« 2019年4月 | トップページ | 2019年6月 »

2019年5月

2019年5月25日 (土)

「深大寺そば」を「矢田部茶屋」で味わう

神代植物公園の第1駐車場から植物公園通りに出て、神代植物公園北交差点を左折、都道12号(武蔵野通り)を南に戻り、深大寺入口交差点を深大寺通りへと左折しました。この通りに「深大寺そば」を提供する蕎麦屋さんが何軒もあることは、20年ほど前の記憶ですが、かすかに覚えています。

調布市のhpによれば、『深大寺は木々に覆われた関東屈指の天台宗の古刹です。江戸時代に書かれた縁起によると、天平5年(733年)に満功上人が開山した古刹とされます。門前には名物の深大寺そばの店とみやげもの店が並び、3月3日・4日のだるま市は大変な賑わいとなります。』 とあります。また、調布市観光協会によると、『江戸時代、土地が米の生産に向かなかったため小作人が蕎麦を作って、蕎麦粉を深大寺に献上した。それを寺側が蕎麦として打ち、来客をもてなしたのが始まりといわれる。』 と由来が説明されています。

前回、この地を訪れた理由は定かではありませんが、私が大好きだった松本清張の恋愛小説「波の塔」の舞台のひとつになった場所だったからかもしれません。ネットで検索すると、「玉乃井」「青木屋」「大師茶屋」「矢田部茶屋」「湧水」「きよし」「深水庵」「多門」「嶋田屋」「八起」などの名がありました。なお、詳しい案内は深大寺そば組合のhpで紹介されています。

交差点から約500m東にある心積もりしていた「湧水」はなぜか休み、ネットで確認すると木曜定休で、あり、私の確認洩れでした。事前に確認したネットの紹介記事には、『深大寺通りの中に位置する行列の絶えない人気店「湧水」のおすすめは「湧水そば」。石臼挽きのそば粉を使用した九割そばで、そば本来の味がしっかり感じられ、カツオ出汁が効いたあっさり汁との相性も抜群!並んでも食べたい絶品そばです。』 とあったのですが・・。

そこで、そば屋街の東端に近い「矢田部茶屋」の駐車場に車を停めました。蕎麦屋が並ぶ深大寺参道のすぐ東側です。
 
201905170254
 
ネットで確認すると、『良質なそば粉を使用したざるそばとさまざまな小鉢料理がセットになった「そば定食コース」が人気のお店です。コースは4種類あり、その時の気分で選べて便利。店内は広々としており座敷もあるのでファミリーにもおすすめです。』 と紹介されています。また、各蕎麦屋の定休日はバラバラですから、それほど気にする必要もなかったようです。

正午を過ぎたばかりの店内は平日であり、我われのような年配者で混み合っていましたが、幸いなことに空き席がまだいくつか残っていました。「天ざる」と「とろろそば」のどちらにするかで少し迷った同行者は「天ざる」を選び、残り物に福があると考えた私は「とろろそば」にしました。
 
201905170255
 
数分後に「とろろそば」が配膳されました。
 
201905170256
 
それを追いかけるようにほどなく「天ざる」も同行者の前に置かれました。
 
201905170257
 
更級そばは、腰があり、期待通りの美味しさです。また、お裾分けにもらった天ぷらは揚げたてで、心地よい食感がありました。
 
201905170258
 
後で配膳されたそば湯を出汁に加えて味を楽しんだ30分後には、大いに満足して「矢田部茶屋」を後にしました。
 
まだ時間が十分ありそうですから、午後に計画していたもう一つのプランを実行するため、都道12号(武蔵野通り)から入った国道20号(甲州街道)を西進しました。なお、この立ち寄り先については日を改めて紹介する予定です。

2019年5月24日 (金)

神代植物公園でバラを鑑賞する(最終回) 「野生種・オールドローズ園」

「野生種・オールドローズ園」は現代バラ作出に貢献した野生種、オールドローズを中心に植栽しています。世界を代表するバラ育種家「ミスターローズ」である鈴木省三氏が、バラの育種・改良のために世界各地から収集された貴重なコレクションの接ぎ穂を神代植物公園にて接木苗として育てた貴重な品種を育てているそうです。
 
201905170225
 

ダマスク・ローズ
 
201905170226
 

ヨーク・アンド・ランカスター
 
201905170229
 

ロサ・ギガンテア
 
201905170232
 

イノバラ (日本原産)
 
201905170235
 

モリイバラ (日本原産)
 
201905170237
 

テリハノイバラ (日本原産)
 
201905170239
 

ショウノスケバラ
 
201905170241 
201905170242
 

サンショウバラ (日本原産)
 
201905170243
 

ブルボン・クイーン
 
201905170247
 

ロサ・セリケア・プテラカンタ
 
201905170249
 

ラフランス
 
201905170251
 

ガイド・ツアーは1時間の予定でしたが、ガイドさんが丁寧に説明しながら「ばら園」をほぼ隈なく案内してくださったことで30分ほど長いものになりました。本当にありがとうございました。
 

解散場所は「ばら園」の北東隅にあるショップの近くでした。同行者は「バラソフト」(400円)を見つけて迷わずそれを求めました。
 
201905170252
    

バラ色のソフトクリームに興味を持って味見をさせてもらうと、バラの香りは感じられませんでしたが。さっぱりしたバニラ味でした。
 
201905170253
 

最後に、5月中旬の平日に訪れましたが、これから春期の最盛期になるバラの花は混雑が嫌いな私には最適のタイミングだったと思います。約400品種あるという春バラのうち70種弱を無作為に選んで紹介しましたが、選んだバラの花を楽しんでいただけましたでしょうか?
まずまずだったと自己満足していますが・・。
 

正午が近づきましたので、退園することにして、正面ゲート方面へ戻ることにしました。入園者たちの人の列とすれ違いながら駐車場に到着すると、入場待ちの車の列も長くなっていました。2時間半弱の滞在となりましたので、駐車料金(1時間まで300円、以後30分毎に100円)は600円でした。(終)

2019年5月23日 (木)

神代植物公園でバラを鑑賞する(その6) 「ばら園(本園)」(後編)

ゴールデン・セプター
 
201905170185
 
イングリッド・バーグマン (スウェーデン出身の女優、映画スターベスト100女優部門第4位)
 
201905170187
 

ピエール・ドゥ・ロンサール (世界でもっとも愛されるバラ)
 
201905170188
 

パパ・メイアン
 
201905170190
 

[殿堂入りのバラ] 世界バラ会連合が開催する世界バラ会議で選ばれて、バラの栄誉殿堂入りしたバラ
   
201905170191
 

グラハム・トーマス
 
201905170193
 

ブルー・リバー (希少種のブルー系)
 
201905170195
 

タマンゴ
 
201905170196
 

ファイアーグロウ
 
201905170198
 
ゾンネキント
 
201905170201
 

アイスバーグ
 
201905170202 
201905170204
  

聖火 (作出国:日本、1964年の東京オリンピックにちなんだ作品)
 
201905170206
 

つる桜霞
 
201905170215
 

スヴェニール・ド・アンネ・フランク (アンネ・フランクの想い出)
 
201905170217
 

イントゥリーグ
 
201905170220
 

プリンセス・チチブ (秩父宮妃殿下)
 
201905170221
 

ノックアウト
 
201905170223
 

[ロサンゼルスから来たバラ] 昭和34年(1959年)にロサンゼルス市から贈られた80品種の内現在残っている13品種
 
201905170207
 

フロリック
 
201905170208
 

フレンチ・レース
 
201905170210
 

ピース
 
201905170213
 

次回は最終回の「野生種・ オールドローズ園」です。(続く)

2019年5月22日 (水)

神代植物公園でバラを鑑賞する(その5) 「ばら園(本園)」(前編)

「大温室」と「ばら園(本園)」の間にある広場に立つ「カリヨン」の脇には幼稚園児のグループが集合していました。
 
201905170060
  
広場の先にある緑地は緩やかな下り勾配になって「ばら園(本園)」に続いています。神代植物公園のhpによると、『「ばら園(本園)」はシンメトリックに設計された沈床式庭園。植えられたバラ(春バラは409品種5,200余本、秋バラは約300品種5,000余本)の花期は年2回で、春は5月下旬の頃が盛りで、秋は10月中旬から』 とのこと。パリのヴェルサイユ宮殿やウィーンのシェーンブルン宮殿の庭園と同様、フランス式庭園(平面幾何学式庭園)でで、左右対称・幾何学的な池の配置、植栽の人工的成形などを特徴としています。
 
201905170055
 
噴水(写真中央)の先に見える施設(写真左)は「ばら園テラス
 
201905170056
   
午前10時30分からボランティア・ガイドによる「ばら園」の説明会があるとの場内アナウンスに惹かれて「カリヨン」の手前に集まった2-30人の人たちの中に入りました。係員と思われる人が1人のガイドさんに2-3人の小グループで割り当てて、私と同行者の2人はその最後のグループになりました。
 
ガイドツアーは庭園の入口付近にある「ばら」で始まりました。バラそのものの説明ではなく、3種類のディスプレイ方法についてです。まず、「ばら」の茎を棚上で水平方向に折り曲げて、バラの花がベッドの上に咲きそろう方法です。
 
201905170140 
201905170141
 
次いでアーチ状のディスプレイです。アーチ全体でツルバラの花が一様に咲くように蔓(つる)を配置することがポイントとのこと。
 
201905170142 
201905170145
 
こちらはフェンスを利用したディスプレイ

201905170175

コンクールに入賞したバラが植えられたエリア
 
201905170149
  
開園50周年で命名された「クイーン・オブ・神代」
 
201905170150
 
「本園」に植えられたさまざまな品種を無作為で選び、順不同で紹介します。注釈; ( )内は説明または名称の由来
 
希望 (作出国:日本)
 
201905170152
  
ブルー・パーフューム
 
201905170154
   
銀世界(作出国:日本)
 
201905170155
 
チャールストン
 
201905170158
 
エレガント・レディ
 
201905170166
 
プリンセス・ミチコ (美智子妃殿下、現上皇后)
 
201905170168
 
モナ・リザ (ダビンチの名画)
 
201905170171
 
「本園」中心部から「大温室」方面を見る
 
201905170172
 
ミスター・リンカーン (元米大統領)
 
201905170173
 
ホワイト・クリスマス
 
201905170177
 
マリア・カラス (女性オペラ歌手)
 
201905170180
 
クイーン・エリザベス (英女王)
 
201905170182
 
(続く)

2019年5月21日 (火)

神代植物公園でバラを鑑賞する(その4) 「大温室」の熱帯スイレン室・小笠原植物室・乾燥地植物室

「熱帯スイレン室」  熱帯睡蓮、アナナス類(パイナップル科)、ハイビスカス類のコレクションや、世界最大の花といわれるショクダイオオコンニャク(燭台大蒟蒻、サトイモ科コンニャク属)を展示
 
人工池に咲いている熱帯睡蓮を紹介します。
 

スターティバンティとホワイト・パール
 
201905170110
 

ミッドナイト
 
201905170113
 

ジェネラル・パーシング
 
201905170115
 

スターティバンティ
 
201905170116
 

レッドカップ
 
201905170118
 

マイアミ・ローズ
 
201905170120
 

ビオトープ
 
201905170121
 

「小笠原植物室」 世界自然資産である小笠原初頭の乾性低木林の構成樹種を中心に、希少種、固有種を展示
 

全景
 
201905170123
 

「乾燥地植物室」 砂漠など水の少ない環境に適応したサボテン類やその他の多肉植物と、チリ共和国原産の植物を展示
 
全景
 
201905170125  
201905170126 
201905170133 
201905170135
 

食用月下美人
 
201905170127
 

姫月下美人
 
201905170128

 
宵待孔雀
 
201905170129
 

月下美人
 
201905170130
 

金鯱
 
201905170132
 

青乱雲
 
201905170134
 

ネペンテス(ウツボカズラ) 注、食虫食物
 
201905170137 
201905170136   
201905170138
  

次回は、いよいよ「ばら園(本園)」に入ります。(続く)

2019年5月20日 (月)

神代植物公園でバラを鑑賞する(その3) 「大温室」の熱帯花木室・ラン室・ベゴニア室

「ばら園」に入る前、右手に「大温室」がありました。熱帯の花木室、熱帯スイレン室、ベゴニア室などがあり、平成28年(21016年)5月に、約1300品種を有する施設としてリニューアルオープンしたそうです。
 
201905170059
 

左右対称な建物の左側に入口が、そして右側に出口があり、大温室(建物)内にある「熱帯花木室」「ラン室」「ベゴニア室」「熱帯スイレン室」「小笠原植物室」「乾燥地植物室」を一筆書きで時計回りに巡る仕組みにないっているようです。
 
201905170061
 

「熱帯花木室」 熱帯・亜熱帯地方原産の色鮮やかでバラエティーに富んだ花を展示
 

クフェア(ドワーフ)
 
201905170065
 

フイリアスタシア
 
201905170066
 

メディニラ(火の鳥)
 
201905170067
 

シクンシ
 
201905170069
 

ベニヒモノキ
 
201905170073
 

(名称不詳)
 
201905170074
 


 
201905170076
 

(名称不詳)
 
201905170080
 
全景
 
201905170083
 

「ラン室」 欧米で改良が行われた洋ランと高地性のランを中心に展示
 

デンドロビウム パリシイ
 
201905170085
 

Chilochistaspyellow green
 
201905170087
 

Orcidium hastilabium
 
201905170092
 

(名称不詳)
 
201905170094
 

アンクロア・クロウェシイ
 
201905170097
 

「ベゴニア室」 さまざまな球根ベゴニアとともに、それらの基となった代表的な原種を展示
 

全景
 
201905170098 
201905170100 
201905170101 
201905170102 
201905170105 
201905170106 
201905170108
 

(続く)

2019年5月19日 (日)

神代植物公園でバラを鑑賞する(その2) 「ダリア園・ぼたん園・しゃくやく園」

神代植物公園内を巡る前にその概要を紹介します。『武蔵野の面影が残る園内で、四季を通じて草木の姿や花の美しさを味わうことができます。現在、約4,800種類、10万本・株の樹木が植えられています。園内は、ばら園、つつじ園、うめ園、はぎ園をはじめ、植物の種類ごとに30ブロックに分けており、景色を眺めながら植物の知識を得ることができるようになっています。』(神代植物公園のhpから引用)

 
右手奥にある「ばら園」を目指して遊歩道を歩きました。
 
201905170023 
201905170024
 

バラ園の手前に詳細な案内図がありました。
 
201905170027
 
左手には花が盛りを過ぎた「しゃくなげ園」
 
201905170025
 

遊歩道の右手には「ダリア園」「ぼたん園」「しゃくやく園」が並んでいるようです。
 
201905170028
 

右手にそれた右側にある「ダリア園」では球根が植えつけられたばかりのようです。
 
201905170029
 

左側にある広い「しゃくやく園」では花好きのカメラマンたちが撮影に余念がありません。
 
201905170030 
201905170037
 
 
私も見ごろの「しゃくなげ」思い切り撮影しました。
 
201905170031 
201905170032 
201905170033 
201905170036 
201905170038 
201905170039  
201905170040  
201905170046 
201905170049 
201905170050 
201905170052
 

隣の「ぼたん園」では「紅輝獅子(こうきじし)」だけが花を残しています。
 
201905170042
 

次回は「大温室」内の植物を紹介します。(続く)

2019年5月18日 (土)

神代植物公園でバラを鑑賞する(その1) 「国際ばら新品種コンクール(JRC)入賞花展」

調布市の神代植物公園でバラが見ごろを迎えたとのニュースを見たことで久しぶりに訪れることにしました。前回、神代植物公園や深大寺を訪れたのはいつのことか記憶にありませんが、2005年10月6日に当ブログを始める前であることは確かのようです。ちなみに、当ブログでは隣接する三鷹市の禅林寺(ぜんりんじ)、ジブリ美術館三鷹天文台などを散策したり天然温泉むさし野「湯らく」とみたか温泉「新鷹の湯」に立ち寄ったりしたことをブログ記事で深大寺に触れています。

 
また、当ブログではこれまでに訪れたバラ園として、川崎市の生田緑地ばら苑(その1その2)、文京区の旧古川庭園横須賀市のヴェルニー公園御殿場市の百万本のバラ園前橋市の敷島公園などを紹介しています。

 
余談です。隣接するように立地する深大寺と神代植物園が異なる漢字を用いることに興味を持ってネットで検索すると、地名の変化がその理由であることが分かりました。以前の記事「枚方宿と娯楽湯」で紹介した大阪府枚方(ひらかた)市の楠葉(くずは)と樟葉(くずは)駅とよく似た経緯です。つまり、深大寺周辺は江戸時代から深大寺村と呼ばれていましたが、明治22年(1889年)4月に深大寺村と近隣の村が合併して神代村が誕生し、戦前 この地(深大寺の旧寺領)に造られた防空緑地が神代緑地と命名され、昭和36年(1961年)に神代植物公園が開園した経緯がありました。一方、平安時代に創建された深大寺の寺名は変わっていません。

 
国道20号(甲州街道)を西進して調布市の下石原交差点を右折、都道12号(武蔵野通り)を北上して中央自動車道を潜り、野川を超えた神代植物公園北交差点を右折して植物公園通りに入ったところに神代植物公園第1駐車場がありました。予想した通り、入口付近には数台の車が駐車場の入口へ向かうところでした。場内の奥にはまだ空きスペースがあり、神代植物公園が開場する午前9時30分ころに車を停めることができました。
 
201905170002
 

100mほど南へ歩いたところに正門ゲートがありました。
 
201905170003
 

入園料は大人500円(65歳以上は250円)・中学生200円
 
201905170010
 

正門を入った右手に神代植物公園の「園内情報案内所」と「触知図案内板」がありました。園内はいくつかのエリアに分かれており、各エリアを巡る順路が赤いラインで示されていました。目指す「ばら園」は右手奥にあるようです。ちなみに、「触知図」とは表面に凹凸があり、視覚障害者が指先で触れて形などを確かめることのできる図です。
 
201905170005 
201905170006
 

左手には神代植物公園とその周辺にある緑地(左隣り:自由広場・植物多様性センターなど、右飛地:水生植物園・城山)を含む大きな案内図もあります。
 
201905170009
 

そして、その左隣には「国際ばら新品種コンクール(JRC)入賞花展」の展示場が開設してありました。
 
201905170008
 

右端にある特別出展の「ミニバラ懸崖」(品種名:のぞみ、大熊康弘)
 
201905170011
 

以下、主な入賞作品を順不同で紹介します。(注、出品者と作品名は省略)
 
第Ⅰ部 四季咲き性大輪系 銅賞

 
201905170012 
201905170014 
201905170015
 
同 銀賞
 
201905170016
 

同 金賞
 
201905170017
 

第Ⅳ部 つる・シュラフ系 金賞
 
201905170018
 

第Ⅳ部 つる・シュラフ系 銅賞(左) 銀賞(右)  第Ⅲ部 ミニ・ポリアンサ・パティオ系 銀賞
 
201905170019
 

第Ⅲ部 ミニ・ポリアンサ・パティオ系 金賞
 
201905170020
 

第Ⅱ部 四季咲き性房咲き系 金賞
 
201905170021
 

次回から、ダリア園・ぼたん園・しゃくやく園、大温室、バラ園の順で神代植物園内を紹介します。(続く)

2019年5月14日 (火)

「いきなり!ステーキ」で「300gのワイルドステーキ」に挑戦する

ソフトバンクが提供する5月のスーパーフライデーは「丸亀製麺」です。「かけうどん(並)」と「ぶっかけうどん(並)」(いずれも290円)のいずれかが無料で選ぶことができるものです。さっそく同居者と二人で近くの「丸亀製麺」の店に出かけました。「かけうどん」を選んだ同行者はトッピング(有料)に「大海老天」「れんこん天」「いかアオサかき揚げ(ミニ)」を選んだため、お皿の上は山盛りになっています。「ぶっかけうどん(並)」を選んだ私は、これに圧倒されて「野菜かき揚げ」だけに留めました。ネギとオロシ生姜(しょうが)を「かけうどん」にたっぷり振りかけて快調に食べ始めた同行者でしたが、懸念した通り、「れんこん天」を半分残したところでギブアップ! これまでとは逆のパターンですが、半分になった「れんこん天」を私が美味しくいただくことになりました。帰路の車中、同行者が言うには、『美味しかったわ! もし、来週も来るなら、貴方だけにしてね!!』 と満足そう。
 
2019_05100002
 

翌週初め、イケヤの港北店へ出掛けた折り、同行者の期待に応える形で隣接する「コーナン港北インター店」のフードコートにある「いきなり!ステーキ」で昼食を摂ることにしました。テレビの情報番組で「いきなり!ステーキ」が紹介された時に同居者が「ここへ行ってみたい!」と言ったことがあったことを思い出したのです。隣接地といってもかなり歩く必要がありそうですから、車で移動することにしました。「コーナン」の西側にある広い駐車場に車を停めて「コーナン」の建物に入りましたが、フードコートは見当たりません。店内の案内図で確認すると、フードコートは道路を挟んだ西側の駐車場と園芸店舗の先(北側)、ロピア港北インター店の手前にあることが分かりました。
 
2019_05090001  
2019_05090002
 

フードコー棟の前にある駐車場を抜けて高速道路のサービスエリアにあるようなフードコー「ジョワイユレスト」に入ると、6店舗が並んでいました。3年前の7月16日にオープンした比較的新しい施設は左手前から「サーティワン アイスクリーム(Baskin Robbins)、そば店「そば処 味奈愛庵」、「いきなり!ステーキ」、「Pepper Lunch(ペッパーランチ)」、「はなまるうどん」「幸楽苑」「ジョワイユ レスト」の順です。ちなみに、ステーキ専門店が2店並んでいますが、両店は同じ系列(ペッパーフードサービス)のようです。
 
2019_05090020  
2019_05090008
 
ちなみに、「いきなり!ステーキ」の店構えはイトーヨーカ堂大井町店とほぼ同じです。
   
2019_05090006  
2019_05090005
   

事前に心積もりをしていた私は迷わず一番人気といわれる「CABワイルドステーキ」(300g、ライス無、1290円+税)を注文しましたが、同行者はしばし逡巡(しゅんじゅん)したあとに「CABアンガスビーフ サーロインステーキ(1840円+税)」に決めました。そして、焼き方はお勧めのレアではなくミディアムレアを、ライスは小を選んでいます。ちなみに、店頭のパネルによるとCABはトップシェア36%の部分を指すそうです。
 
2019_05090010 
2019_05090003   
2019_05090009
 
初めて「いきなり!ステーキ」を訪れた同行者は勧められるままに「肉マイレージカード」にも加入。
 
2019_05090004
 
待つこと約15分で呼び出しベルが鳴り、受け取りカウンターへ向かいました。ちなみに、5月5日の「がっちりマンデー!!」でこの呼び出し器の名称が「ワンタッチコール」(茅ヶ崎市の株式会社パシフィック湘南製)であることが紹介されました。
  
2019_05090007
   
「CABワイルドステーキ」は見た目にも迫力がありました。厚めの鉄皿に載せられているため、目の前で確認しながら自分の好みに焼くことが。できます。野菜サラダとスープが付いていて、コスパの良いランチメニューとして人気があるようです。ドレッシングはカウンターに置かれた3種の中から好みに応じて選ぶことができます。カウンターで受け取った時から左端が掛けていたのは重さを調整するためにカットされたのでしょう。
 
2019_05090016
   
一方、味見をさせてもらった「CABアンガスビーフ サーロインステーキ」は前回「イトーヨーカ堂大井町店」で食べたままの美味しいステーキです。

2019_05090012 
2019_05090018
 
「ワイルドステーキ」は厚切り肉が表面だけを焼いたレア状態で提供されましたから、野菜サラダを食べながら、鉄製皿の上でしばらく焼くことにしました。厚切り肉のためか適当な大きさにカットされて提供されますので、頃合いを見計らって一切れを口に入れました。見た目以上に柔らかい弾力のある肉で、意外なほど噛み切りにくい肉でした。ネット上でのコメントには硬い肉であるとの評価が目立ちましたが・・。二切れ目からはおろしにんにくをトッピングした肉片にホットステーキソースをかけると味は濃くなりましたが、脂身のような柔らかな食感は相変わらずであり、食べ難(にく)い肉であることにがっかりしました。
 
2019_05090015
 
店頭ではどの部位かは明示されていませんのでネットで調べると、肩ロース(プレミアム・アンガスビーフ)であるとの書き込みを見かけました。しかし、筋が多いことからみて、筋切りがされていないカットしただけの肩ロースあるいはモモ肉かもしれません。次回は「ヒレステーキ」にしたいと思います。
  
 
同行者は「アンガスビーフサーロインステーキ」が気に入ったようで、「小ごはん」とともに早々に食べ終わり、食べ難い「ワイルドステーキ」に苦戦した私は少し遅れをとりましたが、それでも二人とも約20分で完食。同行者は目星を付けていたと思われる入口に一番近い「サーティワン アイスクリーム」でワッフルコーンに装われたナッツ入りでコーヒー味の甘いアイスクリームを購入し、さらにご機嫌になったようです。

2019年5月12日 (日)

又吉直樹著「劇場」を読む

又吉直樹氏の処女作「火花」に続く第二作である「劇場」(20175月新潮社刊)を読みました。文藝春秋社から発行された前作とは異なるモノクロの無機質な画を装丁した表紙を捲(めくる)と、『まぶたは薄い皮膚でしかないはずなのに、風景が透けて見えたことはまだない。(中略)あきらめて、まぶたをあげると、あたりまえのことだけれど風景が見える。』 という唐突な文章で本文が始まりました。
 

[粗筋]
 

8月のある午後、新宿から三鷹の家へと向かっている主人公の永田は代々木体育館の脇を過ぎたところにある画廊の前で見かけた若い女性に思わず声を掛けた。自分でも訳が分からないと思う言葉を交わすうちに永田は近くのカフェでアイスコーヒーをおごってもらうことになる。その女性は青森県出身の沙希(さき)、高校卒業後すぐに女優を目指して上京し、現在は服飾の大学にも通っているという。永田も問われるままに無名の劇団で芝居の脚本(ほん)を書いている大阪出身者であると答えた。
 

沙希を相手にくだらないことを長々と話した後、郵便局のATMで残金1万円を下ろした永田は適当な店に入って二人でパスタを食べた。夜の匂いがする公園通りを抜けて渋谷駅まで歩いたところで二人は別れる。連絡先を交換したものの電話をかける理由がなく、携帯電話でメールだけは何度か送ったが、内容はどうしようもないものばかりで、再会を果たせるかどうかが気がかりである。そして、永田には十月に下北沢の駅前劇場で公演を控えていることも不安の一つだった。
 

公演の準備に追われる永田は沙希とメール交換を続けてはいたが、脚本がほぼ完成したような気持ちになったことで、劇団仲間のアドバイスにしたがい、渋谷に家具を見にゆくことを口実にメールで沙希を誘う。渋谷の西武百貨店のあたりで午後五時に待ち合わせた二人はあてもなく歩き始める。驚いたことに沙希は美容師やら雑誌の編集者やらに信じられないほど声をかけられるが、知らない人と話したくない永田はそれらの人々を無視する。結局、適当な家具屋にはたどり着けず、夜になっても二人は歩き続けた。こうして二人の付き合いが始まる。
 

脚本を書き上げた永田は女役に沙希を起用することを決める。沙希のキャラクターが劇作家と一緒に暮らす女の役にふさわしいと考えたのだ。本番まで三週間しかなかないことで永田はさっそく沙希のアパートを訪れる。自室で原稿を読んだ沙希は意外なことに感動して泣き始めた。永田の提案に対して最初は『できないよ』 と言う沙希に永田はゆっくりと時間をかけて丁寧に説明する。そして、『やってみる』と沙希が口にした時には、窓の外が明るくなりはじめていた。(以下略)
  
 

[読後感]
 

演劇へ一途に取り組む永田と彼を見守りながら理解しようとする沙希との奇妙な出会いから数年にわたる交流が著者一流の文体で生き生きと表現され、永田の頑(かたく)なな性格によって次第に追い詰められて行く二人の精神状態の変化とついには避けられないエンディングへと繋(つな)がる様が見事に描かれている。前作に比べると、関西弁での会話が最小限に抑えられていることもあり、やっと私にも著者の卓越した文章力が理解できました。また、著者が持つ登場人物への暖かい思い遣りが行間から自ずと伝わったことも特筆すべき点でした。

2019年5月 9日 (木)

又吉直樹著「火花」を読む

文藝春秋社から2015年3月に発行された掲題の著作を読みました。同社の『文學界』2015年2月号にまず掲載されると現役の人気お笑いタレントが書いた純文学小説として話題を呼び、新人小説家の登竜門である第153回芥川龍之介賞(2015年上期)を受賞した中編小説です。(注、羽田圭介氏との同時受賞) 250万部を突破する超ベストセラーとなったこの作品を発行から4年が経過した今になって読もうと思った理由は特にありませんが、敢(あ)えていえば人気を博した作品への評価が大きく分かれたことに影響されて、読むタイミングを逸したことだと思います。
 

[あらすじ]
 

花火の観覧場所へ向かう人で賑わう熱海湾に面した沿道脇にある簡素な舞台の上で松永(主人公)とその相方のコンビ「スパークス」が漫才を披露しているが二人に気をとめる人は皆無である。後方の海では花火の爆発音が成りはじめたころに二人は舞台から降りて、控えとなる粗末なテントの中で最後のコンビ「あほんだら」とすれ違った時、その一人から「仇(かたき)とったるわ」との言葉を投げつけられた。「あほんだら」の漫才は大衆に喧嘩を売るような激しいもので主人公はそのコンビから目を離せなくなっていた。そして、「ギャラ貰ったから飲みに行けへんか?」と同じ人物が声をかけてきた。こうして知り合ったのが「あほんだら」の神谷(かみや)さんだった。東京で活動している僕は二十歳、大阪の大手事務所に所属する神谷さんは二十四歳。僕はなぜか型破りな神谷さんに弟子にしてくださいと頭を下げた。
 

会う機会がほとんどない二人は携帯電話で近況を伝えあうようになった。熱海の花火大会から一年が過ぎたが、「スパークス」は小さな劇場に出演するため、月一度のネタ見せと呼ばれるオーディションを受ける日々が相変わらず続いていた。それでも、少しずつ劇場での出番が増えていくに伴い、他事務所のライブにも呼ばれるようになり、劇場に足を運んでくれる人達に名前を憶えてもらえるようになった。そのころ、神谷さんが拠点を東京に移すことになる。劇場システムから零(こぼれ)れ落ちた人と同様に新天地を求めて東京に出てくることになったのである。周囲と上手く関係を築くのが不得意のようだ。
 
その神谷さんからのメールで私は住まいがあるという吉祥寺へ向かう。吉祥寺駅で落ち合った二人はいつの間にか井の頭公園に向かう人達の列に並んでいた。神谷さんは公園で太鼓のような細長い楽器を叩いている若者が気になったのか、やおら絡み始めた。それでも雨が降ってきたことで珈琲店に場所を変えると、神谷さんが漫才に関する持論を長々と展開する。
 
それから吉祥寺で毎日のように二人は会うようになった。そんなある日、泥酔した僕を神谷さんは家に誘った。押し問答の末、僕は神谷さんの後をついて行くと、吉祥寺通りを抜けてトラックばかりが通過する青梅街道を突っ切って富士見通りと中央通りから「西武鉄道 上石神井駅」前のロータリーに出た。神谷さんの住いは吉祥寺ではなかった。二人が着いたのはとあるアパートで、「真樹」という女性が住む部屋である。神谷さんはこの部屋に転がり込んでいるようだ。
 

年が明けて間もない頃、珍しく神谷さんから渋谷に呼び出された。スクランブル交差点を横断して、宇田川交番の近くにある居酒屋で女性たちと待ち合わせているようだ。男女が出会う飲み会に参加するのが初めての僕はかなり気遅れ(注、気後れとも表記)していた。神谷さんは僕や真樹さんと一緒にいる時よりも少し明るいように見え、飲み会は神谷さんの独壇場だった。井の頭線の終電近く、二人は吉祥寺へ向かった。下北沢と明大前で多くの人の乗降があり、永福町でも。吉祥寺に着いた二人は北口を出て、神谷さんの誘いで「ハーモニカ横丁」へ行く。
 

子供の頃からテレビで見ていた大師匠の訃報を聞いて僕はすぐにネタ合わせがしたくなって、高円寺の自宅から程近い公園に相方の山下を呼び出した。ネタを考えながら口で合わせる時は新宿の喫茶店。実際に立って合わせる時は、この公園が多かった。取りあえず、次のオーディションでやる予定のネタを合わせてみたが、あまり上手く行かない。繰り返し何度もやってみたが、いつも以上に噛み合わない。お互いのテンポがまるで合っていないのだ。いつまで経っても僕達には自分達のリズムというものが見つからないのだ。そして二人は言い争いになる。(以下省略)
   

[読後感]
 

著者の又吉直樹氏は大阪府寝屋川市(北河内)出身のお笑いタレントで、相方の綾部裕二(茨城県古河市出身)とお笑いコンビ「ピース」を結成して活躍(現在は活動休止中)。又吉氏の生い立ち(大阪府出身)とお笑いタレントとしての経歴が十二分に反映された小説だといえるでしょう。
 

本書の特徴となっているポイントを私なりに列挙すると、①一人称で書かれている、②多用される関西弁(大阪弁)による芸人同士の会話を通して人物描写と心情表現が行われる、③芸人である著者の考え・心情を登場人物に語らせている、④豊富な語彙(ごい)と長文を自由に操る優れた文章力で書かれている、となりますが、これらの特徴が中編小説「火花」の評価を二分させているともいえるでしょう。特に、④の文体が芥川賞に相応しい水準であるか否かを疑問視する意見があるようです。
 

しかし、純文学に馴染みのない私はその文体の是非についてコメントすることはできませんが、②と③はこの作品の大きな魅力であると感じました。また、エンディングへと至る後半のストーリー展開も著者の並々ならぬ才能を反映していると思いました。乱暴な意見ですが、私には「火花」が上方漫才の手法を用いて書かれた中編小説のように思われてなりません。
 
題名が「火花」であることも私の心に引っ掛かりました。冒頭の場面と最後の場面はともに熱海の「花火」大会を背景としていることから「花火」で良かったのではという疑問です。一方、主人公「徳永」が結成していた漫才コンビの名は「スパークス」(火花)で、こちらは「ぱっと出てぱっと消える」ことを意味しており、この漫才コンビの行く末をそのまま予言しています。ちなみに、報道によればこの題名は文学界の編集部サイドから提示されて、又吉氏が気に入って受け入れたものだそうです。つまり、この小説に出てくる芸人は花火の中の1つの火花みたいな存在という意味があるそうです。
 

又吉直樹氏の「火花」は芥川賞よりも直木賞のほうが相応しいのではないかと思った私は第二作の中編小説「舞台」も読んでみることにしました。
   

[参考情報]
 
公益財団法人日本文学振興協会のhpによると芥川賞と直木賞は次の通り説明されています。
 

芥川賞(正式には芥川龍之介賞)は文藝春秋の創業者・菊池寛(明治21年~昭和23年)が、友人である芥川龍之介(明治25年~昭和2年)の名を記念し、直木賞と同時に昭和10年に制定しました。雑誌(同人誌を含む)に発表された、新進作家による純文学の中・短編小説のなかから、最も優秀な作品に贈られる賞です。
 

直木賞(正式には直木三十五賞)は同じく友人である直木三十五(明治24年~昭和9年)の名を記念し、芥川賞と同時に昭和10年に制定しました。新進・中堅作家によるエンターテインメント作品の単行本(長編小説もしくは短編集)のなかから、最も優秀な作品に贈られる賞です。

 

少し噛み砕いて説明すると、両賞はそれぞれ純文学と大衆文学の作品を対象としている点に違いがあります。また、前者は「芸術性」と「形式」を重んじる小説で、主に文章の美しさや表現鵜の多彩さが評価され、後者は「娯楽性」と「商業性」を重んじる小説で、読んで楽しいと感じるエンターテイメント小説とされます。また、対象なると作者については、前者が無名~新人であり、後者は無名~中堅と微妙に異なり、両賞を同時に受賞することはできません。

2019年5月 6日 (月)

菅野仁著「友だち幻想」を読む

筑摩書房から2008年3月に出版された掲題の新書(2018年4月初版第25刷)は『人と人の〈つながり〉を考える』 を副題としています。インターネット、なかでもSNSの普及によって急速かつ大きく変わったといわれる「人と人の繋がり」を考える上での参考になることを期待して、気軽な気持ちでこの本を手に取りました。
 

その裏表紙には『友だちは何よりも大切。でも、なぜこんなに友だちとの関係で傷つき、悩むのだろう。人と人との距離感覚をみがいて、上手に〈つながり〉を築けるようになるための本。』 とあります。ちなみに、目次は次の通りです。
  
 

[目次

はじめに― 「友人重視指向」の日本の高校生

第1章 人は一人では生きられない?

第2章 幸せも苦しみも他者がもたらす

第3章 共同性の幻想――なぜ「友だち」のことで悩みは尽きないのか

第4章 「ルール関係」と「フィーリング共有関係」

第5章 熱心さゆえの教育幻想

第6章 家族との関係と、大人になること

第7章 「傷つきやすい私」と友だち幻想

第8章 言葉によって自分を作り変える

あわりに――「友だち幻想」を超えて
   

[出版社からのコメント]

本書は、もともとは2008年に社会学を専門とする著者が人間関係で初めてつまずきを感じる多感な年頃の中・高校生に向けて書いたものです。他者との距離感についてもう少し敏感になることで、もっと豊かな関係を築くことができると説いています。今では学生だけでなく、老若問わず深く共感する声が多数寄せられています。と同時に、初学者向けに社会学を紹介するテキストとしても定評があり、中学から大学の課題図書や入試問題文としても繰り返し使われています。 
   

[要旨]

著者は「はじめに」から第1章と第2章において、友だちや人との付き合い方、つまり人間関係とは何かを教育者としての知見に基づいて分析し、『友だちは何よりも大切。でも、なぜこんなに友だちとの関係で傷つき、悩むのだろう。』 という疑問を取り上げた。つまり、過剰な〈つながり〉がもたらす息苦しさに目を向けたのである。かつての「ムラ社会」が貨幣が浸透するとともに変質し、お金さえあれば一人で生きることが選択可能と思われるようになったことで、逆に人のつながりが大切になっているが、 『一人は寂しい』 との感覚があると著者はいう。そして、「親しさを求める作法」が昔と違い、人と人のつながりには「利益をを得ようとする場合」と「つながることそのものが目的である場合」の2つがあると分析し、後者には「幸福そのものの歓び」と「他者から承認される歓び」(脅威の源泉になる場合も)があるという。
   

第3章では教育界でこれまで常識とされた共同性、つまり 『みんなと仲良くしなければいけない』 といったような人間関係の常識が幻想であったことを明らかにし、同調圧力により友情が強迫になることがあり、それとどう折り合いをつけるのかが課題となることを事例で紹介。つまり、「同調性」から「併存性あるいは共在性」(やりすごすという発想)へ発想転換することの意義を述べた。また、第4章では「ルール関係」(自由のために必要であるが最小限が望ましい)と「フィーリング共有関係」(負の部分がある)の考えを提起して人間関係の多様性を捉え、第5章では教育界で定着する上記の共同性が思い込みであることを明示し、「村社会的な人間関係」や「話せば分かる」はもはや幻想であると指摘した。
 

以上の検討結果を踏まえて、第6章と第7章で成長過程にある子供たちが家族(定位家族)との関係を通して人と人の関わりを学ぶ過程において他者と適切な距離を取ることが重要であることを詳しく解説した。つまり、他者を100%理解して受け入れることは極めて難しいことはもちろん、逆に「自分を丸ごと受け入れてくれる人がきっといる」 と考えることも現実的ではないと分析し、他者との関係を共有関係あるいはその真逆である拒絶関係として捉えるのではなく、相応の距離を保つ能力の重要性を明らかにして、社会人となる前にその能力を取得する必要性を指摘。つまり、人と人との距離感覚をみがいて、上手に「つながり」を築くことが生きていくために大切なことであると著者は言う。

 

第8章では相手の働きかけに対してきちんとレスポンスすることの重要性と他者とのコミュニケーションを阻害する言葉である「ムカツク」「うざい」「ていうか」「チョー」「カワイイ」「ヤバイ」「キャラがかぶる」「KY(空気読めない)」などの危険性に言及した。そして、「他者とのつながり」に必要な情緒や論理の深度を深める言葉を増やすためには読書が一番の早道だと指摘した。つまり、「言葉によって自分を作り変える」ことの有用性である。最後は、『他者への恐れの感覚や自分を表現することの恐れを多少乗り越えて、少々苦労して人とぶつかり合いながらも理解を深めることで人とつながることができるようになる。』 と締めくくった。
   
[読後感]

成長過程にある中高生だけではなく、様々な世代の社会人、そして豊富な経験を積んだ高齢者においてさえ難しい人間関係を根本から見直し、その改善策である「他者との適切な距離感を取る(敏感になる)こと」と「情緒を共振させながら他者との交流を通して生を深く味わうこと」の有用性を提示することで、生きる上で大切な「人との良いつながり」を可能にする手法を解説する実用的な良書です。

2019年5月 3日 (金)

ユヴァル・ノア・ハラリ著「ホモ・デウス 〜テクノロジーとサピエンスの未来」(下巻)を読む

株式会社河出書房新社から2018年9月に出版された掲題のハードカバー本(下巻)の要旨をまとめてみました。ちなみに、下巻の目次は次の通りです。

6章 現代の契約
銀行家はなぜチスイコウモリと違うのか?/ミラクルパイ/方舟シンドローム/激しい生存競争

7章 人間至上主義
内面を見よ/黄色いレンガの道をたどる/戦争についての真実/人間至上主義の分裂/ベートーヴェンはチャック・ベリーよりも上か?/人間至上主義の宗教戦争/電気と遺伝学とイスラム過激派

2部 ホモ・サピエンスが世界に意味を与える

8章 研究室の時限爆弾
どの自己が私なのか?/人生の意味

9章 知能と意識の大いなる分離
無用者階級/八七パーセントの確率/巫女から君主へ/不平等をアップグレードする

10章 意識の大海
心のスペクトル/恐れの匂いがする/宇宙がぶら下がっている釘

11章 データ教
権力はみな、どこへ行ったのか?/歴史を要約すれば/情報は自由になりたがっている/記録し、アップロードし、シェアしよう! /汝自身を知れ/データーフローの中の小波

謝 辞

訳者あとがき
 
 
[要旨]
 
第2部の後半部である「第6章 現代の契約」では現代における力の追求を取り上げ、「第7章 人間至上主義革命」では人類がしだいに大きくなる力をどのように使って宇宙の無限の空虚さの中になんとか再び意味をこっそり持ち込もうとしてきたかを考察した。

まず、現代の契約とは人間に途方もない誘惑と桁外れの脅威を抱き合わせで提供する。そして、現代における力の追求は科学の進歩と経済の成長の間の提携を原動力としているとも。それまでは、科学がゆっくり進歩し、経済は完全な凍結状態にあった。したがって、人々は経済が成長すると信じていなかった。世界は決まった大きさのパイであるという伝統的な見方は、世界には原材料とエネルギーという2種類の資源しかないことを前提としていた。

だが実は、資源には3種類ある。原材料とエネルギーと知識だ。最初の2つは限りがあり、使えば使うほど残りが少なくなる。それに対して、知識は増え続ける資源で、使えば使うほど多くなる。これに気づかなかった理由は、この世界が提供しうる重要な知識はすべて聖典や古代からの伝承の中に含まれていると信じていたからだ。しかし、人類は科学革命によって、この素朴な思い込みから解放された。科学の助けを借りて、これまでよりもはるかに多くのエネルギーと原材料を思いのままにしており、生産は急激に増えている。蒸気機関や内燃機関やコンプューターなどの発明から新しい産業がいくつも誕生した。

20年先にはナノテクノロジーや遺伝子工学やAIがまたしても生産に大革命を起こすことは確実だ。したがって、資源の欠乏という問題を克服する可能性は十分ある。現代の経済にとって真の強敵は生態環境の崩壊だ。たとえ経済の破綻と生態環境のメルトダウンの両方をなんとかかわせたとしても、さまざまな大問題を引き起こすだろう。現代社会の崩壊から人類を救出したのは需要と供給の法則ではなく、革命的な新宗教、すなわち人間至上主義の台頭だった。

人生の意味も神や自然の法もない生活への対応策として登場した人間至上主義は、人間性を崇拝し、キリスト教とイスラム教で神が、仏教と道教で自然の摂理がそれぞれ演じた役割を、人間性が果たすものと考えである。つまり、これまでのように宇宙の構想が人間の人生に意味を与えるのではなく、人間の経験が宇宙に意味を与えるのが当然だと考えを反転させた。

過去2世紀にわたる世界観であった人間至上主義は3つの主要な宗派、自由を重視する正統派の人間至上主義、社会主義的な人間至上主義、ナチスを最も有名な提唱者とする進化論的な人間至上主義に分かれた。1914年から1989年まで3つの人間至上主義の宗派間で宗教戦争が猛威を振るい、最初は自由主義が敗北を喫したが、第二次世界大戦では自由主義の大勝利となったが、ドイツ軍を打ち負かしたのは自由主義陣営がソ連と手を結んだからだ。そして、社会主義的な人間至上主義はソ連から東欧や中国へと広まった。

1975年、自由主義陣営は最も屈辱的な敗北を喫した。ヴェトナム戦争が北ヴェトナムの勝利で終わり、共産主義は南ヴェトナム、ラオス、カンボジアを相次いで掌握した。これにより、社会主義陣営が自由主義陣営を上回る勢力となったが、南欧で独裁者政権が倒れ、インドでも民主主義が復活し、1980年代には東アジア(中華民国・韓国)とラテンアメリカ(ブラジル・アルゼンチン)などで軍事独裁政権が民主的な政権に取って代わられたことで自由主義陣営が冷戦で決定的な勝利を収め、人間至上主義の宗教戦争の趨勢が決まった。ソ連が内部崩壊し、東欧と旧ソ連の共和国の多くが自由主義政権となったことは世界の他の地域(ラテンアメリカ・南アジア・アフリカ)にも広がった。

しかし、著者は21世紀に人間が不死と至福を人間至上主義の文明が最大化するとしても驚くまでもないと言いつつも、夢の基盤を損なう恐れを、「第3部 ホモ・サピエンスによる制御が不能になる」で述べる。

「第3部 ホモ・サピエンスによる制御が不能になる」のポイントは、人間はこの世界を動かし、それに意味を与え続けることができるか? バイオテクノロジーとAIは、人間至上主義をどのように脅かすか? 誰が人類の跡を継ぎ、どんな新宗教が人類至上主義に取って代わる可能性があるのか? であることをまず示唆した著者は最後の第3部を紐解き始めた。

第8章 研究室の時限爆弾

2016年の世界は、個人主義と人権と民主主義と自由市場という自由主義のパッケージに支配されているが、21世紀の科学は自由主義の秩序の土台を崩しつつある。自由主義も他のあらゆる宗教と同じで、抽象的な倫理判断だけではなく、自らが事実に関する言明と信じるものに基づいているが、それらは厳密な科学的精査には到底耐えられないのだ。自由主義者が個人の自由を重視するのは、人間には自由意志があると信じているからだ。しかし、自由意志と現代の科学との矛盾は研究室の持て余し者であり、多くの科学者はなるべくそれらから目を逸らしている。しかし、サピエンスのブラックボックスを開けると、魂も自由意志も「自己」も見つからず、遺伝子とホルモンとニューロンがあるばかりで、それらはその他の現実の現象を支配するのと同じ物理と化学の法則に従っていた。

自由へのとどめの一撃を加えたのは進化論だ。自由意志という概念を受け容れることができない。人はこのような科学的説明を突きつけられると、自分は自由だと感じていることや、自分自身の願望や決定に従って行動していることを指摘する。もし「自由意志」とは自分の欲望に即して振る舞うことを意味するのなら、たしかに人間には自由意志がある。

だが、肝心の疑問はその欲望を選ぶことができるかどうかだが、科学は自由意志があるという自由主義の信念を崩すだけではなく、個人主義の信念も揺るがせる。人間は分割不能な個人ではない。さまざまなものが集まった、分割可能な存在なのだ。例えば、右脳と左脳には情動的な違いと認識的な違いがあることが多くの実験で明らかになっている。また、経験する自己と物語る自己が緊密に絡み合いながら存在することも。そして、物語る自己は経験する自己の経験を使って物語を創造する。

とはいえ、必ずしも物語る自己が優位とは限らず、物語る自己が練り上げた計画を台無しにすることがよくある。しかし、私たちのほとんどは自分を物語る自己と同一視する。つまり、私たちが「私」というときには、自分がたどる一連の経験の奔流ではなく、頭の中にある物語を指している。例え、何度となく書き直されて、今日の物語で生涯変わることのない単一のアイデンティティがあるという感じをつねに維持するのだ。これが分割不能の個人である。

第9章 知能と意識の大いなる分離

前章では自由主義の哲学を切り崩す近年の科学的発見を眺めたが、本章ではその実際的な意味合いを考察する。自由主義が支配的なイデオロギーとなったのは、たんにその哲学的な主張が最も妥当だったからではない。むしろ、人間全員に価値を認めることが、政治的にも経済的にも軍事的にもじつに理に適っていたからこそ、自由主義は成功したのだ。しかし、21世紀には、自由主義は自らを売り込むのがずっと難しくなるだろう。過去には人間にしかできないことがたくさんあった。だが今ではロボットとコンピューターが追いついてきており、間もなくほとんどの仕事で人間を凌ぐかもしれない。人間は経済的な価値を失う危機に直面している。なぜなら、知能が意識と分離しつつあるからだ。

21世紀の経済にとって最も重要な疑問はおそらく、厖大な数の余剰人員をいったいどうするか、だろう。これは新しい疑問ではなく、産業革命が勃発して以来、人々は機械化のせいで大量の失業者が出ることを恐れてきた。ところが、そういう事態にはならなかった。新しい職業が誕生し、機会よりも人間のほうがうまくこなせること(認知的技能が必要な仕事)がつねにあったからだ。

また、21世紀の新しいテクノロジーは、人間至上主義の革命を逆転させ、人間から権威を剥ぎ取り、その代わり、人間ではないアルゴリズムに権威を与えるかもしれない。ハイテクの権威たちが、神とはおよそ無縁でテクノロジーがすべてである素晴らしき新宗教を私たちのために生み出しつつある。こうした新しいテクノ宗教は、テクノ人間至上主義とデー教という、2つの主要なタイプに分けられる。データ教によると、人間はこの世界における自分の任務を完了したので、まったく新しい種類の存在に松明(たいまつ)を手渡すべきだという。もう一つはより保守的な宗教であるテクノ人間至上主義である。

この宗教は依然として、人間を森羅万象の頂点とみなし、人間至上主義の伝統的な価値観の多くに固執する。はるかに優れた人間モデルであるホモ・デウスを生み出すために、遺伝子工学やナノテクノロジーやブレイン・コンピューター・インターフェースなどのテクノロジーを使うべきだと結論する。つまり、人間は自分の頭脳を積極的にアップグレードしなければならないという。しかし、人間の意志がこの世界で最も重要であると考えているため、その能力をどう使えばいいのか分からなくなり、どうしようもないジレンマに直面する。

一方のデータ至上主義は、森羅万象がデータの流れからできており、どんな現象やものの価値もデータ処理にどれだけ寄与するかで決まる。生物化学では生き物を生化学的アルゴリズムとして考えており、コンピューター科学者はしだいに高性能の電子工学的アルゴリズムを設計できるようになった。データ至上主義はこれら2つをまとめ、まったく同じ数学的法則が生化学アルゴリズムにも電子工学的アルゴリズムにも当てはまると指摘する。そして、動物と機械を隔てる壁を取り払う。そして、ゆくゆくは電子工学的なアルゴリズムが生化学的なアルゴリズムを解読して、それを超える働きをすることを見込んでいる。

データ至上主義の視点に立つと、人類という種全体を単一のデータ処理システムとして解釈し、一人ひとりの人間はそのシステムのチップの役目を果たす。そして、このシステムは「すべてのモノのインターネット」と呼ばれる。この宗教が信奉する至高の価値は「情報の流れ」だ。データ至上主義によると、人間の経験は神聖ではないし、ホモ・サピエンスは、森羅万象の頂点でもなければ、いずれ登場するホモ・デウスの前身でもない。人間は「すべてのモノのインターネット」を創造するための単なる道具に過ぎない。人類はそれと一体化する定めにある。(注釈:著者はデータ至上主義の出現で考えられる多くのシナリオを描くが、それについては説明を省略する)

最後にデータ至上主義が与える可能性があることについて次のようなシナリオを提供した。今のところ、人間至上主義に取って代わるものとして最も有力なのは、人間ではなくデータをあらゆる意味と権威の源泉とするデータ至上主義だ。データ至上主義の観点に立つと、人類全体を単一のデータ処理システムと見なし、歴史全体を、このシステムの効率を高める過程と捉えることができる。この効率化の極致が「すべてのモノのインターネット」だ。だが、大量で急速なデーターフローには、人間をアップグレードしても対処できない。
 
「人間はその構築者からチップへ、さらにはデータへと落ちぶれ、ついには急流に呑まれた土塊(つちくれ)のように、データの奔流に溶けて消えかねない」「人間と動物の関係は、超人と人間の未来の関係」やデータ至上主義と人間にとって、「私の手元にある最良のモデルだから」でもある。このモデルに従えば、こうなる。「自動車が馬車に取って代わったとき、私たちは馬をアップグレードしたりせず、引退させた。ホモ・サピエンスについても同じことをする時が来ているのかもしれない」 だが、サピエンスにも未来に希望が見える。まず、現在の科学の教義が正しくないと考える余地が残っている。意識が知能より重要である可能性は今後も真剣に研究・検討していく価値がある。
 
そして、もう一つ。本書の予測が、予測のための予測ではなく、未来は変えられるという前提で思考や行動を促す提言である点だ。「本書の随所に見られる予測は、今日私たちが直面しているジレンマを考察する試みと、未来を変えようという提案にすぎない」「予言ではなく可能性として捉えるべきだ」、歴史を学ぶことの意義については、「歴史の研究は、私たちが通常なら考えない可能性に気づくように仕向けることを何にもまして目指している」とする。(終)

2019年5月 2日 (木)

ユヴァル・ノア・ハラリ著「ホモ・デウス 〜テクノロジーとサピエンスの未来」(上巻)を読む

株式会社河出書房新社から2018年9月に出版された「ホモ・デウス ~テクノロジーとサピエンスの未来」(上下巻)の「書評」に続いて、上巻の要旨をまとめてみました。ちなみに、上巻の目次は次の通りです。

   第1章 人類が新たに取り組むべきこと

  生物学的貧困線/見えない大軍団/ジャングルの法則を打破する/死の末日/幸福に対する権利/
  地球という惑星の神々/誰かブレーキを踏んでもらえませんか?/知識のパラドックス/芝生小史/
  第一幕の銃

第1部 ホモ・サピエンスが世を征服する

   第2章 人新世

  ヘビの子供たち/祖先の欲求/生き物はアルゴリズム/農耕の取り決め/五00年の孤独

   第3章 人間の輝き
  チャールズ・ダーウィンを怖がるのは誰か?/証券取引所には意識がない理由/生命の方程式/
  実験室のラットたちの憂鬱な生活/自己意識のあるチンパンジー/賢い馬/革命万歳!/セックス
  とバイオレンスを越えて/意味のウェブ/夢と虚構が支配する世界

第2部 ホモ・サピエンスが世界に意味を与える

   第4章 物語の語り手
  紙の上に生きる/聖典/システムはうまくいくが・・・・・

   第5章 科学と宗教というおかしな夫婦
  病原菌と廃物/もしブッダに出会ったら/神を偽造する教義/魔女狩り
 

[要旨]

第1章 人類が新たに取り組むべきこと

人類にとって新たに取り組むべきことは何千年も不変であった3つの問題であったことを世界各地域の事例を引用しながら解説した。その1つ目は何千年も前から人類が「生物学的貧困線」ぎりぎりのところで暮らしてきており、何かの災難に見舞われると、栄養不良になり、飢え死にする。つまり「飢餓の問題」である。筆者は古代のエジプト、中世のインド・フランス・フィンランド・スコットランドで発生した飢餓、そして何千年にも渡って飢餓に付きまとわれた中国を事例として説明した。そして、現在は逆に太り過ぎの人は21億人を超え、栄養不良の人は8億5千万人に過ぎない。これにより、飢餓と栄養不良で亡くなった人は約100万人だったのに対して、肥満で亡くなった人は300万人以上いたと筆者は言う。

第2の大敵は疫病と感染症である。最も有名なのが1330年代に東アジアあるいは中央アジアからアジア、ヨーロッパ、北アフリカ全土に広まった「黒死病」で、死者は7500万人〜2億人を数えた。1520年にスペインの艦隊がキューバから天然痘のウィルスをメキシコへ持ち込んだことで、アステカ族の首都で、25万人の人口を擁する都市テノチティトランの人口の3分の一が命を落とした。1778年にはジェームズ・クック船長はハワイにインフルエンザと結核と梅毒の病原体を持ち込んだ。感染症は20世紀に入ってからも、1918年には数か月のうちに当時の地球人口の3分の1に当たる5億人が「スペイン風邪」に感染して発病した。しかし、過去数十年間に感染症の発生数は劇的に減った。特に、世界の小児死亡率は史上最低を記録し、成人するまでに亡くなる子供の割合は5%に満たない。先進国では1%を切っている。エイズ、SARS、鳥インフルエンザ、エボラ出血熱などは「黒死病」に比べれば少数の犠牲者しか出ていないと筆者は指摘する。

第3の朗報は戦争も無くなりつつあることである。20世紀後半に、国際関係はいわゆる「ジャングルの法則」弱肉強食の法則)は打破され、ほとんどの地域では戦争がかってないほど稀になった。21世紀初頭の今、全世界の死亡率のうち、暴力に起因する割合はおよそ1%にすぎない。それ以上に重要なことは、しだいに多くの人が戦争は断じて考えられないものと見るようになったことである。

飢餓と疫病と戦争はおそらく、この先何十年も犠牲者を出し続けることだろうが、それらはもはや無力な人類の理解と制御の及ばない不可避の悲劇ではなか。すでに、対処可能な課題になった。そして、人類が取り組むべきこととして、今度は人間を神にアップグレードし、ホモ・サピエンスをホモ・デウス注、デウスは神の意)に変えることを目指すだろう。具体的にはまず不死を目指す努力であろう。次いで幸福への鍵永続的な快楽)を見つけることであると著者は予測する。至福と不死が神の特性だからである。人間を神へとアップグレードするときに取りうる道は、生物工学、サイボーグ工学、非有機的な生き物を生み出す工学の3つのいずれかとなるだろうと著者は考え、自らの機能を一つずつ変えていき、ついにはもう人間ではなくなってしまうと著者は考える。

プロローグに続いて「第1部 ホモ・サピエンスが世界を征服する」で著者は人間と他のあらゆる動物との違いをアルゴリズム(一連の秩序だったステップ)および近代科学と産業の台頭の観点から考察さ、人間がどのようにして世界を征服したかを心(意識)と宗教、そして大規模な協力を可能にする能力との関係から考察し、想像の中にだけ存在する力・物・場所についての共同主観的なウエブ(言語を使う新しい現実)とそれに見合う想像力を持つことでホモ・サピエンスが世界を支配する存在になったことを明示した。

「第2部 ホモ・サピエンスが世界に意味を与える」では、人間がどのようた世界を生み出したか、人間はどのようにして世界を支配するだけではなくなく世界に意味を与えていると確信するようになったか、人間至上主義人類の崇拝)はどのようにして最も重要な宗教となったかについて次々と考察した。

個々の人間の基本的な能力は石器時代からほとんど変わっていないが、およそ7万年前に始まった認知革命物語によってウェブは強力になり、それによって歴史を石器時代からシリコン時代へと推し進めできた。つまり、狩猟採集民が約1万2000年前に農耕を始めたことで物資的基盤が拡大・強化され、それにともない約5000年前にシュメール人メソポタミア南部に居住)が書字と貨幣を発明したことでデータ処理能力が飛躍的に強化された。これにより、シュメールの神殿と同様、ファラオが統治したエジプトでも実務を担う役人が生まれた。つまり、人間は社会をまるごとアルゴリズムの形で組織できるようになった。
 
しかし、書字は強力な想像上の存在の出現を促し、虚構の存在が現実と乖離するようになる。その場合、書字で記述された内容か現実に合わせて修正されると考えるべきであるが、実際は書字の世界が優先され、現実は無視あるいは切り捨てられたことを著者は数多くの事例を挙げて解説した。皮肉なことに虚構のおかげで人間は、大きな代償を払いながら、上手に協力できることでシステムが上手くいっているように見えてしまうと著者な看破する。そして、「科学と宗教というおかしな夫婦」とのタイトルで両者は単純な対立関係にあるのではなく、微妙な補完関係にあることを詳説する。(下巻へ続く)

2019年5月 1日 (水)

ユヴァル・ノア・ハラリ著「ホモ・デウス ~テクノロジーとサピエンスの未来~」の書評

今年のゴールデンウィークは5月1日(水)に元号が平成から令和へと変わることにともない、4月27日(土)から6月6日(月)まで連続10日間の休日が続くことになりました。これまでになかったこの長い連休をどのように過ごすかを考える人が多かったと思います。かく言う私も一応考えてみましたが、毎日が日曜日である私には、この10連休といえども私の日常とほとんど変わりが無いことに思いが至りました。つまり、改めて過ごし方を考える必然性がないのです。とはいっても、いったん考え始めたからには何らかの結論を導き出さないと気が済まないのが私の悪い癖です。そして、無理やり考えついたのは、暇つぶしとして「これまでWOWOWで撮り溜めた映画(BD)を視ること」に加えて、「読書」と「ウォーキング」でした。「ウォーキング」については2月下旬からほぼ毎日続けていますから、新たなアイディアは体調不良によってこの半年間遠ざかっていた「読書」です。

そこで先ず選んだ本が株式会社河出書房新社から2018年9月に出版された掲題のハードカバー本(上下2巻)です。この本のキャッチ・コピーは 『全国で売れてる本1位! あなたは「神の人(ホモ・デウス)」か「無用者階級」か、全世界1000万部突破『サピエンス全史』の著者が描く衝撃の未来』 とインパクトがあります。このキャッチ・コピーは何度読んでも私にはまったく理解できません。創作語と思われる「ホモ・デウス」とは何なのか? 「無用者階級」とは? 疑問が私の脳内に溢(あふ)れました。

早速、上巻を手にとると、表表紙の裏側である「そで」には、『世界的なベストセラー「サピエンス全史」は、取るに足りない類人猿が、どのように地球の支配者となったのかという、人類の過去についての物語である。本書「ホモ・デウス」でユヴァル・ノア・ハラリは、人類の未来を描く。人類は自らにとって最悪の敵であり続けた、飢饉と疫病、戦争を克服しつつある。この三つの問題を克服した我々は、今後不死と幸福、神性の獲得を目標とするだろう。人類は自らをアップグレードし、ホモ・サピエンスをホモ・デウス「デウス」は「神」の意に変えるのだ。生物工学や情報工学などのテクノロジーを用いて、世界を、そして自分自身をも、思いどおりに作り替え、創造することを目指すのである。それではこの神のような力は、すべての人々が享受するものとなるのだろうか? あるいは富む者と貧しい者の間に、想像を絶する生物学的な格差をもたらすのか? 我々人類がどこへ向かうのかを、かつてないスケールで描く衝撃の書!』 とありました。

また、下巻の「そで」には、『今、生命科学者たちは、生物は遺伝子やホルモン、ニューロンに支配された、ただのアルゴリズムであることを明らかにしている。人間の心や意識は、脳の中でニューロンが信号を発し、あるパターンに則ってデータを処理しているだけなのである。我々は何一つ自由に選択などしておらず、意識や意志を持った「私」でさえも、虚構なのだ。それならば、人工知能が人間の能力を凌駕(りょうが)するようになったとき、そしてコンピュータがあなた自身よりもあなたについて詳しく知るようになったとき、資本主義や民主主義、自由主義は崩壊するのだろうか? そのとき、あなたはこの世界に何を求め、何のために生きればいいのか? 過去の条件から自由になり、人類の新たな運命を想像することを可能にする、すべての現代人必読の世界的ベストセラー!』 とあります。

上巻(272頁)と下巻(288頁)はいずれも難解な内容でしたが、何とか読み切ることができました。著者であるイスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリ氏はその類(たぐ)い稀(まれ)なる人類史の知識と深い思考により、人類が創りだした文明は人類を幸福にしたのだろうかとの問いを考察した前書 『サピエンス全史』に続いて、人類の未来における様々な可能性(シナリオ)を提起しました。

つまり、類人猿から進化して東アフリカで誕生したホモ・サピエンス(知恵のある人の意)が他の動物との生存競争に勝ち抜いて地球上で最も大きな勢力を持つ存在になりましたが、新たな強敵との戦いが待っていたのです。それは飢餓・疾病・戦争の3つでした。いずれも克服することは困難と思われましたが、ホモ・サピエンスの定住化と農業の発達、衛生環境の整備と医療の進展・普及、国家間の紛争を解決するルールの普及によりホモ・サピエンスの環境は思いもよらぬほど改善され、完全に克服することが視野に入ってきたのです。このため、21世紀(3000年紀)では次なる目標がホモ・サピエンスの関心事となったのです。

それらは神(デウス)が差配する領域である不死と幸福の二つです。それではホモ・サピエンスはホモ・デウス(神の人)を目指すのか? そして神(デウス)の存在に近づけるのか? これまで大きな課題を科学と情報処理(プロセスコントロール)を駆使して克服してきたホモ・サピエンスは自身の能力を超えて増大する情報とそれを処理するコンピュータ・ソフト(AI)とバイオテクノロジーによって今後数十年で如何(いか)に自らを作り変えることができるか? 何が待ち受けているのか? についていくつかのシナリオを提示するものの、一方的に未来の人類の姿を予測するのではなく、私たちはどのように身を処すればいいのか? 私たちは、巨大な力を持つに至ったバイオテクノロジーと情報テクノロジーをどう使えばいいのか? について読者に考えさせました。

著者は『生物はただのアルゴリズムであり、コンピュータが人のすべてを把握する。生体工学と情報工学の発達によって、資本主義や民主主義、自由主義は崩壊していく』 との大胆な仮説の元、人類はどこへ向かうのか? について新しい切り口で分析した良書です。

« 2019年4月 | トップページ | 2019年6月 »

2019年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ