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2018年5月28日 (月)

中欧3か国を巡る旅(その31) ウィーン旧市街観光 「リング通り」と「新王宮」

シェーンブルン宮殿からシェーンブルナー通りとレヒテ・ヴィーンツァイレ(Rechte Wienzeile)で旧市街(インネレ・シュタット)へ入る直前にある“RINDERWAHN AM MARKT“はウィーンで人気があるハンバーガー店です。店舗はキッチンと窓口だけで、利用客はオーストリアのオープンカフェのように屋外に置かれた簡素な客席(テーブルとイス)で食べるようです。ちなみに、“BURGER AUS BESTEM STALL”を直訳すると「最高厩舎の肉を使ったバーガー」となるでしょう。
 
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右手(東方向)には列せるパーク越しに神聖ローマ帝国のカール6世(在位:1711年-1740年)が造らせたバロック建築の傑作である「カールス教会(Karlskirche)を望むことができます。
 
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リング通り」に入り、前日の夕方にも前を通過した「ウィーン国立歌劇場」を別の角度から撮影
 
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リング通りを進んだ王宮庭園の南東角(ゲーテ通りの中央)に「ゲーテ(GOETHE)坐像」を発見。ゲーテ(正式な名前:ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ)はシラーとともに芸術革新運動の中心となったドイツを代表する文豪(詩人・作家・自然科学者などと多彩)だった人物です。ドイツ中部のフランクフルト(正式にはフランクフルト・アン・マイン/マイン川沿いのフランクフルト)生まれですが、当時はフランクフルトが現在のオーストリアなどを含む神聖ローマ帝国の自由都市であったことと、彼の詩がウィーンの作曲家たちに多数使われたことが彼の座像がここに置かれた理由のようです。
 
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王宮庭園」と「民俗学博物館」を撮影したところ、幸運にも「モーツァルト像」も写っていました。譜面台に左手をかけて優雅さを感じさせるポーズをしていました。
 
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歩道側にあるファストフードの屋台はホットドッグ(Hot Dog/heiße Wurst)、ピザ(Pizza)、ケバブ(Kebap)の文字と共に、フランクフルトソーセージ(Frankfurter)、シュニツェル・サンドイッチ(Schnizel Sandwich)、カップ麺(Nudel Box)などが写真付きで説明されています。
 
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「民俗学博物館」
 
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民俗学博物館」(右端)と「ブルク門」(左端)の間には新王宮が少しだけ見えます。
 
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ブルク門の近くで貸し切りバスを降りました。屋上に中央にある旗はオーストリア国旗で、13世紀にオーストリア公であったバーベンベルク家(Babenberg)のフリードリヒ2世が神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世に対し反乱を企てたときに制定されたものとのこと。
 
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道路の反対側(左側)は美術史博物館
 
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その隣はネオ・ルネッサンス様式の「自然史博物館」
 
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左方向に小さく見える白い建物は「ウィーン市庁舎」(1885年竣工)
 
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「美術史美術館」と「自然史博物館」の間にある「マリア・テレジア広場の中央には「マリア・テレジア記念像」があります。その後方に見える建物は美術館群「ミュージアムクオーター(MQ」です。
 
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右手へ折れてブルク門(王宮の門)へ向かいます。ブルク門は市壁と濠で囲まれた旧市街に入る門として、ライプツィヒの戦いでナポレオン軍に勝利したことを記念して1824年に建てられたそうです。かつては自治都市が自由を守るために何度も強化され、オスマン帝国による包囲戦にも耐えた市壁と濠でしたが、19世紀半ばにはその役目を終えて1858年から取り壊しが始まり、その跡地に現在のリング通りが建設されました。
 
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ファサードが円弧を描く新王宮の中央にはバルコニーが設けられています。新宮殿の建設はオーストリア帝国とオーストリア=ハンガリー帝国の皇帝であったフランツ・ヨーゼフ1世(Franz Joseph I. 1830-1916年)による治世の時代の1881年から1913年まで行われ、その内装工事が完了したのは1923年で、ハプスブルク帝国が終焉を迎えた1918年の後でした。
 
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このテラスは1938年3月15日にヒトラーが「ドイツによるオーストリア併合」を宣言する演説を行った場所です。
 
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屋上には双頭の鷲を確認できました。
 
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新王宮の前の広場にはフランス生まれの貴族でハプスブルク家に軍人として仕えてヨーロッパ各地の戦線で多くの功績を遺したオイゲン・フォン・ザヴォイエン公の騎馬像
 
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時間の制約があるため新王宮の建物内には入らず、外から眺めるだけの観光になりました。次回は旧市街の中心部を紹介します。(続く)

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