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2018年8月

2018年8月20日 (月)

~たかが咳、されど・・~ 「咳止め薬の怖さ」

風邪を引いた時に咳をすることは良くあることです。咳は異物が喉および気道を通して肺に入ることを防ぐために人の体が供えた自己防衛反応で必要なものですが、意思とは無関係に発生するため困った体の反応です。咳が長引けば周りに不快感を与えるだけではなく、苦しくて睡眠を妨げて自分の体力を無くすこともあります。極端な場合は肋骨を骨折することもあるそうです。ちなみに、風邪は鼻や喉などの「上気道」という部分がウィルスや細菌に感染することで起こりますが、体の中でウィルスや細菌の増殖を防ぐための防御反応として咳やくしゃみ、熱や鼻水などの症状が現れます。また、風邪でなくても気温の変化に気道や肺が敏感に反応して咳がでることもあります。

 

風邪の場合はまず治療することが大事ですが、咳の症状が軽い場合は嗽(うがい)をしたり、水を飲んだり、マスクをかけたりすることで楽になることがあります。しかし、朝晩に激しい咳が続く場合は自律神経が影響している場合が多いと考えられます。人には体や脳を興奮させる交感神経と休息したりリラックスしたりするときに働く副交感神経という二種類の神経が存在します。昼間は活動するために交感神経が活発になり、夜眠るときには体を休めるために副交感神経が働いて気管や気道が狭くなります。このため、空気の乾燥などの刺激に過敏になるため、咳がひどくなりやすいのです。朝方は就寝中に溜まった痰(たん)を排出しようと咳が出ますし、アレルギー性鼻炎や逆流性食道炎がある人も同様に咳が続くことがあるそうです。

 

乾燥などへの対策をしても症状が改善されず、朝晩に咳が長期間続くときには速やかに医療機関を受診しましょう。咳の原因を見極めて適切な治療を受ける必要があります。咳がひどい場合には対症療法として咳止めを処方されることが多いのですが、上記したように咳は自己防衛本能に基づいた反応ですから、咳が止まればそれで良いわけではありません。例え、咳が止まったとしても重篤な副作用が出る場合があります。私のケースは正にそれでした。1年ほど前から時々咳が出るようになりりましたが、今春、中欧旅行から戻った後、風邪の症状(発熱)がないのに朝晩に激しい咳と鼻水が続いたため、緊急対応として近くの内科医院でアレルギー性鼻炎の症状を起こりにくくする薬と咳止めの飲み薬を処方してもらいました。

 

指示された通り5日間に亘って薬を飲み続けた直後に副作用と思われる症状が出ました。先ず、排尿が困難になりました。それに続いて皮膚に発疹が出ることと、下痢の症状が始まりました。そこで、一番つらい排尿困難について泌尿器の専門医の診察を受けました。薬の副作用による可能性も考えられるとのことですが、排尿困難の原因として一般的な前立腺の検査を受けることになりました。その結果は軽度の前立腺肥大症(尿道の柔軟性が低下)との判定。これまで自覚症状はほとんどありませんでしたが、前立腺肥大によって生じる排尿困難を軽減する薬を処方してもらいました。前立腺の平滑筋をリラックス弛緩)させる働きがあるそうです。

 

この薬を飲み始めると、2日目には症状の改善が見られ、一週間後にはほぼ正常に戻ってくれました。ただし、処方された薬は上記のように対症療法ですから、長期間飲み続ける必要があるようです。ちなみに、前立腺肥大の根本的な治療法は薬物による方法と手術による方法があります。前者は男性ホルモンが前立腺に作用するのを抑えて肥大した前立腺を小さくするものであり、後者はレーザーやマイクロ波などによって尿道を広げる手法です。(注、前立腺癌の場合は前立腺の一部または全部を切除する必要がある) また、エコー検査と尿検査の結果、膀胱と腎臓の機能も正常であることが分かりました。これらを総合的に判断すると、軽度の前立腺肥大症と薬の副作用とがあいまって排尿困難な症状を発症したようです。

 

下痢と皮膚の発疹については日を追うごとに軽くなりました。しかし、咳と鼻水は相変わらずですから、近くの内科医からのアドバイスにしたがって、掛かりつけの病院(内科)の担当医師に相談することにしました。咳の原因を調べるため、問診に続いてアレルギーの有無を調べる血液検査と胸部のCTスキャン撮影をしてもらいました。アレルギー検査(一般的な6項目)の結果はすべて陰性。CTスキャンでは気管支炎の跡が確認されました。それらを総合判断して、咳の原因は副鼻腔炎による鼻水が喉に流れ出ることであると考えられるとの診断が下され、その症状を軽減および原因を取り除くための薬を処方されました。担当医師の考えは、咳止め薬を飲むのは継続する咳によって体に深刻なダメージを与える恐れがある場合に留めることが望ましいとのこと。幸いなことに、2週間後には咳の発生はかなり少なくなり、現在は3種類の飲み薬の1種類を変えて、さらに飲み続けています。

 

最後に今回学んだ教訓です。1時間前後にもおよぶ激しい咳と排尿困難が重なると睡眠もままならなくなり、まさに地獄に落とされたような苦しい日々が続きました。そして、お釈迦様に「蜘蛛の糸」を願いました。しかし、どんな苦しい症状であっても、神経に働きかける咳止め薬は重篤な副作用をもたらし、さらなる地獄の深みへ落ちることを痛感させられました。ちなみに、この副作用は咳止め用の市販薬でも起こることがあるようです。これほど重篤な薬の副作用は初めての経験でしたが、専門医の的確な診断と薬の処方により、副作用を抑えながら、症状が回復へ向かっていることに今は感謝しています。

2018年8月15日 (水)

中欧旅行(ダイジェスト版・最終回) グルメ編

中欧の料理はドイツやトルコなど周辺諸国の料理の影響を受けながら独自の郷土料理へと発達したもの(クネドリーキ、グヤーシュなど)と、ハプスブルク帝国の領土であった各地の料理がウィーンにもたらされて宮廷料理として洗練されたもの(ウィンナーシュニッツエルなど)があり、その種類はバラエティに富んでいる。本稿は中欧旅行で食べたグルメとホテルの朝食について、印象に残ったものを紹介する。

 

チェコのプラハで宿泊したホテルの朝食(バイキング形式)は私が旅行先で楽しみにしているオムライス(玉子2個)を中心とするメニュー選択
 
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プラハの旧市街にあるレストラン"BOHEMICA Old Town Bar & Restaurant"での昼食はチキンとポテトの煮込み 注、メインのローストチキンは撮影洩れ
 
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チェコのチェスキー・クルムロフにある人気レストラン「レスタウラツェ エッゲンベルク」での昼食は、スヴィチュコヴァーと呼ばれるクリームスープに、レモン、クランベリージャム、ホイップクリームをトッピングして、サーロインテーキと蒸しパンのクネドリーキを添えた郷土料理。注、スヴィチュコヴァーは根菜とクリームで作られたチェコのスープ、クネドリーキは日本の白いご飯のようなもの
 
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オーストリアのザルツブルクにあるレストラン「コスタ」での夕食はスープ&ビーフステーキの酢漬けキャベツ添えです。ちなみに、ザワークラフトはヨーロッパで一般的な食べ物で、ステーキは柔らかくて薄目の味付け。 注、ザワークラフトはドイツ語で酸っぱいキャベツを意味し、キャベツの漬物(発酵食品)
 
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ザルツブルクのファストフード店で購入したザルツブルク名物のボスナ(Bosna)は3.70ユーロ/約500円。焼いた白パンにマスタードを塗り、同じく焼いた細い2本のソーセージを挟み、刻んだタマネギやパセリを加え、最後にカレー粉を振り掛けたもの。つまり、カレー風味のホットドッグ。
 
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オーストリアのウィーンにあるレストラン「カルドス」での夕食はウィーン料理のウィンナーシュニツェル。フランスのコートレット(カツレツ)がイタリアのミラノ経由でウィーンに伝わったとされる料理で、仔牛のモモ肉を使ったカツレツである。ちなみに、日本のトンカツもコートレットがルーツで、明治時代に高価である仔牛のモモ肉の代用として手軽な豚肉が使われ、ポークカツレツあるいはトン(豚)カツと呼ばれるようになった。 注、後ピン写真をご容赦ください
 
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ウィーンにあるホテルの朝食(同行者の選択)
 
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ウィーンのカフェ「ザッハー」での昼食はヴィーナー・メランジェ、野菜サラダ、ビール、パンなど 注、メランジェはエスプレッソに温かいミルクを加えた上、ミルクの泡を載せたもの(カプチーノにほぼ同じ)
 
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ウィーンのブリストル・ホテル内にあるレストラン「ブリストル・ラウンジ」での夕食は、夜のコンサートとセットになったもので、メインは魚またはビーフ・シチュウ
 
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デザートはホワイトチョコレート・ソースおよびピスタチオ・アイスクリームと組み合わせた「モーツアルト・クノーデル」(Mozartcnodel)。ちなみに、「クノーデル」はジャガイモの団子で、「モーツアルト」を冠しているのは無類のお菓子好きであったモーツアルトに由来すると思われる。
 
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ハンガリーのブダペストにあるレストラン「カルテンベルグ」での昼食はロールキャベツと、
 
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温かいスープ「グヤーシュ」をベースにしたハンガリーカレー
 
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注、グヤーシュはハンガリーの定番スープ(牛肉とみじん切りにしたタマネギを炒めてパプリカパウダー/コンソメ/胡椒を入れ、パプリカ/トマト/にんじん/じゃがいもを大まかに切ったものを加えて良く煮込んだもの)。ドイツではグーラッシュと呼ばれるシチュー料理が一般的

 

ブダペストにあるカフェ”I Quattro Artisti"での軽い夕食はビールと彩のあるサラダと、
 
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ハーブティーのように香り豊かな紅茶(フレーバーティー)
 
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中欧の料理は、肉・ポテト・キャベツ・野菜スープを中心にした質素なものであるが、味付けは日本人の口に合うものが多い。ただし、そのボリュームは欧米人に合わせているため食べきれないことが多い。また、ホテルの朝食(バイキング)はヨーロッパで一般的な調理したメニュー(イングリッシュブレックファスト)であり、これという特徴はない。注、パンと飲み物など火を通さないコンチネンタル・ブレックファストに出会うことはなかった

2018年8月10日 (金)

中欧旅行(ダイジェスト版) ハンガリーのブダペスト

「ドナウの薔薇」と讃えられる美しいハンガリーの首都ブダペストは西岸のブダ地区と東岸のペストちくが合併して誕生した都市である。ハンガリーの歴史を振り返ると、紀元前1世紀にローマ帝国の属州となり、4世紀後半にフン族、6世紀に遊牧民のアヴァール人が侵入。8世紀にはフランク王国の支配下となり、9世紀にマジャル人が侵入。1000年にマジャル人が主体となるハンガリー人がハンガリー王国を建国。

 

13世紀にはモンゴル帝国軍が来襲して大きな被害を受けるが、14-15世紀には中央ヨーロッパの強国になる。15世紀後半からオスマン帝国の強い圧力を受け、1541年にオスマン帝国軍との戦いに敗れてブダを占領されたことで領土の2/3がオスマン帝国の支配下となり、残り1/3はオーストリアが分割支配した。

 

第一次世界大戦で敗戦国になり、オーストリアから独立して1918年に共和国(1920年にハンガリー王国)となる。1945年に第二次世界大戦の敗戦国となり、1946年に王政を廃して共和国(ソ連の支配下)となる。1989年に第三共和国が成立。2004年にEUに加盟。

 

ブダペストのブダ地区にある「ブダの王宮」はバロック様式の美しく大きな建物で、国立美術館、国立図書館、歴史博物館、軍事博物館などがあるそうです。
 
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その少し北に位置する「漁夫の砦」は、1895年から1902年にかけて、建国千年祭における市街美化計画の一環として建築家シュレク・フリジェシュによって建てられたネオロマネスク様式の砦です。7つの白い尖塔が白い回廊で結ばれた構造になっており、名前の由来はこの地をドナウ川の漁師組合が守っていたことによるとされるそうです。
 
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階段を上がるとドナウ川の対岸に「国会議事堂」が手に取るように見える。
 
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砦の広場の中央にはハンガリーを統一した王である「聖イシュトヴァーン一世の騎馬像」は、右手にダブルクロスの十字架を手にし、頭の後ろには聖人に相応しく光輪を戴いていて、威厳に満ち堂々としている。
 
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広場の右手奥にあるのは1200年代後半に建てられた「マーチャーシュ教会」(正式名称: 聖母マリア聖堂)で、街がオスマントルコに1541年から145年間もの長きにわたって占領された時にはモスク(イスラム教寺院)だった。そして1800年代後半にはゴチック様式の要素を残しながらバロック様式に改修された。ステンドグラスやフレスコ画などが美しい。
 
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ドナウ川東岸のペスト地区にある「聖イシュトヴァーン大聖堂」は1905年に完成した新古典主義様式の建物(高さ96m、幅55m、奥行87.4m)。
 
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主祭壇には大理石製の初代国王イシュトヴァーンが祭られている。
 
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ドーム天井
   
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立派なパイプオルガン
 
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ドナウ川で分断されているブダ地区とペスト地区を繋ぐ最初の橋となったセーチェーニ鎖橋」は1849年に完成した吊り橋型の石橋(全長は380m)で、ドナウ川の沿岸で最初に架けられた恒常的な(変化がない)橋。昼間とライトアップされた時に撮影。
 
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ブダ地区側の夜景を一望。左端に「漁夫の砦」と「「マーチャーシュ教会」、中央はバロック様式の「聖アンナ教会」(Felsővízivárosi Szent Anna-plébánia és templom)、右は「聖フェレンツ教会」(Szent Ferenc sebei templom)。

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河畔に建つのは改革派教会 ( Szilágyi Dezső téri református templom )
 
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ライトアップされた「セーチェーニ鎖橋」を通過
 

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ブダ地区の南部にある「ブダペスト工科大学

 
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ペスト地区の南部には鯨をモチーフにしたといわれる未来型デザインのモールBálna Budapest”が異彩を放っている。
 
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クルーズボートは国会議事堂に限りなく近づくコースから桟橋に接岸した。
 
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1000年の古都・ブダペストの観光を締めくくるのはドナウ川のナイトクルーズ。ライトアップされた建物と多様な橋を巡りながら美しくロマンチックな夜景をたっぷり楽しむことができた。

2018年8月 5日 (日)

中欧旅行(ダイジェスト版) オーストリアのウィーン

ウィーンは、ローマ帝国の北の境界に位置し、軍隊の駐屯地(ウィーンドボナ)があったことが地名の由来とされる。ローマ帝国が東西に分かれて生まれた西ローマ帝国の滅亡後、西欧の大半を支配したフランク王国は後に3分割されて3人の王子が相続。現在のドイツ/チェコ/オーストリア/北部イタリアを支配した東フランク王国の国王はローマ教皇に即位を認められたことで国名を神聖ローマ帝国に変更した後の首都(一時期はプラハ)、さらに神聖ローマ帝国の皇帝を輩出したハプスブルク家の帝国(オーストリア帝国)の首都として栄えた。オーストリア帝国は第一次世界大戦で敗れ、さらにドイツに併合されたため、第二次世界大戦後のオーストリア共和国は日本の北海道ほどの国土に900万人弱の人口を有する小国となった。ちなみに、オーストリアの国名はケルト語で東方の地を意味し、国名が似ているオーストラリアはラテン語で南の地を意味するため、2つの国名はまったく関係がない。

 

旧市街の南端にあってウィーンの顔といえるウィーン国立歌劇場は、1869年に完成して以来、ウィーンを代表する音楽施設で、パリのオペラ座およびミラノのスカラ座と共に欧州3大歌劇場と呼ばれる。グスタフ・マーラー、リヒャヤルト・シュトラウス、カール・ベーム、ヘルベルト・フォン・カラヤンなどの活躍の場となった。
 
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リング(環状道路)を時計廻りに進んだ美術史博物館の前にあるマリア・テレジア像
 
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その前方(リングの反対側)にあるブルク門は新王宮前の「英雄広場」への入口
 
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新王宮 はオーストリア帝国の威信をかけて建設されたが、帝国が1918年に崩壊した5年後の1923年に完成したため、王宮として使われることはなかった。ちなみに、ヒットラーが1938年にオーストリアを併合した時にバルコニーで演説したことでも知られる。
 
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さらに進んだ国会議事堂は、自由と法治を基礎とする民主主義が古代ギリシャで生まれたことを敬愛して、ギリシャ神殿様式で100年余り前の1883年に建設された。現在は改修工事中。
 
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すぐ先にあるウィーン市庁舎は1883年に完成したネオ・ゴチック様式の建物。部屋数は1575室。尖塔は高さ105m。市庁舎前広場では年間を通して、様々なイベントが開催される。
 
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リングに沿って旧市街の東側まで回り込んだ旧陸軍省の建物の前にあるラデツキー将軍の騎馬像
 
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ウィーン国立歌劇場の前まで戻ってケルントナー通りを北上。ウィーン旧市街の中心部ににあるシュテファン寺院はハプスブルク家の教会。約130mの尖塔(南塔)があることで知られる。南塔は1359年に完成したが、北塔は約半分の高さまで建設したところで建設が中断されたまま現在に至る。
 
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シュテファン広場で合唱するグループ
 
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シュテファン寺院の内部
 
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高い建物が少ないウィーンではエレベーターが設置された北塔が絶好の展望台である。
 
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グラーベン通りに建つペスト記念碑
 
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1812年に設立されたウィーン楽友協会の建物(1870年完成、リングの南東角外)はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地であり、毎年開催されるニューイヤー・コンサートは楽友協会の大ホール(黄金の間)が使用される。なお、詳細説明と綺麗な写真は関連サイトで見られる。注、写真は昼過ぎの見学時と夕刻のコンサート開始時に撮影
 
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モーツアルト・オーケストラの演奏会を聴いたブラームス・ホール 注、演奏中は撮影禁止
 
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ウィーンは地下鉄/トラム(路面電車)/バスの路線が発達しているが、観光客にはトラムに人気がある。また、共通乗車券は目的に応じて購入するとコスパが良い。例、1回券/1日券/定期券。ちなみに、改札口はないが、抜き打ちの検札が行われることがある。
 
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ウィーンは人口190万弱とヨーロッパで有数の大都市である。オーストリア帝国の首都として数々の大作曲家の活躍の舞台となった当時の雰囲気が街並みに残っている。個人的な関心事であったウィーン楽友協会内にあるホールを見学した後、ブラームス・ホールでモーツアルト・オーケストラの演奏を聴く中、アンコール曲のラデツキー行進曲に合わせて手拍子を打つことに大感激。ミーハー旅行者になった瞬間である。

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