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2019年1月

2019年1月26日 (土)

大阪発の高級食パン店「乃が美」(はなれ たまプラーザ店)

今週火曜日(1月22日)、私が早朝から午後にかけて毎日愛聴しているTBSラジオのトーク番組「ジェーン・スー 生活は踊る」の冒頭、「乃が美」(のがみ)の高級食パンが話題に取り上げられました。パンの専門家10人が贅沢(ぜいたく)食パンを食べ比べた結果、第1位に選ばれたというのです。ラジオというのに番組内で食レポも行われました。バターやマーガリンを多く使うことで柔らかくて美味しい食パンができることと、保存方法などが紹介されました。(注釈: 乃が美は、卵を使わず、乳・最高級カナダ産が100%の小麦・大豆・ハチミツ・砂糖・食塩・ドライイーストを使用) 価格も1斤(きん)当たり432円と高価であることも。(注釈: 通常の食パンは1斤が100円程度)

 

ラジオでも取り上げられるように、今は高級食パンがブームとなっています。その代表といえは「乃が美」といっても過言ではないでしょう。生食(なましょく)ができる食パンとして、今や全国(ほぼすべての都道府県)に112店舗(注釈: 2019年1月24日現在)を展開していますが、商品である食パンの入手が困難であることで知られています。予約が原則で、当日買いは開店する午前11時から午前12時までに限られており、しかも毎日長い行列ができ、買えないことも珍しくないのです。ちなみに、電話予約は、前日の午後5時までに希望数量・受け取り予定日と時間を指定し、もし空きがあれば予約完了です。ただし、2週間先まで埋まっていることが多いようです。

 

「たまプラーザ駅」の南口から西へ約200m
 
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「くら寿司」のすぐ先の閑静な場所、複合施設[フォーラムたまプラーザビル」の奥(1階)に「乃が美」の「はなれ たまプラ lーザ店」(2016年5月にオープン)はあります。ちなみに、この店の定休日は月曜日で、その他の日は午後7時まで営業。実はわが家の同居者は何かイベントがある時、この店を訪れるようにしているそうです。
 
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同居者のアッシー君として訪れたこの日も開店時間の午前11前には数十名の客が、店舗の入口に向かって左側に列を作っていました。右側は店から出た客や「フォーラムたまプラーザビル」のエレベーターホールに出入りする人たちの通路として確保されているようです。
 
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ちなみに、「乃が美」の大きな店舗では、一日に約30回・一回につき36本を焼いて、毎日約1000本の食パンを提供しているそうです。全店舗を合計すると一日当たり約5万本の食パンを販売しているとのこと。
 

午前11時を過ぎると長い人の列がゆっくり動きはじめ、やがて『 高級"生"食パン(オレンジ色の楷書体) 乃が美(草書体)』 と表示された紙袋をいくつも手にした「たまプラ・マダム」が軽い足取りで駅の方向へ向かいはじめました。たとえ長時間並んだとしても、「高級食パン」をいくつも購入できれば、同居者と同様、満足なのでしょう。
 
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後先になりましたが、私が「乃が美」の存在を知ったのは、昨年4月にテレビ東京のWBS、5月にも「カンブリア宮殿」で高級食パンの火付け役と紹介されたことによります。なお、昨年8月にはTBSのテレビ番組「櫻井・有吉THE夜会」で取り上げられたようです。ひょっとすると、それまでに「乃が美」の食パンを知らずに食べていたのかもしれません。

 

同居者は気心の知れた人への軽いプレゼントとして利用しているようです。「乃が美」の紙袋を見ただけで相手が喜んでくれるとして、同居者は「乃が美」の食パンが大のお気に入りのようです。ちなみに、「乃が美」の紙袋(中身なし)は2枚セットが500円でメルカリ(mercari)に掲載されています。貴金属や高級ファッションなどのブランド品の紙袋と同様、袋だけでも価値があるようです。
 
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最後に、「乃が美」の概要を紹介しましょう。2013年に高級食パンを製造・販売する企業として創業しています。本店は大阪市の中心部ともいえる天王寺区上本町に近い上之宮町にあります。操業してわずか5年あまりの間に「パン・オブ・ザ・イヤー2016食パン部門金賞」や「日本の美味しい食パン10本」(2014年)に選ばれる優良企業へと成長しました。ちなみに、社名「乃が美」の「乃」は「すなわち」「まさしく」、「美」は「美しい」あるいは「美味い」を意味するようです。

2019年1月22日 (火)

「サザコーヒー」二子玉川店

私が毎週欠かさず観ているテレビ東京のトーク・ドキュメンタリー番組「カンブリア宮殿」(毎週木曜日午後10時)で1月17日に取り上げられたテーマは「サザコーヒー」。初めて耳にする名前です。いつものように興味を持って観ていると、茨城県ひたちなか市に本店を持つコーヒー会社「サザコーヒー」であることが紹介されました。何と、南米コロンビアでコーヒー豆を栽培する自社農園を2つ所有するユニークな企業です。

 

映画館主の息子として生まれたた現会長の鈴木誉志夫(よしお)氏が「サザコーヒー」の一号店を開店したのはちょうど50年前。地元イベントで配った無料コーヒー、つまり「タダコーヒー戦略」で地元住民の心を掴(つか)み、人気コーヒー・チェーンを茨城県北部などで展開することにつながったた裏話を紹介。そして、息子太郎氏の陣頭指揮によって昨年8月には東京駅丸の内口にあるビル「丸の内キッテ」の1階に出店したことも説明されました。その時、コーヒー好きの同居者が口にした言葉が、『この店へ行きたい!』 でした。そして、3日後の20日(日)、「サザコーヒー」二子玉川店へ出掛けることになりました。

 

午前11時半過ぎに二子玉川ライズのP3駐車場(B3)に車を停め、エレベーターで1階の蔦屋家電の前に出て、二子玉川駅方面へ歩きました。ちなみに、P1駐車場の方が近いのですが、機械式の駐車場ですから敬遠したのです。通路を兼ねた催事広場「ガレリア」で「ポカリスエット」関連のイベントが開催されていました。
 
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東急・田園都市線と大井町線のガード下にある「ステーション・マーケット」に入り、階段を利用して地階にある「東急フードショー」(注釈:写真の左端に小さな看板が見える)に下りました。「タウンフロント」と「リバーフロント」、そして「ドッグウッドプラザ」の下に長く続く巨大な地下施設です。ちなみに、そのコンセプトは「 食のテーマパーク」とのこと。
 
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事前に詳しい場所を確認していなかったため、『二子玉川駅に近い』 という漠然(ばくぜん)とした記憶にしたがって、「新宿高野」など和洋菓子の店舗が並ぶエリアに続く通路を駅方面へ歩きました。「ドッグウッドプラザ」の下に入ると「食紀行」エリアとなり、通路が右に折れると「恵那川上屋」の先にあるエスカレーター脇に「サザコーヒー」(SAZA COFFEE)の店名を発見しました。辺りを見回すと、すぐ先に二子玉川高島屋へ行く地下連絡通路の入口が確認できました。ちなみに、写真の中央部と左側が「サザコーヒー」の売店で、右側はお茶専門店の「ルピシア」(LUPICIA)です。
 
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その中央には巨大な「サイフォン式コーヒーメーカー」と思われるものが置かれていて目立ちます。
 
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カウンターには2席並ぶ空席がないため、売店の商品を眺めることにしました。売店には様々な商品が並んでいますが、先ず「徳川将軍珈琲」と「二子玉川ブレンド」を組み合わせた「カップオンコーヒー2種セット」(1820円)、
 
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次いでパナマ・エチオピア・コロンビア産の「ゲイシャ」を組み合わせた「世界3大ゲイシャ サザ カップオンセット」(1201円)」、
 
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そして、「将軍カステラ」(1501円)と「ミルクチョコレート かすてら」(1201円)、

 
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さらには、「二子玉川ブレンド100g」(851円)、
 
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カフェとしては意外なことに、他のフード・ショップと同様、オープン・スペースに売店とL字形のカウンター席(8席)があるだけなのです。
 
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コーヒーだけではなく「いちごミルクシェイク」(600円)があるようです。
 
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カウンターの奥にはコーヒー・グラインダー(ditting社製)、ドリップ式コーヒーメーカーおよび業務用電気式エスプレッソマシン(注釈: 極細挽きにしたエスプレッソ豆と圧力を掛けた沸騰水を利用して短時間で抽出)と思われるものも見えます。

ditting社はスイスにあるコーヒー・グラインダー(電動式・おもに業務用・エスプレッソに対応可)とコーヒー・ミル(手動式または電動式・主に家庭用)の専業メーカー

 

ちなみに、「サザコーヒー」の「サザ」は創立者が茶道表千家の且座(さざ)式に傾倒して選んだそうです。禅宗の臨済宗(りんざいしゅう)では「且座喫茶(しゃざきっさ)」、すなわち「ちょっと座ってお茶を一服どうぞ」を意味するようです。ちなみに、「且(かつ)」は、音読みが「シャ」または「ショ」で、ふたつのことを同時に行うことを指しますが、裏千家でも「しゃざ」と読むそうです。

 

昼時とあって10席あるカウンターはいつまで経ってもほぼ満席のままですから、スタッフに名前を告げて、エスカレーター脇のベンチで待つことに。

 

わずか5分ほどで呼ばれた私と同行者は右端の2席に案内されました。手荷物用バスケットを一つ借りて、防寒着などをすべて収納。カウンターの上には小さなバスケットに入れられたクッキーやカステラ類が置かれています。コーヒーと一緒にオーダーできる菓子類のようです。
 
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手渡されたメニューを見た私は本日のコーヒー「エチオピア」(450円)を、同行者は定番の「サザスペシャルブレンド」(500円)ではなく、パナマで発見された高級豆「ゲイシャ品種」(注釈: コロンビアの自社農園で栽培したもの)を使った「ゲイシャブレンド」(550円)を注文しました。ちなみに、「ゲイシャ」は芸者ではなく、原産地とされるエチオピアの「ゲイシャ村」に由来するそうです。

 

先払いのシステムですから先に会計をしていると、我々の後方にある「サンクゼール」(St.Cousair)側の通路で2組の客がスタッフに名前を告げていました。

 

10分ほど待つと、まず「ゲイシャブレンド」が同行者の前に。ちなみに、茨城県の「笠間焼」であることが番組内で紹介されています。
 
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さらに数分後、「本日のコーヒー」が私の手元に。これも「笠間焼」でしょう。
 
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コーヒーには味音痴(おんち)の私ですが、前者がまろやかであるのに対して、後者は苦味が際立っていることが分かりましたす。

 

そこで、砂糖(スティックシュガー)と小型のカップ(ミルクポーション)に入ったコーヒーミルク(別名:コーヒーフレッシュ)を加えてみると、私にピッタリの味に変わりました。
 
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ここでプチ蘊蓄(うんちく)を。コーヒーミルクは見た目から牛乳を加工したものと思われがちですが、実際は牛乳ではなく、植物性油脂(サラダ油)に水を加え、両者を混ぜ合わせるための乳化剤で白濁させ、増粘多糖類で牛乳らしい「とろみ」をつけたもの、つまり主成分は食用油なのです。香料とカラメル色素は真っ白で香りが少ないコーヒーミルクをわずかに着色し、かつ匂いを付けて牛乳らしい色に仕上げて、賞味期限を長くする防腐剤(PH調整剤)を加えればコーヒーミルクの完成です。ちなみに、高級品では乳脂肪分を多く含むものがあるようです。私のようにコーヒーミルクを入れてコーヒーを毎日何杯も飲む方は、コーヒーミルクの使い過ぎに注意してください。身体に悪いトランス脂肪酸が含まれているからなのです。

 

コーヒーに満足して席を立つ頃には、背後で待つ客が10人近くに増えていました。昼食後のコーヒーを「サザコーヒー」でと考えた人たちかもしれません。

 

待ち時間の間に品定めをした土産物として、同行者は「カップオン(カフェインフリー)」(1112円)と「サザクッキー(キャラメル)」(463円)を選びました。ちなみに、カップオンコーヒーは、コーヒーメーカーを持っていなくても、コーヒーカップとお湯だけがあれば高級コーヒーを味わうことができる優れものなのです。注釈: 使い方は上に掲載した「カップオンコーヒー2種セット」の写真を参照
 
私は迷わず「将軍カステラ(ポルトガルのマデラワイン入)」(1389円)に決めました。私が子供だったころ(50年以上前)には高価かつ貴重品であった「カステラ」に私は今でも目がないのです。中学生のころに自作したラジオから流れてきた「文明堂のCMソング」(参考:テレビCM)が今でも耳の底に残っているのです。半世紀以上前のことを回想している私の横で、同行者は、『コーヒー豆は今度来た時にしよう!』 と独(ひと)り言を呟(つぶや)いています!
 
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エスカレーターで「ドッグウッドプラザ」(地上8階建)の1階へ上がると、そこに「スターバックスコーヒー(二子玉川ライズ ドッグウッドプラザ店)を見つけました。建物から「「ハナミズキ広場」に出て「ガレリア」を抜け、バスロータリー脇を通過したところで、通路の壁に「二子玉川の歴史」が表示されていることに気づきました。
 
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二子玉川ライズでの滞在時間は丁度1時間半、そして「サザコーヒー」での購入金額が計4200円でしたから、1時間分の駐車割引が受けられて、差額300円の支払いで済みました。
 
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(終) 

2019年1月18日 (金)

和食レストラン「木曽路」で「すき焼き定食」を食べる

昨年5月、ピロリ菌を除菌したことで、幸いにもこの数年間悩まされていた慢性胃炎の不快な症状から快復し、食欲も回復傾向にあります。除菌する前に木曽路を訪れた時には、いつも食べやすい「トロ握り寿司(6貫)(2484円)ばかりを注文していましたが、昨年の10月下旬、「しゃぶしゃぶ」に挑戦して何とか完食することができたことで、食べることに少し自信がついたようです。
 
今回は冬になると木曽路でよく食べた、「牛ロース肉すきやき定食」(1620円)を、お造りと天ぷらなどが好きな同行者は季節限定(1/-/28)のお昼御膳「木曽」(1620円)を選びました。
 
前者はロース肉、玉子、御飯、味噌椀、香の物(大根の浅漬け/べったら漬け・黄唐辛子の漬物)が含まれる定食で、
 
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後者は、お造り(サラダ添え)、煮物(肉詰め・ナス・インゲン)、盛込み(里芋の田楽・水菜に酢味噌・玉子焼)、揚物(エビ・野菜)、茶碗蒸し、御飯、汁物、香の物、デザートが含まれる「季節の昼御膳」で、,様々な素材を使った料理を組み合わせた女性好みのメニューです。
 注、今回の写真はiPhone SEで撮影
 
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 「蒸し寿司」は丼(どんぶり)などの容器に入れた寿司飯に魚介類・昆布・きのこ・桜でんぶ・錦糸卵などをトッピングした「ちらし寿司」を蒸し上げた関西の料理で、ふかふかでまろやかな寿司飯に特徴があります。写真で分かるように、「木曽路」の「蒸し寿司」は蟹肉の剥(む)き身・錦糸卵・ブロッコリーだけを温めた酢飯にトッピングしシンプルなものです。
 
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木曽路の「牛すきやき(ロース)」はやや大きめの牛肉(ロース)と野菜(斜め切りした白い長ネギ・櫛切りした玉ねぎ・根本を切り落とした春菊)・しらたき・ひと口大の焼き豆腐を甘辛(あまから)い割り下で煮る関東風の「すきやき」(牛鍋)ですが、厚みのある「きし麺」が、最初から煮込まれていることに特徴があります。
 
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味噌汁で箸(はし)を濡(ぬ)らしてから、溶(と)き玉子にロース肉を潜(くぐ)らせて口に入れました。柔らかでまろやかな味が口の中に広がりました。次いで、しらたき、ネギ、春菊、玉ネギ、豆腐を口に入れると、木曽路の「すきやき」の味が2年ぶりに蘇(よみがえ)りました。
 
同行者にロース肉と好物のネギをお裾分(すそわ)けすると、そのお返しは「蒸し寿司」を半分以上!  メニューを見て「蒸し寿司」に興味を持った私が店員さんに向かって、『「蒸し寿司」を分けてもらいますから!』 といって、「すき焼き定食」のご飯を辞退したからでしょう。ちなみに、4つ上の写真には取分け用として空のお茶碗が写っています。
 
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最後に配膳されたのはお昼御膳「木曽」のデザート。今回は「わらび餅」でした。同行者は『柔らかい!』 といいながら、美味しそうに食べています。お腹がいっぱいになった私は同行者からのシェア申し出は丁重に辞退しました。
 
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前回の「しゃぶしゃぶ」に続いて、「牛すきやき」をほぼ食べきることができたことで、私の胃は八分方快復したようです。次回は「うなぎの櫃(ひつまぶし)」に挑戦したいと思いながら、木曽路の店を後にしました。
   

最後は「すき焼き」についての長めの蘊蓄(うんちく)です。「すき焼き」は江戸時代の農民が、仕事中に腹が減ると、農具の「鋤(すき)」の金属の部分を使って豆腐や魚を焼いて食べた「鋤焼(すきやき)がその語源と言われます。ちなみに、日本人が牛肉を食べるようになったのは明治時代に入ってからですから、もともとは牛肉と関係のない言葉です。この説の他にも、薄く切った肉である「剥身(すきみ)」から「剥焼(すきやき)」となったとする説もあるようです。

 

また、「豚すき」「鶏すき」「魚(うお)すき」「蟹すき」「うどんすき」など、牛肉以外の材料を使用したものについても「すきやき」と呼ぶことがあるため、「牛すき焼き」または「牛肉のすき焼き」と表現されることがあります。ただし、関西では、肉といえば牛肉を指しますから、「すき焼き」にわざわざ「牛肉」を付けることはないそうです。また、関東でいう「肉まん」(中華まんの一種)を関西では「豚まん」と呼びます。ついでに、関東と関西における「すき焼き」の違いにも触れます。

 

関西では底が平らなすき焼き鍋を熱して、牛脂(牛肉の脂身)を溶かしながら万遍(まんべん)なく塗り、薄切りの牛肉を広げて並べて適度に焼き、牛肉の上に砂糖を振りかけ、焼き色が付いたら一度ひっくり返します。牛肉を脇に移して白ネギを入れて焼き、次いで醤油と酒または味醂(みりん)などの調味料で味を付けます。肉を味わいたい人はここで食べてもいいでしょう。次いで、水分の多い白菜(必須)を入れ、さらに他の具材を加えて煮る。そして、それらに火が通ったところで、砂糖・醤油・水で味を調えれば完成です。

 

一方、関東は明治時代に生まれた「牛鍋」の流れを汲んでいます。関西と同様なすき焼き鍋に醤油・砂糖・酒または味醂(みりん)・だし汁を合わせた「割り下」を入れて煮たたせます。そこへ薄切り牛肉を広げて入れ、さらに白ネギ・焼き豆腐・茹(ゆ)でたしたらき・春菊などの具材を火の通り難(にく)いものから加えて行きます。つまり、「すき焼き」というよりも割り下を使った「牛鍋」あるいは「すき煮」と呼ぶのがふさわしい調理方法なのです。

 

また、関西風と関東風のいずれの場合でも、春菊・豆腐・しらたきなど牛肉を固くする性質があるといわれる具材は、牛肉から離して並べるか、牛肉を食べた後に煮ると良いようです。

2019年1月14日 (月)

映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観る(後編)

1月10日の午後3時ころ、前回と同じ二子玉川ライズの第3駐車場に車を停めて、エレベーターで3階に上がり、109シネマズ二子玉川に入りました。
 
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さっそく、ロビーの左手にあるチェックイン端末で予約しておいたチケットを受け取りました。
 
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そして、シネマショップでプレミアム・ポップコーンのキャラメル&チーズ・ミックス(700円)と飲み物を購入。私はジンジャエール(300円)を選びました。ついでに、チケットと駐車券を会計カウンターに提出して駐車料金を3時間無料の扱いにしてもらいました。
 
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待つこと15分ほど、上映開始時間の15分前になると開場の案内があり、IMAX専用の7番ホール(注釈:2Kディジタル・プロジェクターを使用するディジタルシアター)へ向かいました。
 
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IMAXについては「アバタ―」を観た109シネマズ川崎の記事で説明していますから、興味がある方はそちらを参照してください。ちなみに、7番ホールのIMAXのスクリーンは、現在の日本に存在しないフィルムを使う本格的なIMAX(アナログ)と最新のIMAX(4Kデジタル)よりも縦方向に短いのですが、通常の映画(2Kまたは4Kデジタル)より縦方向に少し長いことで迫力があります。ちなみに、日本で最高のクオリティを持つIMAXは109シネマズ大阪の4Kデジタル・レーザーIMAX、次いで109シネマズ川崎と109シネマズ名古屋の4Kデジタル・レーザーIMAXのようです。

 

座席は横方向の通路があることで足元が広いF列のほぼ中央付近を予約時に選んでいます。スクリーンが見やすいのはグランド・エグゼクティブ・シート付近の座席ですが、このシート位置選択は私の個人的な好みによるものです。
 
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巨大なスクリーンに近くて映像の迫力が感じられる位置です。
 
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ほとんどの客席が観客で埋まり、定刻(午後3時40分)になると、CMと予告編(トレイラー映像)が各数本流れました。そして、10数分後に本編の上映が始まるころには12chネクスト・ジェネレーション・サウンドシステムの大音響にも慣れ始めていました。ちなみに、高さ方向を加えたドルビー・アトモスが昨年から日本の一部シアターで導入されているそうです。

 

本編の冒頭は舞台裏から「ライブ・エイド」(後述)のメイン・ステージへ向かう白いタンクトップと同じく白いパンツ姿ですっきりした髪型(黒い短髪)のフレディ・マーキュリーの背中をカメラが追い、そしてステージに立った彼とそれを歓迎する大観衆をジェットコースターに載せられたようにスピーディに移動するカメラで撮像したことで、IMAXスクリーンを観る観客の度肝(どぎも)を抜き、かつ強烈な「掴(つか)み」となりました。そして、ここに登場したフレディ・マーキュリーの顔と仕草(しぐさ)が完璧なまでに本物そっくりなのです。

 

突然、画面が一転すると、時間が一気に15年以上戻りました。インド生まれのフレディ・マーキュリー(当時の名前はファルーク・バルサラ)がロンドンのヒースロー空港で荷物を運ぶ仕事をしているシーンに始まり、「ライブ・エイド」に出演するまでの彼の半生が描かれました。若いころのフレディ・マーキュリーの顔が冒頭に現れた彼のそれと違って見えたのは、若いころの彼が長髪であったことだけではなく、時間の経過を彼の顔で表現する意図が制作者にあることが、ストーリーが進行するとともに、分かりました。しかし、彼の最大の特徴である異常に飛び出でた前歯は生涯変わりません。

 

フレディ・マーキュリーの半生と並行する形で、「クイーン」についても、1971年のグループ結成、ライブ会場での演奏、虎の子の(バンド・メンバーの移動に不可欠な)車を売った金でアルバムを自費制作、1973年にマイナー・デビュー、ラジオ番組への出演、そしてテレビ番組への出演、さらには英国内で始めたコンサート・ツアーが好評を得ると1974年にアメリカのツアーに進出し、ついには全世界へと活動の場を広げて行くのです。(注釈:1975年に初来日) ヒット曲が各活動の中に上手く盛り込まれてテンポ良く展開するため、観客は少ない言葉(説明)だけで「クイーン」がメジャーにステップアップするプロセスを容易に理解できるのです。

 

興味深かったのは曲作りのシーンです。メンバー間の自然な会話が「クイーン」の手作り感に溢(あふ)れる曲作りの手法(その1その2)を上手く描写します。それにより、既成概念にとらわれず、次々と新しい曲想が生み出されるのです。その代表となる曲が映画のタイトルになった「ボヘミアン・ラプソディ」でしょう。先に説明しましたように、「ボヘミアン」は何ものにも束縛(そくばく)されないことを表し、「ラプソディ」(狂詩曲)は音楽様式に囚(とら)われず自由に構成された曲なのです。つまり、フレディ・マーキュリー自身のユニークな感性に基づく叫びといえるでしょう。

 

しかし、大手レコード会社のCBSからフレディ・マーキュリー(個人)へのオファーがあったことで他の3人との関係が悪化しました。彼らが強く反対したにも関わらず、フレディ・マーキュリーは独断でCBSレコードと契約を結んでしまったため、他のメンバーとの関係は破局してしまいます。そして、フレディ・マーキュリーは新しい環境で曲作りに没頭(ぼっとう)しますが、精神的・肉体的に追い込まれて行きました。
 
そんな彼の元に訪れたのは、彼がゲイであることが原因となって何年も前に同棲を解消した元のガールフレンド、メアリー・オースティンです。降りしきる雨に打たれながらフレディ・マーキュリーが聞いたメアリーの優しく、かつ厳しい助言によって、フレディ・マーキュリーは何が大事なのか、誰が真(家族同然)の友人なのかを思い出したのです。

 

他のメンバーに自らの非を心から詫(わ)びたフレディ・マーキュリーを他のメンバーたちはある条件で受け入れました。それは、『誰が作った曲であっても、著作権は「クイーン」に属し、その印税は4人で均等に分ける』 というものです。

 

和解した「クイーン」のメンバー4人はビッグ・チャリティ・イベントの「ライブ・エイド」(『1億人の飢餓を救う』をスローガンとするアフリカなどの貧しい子供たちを助ける活動)に参加することを決めます。「クイーン」を結成して約15年の節目です。英国(ウェンブリー・スタジアム、収容能力8万2千人)とアメリカ(フィラデルフィアのJFKスタジアム、収容能力10万2千人)で同時に12時間にわたって開催(前半がイギリス会場、後半がアメリカ会場)され、超一流の音楽家およびグループ(計40数組)が一堂に会して、20分ずつ演奏します。また、その映像は世界の約150か国に生中継あるいは録画放送されるのです。

 

出演の申し込みはすでに締め切られていましたが、特別の計らいで「クイーン」の出演が決まりました。当日(1985年7月13日)には懐かしい顔が何人もフレディ・マーキュリーに会いに来てくれ、雰囲気はエンディングへ向かって一気に盛り上がりました。

 

最後の約20分は、「ライブ・エイド」の巨大な会場で、「クイーン」のヒット曲(全6曲、一部の曲はショート・バージョンの演奏)を本物とそっくりの顔になったフレディ・マーキュリーの熱唱(注釈:リンクを張ったビデオは本物)で盛り上がった観衆と「クイーン」は一体になりました。演奏順に紹介すると、 フレディ・マーキュリーがピアノで弾くイントロが印象的な「ボヘミアン・ラプソディ(前半部のみ)」、ラジオへの思いを歌う”Radio Ga Ga”(レディオ・ガ・ガ、注釈: ”Ga Ga”は夢中になることを意味する、レディ・ガガの芸名に影響)、 「Day-O(即興曲)」 核戦争のことを歌う “Hammer to Fall”、エルヴィス・プレスリーを意識してフレディが作った“Crazy Little Thing Called Love”(愛という名の欲望)、“We will rock you”(一番とコーラスのみ)、そして最後に”We re he Champions。その曲を歌い終わったフレディ・マーキュリーは、「クイーン」のメンバー3人の方を振り返って、その一人ひとりとアイコンタクトをしたあと、観客の大歓声が続く中、メンバーの先頭に立って舞台の袖(そで)へ向かうところでエンディングとなりました。
 
このシーンは、この映画が撮影される時には「ライブ・エイド」に使われたスタジアムがすでに取り壊されていたため、巨大かつ本物とそっくりなスタジアムを精巧なセットとして再現し、それを使って実際の「ライブ・エイド」の場面を厳密に再現したのだそうです。また、"Day-o"はアメリカ・ニューヨーク市出身の黒人歌手、ハリー・ベラフォンテが歌って1956年にヒットした「バナナ・ボート」で使われた掛け声(西アフリカの言葉が語源)です。

 

「ライブ・エイド」の後におけるフレディ・マーキュリーと「クイーン」については英語の字幕(日本語訳付)で簡単に紹介するだけに留めたことで、「ライブ・エイド」のシーンで最大限に盛り上がった高揚感が余韻(よいん)、つまり耳に長く残る響きとなりました。繰り返しになりますが、主演のラミ・マレックがフレディ・マーキュリーのしゃべり方・身のこなし方・仕草(しぐさ)のすべてにおいて、専門家の指導を得て似せるだけではなく、本人になりきって演じたことを始め、他の3人を演じる俳優がいずれも本人たちにそっくりであり、楽器の扱いがプロ並みであることから、「クイーン」の演奏シーンはまったく違和感がありません。細部では史実と異なる点(時間軸・出生地など)があるようですが、15年を越える時間に起きた出来事を2時間余りの映画に収めるためには止むを得ないことで、この映画の評価にはまったく影響しないと思います。

 

なお、エンドロールでは画面の左半分を使って本物の「クイーン」による演奏シーンが流されましたが、画像が荒いこともあり、最終シーンで映し出された「クイーン」のメンバーとの違いをほとんど見出せなかったことは大きな驚きです。

 

上映が終わってホール内が明るくなると、観客たちは静かに席を立ち、そのほとんどが無言のまま7番ホールの出口へ向かいました。IMAXの大型画面に映し出されたダイナミックな映像と迫力がある12.1chドルビーサラウンドに包まれて「クイーン」の素晴らしい曲を約2時間で20曲以上も聴いていると、観客はロックコンサート会場にいるように感じ、心地良い酔い(あるいは神経が麻痺)がその身体に生じたようです。フレディ・マーキュリーが映画の中で歌った「ラブ・オブ・マイ・ライフ」(1976年、作詞作曲/フレディ・マーキュリー)は最愛の女性メアリー・オースティンへの切ない想いとゲイであることによる心の葛藤、および彼の生き様が否応なしに伝わりました。そして、特徴あるボーカル&ギターを最大限に生かす優れた曲を次々に発表するロックバンド「クイーン・サウンド」の抗しがたい魅力、そして制作者および出演者の熱い思いが観客にダイレクトに伝わる優れた映画でした。
 

余談になりますが、フレディ・マーキュリーの自室におけるシーンでは、日本好きだったと言われる彼の趣味を表すものが室内にさり気なく飾ってありました。浮世絵・着物・赤い提灯などです。また、”YouTube”で映画の撮影シーンと関係者へのインタビュー・ビデオも見つけました。その理由として、古いものと新しいものが混在する日本文化および日本人のメンタリティが彼のものに近いからではないかと推測されています。また、主役のラミ・マレック(アメリカの俳優)を除くと、主要な配役にイギリスとアイルランドの俳優・女優が選ばれたことで、ブリティッシュ・イングリッシュをたっぷり聞くことが出来て、字幕で台詞(せりふ)を確認しながら英国の雰囲気に溢(あふ)れる映画を楽しむことができました。もちろん、イギリスの美しい田園風景も。

 

3階にある109シネマズ二子玉川を出て、エレベーターでMB階の駐車場へ向かいました。109シネマズ二子玉川で映画を鑑賞すると、二子玉川ライズの駐車場は3時間まで無料であることは承知していますが、2時間15分と長い映画である上に、予告編などを含めると109シネマズ二子玉川での滞在時間は3時間を10分ほど超過しましたが、幸運にも無料で済みました。私は映画の余韻で至福の気分にひたりながら、すっかり暗くなった道路を自宅まで走りました。この映画に大きな興味を持っていた同行者はそれ以上に満足したようです。
 
<参考情報> 日本における洋画の観客動員数(2019年1月6日現在): 612.3万人、同じく興行収入: 84.6億円(2018年公開洋画第1位) 注釈:第2位「ジュラシック・パーク 炎の天国」、第3位「スター・ウォーズ 最後のジェダイ」


<2019.1.25付追伸> 映画「ボヘミアン・ラプソディ」の日本での観客動員数が22日までに720万人を超えて興業収入は100億円を突破し、アメリカの「2019アカデミー賞」で作品賞や主演男優賞など5つの賞にノミネートされた(出典:NHK NEWS WEB)
 
<2019.2.2付追伸> 同居者はクイーンがいたく気に入ったようで、「ボヘミアン・ラプソディ」(歌詞カード付オリジナル・サウンドトラック)のCDが欲しいといいます。さっそく、和訳が付いている日本版(2700円)をアマゾンで購入しました。

 
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<2019.2.25付追伸> WOWOWで生中継された「91回アカデミー賞(2019)」の授賞式で5部門にノミネートされていた映画「ボヘミアン・ラプソディ」が4部門で受賞する快挙を挙げました。3部門で受賞したメキシコ人監督の体験に基づくモノクロ作品「ローマ」(NetFlix製作)と天才黒人ピアニストとイタリア系アメリカ人の用心棒の関係性を扱った「グリーンブック」、スーパーヒーロー映画「ブラックパンサー」を凌(しの)いで最多受賞となりました。発表された順に部門を列挙すると「音響編集賞」「録音賞」「編集賞」「主演男優賞 ラミ・マレック」です。注釈:「ローマ」はメキシコシティの地区名、「グリーンブック」とは黒人でも利用できる施設のガイド本、「ブラックパンサー」は隕石(いんせき)の影響で超人的な力を備えた主人公の新しい名前
 
そして、司会者が不在となった今回は音楽のパフォーマンスがところどころに織り込まれましたが、冒頭は本物の「クイーン」による生演奏。リードボーカルはこの数年クイーンとジョイントで海外ツアー活動をしている歌手兼舞台俳優のアダム・ランバート(Adam Lambert)が担当し、フレディ・マーキュリーと似たテイストで"We will rock you"と"We are the Champions"を熱唱して会場を盛り上げました。ちなみに、そのグループ名は"Queen+Adam Lambert"。また、放送の中で日本における「ボヘミアン・ラプソディ」の興行収入が117億円に達したことが字幕で伝えられました。世界興行収入比では20%近いシェアがあり、日本におけるクイーン人気がいかに高いかを示しているそうです。
 
「主演男優賞」を受賞したラミ・マレック(Rami Malek)は『母が好きです』 の言葉でスピーチを始め、次いで家族や仕事仲間に感謝し、自分をアカデミーへ連れてきてくれたFOX社、クイーンなどの音楽関係者、自分を信じてくれた人たち、アカデミー会員にも。『自分は最有力候補ではなかったかもしれないが上手くいったと思う。』 と自負。そして、自身がエジプト人移民の息子であることを明かして、主演した作品と出自が似ているフレディ・マーキュリーへの思いを披露(ひろう)。最後には共演した女優ルーシー・ボーイントンへ温かい言葉を送り、それを結言としました。誠意ある感動的なスピーチでした。

2019年1月13日 (日)

映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観る(前編)

昨年末、大阪へ帰る家族と離れて、わが家に1人で居残ったコチビちゃんと一緒に出かけた二子玉川ライズにある109シネマズ二子玉川で上映中の映画を確認したことがありました。その時には歌手のレディ・ガガが主演する話題の映画「アリー スター誕生(原題: A Star is Born」に関心がありましたが、後日、同居者が 『この映画が見たい』 とテレビの画面を指差しました。何と、それは11月9日から日本で上映されている「ボヘミアン・ラプソディ(Bohemian Rhapsody)」です。予告編はこちら(その1その2)。

 

英国発の世界的人気ロックバンド「クイーン(Queen)」のボーカルで、1991年に45歳の若さでこの世を去ったフレディ・マーキュリー(Freddie Mercury)の後半生を描いたドラマで、今や伝説のグループとなった「クイーン」の演奏シーン(再現)をたっぷり見られる話題の映画なのです。ちなみに、制作したのはアメリカの20世紀フォックス社。

 

映画の紹介記事には、『劇中の楽曲には主にフレディ自身の歌声を使用。「ボヘミアン・ラプソディ」「ウィ・ウィル・ロック・ユー」といった名曲誕生の瞬間や、20世紀最大のチャリティコンサート「ライブ・エイド」での圧巻のパフォーマンスといった音楽史に残る伝説の数々を再現するとともに、華やかな活躍の裏にあった知られざるストーリーを描き出していく。「ナイト ミュージアム」のラミ・マレックがフレディを熱演し、フレディの恋人メアリー・オースティンを「シング・ストリート 未来へのうた」のルーシー・ボーイントンが演じる。監督は「X-MEN」シリーズのブライアン・シンガー。』 とあります。
 
ちなみに、音楽プロデューサーを「クイーン」の現役メンバーであるブライアン・メイとロジャー・テイラーが担当したこの映画は、1月6日にラスベガスで開催されたゴールデン・グローブ賞で、ドラマ部門の作品賞と男優賞を受賞しています。上映時間は135分。映倫区分はG(注釈: General Audienceの略)であり、誰でも観ることができる映画です。

 

ネット検索で確認すると、109シネマズ二子玉川では1月10日まで上映されることが分かりました。早速、都合の良い1月10日午後のIMAX版の席を2人分予約しました。10日はサービスデイのため、料金が1500円/人に割引されます。しかし、平日のシルバー料金と同額ですから、残念ながら我々はサービスデイの恩恵は受けられません。

 

余り詳しくない私は、当日までにロックバンド「クイーン」について調べることにしました。「クイーン」はロンドン出身の4人組の男性グループとして1971年に結成されました。ボーカル兼ソングライターのフレディ・マーキュリー、ギターのブライアン・メイ、ベースのジョン・ディーコン、ドラムスのロジャー・テイラーです。

 

1973年にデビューし、多数のアルバムを発表するとともに、イギリスだけではなく、世界中でコンサートを開いて成功させました。アルバムとシングル盤を合計すると2億枚以上を売り上げたと言われます。1970年代(後半)と1980年代(前半)がクイーンの全盛期です。ちなみに、グループ名の「クイーン」はフレディ・マーキュリーの発案であり、『目立つ名前である』 あるいは『イギリス元首の女王を指す』 などの理由を本人が述べているようですが、本当の理由は定かではありません。

 

日本では、ギターのブライアン・メイが作詞・作曲を担当して1977年にリリースされた”We will Rock Youが最も知られています。その理由は、日本サッカーの応援歌、格闘技選手やプロレスラーの入場曲、アメリカMBL(メジャー・リーグ)ではバッターが打席に入る時にイントロが流され、東芝・日産・ソフトバンク・ペプシコーラ・キリンビバレッジなど多数のCMに使われたことで、否応なく日本人の耳に響き続けたからなのです。

 

プチ薀蓄です。英語の”Rock”は名詞では岩を意味しますが、動詞では「心を揺さぶる」となります。1950年頃にアメリカで生まれた音楽のジャンルであるロックン・ロール(Rock'n'Roll)のRockと同じです。そして、”Roll”は「船が横揺れする」あるいは「身体を揺らしながら歩く」を意味し、'n'andの省略形。ちなみに、エルビス・プレスリーやチャック・ベリーなどがロックン・ロール歌手として知られます。このロックン・ロール(注釈:ロカビリーとも呼ばれた)は英国に渡って大きく変化し(進化を遂げ)、現在は単にロックと呼ばれるようになりました。ビートルズとローリング・ストーンズがその代表といえるでしょう。

 

閑話休題。映画のタイトルとなった「ボヘミアン・ラプソディ」も1975年にリリースされた「クイーン」のヒット曲で、こちらはフレディ・マーキュリーが作詞・作曲を担当。世界中で大ヒットして「クイーン」の代表曲となりました。ちなみに、英国では最大のヒット曲と言われているようです。そして、2018年には20世紀に発表された楽曲の中で、全世界で最もストリーミング再生された楽曲としてグラミー殿堂賞を受賞しました。

 

また、”I Was Born To Love You”(1985年)と”We Are The Champions(1977年、伝説のチャンピオン)」などメッセージ性に溢(あふ)れる曲もテレビやラジオから流れることが多く、日本でも良く知られる曲と言えます。

 

1991年にリードボーカルのフレディ・マーキュリーがエイズで死去した後は、他のメンバーたちが「クイーン」の名前で様々な形で活動を続けているようです。

 

主人公であるフレディ・マーキュリーについても調べてみました。彼はペルシャ貴族の末裔(まつえい)として英国の保護国であったタンザニアのザンジバル島で生まれ、英国に移住した後、英国風の名前に変名した経歴があります。自分の生い立ち・容姿・学歴によるコンプレックスが背景となり、「ボヘミアン・ラプソディ」(1975年)の屈折した詞を綴(つづ)ったと考えられます。即興的な楽想の自由形式(注釈:この曲ではアカペラ/バラード/オペラ/ハードロックで構成)である狂詩曲(ラプソディ)形式を採用した楽曲の作曲も自ら手掛けています。ちなみに、クラシック音楽の分野ではリスト/ブラームス/ドボルジャーク/ドビュッシー/ラフマニノフ/ラベル/バルトークなどがこの形式の曲(狂詩曲)を作曲しています。「ボヘミアン・ラプソディ」は詩と曲とも日本人には難解であり、それほどヒットしませんでしたが、母国の英国では最大のヒット曲になりました。

 

余談になりますが、「ラプソディ」と言えば、私はアメリカの作曲家「ジョージ・ガーシュイン」が作曲した「ラプソディ・イン・ブルー」(1924年)を連想します。直訳すると「青色のラプソディ」、意訳すると「ジャズの語法によるラプソディ」という意味のようです。曲の冒頭はクラリネットによるグリッサンド奏法(注釈: 一音一音を区切ることなく流れるように音高を上げ下げする演奏技法、この曲では上昇のみ)で始まる印象的なものです。また、日本の曲では1936年(昭和11年)に藤山一郎さんが歌ってヒットしたモダンな曲「東京ラプソディ」(作詞:門田ゆたか、作曲:古賀政男)があります。

 

曲名の前半にある「ボヘミアン」はチェコ西部、ヴルタヴァ川流域の盆地エリア(首都プラハ古都チェスキー・クルムロフなど)あるいはジプシー(ロマとも呼ばれる)のことを意味しますが、この場合は後者、つまり社会の規範にとらわれず、自由で放浪的な生活をする人々を象徴的に表現しているようです。(続く)

2019年1月12日 (土)

<急告> マイクロソフト・オフィスの“Excel 2010”が突然動作しなくなった!

わが家の”Windows”パソコンに入っている”Microsoft Office Home and Business 2010”のうち、”Excel 2010”が使えなくなりました。確定申告の準備を始めようとしたタイミングです。Excelファイルをクリックすると、『動作が停止しました。プログラムを終了します。』 と表示されるとともに"Excel"が停止して、ファイルが開けないのです。ファイルに不具合が生じたのかと、他のExcelファイルで試しても同様に開けません。
 
大事なデータをExcelファイルとして多数保存していますから、これが利用できないことは私にとって大問題です。ちなみに、新規のExcelファイルを作ることだけはできます。

 

Microsoft Office”に含まれている“Word 2010””Outlook””Power Point”はすべて正常に動作しますから、”Excel 2010”だけに不具合が生じたようです。パソコンに添付されていた”Microsoft Office Home and Business 2010”(DVD)を使って再インストールすることを考えて、その方法を取扱い説明書で確認しました。

 

しかし、事態をさらに悪くする危険性が考えられるため、もう少し調べてから実行することにしました。まず、マイクロソフトのサイトをチェックしましたが、「セーフモードで確認する」「セキュリティ・ソフトを確認する」「最新版の更新プログラムをインストールする」などの方法を一般的に説明しているだけで、埒(らち)が開きません。さらにネット検索していると、このトラブルに関係すると思われる記事が見つかりました。“Excel 2010”が正常に動作しないとのレポートです。”Windows OS”の現用されるすべてのバージョン(Windows 7以降)で発生する不具合でした。

 

その記事によれば、わが家では6日前の2019年1月6日の午前3時16分に自動的に更新された「Microsoft Excel 2010 (KB4461627) 32 ビット版の更新プログラム」に問題があることが分かりました。マイクロソフトは更新プログラムの但し書きに、『この更新プログラムを反映することにより、安定性とパフォーマンスが向上します。』 と説明していましたが・・。ちなみに、現在はこの更新プログラムの配信は停止されています。

 

状況説明が長くなりました。“Windows OS”のバージョンによって手順は少し異なりますが、とにかく更新プログラムの”KB4461627”をアンインストール(削除)すればよいのです。

 

Window 10”の場合には、「スタート」アイコンを選択(クリック)して、「インストールされた更新プログラムを表示」させ、その一覧表にある更新プログラムの”KB4461627”を選んで、アンインストールを選択すれば、数分後には削除されます。

 

”Window 8”と“Windows 8.1”は「スタート」アイコンがありませんから、画面の右端からスワイプして「検索」を選択し、マウスを使って、画面の下隅をポイントして、「検索」をクリック。”Window Update”と入力して、「インストールされた更新プログラム」を選択します。「更新プログラムの一覧」で更新プログラムの”KB4461627”を選んだ上、「アンインストール」を選択すれば数分後には削除されます

 

“Windows 7””Windows 10”と同様、「スタート」アイコンをクリックして、“Run”と入力し、さらに“Appwiz.cpl”と入力して表示された、“Appwiz.cpl”(ファイル)を選んで「インストールされた更新プログラム」を表示させ、その一覧表にある更新プログラムの”KB4461627”を選んで、アンインストールを選択すれば数分後に削除されます。
 
早速、上記の手順で更新プログラムの”KB4461627”を削除すると、“Excel 2010”は元通り正常に動作するようになりました。そして、既存のExcelファイルは、一切ダメージがなく、すべて問題なく開くことが出来ました。もちろん、内容の変更も可能です。

 

マイクロソフトからこの不具合を是正する更新プログラムが近日中に配布されるかもしれませんが、それまで”Excel 2010”を使えないことは不便であり、上記のように削除する手順も簡単ですから、この不具合に遭遇した方は試してみられると良いと思います。

 <追記> 2019年1月19日午前3時6分に”KB4461627”(改版版)が自動再配布されました。幸いなことに不具合は再発していません。

2019年1月11日 (金)

コチビちゃんの帰阪

わが家に8日間滞在したコチビちゃんが大阪の自宅へ帰る日がやってきました。来る時は家族全員でしたが、4日前に他の家族(4人)が自宅へ戻り、帰りは小学生の一人旅です。昨年の夏休みにも一人旅を計画したようですが、お父さんが東京へ出張する機会があったため、お父さんに同行する形で新横浜駅まで新幹線に乗り、そして 後からわが家を訪れた他の家族と一緒に帰る経験をしています。

 

コチビちゃんがわが家に居残ることが決まった時に、コチビちゃんのお父さんが新幹線の切符を予約したため、いつも利用する「のぞみ号」ではなく、空き席があった「ひかり507号」(午前9時52分発)に乗ることになりました。もちろん、指定席ですが、お父さんの配慮でグリーン車(8号車)の切符が購入されました。

 

当日は年末の30日(日)ですから、道路や駐車場が混雑する可能性が考えられたため、30分以上前にプラットフォームに上がりました。
 
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プラットフォームは帰省あるいは旅行する旅客で溢(あふ)れている上に、慌(あわ)ただしく移動する人々の流れがありますから、9号車が停止する付近にある休憩所内で待つことにしました。
 
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午前9時37分発の「のぞみ217号」(新大阪行き)が4番線に到着しましたが、グリーン車に乗降する客はほんの僅(わず)かです。
 
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午前9時45分を過ぎると、電光掲示板の4番線の欄に「ひかり507号」の案内が表示されました。
 
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4番線ホーム側の乗車位置にも同様の表示が点灯しました。後になって気づきましたが、シャッタースピードが速すぎたため、文字が切れて写ったことは残念でした。
 
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同行者はコチビちゃんに注意事項を再度伝えたようです。私は事前に用意した「京都駅に到着するころの声掛けを客室乗務員さんに依頼するメモ」を渡して、車内にいる客室乗務員に手渡すように伝えました。改札口の駅員さんから聞いた俄(にわ)か知識によるものです。グリーン車の切符を持っていない人はグリーン車に立ち入ることができないからです。それに、停車時間が短いため、見送り客が車内入ると、発車するまでに降りられなくなる恐れもあります。
 
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午前9時51分を過ぎたころに「ひかり507号」が4番線ホームに停車。降りる人はなく、コチビちゃんはスーツケースを持って8号車に乗り込みます。
 
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その時、同行者が前方へ駆け出しました。何事かと思って見ていると、8号車の前方にある車掌室の窓から車掌さんが頭出して、プラットフォームを確認しているところでした。同行者はその車掌さんに客室乗務員さんへの伝言を頼んだのです。現在、新幹線では一人旅をする子供の見守りサービスが行われていませんが、コチビちゃんのことを伝えておくことは何かの役に立つかもしれません。

 

「ひかり507号」が定刻に発車したあとは、SMSでコチビちゃんのお母さんに予定通りに乗車したことを知らせて、念のためコチビちゃんが持つコドモ携帯へ電話して間違いなく指定された席に座っているかを確認してくれるよう依頼しました。ほどなくして、問題ないとのメールが届きました。京都駅に着くころにはコチビちゃんの家族がプラットフォームで出迎えてくれる算段になっていますから、これで一安心です。新横浜駅の駐車場を出て、年末で混雑する道路を何とか走り抜けて帰宅しました。

2019年1月10日 (木)

コチビちゃんのキャラ弁作り

手芸や線描画が好きなコチビちゃんはわが家に遊びに来ている間に「キャラ弁」を作りたいといいます。ます。冬休の宿題である創作活動のテーマに選んだようです。「キャラ弁」のデザイン(絵コンテ)を作成して、試作を行いました。まずまずの出来栄えに自信をつけたオチビちゃんは、翌日
本番に取り組みました。
 
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コチビちゃんの妹が新幹線の京都駅で選んだ駅弁「ドクターイエロー」の容器を流用します。
 
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まず、同居者に揃えてもらった野菜類(パセリとブロッコリ)・果物(リンゴ)・ロースハム・鶉(うずら)の卵・とろけるチーズ・焼き海苔(のり)・黒胡麻(ごま)・ご飯などの材料を確認します。
 
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次いで、下ごしらえとして、茹でた鶉(うずら)の卵にも黒ゴマとチーズで目と口を付け、
   
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塩むすびに海苔とハムなどで顔を描き、
 
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コロッケに海苔とハムで顔を表現しました。
 
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さらに、ドクターイエローの弁当箱の底にレタスを敷きつめて盛り付けを始めました。
 
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前日のトライアルの経験を活かして、出来上がった各具材を順番に配置して行きます。
 
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全体のバランスを整えれば完成です。
 
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コチビちゃんが作ったキャラ弁を私のランチとして美味しくいただきました。御馳走様(ごちそうさま)、そして
ありがとう。
 
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(終)

2019年1月 9日 (水)

二子玉川ライズを訪れる

久しぶりに二子玉川ライズへ出かけました。12月15日にアイススケート場「スケートガーデン 2018」がオープンしたと聞いたことでコチビちゃんにアイススケートを楽しんでもらうためです。6年前に大阪のスケート教室に参加した時に我われも同行しました。実は大阪から来ていたオチビちゃんとコチビちゃん一家が帰阪するクリスマスの翌日、本人の強い希望でコチビちゃんだけがさらに年末の数日をわが家で過ごすことになったのです。

 

年末の二子玉川ライズは冬休み期間で来訪客が多く、ライズ内の駐車場を数か所回って、何とか第3駐車場内に空きスペースを発見。12時半ころ、エレベーターに乗って2階の中央広場にある特設スケートリンクへ向かいました。入場する前に左手からスケートリンクの様子を見るようです。
 
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プロスケーターの指導を受けられる教室などが開催されるようです。
 
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スケートリンクではアイススケートの防具を付けた大勢の子供たちが少数の大人に混じって楽しそうに滑っています。私とコチビちゃんはスケートリンクを眺めている間に、同行者は利用方法などを聞くために窓口へ向かいました。
 
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同行者が戻って利用方法と午後2時からスケートリンクの氷を整備した後、スタッフによるデモンストレーションがあることを告げました。しかし、肝心のコチビちゃんがなぜか尻込みしはじめたのです。手袋を持ってこなかったからと理由を説明するのですが・・。(注釈: 手袋は300円でレンタルできる)
   

そこで3階にある109シネマズ二子玉川へ移動しました。何か面白い映画が上映されていないかを確認するためです。「アリー スター誕生」や「携帯を落としただけなのに」などの話題作が上映中でしたが、コチビちゃんが興味を持つ映画は残念ながら見当たりません。
 
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ロビーにある売店「シネマショップ」で温かい飲み物とドーナツを購入して、5階のルーフガーデン(屋上庭園)へ移動することにしました。109シネマズ側のエレベーターは3階止まりですから、階段を利用する必要があります。
 
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4階の通路脇には三角形の「4Fルーフガーデン」がありました。
 
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横幅が広い奥の部分には細長い池と木橋が
 
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トンボをデザインしたモニュメントの目の部分には「ウチワヤンマ」の雄と雌がディスプレイされています。
 
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もうひとつの階段で4階から5階へ上がります。
 
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5階のルーフガーデンに出ました。3年半前に二子玉川ライズがオープンした時と比べると木々が少し大きくなったように見えます。
 
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ベンチに腰かけた同行者とコチビちゃんは109シネマズのフードカウンターで買ったサンドイッチを食べ始めました。
 
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5階の屋上庭園には陽光がありますが、冷たい風が吹き抜けているため、肌寒いので長居はできません。南側(多摩川の方向)に面した休憩所は背面にガラスが設置されていて暖かいのですが、陽光が眩しいため、こちらは直ちに退散。ルーフガーデンの反対側、隣のショッピングビルにエレベーターがあることを思い出して、そちらへ向かいました。通路脇には人工のせせらぎが設(しつら)えてあります。
 
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見覚えのある入口を入り、のエレベーターを利用して、再び3階へ下りて蔦屋(つたや)家電などを見て回るうちに午後2時近くになりました。
 
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アイススケートリンクで氷の整備が始まる午後2時になるとになるとリンク内にいた客は全員が一旦リンク外へ出ました。同行者は窓口で訊いていたように、氷の整備が早く終了した場合には、スタッフによるスケーティングのデモンストレーションが行われるはずですから、リンク脇で整備作業を見守ることにしました。
 
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スタッフがプラスチック製の箒(ほうき)を使ってリンク内を掃除し終えると、氷面を整える整備車両が登場しました。リンク内を隈なく整えたあとは、氷の表面を溶かすプロセスが始まりました。恐らく熱源が装備されているのでしょう。ショッピングしていたコチビちゃんと同行者がリンク脇に現れました。
 
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車両の最後尾に設置された繊維のカーテンが表面をさらに滑らかにすると、氷の表面に浮かぶ水は氷の下に設備された冷却設備によって徐々に結氷して滑らかな銀盤を作り出しました。そして最後にラバー製のモップで仕上げれば、整備作業が約15分で終了しました。

 

男性スタッフが2名現れて滑り始めました。滑らで鋭いエッジ捌(さば)きを見せたあとは、ジャンプとスピンのテクニックを披露すると大きな歓声と拍手が起きてスタッフによる、約1分のエクジビションは終了しました。
 
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そして、スケート客が一斉にリンク内へ戻ります。
 
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コチビちゃんはアイススケートをしませんでしたが、ショッピングに満足してくれたようなので、帰宅することにしました。(続く)

2019年1月 8日 (火)

年末年始の行事(その5) 自宅で過ごす三が日(2日・3日)

元日に開催された「全日本実業団対抗駅伝競走大会」はほぼ下馬評通りの結果でした。これに続いて2日間にわたって行われる「箱根駅伝」は青山学院大学が「箱根駅伝」で5連覇、および2018年度の三大駅伝を全制覇するかどうかが最大の関心事でしたが、こちらも下馬評によれば、青山学院大学の対抗馬として東洋大学と東海大学(2018年の出雲駅伝第3位、同じく全日本大学駅伝第2位)が挙がっているものの、青山学院大学の優位は揺るがないものと思われました。今年も1月2日と3日は日本テレビで「箱根駅伝」を観戦するだけで過ぎましたので、そのレース展開と印象に残った点を紹介します。

 

1月2日の往路では絶えず首位争いを繰り広げた東洋大学が第1位で元箱根のゴールにあるテープを切り、前半で出遅れたものの4区で順位を上げた東海大学が2位、国学院大学が第3位、駒沢大学が第4位、そして法政大学が第5位となりました。青山学院大学は選手の好不調があり第6位に沈みました。

 

今年も往路でアクシデントがありました。各チームが第1区をスタートした直後に大東大の選手が転倒したのです。捻挫または肉離れと思われます。その選手は立ち上がったものの足を引きずりながらの走行となりました。しかし、残りの約20kmを痛みに耐えて走り続け、トップと8分40秒差の23位(最下位)で2区の選手に襷(たすき)をつなぐことができました。

 

5連覇を狙う青山学院にも予期せぬハプニングがありました。3区で首位に立った時には盤石のレース展開かと思われましたが、4区を走る選手が10km地点付近で体調に不具合が出て失速し、トップを走る東洋大学と約3分半遅れの第3位に後退しました。それでも、5区の選手は前年も5区を走った選手であり、往路のゴールまでに大きく挽回する可能性があると考えられました。しかし、その選手も山登り区間の5区でペースが上がらず、逆に国学院大学・駒澤大学・法政大学の3チームに抜かれてしまいました。

 

1月3日の復路では東洋大学が安定した走りを見せて盤石かと思われましたが、東洋大学を追走する東海大学は前半で徐々に差を詰め、8区で首位に立ち後半でも主導権を握りました。往路で首位の東洋大学に約5分30秒差を付けられた青山学院大学は驚異的な追い上げを見せたことで、先行する東洋大学とアンカー勝負になる可能性が出てきましたが、東洋大学が逃げ切って総合優勝を手にしました。第3位は東洋大学、第4位は東海大学と同様、往路の序盤での出遅れを挽回した駒澤大学でした。

 

復路で印象に残ったのは8区です。約4秒差の第2位で襷(たすき)を受け取った東海大学の選手はほどなく東洋大学の選手に追いついたことで、難なく追い抜くと思われましたが、何と14km余りに渡って東洋大学の1年生選手の背後に付いて走ったのです。これは実力と経験を活かす東海大学の戦術だったようです。東洋大学の選手が頑張って走る後を東海大学の選手を風除けにして、東海大学の選手は余裕を持って走ることで余力を温存したのです。途中、並走する位置に出て東洋大学の選手の表情を確認したことも戦略に入っていたのでしょう。

 

そして、約14.6km地点で東海大学の選手がスパートして差を約10mとした後は、遊行寺(ゆぎょうじ)坂の上りを利用して東海大学の選手が独走態勢に入りました。それまでに精神的・肉体的に疲労していた東洋大学の1年生選手には追走する力は残っていなかったようです。素人の私にも東海大学の戦略が完全に成功したことは明白でした。9区へ襷を渡した時点では約50秒の差に広がっていました。このようにレース展開を振り返って見ると、7区までのレース展開で盤石と思われた東洋大学を8区で一気に追い落としたことが東海大学の総合優勝の鍵となりました。大会新記録を樹立したことも見事です。

 

6区は区間新記録で5位になり、7区は区間記録に2秒と迫る区間賞で3位へジャンプアップし、8区と9区で東洋大学を着実に追い上げた青山学院大学は2秒差で襷リレーした10区で東洋大学を追い抜き、懸命にトップの東海大学を追走して最後までレースを盛り上げました。復路優勝を飾ったことでデフェンディング・チャンピオンの意地を見せたと言えます。東海大が先に到着したゴールでアンカー選手を待つ青山学院大学の選手たちの表情が明るいことも清々しい印象を与えました。
 
また、第4位でゴールした駒澤大学は往路・復路とも極めて安定したレース展開をしたことも印象に残りました。一時代を築いた駒澤大学が復活しつつあるようです。そして、復路の5区間を通して9位・10位をキープしてシード権争いを制した拓殖大学と中央学院大学の健闘も光りました。
 
今年も見応えがある「箱根駅伝」でした。(終)

2019年1月 7日 (月)

年末年始の行事(その4) 自宅で過ごす三が日(元日の午後編)

結局、チビスケくんとチビエちゃんの一家がわが家を訪問したのは午後3時過ぎでした。2人のお母さんが手作りした「煮物」「栗きんとん」「大根と人参のナマス」を差し入れてくれたことで、食卓の料理はさらに多彩になりました。昼食と夕食が一緒になりましたが、午後8時過ぎまで賑やかで楽しい時間になりました。2日は2人のお母さんの実家へ正月の挨拶に行くため、午後8時半前にはわが家をあとにしました。

 

時間が前後しますが、事前にテレビの録画予約を設定しておいたことで、午後6時45分少し前にチャンネルがNHKのEテレに変わりました。ウィーンフィルのニューイヤー・コンサートが例年通りウィーンのウィーン楽友協会の大ホールから生中継されるのです。昨春、この大ホールを見学したことと、1か月前の12月1日に開始された4K放送でも同時に放送されることで、今回は特別な思いでこの番組を観ました。

 

今回、指揮を執るのはドイツ・ベルリン出身のクリスティアン・ティーレマンさんで、ニューイヤー・コンサートで指揮するのは初めてですが、これまで150回以上もウィーンフィルを指揮しているそうですから、意気が合った演奏が聴けるものと思われました。そして、歌劇場で指揮する経歴が多いようですから、1997年・1997年・2000年・2004年・2018年の5回にわたってニューイヤーコンサートを指揮したリッカルド・ムーティさんのような指揮ぶりが見られるかもしれません。ただし、発表された楽曲は私には馴染みがない物ばかり、つまり玄人好みの選曲と思われます。

 

第一部が始まる前には楽友協会の前広場に設置されたガラス張りの特設ブースから今年のニューイヤー・コンサートについてウィーンフィルの元コンサートマスターであり、NHKの中継では常連ゲストであるライナー・キュッヒル、真知子夫妻に加えて女優の中谷美紀さんがゲストでした。昨年、ウィーンフィルのビオラ奏者と結婚されたことが人選の理由なのでしょう。ちなみに、司会はNHKの森田洋平アナウンサーです。

 

発表されたプログラムは以下の通りです。なお、NHKの説明では作曲者のヨーゼフ・ヘルメスベルガーおよびヨハン・シュトラウスが1世・2世のどちらであるかが明示されていませんでしたので、念のために注釈を付けました。また、分かりにくい曲名には日本語訳を付けました。

 

[第一部]

 シェーンフェルト(注釈:大将の名前)行進曲  カール・ミヒャエル・ツィーラー作曲

 ワルツ「トランスアクツィオン(注釈:反作用)」  ヨーゼフ・シュトラウス作曲

 妖精の踊り  ヨーゼフ・ヘルメスベルガー(注釈:2世、以下同様)作曲

 ポルカ・シュネル「急行列車」  ヨハン・シュトラウス(注釈:2世、以下同様)作曲

 ワルツ「北海の風景」  ヨハン・シュトラウス作曲

 ポルカ・シュネル「速達郵便で」 エドゥアルト・シュトラウス作曲

 

[第二部]

 喜歌劇「ジプシー男爵」序曲  ヨハン・シュトラウス作曲

 ポルカ・フランセーズ「踊り子」  ヨハン・シュトラウス作曲

 ワルツ「芸術家の生活」  ヨハン・シュトラウス作曲

 ポルカ・シュネル「インドの舞姫」  ヨハン・シュトラウス作曲

 ポルカ・フランセーズ「オペラの夕べ」  エドゥアルㇳ・シュトラウス作曲

 歌劇「騎士パスマン」から「エーファ・ワルツ」  ヨハン・シュトラウス作曲

 歌劇「騎士パスマン」から「チャールダーシュ」  ヨハン・シュトラウス作曲

 エジプト行進曲  ヨハン・シュトラウス作曲

 幕間のワルツ  ヨーゼフ・ヘルメスベルガー作曲

 ポルカ「女性賛美」  ヨハン・シュトラウス作曲

 ワルツ「天体の音楽」  ヨーゼフ・シュトラウス作曲

 

[アンコール曲]

○美しく青きドナウ  ヨハン・シュトラウス作曲

○ラデツキー行進曲  ヨハン・シュトラウス作曲

 

クリスティアン・ティーレマンさんの指揮は、ドイツ人らしく丁寧で安定感があり、大ホール内で聴く多くの観客は満足しているように見えましたが、クラッシク音楽ファンとは言い難い私には優雅さと面白みにやや欠けると感じられました。歌劇場での指揮経験が豊富である経歴から、リッカルド・ムーティさんに似た個性的な指揮を期待した私には気まじめすぎて物足りなかったのです。また、同居者が毎年期待しているバレーも衣裳と振付担当に若手が登用されたことで、従来の伝統的なバレーとは大きく異なるモダンなものでした。
 
ちなみに、来年(2020年)のニューイヤー・コンサートはラトヴィア出身のアンドリス・ネルソンス氏(40歳、ボストン交響楽団の音楽監督)が指揮者となることがコンサートの終了後に発表されました。同じラトヴィア出身で、3年前のニューイヤー・コンサートで3回目の指揮をしたマリス・ヤンソン氏に指揮を学んだようですから期待できそうです。

 

明日から始まる「箱根駅伝」の生中継に期待して就寝することにしました。(続く)

2019年1月 6日 (日)

年末年始の行事(その3) 自宅で過ごす三が日(元旦編)

大晦日は夜更かしをしないようにしたにもかかわらず、元旦は寝坊してしまい、午前8時ころに起床。毎年正月三が日は和服を着て自宅で正月を祝うことにしています。新年の挨拶(あいさつ)のあとは同居者が用意してくれたお雑煮とお節料理を頂きました。
 
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以前のブログ記事で紹介したように私の田舎で食べられている角餅と正月菜だけのシンプルなお雑煮ですが、クローズアップした雑煮の写真に写る「ゆで卵」と「板かまぼこ」はおまけとして同居者が追加してくれたものなのです。
 
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今年のお節は和洋折衷(せっちゅう)で内容が多彩です。
 
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午前8時30分からTBSテレビで生中継される「全日本実業団対抗駅伝競走大会」を観るのも元旦の恒例行事です。今回出場した37チームの中で、トヨタ自動車・旭化成・Honda・トヨタ自動車九州・富士通が有力チームとして優勝候補に挙げられています。午前9時に群馬県庁前(前橋市)をスターした後のレースの展開を以下に概説します。

 

[第1中継所]

多くのチームで構成された先頭集団は大きな塊となって35分後に第1中継所(高崎市)になだれ込みました。中継ポイントでは多くの選手が錯綜(さくそう)するなか、意外にも一意でタスキを渡したのは九電工、次いでヤクルトと愛三工業でした。有力チームでは旭化成が第6位、トヨタ自動車が第9位、Hondaが第14位、富士通が第15位ですが、トップとの差は富士通で約14秒、同じく第28位のYKKでも約20秒と僅差です。

 

[第2中継所]

外国人選手が多数参加する第2区でも快調な走りを見せた愛三工業が第1位でタスキをリレーし、次いで第2位のトヨタ紡織、第3位は富士通、第5位はSUBSRU、少し出遅れた旭化成は第8位、第10位はトヨタ自動車、第13位はトヨタ自動車九州、Hondaは第17位と順位を下げました。

 

[第3中継所]

第3区に入ると出遅れていた旭化成が見事な走りを見せて第2位へ順位を上げました、それを上回ったSUBARUがトップに立ち、第3位はトヨタ紡織、第4位は富士通、第5位はトヨタ自動車、同じくトヨタ自動車九州は第14位、同じくHondaは第18位でした。

 

[第4中継所]

向かい風が吹く第4区は大きな波乱がありました。全区間で首位だった旭化成が第3位へ後退した一方、驚異的な走りを見せたMHPS(三菱日立パワーシステム)はトップに躍り出ました。第2位は富士通、第4位はマツダと豊田自動車九州(今井正人は快走)、トヨタ自動車は第10位へと後退しました。

 

[第5中継所]

第5区ではMHPSは終始リードを保ってトップ、第2位は同様に順位を大きく上げた旭化成、第10位でタスキを受け取ったトヨタ自動車の服部勇馬が多く区順位を上げて第3位、第4位は富士通と、強豪チームが上位を占めました。第7位はSUBARU、第8位はトヨタ自動車九州と、明暗を分けました。

 

[第6中継所]

第6区は実力がある旭化成・富士通・Honda・トヨタ自動車の争いにSUBARUが割り込み激しい競争になり、第1位が旭化成、第2位がこの区間でも健闘したMHPS、第3位が富士通、第4位がトヨタ自動車、第5位がSUBARU、第6位はコニカミノルタ、第7位がマツダ、第8位がトヨタ自動車九州でした。

 

[ゴール(群馬県庁前)]

トップの旭化成は安定な走りを見せてトップでゴール。MHPSも順位を維持して約4秒差の第2位、は第3位はトップと約1分7秒差のトップと約1分7秒差のトヨタ自動車、第4位は同じく約1分50秒差の富士通、第5位は約2分10秒差のコニカミノルタ(第1区の第31位から2区から5区で順位を大幅にアップ)、第6位は約2分49秒差のトヨタ自動車九州と概ね順当な結果でしたが、MHPSの健闘が光った今回の「全日本実業団対抗駅伝競走大会」になりました。
 

 

駅伝をテレビで観戦しているとチビスケくんとチビエちゃんの一家が昼ごろに年始の挨拶に来るとの連絡が入りました。そこで、皆で昼食を摂(と)ることにして待っていましたが、正午を過ぎて午後1時近くになっても姿を現しません。空(す)いた小腹を満たすため、同居者に「磯辺(いそべ)焼き」を作ってもらいました。子供のころから食べなれている「磯辺焼き」は、焼いた餅(もち)の両面に砂糖醤油を塗り、さらに焼き海苔(のり)で巻くだけの簡単な食べ物です。ネット検索をすると、「餅の磯辺巻き」「磯辺餅」「海苔餅(のりもち)」などの呼び名があるそうです。
 
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来客を待つ食卓の上に並ぶ料理がいつの間にか少し変わりました。
 
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(続く)

2019年1月 5日 (土)

年末年始の行事(その2) 自宅で過ごす大晦日

大晦日は夕方まで日常と何ら変わらない時間が経過しました。ですが、夕食の代わりに年越し蕎麦を前にすると、大晦日であることを認識するのです。そして、蕎麦を食べ終わるころには気分はすっかり年末になるのです。そんなことをぼんやり考えていたためか、年越し蕎麦の写真を撮ることを失念してしまいました。わが家の年越し蕎麦は以前の記事で紹介していますので、もしお知りになりたい方がいらっしゃいましたら、こちらを参照してください。

 

午後7時15分に始まったNHK紅白歌合戦は最初の部分を観るだけにして、午後8時からはNHK EテレのN響「第9」演奏会にチャンネルを変え、午後10時からは楽しみにしていたテレビ東京の大晦日スペシャル「孤独のグルメ大晦日! 京都・名古屋出張編」(約1時間半)です。今回は主人公が出張で訪れた京都・名古屋そして東京でもグルメを探す豪華な内容でした。少し長くなりましたが、粗筋を紹介します。

 

[東京編](生中継のプロローグ)

京都と名古屋への出張から帰京した主人公の井之頭五郎が、今年はまだ鰻重(うなじゅう)を食べていないことに気づいて、とある鰻屋で鰻重が配膳されるのを今か今かと待っている。やっと自分の番が来て配膳された重箱の蓋を期待を込めて開けると、何と中は空で、驚いて叫んだところで目が覚める。顧客の店で店主が戻るのを待つうちに居眠りをしてしまったのだ。店員に勧められと気分転換のため屋上に出ると、目の前には柴又の帝釈天が見える。

 

[京都編]

12月30日に京都へ出張した主人公は仕事の空き時間に鰻屋を探すが、最初の店は多くの客が並んでいたため断念、見つけた2軒目は間が悪いことに30日は昼までの営業を終えて、早めに店仕舞いしているところ。ここで時間切れで仕事に戻る。その仕事を順調に終えた主人公は再び鰻屋を探して銀閣寺近くの住宅街を歩き回る。何でも良いと思い始めた時、炭火焼の店「梨門邸」に遭遇、何とメニューには鰻重や櫃まぶしが。しかし、鰻は昼で終わったと言われる。本日の魚から「グシ(甘鯛)の土鍋ご飯」と「味噌汁」を選ぶ。土鍋ご飯はしぎ掛かると言われため、「もち豚ロース」「トマト(丸ごと串焼き)」「牡蠣(かき)」「蕪(かぶら)蒸し」を追加して注文。

 

最初に配膳されたお通しは3品、「サバの南蛮漬け」、「豚バラと壬生菜のさっと煮(山椒添え)」、「おぼろ豆腐の餡かけ」が気に入った主人公はオープンキッチンの炭火コンロで豚バラやトマトが焼かれるのを見て注文した料理への期待をさらに高める。注文したメニューが配膳されたあとは、主人公が料理を美味しく食べるのは見事です。牡蠣から始め、豚バラとトマトへと食べ進む。ここで蕪蒸しが配膳される。さらに味噌汁とグシの土鍋ご飯も。主人公のグルメぶり(食べ方と感想)はいよいよ最高調に。茶碗に装ったグシの土鍋ご飯に牡蠣やもち豚を乗せて食べるのも主人公流の食べ方だ。すべてを綺麗に食べ終って、満足することも。

 

その夜のうちに名古屋入りした主人公は翌日には必ず鰻重を食べる決意を固めた。

 

[名古屋編]

資料をまとめるために夜なべ仕事をした主人公は眠け覚ましのコーヒーを飲むため、ホテル近くの喫茶店「カラス」に入る。朝食はモーニング名古屋飯に「コーヒー」と「餡(あん)トースト」を注文。名古屋市西区で仕事を済ませた主人公は仕事先から名古屋生まれの「台湾ラーメン」を勧められる。しかし、鰻(櫃まぶし)に拘(こだわ)る主人公は名古屋駅に戻ることにして歩き始めた矢先、「台湾ラーメン」の店に遭遇。運命を感じた主人公は迷わずその店に入る。激辛を最高に数種類の辛さが選べる「台湾ラーメン」はプチチャレンジで中辛を、そして「ピリ辛ニンニクチャンハン」に加えて「酢鶏」(酸っぱい唐揚げ)は量が多いためハーフで注文。

 

「酢鶏」の味を気に入った主人公は次いで配膳された「ピリ辛ニンニク炒飯(ちゃんはん)」と「台湾ラーメン」のうち、まず後者に未知の魅力を発見して慎重に食べ進む。頭に抜ける辛さだ。次いで「ピリカラにんにく炒飯」は強烈なニンニク味・臭だ。胃袋を強烈に刺激。辛さとニンニクの無限ループと表具する主人公。そこで、箸休(はしやす)め的に「酢鶏」を口に入れる。最後に「ピリカラにんにく炒飯」と「台湾ラーメン」を交互に食べて、すべて完食。主人公はこれらの名古屋飯に強烈な印象を受け、再来を心に秘めながら、大満足で店を出る。

 

[東京編](生中継)

ここで大晦日の葛飾区柴又のシーンに戻る。仕事先に教えられた主人公は帝釈天参道にある「エビスヤ」へ向かう。幸いなことにその店は空いていた。迷わず「鰻重」(肝吸い付)を注文。上にすれば良かったかなとも思う主人公。配膳された「鰻重」が空でないことを願いながら蓋(ふた)を取ると、艶やかでふくよかな鰻の蒲焼が現れる。京都と名古屋でお預けになった「鰻重」との対面に感激しながら食べ始める主人公。無心に食べる長いシーンの後は、幸せそうな表情で『ご馳走さま』と言う主人公をクローズアップで写してスペシャル番組が終了しました。
 
ちなみに、ご馳走様の馳走(ちそう)は『美味しい料理で客をもてなすこと』 あるいは『美味しい料理そのもの』 を指しますが、その語源は馳(速く)走り回って料理の準備をすることです。様はご馳走に係わったすべての人への大きな感謝を表しているのです。足が速くて人々のために食材を集めた仏教神である韋駄天(いだてん)を意味するとする説もあるようです。足が速い様を表す言葉に「韋駄天走り」があります。

同じテレビ東京で午後11時30分に「東急ジルベスタ―コンサーㇳ」が始まりましたが、テレビを長時間にわたり観て疲れたため、ここで寝ることにしました。元旦には「全日本実業団対抗駅伝競走大会」がありますから、寝坊はできません。

2019年1月 4日 (金)

年末年始の行事(その1) 川崎大師参拝

昨年 投稿した何回かのブログ記事に書きましたように平成30年はいろいろありましたが何とか年を越すことができました。年末年始は例年通りの行事を踏襲しましたので、ほとんど代(か)わり映(ば)えしませんが、トピックスを中心に紹介します。

 

先ず、年末には川崎大師へ参拝しました。通常は12月の最終日曜日を選ぶことにしていますが、今年は少し早すぎるのですが、身内がもっとも多く集まることができる12月23日(日)にしました。今回から嬉しいことに新しいメンバーが1名加わったことで13名のグループです。なお、チビスケくんはサッカーの試合があるため、その付添(つきそい)をするお母さんとはわが家で合流することになりました。午前11時過ぎに大師公園駐車場にそれぞれの車を停め、参道から山門へ向かうと、年末まで1週間以上あるタイミングですが、すでに新しいしめ飾りが施されていました。
 
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境内に入って、前年に頂いた護摩札(ごまふだ)をお返しして手水所で身を清めました。
 
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年末までまだ1週間以上ありますから、境内には人の姿がまばらです。
 
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窓口で数分後の午前11時30分に始まる護摩修行を申し込みました。
 
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開始間際に本堂へ入ると、驚くことに堂内には溢(あふ)れるほどの参拝客がありました。何とか入口近くにメンバー全員が座れる空きスペースを見つけることができました。子供たちも慣れていますから、修行が行われる間は大人しくしています。いつものように仏像にお参りしながら堂内を巡ったあと、護摩札を頂いて参拝が滞(とどこお)りなく終了しました。

 

そして、昼食をそば処「はやま」で摂ることも例年通りです。11名の大人数ですから2階の大きなテーブル席を提供してもらうことになりました。なお、今回から正式に参加したメンバーは大護摩を申し込んだため、我われとは別室で護摩を受けるため、15分ほど後になって「はやま」で合流することになりました。

 

メンバーが選ぶメニューも毎年ほぼ同じです。内訳は「天ぷらそば」が一番人気で5名、「鴨なんばんそば」が2名、「力うどん」が2名、「肉そば」が1名、「なめこそば」が1名。私は鴨肉を細めの蕎麦とともに味わいました。
 
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合流する2人を待ったため1時間近くと長くなった昼食の後、店外に出ると小雨が降り始めていましたので、門前町の商店を覗きながら駐車場へ向かうことにしました。「山門」に一番近い、葛餅(くずもち)の「住吉」の店先に並べられた多数の苔玉(こけだま)を草花と植木を見かけました。
 
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「高橋太一商店」ではメンバーの何人かが干支(えと)の人形を購入。
 
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「正月飾り」を売る店に興味を持ったメンバーが多く、店内でかなりの時間を費やしました。
 
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雨足が強くなってきたようです。
 
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オチビちゃんとコチビちゃんの両親は「のど飴」を買い求めました。
 
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雨天のため、子供たちが期待していた大師公園での遊具遊びができないため、全員は川崎大師公園の駐車場からわが家へそのまま移動することになりました。わが家ではチビスケくんとそのお母さんも合流。夕刻近くになると、他に予定がある2人が出かけたため、差し引き11人で摂る夕食は久しぶりに賑やかで楽しいものになりました。

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