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2019年5月 3日 (金)

ユヴァル・ノア・ハラリ著「ホモ・デウス 〜テクノロジーとサピエンスの未来」(下巻)を読む

株式会社河出書房新社から2018年9月に出版された掲題のハードカバー本(下巻)の要旨をまとめてみました。ちなみに、下巻の目次は次の通りです。

6章 現代の契約
銀行家はなぜチスイコウモリと違うのか?/ミラクルパイ/方舟シンドローム/激しい生存競争

7章 人間至上主義
内面を見よ/黄色いレンガの道をたどる/戦争についての真実/人間至上主義の分裂/ベートーヴェンはチャック・ベリーよりも上か?/人間至上主義の宗教戦争/電気と遺伝学とイスラム過激派

2部 ホモ・サピエンスが世界に意味を与える

8章 研究室の時限爆弾
どの自己が私なのか?/人生の意味

9章 知能と意識の大いなる分離
無用者階級/八七パーセントの確率/巫女から君主へ/不平等をアップグレードする

10章 意識の大海
心のスペクトル/恐れの匂いがする/宇宙がぶら下がっている釘

11章 データ教
権力はみな、どこへ行ったのか?/歴史を要約すれば/情報は自由になりたがっている/記録し、アップロードし、シェアしよう! /汝自身を知れ/データーフローの中の小波

謝 辞

訳者あとがき
 
 
[要旨]
 
第2部の後半部である「第6章 現代の契約」では現代における力の追求を取り上げ、「第7章 人間至上主義革命」では人類がしだいに大きくなる力をどのように使って宇宙の無限の空虚さの中になんとか再び意味をこっそり持ち込もうとしてきたかを考察した。

まず、現代の契約とは人間に途方もない誘惑と桁外れの脅威を抱き合わせで提供する。そして、現代における力の追求は科学の進歩と経済の成長の間の提携を原動力としているとも。それまでは、科学がゆっくり進歩し、経済は完全な凍結状態にあった。したがって、人々は経済が成長すると信じていなかった。世界は決まった大きさのパイであるという伝統的な見方は、世界には原材料とエネルギーという2種類の資源しかないことを前提としていた。

だが実は、資源には3種類ある。原材料とエネルギーと知識だ。最初の2つは限りがあり、使えば使うほど残りが少なくなる。それに対して、知識は増え続ける資源で、使えば使うほど多くなる。これに気づかなかった理由は、この世界が提供しうる重要な知識はすべて聖典や古代からの伝承の中に含まれていると信じていたからだ。しかし、人類は科学革命によって、この素朴な思い込みから解放された。科学の助けを借りて、これまでよりもはるかに多くのエネルギーと原材料を思いのままにしており、生産は急激に増えている。蒸気機関や内燃機関やコンプューターなどの発明から新しい産業がいくつも誕生した。

20年先にはナノテクノロジーや遺伝子工学やAIがまたしても生産に大革命を起こすことは確実だ。したがって、資源の欠乏という問題を克服する可能性は十分ある。現代の経済にとって真の強敵は生態環境の崩壊だ。たとえ経済の破綻と生態環境のメルトダウンの両方をなんとかかわせたとしても、さまざまな大問題を引き起こすだろう。現代社会の崩壊から人類を救出したのは需要と供給の法則ではなく、革命的な新宗教、すなわち人間至上主義の台頭だった。

人生の意味も神や自然の法もない生活への対応策として登場した人間至上主義は、人間性を崇拝し、キリスト教とイスラム教で神が、仏教と道教で自然の摂理がそれぞれ演じた役割を、人間性が果たすものと考えである。つまり、これまでのように宇宙の構想が人間の人生に意味を与えるのではなく、人間の経験が宇宙に意味を与えるのが当然だと考えを反転させた。

過去2世紀にわたる世界観であった人間至上主義は3つの主要な宗派、自由を重視する正統派の人間至上主義、社会主義的な人間至上主義、ナチスを最も有名な提唱者とする進化論的な人間至上主義に分かれた。1914年から1989年まで3つの人間至上主義の宗派間で宗教戦争が猛威を振るい、最初は自由主義が敗北を喫したが、第二次世界大戦では自由主義の大勝利となったが、ドイツ軍を打ち負かしたのは自由主義陣営がソ連と手を結んだからだ。そして、社会主義的な人間至上主義はソ連から東欧や中国へと広まった。

1975年、自由主義陣営は最も屈辱的な敗北を喫した。ヴェトナム戦争が北ヴェトナムの勝利で終わり、共産主義は南ヴェトナム、ラオス、カンボジアを相次いで掌握した。これにより、社会主義陣営が自由主義陣営を上回る勢力となったが、南欧で独裁者政権が倒れ、インドでも民主主義が復活し、1980年代には東アジア(中華民国・韓国)とラテンアメリカ(ブラジル・アルゼンチン)などで軍事独裁政権が民主的な政権に取って代わられたことで自由主義陣営が冷戦で決定的な勝利を収め、人間至上主義の宗教戦争の趨勢が決まった。ソ連が内部崩壊し、東欧と旧ソ連の共和国の多くが自由主義政権となったことは世界の他の地域(ラテンアメリカ・南アジア・アフリカ)にも広がった。

しかし、著者は21世紀に人間が不死と至福を人間至上主義の文明が最大化するとしても驚くまでもないと言いつつも、夢の基盤を損なう恐れを、「第3部 ホモ・サピエンスによる制御が不能になる」で述べる。

「第3部 ホモ・サピエンスによる制御が不能になる」のポイントは、人間はこの世界を動かし、それに意味を与え続けることができるか? バイオテクノロジーとAIは、人間至上主義をどのように脅かすか? 誰が人類の跡を継ぎ、どんな新宗教が人類至上主義に取って代わる可能性があるのか? であることをまず示唆した著者は最後の第3部を紐解き始めた。

第8章 研究室の時限爆弾

2016年の世界は、個人主義と人権と民主主義と自由市場という自由主義のパッケージに支配されているが、21世紀の科学は自由主義の秩序の土台を崩しつつある。自由主義も他のあらゆる宗教と同じで、抽象的な倫理判断だけではなく、自らが事実に関する言明と信じるものに基づいているが、それらは厳密な科学的精査には到底耐えられないのだ。自由主義者が個人の自由を重視するのは、人間には自由意志があると信じているからだ。しかし、自由意志と現代の科学との矛盾は研究室の持て余し者であり、多くの科学者はなるべくそれらから目を逸らしている。しかし、サピエンスのブラックボックスを開けると、魂も自由意志も「自己」も見つからず、遺伝子とホルモンとニューロンがあるばかりで、それらはその他の現実の現象を支配するのと同じ物理と化学の法則に従っていた。

自由へのとどめの一撃を加えたのは進化論だ。自由意志という概念を受け容れることができない。人はこのような科学的説明を突きつけられると、自分は自由だと感じていることや、自分自身の願望や決定に従って行動していることを指摘する。もし「自由意志」とは自分の欲望に即して振る舞うことを意味するのなら、たしかに人間には自由意志がある。

だが、肝心の疑問はその欲望を選ぶことができるかどうかだが、科学は自由意志があるという自由主義の信念を崩すだけではなく、個人主義の信念も揺るがせる。人間は分割不能な個人ではない。さまざまなものが集まった、分割可能な存在なのだ。例えば、右脳と左脳には情動的な違いと認識的な違いがあることが多くの実験で明らかになっている。また、経験する自己と物語る自己が緊密に絡み合いながら存在することも。そして、物語る自己は経験する自己の経験を使って物語を創造する。

とはいえ、必ずしも物語る自己が優位とは限らず、物語る自己が練り上げた計画を台無しにすることがよくある。しかし、私たちのほとんどは自分を物語る自己と同一視する。つまり、私たちが「私」というときには、自分がたどる一連の経験の奔流ではなく、頭の中にある物語を指している。例え、何度となく書き直されて、今日の物語で生涯変わることのない単一のアイデンティティがあるという感じをつねに維持するのだ。これが分割不能の個人である。

第9章 知能と意識の大いなる分離

前章では自由主義の哲学を切り崩す近年の科学的発見を眺めたが、本章ではその実際的な意味合いを考察する。自由主義が支配的なイデオロギーとなったのは、たんにその哲学的な主張が最も妥当だったからではない。むしろ、人間全員に価値を認めることが、政治的にも経済的にも軍事的にもじつに理に適っていたからこそ、自由主義は成功したのだ。しかし、21世紀には、自由主義は自らを売り込むのがずっと難しくなるだろう。過去には人間にしかできないことがたくさんあった。だが今ではロボットとコンピューターが追いついてきており、間もなくほとんどの仕事で人間を凌ぐかもしれない。人間は経済的な価値を失う危機に直面している。なぜなら、知能が意識と分離しつつあるからだ。

21世紀の経済にとって最も重要な疑問はおそらく、厖大な数の余剰人員をいったいどうするか、だろう。これは新しい疑問ではなく、産業革命が勃発して以来、人々は機械化のせいで大量の失業者が出ることを恐れてきた。ところが、そういう事態にはならなかった。新しい職業が誕生し、機会よりも人間のほうがうまくこなせること(認知的技能が必要な仕事)がつねにあったからだ。

また、21世紀の新しいテクノロジーは、人間至上主義の革命を逆転させ、人間から権威を剥ぎ取り、その代わり、人間ではないアルゴリズムに権威を与えるかもしれない。ハイテクの権威たちが、神とはおよそ無縁でテクノロジーがすべてである素晴らしき新宗教を私たちのために生み出しつつある。こうした新しいテクノ宗教は、テクノ人間至上主義とデー教という、2つの主要なタイプに分けられる。データ教によると、人間はこの世界における自分の任務を完了したので、まったく新しい種類の存在に松明(たいまつ)を手渡すべきだという。もう一つはより保守的な宗教であるテクノ人間至上主義である。

この宗教は依然として、人間を森羅万象の頂点とみなし、人間至上主義の伝統的な価値観の多くに固執する。はるかに優れた人間モデルであるホモ・デウスを生み出すために、遺伝子工学やナノテクノロジーやブレイン・コンピューター・インターフェースなどのテクノロジーを使うべきだと結論する。つまり、人間は自分の頭脳を積極的にアップグレードしなければならないという。しかし、人間の意志がこの世界で最も重要であると考えているため、その能力をどう使えばいいのか分からなくなり、どうしようもないジレンマに直面する。

一方のデータ至上主義は、森羅万象がデータの流れからできており、どんな現象やものの価値もデータ処理にどれだけ寄与するかで決まる。生物化学では生き物を生化学的アルゴリズムとして考えており、コンピューター科学者はしだいに高性能の電子工学的アルゴリズムを設計できるようになった。データ至上主義はこれら2つをまとめ、まったく同じ数学的法則が生化学アルゴリズムにも電子工学的アルゴリズムにも当てはまると指摘する。そして、動物と機械を隔てる壁を取り払う。そして、ゆくゆくは電子工学的なアルゴリズムが生化学的なアルゴリズムを解読して、それを超える働きをすることを見込んでいる。

データ至上主義の視点に立つと、人類という種全体を単一のデータ処理システムとして解釈し、一人ひとりの人間はそのシステムのチップの役目を果たす。そして、このシステムは「すべてのモノのインターネット」と呼ばれる。この宗教が信奉する至高の価値は「情報の流れ」だ。データ至上主義によると、人間の経験は神聖ではないし、ホモ・サピエンスは、森羅万象の頂点でもなければ、いずれ登場するホモ・デウスの前身でもない。人間は「すべてのモノのインターネット」を創造するための単なる道具に過ぎない。人類はそれと一体化する定めにある。(注釈:著者はデータ至上主義の出現で考えられる多くのシナリオを描くが、それについては説明を省略する)

最後にデータ至上主義が与える可能性があることについて次のようなシナリオを提供した。今のところ、人間至上主義に取って代わるものとして最も有力なのは、人間ではなくデータをあらゆる意味と権威の源泉とするデータ至上主義だ。データ至上主義の観点に立つと、人類全体を単一のデータ処理システムと見なし、歴史全体を、このシステムの効率を高める過程と捉えることができる。この効率化の極致が「すべてのモノのインターネット」だ。だが、大量で急速なデーターフローには、人間をアップグレードしても対処できない。
 
「人間はその構築者からチップへ、さらにはデータへと落ちぶれ、ついには急流に呑まれた土塊(つちくれ)のように、データの奔流に溶けて消えかねない」「人間と動物の関係は、超人と人間の未来の関係」やデータ至上主義と人間にとって、「私の手元にある最良のモデルだから」でもある。このモデルに従えば、こうなる。「自動車が馬車に取って代わったとき、私たちは馬をアップグレードしたりせず、引退させた。ホモ・サピエンスについても同じことをする時が来ているのかもしれない」 だが、サピエンスにも未来に希望が見える。まず、現在の科学の教義が正しくないと考える余地が残っている。意識が知能より重要である可能性は今後も真剣に研究・検討していく価値がある。
 
そして、もう一つ。本書の予測が、予測のための予測ではなく、未来は変えられるという前提で思考や行動を促す提言である点だ。「本書の随所に見られる予測は、今日私たちが直面しているジレンマを考察する試みと、未来を変えようという提案にすぎない」「予言ではなく可能性として捉えるべきだ」、歴史を学ぶことの意義については、「歴史の研究は、私たちが通常なら考えない可能性に気づくように仕向けることを何にもまして目指している」とする。(終)

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