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2018年10月

2018年10月31日 (水)

日本料理としゃぶしゃぶの「木曽路」

10月23日から25日までの3日間、「シャブシャブ祭り」が開催されるとの案内状を見て日本料理の「木曽路」へ出掛けました。所用で訪れたたまプラーザからの帰路、東名川崎ICに近い「木曽路」の宮前平店です。8年前のブログ記事で紹介したように日本料理としゃぶしゃぶを提供する「木曽路」は私が好きな和食レストランのひとつです。

 

先付・しゃぶしゃぶ(肉・野菜盛)・きしめん・餅・御飯・香の物・デザートが含まれるシャブシャブ・コースには国産牛ロース肉(1944円)、和牛霜降肉(2700円)、和牛特選霜降肉(3780円)の3種類がありましたが、ランチですから同行者と私はともに国産牛ロース肉のコースを選びました。
 
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「しゃぶしゃぶ」は中国の火鍋にヒントを得た大阪の店主が終戦後まもなく考案した名称(注、起源については諸説がある)であることはミャンマーへの旅行記事で簡単に触れています。ちなみに、しゃぶしゃぶ向けには良く知られる牛肉以外にも、豚肉や鶏肉、さらに海産物であるフグ・タコ・ブリ・タイなど多彩な食材が利用されているようです。

 

先付けとして胡麻豆腐が配膳され、
 
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大きな共蓋(ともぶた)鉄鍋と4種類の薬味もテーブルに並びました。
 
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「しゃぶしゃぶ鍋」といえば、中央に煙突状のものが付いて鍋を思い浮かべます。しかし、「木曽路」の鍋はIHコンロを使っているためか底が平らで肉厚な鉄鍋で出汁(だし)を高温に保つことができそうです。ちなみに、中国北部の発祥とされる火鍋(ホークオ/ひなべ)の一種である火鍋子(ホーコーズ)は中央の煙突状の部分に炭火を入れて料理が冷めないようにできる優れもので、その鍋を流用した初期の「しゃぶしゃぶ鍋」(底が平らで広い)が七輪の火を覆(おお)っても中央の煙突が排気口として働くため火力が弱くならず、かつ出汁が接する面積が広いことで鍋内の出汁(スープ)を高温に保ち、鍋の周囲に火が向かない効用があったそうです。

 

ここまで書いて思い出しました。古い話ですが、私の母親は何かお祝い事がある時、小麦粉・卵・砂糖を材料とするカステラに近いスポンジケーキを焼いてくれました。焼く時に使った容器は中央に煙突があって生地へ熱が良く通る構造になっていたのは「しゃぶしゃぶ鍋」と同じ考えだったと思われます。ちなみに、出来上った形状は大きなドーナツ状(ただし、断面は四角形)でした。

 

タレはゴマダレとポン酢の2種類です。前者には薬味からニラとニンニクを、後者には同じく紅葉おろしとさらしネギを、好みに応じた量を加えました。
 
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そして薄くスライスした牛ロース肉が登場
 
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和服を着たスタッフが薄くスライスされた牛ロース肉を手際よく沸騰した出汁(だし)に潜(くぐ)らせてゴマダレに入れてくれました。出汁の種類を聞きそびれましたが、具材としても提供された昆布が使われているのでしょう。
 
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次いで白菜・もやし・シイタケ・えのき・豆腐・わかめ、そして紅葉に似せたニンジンなどを鍋に投入
 
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大きな皿には浅葱(あさつき、若いネギ)や水菜(あるいは春菊)などの野菜と太めの春雨が残っています。
 
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牛ロース肉と野菜などをしゃぶしゃぶして食べていると白いご飯と香の物も配膳されました。「木曽路」では通常のメニューと同様、白いご飯と十穀米のいずれかを選ぶことができます。
 
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牛ロース肉をポン酢でも味わってみました。
 
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熱い出汁で温めた豆腐は中が熱いので注意しながら
 
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さらに牛ロース肉と野菜をポン酢で
 
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牛ロース肉がなくなったころ追加肉が必要かとスタッフに聞かれましたが辞退。そして、スタッフは牛ロース肉と各種野菜の味が入った出汁を沸騰させて灰汁(あく)を綺麗に取り除いたうえで「きしめんと餅(もち)」を加熱調理してくれました。好みで中華緬を選ぶこともできるそうですが、どんな形で提供されるのかが想像できないため、私は無難な「きしめんと餅(もち)」の組み合わせを選びました。塩とコショウで味を調(ととの)えた「きしめん」はすき焼き用と似た太めで腰がある緬でした。
 
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デザートのアイスクリーム(バニラ・抹茶・栗)から私はバニラを、同行者は面白そうだと栗を選びました。味見をさせてもらうと私には栗の風味(やや微妙)を少し感じることができました。同行者は中津川市の川上屋で土産に買った「栗きんとん」を思い出したのかもしれません。
 
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久しぶりに食べた「しゃぶしゃぶ」は牛肉と野菜を美味しく食べることができるため、気が付けば動くこともままならないほどの満腹になっていました。

 

いきなり!ステーキ」のビーフステーキ、「べこ亭」の焼き肉、そして「木曽路」のしゃぶしゃぶと肉料理を食べる機会が続いています。この1-2年は慢性胃炎の症状として食欲が減退したことで体重と体力が落ちてしまいましたが、その状態から脱却するために肉料理をできるだけ食べることにしたのです。そして先週、ゴルフ場へ出かけた時もクラブハウスのレストランで三元豚のカツ重を選びました。胃炎の症状がさらに快復して、食事量と体重が元に戻ることを願いながら、これからもグルメを楽しみたいと思います。

2018年10月27日 (土)

焼肉ダイニング「べこ亭」(たまプラーザ本店)

東名高速道路の東名川崎ICからたまプラーザへ向かう途中、戸建住宅やマンションが立ち並ぶ住宅街で見かける焼肉ダイニング「べこ亭」を初めて利用する機会がありました。焼肉料理を食べるのは本当に久しぶりのことです。

 

グルメサイトには最寄り駅の東急田園都市線たまプラーザ駅から徒歩10分(食べログは13分)と表示されていますが、地図で確認すると駅からの距離は1000強、途中に坂道がありますから、徒歩15分と考えた方が良さそうです。しかし、敷地内(店舗前)に駐車場(10数台)がありますから、車を利用する方が良さそうです。この日は突然の雨でしたが、幸いにも3-4台分の空きスペースがありました。

 

外壁が濃紺に塗られた和モダンの建物が印象的な黒毛和牛雌牛専門店を売りにする高級感のある焼肉店です。ちなみに、大田区自由が丘には自由が丘店があるようです。
 
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予約した時間より15分ほど早く到着。町家の玄関にあるような引戸を開けて店内に入ると木目を活かした茶系のインテリア(和ダンスなどの調度品があり)が落ち着いた雰囲気を演出していました。
 
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ロビーの先には会津の蔵をイメージしたとのこと。蔵扉の奥はワインと焼酎のセラーが。その上は吹き抜けになっており、2階はロの字形に個室が配置されているようです。ちなみに、1階にはオープンなテーブル席が、2階は個室(和室)がいくつかあり、総席数は96とのこと。
 
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左奥にあるウエイティングエリアで数分待つと、テーブルに案内されました。この日はチビスケくんの誕生会であり、本人の希望で焼き肉店が選ばれました。子供が2人入ったプライベートな会食には個室の方が良いのですが、週末に空きがあった1階のテーブル席が選ばれたようです。ジャズ音楽が静かに流れているオープンスペースは全体がやや暗めに照明されていて、落ち着いた雰囲気があります。しかし、巧みに配置された照明によって明るさにメリハリ(光の明暗)が付けられていることに気づきました。テーブルのある空間は明るく照らされ、テーブルとテーブルの間には低めの照明が作り出す光のパーティション(間仕切り)が存在するのです。つまり、他の席が気になることもなく、きわめて快適は空間演出です。ちなみに、ガスを使用する無煙ロースターが採用されていて、テーブル上はすっきりしています。
 
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参加者は皆、焼肉に詳しくないため、メニューをあれこれ検討した結果、コース「雅(みやび)」(4600円+税)を大人の人数分だけ注文して全員でシェアすることになりました。コースの内訳は以下の通りです。

 

前菜: キムチ盛合せ、ナムル盛合せ、彩サラダ

焼肉: 上タン塩、三元豚カルビ、和牛カルビ&和牛ロース、ハラミ、特選サーロイン

御食事: 和牛挽肉茶漬け(またはレーメン)、デザート

 

飲み物として私はウィスキーハイボール、他の参加者はビール、ソフトドリンクなどまちまち。

 

もしコースのボリュームが足りないようであれば、上ロース(2100円)、上カルビ(2100円)、上タン塩(1240円)、三元豚カルビ(720円)、帆立(960円)、チョレギサラダ(810円)、ごはん(お子様セット、650円)、などを適当に見繕(みつくろ)って注文すれば良いでしょう。

 

実は本格的な焼肉店を利用するのはわが家にとって久しぶりのことなのです。私の世代が子供だったころは焼肉を食べる機会がまったくなかったため焼肉には馴染みがなく、自分の子供たちがまだ小さいころに思い立って近くの「安楽亭」へ2-3回連れて行ったことがあるだけ。そして、本格的な焼肉はマレーシアへの出張時に現地スタッフに誘われて韓国レストランで一度味わいました。あとは大衆食堂で焼肉定食を時々・・・。超初心者の私は焼肉の基礎について事前に予習しておきました。ご存知の方はスキップしてください。
 
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[肉の種類]

①塩味系

タン: 舌の肉、先端は脂が少なく、元は脂肪が多い、レモン塩で食べる

ヒレ: 身体の中心にある肉、脂が少ない

ミノ: 第一胃

トントロ: ブタの首肉
 

②しょう油味系

カルビ: 腹の肉(ばら肉)

三角バラ: 首周りの肉

カイノミ: 背中の肉(ヒレに近い)

肩ロース: 肩の肉、きめ細かく柔らかい肉

リブロース: 背中の肉、同上

ザブトン: 肩の肉、同上
 

③赤身系

トモサンカク: さしが入ったモモ肉、脂身が少なく味がしっかりした食べやすい肉、しょう油味で食べる

イチボ: お尻の先端にある肉、同上
 

④内蔵系

ホルモン: ミソ系のタレで味付けされている

例、ハラミ(横隔膜の筋肉)、ミノ(第一胃)、ハチノス(第二胃)、胃のセンマイ(第三胃)、ギアラ(第四胃)、ハツ(心臓)

 

[食べる順]

①野菜、次いで脂の少ないあっさり味の赤身から脂の多い(さし入り)肉、そしてモツ(ホルモン)
 

②レモン・塩からしょう油味の薄いタレ、そして濃いタレへ

 

[焼き方]

①タン塩: 薄い(厚さ3-4mmの)肉は網の中央で片面を15秒、肉が反り返ったら反対側を10秒焼く。厚い肉は網の端でゆっくり焼き、反り返ったら反対側も同様に焼き、トングで肉を挟んで側面を順に焼いて肉汁を閉じ込める。
 

②ロース(肩から背中にかけての部位): 網の上で2-3度熱してから片面を20-30秒(厚さ3-4mm)ほど焼き、反対側は15-20秒焼く。
 

③赤身: 弱火で1分程度じっくり焼き、上面の周囲に肉汁が少し出て、表面に焼き色が少し付いたらひっくり返す。
 

④カルビ(さしが入った部位): 焼き過ぎないようにする。表面の淵が白くなったらひっくり返す。10秒が目安。炙(あぶ)るようにして両面を焼くのがお勧め。
 
                           ☆
 

閑話休題。まず「キムチ」「ナムル」「彩サラダ」が配膳されました。
 
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「上タン塩」と「三元豚カルビ」は見た目にも美しく食欲を唆(そそ)ります。
 
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「和牛カルビ、和牛ロース、ハラミ」
 
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そして、「特選サーロイン」が続きました。
 
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上記の順に配膳された各種の「肉の部位」と「たれ」は上品な味わいがあって、箸(はし)が進みました。また、高級過ぎないことも子供が入ったカジュアルな会食に向いています。スタッフの応対は自然で好ましいもので、店舗と同様、経営者のポリシーがスタッフに周知されていると感じました。

 

焼肉に満足したあとは好みに応じて和牛挽肉茶漬けあるいはレーメン
 
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「べこ亭」からは誕生日のプレゼントが提供されたチビ助くんは大喜び、チビエちゃんは初めて食べるレーメンが気に入ったようです。
 
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最後はデザートのフローズンヨーグルト
 
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誕生会は約一時間半あまりで終了。チビスケくんのお蔭で本格的な焼肉を久しぶりに堪能(たんのう)することができました。ありがとう。

2018年10月23日 (火)

東京ガス・袖ヶ浦LNG基地の見学ツアー(後編)

案内されたセミナールームで所長より、『1973年に袖ヶ浦工場(現LNG基地)が運転開始し、現在は全国に30数か所ある都市ガス工場の1/8にあたる量の都市ガスを生産している。LNG は安価であり、安定的に供給を確保でき、都市ガスを自然に優しい方法で製造できることが特長である。』 との趣旨の説明を受けました。

 

次いで東京ガスが袖ヶ浦・根岸・扇島・日立に所有する4つのLNG基地の配置、LNG基地の構成とLNGから都市ガスが製造されるプロセス、および都市ガスを安定して需要地へ供給するループ化された導管網、導管が施設されていない地域にはLNGローリー車や内航船を利用して都市ガスを供給していること、隣接する東京電力袖ヶ浦火力発電所と冷却水・温水を交換して経済性を向上させていること、などをビデオとスライドプロジェクターで紹介。

 

最後に、構内で撮影した写真をSNSで公開しないようにとの注意説明あり、都合30分のセミナーは終了しました。

 

その後、見学ツアーへの参加者はバスの乗車と同様、2つのグル―プに分かれて、「基地内見学」と「LNGの実験」を交代で各約20分間見学することになりました。私のグループは先ずLNGプラザのロビーに設けられた会場で行われる「LNGの実験」に参加することになりました。

 

LNG(液化天然ガス)の温度は-159度Cと超低温です。注、沸点は-162度C
 
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先ず、カーネーションをLNGで瞬時に冷却すると花弁がガラス細工のように粉々になる実験が行われ、
 
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次いで、柔らかいゴムボールをビーカーに入ったLNGで冷却する実験が行われました。
 
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床に落とすと柔らかいはずのゴムボールが小片に砕けました。
 
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さらに実験は続き、フラスコにLNGが入れられ、
 
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室温で温められたLNGがガス化したものをゴムフーセンに集めると、
 
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空気より軽いガス化したLNG(つまりメタンガス)が入ったゴム風船は天井に貼りつきました。
 
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最後はLNGとオイル燃料を使った燃焼を比較する実験です。ガラス製のシャーレを両者の炎の上にかざし手違いを確認するものです。
 
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向って左側のLNGにはまったく煤(すす)が付着していませんが、右側のオイル燃料は真っ黒な煤(すす)が付きました。メタンガスを燃焼させると、空気中の酸素と結合して二酸化炭素(炭酸ガス)と水がせいせいされるのです。つまり、CH4+2O2→CO2+2H2Oの化学変化。一方、オイル燃料を燃焼させると不完全燃焼により炭素も生成されることが最大の違いなのです。
 
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最後に、LNGをLNGプラザの入口に近いタイル敷きの床に散布すると白い煙が立ち上がりました。これは空気中の水蒸気がLNGにより急速に冷却されたものだそうです。
 
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実験のあとは基地内見学です。東京ガスが用意したマイクロバスに乗車して広大な敷地内(機能を相互にバックアップする東地区と西地区)にあるLNGの貯蓄設備群と都市ガスの製造設備群を移動しながら車内から見学しました。主な設備は、備蓄用LNGタンク(計20基ほど)、海水の熱を利用してLNGをガス化する設備「オープンラック式ベーパライザー(ORV)、プロパンガス(LPG)を少量加えて都市ガスの熱量を10,750kcalに調整する設備、都市ガス特有の臭いを付ける設備、海底(東京湾を横断するルート)および陸上(東京湾岸ルート)の都市ガス供給パイプラインになどの設備群に加え、3つあるLNG受入バース(berth、LNG搬入埠頭)の1つに停泊しているLNG輸送船などです。230万世帯が1年間に使用する都市ガス用のLNGを貯蓄できるという巨大LNG基地にある設備群の景観は圧倒的な迫力がありました。

 

撮影した写真を使って説明できないことは残念ですが、東京ガスの関連URL袖ヶ浦市のhpに掲載されている東京瓦斯の資料(当日配布された資料のひとつ)でその紹介に替えます。

注、構内で撮影した写真はブログなどで公開禁止

 

セミナールームに戻って、アンケートを記入し、Q&Aが行われたあと、LNG基地見学の全コースは午後4時ころ終了。午後4時5分ころ見学先を出発。雨足が強くなるなか、往路とは逆に走行して袖ヶ浦ICから東京湾アクアライン連絡道に入り、木更津金田IC(本線料金所)を通過して東京湾アクアラインに入ると、雨は次第に小降りになりました。
 
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川崎市の川崎浮島JCTを通過して首都高速湾岸線に入りました。
 
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羽田空港を抜けた地下区間(側道/一般道)で渋滞が発生し、地上に出て京浜島を抜けるまで続きました。首都高速の渋滞を見越したルート選択と思われます。東京モノレールの天王洲アイル駅近くを通過して都道316号(海岸通)の五色橋交差点を北上するコースです。このため往路より30分ほど多い時間を要しました。しかし、それは事前に折り込んであったと見られ、予定通りの午後5時30分ころ、浜松町ビルの前に到着。建物内で粗品を貰って解散しました。(終)

2018年10月22日 (月)

東京ガス・袖ヶ浦LNG基地の見学ツアー(前編)

最近は製造現場を見る工場見学や船からコンビナートの夜景を鑑賞する工場夜景ツアーが人気を集めているようです。当ブログでも神奈川県南足柄市にあるアサヒビールの神奈川工場関連URL)、インドネシアのバリコーヒー工場バティック工場、ベトナム・ハノイ近郊にある「陶器の里」、ミャンマー・バガンの漆器工房「トゥン・ハンディクラフツ」、新潟県南魚沼市の八海酒造「魚沼の里」、長野県飯綱町のワイン工場「サンクゼールの丘」、そして群馬県富岡市の旧富岡製糸場などを紹介しています。今回の記事も工場見学がテーマです。

 

平日のとある日、大井町で昼食を済ませた私は昼過ぎに浜松町駅で下車。
 
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駅の南口から連絡通路を利用して、東京ガスの本社(浜松町ビル)を訪れました。
 
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左手に見えるのは「旧芝離宮恩賜(おんし)庭園」です。その後方は左が巨大再開発地区「汐留シオサイト」で最後の巨大ビルとなった汐留ビルディング(2007年竣工、高さ117m、オフィスと商業の複合ビル)で、右側は建設中のタワーマンション「パークコート浜離宮ザ・タワー」(地上37階、最高高さ139.904m)。
   
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案内パネルには、『小石川後楽園とともに、今に残る最も古い大名庭園のひとつで、典型的な「回遊式泉水庭園」で、池を中心にした地割りと石割は秀逸です。この地はかつて海面でしたが、明暦(1655~1658年)の頃に埋め立てられ、延宝6(1678)年に老中・大久保徒忠朝の低地となりました。忠朝は上屋敷を建てる際に、藩地の小田原から庭師を呼び寄せて作庭し、これを「楽寿園」と命名しました。(中略)明治4(1871)年に有栖川(ありすがわ)宮家のものになりましたが、同8(1875)年に宮内庁がこれを買いあげ、翌年に芝離宮となりました。(中略)大正13(1924)年1月、昭和天皇の御成婚記念として東京市(都)に下賜(かし)され、庭園の復旧と整備を施して、同年4月に一般公開されました。昭和54(1979)年6月に国の名勝に指定されています。』 とあります。
 
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連絡通路は東京ガス浜町ビル(1984年竣工、地上27階建、高さ116m)の2階に直結していました。
 
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館内に入って案内看板に従って奥まで進むと、会議室用テーブルを利用した受付がありました。手続き(チェックイン)を済ませると奥にある会議室へ案内されました。ちなみに、ビルの入口付近と館内は撮影禁止のようでした。30分あまり待った午後1時になると担当者に先導されてビル1階に下りて正面口付近に停まっている2台のはとバスに分かれて乗車しました。前方に見える高架は首都高速都心環状線です。
 
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午後1時8分ころに浜松町を出発しました。行き先は千葉県木更津市にある東京ガス・袖ヶ浦LNG基地です。これまで何度も申し込んでいましたが、今回初めて当選したのです。

 

高速道路の下を走って南浜橋交差点を左折し、すぐ右折して浜水門脇を抜け、レインボーブリッジを渡りました。そして、レインボーブリッジ入口交差点を右折して、右手に見えるモノレールの下を走り、台場交差点を左折しました。
 
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次いで、お台場中央交差点を右折して首都高速・臨海副都心入口から首都高速湾岸線(国道357号)に入り、羽田空港内を通過します。
 
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そして、川崎浮島JCTからアクアラインに入って千葉県を目指しました。「海ほたる」でトンネル区間(9610m)からブリッジ(橋梁)区間(4384m)へ移行すると、右手に千葉県木更津(きさらづ)市のコンビナートの遠景が見えはじめました。
 
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左手は袖ヶ浦(そでがうら)市の工場群のようです。2本の高い煙突は東京電力袖ヶ浦火力発電所ものでしょう。
 
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木更津市のコンビナートが近づきました。手前にはあさりの養殖筏(いかだ)のようなものも確認できます。
 
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東京湾アクアライン連絡道の袖ヶ浦ICを出て国道16号(東京湾岸道路)を北東方向へ約6km進んだ長袖交差点を左折して江原製作所の袖ヶ浦事業所の前を通過。
 
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東京電力袖ヶ浦火力発電所の先(隣接地)に東京瓦斯袖ヶ浦LNG基地(袖ヶ浦工場)がありました。
 
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正門から緑化された敷地内に入って150mほど直進し、
 
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午後2時10分ころ、LNGプラザ(ビジターセンター)に到着。
 
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(続く)

2018年10月18日 (木)

「いきなり!ステーキ」(イトーヨーカドー大井町店)

所用で品川区の大井町駅へ出かけた折、「いきなり!ステーキ」で昼食を摂ることにして、駅前のイトーヨーカドーに入りました。
 
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駅側の道路から入ると2階ですから、エスカレーターで下りた1階の「デリカとフードコートのフロア」の一角(右奥)に「いきなり!ステーキ(イトーヨーカドー大井町店) 」がありました。
 
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従来は予約なし&立ち食いスタイルで安いステーキを提供するビジネスモデルでしたが、全国に300店舗まで拡大(2018年8月現在)するとともに着席スタイルが増え、立ち食いスタイルはほとんどなくなったようです。ちなみに、1号店は2013年12月にオープンした銀座四丁目店で、2017年には海外初となるアメリカ1号店をニューヨークのマンハッタンにオープンし、わずか1年半でマンハッタン内に9店舗へと急拡大しました。
 
しかし、1号店で採用した立ち食いスタイルを3か月後に止めるなど、ステーキが食文化として成熟しているニューヨーカーへの対応で試行錯誤中と伝えられます。ロッキー青木氏(本名:青木廣彰)が1964年にアメリカへ進出して創業した鉄板焼きのチェーン店”BENIHANA OF TOKYO”(紅花)のように大成功を収めることができるか、「いきなり!ステーキ」の動向に注目しています。ちなみに、30年近く前、"BENIHANA"のヒューストン店を利用したことがあります。
 
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好みに応じた肉の部位とボリューム(100gまたは200gからのグラム単位量り売り)、そして焼き加減を指定できることがこのチェーン店の特徴です。平日は定量(200g/300g/400g、一部メニューは450g)のみですから、US産アンガスサーロインステーキ200g(1640円+税)とヒレステーキ200g(1800円+税)のどちらにするか迷いましたが、前者を選びました。
 
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いずれもライス・サラダ・スープはオプションです。左側にある「会計カウンター」で希望(焼き加減はレア、付け合わせはコーンのまま*)を申し出て料金を支払うと、呼び出しブザーを手渡されました。ステーキが焼き上がるまで約10分待つことに。

*好みに応じて付け合せのコーンをブロッコリー・オニオン・ジャガイモなどに無料で変更可能
 
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ブザーの呼び出しに応じて左端にある「お渡しカウンター」へ向かうと、トレーに載せられたステーキを手渡されました。200gといっても見た目にはかなりの大きさです。「いきなり!ステーキ」専用のテーブル席が混んでいるようなので、フードコートのテーブルを選びました。
   
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肉が焼ける音と立ち上がる湯気が美味しさを演出しています。会計時に手渡された紙製のエプロンを着けて、さっそく200gのアンガスサーロインステーキに挑戦。最近はこれほど大きな肉を食べたことがなかったため、ご飯とスープはあえて注文しませんでした。
 
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最初はトレーにある専用ソースをかけないで数切れ食べました。口に入れた肉 は弾力があり、旨味(うまみ)を感じられます。次いでソースをかけると、味が濃くなり、食べるペースに弾みがついたようです。半分を食べたあたりですべて食べきる自信が出てきました。

 

端に残っていた脂身は味のアクセントになりますが、慢性胃炎から快復途中の私には少し抵抗がありました。それでも15分ほどで完食。ちょうど良いボリュームだったのです。久しぶりのステーキに大満足して駅へ向かいながら、次回からはセットメニュー(ご飯&スモールサラダまたはスープ&スモールサラダ)を付けたステーキあるいは300gのステーキにしようかと考えて・・・。(終)

2018年10月14日 (日)

三遠南信自動車道の一部開通区間と建設予定エリアを走行する(最終回)

三遠南信自動車道の鳳来山IC-浜松いなさJCT間で最初の三遠名号(さんえんみょうごう)トンネル(長さ1056m)を抜けます。
 
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続いて、三遠大島トンネル(長さ172m)
 
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渋川寺野ICの手前にある三遠トンネル(長さ4525m)
 
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別所トンネル(長さ948m)
 
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浜松引佐北出口が2km先に近づきました。新東名高速道路へ入るにはその先にある料金所を通過する必要があるようです。
 
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東名高速道路の御殿場IC-横浜町田IC間で断続渋滞45km、通過するのに170分掛かるとの渋滞情報が表示されています。
 
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浜松いなさ北出口と新東名高速道路の浜松北料金所が見えてきました。
 
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浜松いなさJCTで新東名高速道路に入ります。
 
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渋滞距離が50kmへと少し伸びました。
 
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東京方面と名古屋方面の分岐点を通過
 
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午後5時30分ころに立ち寄った浜松SAのNEOPASA浜松で軽食(夕食)を兼ねた休憩を取ることにしました。遅い昼食から3時間あまりしか経っていませんが、インフォメーション・ボードに渋滞情報を見つけたからの時間調整も兼ねています。
 
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NEOPASA浜松内の情報ターミナルでも渋滞情報を確認すると、御殿場ICまで1時間40分、大井松田ICまで2時間以上、秦野中井ICまで2時間以上、厚木ICまで3時間以上とアバウトなものでした。『東名高速道路の厚木IC-横浜町田IC間で11kmの渋滞があり、通行所要時間25分』 との情報もあり、いずれにしても暗くなると渋滞はさらに酷(ひど)くなるかもしれません。

 

昨年8月に購入して美味しかったサバサンド(鯖のサンドイッチ)の店”Pecolita”(ペコリータ)を再訪しましたが、たこやき専門店に変わっていました。残念!!
 
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そこで、上島珈琲店でサンドイッチを食べることにしました。
 
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選んだメニューは「BLT with チーズエッグ」(880円)、カフェインレスのミルクコーヒー(410円)とリッチミルク紅茶(和三盆・無糖、400円)です。シェアして店内で食べることに。
 
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上島珈琲店内のテーブル席から窓の外を見ると山の端(は)がシルエットになっていました。
 
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駐車場に面した売店でソフトクリームを買おうとして、食事中に閉店してしまったことに落胆した同行者を乗せて、午後6時30分に出発。

 

渋滞の中に突入することを避ける時間調整のため遠州森町PAにも立ち寄りましたが。その直前、電光表示板に『大井松田-横浜町田 渋滞35km100分』の文字が・・。同行者は同PAで、抹茶ソフトしか見つけられなくて、幸せも中程度。

 

午後7時45分には『同35km、160分』 と渋滞はさらに拡大したため、駿河湾沼津SA(上り)に立ち寄って様子を見ることにしました。30分余り経った午後8時20分には『同31km、80分』 に縮小。そろそろ良いタイミングと判断して、午後8時30分に駿河湾沼津SAを出発。東名高速道路へ向かい控えめの速度で走行しましたが、大井松田ICが近づくと、カーナビに中井PA-秦野中井IC間で渋滞が発生しているとの表示が出ました。
 
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中井PAをかなり過ぎたところで渋滞の最後尾に付き、五月雨式に発生する渋滞に合わせて、時速20-30km/hでの走行を続けると、厚木ICの手前から横浜町田ICの手前まで渋滞が・・・。
 
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そして渋滞の最後尾が間近に見えてきました。フロントガラスには雨粒が・・。
 
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9時40分に厚木ICを通過。大和トンネルまで続いた渋滞を抜け、午後10時25分に帰宅することができました。ちなみに、2日間の総走行距離905.4km、平均燃費は意識しなかったこともあって22.9km/hと平凡でした。 ただし、一般道(山道))を150km以上含んだコースについてのデータですから、まずまずの結果といえるかもしれません。(終)

2018年10月13日 (土)

三遠南信自動車道の一部開通区間と建設予定エリアを走行する(その2)

長野県阿南町の帯川トンネル(長さ1264m)は2005年に開通した新しいトンネルです。
 
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長さ約700mのS字カーブを抜けた聖岩トンネル(長さ221m)の先は複雑な地形(標高差大)に対応するため、「の」の字ループを構成する新野(にいの)トンネル(長さ102m)が続きました。ちなみに、小さな「の」の字ループを構成していた根吹第2トンネル(長さ32.27m、1998年竣工)は改良工事(ルート変更)が行われて7年後の2005年に用途廃止になったようです。
 
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S字カーブの連続で高度を一気に下げた国道151号は、直線的な道となって阿南町の新野集落に入り、国道418号との分岐点を通過します。国道418号(起点:福井県大野市、終点:長野県飯田市)を東進すると天龍村を経由して南信濃で国道152号(秋葉街道)に接続しています。
 
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売木(うるぎ)へ至る県道74号との分岐点が近づきました。
 
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新野峠に向かう国道151号は改良工事が行われたようです。
 
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新野峠で愛知県(豊根村)に入った国道151号は遠州街道から別所街道へと名称を変えました。写真では見えにくいと思いますが、右端の電光掲示板には『これより9kmの間は雨量によって通行止めになる』 と表示されています。
 
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国道151号の道路情報として、『通行注意 落石の恐れ ここから』 との電光表示と雨量による通行止めを告知する看板が設置されています。
 
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紅葉橋(もみじばし)を通過します。豊根村では国道151号沿い、霧石峠・茶臼山(ちゃうすやま)高原・みどり湖、県道74号・県道426号沿線などに紅葉スポットが多数あるようです。
 
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次いで貝石橋(かいせきばし)を渡ります。
 
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県道506号との分岐点に指しかかりました。前述したように茶臼山(ちゃうすやま、標高1416m、愛知県最高峰)は紅葉の名所ですが、県境にある山頂の展望台からは愛知県のみならず長野県を展望することができるようです。
 
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新太和金(しんたわがね)トンネル(長さ685m)は平成28年(2016年)に開通した国道151号のバイパス(豊根村上黒川と東栄町振草地区を結ぶ960m)のために建設された新しいトンネルです。ちなみに、旧道の太和金トンネルは大型の観光バスが内部で擦れ違うことができなかったとのこと。
 
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中設楽(なかしたら)トンネル(長さ345m)は平成9年(1997年)に開通した中設楽バイパスのトンネルです。ポータル部に東栄町の町の花「やまゆり」と重要無形文化財である「花祭り」の際に使われる「榊鬼(さかきおに)」の面です。トンネルを出るとすぐに国道473号との重複区間を通過。
 
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駒久保(こまくぼ)トンネル(長さ132m)は昭和59年(1984年)に開通した片側に柵付の歩道があるトンネルです。
 
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新本郷トンネル(長さ413m)と市原トンネル(長さ192m)を抜けました。国道152号に沿って南下し、国道473号沿いに西進したあと、浦川IC(仮称)から南下する三遠南信自動車道がこの辺りで国道151号沿いのルートに移行して東栄ICができると思われます。国道151号はほどなく(1km余りで)東栄町から新城市に入り、5km余り走行すると名号(みょうごう)交差点が近づきました。三遠南信道の道路情報として、『トンネル内路面湿潤 走行注意』 と表示されています。
 
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案内標識にしたがって左折し、
 
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県道519号への分岐点を左折しました。 
注、県道519号に入って2km強南下したところにある大島ダム(朝霧湖)は豊川用水の水源
 
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写真に写る鳳来峡(ほうらいきょう)ICのU字形のランプから三遠南信道路(鳳来峡IC〜浜松北いなさIC、21.00km)の本線に入ります。現在は無料開放されていますから料金ゲートは設置されていません。
 
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天竜峡IC入口交差点から入って鳳来峡ICまで走った国道151号(遠州街道、別所街道)は片側1車線で整備された道路ですが、カーブとアップダウンが連続するため、運転技術を試されタフなコースでした。ちなみに、長野県側には乗用車でもすれ違いが困難な幅の狭い簡易舗装区間(約2km)がありますので、運転に自信がないドライバーには不向きです。
 
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(続く)

2018年10月12日 (金)

三遠南信自動車道の一部開通区間と建設予定エリアを走行する(その1)

そば処「くるまや中津川店」から西方へ約6km戻った中津川ICへ向かいました。中央自動車道(上り線)を利用して長野県に入り、飯田山本ICから「三遠南信(さんえんなんしん)自動車道」を走行するためです。と言うのは、中津川ICの次のICは恵那山トンネルの東側(長野県側)にある飯田山本IC、つまり中津川ICは岐阜県側東端のICなのです。また、中津川市から中央自動車道を利用しないで、つまり国道19号・国道256号・国道153号を通って飯田市へ入るルートはかなりの遠回りになります。
 
注1、「くるまや中津川店」の約8km東にある神坂(みさか)坂PAのスマートICは2019年に併設される予定
注2、 恵那山トンネルの東出口にある園原ICは、ハーフIC(下り線入口と上り線出口のみ)であり、上り線に入ることはできない

午後2時50分ころ、中津川ICから中央高速道路に入って神坂トンネル(上り線のみ*、長さ400m)を通過しました。 *中央自動車道の上り線は下り線よりも山側を通っているため
 
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次いで木曽山脈を貫く(富士見台高原の直下を通る)長大な恵那山トンネル(上り線の長さ8650m)に入ります。神坂トンネルと同様、トンネルの入口付近に信号機が設置してありました。高速道路に設置される信号機は長さが5km以上の道路トンネル(関越自動車道にある関越トンネルなど、なお追突事故による火災が発生した約2.4km長の日本坂トンネルは例外設置)、および首都高と外環道を接続する美女木JCTなどに限られています。その目的はトンネル内での事故・火災・故障車両などの緊急時に備えるためとのこと。ちなみに、恵那山トンネルは山手トンネル関越トンネル東京湾アクアトンネルなどに次いで道路トンネル第6位の長さがあります。
 
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園原ICを通過
 
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網掛山を貫く網掛トンネル(長さ1940m、車線変更禁止、最高速度70km/h)に入ります。右手の大きな構造物は換気用ジェットファンの設備と思われます。
 
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中央自動車道に入って約25分で飯田山本ICに到着
 
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中津川IC-飯田山本IC間の休日料金は700円
 
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同料金所を出て三遠南信自動車道の飯喬道路、国道474号、当面無料)へ直進します。
 
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天竜峡ICまで約7.22kmを道路の感触を確認しながら快調に走行
 
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川路トンネル(長さ185m)を通過
 
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三遠南信自動車道(開通区間:飯田山本IC-天竜峡IC)の終点(天竜峡IC)に差し掛かりました。
 
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しかし、国道151号に入るルートを間違えて、天竜峡再生道路に入ってしまったため、天竜峡中央駐車場まで行く羽目になりました。天竜川の天竜峡は、木曽川(日本ライン:岐阜県美濃加茂市-愛知県犬山市間 約10km、2013年に休止、現在はラフティングコース化)・保津川最上川・荒川の長瀞(ながとろ)などと同様、「舟下り」で有名です。
 
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天竜川に出るには長い石段を登る必要がありそうですから、急に思い立った天竜峡散策は中止することに。ただでさえ回り道をしたことで、貴重な時間をかなりロスしています。中央自動車道の飯田山本ICで三遠南信自動車道に入り、その感触を確認しながら天竜峡ICまで走りました。しかし、国道151号への入り方を間違えて、天竜峡付近に出ました。立ち寄った天竜峡中央駐車場の先には天龍峡碑」の脇に長い石段がありますので、天竜峡まで歩くことは断念。後で調べると、天竜峡に架かる吊り橋「つつじ橋」(駐車場から約250m)を経由して龍角峯(りゅうかくほう)展望台(同約400m)へ行けるコースだったようです。余計な行動をしたため時間をかなりロスした後、天竜峡インター入口交差点から国道151号に入って一路南下しました。そのドライブ旅を紹介する前に「三遠南信自動車道」について概観します。

 

三遠南信自動車道(国道474号、路線番号E69)は、長野県飯田市の中央自動車道飯田山本ICを起点として、静岡県浜松市北区引佐町の浜松いなさJCTに至る延長約100kmの高規格幹線道路で、中央自動車道と新東名高速道路とを連結し、奥三河・北遠州・南信州地域への高速サービスを提供します。(出典:国土交通省中部地方整備局浜松河川国道事務所) ちなみに、三遠南信とは三河・遠州・南信州の総称です。

飯田市と浜松市を結ぶには国道151号(起点:飯田、終点:豊橋間)沿いのルートが最短コースですが、長野県内は東へ膨らむ国道152号(起点:上田市、終点:浜松市)に沿うルートを、愛知県内は国道151号に沿うルートが選ばれました。国道151号沿いのルートは工事が難しいことと、改良工事が進んでいる国道151号((以前は酷道と称されていた)を利用するのが得策と判断されたのかもしれません。

現時点では、飯田寄り(天竜川の東側)の喬木(たかぎ)IC-程野(ほどの)IC間4.8kmが平成6年(1995年)に、中央自動車道に接続する飯田山本ICから天竜峡IC(天竜川の西側)までの7.2kmが平成20年(2008年)に、そして浜松寄りの新東名高速道路に接続する浜松いなさ北IC-鳳来峡IC間13.9が平成24年(2012年)に開通したことで、全区間の約1/4にあたる25.9kmを走行することができます。ちなみに、開通区間は当面無料で開放されています残り区間は一般道(国道152号のバイパスや改良整備区間など)を利用することになります。また、青崩(あおくずれ)トンネルなどの難工事区間があるため、全区間の開通時期は明らかにされていません。

天竜峡ICから先は新規に工事するルート(龍江IC-喬木IC間は完成)と国道256号を東進して国道152号沿いに出ることになりますから、この区間の三遠南信自動車道のルートを辿(たど)ることは天竜峡IC-龍江IC間が未整備のため、市道を迂回ルートとして利用せざるを得ない現状では、かなり困難です。また、国道152号は青崩(あおくずれ)峠付近で途切れているため、県道369号と浜松市内の林道で兵越峠ルートへ迂回せざるを得ないことも難問です。あれこれ悩んだ末に、今回は厳密に三遠南信自動車道の予定ルートを辿(たど)ることは諦めることにして、天竜峡ICと鳳来峡ICの間は国道151号をドライブすることにしたのです。

[三遠南信自動車道の詳細情報]

飯田市側の飯喬道路は飯田山本IC-喬木IC(22.1km)を結びますが、飯田山本IC-天竜峡IC間と喬木IC-程野IC間(6km、矢筈トンネル、小川路峠道路)が開通済み。天竜峡IC-喬木IC間は工事中。ただし、現在は矢筈(やはず)トンネルが飛地状態にあります。

国道152号(秋葉街道)を活用する区間である小道木バイパス、和田バイパス、小嵐バイパス(計13.77km)の南にある小嵐IC-水窪北IC(青崩峠道路、5.9km)は現在工事中。また、水窪北IC〜佐久間IC間(約14.4km)は環境影響評価の手続きを実施中。佐久間IC-東栄IC間(佐久間道路、6.9km)は平成30年度末に開通予定です。東栄IC-蓬莱峡(ほうらいきょう)IC間も現在工事中。蓬莱峡IC-浜松いなさ北IC-浜松いなさJCT間は供用中です。ちなみに、東栄ICは愛知県東栄町(とうえいちょう)に位置して、国道151号沿いのルートにあります。閑話休題。
 

天竜峡IC入口交差点から入った国道151号(遠州街道、別所街道)は片側1車線で整備された道路です。1.5km余り走って阿智川を渡り、飯田市の南隣にある下伊那郡下篠(しもじょう)村に入りました。そして道の駅「信濃路下条 そばの城」で小休憩。お城の形をした建物の1階は土産物とファストフード、2階にはソバを中心とする食事処がありました。
 
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下條村役場を通過して下伊那郡泰阜(やすおか)村方面へ至る県道83号との分岐点に差し掛かりました。難読な泰阜の村名が気になって後で調べてみました。村のhpによると、漢詩にある「泰山丘阜」からきているとのこと。泰阜の「泰」は水路を自分の両手で拓くの意味があり、「阜」は豊かで盛んな様子を意味しているそうです。
 
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愛知県新城(しんしろ)市まで94kmと表示されていますから、国道151号の先はまだまだ長いようです。
 
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ほどなく長野県の南端、下伊那郡の南端にある阿南町に入りました。天竜川の右岸に位置し、東側に連なる中央アルプス(木曽山脈)を越えた東側(約30km)は静岡県榛原(はいばら)郡川根本町(寸又峡)です。国道151号のドライブ旅は、阿南町の中心部に近い県道244号との分岐点に差し掛かり、
 
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さらに山間に分け入った県道46号との分岐点を通過します。
 
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(続く)

2018年10月11日 (木)

東濃の山城「岩村城址と苗木城址」を訪ねるドライブ旅(最終回) 苗木城址から「そば処 くるまや 中津川店」へ

「城山大橋」を通過した後に変わった建物を見かけたことを思い出し、橋の少し右手方向をズームアップ撮影しました。屋根が洋傘を広げたような形をしています。後で調べると、「開かずの珍寺」と噂される桑原寺(そうげんじ)の本堂でした。
 
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北西方向には岩山(標高932m)と、その先に聳(そび)える二ッ森山(標高1223m)
 
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北方向には城山から低い山並みが続き、その先には浅間山(標高550m)があります。
 
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フリーWiFiのサービスがあるようです。
 
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天守址の展望台から中津川市の景観を楽しんだ午後1時少し前に「天守址」を後にしました。「本丸址」を半周する登城路を降り切る手前にある「玄関口門址」から石垣を見上げると、巨岩の上に展望台が築かれていたことが良く分かりました。ちなみに、展望台は天守の柱があった柱穴をそのまま再利用しているそうです。
 
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「天守展望台」の南下にある巨石は「馬洗岩」で、巨石が多数ある「苗木城址」において最大級の大きさとされます。九十九折(つづらおり)の登城路をそれて直進する階段状の道は「馬洗岩」の先で「天守址」から直線的に下りる階段(注、左手の石垣上にある)の下でつながっているようです。
 
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ほぼ真横にから見た展望台
 
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石垣は大きさの違う自然石を積み上げて作られた野面石乱層積(のづらいしらんそうづ)みです。
 
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登城路をさらに下りると、上がる時には見る角度の関係(死角)で気づかなかった「的場址」が「二の丸址」の左下に確認できました。
 
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「二の丸址」の北エリア
 
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「三の丸址」から「風吹門址」を出るところに石段がありました。ここを上がると、「大矢倉址」の石垣の下を通って「北門址」を抜け、「竹門址」の先から700本の染井吉野があるという苗木桜公園へ行けるようです。
 
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石畳の道を戻って駐車場へ向かいます。路肩が崩れたようで、鉄板を敷いて応急処置が行われています。
 
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午後1時10分に駐車場に到着
 
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復元想像図で見た通りの迫力ある「苗木城址」について同行者は、『まるで西洋のお城のようだわ!』 を繰り返しながら大興奮。「岩村城址」では「出丸址」の駐車場から「本丸址」へ上がっただけでしたが、「苗木城址」では急勾配の坂道と石段をどんどん上がり、「天守址」に設けられた展望台まで歩き切ったのです。

[参考となるサイト] 苗木城天守址の航空写真天空の城「苗木城跡」

 

国道257号を北上し、苗木の交差点から市道と県道6号に入りました。苗木城址を大きく迂回するルートで玉蔵大橋を渡り、地蔵堂交差点を左折して国道19号に入り、次の交差点を右折した左手にそば処「くるまや(中津川店)」を見つけました。木曽福島に本店があるようです。午後1時30分ころ、「くるまや」の駐車場に何とか車を停めました。幸運にも店の前にある駐車場の隅に1台分の空きスペースを見つけたのです。ちなみに、駐車場は隣接地を含めると50台以上のスペースがあるようです。
 
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昼時をかなり過ぎていましたが、人気店のようで、長い待ち行列が店の外まで続いていました。待つこと25分ほどで4人掛けの席へ案内されました。
 
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私は「とろろ付きざるそば」(一人前二重、1382円)を注文しました。殻ごと挽(ひ)く「挽(ひき)ぐるみ」ほどではありませんが、見た目には少し黒みがかった蕎麦(田舎そば)風です。一枚目は濃い目のつけ汁だけでそばを味わい、二枚目はとろろを加えて食べましたが、中太のそばは見た目より風味が弱いように感じられました。ちなみに、右上に写る土瓶は蕎麦湯が入っています。
 
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同行者は「玉子付きざるそば」(同上、1220円)を選びました。ちなみに、両者の違いは何かと興味がありました。「とろろ付き」はとろろと玉子の黄身の組み合わせであり、「玉子付き」は卵かけご飯やすき焼きと同じ黄身と白身でした。
 
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同行者が店員さんに向かってメニューにある「もりそば」と「ざるそば」の違いを質問すると、『海苔が掛かっているのが「ざるそば」で、掛かっていないのが「もりそば」です。』 との説明がありました。
 
ここでプチ薀蓄。現在はそのように区別されることが多いのですが、昔は汁(つゆ)につけて食べる切りそばを、冷たい汁を掛ける「ぶっかっけそば」や暖かい汁をかける「かけそば」と区別して、「もりそば」と呼びました。そして、とあるそば店が、他店の「もりそば」と差別化するため、そばを「ざる」に載せたものを「ざるそば」と呼んだことが由来とのこと。同様に山形県の内陸部で食べられる「板そば」は大きな板状の浅い木箱で出されることからその名前があります。また、「せいろそば」も同様。

 

やや控えめの量とはいえ、久しぶりにそばを二枚食べきることができた私は大満足。店を出た午後2時30分過ぎには、まだ店内に待ち行列がありました。(終)

P.S. ドライブ旅の後半はタイトルが変わります。

2018年10月10日 (水)

東濃の山城「岩村城址と苗木城址」を訪ねるドライブ旅(その12) 苗木城址②

登城路を直進すると「本丸口門址」(柱穴がある礎石)がりました。「二の丸」と「本丸」の境界ととなる門です。
 
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左手には「本丸址」の一番下の曲輪の長い石垣と急峻な坂道が続いていました。
 
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急坂を半分ほど上がったところに「武器蔵」と「具足蔵(ぐそくぐら)」の案内パネルがありました。前者は、『長さ8間(約16m)、奥行3間(約6m)の土蔵。建物の長さから別名八間蔵といわれ、大名遠山家が所持していた鉄砲や弓等の武器類が納められていた。現在は一部建物土台が崩壊しているが、礎石や縁石が往時のまま残されている。』、後者は、『本丸口門から見て右側の崖上にあり、2間3尺、3間の建物である。ここには領主の具足や旗が保管され、別名旗蔵とも呼ばれていた。』 とあります。
 
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折り返した登城路はさらに急坂になりました。
 
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ちなみに、折り返し点を右下へ直進すると「笠置矢倉址」があるようです。西方の「笠置山」に面していることから名付けられたのでしょう。
 

石段になった坂道を上がりきったところにある「玄関口門」の案内パネルには、『玄関口という名のとおり、この門を抜けていくルートが、天守への正式な道でした。この門の先には土廊下の建物が続いており、奥は小屋とつながっていました。通常は鍵が掛けられていて、ここから中に入ることは禁じられており、鍵は目付役が管理していました。』 とあります。
 
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下方を見下ろすと「大矢倉址」の全景を見て取ることができました。「三の丸址」側から石段で上がるようです。
 
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「玄関口門」を抜けて、右手へ急カーブする坂道を南側まで上がりきると、「本丸址」の最上段にある「本丸玄関址」に出ました。前方は「天守台址」へ上がる「千畳敷址」に造られた木製階段で、その手前に敷かれている玉石は往時のものを再利用したそうです。ちなみに、「本丸址」は右手の広いスペースでした。
 
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「本丸玄関」の案内パネルには、『本丸玄関には、天守台より一段低い位置にありました。そのため玄関を入ると、苗木城の特徴の一つである掛け造りの千畳敷を通り、回り込むようにして南東側から「天守台へ入りました。玄関には玉石が敷かれていたことが絵図に描かれており、整備前の調査でも、多くの玉石が確認されました。この石敷きはその玉石を利用して復元したものです。玄関の右側にある巨岩には柱穴があり、この巨岩にはみ出す形で建物(絵図の今の部分)が建てられていました。』 とあります。
 
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往時の「天守」は地下の部分を含めると三層構造になっていたそうです。写真は南方向(木曽川に向かう)を剥いて撮影。左下に写る人たちは木曽川越しの景色を楽しんでいるようです。「本丸址」まで登城した人は「天守址」の巨岩上に設けられた木造の展望台「復元された天守の柱梁」まで登らずにはいられない気持ちにさせる展望台ととしての魅力があります。ちなみに、「かつての苗木城」(再現画)で分かるように、天守台の周辺は現在のような空き地ではなく、さまざまな建物が立ち並んでいたそうです。
 
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左手にある「苗木城天守建物」の案内パネルには、『苗木城の天守は二つの巨岩のまたがる形で作られ、三層となっていました。1階部分の名称は「天守縁下」、坂縁を入れて4mX5m(2間X2間半)の広さで、岩の南西側隅にありました。2階は「玉蔵」と呼ばれ、岩が敷地を占め、建物の床面自体の大きさは6mX6m(三間四方)でした。ここには1階と3階に通じる階段が設けられていました。3階の「天守」は巨岩の上にあり、9mX11m(4間半X5間半)の大きさでした。この巨岩の上の柱と梁組みは、苗木城天守3階部分の床面を復元(想定)したもので、岩の柱穴は既存のものを利用いたしました。苗木城天守3階部分を一部復元し、展望台として利用できます。』 とあります。
 
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展望台に上がる前に天守址の南端からの景色を眺めることにしました。眼下(川面との比高差約170m)には緑に包まれて深い谷となっている木曽川上流の流れとそれに架かる玉蔵大橋(ぎょくぞうおおはし)と旧恵那鉄道の鉄道橋(廃線)、そして中津川市の街並み、遠くには恵那山(標高2191m)、その左手の富士見台と神坂峠、右手にある焼山(標高1709m)、恵那山の手前には前山(標高1351m)を望むことができます。注、「苗木城址」を俯瞰(ふかん)する空撮動画YouTube)があり
 
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木造の展望台「復元された天守の柱梁」に上がった最も高い場所(標高432m)から360度のパノラマを楽しむことができ、急坂を上がってきた疲れを忘れさせてくれます。次の写真は「木曽川」の上流(東)方面と「恵那山」です。そして、左下に写る木製階段を下りた先は、「天守址」を支える巨岩の脇を直線的に下りる急峻な石段につながっているようですが、足を痛めている同行者には無理なルートと思われます。。
 
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木曽川の下流(西)方面には「城山大橋」と県道410号の「美恵橋」、そして恵那市との境界線上にある「笠置山」を一望できます。
 
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(続く) 

2018年10月 9日 (火)

東濃の山城「岩村城址と苗木城址」を訪ねるドライブ旅(その11) 苗木城址①

緩(ゆる)やかに傾斜する石畳の登城路が南東方向の高みへと伸びています。
 
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勾配がきつくなった登城路を上がったところに「風吹門趾」がありました。駐車場から約150mの地点です。
 
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案内パネルには、『二階が「飼葉蔵(かいばぐら)として使われていた風吹門は大手門とも呼ばれ、城下から三の丸への出入り口に位置する。門の右側(南側)に門番所が併置され、昼夜を問わず人の通行を監視していた。城主の在城「土岐は開門し、江戸在府(ざいふ)中は締め切られ、右側の潜り戸が利用された。」 とあります。
 
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「風吹門址」を抜けて「大矢倉址」の石垣を左手に見ながら「三の丸址」に入ると、左前方に「駈門(かけもん)址」がありました。ちなみに、「駈門」とは建物の下部を潜る形で門になったものですが、その先にある「竹門」を抜けたて「四十八曲り」は一般の武士が木曽川縁(べり)から登城する道(東側の大手口道)になっていたようです。ちなみに、遠くにには橋脚が赤い「玉蔵(ぎょくぞう)大橋」が小さく見えます。
 
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「三の丸址」の右手前方にいくつかの巨大な岩の塊と石垣が見えました。それを目指して奥(南端)まで進むと、「苗木城跡」の石碑の先に岩山へ上る階段が確認できました。
 
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石碑の左手は「大門址」です。案内パネルには、『苗木城の中で一番大きな大門は、二階建てで、三の丸と二の丸を仕切っていた。門の幅は二間半、二階部分は物置に利用されていた。領主の江戸参勤出立時などの大きな行事以外は開けず、普段は、左側(東側)にある潜り戸を通行していた。』 とあります。
 
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「大門址」を過ぎた左手にある巨大な岩が目に入りました。
 
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石垣の前にある「御朱印蔵址」の案内パネルは傷んでいるためほとんど読めません。「岩村城址」にも「朱印蔵址」があったことを思い出しました。幕府の朱印状などの重要書類を保管する蔵です。
 
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「二の丸址」の奥へ進んだところで振り返ると、江戸時代に造られた3階建の倉庫である「大矢倉址」の石垣が見えました。左下にある2つの巨岩を巧みに利用して築かれています。
 
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坂道の途中にある「綿蔵門址」
 
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右下を見下ろすと、「二の丸址」に礎石が並んでいました。
 
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ヘアピンカーブとなって続く坂道を上がると、石段の前方に「坂下門址」がありました。
 
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「坂下門址」の案内パネルには、『この門は二脚となっており、門の礎石と手前の石段が良く残されている。坂道の下にあったので、坂下門と呼ばれていたが、またの名を久世門ともいう。これは三代領主友貞の奥方の実家で、苗木城改修の際に力添えをした徳川家譜代の名家久世家の名からきていると伝えられている。』 とあります。
 
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門柱を固定する柱穴がある礎石
 
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天然の石垣とも呼べる岩肌に沿ってなだらかな坂道の登城路が続きます。
 
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岩肌に沿って右手にカーブする登城路は間隔の長い石段に変わりました。
 
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「菱櫓(ひしやぐら)門址」を通過して2つ目のヘアピンカーブ状の石段(写真右)を上がります。
 
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高石垣の前にある「千国井戸・本丸口門」の案内看板には、『苗木城内の井戸で一番高い場所に位置するこの井戸は、高所にもかかわらず、どんな日照りでも水が枯れることがなかったと伝えられており、千人の用を達するということから千石井戸と名付けられています。千石井戸の西側にある本丸口門は、本丸と二の丸の境となる門で、総欅(そうけやき)で建てられていたことから、欅門とも呼ばれていました。千石井戸の東側には、掛け造りの小屋が並んでおり、渋紙蔵、山方蔵、郡方(こおりがた)蔵などがありました。』 とあります。注、郡方は農政全般を担当する役職
 
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井戸の前で登城路から左手に伸びる脇道(つうろ)がありました。前回の記事に掲載した「笛木城跡案内図」によれば、この脇道を左手へ進むと「的場址脇」「仕切り門址」「物見址脇」「清水門址」を経て(「本丸址」をほぼ一周して)、「二の丸址」の脇に出るようです。(続く)

2018年10月 8日 (月)

東濃の山城「岩村城址と苗木城址」を訪ねるドライブ旅(その10) 木曽川に架かる城山大橋を渡って苗木城址へ

川上屋の第2駐車場から入った狭い道を北上し、旧国道19号を西進した青木交差点で国道257号に入り、中津川市の苗木城へ向かいました。
 

木曽川に架かる城山大橋を渡りきった場所にある駐車スペースに車を停めて向かって歩きました。城山大橋の親柱にあたる場所(両端に計4か所)にはコンクリート製の台座に載った「蟠龍(ばんりゅう)」のモニュメントが設置してありました。苗木城(赤壁城)の伝説に因んだものです。ちなみに、城山とは苗木城跡のある山の名前とのこと。
 
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城山大橋は手前(北側)の区間が緩やかにカーブしているため、車道と歩道の間には堅固(けんご)なガードレールが設置してあります。ちなみに、全長は398.5m、幅9.0m。
 
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橋の中央にある展望スペースの欄干には旧苗木藩主(第11代)遠山友寿公御誌『名にしおふ 木曽の川瀬に 昔より 渡す小舟の 往来ひまなき』と「蟠龍」の透かし彫りが取り付けられています。ちなみに、「名にしおふ」は「有名な」、「川瀬」は川の底が浅くて流れが速いところ、「ひまなき」は「ひっきりなし」を意味します。
 
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浜松市(名古屋方面、正しくは豊田方面)と高山市(下呂方面)を結ぶ国道257号の橋である城山大橋からは、南に胞山(えなさん)県立公園(根の上高原)、西に笠置山、北に苗木城跡、東に恵那山が展望できることと、木曽川では奥恵那峡下り(ボートクルーズ)を楽しめることが描かれています。
 
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木曽川の流れと笠置山
 
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 反対側(上流方向)には旧北恵那鉄道の鉄道橋と岐阜県道6号の玉蔵(ぎょくぞう)大橋、遠方には左に南木曽岳(なぎそだけ、標高1679m)と、その右後方は兀(はげ)岳(標高1636m)から続く阿智山塊でしょう。
注、北恵那鉄道(1924年開通)は、下流の恵那市に大井ダム(1924年竣工)が建設されることになったことで、付知川を利用した筏(いかだ)流しに頼っていた伊勢神宮の式年遷宮の御用材である檜(ひのき)を加子母(かしも)裏木曽国有林(旧名:木曽檜備林/神宮備林)から輸送できなくなるため、陸上ルートで代替する目的で中津川市の中津町と同じく付知町(つけちきょう)の間(22.1km)を結ぶルートに建設された。その役割を終えた54年後の1978年に廃線となった。ちなみに、長野県上松町の小川入国有林の檜も使用されるそうです。
 
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河川敷に砂が積み上げられています。香川県観音寺市の銭形砂絵「寛永通宝」のようなものを作るのかとも思いましたが、よく見ると採取した川砂を積み上げた砂山でした。船によるサンドポンプ方式で採取 しているようです。
 
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恵那山(えなさん、標高2191m)と写真の左端から少し外れた富士見台高原(標高1739m)の間(鞍部)に神坂峠(標高1536m)が確認できます。古代には東山古道が信濃坂と呼称され、急峻な神坂峠を越えて伊那方面に抜けていたそうです。ちなみに、江戸時代に入ると中山道が比較的緩やかな馬籠(まごめ)峠(木曽川寄りの北側ルート)を経由して木曽方面へ行くように整備されました。
 
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木曽川の左手(北側)の小山には骨具基だけの建造物を見つけました。苗木城の天守址と思われます。
 
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駐車スペースまで戻り、国道257号をさらに150mほど走り、案内標識に従って脇道に入ると、600mほど先に苗木遠山資料館があり、左手の坂道を上がったところから右手(南方向)へ続く石畳の道(登城路)に入って200mほど先にある駐車場へ向かいました。注、苗木遠山資料館には苗木城の再現模型がある
 
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車止めがあるため車は進入できませんから、駐車場から先は石畳の登城路を南東方向へ歩くことになります。

 
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左手に「足軽長屋址」が前方にあることを示す案内標識と撮影ポイントのカメラマークがありましたが、矢印が目立たないため、一瞬戸惑いました。
 
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駐車場から4-50m歩いた右手に開けた場所がありました。登城路に近い場所にかつての苗木城の再現画が描かれた看板が立っています。巨大な岩を利用して造られた砦小屋の集合体であること、および建物の壁面が白くないことも、日本の城としては大変ユニークな山城です。苗木譲が「山城ベストランキング第1位」であることを誇らしく明記するとともに、左下には「続日本100名城」と「岐阜の宝もの」のフレーズも。
 
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天文年間(1532年~1555年)に遠山正廉が築いたとされる苗木城址は懸造(かけずくり)という構築方法で自然の地形を活かして築かれた苗木遠山氏の居城だった城です。1万石の小大名であったにもかかわらず、天守を備えた山城で、別名は赤壁城または霧ケ城とも呼ばれます。注、木曽川の川面にはよく霧が立ち込めたことと、城の壁が赤かったことによる
 

立て看板と向かい合う場所にある「足軽長屋址」の説明プレート
 
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開けた場所の奥には「龍翁院址」の案内プレートを見つけました。それには、『足軽長屋の南側隣地に「光耀山金厳寺(こんようざんきんげんじ)龍王院」という領主遠山家の祈祷所があった。真言宗の寺院であったが、明治維新の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)にて神職が支配するところとなった。』とあります。
 
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(続く)

2018年10月 7日 (日)

東濃の山城「岩村城址と苗木城址」を訪ねるドライブ旅(その9) 岩村城下町~阿木川ダム~中津川市の川上屋

県立恵那特別支援学校の南側に出て岩村川を渡ると、岩村城下町に出ました。国道363号の本町交差点を横切って、明智鉄道の岩村駅の近くまで約1kmも続く通り沿いに江戸旧家群や商家街などが続いているそうです。
 
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カステラ専門店の「松浦軒本店」がある交差点から先は一方通行になっているため、左折して国道257号へ出ました。
 
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国道257号を北上して恵那市の中心部を目指しました。次の目的地である「苗木城址」がある中津川市は国道353号を利用する方が少し近いのですが、大地別荘地付近から先(中津川側)は通行止めになっていました。それに「阿木川ダム」に立ち寄るためには国道257号を走る必要があります。

 

岩村城下町から国道257号を約6km北上すると「阿木川(あぎがわ)ダムサイト」に出ました。木曽川の支流である阿木川の治水(洪水調節)と水資源(上水道・工業用水)を確保するために建設された多目的ダム(1990年竣工)です。
 
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洪水調節用放流設備「オリフィスゲート」は増水時に、ダムの下部にある洪水吐きゲートを動かし、下流に少しずつ水を流し洪水を調整することができる機能であり、ダムからの放流水を利用して最大2,600kWの電力を発電する設備があると説明されています。

 

非常用のフラップゲート
 
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その下流側に設けられた5本のグルーヴ(水路)
 
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右端のグル―ヴはフラップゲートが放出する水を整然と下流まで流すための設備です。
 
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オリフィス予備ゲート用水路(中央やや左)とラジアルゲート用水路(その両側)。遠くには流速を落とす(減勢池を造る)ための副ダム(減勢工の一種)が見えます。
 
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岩石や土砂を積み上げたロックフィルダム(高さ101.5m、堤頂長362m)であることが分かります。
 
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堤頂の道路
 
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ダム湖である阿木川湖の先に国道257号の阿木川大橋が見えます。ちなみに、阿木川湖の面積は158ヘクタール、総貯水容量4800万立米とのこと。湖内にある噴水は景観を良くするだけではなく、水質の悪化を防ぐ(植物性プランクトンの増殖を抑制する)効果があるそうです。
 
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阿木川は北方へ流れて恵那市の中心部を抜け、ダム湖である「恵那峡」を造り出している大井ダムのすぐ下流で木曽川に合流しています。遠方に見えるのは恵那市と中津川市(右手、東側)の境界線上にある笠置山(左、かさぎやま、標高1128m)と中津川市と賀茂郡白川町の境界線上にある二ツ森山(右、ふたつもりやま、標高1223m)と思われます。
 
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国道257号をさらに北上して、恵那駅に近い正家交差点を右折して国道19号に入りました。中津川市の中心部まではわずか10km強ですから、中央高速道路は利用しないことにしたのです。
 
中津川市は恵那市の東隣にあり、長野県と接している人口が約8万人の都市で、栗きんとんが名物菓子です。旧中山道の中津川宿が市の中心部にあり、2005年には中山道の馬籠宿があった山口村などを吸収合併しました。184
 
岩村城下町から1時間弱で栗菓子の老舗「中津川川上屋(手賀野店)」に到着。裏手にある第2駐車場に車を停めました。店舗は国道19号(写真左端)に面しています。
 
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「栗きんとん」についてのプチ薀蓄です。「栗きんとん」は栗と砂糖だけを使って炊き上げた季節限定の和菓子である(ふつう保存料などは使われていない)ため、店による味の違いは僅か(個人の好みによる)で、日持ち(賞味期限)は2日程度と短い。ただし、冷凍すれば15日程度は保存可能とされます。 

 

また、栗きんとん発祥の地で、かつ販売店舗数が日本一の中津川市において「川上屋本店」と並び称されるのは100年ほど前から栗菓子を販売している「栗きんとん本家 すや本店」です。注、創業は元禄年間(1688-1704年)に創業した酢屋から菓子屋に転じたそうです。 

 

ややこしいことに、恵那市にも昭和39年(1964年)創業の恵那川上屋と昭和33年(1958年)創業の恵那寿や(注、いずれも暖簾分けですが別会社、後者は縁戚)があるそうです。ただし、前者は栗きんとんなどの和菓子だけではなく、洋菓子や冷し菓子を主に販売しているようです。 

 

さらにややこしいことには、「元祖 栗金飩(きんとん)」を名乗る八百津町(注、恵那市の西方に位置する)の「緑屋老舗」(創業明治5年)が100年前(明治末期)に三代目店主が栗きんとんを作ったとしているようです。 

 

ちなみに、中津川市観光センター「にぎわい特産館」へ行けば、14店舗の栗きんとんの食べ比べが出来るそうです。
 
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店内は買い物客の長い行列ができていましたので、パッチを縫い付けたお気に入りのジージャンを北同行者はその後方に並びながら気に入っている川上屋多彩な栗菓子を熱心に品定めしています。山城には興味がなくても、川上屋では上機嫌なのです。ちなみに、川上屋は中津川市内に4店を展開しているそうです。
 
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3分ほどするとかなり前進したようです。
 
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注文した名物「栗きんとん」に加えて、炊き上げ大きな栗に栗きんとんをまぶした「嬉(うれ)しの栗」と「栗納豆」が包装されるのを待っています。
 
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買い物が終わるまで、私は店舗の脇に置かれたショーケースを眺めていました。赤壁城伝説の龍「蟠龍(ばんりゅう)」は、『城下木曽川の澗(たに)に住んで城を守ったと伝えられる伝説の龍。苗木城が築城された折され、堊土(あつち、白土)で塗ったら竜に何度もかきはがされてしまった。これは龍が白色を嫌うためだということで、苗木城は、日本唯一の赤壁の城になりました。』 とあります。ショーケース内に置かれているのは工芸菓子で、菓子で作られていると説明されています。これから向かう「苗木城」についての面白い伝説です。
 
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(続く)

2018年10月 3日 (水)

東濃の山城「岩村城址と苗木城址」を訪ねるドライブ旅(その8) 岩村城址④

「城下町を歩こう」「岩村城跡総合案内図」「岩村城古絵図」の看板が一体構造で建てられています。
 
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「城下町を歩こう」は写真で読み取ることは困難ですから、「いわむら城下町マップ」と「岩村散策マップ」を参考として紹介します。

 

「岩村城跡総合案内図」と「岩村城古絵図」は現在位置(岩村歴史資料館)から登城路にそって本丸址までの遺構を分かりやすく図解しています。ただし、南北が正しく表示されていない(ほぼ逆転している)ことに留意してください。ちなみに、分かりやすい説明がこちらのサイトにあります。参考:ストリートビュー(2015年5月現在)

 

「岩村町市街地案内図」には岩村川を挟んで岩村城址の反対側に通りに沿って常夜灯・木村邸・土佐屋・勝川屋・高札場・四面塔・天満宮などがある城下町が南北に長く伸びていることが図解されています。その脇には佐藤一斎(いっさい)が「言志四禄(げんししろく)」の中に書いた、『自ら吾が心を礼拝し、自ら安否を問うべし』 という言葉が刻まれています。私たちは常に自分の心を拝み、それが健全であるかどうか問うべきであると言う意味でしょう。
 
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「岩村歴史資料館」に入りたいところですが、出丸址の駐車場で同行者が待っていますから、小休止した9時55分に引き返すことにしました。

 

登城路が始まる場所(登城口)の前方にはホテル「岩村山荘」があります。
 
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「登城口の石碑」と岩村城跡(本丸)まで800mの案内標識
 
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同じ登城路を戻り(上がり)ますから、写真撮影は最小限にして、急な上り坂を上がることに専念することに。登城路の脇で見かけた水の流れと水溜りが涼げでした。
 
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何度も立ち止まりながら、やっと本丸址の下にある「六段壁」まで辿(たど)りつきました。説明看板には、『本丸の北東面に雛壇状(ひなだんじょう)に築かれた六段の見事な石垣である。元は絵図のように最上部のみの高石垣であったが、崩落(ほうらく)を防ぐために全面に補強の石垣を積むことを繰り返した結果、現在の姿となった。』 とあります。
 
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長局埋門(ながつぼねうずみもん)の説明看板には、『両側の石垣の上に多門櫓を載せ、石垣の間に門を設けた櫓門。門の内側の細長い曲輪(くるわ)は長局と呼ばれている。入って左手の本丸に入る内枡形状(うちますがたじょう)の通路は東口門で、本丸の正門である。前面の一団低い曲輪は東曲輪で、本丸の外枡形的機能を持っている。』 とあります。
 
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「登城口」から「本丸址」まで上がる所要時間は休憩を多めにとったために約40分と往路(下り)の30分弱より長くなりました。「本丸址」から「二の丸址」を経て同行者が待つ「出丸址」の駐車場へ戻りました。

 

午前10時40分ころ、「出丸址」の駐車場を出発し、「本丸址」の下にある「帯郭址」に造られた道路を逆に走って国道257号へ向かいました。
 
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南曲輪の説明看板には、『本丸の南の尾根に伸びる戦国時代の遺構で、2本の堀切や竪堀(たてぼり)、土橋(どばし)などの遺構を観察することができる。江戸時代には一部が侍屋敷として用いられたほかは戦国期のまま維持されていたとみられる。なお「南曲輪」は仮称である。』 とあります。
 
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国道257号に入って裏山交差点を右折、国道363号にそれます。写真は裏山交差点と清酒「女城主」を製造する岩村醸造の建物。ちなみに、岩村城本丸址(出丸址の駐車場)は右手の国道257号を約2km先へ進んだところにあります。
 
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「岩村城跡 岩村歴史資料館」の案内標識にしたがって右折します。
 
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「太鼓櫓」が見えてきました。
 
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江戸時代、城下に太鼓で時あるいは非常時の発生を告げた櫓を近年に復元したものです。
 
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先ほど反対側から見た「城主藩主邸址」の表御門(正門)
 
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岩村歴史資料館」の前にもう一度立ち寄りました。同行者に見せるためです。
 
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午前10時55分ころ同館の駐車場を出発。国道257号へ引き返す途中に見かけた「女城主の里 ふれあい通り」の標識です。
 
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ここで投稿を小休止します。(続く)

2018年10月 2日 (火)

東濃の山城「岩村城址と苗木城址」を訪ねるドライブ旅(その7) 岩村城址③

畳橋(たたみばし)の説明看板には、『大手の入口は、高石垣と菱形門、三重櫓によって厳重に固められており、全面の空堀にL字形に架かる木橋を渡って内部にはいるようになっていた。床板を畳のようにめくることができたことから、畳橋と呼ばれたという。』 とあります。
 
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大きめの石が敷かれた石畳の道が現れて左方向へ大きくカーブしていました。
 
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その先は石段になり、前方には休憩所が見えます。
 
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切込ハギでしっかり造られた石垣の虎口址の前に「本丸から300m地点(標高670m)」の標柱があります。
 
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ここは「土岐門址」でした。「土岐門」の説明看板には、『岩村城第二の門で、内側は馬出状(うまだしじょう)の曲輪(くるわ)となっている。絵図では薬医門または四脚門として描かれている。土岐氏を破ってその城門を奪い移築したという伝承からこの名がついた。廃城後に徳祥寺(岩村町飯羽間)山門として移築され現存している。』 とあります。絵図で分かるように、土岐門の前後で登城路はヘアピンカーブとなって敵の侵入速度を鈍らせる工夫が施してありました。
 
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両側を石垣で固められた石畳の道はさらに急坂となって続きます。
 
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急坂の途中にある「一の門址」の説明看板には、『二層の櫓門で、大手一の門とも呼ばれる。城に向かって左側には単層の多門櫓が構えられ、右側の石垣上も土塀で厳重に固められていた。前面左側には石塁(せきるい)が張り出しており、死角から敵が近づかないように工夫(くふう)されている。内側には番所が置かれていた。』 とあります。土台に使われたと思われる大きな石が残されていました。
 
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右手へ鋭く折れ曲がった石畳の道は急坂となって続きます。
 
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本丸から500m地点(標高630m)付近で階段状になった石畳の道
 
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初門(はつもん)の説明看板には、『直線的に伸びる登城坂でこの部分だけが、行く手を遮(さえぎ)るように鉤(かぎ)の手に大きく曲げられている。有事の際にはここに臨時の門を構えて通行を遮断するようになっていたため「初門」と呼んだという。岩村城の最初の関門である。』 とあります。注、鉤の手とはクランクと同じ意味
 
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石畳の道は直線的になりました。
 
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藤坂の説明看板には、『岩村城大手の登城路のうち、藩主邸から一の門まで続く急な坂道は「藤坂」と呼ばれている。加藤景康の妻重の井(しげのい)が輿入(こしい)れの際に、生まれ育った紀州藤城村から持参した種から育てたと伝える、フジの大木があったことがその由来という。』 とあります。
 
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左手にある「下田歌子勉学所」(知新館)の前を通過
 
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反対側(下田歌子生誕地)には「下田歌子先生略伝」を説明する看板があり、『安政元年(1854年)に岩村藩士の家に生まれ、明治4年(1871年)18歳で父の元へ上京、翌5年に旧中の女官に登用された。明治12年退官して下田猛雄と結婚したが同17年に夫が死去したので再び宮内省に出仕し、華族女学校の創立に参画、同18年に華族女学校教授となった。明治26年に欧米へ出張して女子教育を視察、同32年(1899年)に実践女学校および女子工芸学校を創設して校長となった。現実践女子学園である。(以下略)』とあります。
 
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本丸から700m地点(標高580m)を通過。登城路の急峻(きゅうしゅん)さが良く分かります。
 
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マンホールの蓋(ふた)には城のイラスト画とともに「女城主の里」の文字があります。
 
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登城路の坂道を降り切って左に折れると「岩村歴史資料館」の前に出ました。右手前には藩主邸址の門があります。
 
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その手前、「佐藤一斉翁像」の台座には内閣総理大臣小泉純一郎の名があります。佐藤一斉は安政6年に美濃国岩村藩出身の儒学者で、文化2年(1805年)に江戸幕府直轄の教学機関「昌平坂学問所」塾長に、また天保12年(1841年)には儒官(総長)に就き、多くの門弟の指導に当たった。弟子としては佐久間象山と渡辺崋山など幕末に活躍した英才がいます。
 
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(続く)

2018年10月 1日 (月)

東濃の山城「岩村城址と苗木城址」を訪ねるドライブ旅(その6) 岩村城址②

本丸北側虎口から「棚門址」に出ました。木戸付の「冠木門(かぶきもん)があったようです。
 
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横に細長く伸びる北側長局址に3番目の「岩村城 再現CGビューア: 本丸から橋櫓、二の丸を望む」がありました。
 
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「本丸から橋櫓、二ノ丸を望む」と題した説明には、『右手の橋櫓(はしやぐら)の2階と二ノ丸門の間には廊下橋が架けられていました。他に例のない珍しい施設です。左手の二ノ丸は幕府の朱印状などの重要書類を保管する朱印蔵(しゅいんぐら)、兵糧米(ひょうろうまい)を貯蔵する御城米蔵(ごじょうまいくら)武器蔵、宝物蔵(ほうもつぐら)、軍馬を飼育する厩(うまや)などが建ち並んでいました。伝説の蛇骨も二ノ丸の宝物蔵にありました。』 とあります。
 
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六段壁(左側)と南曲輪(右手)に挟まれた石段が下方へ続いています。
 
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石垣に沿って反時計回りに「裏門」まで戻りました。本丸址を見学しただけで駐車場の車に戻るという同行者と別れ、私は一人で「本丸裏門」と「東口門」から八幡曲輪・大手門・土岐門・一之門・石畳・藤坂・初門を経由して岩村城の登城口まで約800mも続く急勾配の坂道(標高差は約180m)を下りることにしました。

 

裏門から東口門に続く細い道は、さらに急坂となって、下方へと続いているようです。
 
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平坦な道に出て後方を振り返ると、六段壁と南曲輪の石垣、そして先ほど上から見た石段を確認することが出来ました。東口門から下りた急坂の道は写真右端あたりにあります。
 
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前方にはなだらかに下る道が続きます。その左手に大きな石垣が見えてきました。道はその石垣に沿って左手へ折れ曲がっています。
 
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「菱櫓(ひしやぐら)と俄(にわか)坂」の案内看板には、『山の地形にあわせて石垣を積んだので菱形になった、山城特有のものである。この上にあった建物も菱形であったので菱櫓と呼ばれた。菱櫓は全国城郭にもその例は、あまりなく中世期の山城を近世城郭に改築した城郭の貴重な、歴史的遺構である。(以下略)』とあります。看板の絵からは菱櫓の特徴を見て取ることはできず、また看板の後方にある石垣はかなり離れた場所からでないと菱形をしている石垣の全体像を把握することは困難です。
 
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右手にある「八幡神社」の案内看板には、『中世の城主遠山氏の氏神で始祖加藤景康を祀る。明治5年(1872)に山麓の現在地へ移転した。入口に鳥居が建ち、中段には別当寺である薬師寺、最奥部に拝殿と本殿、八幡櫓があった。棟札(むなふだ)から永正(えいしょう)5年(1508)には神社があったことが分かっている。』 とあります。
 
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本丸から100mの地点(標高690m)を通過
 
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右手に立つ「霧ヶ井」の説明看板には、『岩村城の別名「霧ヶ城」の由来となった井戸。敵が攻めてきたとき、城内秘蔵の蛇骨(じゃこつ)をこの井戸に投じると、たちまち霧がわいて城を守ったという。蛇骨は二の丸の宝蔵(ほうぞう)に収蔵されており、虫干しをした記録が残されている。』 とあります。ちなみに、城主専用の霊泉だったようです。
 
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「霧ヶ井」は左手の斜面下で石垣に守られていました。
 
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少し先の左手に説明のない井戸がありました。調べると、「竜神の井」でした。昭和60年(1985年)に復元されたもので、周辺の廓は城内に住んだ侍屋敷の「五郎作屋敷址」とのこと。
 
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石垣で枡形を構成した石畳の道はなかば土に埋もれています。
 
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振り返って見るとかなり高い石垣です。
 
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すぐ先に「本丸まで200m(標高)680m」の標柱がありました。注、振り返って撮影
 
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追手門(おおてもん)・三重櫓の説明看板には、『追手門は、畳橋から棟門をくぐり直角に右に曲がって櫓門に入る枡形門(ますがたもん)である。脇には、畳橋を見下ろすように三重櫓が構えられていた。三重櫓は岩村城唯一(ゆいいつ)の三層の櫓で天守に相当し、城下町の馬場と本通りはこの櫓を正面に見るように設定されている。』 とあります。
 
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石畳の道は転がる石がわずかに残るだけです。
 
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急坂には大きな石が敷かれているため昔の様子を残しているのかもしれませんが、足の置き場所を考えながら注意深く歩く必要があります。
 
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(続く)

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