘楼(しゅうろう、しょうろう)堂の屋根には石州瓦が使われています。
 
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広場の反対側にある淡島明神を祀る「淡島堂」は和歌山淡島神社が発祥の御堂とのこと。
 
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広場の右手にある土蔵
 
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参道を戻った場所には「永明手」の末寺である「祥寿山永太院」があります。「亀井家墓所」の案内標識がありました。
 
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津和野の町を縦横に巡ったところで、記事の投稿を小休止します。次回からは別のドライブ旅の記事を適宜挿入しながら、岡山県に入りたいと思います。(続く)

2017年11月21日 (火)

津和野町の観光スポット 「西周旧居」「永明寺」などを訪ねる(前編)

朝食を済ませた午前7時45分ころ、温泉宿「わた屋」をチェックアウトし、車で移動しながら、まだ訪れていない津和野の観光スポットを見て回ることにしました。

 

県道13号を南下すると、JR山口線のガードの手前に「大庄屋屋敷 杜塾美術館」がありました。津和野藩の筆頭庄屋の屋敷を当時の雰囲気を残しつつ改装した美術館で、館内には津和野出身の洋画家で詩人でもある中尾彰とその夫人で洋画家の吉浦摩耶の作品が展示されているそうです。写真に写るのは2つの土蔵とそれらに挟まれた門で、主屋と庭葉は左手にあるようです。
 
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「JR山口線」のガード下を通過
 
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前日、「津和野城跡」へ向かう途中、津和野高校の脇で見かけた「馬場先櫓」は津和野藩邸(藩庁、藩主居館)の正面に設置された4つの櫓の1つです。
 
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道路の反対側にあるのは「物見櫓」です。
 
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藩邸跡は津和野高校になり、「物見櫓」の裏手にある庭園部分は「嘉楽園(からくえん)」として一般公開されているそうです。

 

県道13号を400m余り直進して脇道へ入った場所にある「西周(にしあまね)旧居」(国指定史跡)を訪れました。ヨーロッパの学間や思想の啓蒙運動に努力した哲学者・西周が25歳まで暮らした家です。鴎外と同じく津和野藩の医者の家で、茅葺(かやぶ)きの小さな母屋、勉強部屋に使った土蔵、周囲を囲む土塀が残っていました。
 
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「西周」は、オランダに留学し、法学と西洋哲学を学び、帰国後は15代将軍慶喜の政治顧問を務め、明治維新後は陸軍・文部・内務省の官僚を歴任しました。山県有朋のもとで明治憲法の草案作成に関わるなど、多方面で活躍した人物です。親せき筋に当る森鴎外とともに表舞台で活躍した津和野出身者の代表といえるでしょう。ちなみに、上京した鴎外は西周宅に寄宿してドイツ語学校へ通ったことを「森鴎外記念館」の記事で紹介しています。
 
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「屋敷配置図」を見ると、主屋のほかに土蔵と立派な庭があることが分かりました。そう言えば、主屋ばかり撮影して土蔵と庭を撮影するのを失念、朝だというのにまたもや迂闊(うかつ)でした。
 
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午前8時を少し回ったころ、「殿町通り」を抜けて「本町通り」に入りました。「華泉(かせん)酒造」は創業が享保15年(1731年)、つまり286年の歴史を誇る造り酒屋です。軒先には大きな杉玉が吊り下げられています。
 
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津和野町日本遺産センター」は「殿町通り」を紹介した記事で「津和野の歴史ガイド」に関して触れています。
 
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高津屋 伊藤博石堂」は江戸後期の寛政10年(1798年)に薬種問屋として創業し、胃と腸に効能がある家伝薬「一等丸」を代々販売しているそうです。
 
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「高津屋」前から見る「本町通り」の景観です。「葛飾北斎美術館」を探しましたが見当たりません。ネット検索すると、2年前に閉館して、現在は「津和野町日本遺産センター」に模様替えしたことを知りました。そして、店先に積まれた「米俵」と奥の庭にある「鯉が泳ぐ池」で知られる「コイの米屋」(吉永米店)を見逃してしたことも残念です。

 

「本町通り」を抜け、県道13号に入って「津和野駅」前に出ました。
 
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「萩・津和野 世界遺産・日本遺産めぐるバス」(ラッピングバス)を見かけました。山口県観光連盟が主催し、防長交通が運行する津和野と東萩駅を結ぶバス(1日5往復)で、SL「やまぐち」号の運行時間と連携しているようです。
 
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(続く)

2017年11月20日 (月)

津和野町の「津和野大橋」「殿町通り」「山根町通り」を散策(後編)

大岡家老門」は津和野町役場津和野庁舎(大正時代の建物)の門として使われている。注、2005年に日原町(にちはらちょう)と合併したため、本庁舎は国道9号で約10km北、津和野町日原にある旧日原町役場が使われている
 
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「津和野庁舎」の敷地内にある標識に「ベルリン市中央区(ミッテ)」の方角が示されているのは、20年あまり前(1995年)から姉妹都市の関係にあるからでしょう。もちろん、森鴎外の生まれ故郷である津和野と軍医として留学して舞姫などの作品の舞台にもなったベルリンの文化交流がその背景にあります。”Unter den Linden”( 菩提樹の下」はベルリンの大通りに一つで、菩提樹の並木道とのこと。また、調べると、鳥取県鹿野町(しかのちょう)および福岡県北九州市と友好都市になっていました。亀井氏が国替えで鹿野から津和野へ移ったことで昭和60年(1985年)に、北九州市の小倉は「森鴎外」が人生の転機を迎えて新たな文学的旅立ちをしたと言われている場所であることから、昭和56年(1981年)に友好都市になったことを示しているようです。
 
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石畳と白壁土塀が美しい「殿町通り」が先まで続き、
 
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「殿町通り」の左(西)側には右(東)側に比べてやや狭い掘割の水路があり、こちらも清水が流れています。
 
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右側の水路に戻ると、鯉が群れを成して泳いでいました。ちなみに、藩政時代は飢饉の時の食糧(非常食用)として飼っていたそうですが、現在は観光客の鑑賞用になり、このエリアだけでも約400尾の鯉がいるそうです。
 
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水路のどこかに仕切りがあるようで、鯉が下流へ移動することはなさそうです。
 
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「殿町バス停」がありました。石見交通バス・津和野町内線(津和野温泉-野広橋)のバス停のようです。
 
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昭和6年に建てられたゴシック様式の「カトリック教会」(国登録有形文化財)は「殿町通り」で異彩を放っていました。山深い津和野にキリスト教の協会が存在することも意外性があります。実は、幕末から明治初期に長崎の浦上天主堂の教徒約150名がキリシタン禁令で流刑になり、津和野の地に流されたという歴史があり、ザビエルの思想が現在も津和野に根付いているのだそうです。また、ドイツ人神父たちによって殉教者のための記念聖堂が、津和野駅に近い乙女峠に建てられました。ちなみに、明治6年(1873年)に諸外国の抗議を受けた明治政府はキリシタン禁制高札を撤去し、西日本諸藩に流刑したキリシタンを帰村させたそうです。右端に写る建物は「乙女峠展示室」。
 
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200mほど続いた武家屋敷がある「殿町通り」は、信号のある交差点で、大型の商家が立ち並ぶ「本町通り」に変わりました。右手前が「財間家住宅」(登録有形文化財)、その先には「津和野町商工会」、「分銅屋本店」(国登録有形文化財)、「西中国信用金庫津和野支店」、「山陰中央新報社」などがあります。
 
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ちなみに、「財間家住宅」の主屋は間口15mの木造2階建て、切妻造り桟瓦葺で、正面に下屋を付けています。正面2階は両端を大壁とし、その間に広く格子を構え、1階に平格子や出格子を設ける、津和野の代表的な町屋建築とのこと。

 

振り返って見た「殿町通り」。左端は「津和野カトリック教会」で、右手前は「文芸茶房沙羅の木」です。
 
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交差点の角、「財間家住宅」の向かい側にある古い商家
 
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「津和野の歴史ガイド」(津和野町日本遺跡センター)の案内
 
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温泉宿「わた屋」方面へ左折した「山根町通り」にある「沙羅(さら)の木
本店
」(茶房・民芸品)
 
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重要無形文化財・ユネスコ無形文化財の「石州半紙の伝承館」もありました。
 
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45分ほど散策したあと、温泉宿「わた屋」へ戻りました。(続く)

2017年11月19日 (日)

津和野町の「津和野大橋」「殿町通り」「山根町通り」を散策(中編)

「草刈代官門」を抜けると白亜の建物がありました。ピンボケ写真になったことをご容赦ください。
 
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「津和野町郷土館の案内」には、『当館は、郷土の歴史、文化遺産を永く構成に継承するため、大正10年、当時としては県内唯一の郷土歴史博物館として設立されました。設立当時は藩校養老館の御書物蔵を利用していましたが、昭和15年、紀元2600年記念事業としてこの場所に建てられました。(中略)主な展示として、縄文期からの考古資料、藩政時代から幕末明治に至る歴史的資料、郷土が輩出した、西周(あまね)、福羽美静(よししず、びせい)、森鴎外をはじめとする先哲たちの作品、遺品、キリシタン殉教に関する資料等を紹介しています。』 と説明されています。

 

開館時間は午前8時30分から午後5時、毎週火曜日休館、入館料大人400円です。
 
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「従是北津和野領」の標柱は国境を示すために山陰道(石州街道)の野坂番所跡(山口県阿武郡阿東町)に立てられていたものを「津和野郷土館」内に移設したと考えられます。注、津和野藩(石見国)は北の浜田藩(石見国)および南の長州藩(長門国)と国境を接していた
 
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江戸と長崎で蘭医学を学び、津和野藩で最初(安政3年/1856年)に種痘を実施した藩医の「吉木蘭齊(よしきらんさい)先生旧居」の票柱は大正15年、蘭齊の生家跡(温泉宿「わた屋」の裏手)に建立されたものが、一時撤去された後、郷土館に設置したものと説明されています。
 
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内側から見た「草刈代官門」
 
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対岸の広場で見かけた鯉の彫像
 
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そして、「鷺舞(さぎまい)」(国指定重要無形民俗文化財)のモニュメントがあり、『古式豊かな鷺舞は神事舞として、京都(注、八坂信仰の神社)より山口を経過して天文11年(1542年)津和野城主吉見十一代大倉正頼が五穀豊穣、災厄防除のため移したことに起源する。』 と説明されていました。ちなみに、「津和野弥栄神社の鷺舞」として国の重要無形民俗文化財に指定されています。注、弥栄神社は津和野川沿いにある「太鼓谷稲成神社」の参道脇にある
 
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「殿町・本町エリア 津和野百景図ポイントマップ」
 
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「重要伝統的建造物群保存地区」の案内図には「殿町通り」と「本町通り」を中心に、「新丁通り」と「万町(よろず)通り」に挟まれた地域が指定されていることが示されています。
 
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「津和野大橋」以北の県道13号は津和野の古い町並みが残る「殿町通り」と「本町通り」です。「殿町通り」の南端付近にある「旧津和野藩家老多胡家表門」(県指定文化財)亀井氏十一代に渡り家老を勤めた多胡家の表門で、その両脇には物見と番所が残されています。
 
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「多胡家表門」の斜め向かいにある「藩校養老館」は、調査保存修理工事(2018年完了予定)のため、残念なことに工事用の塀で囲まれていました。
 
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『藩校養老館は、津和野藩主亀井氏8代矩賢(のりかた)により、天明6年(1786年)に創設され、儒学を主として漢学、医学、礼学、数学、兵学などが設けられていました。その後、11代茲監(これみ)は嘉永2年(1848年)に新たに国学や蘭医学を設け、規模を拡大するとともに人財育成に力を入れました。創設時の建物は、嘉永6年(1853年)の大火で焼失してしまいましたが、安政2年(1855年)に現在位置に再建され、明治5年(1872年)に廃校となりました。ここは幾多俊才を輩出した犯行として名高く、西周(近代日本哲学の祖)、森鴎外(文豪・軍医総監)、(以下略)』
 
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「殿町(とのまち)」の案内板には、『慶長6年(1601年)津和野入りした坂崎出羽守(直盛)によって城下町が整備されて以来、今日まで城下町の中心部としてその名をとどめている。亀井時代には、西側に多胡・大岡・牧の三家老屋敷が、東側に藩校養老館があった。』 と手書きされています。注、坂崎直盛は宇喜多忠家の長男である宇喜多詮家(うきたあきいえ)の改名
 
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「殿町通り」の右(東)側には、坂崎直盛が掘らせた掘割の水路があり、清水が緩(ゆる)やかに流れています。木製のプランターに植えられているのは花菖蒲(はなしょうぶ)のようです。
 
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(続く)

2017年11月18日 (土)

津和野町の「津和野大橋」「殿町通り」「山根町通り」を散策(前編) 

午前6時を少し回った時、温泉宿「わた屋」の玄関を開けてもらい、旅行先で習慣にしている散歩に同行者を誘って出かけました。
 
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玄関の左手にある茶室は掘割りに面しており、そこには多くの鯉が泳いでいます。
 
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「高岡通り」を南に歩いて「津和野大橋」方面へ向かいました。

 

「わた屋」の南隣は山陰物産館「ぎゃらりい 沙羅(さら)の木」です。看板にある「源氏巻」は元禄時代から伝わる小判を包んだ形のお菓子とのこと。
 
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その向かい側は郷土料理の「石州館(せきしゅうかん)新館
 
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町屋風の建物に入る「LAWSON + ポプラ」は広島市のポプラ社とLAWSONが共同出資したローソン山陰が昨年から運営するコンビニ店
 
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「郷土料理 うずめめし」は津和野(石見)の名物料理で、ご飯の下に小さく刻んだ具が「うずめ」てあることが名前の由来のようです。ちなみに、「沙羅の木 本店」など津和野町の数店舗で食べられるようです。
 
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津和野のやきもの「綾焼窯元(あややきかまもと) 青山釜」には『手作り体験できます』 とあります。前方に「津和野大橋」が見えてきました。
 
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昨日、車で往復した「津和野大橋」に差しかかりました。
 
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この鳥居は「太鼓谷稲成神社」の参道入口に立っています。参道は川沿いの道から「千本鳥居」が並ぶ階段参道へと続いているようです。
 
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津和野河の下流方向の右手には「郷土館」(手前)と「青野山」、左手には「藩校養老館」が位置しています。
 
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上流方向の間近に「山陰本線」の鉄橋、その後方には薄い朝靄(あさもや)に包まれた「太鼓谷稲成神社
 
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「津和野大橋」を渡りました。
 
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「津和野大橋」の袂(たもと)には船着き場と思われる石組の施設があります。
 
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郷土館」(国の登録有形文化財)の前景です。「津和野町郷土館門沿革」の案内板には、『この門(草刈代官門)は、亀井家の一族である草刈内紀の屋敷門で、嘉永6年、津和野町大火後の安政2年頃の建築といわれている。(以下略)』 とあります。
 
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「百景図を歩く 第二十二図 大橋」
 
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(続く)

2017年11月17日 (金)

津和野町の温泉宿「わた屋」に泊まる

にわか雨が小降りになったところで、この日に宿泊する温泉宿「わた屋」へ向かいました。津和野で唯一、天然温泉がある宿泊施設であり、しかも津和野の見どころである「殿町通り」に近いことが魅力です。県道13号で津和野大橋を渡った交差点を直進して、町道(高岡通り)を約250m進んだ右手にありました。エントランス付近は茶色い瓦を載せた和風建築で、その奥にある宿泊棟は鉄筋コンクリート製のようです。
 
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午後45分ころにチェックインすると、14年前にリニューアルされた宿泊棟へ案内されました。畳敷きの廊下は心地よい感触です。
 
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3階にある客室はさすがに古さを感じさせますが、和洋室形式で十分な広さがあります。
 
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午後5時、最上階(5階)にある浴室へ向かいました。泉質はナトリウム塩化物・炭酸水素塩泉、湧出口泉温16.2度。
 
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まず、「たたみ風呂(岩風呂) さらの湯」で身体を温めたあとは、
 
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脱衣所の先にある「展望露天風呂 さらの湯」は、期待した通り、開放感に溢(あふ)れています。
 
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午後6時になるのを待って2階にある食事処へ向かいました。
 
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夕食は「少なめプラン」を選びました。まず、食前酒の「リンゴ酒」、前菜の「旬菜盛合わせ」、刺身は「旬の活魚」
 
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「朴葉(ほおば)味噌焼き」
 
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「鮎塩焼き」
 
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「茶碗蒸し」
 
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「野菜の炊き合せ
 
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「季節の天ぷら」
 
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「蕗(ふき)ご飯」、「香物(三種盛)」、「赤出汁」
 
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「季節のスイーツ」
 
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それぞれの料理は確かに量が少な目ですが、品数が12点と多いため、食べ応えがありました。

 

自室へ戻る途中、ロビーの近くで見かけた「足湯」
 
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早めに就寝したことで、翌朝は午前6時に起床。「殿町」の散策に出かけました。(注、次回の記事で紹介)

 

午前7時少し前、朝の散策から戻って1階のロビーへ入りました。玄関口にある和ダンスと着物、大きな掛け時計などが津和野らしさを演出しています。
 
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午前7時には1階のテーブル席で朝食です。
 
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朝食も品数が多く、写真を撮影したあと、「出汁巻き玉子」と「葉物野菜の炊き合せ」が配膳されました。
 
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前日の夕食とこの日の朝食は、いずれも細やかな心遣いがあり、美味しく食べることができました。(続く)

2017年11月16日 (木)

津和野町の「森鴎外旧宅」と「森鴎外記念館」(後編)

「作家誕生」「豊熟の時代」「晩年の輝き」などが続きます。
 
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「上京」 『津和野藩主亀井玆監(これみ)公つきの医者であった父に連れられ津和野を出た10歳の林太郎(鴎外)は、父と共に向島にあった旧藩主亀井家下屋敷内にひとまず落ち着きます。しばらくして、向島小梅村87番地(現在の東京都墨田区向島2丁目)の借家に、さらに明治8年4月30日、小梅村237番地(現在の向島3丁目)に家を購入して移り住みます。鴎外の上京の目的は家業の医者になることでしたが、同時にそれは森家の長男(家長)として、立身出の機体を世一身に背負っての上京でもありました。』

 

「ドイツ語学習」 『上京した鴎外は、親せきの西周(にしあまね)宅(神田西小川町1丁目1番地)に寄宿し、ドイツ語学習のために本郷元町2丁目の進文学社に通学します。(以下略)』

 

「鴎外本のあれこれ」
 
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「翻訳活動開始」「評論活動開始」「舞姫(草稿)」「衛生新誌(創刊)」など
 
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「森家系図」
 
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「勲章と記念品」
 
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「軍服」と「羽織袴」
 
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「鴎外の子どもたち」
 
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津和野の写真に写る「西周旧居」「津和野城跡」「常盤橋」「太鼓谷稲成神社」「藩邸跡(現津和野高等学校)」
 
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「誕生」「森家の家風と立志」
 
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「勉強事始め」「林太郎少年の気質」
 
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「鴎外が見た津和野」
 
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藩校「養老館」と津和野出身の先達・偉人
 
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「星雲の志を抱いて」「津和野とのかかわり」「津和野への回帰」
 
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「森鴎外の自筆書」
 
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「鴎外ゆかりの桧(ひのき)」
 
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入館して約20分後(午後4時半)、ロビー通路に戻ると激しい雨が降っているのが見えました。30分ほど前まで雨の気配はまったくありませんでしたが、山間の町は天候が急変しやすいようです。しばし、ロビーで雨宿りをすることになりました。
 
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(続く)

2017年11月15日 (水)

津和野町の「森鴎外旧宅」と「森鴎外記念館」(前編)

県道13号をY字路まで戻り、市道で津和野駅とは反対方向へ走って、「森鴎外記念館」へ向かいました。津和野出身の軍医で小説家の森鴎外(本名:森林太郎)に特化したユニークな施設で、「津和野城跡の「三十間台」からその場所が津和野川の対岸(ほぼ正面)であることを確認しています。注、鴎外がその半生を過ごした文京区千駄木の旧居跡にも区立「森鴎外記念館」が存在する、その墓は津和野の永明寺と三鷹の禅林寺にある

 

「森鴎外記念館」に到着する直前、交差点の角に「森鴎外旧宅」の案内標識を見かけましたので、「森鴎外記念館」の駐車場に車を停めて、徒歩で向かうことにしました。午後4時ころ、80mほど戻って脇道へ入ると立派な門がありました。観覧時間は午前9時から午後5時まで。
 
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敷地の中に「森鴎外旧宅」の標柱が立っています。瓦葺(かわらぶ)きの建物はそれほど古そうには見えません。
 
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敷地の左手前に「鴎外先生詩碑」があり、そこには「舞姫」の詩である「釦鈕(ぼたん)」が刻まれていました。
 
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『南山の たたかいの日に 袖口の こがねのぼたん ひとつおとしつ その扣鈕(ぼたん)惜し  べるりんの 都大路の ぱっさあじゅ 電灯あおき 店にて買いぬ はたとせまえに  えぽれっと かがやきし友 こがね髪 ゆらぎし少女(おとめ) はや老いにけん 死にもやしけん(以下略)』
 

[現代文訳] 20年前、ベルリンの店で買ったコートのボタンを日露戦争の戦場で亡くしたことは残念だ。肩章(けんしょう)を付けていた友や金髪をなびかしていた少女も今は年老いたか、あるいは亡くなったかもしれない。

注、「南山」は中国・遼寧(りょうねい)省の大連がある遼東(りょうとう)半島に存在する地名、「えぽれっと」(仏語・独語・英語)は軍服につける肩章(けんしょう、かたしょう)のこと

 

国指定文化財(史跡)「森鴎外旧宅」の案内板には、『森鴎外(本名森林太郎)は、文久2年(1862年1月19日にこの家で生まれ、明治5年(1872年)に10歳で上京するまでここで過ごしました。(中略)建物は嘉永6年(1854年)に発生した大火の後に建てられたものと伝えられ、森家が東京へ移住した後、別の場所へ移築されましたが、昭和29年(1954年)鴎外三十三回忌を機に町へ寄付され、この場所へ戻されました。その後、昭和60年に大規模な保存修復を行い現在に至っています。また、庭先の詩碑は、鴎外の「釦鈕(ぼたん)」の詞を佐藤春夫の筆により建立されたものです。平成7年(1995年)にはこの旧宅に隣接して森鴎外記念館が開館し、鴎外の生涯と功績を顕彰しています。』 とあります。
 
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「森鴎外旧宅」の全景です。立て看板には鑑賞券(100円)が必要とあります。中央が玄関、右手が勝手口のようです。
 
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「玄関」
 
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「勝手口」
 
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家の反対側に回ると座敷と縁側があり、
 
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小さな門を抜けた場所には券売機がありました。
 
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目の前にある大きな建物が「森鴎外記念館」(観覧時間は午前9時から午後5時)でした。実は、「森鴎外旧宅」は「森鴎外記念館」の一部でした。
 
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左手に立つ「森鴎外之像」
 
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入館料は大人600円
 
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SL「やまぐち」号の客車が一新されたことを紹介するポスターにはC571蒸気機関車が大きく写っています。
 
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受付けで「森鴎外旧宅」のチケットを見せると、差額の500円を支払えばよいと教えられました。天井までガラス窓となっている明るいロビー通路で展示室へ向かいます。
 
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「上京後から東大時代」と「ドイツ留学」について年表形式で詳しく説明されています。
 
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(続く)

2017年11月11日 (土)

津和野町の「太鼓谷稲成神社」

「津和野伝統文化館」の駐車場を出て、坂道をさらに上がると、朱色の鳥居が見えました。
 
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「太鼓谷稲成(たいこだにいなり)神社」の大きな駐車場(無料)に車を停めました。「太鼓谷稲成神社」は日本五大稲荷の一つに数えられ、社名に「稲荷」ではなく、「稲成」(注、津和野藩主亀井矩貞の命名)と表記する唯一の神社です。注、日本五大稲荷(諸説あり)は伏見稲荷大社・笠間稲荷神社(茨城県笠間市)・竹駒神社(宮城県岩沼市)・祐徳稲荷神社(佐賀県鹿島市)・太鼓谷稲成神社(島根県津和野町)を指し、また日本三大稲荷は最初の3社とすることが多い

 

ちなみに、祭神は、稲荷神である宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)と熊野神である伊弉冉尊(いざなみのみこと)。その由緒は、安永2年(1773年)、津和野藩7代藩主亀井矩貞(のりさだ)が、藩の領民安寧のために京都の「伏見稲荷大社」から勧請を受け、三本松城(津和野城)の鬼門に当たる太皷谷の峰に社を創建したことに始まるとのこと。また、太鼓谷は津和野城の城山の一角に位置し江戸時代に時刻を知らせる太鼓が鳴り響いた谷間であったことが地名の由来とされるようです。

 

手水舎(てみずしゃ)の脇にある「境内案内図」には「本殿」「参集殿」「儀式殿」「本宮」が立ち並ぶ境内に入る場所が2つ示されていますが、駐車場側の階段を上がることにしました。ちなみに、もうひとつは津和野市街から「神門」(伏見稲荷大社の楼門に相当)まで続く表参道は263段の石段と約1000本の鳥居があるようです。伏見稲荷大社の千本稲荷に当たります。
 
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石段の途中に「参拝順路のご案内」がありました。 「太鼓谷稲成り神社」のhpによると、「元宮」、その奥にある「命婦社」、「新殿」、その裏側にある「新殿裏奉拝所」を順に巡る「四か所まいり」を推奨していますが、「元宮」と「新殿」にだけ参拝することにしました。
 
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「元宮(もとみや)」(旧熊野神社、伏見稲荷大社からの勧請)はかなり高い場所にあります。右手前に写る朱色の建物は「表参道」との間にある「神門」です。
 
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「儀式殿・社務所・参集殿」
 
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「本殿」(新殿)
 
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駐車場(海抜約210m)から見た津和野町です。赤茶色の石州瓦(せきしゅうがわら)に統一された甍(いらか)の波とともに、津和野川と山口線の線路も手に取るように見えました。山口線を走るSL「やまぐち」号を遠望するべストスポットのひとつでしょう。
 
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ここで、記事の投稿を小休止します。なお、次回から津和野の町並みを紹介する予定です。(続く)

2017年11月10日 (金)

山陰と山陽の城を巡るドライブ旅 津和野町の「津和野城跡」(最終回)

「人質櫓跡」(右手前)、「三の丸跡」(中)と「南門櫓跡」(三の丸の奥、石垣が切り取られた部分)
 
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「中国自然歩道」は「三の丸跡」と「南門櫓跡」を抜けて「鷲原(たかはら)八幡宮」へと伸びているようです。
 
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「三十間台」の反対側(左端)から「太鼓丸(たいこまる)跡」と津和野の山々を望みました。
 
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「三十間台」の端まで移動して見下ろした「太鼓台」
 
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その真下には「二の丸跡」へ下りる石段が確認できます。
 
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「太鼓丸跡」へ下りたところで振り返って見る「三十間台」の石段(虎口)
 
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本丸の一部であった「太鼓丸跡」からも津和野の景観が楽しめます。
 
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「太鼓丸」から石段と木の根道を歩いて「二の丸跡」へ下りました。
 
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「二の丸跡」を経由して「三段櫓跡」に出ました。
 
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仮設階段を下ります。
 
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下り道でも杖が役に立ちます。
 
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ついに、「観光リフト乗り場」に到着。「東門跡」からの所要時間は約14分でした。
 
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利用客の姿がない「観光リフト」に乗って下山します。
 
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同行者は津和野の景色が気に入ったようでハイテンションになっています。18年前に訪れたニュージーランド・南島にあるクイーンズタウンの絶景を思い出しているのでしょうか。
 
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「藩主亀井家入場400年」の幟(のぼり)が並ぶ道を歩いて下にある駐車場へ向かいます。
 
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駐車場にある「国指定史跡 津和野城跡」の案内パネルにもこれまでに紹介した「津和野城」の説明が書かれていました。
 
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(続く)

2017年11月 9日 (木)

山陰と山陽の城を巡るドライブ旅 津和野町の「津和野城跡」(その3)

「三の丸跡」の中ほど、「台所跡」には石列(土台石・排水路)がありました。
 
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同じく「三の丸跡」の奥、「海老櫓跡」の先は行き止まりになっています。
 
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引き返す途中、「台所跡」の標柱を見かけました。その先には「馬立跡」があり、
 
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さらに遠方には「天守台」と「三十間台」の石垣も確認できます。
 
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「馬立跡」から「二の丸跡」に戻って右手に折れた場所にある「西櫓門跡」の石垣 注、右手は「馬立跡」に続く石垣
 
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「中国自然道歩道」を少しだけ歩いたところで左に折れ、標識にしたがって「天守台」へ向かいます。
 
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直進すると約1時間で「鷲原八幡宮(わしはらはちまんぐう)」へ行けるそうです。八幡神社の総本社である「豊前宇佐神宮」を勧請(かんじょう)して平安時代に創建された古い神社のようです。
 
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天守台」に到着しました。古木の根が生命力を感じさせます。
 
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「天守台」から見る「馬立跡」と「台所跡」
 
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「三十間台」の石垣は、崩落を防ぐため、金網で覆われています。
 
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左手にある石段を上がります。
 
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三十間台」(本丸跡)に到着。その名の通り、横に細長い郭(くるわ)です。
 
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眼下に津和野町の街並み・高津川の支流である津和野川・山口線の線路を、遠くには「青野山」をはじめとする山々を一望することができました。注、写真は左手方向(津和野小学校・津和野高校・津和野警察署)と右手方向(津和野中学校・森鴎外記念館・道の駅津和野温泉なごみの里)
 
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この大きな窪地(くぼち)は何?
 
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(続く)

2017年11月 8日 (水)

山陰と山陽の城を巡るドライブ旅 津和野町の「津和野城跡」(その2)

先ほどの地図に表示されていた通り、ふたたび仮設歩道に移りました。
 
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「国指定 史跡 津和野城跡」の案内板には、『津和野城は標高362mの霊亀山(れいきさん)上にあり、山麓からの比高は約200mを測る典型的な山城である。築城は吉見順行(よしみよりゆき)・頼直(よりなお)が永仁3年(1295年)から正中元年(1324年)にかけて行ったと伝えられる。吉見氏が築城した中世山城は、関ヶ原の戦いの後の慶長6年(1601年)に3万石の大名として入城した坂崎直盛(なおもり)によって、高石垣を有する金製城郭へと大改修された。元和3年(1617年)に因幡国(いなばのくに)鹿野城(しかのじょう)より亀井政矩(まさのり)が4万3千石の大名として入城後は、亀井氏11代の居城として明治維新まで続いた。津和野城は、本城のほかに出丸(別名:織部丸)がある一城別郭の城であり、その間に大手道を設けるなど極めて実践的な山城であった。(以下略)』 と絵図入りで説明されています。ちなみに、吉見氏は石見銀山をめぐる尼子氏大内氏の戦いの中で重要な位置を占めた戦国大名です。
 
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「観光リフト」から約10分の地点にある「史跡 津和野城址」の石碑
 
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「中世山城 津和野三本松城跡」(注、三本松城は戦国時代までの旧称)の案内板には、『文永11年(1274年)、弘安4年(1281年)の元(蒙古)群の北九州・北浦への来週を受け、鎌倉幕府は西石見の海岸防備を吉見頼行に命じた。頼行は永仁3年(1295年)この城山山脈に築城を始めた。(以下略)』 とあります。注、三本松城は津和野城の別称
 
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「津和野城大手登城道 入口まで630m」の案内標識を見かけました。「中世山城 津和野三本松城跡」の案内板に描かれていた「太鼓谷稲成神社」の近くから続く登山道(中国自然歩道の一部、所要時間20-25分)のようです。
 
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「この先5分 本丸城跡」の標識の先に急な石段が待っていました。
 
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石段の先に石垣が現れました。
 
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「東門跡」(大手門跡)でした。ここを入って右手方向にあるのが「三段櫓跡」「西門跡」「馬立跡」「台所跡」「海老櫓(えびやぐら)跡」「腰曲輪(こしくるわ)」「隠門(かくしもん)」、左手の上が「天守台」「太鼓丸跡」「三十間台」があることが説明されています。
 
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「東門跡」から「三段櫓跡」(注、写真右端、崩落防止用金網が設置されている)の脇を抜ける登城ルートは通行できないようで、仮設の階段が「腰廓(曲輪)跡」との間に設けられています。
 
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「東門跡」から仮設階段を上がると、左手方向に続く「腰曲輪」(中央)と「二の丸跡」(右端)の先に、「太鼓丸跡」へ上がる石段が見えます。
 
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「第一図 二本松の城」の案内パネルには、落雷で焼失した天守閣の高石垣・東門・二層の櫓門が描かれています。
 
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「観光リフト」から約18分で到着した「二の丸」(「天守台」の高石垣前)に立つ「史跡 津和野城跡」の案内板には、坂崎出羽守(でわのかみ)による築城以降の歴史が、天守台付近の城郭配置図とともに、簡潔に説明されています。
 
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右手方向へ進むと、「馬立跡・台所跡」に出ました。
 
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石段を上がった場所から先ほど通過した「東門跡」(左奥)、「三段櫓跡」(左端・手前はその最上部)、「第一図 二本松の城」の案内パネル(中央)を見下ろしました。
 
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津和野城 三の丸跡」(馬立・台所・海老櫓)」
 
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(続く)

2017年11月 7日 (火)

山陰と山陽の城を巡るドライブ旅 津和野町の「津和野城跡」(その1)

JR山口線の津和野駅前を通過して県道13号を南下し、山口線の高架下を抜け、案内標識にしたがって右に折れる県道13号を進みました。
 
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津和野川を渡る時、山の中腹に神社が見えました。石見地方で知られる「太皷谷稲成(たいこだにいなり)神社」のようです。写真では判別しにくいのですが、津和野川の対岸に「千本鳥居」の朱色を確認できました。
 
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海鼠(なまこ)壁の塀がある津和野高校を左手に見ながら太皷谷稲成神社へ上る山道へと右に折れました。
 
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津和野城跡観光リフト」の乗り場を目指しました。霊亀山(標高367m)にある「津和野城跡」には徒歩(約40分)でも上ることができますが、前日に足を痛めたことで「観光リフト」を利用することにしたのです。
 
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午後2時20分ころ、「観光リフト」の乗り場に到着。駐車スペースが狭いため留める場所に迷っていると、すぐ下にある「津和野町伝統文化館」の駐車場(約30台)を利用するようにアドバイスされました。
 
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券売所がある建物(りふと茶屋)へ向かうと、在りし日の様子を描いた「津和野城跡観光案内」(左)と「観光リフト」から「天守台」に至る遊歩道を示す「津和野城案内」が並んでいます。
 
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「観光リフト」の営業時間は午前9時から午後4時30分までで、利用料金(往復)が450円。
 
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リフトはかなり急こう配をゆっくり上がって行きます。
 
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地上高が高くなったのか、上の区間には保護用ネットが設置されていました。
 
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約5分で「観光リフト」の終点に到着。
 
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後方には津和野の町並みと山頂部が丸い青野山(標高標高907m)を望むことができます。ちなみに、「青野山」は津和野八景に数えられるそうです。
 
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「SLやまぐち号」も見ることができるようです。しかし、この日は水曜日(平日)のためSL「やまぐち」号は運行されません。注、週末と祭日に運航
 
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さっそく、「津和野城跡」を目指して階段状の登山道を上がりました。『リフトは午後4時30分に終了します』 と書かれた警告板が登山道脇に立っています。
 
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同行者は補助用ステッキの代わりとなる木の枝を両手に持ちました。
 
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右に折れる登山道は『出丸の石垣を修理しています』『⇐歩行者通路』 と表示されて通行止めになっており、左手に迂回路(うかいろ)の「仮設歩道」が設けてありました
 
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地図を見ると、「仮設歩道」(緑色の線)は出丸(織部丸)の左下にある急斜面に設けられているようで、『出丸 工事中ですので見学出来ません』 の表示もありました。注、紫色の線は観光客・歩行者動線
 
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「仮設歩道」は地形に合わせて右手へ緩やかにカーブしています。
 
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振り返ると「仮設工事用道路」(赤色の線)がありました。左端に見えるのが本来の登山道のようです。
 
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登山道脇に立つ標識には「津和野城跡」(国指定史跡)まで250mの表示があります。
 
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(続く)

2017年11月 6日 (月)

島根県浜田市から津和野町へ

「浜田漁港」の駐車場から国道9号に戻り、益田(ますだ)市方面を目指します。
 
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西村IC」から「山陰道」(浜田三隅道路、無料区間)へ入ることにしました。簡易Tボーン型のためランプ(流入路・流出路)が交差します。
 
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石見三隅(いわみみすみ)IC」が近づきました。
 
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そのすぐ先に自専道(自動車専用道)区間の終点があります。
 
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石見津田の先で右手に折れ、県道333号(益田道路)に入りました。国道9号のバイパスです。
 
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国道191号と交差しました。山口県下関市から日本海の海岸線(山陰本線)沿いに長門市・萩市・島根県益田市を結び、さらに中国山地を越え、太田川沿いに下って広島県広島市に至る一級国道です。ちなみに、「山陰道」は国道191号に沿って萩市に至るルートが計画されているようです。
 
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萩・石見空港出口」を通過すると、日本一の清流といわれる高津川(一級河川の水質調査で1位)に沿って次第に内陸部に入って行くようです。ちなみに、高津川の源流は島根県南西部最南端にある吉賀町(よしかちょう)に源流があり、一級河川としては唯一ダムのない川のようです。
 
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高津川派川(はせん)橋」を通過 注、派水は本流から分派した川(分流)
 
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角井西交差点で自動車専用道路が終わって国道9号に合流します。
 
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右手前方に見えるのは高津川に架かる吊橋の「安富橋(やすとみばし)」(昭和25年/1955年竣工、長さ255.3m、幅1.5m、歩行者・二輪車用)ですが、老朽化のため2013年から通行不可になったようです。ちなみに、映画「男はつらいよ」(第13作 寅次郎恋やつれ、1974年公開)で「寅(とら)さん」が温泉津(ゆのつ)から津和野(つわの)へ向かう途中に渡った吊橋は、高津川の下流、益田市飯田町にある「飯田吊橋」(昭和30年/1955年建造、長さ166m、コンクリート製橋柱、鉄製橋桁、車の交互通行可)の方で、一昨年から昨年にかけて補修工事が行われたそうです。
 
201709230709り橋
   

国道9号を10kmほど走って津和野町(つわのちょう)に入って、高津川に沿った山間を20分ほど進んだ時、少し開けた場所(青野山駅付近)の前方に青野山が見えてきました。
 
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左にカーブしながら東津和野大橋で高津川を渡ります。全長180m、橋脚高32m、幅員7.0mの下路曲弦ワーレントラス(1連)橋です。注、下路:橋桁(路面)が主構であるトラス(細長い部材を両端で接続して三角形を構成する構造またはそれを連続蔵させた構造)の下部にある形式、曲弦(きょくげん):外形を弓なりに湾曲させて応力に応じた桁高にした構造、ワーレントラス:斜材の向きを交互にしたトラス橋
 
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この交差点を右折すると道の駅「津和野温泉 なごみの里」まで4kmと表示されています。ちなみに、津和野の地名はキク科の常緑多年草「ツワブキ」(つわぶき野)に由来しているそうです。
 
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県道13号の曲がりくねった急坂を下りたところで、『ようこそ、山陰の小京都・津和野へ』の看板が出迎えてくれると、
 
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JR山口線の「津和野駅」前に到着しました。
 
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「津和野駅」前にD51蒸気機関車(昭和14年製造、昭和48年引退)が展示されています。塗装されたことで真新しい外観です。JR山口線(津和野駅-新山口駅間)はSL「やまぐち」号(C57またはC56が客車5両を牽引)」が週末と祭日に走行することで知られます。注、11月にD51が追加
 
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(続く)

2017年11月 5日 (日)

島根県浜田市で昼食

「石見銀山公園」の駐車場を出発し、銀山川沿いの市道から県道31号(銀山街道)に出て、新大森トンネル(長さ703m)を抜け、銀の積出港のひとつであった「鞆ケ浦(ともがうら) 」がある仁摩町(にまちょう)方面へ走りました。
 
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山陰道の「仁摩・石見銀山IC」に入り、「五丁ランプ橋」を通過します。橋は右半分だけが完成しているだけで、対面通行になっています。注、ランプ橋は高低差の ある場所を連結する道路
 
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「湯迫(よさこ)トンネル」(長さ570m)に入ります。
 
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「仁摩・石見銀山IC」から「石見福光IC」までの区間が部分開通する「山陰道」(無料区間)から国道9号に出ます。
 
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国道9号を15kmほど走って江津(ごうつ)市に入ると「山陰道」と「浜田道」の名前が案内標識にありました。
 
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江津(えづ)バイパスの「江津トンネル」(長さ432m)を通過して、有料区間である「山陰道」の江津IC-浜田JCT-「浜田自動車道」の浜田ICを利用して浜田市へ向かうことにしました。
 
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江津IC」に入ります。
 
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すぐ先にある「江津料金所
 
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浜田JCT」では「浜田道」(注、中国横断道広島浜田線との重複区間)方面へ
 
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「山陰道」(浜田道路、無料区間)で浜田港ICへ向かいます。
 
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「浜田港IC」を出ます。注、交通量が少ないためか簡易Tボーン型が採用されている
 
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県道339号・県道34号・国道9号・県道241号を経て、ほぼ予定通りの午前11時45分、浜田魚港にある「浜田市公設水産物仲買売場」に到着しました。注、浜田漁港は重要湾港である浜田港の東側にある漁港
 
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目当ての「めし処 ぐっさん」を探すと、2階の右端に見つかりましたが、「臨時休業」の張り紙が目に入りました。
 
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右手に回って屋外階段で2階に上がると、「心を込めた準備中」下げ札とともに、張り紙がありました。『営業再開のお知らせ 色々とご迷惑をおかけしました。この度、9月25日(月)より営業を再開いたいと思います。宜しくお願い致します。 めし処 ぐっさん』 と書かれていました。休業している理由は示されていません。注、この日は9月20日(水)
 
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建物の脇で待っていた同行者は「水産物仲買売場」の関係者と思われる人から話を聞いてくれていました。「めし処 ぐっさん」のご主人が怪我をしたための休業とのこと。

 

それではと、代案に考えていたレストランへ向かうことにしました。同じ浜田港の「しまねお魚センター」にある「レストラン蟹匠(かにしょう)」です。
 
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店内から浜田港の先にある原井地区と瀬戸ケ島地区を接続する「浜田マリン大橋」(1999年開通)を望むことができます。全長615m、橋梁部310m)、主塔高い89m(海面高92m)の斜張橋で、国内の漁港施設の斜張橋としては最も長いそうです。ちなみに、「しまねお魚センター」を出発し、「浜田マリン大橋」を経由して「浜田漁港」を一周して「しまねお魚センター」に戻るする「活気みなぎる浜田漁港を巡るみち」(延長5km)は「美しい日本の歩きたくなる道500選」の一つに選定されているようです。
 
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入口のガラス戸と店内の掲示板には、「本日の刺身定食」は「カンパチ、マグロ、真鯛、真鯵(まあじ)、ウニ、マフグの6種盛り、「本日のおすすめ」は「のどぐろ刺身」(1620円)とありますが、蟹好きの同行者は「蟹ちらし寿司定食」(2268円)を、私は心積もりしていた浜田名産の「のどぐろ煮付け(1994円)を注文しました。
 
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いずれも期待通りの美味しさでした。同行者は1階の売店で土産物を買うことは忘れません。
 
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(続く)

2017年11月 1日 (水)

世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」(その7) 「羅漢寺 五百羅漢」

「銀山地区」と「町並み地区」のサイクリングを楽しんだあとは、後回しにした「石見銀山世界遺産センター」の展示室を見学する予定でした。しかし、「銀山地区」の奥にある「龍源寺間歩」の坑道と案内板でさまざまな情報を得ましたので、計画をさらさらに変更することにしました。つまり、「石見銀山世界遺産センター」に戻るかわりに、「石見銀山公園」のすぐ近くにある「羅漢寺(らかんじ) 五百羅漢」に参拝することにしました。写真は「石見銀山公園」側の参道階段です。
 
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受付所へ向かいました。拝観料は大人500円です。593
 
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「羅漢寺」は正式名称が「石室山(いしむろさん)無量寿院(むりょうじゅいん)羅漢寺」である高野山真言宗の寺院です。後で紹介する「五百羅漢」を守るため、もと銀山にあった医王山歓喜院薬師寺本尊とともに、明和元年(1764年)に移設して創建されました。 この日は指定文化財である秘仏の「降三世明王(ごうさんぜみょうおう)」と「大元帥明王(だいげんみょうおう)」が開帳されていることが表示されています。
 
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本堂には本尊の阿弥陀如来(あみだにょらい、祭壇中央)、不動明王(向かって右隣)、「愛染明王」(同じく左隣)、「弘法大師」(祭壇右)、降三世明王(秘仏・文化財、向かって右端)、国家平安と衆生擁護を司る大元帥明王(秘仏・文化財、向かって左端)などが安置されています。
 
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左右の壁面には「人人の一代守護本尊」(生まれた干支の守護紳)が掲げられていました。
 
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ちなみに、私の守護本尊は「阿弥陀如来(あみだにょらい)」、同行者は「文様菩薩(もんじゅぼさつ)」でした。
   

本堂からは山門越しに「五百羅漢」を川の対岸に見ることができます。
 
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「石見銀山」で働いて亡くなった人々の霊を供養するため、大森代官所の代官や同心などが羅漢の寄進をはじめ、さらに将軍家などからの支援を受けることで、明和3年(1766年)に25年の歳月をかけた「五百羅漢」が完成しました。ちなみに、「五百羅漢」の作者は現在の温泉津町の石工(いしく)・坪内平七、3つの石窟からなる「大森石窟」と「反り橋」の設計も担当したと伝えられます。注、羅漢は尊敬や施(ほどこ)しを受けるに相応しい聖者、川越大師喜多院目黒の大円寺阿波市の大日寺香川県三好市の雲辺寺香川県善通寺市の善通寺の記事にも紹介
 

山門から見る「五百羅漢」の「中央窟(くつ)」(向かって左側)と「左窟」(向かって右側、赤い扉がある)
 
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同じく「不動堂」(左)と「三百水」(注、湧水口がある)
 
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右手の「反り橋」を渡って「不動堂」の「不動明王像」に参拝
 
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石仏が脇にある石段の先に見える朱色の扉がある建物が「左窟」で、内部は石柱でいくつもの部屋に仕切られ、多数の石仏が雛壇(ひなだん)状の場所に並んでいました。数えたわけではありませんが、左右の石窟に250躯(く)ずつ安置されているようです。 注、内部は撮影禁止(「羅漢寺」のhpに掲載写真有り)
 
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さらに石段を上がった「中央窟」にはいくつもの入口があるのはコンクリートの柱は耐震補強のために追加されたのでしょう。『羅漢寺」のhpによると、平成20年(2008年)12月から平成21年5月にかけて工事が行われたようです。
 
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中ほどには「釈迦三尊像」が少し見えます。
 
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左側の部分には柵が設けてあります。
 
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「中央窟」の左端に立つ石碑に刻まれた文字は読めません。
 
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石段を下りたところで撮影した写真は向かって左端にある(三番目の)「反り橋」で。向かった右手にある2つの「反り橋」と同様、福光石(注、堆積岩・凝灰岩)を15枚組み合わせて作られており、銀山側の支流に架かっています。
 
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「反り橋」から見た「五百羅漢」の「右窟」の朱色の扉は「左窟」のそれと同様、平成24年(2009年)に付け替えられたもので、「透かし彫り」が施してあります。ただし、左右の石窟では「透かし彫り」のデザインが微妙に異なるとのこと。 注、こちらの内部も撮影禁止
 
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「右窟」の隣には「大宝筐印塔(だいほうきょういんとう)」(高さ5.5m)がありました。「五輪塔」とも呼ばれる仏塔の一種です。注、仏塔は仏舎利を安置した塔
 
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ちなみに、「羅漢寺」の「五百羅漢」「椅子造五百羅漢坐五百躯外」「石反橋(三基)」「宝筐印塔」は世界遺産および国指定位文化財、「千人壺(一か所)」(注、井戸のような形をした墓穴)は市指定史跡です。

 

世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」の投稿を終えたところで、ブログ記事の投稿を小休止します。(続く) 

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