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2018年12月

2018年12月31日 (月)

カフェレストラン"Piccolo"(ピッコロ)で年末のランチ会食

ゴルフ仲間が集まって忘年会を兼ねたランチ会食をすることになりました。夜の忘年会は参加しづらいとの声が大きくなったためです。選ばれた場所はタワーマンションが林立する武蔵小杉エリア(川崎市中原区)です。東急東横線、JR横須賀線、JR南武線が通る交通至便の武蔵小杉駅で下車し、南武線とエクラスタワー武蔵小杉に挟まれた市道を歩くこと約5分(注、再開発工事のため迂回ルート経由)、イトーヨーカ堂の裏手に建つセントア武蔵小杉B棟(地上4階建)の1階にあるカフェレストラン「ピッコロ」がこの日の会場です。
 
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客室は市道に面したオープンなテーブル席と床面が少し高くなった広い個室が奥に2室ありますが、10名弱のグループですから、後者に長いテーブル席が用意されていました。テラスがあって陽光がふんだんに入る解放的な空間です。30分前の午前11時30分から入室できました。注、「食べログ」のサイト
 
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予約されたのはコースメニューの「Aコース」(2500円税込、飲み物は別途)でした。Bコース(3500円)とCコース(4500円)より軽い内容ですが、ランチですから十分でしょう。Aコースの内容は以下の通りです。
   

◯アンティパスト(Antipasto)

◯神奈川県産野菜のサラダ

◯シェフおまかせ本日のパスタ料理

◯お肉とお魚料理のワンプレート盛り

◯バケット

◯デザート

◯コーヒー

 

ドリンク・メニューも多彩です。
 
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生ビールで乾杯したあとは、今年のゴルフコンペのトピックスや近況報告、そして日本ゴルフ協会(JGA)が発表した2019年のルール(ゴルフ規則)変更についてなどで話に花が咲きました。
 
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アンティパスト(Antipasto/主菜の前、つまり前菜)の盛り合わせは5種類のオードブル
 
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神奈川県産野菜のサラダはシャキシャキ感があります。
 
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ここでドリンクが、各自の好みに応じて、ワイン・日本酒・ハイボールなどにバラケました。
 

続くシェフおまかせ本日のパスタ料理は「ペンネ」、ペンの形をしたパスタです。
 
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バケット(フランスの棒形パン)は硬い外側と柔らかい内側の対比が楽しめました。ちなみに、パンはイタリア語で”pane”(パネ)。
 
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お肉とお魚料理のワンプレート盛りは「ローストポーク」と「白身魚のソテー」にパセリとコーンが添えられています。こちらも弾力のあるポークの食感と柔らかい白身魚がそれぞれに掛けられた特製ソースで美味しく食べられました。
 
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デザートはピッコロ定番の4点セットです。併せてコーヒーも。
 
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食事が終わったあとは、来年のゴルフコンペ運営体制について話し合い、約1時間半のランチ会食はお開きになりました。再開発が行われる前から時々利用する「ピッコロ」は料理とサービスのクオリティが高く、今回も十分満足することができました。

2018年12月29日 (土)

東近江市・永源寺の紅葉を観る(最終回)

「羅漢坂」をさらに下ります。
 
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「大歇橋」から「旦月橋」方面を撮影
 
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「長屋店舗」の前を戻ります。
 
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「永源寺前駐車場」に到着
 
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観光バスが多数駐車しています。
 
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午後5時半過ぎに出発。国道421号を戻り、県道189号で日野へ向かうことにしました。当初の計画では国道421号で鈴鹿山脈を越えて三重県の「いなべ」に入り、さらに桑名へ抜けることを検討しましたが、夜間に酷道を走ることは危険と判断して断念したのです。

 

県道189号から県道508号にそれて、日野町に入りました。
 
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国道477号に行き当った河原西交差点を左折し、次の河原交差点を右折して県道41号に入り、道幅が狭くカーブとアップダウンが続く山越えの道を対向車が来ないことを願いながら走行している途中、タヌキとシカが相次いで道路を横切りました。
 
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県道41号が国道1号に行き当る頓宮(とんぐう)交差点を左折し、前野交差点を右折して、県道24号を南下して午後6時半ころ新名神高速道路の甲賀土山ICに入りました。月曜日の夕刻過ぎだというのに渋滞情報が飛び混んできました。交通集中による渋滞が名阪国道(上り)の72km地点(鈴鹿SAまで2km)を先頭に鈴鹿トンネル出口付近まで14kmも続いているというのです。
 
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名阪自動車道が渋滞しているのだろうと思いながら亀山JCTに差し掛かって分かりました。新名神高速道路から名阪自動車道に合流する車が多過ぎるために発生した渋滞だったのです。
 
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亀山JCTから72km地点(ポスト)はランプが長く続くため実質的な片側3車線ですが、ここでランプが途切れて片側2車線へと狭くなるため渋滞が発生しやすい構造なのです。午後7時30分ころに72kmポストを通過しましたから、14kmを走行するのに40分以上を要したことになります。
   

その後は順調に走行しつ、午後8時半には岡崎SAに到着。「みそかつの矢場とん」がフードコートに出店していますから、「ひれとんかつ」(単品1300円)を注文しました。美味しそうな「ひれとんかつ」に惹かれて同行者と私が一切れずつ食べてしまってからの撮影になりました。
 
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ちなみに、人気があるのか、「とんかつ」ののり巻きである「みそかつロール」(650円)は完売でした。
   
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デザートは和四五郎商店の「抹茶あずき」(380円)です。愛知県(三河)西尾産の抹茶を使っているそうです。
 
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午後9時20分に岡崎SAを出発。静岡SAの手前で強い降雨に遭遇。午後11時10分に駿河湾沼津SAに到着。小休止のあと、午後11時20分出発し、午前0時30分少し前に自宅へ到着。今回のドライブ旅の総走行距離は1,082km、平均燃費の23.2km/ℓでした。京都府と滋賀県の山道ドライブが80km以上含まれていますから、平均燃費はまずまずの数値でしょう。
 
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<同行者のコメント> 今回の旅行もタイトなスケジュールでした。京都での七五三詣は天気にも恵まれて恙(つつが)なくとり行われました。コチビちゃんの妹はまだ3歳ですから、着慣れない着物を着せられて、疲れたと言っていました。翌日の近江八幡でのお堀めぐりは楽しかったです。でも、最後に立ち寄ったお寺の紅葉は、京都のお寺と比べ見劣りがして、期待外れでした。(終)

2018年12月28日 (金)

東近江市・永源寺の紅葉を観る(その5)

ライトアップされた境内(続き)
 
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「芭蕉の句碑」には、『こんにゃくの さしみもすこし 梅の花』 とあります。
 
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「鐘楼」の脇を抜けて「山門」方面へ向かいました。
 
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「山門」もライトアップされています。
 
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参道脇の白壁
 
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「総門」方面へ向かう参道
 
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「山門」を振り返りました。
 
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「出口」へ進むには「総門」の手前で左手のルート辿(たど)るようです。
 
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「洗耳水(せんじすい)」は境内に入る前に世俗の汚れを落とすためのものです。参拝に向かう時に写真撮影を失念しましたので、退出時に撮影しました。
 
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「総門」を抜けました。
 
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ライトアップされた石仏
 
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足元に気を付けながら「羅漢坂」を下ります。
 
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(続く)

2018年12月27日 (木)

東近江市・永源寺の紅葉を観る(その4)

「開山堂」の中には竹燈籠がありました。
 
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「大悲」
 
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「開山堂」と「法堂」を結ぶ廊下の脇にある設(しつら)え
 
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点灯された照明器具が目立つようになりました。
 
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「法堂」の中にも竹燈籠がありました。
 
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小さな社
 
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石仏
 
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「本堂内」
 
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「鐘楼」
 
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「庫裏」の前から橋を渡って「茶所」の二階へ向かいました。「不動明王」が祀られているようです。
 
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一階に下りると食事処がありました。
 
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小腹がすいていた私は境内で「そば」「うどん」「ぜんざい」などを提供する食堂で「かけそば」(400円)を軽く食べることにしました。
 
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午後5時になるとライトアップが始まりました。
 
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(続く) 

2018年12月26日 (水)

東近江市・永源寺の紅葉を観る(その3)

「本堂」と「書院」付近の紅葉は緑から赤までダイナミックなグラディエーションがあります。
 
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「書院」と「禅堂」を結ぶ通路
 
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「書院」の隣にある「法堂(はっとう)」
 
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「法堂」と「開山堂」を結ぶ廊下
 
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「禅堂」
 
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「経堂」
 
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「経堂」の奥にある「標月亭」

 

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石庭に敷きつめられた紅葉
 
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境内の一番奥にある「専門道場」
 
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さらに奥へ進むと「風穴」がありました。
 
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風が吹き出ているのかと思いましたが・・。
 
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「茶筅塚(ちゃせんづか)」
 
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紅葉を楽しみながら緩やかな坂道を歩いていると、前方に「営業中」の幟が見えました。永源寺の裏門に近い「甘味処」のようです。
 
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 「四国八十八ヶ所 霊場めぐり 出発点」と表記された看板を見かけました。後で調べると、『地元に霊験あらたかな霊場を創りたいと考えた地元の人たちが約4kmのルートに88体の地蔵を祀った。』 との説明がありました。
 
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「総門」から200mの地点で引き返すことにしました。
 
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 「甘味処」の幟が見えます。
 
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午後4時半を過ぎると薄暮が近づいたようです。
 
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(続く)

2018年12月25日 (火)

東近江市・永源寺の紅葉を観る(その2)

岩肌には様々な形をした羅漢像が点在しています。
 
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石段を上がりきると参道は緩やかな坂道に変わりました。
 
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「大本山永源寺境内案内図」には総門と山門を入ると右手に「茶所」、正面に「鐘楼」「禅堂」「納骨堂」「経堂」「含空院」「僧堂」、左手に「庫裡」「方丈」「法堂」「開山堂」が並ぶ珍しい伽藍配置です。注、人体に見立てた左右対称の禅宗様伽藍(ぜんしゅうようがらん、例、建仁寺永平寺南禅寺東福寺)と大きく異なる
 
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短い石段を上がった場所にある「総門」
 
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「総門」を入ると右手に参拝志納料を納める窓口がありました。
 
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石畳の参道は一面に紅葉が敷き詰められています。
 
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滋賀県指定有形文化財の「山門」が近づきました。
 
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創建当時の建造物は全て兵火に焼かれたため、現在の伽藍は江戸中期の享和2年(1802年)に井伊家の援助で再興されたそうです。
 
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山門の先にあるのは「茶所」の2階には左手にある「庫裡」から橋で渡れるようになっています。
 
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「飛泉水」
 
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幅の狭い参道を進むと、左手に大きな「本堂/方丈」が現れました。ご本尊「世継観音」を祀る「本堂/方丈」の大屋根は、琵琶湖の葦(よし)で葺(ふ)かれています。草葺き屋根として全国でも屈指の規模とのこと。参道の幅が一旦狭くなったのは「本堂/方丈」を大きさを強調する意図が感じられます。
 
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「本堂/方丈」「禅堂」「書院」の前にある楓(かえで)は色付き具合に差があります。
 
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(続く)

2018年12月24日 (月)

東近江市・永源寺の紅葉を観る(その1)

近江八幡市から県道26号と国道421号を約25km(約50分)ほど東進すると東近江市永源寺高野町にある永源寺(えいげんじ)前駐車場に到着しました。国道421号(八風街道)が愛知川(えちがわ)沿いに出たに近い場所です。『お寺に一番近い駐車場 橋からの眺めが絶景』 と書かれた立て看板がありました。ちなみに駐車料金は500円/回。
 
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ちなみに、紅葉シーズンは永源寺の駐車場は利用できません。
 
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駐車場から愛知川に架かる旦度橋(たんどばし)を渡りました。
 
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永源寺の参道は対岸で右手の山方向へ伸びているようです。
 
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愛知川の上流方向
 
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二本遺産琵琶湖とその水辺景観を構成する文化財である『永源寺と奥永源寺の山村景観』 の看板には永源寺と愛知川上流の「永源寺ダム湖」および「奥永源寺の山村景観」が地図と写真で説明されています。
 
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「2018永源寺 まるごと もみじまつり」では11月3日(祝)から30日(金)の17:00~20:30の間はライトアップが行われていることが説明されています。
 
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永源寺は約650年前、南北朝時代の興和元年(1361年)に近江守護職の佐々木六角氏頼が寂室元光禅師に帰依して伽藍を創建した臨済宗永源寺派の大本山で、もみじの里としても親しまれているそうです。本尊で秘仏(注、四半世紀に一度開帳)の「世継観世音菩薩」は、『一心に念ずれば善き跡継ぎに恵まれるご利益がある』 そうです。
 
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永源寺を開山した寂室元光禅師についての説明
 
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左手に「長屋店舗」が並んでいます。
 
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和泥水(地蔵尊)は道元禅師の言葉である、『泥まみれになって尽くす。善悪の分け隔てなく、一切衆生(いっさいしゅじょう)をもれなく救済せんとされる、仏様の尊い慈悲の御業(みわざ)を表す言葉である。』 という意味であると説明されています。
 
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さらに大歇橋(だいけつばし)を越えると、急な石段「羅漢坂」が待ち構えていました。
 
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石段の途中で振り返って撮影
 
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参道の左手にある十六羅漢
 
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立て看板にあるQRコードを読み取ると「平成30年紅葉案内」が表示されました。
 
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(続く)

2018年12月22日 (土)

生活習慣病でもある動脈硬化を改善する

まず、動脈硬化とは何かについて説明しましょう。動脈硬化は、血管の内側にコレステロールなどが付着して血管が狭く硬くなり、血液の流れが悪くなった状態です。全身の血管に生じ、さまざまな健康障害を引き起こします。たとえば、脳への血流を担保する血管が障害を受けると脳梗塞を起こしたり、大動脈に硬化が生じると解離性大動脈瘤(りゅう)といった命に関わる病気を起こしたりすることがあるそうです。ちなみに、動脈硬化は糖尿病・高血圧・高脂血症・肥満・喫煙などの諸原因により発症するとされます。最近、発症した気管支喘息のために通院し始めた医院で受けた心電図検査(波形分析により)動脈硬化が進行していると指摘されたことで、私にとって動脈硬化が大きな関心事になりました。

 

この数年の健康診断(血液検査)において、「中性脂肪」の数値が高いことを常に指摘され、その数値を下げる薬を処方してもらってきましたが、ほとんど改善されていないのです。ちなみに、健康診断(血液検査)において「脂質」に関する項目は「LDLコレステロール」「HDLコレステロール」「中性脂肪」の3つです。LDLコレステロールは「悪玉」と呼ばれており、数値は高いほど良くなく、HDLコレステロールは「善玉」であり、低い方が良くないのです。

 

なかでも多い疾病が「高LDLコレステロール血症」と「高中性脂肪血症」の2つです。その症状を放置すると、徐々に動脈硬化が進み、狭心症・脳梗塞などで突然死するリスクが確実に高まるそうです。このため、「脂質異常症」は「高血圧症」とともに「サイレントキラー」と呼ばれます。なお、「脂質異常症」の原因は、動物性脂肪に偏(かたよ)った食生活や運動不足・喫煙・飲酒などの生活習慣によるものとのこと。

 

肝細胞が破壊されてLDLが細胞外に出ると、血液中のLDLの値が上昇します。「高LDL」を改善するには、運動ではなく食事療法が効果的、つまりコレステロールや飽和脂肪酸の摂取量を減らすと効果があるそうです。具体的には、精白していない穀類(五穀)を主食とし、おかずは季節の野菜や海藻、近海の小魚を中心とした「伝統的な日本食」を食べ、肉や卵などの動物性脂肪を極力摂取しないようにするとLDHを低下させる改善が期待できるとのこと。魚があまり好きではない人は必須脂肪酸であるオメガ3(nー3系)脂肪酸を多く含むエゴマ油や亜麻仁油をサラダなどにかけると中性脂肪を下げることができるでしょう。もし、それで下がらない場合は薬を服用することになります。

 

ちなみに、LDLは細胞内で糖がエネルギーに変わるときに働く酵素のひとつ(乳酸脱水素酵素)、AST(GOT)は体の重要な構成要素であるアミノ酸の代謝にかかわっている酵素、ALT(GPT)はASTと同様であり、LDL/AST/ALTの3つが高値なら肝臓病が強く疑われます。

 

蛇足ですが、意外な食べ物と飲み物を摂取するとLDHを下げる効果があるといわれています。蒸留酒である焼酎はHDLを増やす働きがあり、HDLが増えれば血管壁がきれいになり、動脈硬化を予防することができます。また、チョコレートとココアの成分、カカオポリフェノールにはLDLの酸化を防ぎ、血液の流動性を向上させ、血管をしなやかにする働きがあるようです。コーヒーはクロロゲン酸などのポリフェノールが動脈硬化の抑制に働く可能性があり、LDLの酸化を抑えることも認められているそうです。また、緑茶・紅茶・ウーロン茶も動脈硬化などの循環器病によい影響があるといわれます。

 

一方、「高中性脂肪血症」の原因の多くはアルコールや糖質・脂質の摂り過ぎですから、両方とも控えることが必要です。運動も効果的のようです。このため、薬物療法を継続するとともに、医師のアドバイスにしたがって、好きなアルコールを控え、糖質・脂質の摂取を極力控え(糖質・脂質制限)、さらに毎日軽い運動をすることにしました。青魚に多く含まれるEPA(エイコサペンタエン酸)も中性脂肪を下げる効果があります。ちなみに、血液サラサラ効果があるEPAは体内で作ることができないため、食事を通して摂取する必要があります。

 

以上を踏まえて私は糖質制限策として食事メニューからご飯を削ること(ローカーボ食化)から始め、アルコールの量を少しずつ減らす努力をしています。脂質制限はバタ-/クリ-ムの摂取を控えることと、牛肉/豚肉などで脂質の多い部位を避け、牛肉(赤身)/鶏肉/青魚(含EPA)を食べるようにしています。また、海藻/きのこ/野菜などに多く含まれる食物繊維は糖質や脂質の吸収を抑える働きをしますから、これらを意識して食べるように努めています。ちなみに、慢性胃炎で食欲が減退したこの2年間には体重が大幅に減少していますから、これ以上痩(や)せないため、食事の量を増やすように努力しています。

 

運動についても、体調不良のため半年近く休止していた自宅周辺の散歩(ウォーキング)、およびスポーツジムでのウォーキングとエアロバイクに加えて足の筋トレを再開。そして、天気の良い日にはスポーツジムではなく、自動車の通行が少ない道を1日当り8千~1万歩(注、体調が優れない時は複数回に分けて)歩く習慣を復活させました。これは筋肉の量を増やして基礎代謝を高めるためです。これは産業技術総合研究所の10年間の追跡調査によって、『有酸素性運動による動脈硬化の抑制効果が最大になるのは、活発なウォーキングやジョギングなどを週に4~5日、30~60分程度行った場合である』 ことが分かっているそうです。

 

上記を1年間続けることで、次年の健康診断において中性脂肪値の改善が確認されていると良いのですが・・。

2018年12月20日 (木)

「同級生との会食」(後編): 二次会はマークシティーモールの”CHELSEA CAFÉ”(チェルシーカフェ)で

二次会は次に予定がある3人を除いて近くの渋谷マークシティー・ウエスト(地上23階建/高さ95.55m、平成6年/1994年オープン)にあるマークシティーモールが選ばれました。古き良き時代(昭和)の雰囲気を留める渋谷中央街とは異なり、平成の渋谷を代表するお洒落(しゃれ)な施設です。渋谷マークシティの西口(1階)を入り、エレベーターで上がった4階(ショッピング&レストランアベニュー)にある「チェルシーカフェ/CHELSEA CAFÉ」(渋谷マークシティ店、席数:42)に入りました。
 
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ニューヨーク市マンハッタンクの南西部、アート・ギャラリーが多いことで 『アートの中心』 とも呼ばれるチェルシー地区をイメージしてアルテゴ社(中央区日本橋蛎殻町)が創出・展開したというカフェ・チェーンです。
 
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店先に”GOURMET BURGERS”(グルメバーガー)の立て看板があり、ガラス窓にはアメリカ発のアイスクリーム”BEN&JERRY’S”のロゴが貼られているように、ハンバーガーカフェとしても、ローストビーフやチキングリルを提供する肉バルとしても利用できる多彩なメニューを誇るダイニングカフェです。
 
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窓際のカウンター席越しにテラス席が見えます。
 
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同じ階にある「エクシオールカフェ/EXCELSIOR CAFÉ」(渋谷マークシティ店、席数:127)などのカフェにはグループ全員で利用できる空き席がなかったのです。ちなみに、ドトールコーヒーが展開するイタリアンエスプレッソを中心としたカフェ。注、エクシオールはラテン語で「優れた」「気品のある」あるいは「常に向上する」を意味する
 
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ちなみに、4階の通路をさらに直進すると道玄坂上交番前交差点に至ります。つまり、東西に長い渋谷マークシティー・ウエストは4階分高さに相当する傾斜地に建っているのです。
 
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話題の「バターコーヒー」(680円)を注文するメンバーが多いなか、
 
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私は「スペシャルティコーヒー」(734円)を選びました。「バターコーヒー」はほんのりバターの甘さが感じられる「バターラテ」です。ちなみに、ラテはイタリア語で牛乳を意味します。54円追加することで牛乳をヘルシーな豆乳に変更ことができるとのこと。
 
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興味を持った「スペシャルティコーヒー」をネット検索すると、『スペシャルティコーヒー協会の定めた厳しい基準をクリアした希少な豆を使用し、空気の力でコーヒーを押し出す抽出方法(エアロプレス)により、なめらかな舌触りのコーヒーを淹(い)れることができる。具体的には、ひっくり返したエアロプレス(大きな注射器に似た形状)に細引きのコーヒー粉15gを入れ、器具を廻しながら90ccの湯を注ぎ、パドル(カヌーをこぐオールに似た撹拌道具)で10秒撹拌(かくはん)し、フィルターをセットしてからひっくり返して30秒待ち、約20秒かけて体重を載せてプレスする。プシューという音がすれば、それが抽出終了の合図になる。抽出したコーヒーに残りの90mlの湯(注、追加する湯量は好みに合わせて調整)を足して舌触りをなめらかにする。』 とありました。(出典: BALMUDAのhp)  

 

満腹になっていたメンバー全員はスイーツを注文することはなく、もっぱら話でさらに花が咲き、1時間余りの楽しい時間を過ごすことができました。またの再会を約して二次会は1時間15分ほど話に花を咲かせた午後5時少し前にお開きになりました。 「チェルシーカフェ」を出ると、道玄坂交差点へ通じる通路はすっかり暗くなっており、「チェルシーカフェ」のテラス席はライトアップされていました。
 
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東急百貨店東横店方面へ向かいながらマークシティ内で自然散会。通路脇に「謎解き公衆電話登場!」の文字を発見。2018年10月1日から2019年1月31日までの期間限定でスタートしたサービスで、ブース内壁面に掲示された謎を解き、導き出された番号を<謎解き公衆電話>に入力すると、「秘密の音声」を聞くことができるそうです。(出典:地下謎への招待状2018のサイト
 
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昔、店舗内でよく見かけたピンク色の公衆電話(特殊簡易公衆電話、略称:ピンク電話)に雰囲気が似ていますが、残念なことに電話はかけられません。
 
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マークシティーモールの東端にあるエスカレーターでマークシティ・イースト3階に下りました。東急百貨店東横店へ至る連絡通路の手前(マークシティ2階・3階の吹き抜け)には岡本太郎氏の巨大な絵「明日の神話」(縦5.5m、横30m)が異彩を放っていました。この作品は原爆が炸裂(さくれつ)する瞬間を描いており、爆発の中心には骸骨(がいこつ)と炎のモチーフが描かれているそうです。ちなみに、2階フロアは京王井の頭線渋谷駅(中央口)とJR渋谷駅(玉川改札)を繋(つな)ぐ通路。
 
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(終)

2018年12月19日 (水)

「同級生との会食」(前編): 渋谷中央街のイタリアン・バル「エス グロッソ」でランチ

幹事さんからの急な呼びかけがあり、大学時代の同級生が渋谷に集まり、久しぶりに会食(ランチ)をすることになりました、半年前に大規模な同級会があったばかりですが、今回は気心が知れた10名あまりの集まりです。ハチ公前広場から井ノ頭通りを横断し、京王井の頭線渋谷駅(渋谷マークシティ)の南側に続く緩(ゆる)やかな坂道を上がりました。
 
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「渋谷マークシティ」(2000年2月竣工)の西口前を左折した渋谷中央街のフォースワンビル1階にある年中無休/24時間営業のイタリアン・バル「エス グロッソ」(TRATTORIA SGROSSO TOKYO)に到着。店先にイタリア国旗と『昼飲みやってます』 と書かれた看板が吊るされています。
 
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赤いシェードと簡素なテラス席が目立つカジュアルなファサードは味のあるものです。
 
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予約した午後1時よりも5分ほど早いタイミングで店のスタッフに案内されてガラスで仕切られた店内に入るとさらに驚かされました。アンティーク・インテリアに加えて、壁一面に貼られたポスターや新聞紙と棚には酒瓶が並んでおり、わくわく感とともに居心地の良さも感じさせます。内観写真は食べログを参照してください。
 
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入口に近いフロアにはテーブル席(2席X5卓)とカウンター席(5席)がありますが、我われのグループは人数が10人以上と多いため、奥の半個室が準備されていました。ちなみに、全席数は50席、ランチタイムは11:30~16:00とのこと。

 

とりあえずドリンクとして生ビール・赤ワイン・焼酎などが注文して参加者の健勝を祝いました。
 
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赤ワインはソムリエの資格を持つメンバーが選んだイタリア製”PRIMITIVO DI MANDURIA”でした。高級品ではありませんが、口当たりが良く飲みやすい赤ワインです。
 
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私と同じテーブルの5人で相談した結果、ランチメニューから適宜に選んでシェアすることになりました。まず、パスタは「塩味・ベーコンとキノコの和風卵黄のせ」(950円)、ピザは「フレッシュバジルとモッツァレラのマルゲリータ」(1050円)、「若鶏の唐揚げ 香味ソースがけ」(900円)を一品ずつ注文。それぞれのメニューにはサラダがついていますから、サラダを別途注文する必要はありません。もちろん、ライスも不要です。写真はパスタについているサラダです。
 
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ちなみに、「マルゲリータ」のサラダにはオリーブオイルにひき肉の団子が入ったピザソースが添えられているのは珍しいと思いました。通常は焼く前にかけるのでしょうが、加熱することでオリーブオイルが酸化して香りがなくなるため、好みに応じて食べる時にディップするようです。肉団子が入っている理由は不明です。注、フロア担当の女性も知らない模様
 
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私の取り分け皿
 
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「若鶏の唐揚げ 香味ソースがけ」
 
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私の取り分け皿
 
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「和風パスタ」はトッピングを混ぜてから取り分けることにしました。
 
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私の取り分け皿
 
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「マルゲリータ」は6等分されていますから容易に取り分けられます。
 
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私の取り分け皿
 
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『まだ食べられる』 とテーブル・メンバーの意見が一致。「国産牛vs.黒毛和牛のローストビーフ」(1370円)と、
 
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「国産牛フィレ肉のタリアータ-カシスバルサミコスソース」(1880円)を追加しました。少しうざったくなりましたが、私の取り分け皿の写真も併せて掲載します。
 
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年齢と共に悪化する体調やゴルフ、まだ働いているメンバーは仕事の話などで会話も盛り上がりました。そして、予約された2時間が過ぎたところで、上記した全5品の料理を完食しました。赤ワインを中心に飲み放題同様にグラスが進みましたが、もう一つのテーブルでは注文した料理の品数が少なったため、幹事さんが会計を締めて見れば一人当り2500円に収まりました。またの再会を約してひとまず散会。(二次会へ続く)

2018年12月17日 (月)

第5世代移動通信システムを考察する

2019年に始まるプレサービスに続いて2020年には商用サービスが予定される第5世代移動通信システム、略称「5G」、は大手移動通信会社によってシステム・トライヤルが現在行われています。これに先立って「5G」についてのグローバル標準化作業が3GPP(注、第三世代携帯電話および次世代の無線通信技術に関する国際的な標準化プロジェクト)や5GPP(注、2015年に欧州で設立された団体)などによって行われ、2017年末にPhase 1のシステムアーキテクチャーが発表されています。ちなみに、現在提供されている第三世代「3G」および第4世代「4G」との最大の違いはネットワークのさらなる大容量化が可能になることです。

 

最近の研究によると、2020年代の情報社会における移動通信のトラフィック量は2010年と比較して千倍以上に増大すると予測されています。そのため、「5G」はこのような増大するトラフィックに応えるネットワークシステムの大容量化(10Gbpsを超える高速化)を低コストかつ低消費電力で実現することが期待されるのです。さらなる低遅延化とIoT(Internet of Things、人に加えて物も繋ぐインターネット)、そして将来のIoE(Internet of Everything、データやシステムなどを含むあらゆるものを繋ぐインターネット)の普及にともなう多数端末との接続への対応も目標になっています。

「5G」を実現するための技術要件は、広帯域の電波を確保できる3.6GHz/4.5GHz/28GHzなどの周波数を利用すること、多元接続方式/多重接続方式、時分割複信(Time Division Duplex)方式、キャリアアグリゲーション(複数の搬送波を同時に用いて一体として行う無線通信)など多くの高度な無線とネットワーク関連技術です。(説明は省略)

 

もう少し分かりやすい説明として、移動通信システムが発展してきた歴史を世代順に振り返ってみましょう。第1世代の移動通信システムは、初めて実用化されたアナログ方式の携帯電話システムで、使い勝手が良い800MHz帯の電波が使用されました。アメリカでは1983年に周波数分割多元接続(FDD-FDMA-FM)を採用したAMPS方式が、日本では1988年に同じFDD-FDMA-FM(注、細部は異なる)を採用した通称NTT方式で、ヨーロッパでは1981年に同じくFDD-FDMA-FMを採用したNMT方式のサービスが開始されました。ちなみに、私がアメリカの子会社へ赴任した1989年には市民バンドのトランシーバーあるいは大きめのテレビリモコンほどのハンディ携帯電話が社給され、翌年には現在のスマホに近い手のひらサイズ(ただし厚みは数倍)の携帯電話に変わりました。

 

第2世代移動通信システム「2G」は1993年に登場したディジタル方式の移動通信システムです。ディジタル化したことで、電子メールやウェブ対応など、通話以外の機能が追加されました。「1G」と同様、周波数分割複信時分割多元接続(FDD-TDMA)と周波数分割複信符号分割多元接続(FDD-CDMA)に大別される多くの方式が採用されました。前者には日本のPDC方式・北米のD-AMPS方式、そして日本と北米を除く各国で広く採用されたGSM方式が、後者にはアメリカのクアルコム社が1995年に発表したcdmaOneがある。PDC方式とD-AMPS方式より音質が良く高速なデータ通信ができたことから「2.5G」とも呼ばれました。

 

第3世代移動通信システム「3G」は国際電気通信連合(ITU)が1999年に標準化したIMT-2000(International Mobile Telecommunication 2000) です。5種類の地上系通信方式があり、NTTドコモとソフトバンクなどが採用したW-CDMA方式、auなどが採用したCDMA2000(注、後に細部が変更された)方式がある。アメリカはW-CDMA方式とCDMA2000方式を、ヨーロッパではW-CDMAに分類されるUMTS方式が採用されました。

 

第4世代移動通信システム「4G」はITUが定めるIMT-Advanced規格に準拠する無線通信システムで、Long Term Evolution(LTE、「3G」を高速化した規格)とWorldwide Interoperability for Microwave Access(WiMAX)の後継規格であるLTE-AdvancedWirelessMAN-Advanced(WiMAX2)が該当します。ちなみに、LTEは2009年に3GPPが策定した「3.5G」で、iMAXは2005年に電気通信に関する国際的な標準化団体であるIEEEによって定められた規格ですが、限りなく「4G」に近いことから「3.9G」として位置づけられています。LTEは2010年にNTTドコモが商用サービスを開始し、2014年にはVoice over LTE(Vo LTE、高速データ通信を利用した音声伝送)による音声通話サービスを追加、2016年には時分割多重LTE(TD-LTE)方式のサービスが開始しました。auとソフトバンクの両社はNTTドコモに追従する形で2012年に商用サービスを開始。機能が高度化されたこの時点で、各社はLTE方式を「4G」と位置づけました。

 

魅力的な「5G」の商用サービスが間近に迫るなか、その可能性の大きさとともに課題についても触れたいと思います。現行のLTE方式「4G」と比較した場合、「5G」の容量は1000倍、通信速度は100倍、同時接続端末数も100倍に設定されているようです。「5G」を使って提供されるサービスはすべてのモノ、つまりスマホやタブレット、ウェアラブル端末、センサー、さらには自動車・鉄道や家電製品などもワイヤレスで繋(つな)がることで、VR(仮想現実)やAR(拡張現実)、農業ICT(情報通信技術)、自動運転支援、スマートシティーやスマートホームなど、より生活に密着したサービスが登場すると考えられます。

 

一方、課題も存在します。その多くは技術領域の課題というよりも、経済領域や政治領域の課題です。「4G」が全国的に普及した日本において「5G」を必要とするサービスが存在(出現)するかどうかという需要の問題、つまり投資規模に見合う市場が存在するか否かです。移動体通信トラフィックは1年で約1.4倍に増加しているようですが、今後もこのペースで増加し続けるといえるのでしょうか。”YouTube”に代表されるビデオ(動画)を上回る情報量を持つ(必要とする)コンテンツやデータ(例、8K映像や立体映像など)の需要が顕在化することが鍵と言えます。また、低遅延は自動運転には不可欠な要件ですが、自動運転が普及するのは10年以上先のことと思われます。

 

喫緊(きっきん)の課題は意外なことでした。その課題の背景にはエスカレートする米中の貿易摩擦があります。巨額な対中貿易赤字とハイテク分野での覇権(はけん)争いから、アメリカは中国からの輸入品に高い関税をかけたことに加えて、中国の大手通信機器メーカーであるハーウェイ(華為技術)とZTE(中興通訊)の両社から製品を購入して使用する企業とアメリカ政府機関およびアメリカ軍は取引をしない旨を発表しました。
 
さらに、中国側に情報が漏洩する懸念があるとして、「5G」のネットワーク整備において両社の製品を採用しないように各国に働きかけているようです。事実、アメリカに次いで、オーストラリアとニュージーランドは両社の製品を採用しないことを最近になって言明しています。12月10日には日本政府も名指しを避けながらも「5G」関連の調達では問題ある製品を排除すると言及し、大手通信事業社3社は政府方針に従うことを明らかにしました。また、参入予定の楽天は中国メーカーを採用する予定はなく、自社に影響はないとコメントしています。

 

つまり、「5G」は政治問題化しつつあると言えるのです。この状況において、NTTドコモとソフトバンクは「5G」技術で先行するハーウェイを含む海外企業と共同して「5G」システムのフィールド試験(実証試験)を行っています。もう一つの懸念は今秋にリリースされたiPhoneの新製品は売れ行きが芳(かんば)しくないアップルは「5G」への対応、具体的には「5G」用通信モデムの調達で出遅れており、対応する製品の投入時期は早くても2020年の後半になるとの観測記事がブルムバーグから出されたことです。

 
ちなみに、現行システムではソフトバンクが規模は小さいとしながら中国メーカー2社製の基地局を採用し、KDDI(au)もファーウェイから末端の装置(スマホ?)を導入していることを認めています。一方、最大手のNTTドコモは中国メーカーの製品は使用していないとしています。

注、現行の「4G」用スマホではファーウェイ製品が安価・ハイスペックであることを武器に世界販売シェアでサムスンに次いで第2位であり、日本市場でもSIMフリー市場で急成長してシェア50%(1位)に達したことに加えて大手3社が公式スマホとして採用したことで、最新の販売台数ではシャープを抜き、アップルに次ぐシェア第2位へと躍進

 

今後は、米中関係およびiPhoneの売れ行きとともに、第5世代移動通信システム「5G」の導入プロセスを見守って行きたいと思います。

2018年12月15日 (土)

「琶湖畔の近江八幡市を訪ねる(最終回) 「八幡掘のボートクルーズ」(後編)

緩(ゆる)やかに左へカーブした先の「八幡掘」は、再び直線的になり、西方へ伸びていました。
 
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「八幡掘」が右へ折れる位置に寺院がありました。後で調べると、浄土真宗の一派である真宗佛光寺派の本山である佛光寺(京都市下京区)の八幡別院でした。ちなみに、近江八幡市のほか、京都市・大阪市・長浜市などにも佛光寺の別院があるようです。
 
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水面からの高さに余裕がない橋が迫りました。両岸から樹木が迫(せ)り出して堀の幅が狭く感じられます。
 
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左手にレンガ造りの大きな煙突が現れました。茂みに隠れて下部は見えませんが、古いものであることは確かです。八幡瓦の工場の煙突かも知れません。後で調べると、滋賀県で最初に煉瓦の製造を始めた旧中川煉瓦製造所(創業:明治16年/1883年、営業停止:昭和42年(1967年)の煙突(高さ約30m)でした。現在は隣接する老人ホーム「赤煉瓦の郷」が管理しているそうです。ちなみに、「かわらミュージアム」は瓦工場の跡地に建てられたそうです。
 
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ついでに瓦製造が近江八幡市の地場産業になった背景についても調べてみました。羽柴秀次が叔父の豊臣秀吉の命で八幡山城を築く時(1585年)に、あるいは本願寺八幡別院の屋根葺替工事(1703-1706年)にともなって瓦職人が近江八幡に移り住んだことで、近江八幡市の地場産業のひとつになったと伝えられるそうです。

 

「八幡掘」が本町通りと交差する「本町橋」が迫りました。橋のすぐ先には水位保持堰が設けられていますから、この先へは進めないようです。ちなみに、この水位保持堰(せき)は琵琶湖の水位が低くなった時に八幡掘の水位を一定に保つために建設(平成14年/2002年に完成竣工)されたとのこと。
 
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幅が約15mと狭い「八幡掘」でどのように方向転換するのか興味がありました。船頭さんはいとも簡単に屋形船を180度方向転換させました。つまり、船外機を巧みに操り、船の中心部を仮想回転軸として、スムーズに船の方向を変えたのです。
 
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煉瓦造りの煙突がある辺りの「八幡掘」の景色
 
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護岸が施された区間に戻りました。水面がまるで鏡のようです。
 
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手漕(てこ)ぎ船とすれ違います。先ほど手漕ぎ舟の乗船所に係留中、我われの動力船が追い越した手漕ぎ舟でしょう。
 
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岸辺にキバナコスモスが咲いています。花期が6月から11月と長いのが嬉しい私の好きな花の一つです。
 
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手漕ぎ船の乗り場がある「新町浜」まで戻りました。荷物の積み下ろしを容易にするため、幅の広い石段が整備されています。よく見ると、「お堀めぐり」の立て看板が町屋の前に立っています。
 
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「明治橋」まで戻りました。
 
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漆喰(しっくい)の白が美しい土蔵
 
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「白雲橋」を潜(くぐ)ります。
 
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城の石垣のように整然と積まれた石の土留め
 
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「かわらミュージアム」の庭園口
 
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舟橋(ふなばし)の上では観光客が記念写真を撮影中
 
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屋形船は、その手前で再度クイックターンしたあと、係留中の屋形船の後ろに停船しました。
 
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乗船所から元来た道を戻って白雲橋の上に出ると、乗船所には「八幡掘めぐり」の屋形船が4艘(そう)並んでおり、「八幡掘」沿いの遊歩道には列をなして歩く観光客のグループが見えました。
 
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反対側の「八幡掘」は、紅葉が水面に写って、異なる印象を与えます。
 
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午後2時半を少し過ぎましたので、新町通りを歩いて小幡観光駐車場へ戻りました。次の目的地にちょうど良い時間帯に到着できそうです。(終)

2018年12月14日 (金)

琵琶湖畔の近江八幡市を訪ねる(その7) 「八幡掘のボートクルーズ」(前編)

路地が行き当った場所に「和船あきんど号 八幡掘りめぐり 乗船場所」(お一人様千円、所要時間35分)と表示された立て看板がありました。砂利が敷かれた駐車場を横切って進んだ先にあるようです。
 
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右・左とクランク状に折れ曲がる路地を進むと、奥に「かわらミュージアム」の入口が見えました。アクセス道には無数の瓦が埋めてあります。
 
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「かわらミュージアム」の入口方面へ左折しないで直進すると、乗船所への入口と思われる石段がありました。
 
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ほりかふぇ」の店内を抜けても乗船所へ出られるようです。
 
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石段を下りきって「八幡掘」縁(べり)に出ると、簡単な案内所がありました。しかし、人の姿は見当たりません。
 
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屋形船が係留されている場所にベンチが置かれていますから、ここで待つのでしょうか。
 
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次回の便の種発時間は14:00ころとありますから、10分ほど待つ必要がありそうです。
 
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その先には八幡掘りを人が渡るための舟橋(ふなばし)が架かっていますから、屋形船にとってはここで行き止まりです。注、舟橋は川の中に並べた舟の上に板を敷いて造る仮設橋
 
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右手を見ると船外機が付いた屋形船が2艘係留されています。どの船が出るのでしょう。
 
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対岸には立派な蔵が建ち並んでいます。
 
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かつて全国各地から送られてきた物産を一時保管した土蔵とのこと。
 
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 午後2時少し前になったところで、右手の船から出てきた船頭さんに声を掛けられました。
 
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2人分の料金(2000円)を支払って乗船しました。
 
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午後2時に出航。白雲橋を通過した左手にギャラリーBijoux”(美樹)の小さな看板が目に入りました。そして、右手には蔵を利用した「アトリエ藍(あい)」。いずれも「石畳の小路」で見かけた店舗です。ちなみに、2つの店舗の間には「石畳の小路」の出口が確認できます。
 
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「八幡掘」沿いの散策路で写真を撮る観光客
 
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明治橋を潜(くぐ)ります。
 
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「八幡掘」が右に折れる手前、「新町浜」に手漕(てこ)ぎ舟の乗り場がありました。
 
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右に折れると八幡山が船の正面に見えてきます。
 
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この先で大きく左手へ折れるはずですが、「八幡掘」は微妙に蛇行しています。
 
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(続く)

2018年12月13日 (木)

琵琶湖畔の近江八幡市を訪ねる(その6) 「八幡山城址」と「たねや・CLUB HARIE」

「琵琶湖国定公園特別地域 八幡山」の標柱
 
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琵琶湖岸から808段といわれる長い石段を登る長命寺付近(写真右端)を撮影しました。千手観音を本尊とし、聖観音・十一面観音・毘沙門天など多くの国指定の重要文化財が安置されており、その他、建造物のすべてが県あるいは近江八幡市の指定文化財になっているという由緒ある寺院です。
 
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「西の丸址」へ向かいます。
 
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遊歩道に沿って続く八幡城本丸址の石垣
 
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現在はこの石垣の上に先ほど立ち寄った村雲瑞龍寺の社殿が建っています。
 
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西の丸址」からの眺望写真には琵琶湖・琵琶湖大橋岡山あやめ浜運動公園長命寺港長命寺山長命寺が表示されています。
 
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左端の突き出た部分が「あやめ浜」で、正面に見えるトラックは運動公園、そして右端に長命寺港が一つの画面に収まりました。しかいs、長命寺山(標高333m)の山腹(標高約250m)にある長命寺の建物は右手の木に邪魔されて確認できません。
 
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長い石段を下りて村雲瑞龍寺参拝順路(入口)に到着。案内標識を左手に見ながらロープウェー山頂駅方面へ直進しました。
 
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さらに続く石段を下りて「お願い地蔵尊」のお堂前を通過。遊歩道の脇には荷物を運ぶ単軌条運搬機(モノレール)のレールが続いています。果樹園などで見かけるものですが・・。
 
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ロープウェーの山頂駅に到着すると、待つことなくゴンドラが公園駅へ向けて出発。南東方向へ長く伸びる近江八幡市の市街地を見下ろしました。その先に見える2つの山は長光寺城址がある瓶割山(かめわりやま、別名:長光寺山、標高234m)と岩倉山(標高約220m)で、その右後方は雪野山(標高308.82m)でしょう。
 
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ちなみに、「越前北ノ庄城址」の記事にも書きましたが、長光寺城は信長の命により柴田勝家が湖東の抑えとした山城ですが、六角氏に攻められた勝家は籠城作戦をとりました。攻めあぐねた六角軍は城の水源を絶ちました。城に水がないことを敵に悟られないようにと勝家は水瓶をあえて割り、自軍の志気を鼓舞して六角軍を打つ破ったことから、瓶割山と呼ばれるようになったと伝えられます。また、雪野山では雪野山古墳(国指の史跡に指定された前方後円墳)が30年ほど前に発見され、多数の出土品が国の重要文化財に指定されたそうです。

 

日牟禮八幡の前の道を戻りました。
 
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地元の洋菓子店CLUB HARIE(日牟禮ヴィレッジ)に入りました。
 
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同行者はさっそく品定めを始めました。バウムクーヘンがとみに有名ですが・・。
 
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買い物袋を見せてもらうと、家形のケースに入った「家形クッキー」と赤い袋に入った「リーフパイ」(木の葉形)が2個ずつ並んでいました。ちなみに、バウムクーヘンは日持ちがしないため買うことをあきらめたとのこと。
 
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道路の反対側には和菓子の老舗「たねや」があります。2つの店は商売敵ではなく、いずれも「たねやグループ」(1872年創業)が全国展開する菓子店チェーンです。“CLUB HARI”(1995年設立)と「たねや」(明治5年/1872年創業)の他にも、イタリア菓子専門店「ソルレヴァンテ」(2005年設立)、フランス菓子専門店「オクシタニアル」(2005年設立)をチェーン展開しているようです。
 
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余談ですが、「たねや」は江戸時代には材木商でしたが、後に穀物類・根菜類の種子を商う「種屋」となり、明治初期に和菓子店となり、戦後になって洋菓子の製造に乗り出し、近年はそのビジネスに注力しているそうです。

 

土産物を買ったあとは「八幡掘めぐり」です。案内標識にしたがって入った路地の右手には土産物・食事処「ほりかふぇ」があります。
 
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(続く)

2018年12月12日 (水)

琵琶湖畔の近江八幡市を訪ねる(その5) 八幡山ロープウェーで「八幡山城址」へ

往復乗車券(大人880円)を購入してホームへ向かうと、ちょうどロープウェーが発車するタイミングでした。
 
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ゴンドラに乗り込んで山頂駅へ向かいます。所用時間は約4分。
 
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山頂駅から石段を上がった展望所から見る近江八幡市の市街地と東海道新幹線の高架
 
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西の湖(にしのこ)」と「安土山(あづちやま)」
 
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展望所の左端にある「祈願瓦奉納所
 
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展望所の裏手にある「二の丸跡」を抜けて紅葉が美しい遊歩道に出ました。
 
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遊歩道の左手にある「村雲瑞龍寺(むらくもずいりゅうじ)」へ向かうことにすると、
 
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よく整備された石段が続きました。
 
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石段最上部の左手には「村雲御所瑞龍寺門址」の石柱碑(せきちゅうひ)が立っていました。ちなみに、瑞龍寺(別名:村雲御所)は後陽成天皇が「瑞龍寺」の寺号と寺領1000石を与えた日蓮宗で唯一の門跡(もんぜき)寺院です。注、門跡寺院は皇族や公家が住職を務める寺院を意味したが、鎌倉時代以降は最も寺格が高い寺院を指すようになる
 
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有名な門跡は、京都市内にある真言宗の仁和寺(にんなじ)・醍醐寺(だいごじ)・大覚寺、同じく天台宗の妙法院(三十三間堂がある寺院)・三千院・青蓮院(飛地境内に将軍塚大日堂がある)などです。京都市以外では日光市にある天台宗の輪王子(りんのうじ)・奈良県斑鳩町(いかるがちょう)にある真言律宗の中宮寺(ちゅうぐうじ)など。
 
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山門を入った正面にある本堂は八幡山城本丸址に建てられたそうです。
 
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本堂の脇にある休憩所から近江八幡の市街地と水茎岡山城址(みずぐきおかやまじょうし)がある岡山(標高187.7m)などの山々を見わたすことができました。
 
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石段を下りて遊歩道に戻りました。幅が狭く緩(ゆる)やかな上り坂が続きます。
 
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視界が開けた「北の丸址」から見える観光スポットが写真パネルに表示されています。琵琶湖の眺望が楽しめる場所です。
 
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繖山(きぬがさやま、標高432.7m)は近江八幡市の旧安土町と東近江市の旧五個荘町・旧能登川町の境にある低山です。観音正寺(かんのんしょうじ)は近江八幡市安土町石寺にある仏教寺院で、宗旨は天台宗系の単立、山号は繖山、本尊は千手観音、西国三十三所第32番札所です。特別史跡安土城址(あづちじょうし)は織田信長が天正4年(1576年)丹羽長秀に命じ、約3年の歳月をかけて完成した山城で、現在は石垣だけが残っています。水郷めぐりは開削された八幡掘を手漕ぎあるいは船外機付きの屋形船に乗ってクルーズできるサービスです。西の湖(にしのこ)は2008年に琵琶湖のラムサール条約湿地登録エリアに追加された琵琶湖の内湖では最大の面積を持つ湖です。(続く)

2018年12月11日 (火)

琵琶湖畔の近江八幡市を訪ねる(その4) 「石畳の小路」から「八幡掘」を経由して「日牟禮八幡宮」へ

「八幡堀 石畳の小路」にある店舗
 
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石畳の小路」を歩いて「八幡掘」へ向かいます。
 
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左手前に和菓子舗「和た与」の直営カフェ「逢茶 あまな」、左奥に自然素材と手書き「アトリエ藍」、そして右手にはレアウッドビーズを使ったアクセサリーショップの"Bijoux"(美樹)があります。
 
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両岸に石垣が設けられた「八幡掘」(左手、琵琶湖側)
 
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同じく「西の湖(にしのこ)」方面
   
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「八幡掘」に架かる白雲橋とその下を潜って行く屋形船
 
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「八幡堀」は天正13年(1585年)に豊臣秀次(秀吉の甥)が八幡山に城を築き開町したことに始まります。秀次は、八幡堀と琵琶湖とを繋ぎ、湖上を往来する船を城下内に寄港させることで、人、物、情報を集め、さらに楽市楽座制を実施することで城下を大いに活気づけました。(出典:近江八幡観光物産協会のhp

 

「日牟禮八幡宮」の木製鳥居を撮影するため、撮り脇を抜けて表通りに出ました。
 
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鳥居と向かい合うように建つ「白雲館」(旧八幡東学校、入場無料)は明治10年(1877年)に建設された学校建築物です。八幡商人の熱意と区民の協力により、西洋建築の様式と、日本の伝統技術をとり入れ建築されたものです。(出典:滋賀・びわ湖 観光情報
 
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鳥居の前にある「道しるべ」には見どころとして「白雲館」「八幡掘」「旧八幡YMCA会館(ヴォーリズ建築)」の説明があります。
 
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「近江商人とは」のあんない説明看板
 
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白雲橋の上から見た「八幡掘」(西の湖方面)に係留されているのは「八幡掘めぐり」の屋形船でしょう。
 
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常夜灯
 
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「白雲橋」を渡りきったところにある「八幡伝統的建造物群保存地区(新町・八幡掘・永原町等)の分かりやすい案内地図
 
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 宮内町(みやうちちょう)の案内看板
 
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 すぐ先の脇道に入る場所に「八幡掘めぐり乗船口」の案内看板を見かけました。先ほど見たのはやはり「八幡掘めぐり」の乗船場でした。
 
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 そして、「日牟禮八幡宮」の山門前に出ました。
 
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 境内に入ると正面に本堂がありました。手前の参道には杉の枝のようなものが積み上げられています。「左義長(さぎちょう)」に使うものかもしれません。
 
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 「近江八幡観光MAP
 
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八幡山ロープウェー」の公園前駅に到着
 
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八幡山城址の俯瞰図(ふかんず)「と「散策コースの説明」
 
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 (続く)

2018年12月10日 (月)

琵琶湖畔の近江八幡市を訪ねる(その3) 「千成亭」で「すき焼き鍋膳」と「ロースステーキ重」を味わう

「西川甚五郎邸」の東隣に近江牛の老舗「千成亭」(八幡掘店)がありました。
 
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店舗の横壁と店内(1階)に掲げられた「近江牛メニュー」
 
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入口脇に置かれた「千成亭謹製 おにくじ」は、『今日の運勢や近江牛の中からあなたにおススメの部位をご紹介するなどユニークたっぷりです。』 とあります。
 
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1階は売店で、レストランは2階です。
 
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客室と厨房を隔てる壁に面したカウンター席
 
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通りに面したテーブル席
 
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千成亭名物近江牛にぎり寿司の手書きポップにはサシが強く入ってこってりした三角バラ(首周りの肉)・ざぶとん(肩の肉)を使用した「近江牛とろにぎり(1皿2貫)」(900円)と近江牛赤身(モモ肉)にぎり(1皿2貫)」(600円)が写真入りで紹介されています。
 
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「生ビール(500円/杯)、近江牛ミンチカツ(300円/個)、近江牛コロッケ(100円/個)を紹介する手書きポップもありました。注、明治時代に浅草で生まれた「ミンスミートカツレツ/メンチカツ」が関西地方に伝わって「ミンチカツ」と呼ばれるようになったとのこと。ちなみに、"minced meat"は挽肉(ひきにく)を意味する
 
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よく見るとテーブル上にも!
 
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私は「すき焼き鍋膳」(2200円)を選びました。小鉢・ご飯・こだわり玉子・お吸い物・香の物が付いています。
 
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ほどなく、柔らかい近江牛のすき焼きが出来上がりました。
 
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同行者が注文した「ロースステーキ重」(3500円、小鉢・お吸い物・香の物付)は「すき焼き鍋膳」より少し遅れて配膳されました。
 
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味見をさせてもらうと、さすが近江牛と感じる美味しさでした。ちなみに、当ブログでは大津SAにある「叶匠寿庵」の「近江牛の牛丼」と「近江牛ひつまぶし膳」、近江牛料理「徳志満(とくしま)」の「近江牛ひつまぶし」と「ミンチカツランチ」を紹介しています。

 

同行者も満足したようで、階下の売店で品定めを始めました。
 
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近江牛サーロインステーキ(写真左上)は180gの肉一枚が3600円+税と高価ですが、近江牛すき焼き用モモ・バラ(同上中)は100g当り800円+税、近江牛特上焼肉(同右上)は100g当り1000円、近江牛切り落とし(同右下、成形で生じる半端部分)は100g当り600円+税、近江牛かのこ細切れ(同左下、5mmほどの賽の目状に切った肉)は100g当り400円+税と手が届く価格です。
 
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入口に近いカウンター脇のショーケースに並べられている「近江牛ミンチカツ」を土産物として何個か買い求めました。
 
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(続く)

2018年12月 9日 (日)

琵琶湖畔の近江八幡市を訪ねる(その2) 新町通りの旧商家

新町通り沿いの民家では軒下に昼顔が咲いています。ちなみに、花言葉|は「優しい愛情」「和やかさ」。
 
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市立郷土資料館の50mほど先の左手には重要文化財「西川家住宅」(有料)があります。西川利右衛門は近江八幡市を代表する近江商人の一人で、初代から昭和5年に11代が没するまで、約300年間に亘って活躍。屋号を「大文字屋」と称し、蚊帳(かや)や畳表などを商い財をなし、近江を代表する豪商としての地位を築いたそうです。(出典:近江八幡市立資料館のhp)
 
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「西川庄六郎邸」(非公開:県指定文化財)
 
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『2代目西川利右衛門の子「庄六」を初代とし、蚊帳・麺・砂糖・王日などを商いました。3代目の頃になると、江戸日本橋4丁目にも出店し、九州島津藩指定御用達商人になるなど西川利右衛門に次ぐ豪商となりました。8代目は文人墨客(ぶんじんぼっかく)との関わりも深く、一燈園「西田天香」氏らとの交流もありました。現在も、東京、大阪、京都に本支店を持つ「メルクロス株式会社」として活躍中です。塔建物は江戸中期の建物で間口は13.0m、奥行は14.9mあります。左側に座敷部分が張り出し、他にも「でみず間」「化粧間」「板塀」「表土蔵」などがあるたいへん規模の大きい町家です。』
 
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「国の重要文化的景観第1号 八幡掘入口」の立て看板がありますから「新町通り」は広い道路を横切って八幡掘まで続いているようです。前方の山は八幡城があった八幡山でしょう。
 
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広い道路に出て右手に進みました。
 
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近江八幡市のマンホールには「八幡掘」沿いの蔵と桜、そして八幡山が描かれています。
 
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近江鉄道バスの新町停留所
 
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三角形をした公園の中央に銅像が立っています。
 
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『名誉市民ウィリアム・メレル・ヴォーリズは、1880年(明治13年)10月28日、米国カンザス州レブンワース市に生まれた。両親の感化により信仰心が厚かった彼は、1905年(明治33年)2月、24歳のとき、国際YMCAから日本の近江八幡に遣わされた。以来、1964年(昭和39年)83歳で亡くなるまでこの地を去る古都なく、キリスト教精神に支えられた、愛に満ちた理想社会実現のため、彼を慕う多くの人々と力を合わせて、医療や教育事業を進め、建築に卓越した手腕を発揮し、キリスト教を伝道し、福祉や文化を高めるなど、多才な社会貢献活動を展開した。そして、これらの活動を経済的に支えるため、建築設計会社をはじめメンソレータム(現メンターム)で有名な製薬会社を興し、企業家としても大いなる成功を収めた。外観よりも内容を重視したヴォーリズの西洋風建築は、大丸心斎橋店や関西学院大学をはじめ、住宅、今日かいなど国内外に1600にも及んだ。(以下略)1999年5月 近江八幡市』
 
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LEAVENWORTH(レブンワース) 1854 THE FIRST CITY OF KANSAS」のモニュメントには『米国カンザス州レブンワース 1880年、ウィリアム・メレル・ヴォ―リズはあまりか西部開拓史誕生の地、米国カンザス州レブンワースに生まれた。開拓者製品が根付くこのまちと、進取の気象(性)で知られる近江商人発祥の地「近江八幡」は、ヴォ―リズ縁の市民交流をきっかけに、1997年、兄弟都市提携を結んだ。 ヴォーリズ委員会』と書かれています。
 
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公園の奥にある近江八幡市の説明には、『近江八幡のまちは天正13年(1585年)豊臣秀次が、おじ秀吉の命により鶴翼山(八幡山)に城を築いた斉、城下町として開かれた。碁盤目状の町並みは、合戦にそなえたものではなく、琵琶湖の水運と結ぶ八幡掘を利用した経済都市への成長を期待されたことを示している。文禄4年(1595年)秀次の自害の後、城はなくなるものの、町人自治を背景に、商業を中心に発展をとげ、今日へとつづく町並みが形づくられてきた。町家は切妻造桟瓦葺き、平入りの中2階建てが基本で、正面の構えは格子(こうし)、出格子、虫籠窓(むしこまど)、からなり、軒下の壁に貫を見せる形式が特徴となっている。また、道路に面する庭の「見越しの松」が周囲の景観の風格を高めている。この一帯は、近江八幡独自の都市空間を形成し、文化庁から重要伝統的建造物群保存地区の選定を受け、市民の誇りとなっている。平成11年(1999)3月 近江八幡市』
 
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「西川甚五郎邸」(非公開)
 
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西川甚五郎の表札が掛けられています。
 
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『西川産業(ふとんの西川)の祖として知られる西川家は八幡山城築城の時に工務監督を務めた旧家です。初代仁右衛門が19歳で商売を始めた永禄9年(1566年)が創業年で、天正15年(1587年)八幡に蚊帳・畳表などを商う屋号:山形屋を開設しました。元和元年(1615年)には江戸日本橋に出店。初代の4男甚五郎が寛永5年(1628年)に2代目を継ぎ、製造や販売方法に工夫を凝らし西川家の基礎を固めました。3代目の頃から、成績優秀、永年勤続、等の従業員に別家として独立させる仕組みを確立させ、7代目は年2回の決算期に純益の3分の1を従業員に分配する現在のボーナス制度を取り入れ、従業員のやる気を大いに引き出しました。』(出典:近江八幡観光物産協会のhp) 注、甚五郎は二代目の名前で、西川家の歴代当主が襲名する名称
 
追記(2018年12月16日) 今朝の東洋経済ONLINEは西川グループの3社、西川産業(通称:東京西川)・西川リビング(通称:大阪西川)・京都西川が2019年2月1日の合併して西川株式会社になると報じました。1941年の分社化以来、約80年ぶりに再統合する見通しとなったとのこと。第二次世界大戦中に会社が生き残る道を模索して、東京・大阪・京都にあった支店を株式会社として独立させた経緯があるそうです。しかし、大手小売店(大手スーパーやニトリなど)が寝具業界で台頭し、しかも西川3社が卸売やネット販売で競合するようになったことで、創業450周年を迎えた2016年から合併の話が出ていたとのこと。 (続く) 

2018年12月 8日 (土)

琵琶湖畔の近江八幡市を訪ねる(その1) 近江商人の町並みが残る「新町通り」

末孫娘が七五三詣を済ませた翌朝、名神高速道路(上り線)を北西へ走行しました。草津JCTを過ぎて栗東ICに差し掛かると小雨が降りはじめました。
 
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1kmほど先にある栗東湖南IC(2016年3月供用開始)は国道1号の渋滞を軽減させるために2016年3月に開通した栗東水口道路(国道1号バイパス/栗東市-湖南市間/長さ11.2km)と接続する(大阪方面の出入り口のみを持つ)ハーフインターチェンジです。
 
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栗東湖南ICから約10km先にある竜王ICに指しかかるころには青空が広がりはじめました。
 
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竜王ICを出て行き当たった国道477号へ右折して、日野川の支流・善光寺川に沿って国道477号を北上しました。
 
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西横関交差点で国道8号に入り、近江八幡市に入った東川町交差点を左折して県道326号を北上し、小船木町交差点を右折した県道2号を東進し、中村町交差点を左折して小幡町通りへ入りました。小幡交差点の右手前に近江八幡市営小幡観光駐車場がありました。竜王ICから約20分の距離です。ちなみに小幡観光駐車場の容量は大型車11台・普通車83台、料金は510円/回、午後5時まで利用可能。

 

小幡観光駐車場の北側には近江八幡市指定文化財の「旧伴家住宅」がありました。
 
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駐車場の東側にある「新町」(八幡掘沿いの1丁目から八幡商業高校に近い4丁目まで)は安土城下の新町を移したものと考えられ、国の重要伝統的建造物保存地域に指定されているそうです。注、看板の地図は右が北に当たる
 
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新町通り」の南方向
 
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同じく北方向
 
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新町通りを北へ歩いた最初の辻には「左 京街道」と刻まれた石の道標(どうひょう、みちしるべ)が立っていました。そして、その左手にあるのは「近江商人のふるさと」の説明看板です。
 
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「近江商人のふるさと」の説明看板には、『天正13年(西暦1585年)豊富秀次が八幡山頂に築城、本能寺の変で主なき城下町となった安土の町を移し、翌年、八幡山下町掟書を公布、縦十二通り、横四筋の区画整然とした城下町が誕生。しかし開町から十年、廃城となるが、その後は商業都市として栄え、北は北海道、南は九州、遠くは東南アジアまで活躍した近江商人の一つのふるさとでもある。今なお、碁盤目状の町並みは旧市街によく残され、特に新町や永原町には近江商人の本宅であった家々が建ち並び、八幡堀に面した土蔵群等、往時の在郷町としての繁栄を伺い知ることが出来る。現在、伝統的建造物群保存地区の指定を受けたこの町並みは、未来の都市空間の中に継承すべき貴重な文化遺産であり、近江八幡の心のよりどころである。』 と書かれています。なお、当ブログでは近江商人(高島商人・八幡商人・日野商人・、湖東商人)ついて「大徳寺と蒲生氏郷(後編)」「日本橋界隈(前編)」「注目企業についての雑感」「晩秋の都心散策と早めの忘年会(日本橋編)」の記事で触れています。
 

横面には「右 町並み 新町通り」と刻まれています。
 
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「京街道」(西方向)
 
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同じく東方向
 
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辻の左手前には「旧伴家住宅」(市立資料館、有料、市立歴史民俗資料館・旧西川家住宅と共通券あり)の玄関口がありました。伴庄右衛門家は江戸時代初期から活躍した近江商人(八幡商人)の一人で、屋号を「扇屋」といい、主に畳表・蚊帳(かや)を商い豪商となりました。今に残る旧伴家住宅は7代目が文政10年(1827年)より天保11年(1840年)の10数年をかけて建築したものだそうです。(出典:近江八幡市立資料館のhp
 
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その向かい側(北側)には「市立歴史民俗資料館」(有料)があります。
 
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新町通りをさらに北へと歩きます。
 
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「森五郎兵衛邸」(非公開)
 
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(続く)

2018年12月 5日 (水)

湯葉と豆腐の店「梅の花」(新百合ヶ丘店)

小田急小田原線新百合ヶ丘駅前にあるホテルMOLINO(もりの)へ向かいました。昔の仕事仲間との会食がホテル内のレストランで開かれることになったのです。
 

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7階のフロントを通過して奥へ進むと湯葉と豆腐の店「梅の花」(新百合ヶ丘店)がありました。1976年に創業した「梅の花」は関東と関西を中心に全国に約70店舗を展開する湯葉と豆腐料理のチェーン店です。レストラン形式店とは別にテイクアウト店が約150店舗あるようです。ちなみに、本社は福岡県久留米市に置かれているそうです。

 

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廊下を進んだ所が会場でした。個室(和室)内に参加者に見合ったテーブル席が準備されていました。

 

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この日、幹事さんが予約していたコースメニューは、旬の食材を使用した前菜やお造り、梅の花名物の「とうふしゅうまい」、メインの「牛すき煮」など、全12品が楽しめる「風待草(かぜまちぐさ)」(3560円)です。

 

先ず、小鉢、お造り、豆腐サラダが配膳されました。

 

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茶碗蒸し

 

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「名物 とうふしゅうまい」は柔らかな食感を楽しめました。

 

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ビールでスタートした飲み物は各メンバーの好みに応じて日本酒・ハイボール・ワインなどが選ばれました。

 

「牛すき煮」は牛肉・豆腐・青菜野菜を小さな鉄鍋で煮たものです。出汁は美味しいのですが、煮過ぎたためか、硬くなった細切れの牛肉は私の好みではありません。そのためか、「牛すき煮」の写真を撮り忘れてしまいました。ちなみに、「牛すき煮」を含むコース料理「風待草」の写真は「梅の花」のhpに掲載されています。

 

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「生緬田楽と湯葉揚げ」にはレモン汁をかけて食べます。さっぱりとした味は懐石料理ならではでしょう。

 

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「季節の飯物」は美味しい「混ぜご飯」であり、添えられた「湯葉吸物」と「香の物」は上品な味です。

 

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デザートは笹に包まれたチマキ化かと思いましたが、餡子(あんこ)が入った大福のような柔らかい甘味でした。

   

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上品な内装と料理は「梅の花」ならではでしょう。スタッフのサービスも水準以上といえます。旧同僚たちとの定例会食では話に花が咲き、あっという間に2時間半が過ぎ去りました。また、来年全員が参加できることを期待しながらお開きになりました。 

2018年12月 1日 (土)

京都府福知山市の「天一位大原神社」で七五三詣り(最終回) 七五三詣り

千百五十年祭篤志奉賛御芳名
 
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絵馬殿の左手にある紅葉
 
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オチビちゃんとコチビちゃんたちが到着するまで大原神社の境内周辺を散策することにしました。鳥居を潜って石段を下りました。
 
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「大原神社と大原八景」の案内看板には、「大原八景」として「産屋と産屋岩(現在地より約0.1km)」「秋葉山(0.1km)」「お釜さん(約5m)」「大イチョウ(約0.1km)」「お旅所大杉(0.2km)」「御供田の田んぼ(0.6km)」「谷垣内の蛍(約2km)」「奥山峠の雲海(約2.5km)」が写真付きで表示されています。
 
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「大原神社」は福知山市三和町大原地区の中心部にあり、かつては綾部藩などから都へ向う街道筋で旅館や商店も立ち並び、賑やかな宿場町として栄えていたそうです。神社の眼下には京都の自然200選にも選定された川合川(お釜)の清流が街道に沿って東西に流れています。 特に地元大原地区では、大原神社と街道筋の屋並み、そして四季折々の美しい風景を含めて「うぶやの里」と呼んでいるそうです。(出典:大原の産屋の里

 

我われが「大原神社」についてから1時間後、美しく着飾った末孫娘が到着しました。美容師さんに着物の着付けだけでなく、髪結と髪飾りを整えてもらったことで見事な仕上がりです。
 
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着物の柄が古いことには理由があります。実は同行者がン十年前に七五三詣で着たものなのです。ちなみに、末孫娘のお母さんとコチビちゃんも同じ着物で七五三詣をしています。見ず知らずの人からこの着物を褒(ほ)められた同行者はご満悦。
 
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名前を呼ばれるまで末孫娘はお父さんと一緒にお参りしています。
 
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30分ほど待った待つとあと、拝殿の中へ入り、お祓いが始まるのを待ちました。
 
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お祓いが終わると、末孫娘は神主さんから千歳あめとおもちゃの引換券をもらって嬉しそう。拝殿を出た末孫娘は早速おもちゃ引換所へ向かいました。(終)

<同行者のコメント> 末孫娘はは可愛かったです。つい最近まで赤ちゃんだったのに、来年は幼稚園に通うことになるそうです。七五三詣のあとは皆で食事会を楽しむことができました。

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