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2018年12月 9日 (日)

琵琶湖畔の近江八幡市を訪ねる(その2) 新町通りの旧商家

新町通り沿いの民家では軒下に昼顔が咲いています。ちなみに、花言葉|は「優しい愛情」「和やかさ」。
 
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市立郷土資料館の50mほど先の左手には重要文化財「西川家住宅」(有料)があります。西川利右衛門は近江八幡市を代表する近江商人の一人で、初代から昭和5年に11代が没するまで、約300年間に亘って活躍。屋号を「大文字屋」と称し、蚊帳(かや)や畳表などを商い財をなし、近江を代表する豪商としての地位を築いたそうです。(出典:近江八幡市立資料館のhp)
 
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「西川庄六郎邸」(非公開:県指定文化財)
 
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『2代目西川利右衛門の子「庄六」を初代とし、蚊帳・麺・砂糖・王日などを商いました。3代目の頃になると、江戸日本橋4丁目にも出店し、九州島津藩指定御用達商人になるなど西川利右衛門に次ぐ豪商となりました。8代目は文人墨客(ぶんじんぼっかく)との関わりも深く、一燈園「西田天香」氏らとの交流もありました。現在も、東京、大阪、京都に本支店を持つ「メルクロス株式会社」として活躍中です。塔建物は江戸中期の建物で間口は13.0m、奥行は14.9mあります。左側に座敷部分が張り出し、他にも「でみず間」「化粧間」「板塀」「表土蔵」などがあるたいへん規模の大きい町家です。』
 
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「国の重要文化的景観第1号 八幡掘入口」の立て看板がありますから「新町通り」は広い道路を横切って八幡掘まで続いているようです。前方の山は八幡城があった八幡山でしょう。
 
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広い道路に出て右手に進みました。
 
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近江八幡市のマンホールには「八幡掘」沿いの蔵と桜、そして八幡山が描かれています。
 
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近江鉄道バスの新町停留所
 
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三角形をした公園の中央に銅像が立っています。
 
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『名誉市民ウィリアム・メレル・ヴォーリズは、1880年(明治13年)10月28日、米国カンザス州レブンワース市に生まれた。両親の感化により信仰心が厚かった彼は、1905年(明治33年)2月、24歳のとき、国際YMCAから日本の近江八幡に遣わされた。以来、1964年(昭和39年)83歳で亡くなるまでこの地を去る古都なく、キリスト教精神に支えられた、愛に満ちた理想社会実現のため、彼を慕う多くの人々と力を合わせて、医療や教育事業を進め、建築に卓越した手腕を発揮し、キリスト教を伝道し、福祉や文化を高めるなど、多才な社会貢献活動を展開した。そして、これらの活動を経済的に支えるため、建築設計会社をはじめメンソレータム(現メンターム)で有名な製薬会社を興し、企業家としても大いなる成功を収めた。外観よりも内容を重視したヴォーリズの西洋風建築は、大丸心斎橋店や関西学院大学をはじめ、住宅、今日かいなど国内外に1600にも及んだ。(以下略)1999年5月 近江八幡市』
 
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LEAVENWORTH(レブンワース) 1854 THE FIRST CITY OF KANSAS」のモニュメントには『米国カンザス州レブンワース 1880年、ウィリアム・メレル・ヴォ―リズはあまりか西部開拓史誕生の地、米国カンザス州レブンワースに生まれた。開拓者製品が根付くこのまちと、進取の気象(性)で知られる近江商人発祥の地「近江八幡」は、ヴォ―リズ縁の市民交流をきっかけに、1997年、兄弟都市提携を結んだ。 ヴォーリズ委員会』と書かれています。
 
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公園の奥にある近江八幡市の説明には、『近江八幡のまちは天正13年(1585年)豊臣秀次が、おじ秀吉の命により鶴翼山(八幡山)に城を築いた斉、城下町として開かれた。碁盤目状の町並みは、合戦にそなえたものではなく、琵琶湖の水運と結ぶ八幡掘を利用した経済都市への成長を期待されたことを示している。文禄4年(1595年)秀次の自害の後、城はなくなるものの、町人自治を背景に、商業を中心に発展をとげ、今日へとつづく町並みが形づくられてきた。町家は切妻造桟瓦葺き、平入りの中2階建てが基本で、正面の構えは格子(こうし)、出格子、虫籠窓(むしこまど)、からなり、軒下の壁に貫を見せる形式が特徴となっている。また、道路に面する庭の「見越しの松」が周囲の景観の風格を高めている。この一帯は、近江八幡独自の都市空間を形成し、文化庁から重要伝統的建造物群保存地区の選定を受け、市民の誇りとなっている。平成11年(1999)3月 近江八幡市』
 
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「西川甚五郎邸」(非公開)
 
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『西川産業(ふとんの西川)の祖として知られる西川家は八幡山城築城の時に工務監督を務めた旧家です。初代仁右衛門が19歳で商売を始めた永禄9年(1566年)が創業年で、天正15年(1587年)八幡に蚊帳・畳表などを商う屋号:山形屋を開設しました。元和元年(1615年)には江戸日本橋に出店。初代の4男甚五郎が寛永5年(1628年)に2代目を継ぎ、製造や販売方法に工夫を凝らし西川家の基礎を固めました。3代目の頃から、成績優秀、永年勤続、等の従業員に別家として独立させる仕組みを確立させ、7代目は年2回の決算期に純益の3分の1を従業員に分配する現在のボーナス制度を取り入れ、従業員のやる気を大いに引き出しました。』(出典:近江八幡観光物産協会のhp (続く) 

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