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2019年8月

2019年8月30日 (金)

無事に退院しました

第5日目(8月23日)も同様の入院生活が始まりました。朝の検査と治療が終わった午前8時30分ころ、担当医師の指示で常時行われていた酸素吸入が終了。事後(終了して1-2分後)の測定値は98%と正常。加えて、退院時期が今日決めることになりました。
  
シャワーが許可されたことで、さっそく午前10時からほぼ1週間ぶりのシャワー浴を楽しみました。
 
そして、担当医から翌日(8月24日)午前10時の退院許可が下りたことが看護師から伝えられました。
 
この日もこれまでと同じ検査と治療が続きます。
 
午後10時消灯、就寝。入院生活に慣れて快適に感じ始めていたこともあり、翌日にはいよいよ退院すると考えると、少し心残りを感じながら眠りにつきました。
  
 
6日目(8月24日)、いよいよ入院最終日が訪れました。
 
午前9時30分ころ、同居者が病室へ来てくれて身の回り品をまとめてくれる間に私は院内で着用していたパジャマを着替えを済ませました。時間を持て余した午前10時ころ、看護師が病室に来てくれて退院手続きが始まりました。
 
①自宅で服用する薬を受領: プレドニン5mg(4錠、1日分)、ステロイド吸引剤(30回分)
②退院後の案内(通院など)
③会計手続き: 外来棟の1階にある退院手続きカウンターで待つこと15分ほど、準備されていた書類(入院手続きと退院手続き)に署名し、入院料金を横に設置されている端末で清算(現金またはクレジットカード)するまでの手順が数分で完了しました。入院時に腕に取り付けてもらったIDリストバンドを外してもらったことで晴れて自由の身になりました。同居者の運転する車でお昼ころ帰宅しました。
 
  
最後に気管支喘息についての参考情報です。事前に予備知識を持っていませんでしたが、喘息発作は致死率が非常に高いのです。適切な救急処置を受けないと、人に1人が1時間以内に死亡し、3人に1人で3時間以内に死亡しているとのデータがあるそうです。
 
これは急性腹膜炎による死亡率に近いレベルと言えるかもしれません。ちなみに、私自身も20歳代の中頃に消化官の穿孔(せんこう)による急性腹膜炎を罹患(りかん)し、救急車で搬送された病院で緊急手術を受けた経験があります。今になって考えると、今回の気管支喘息の発作による緊急入院は正にその時と同じ清明のの危機に瀕していたようです。
 
つまり、私の人生で生死を分ける度目の危機においても、救急車と病院の救急センターにより命が救われたと言っても過言ではないでしょう。半世紀近く前に七転八倒する苦しさを味わった時のことを思い出しながら、症状が治まった今、2度目の幸運に心から感謝しています。

2019年8月28日 (水)

判で押したような入院生活

3日目(8月21日)も午前6時起床。この日の朝は前日午後の土砂降りの天気とは打って変わった晴天でした。外界の影響を受けない病室ですが、大きな窓から見える景色、中でも刻々と変化する空模様が入院者に刺激を与えてくれる存在なのです。
 
午前6時45分、検温、血圧測定、気管支喘息用点滴剤リンデロン+生塩の水蒸気(スチーム)吸入などのプロセスで3日目が始まりました。
 
午前8時40分ころ、大勢の医師と看護師が来室。何かと思えば教授回診でした。体調についての質問と聴診器による呼吸音を確認をした後、「もうすぐですね」の言葉を残して退室しました。どんな意味だったのでしょうか。気になります。
 
その後は病室の簡易清掃が始まり、ホットタオルのサービスも。タオルは1枚だけで良いというと、「まだシャワーはできませんが・・」との言葉が。退院はまだ先のことなのかな。
 
午前10時に検温、血圧測定、気管支喘息用点滴剤リンデロン+生塩の吸入の後、酸素吸入を3リットルから2リットルへ減少されました。
 
空には雲が増えて曇天になりました。天気予報によれば午後から天気が崩れるかもしれません。
 
午前10時15分から気管支喘息用点滴剤リンデロン2mg/0.5mLと生理食塩水生塩)「ヒカリ」(100ml)の点滴(約1時間半強)、指先に装着する小型のパルスオキシメーターによる血中酸素飽和度を測定値(97%、正常値:96-999%)して酸素吸入量を減少させた後の確認です。注釈:脈拍数と脈拍の強さを測定して波形も測定可能
 
点滴が終わった午前12時過ぎに昼食が配膳されました。
 
午後2時20分ころ、検温(平温)、血圧測定(上下とも通常より10強だけ低い)、血中酸素飽和度の測定を実施(98%)。いずれも正常で安定しています。
 
看護師さんの勧めで、それまでの車椅子に代わり、酸素ボンベを乗せた歩行補助具を押して自力で病室外へ移動できるようになりました。
 
午後5時45分ころ、10分間の気管支喘息用点滴剤リンデロンチーム+生塩の吸入が始まりました。ホースを軽く咥(くわ)えて、口から直接スチームを吸引するような指導されました。最初は噎(む)せたためスチーム量を抑えましたが、段々慣れて適量でも問題なく行えるようになりました。
 
午後6時を少し回った時に夕食が配膳されました。今回も完食。
 
午後9時から10分間の気管支喘息用点滴剤リンデロンのスチーム吸入を行い、午後10時に消灯。
 
 
翌日(4日目)もまったく同じスケジュールで治療が行われましたが、症状の改善にともなって内容に変化がありましたので、治療内容の経過を振り返ってみます。
 
①ステロイド剤の点滴(1日1回)
   初日➡4日目まで
   プレドニン5mg(4錠)を服用
   5日目➡7日目
 
②素吸入(終日)
   初日3➡3日2➡4日1
 
③リンデロン+生食の蒸気吸入
   注釈;気管支へ直接働きかける効率的な治療法で重要
   初日➡1日4回継続中
 
④テロイドの吸入(1日1回)
   3日目➡使用期限なし
 
なお、常用薬は従来通り服用中。
 
(続く)

2019年8月26日 (月)

入院生活が始まりました!!

夜遅く入院した翌朝は午前6時の起床案内ではじまりました。4時間ほどしか寝ていないため、眠気が残るだけではなく身体全体がどんよりと重いのです。病室での朝礼代わりである、検温、血圧測定、簡単な問診、尿採取、薬剤入り水蒸気の吸入などの処置で淡々と進行しました。
 

トイレに行く時は酸素吸入と血中酸素濃度測定用のセンサーとその本体を付けたまま、車椅子に乗って移動する必要がありますから看護師さんがアテンドしてくれます。正に重病人の様な扱いです。午前8時に朝食がベッドに配膳されました。前日の午後2時頃に遅い朝食!を食べてから約18時間振りの食事です。軽めの病院食であることもあって完食することができました。
 

午前9時ころ、ホットタオルのサービスがありました。身体を自分で拭くためで、レストランで提供されるお絞りのように巻かれた通常よりも大きめのタオルが2枚のセットでした。前夜の入院時に行われなかった身長と体重の測定がナースセンター脇で行われました。
 

病室へ戻ると、気管拡張剤リンデロン2mg/0.5mL(抗炎症作用がある副腎皮質ホルモン) と生理食塩水を混合させたもので発生させた水蒸気を10分間吸入し、ステロイド剤と生理食塩水(生塩)100mℓの点滴(約1時間半)が続きました。なお、終了時には点滴剤の凝固を防ぐために生理食塩水を注射器でチューブから追加されました。これらの処置から推し量ると、緊急入院した時の私はかなりの重症患者だったと思われます。
 

午前12時半過ぎ、昼食を摂っているところへ呼吸器担当の医師が2人連れで病室に来訪し、これまでの症状と治療内容について一通りの説明と問診が行われました。その結果、自宅近くの内科医の診断通りに気管支喘息であると思われることと、症状を和らげる薬剤の投与に加えて、症状を抑える治療が必要と考えられるとの治療方針の説明がありました。順調に回復すれば一週間で退院できるかもしれないとのこと。思ったよりも長期戦になりそうです。
 

およそ1時間半後、2人の医師が再び病室を訪れて、私が現在の主流である気管支喘息用の吸入器を使用する意思があるかどうかを確認されました。これまで服用してきた気管支喘息の症状を緩和する薬(気管支収縮抑制剤と痰を切れやすくする薬)の服用は不要になるとのこと。(注釈:炎症を抑制してアレルギー反応を抑えるステロイドと痰の排出を促す作用がある薬剤を使用する1990年頃に始まった治療法で、それまでは主に気管支の収縮抑制剤のみを使用していた)
 

私がその治療方法(注釈;これまで通院していた医院の治療方針とは異なる)に同意したことで、その使用方法と吸入後の嗽(うがい)の仕方を指導してくれました。それに続いて呼吸器科の教授も来室して状況確認をしてくれました。入院した大学病院の組織立った治療方法には安心感がありました。
 

ちなみに、吸入する薬は専用容器に入ったレルベア200エリプタ30吸入用(30日分)です。簡単なカウンターが付いていることで使用した回数(残回数)が表示されます。
 

吸入する効用としては、吸入ステロイド剤とβ2刺激薬の粉末を患部である気管支に吹き付けることで効率的に炎症を抑え、かつ気管支を拡張することで、咳や息苦しさなどを改善することとのこと。気管支喘息は高血圧と糖尿病と同様、完治困難な疾病ですから、症状が無くても毎日発作を予防する治療薬(吸入剤)使用することが不可欠です。つまり、吸入剤はずっと付き合って行くことになる友になったのです。午後3時半ころ、指に付けていた血中酸素濃度センサーは症状が安定したことで外されました。
 

午後5時45分ころ、10分間の気管支喘息用点滴剤リンデロンチームと生塩の吸入が始まりました。
 

午後6時に夕食

午後8時に10分間の気管支喘息用点滴剤リンデロンチームと生塩の吸入。

午後10時に消灯。

 

午後12時ころ就寝。
 

ここで気分転換を兼ねて、入院に際して必須であるお薬手帳、診察券、健康保険証の他に必要なものを列挙しながら、入院生活のポイントを思い付くまま列挙しましょう。一昨年の大腸ポリープ切除手術(5日間)と昨年の白内障手術(両眼、8日間)のために入院した時の経験に基づいています。

 
①院内着はレンタルで借りられますが、普段着慣れたパジャマが楽です。洗濯は日常生活と、同様、家人に頼む必要がありますが。下着とタオルも同様。

②院内履き用上履き滑りにくい布製のスリッパ、スリップオンサンダルなど)

③暇な時間の潰し方は、長時間に亘って沈思黙考できる方以外はラジオとテレビが相応しいでしょうか。(理由:私のような凡人は無為な時間があると碌な事を考え勝ちです) 一方、時間を潰し安い読書は病室内が乱雑になることと、安静にできない(疲れやすい)ので適していないでしょう。テレビは病室に設置されたもの(有料)を利用。ラジオはスマホのラジコアプリがタイムシフト機能もあって便利。

④病室に冷蔵庫(有料)がある場合:アイスノンなどの氷枕を持参すると病室が合わない時にも快適に過ごすことができます。ただし、レンタルできる病院もあります。

⑤時計:病室にはつうじ時計がありませんから、腕時計やスマホの時計機能が便利。自宅で愛用する目覚まし時計は不向きなことも。

⑥洗面具、歯磨きセット、カップ、電動髭剃りなどは旅行セットで可。ティッシュボックスも。

⑦レジ袋:病室付近に準備されている場合も

⑧院内コンビニの利用(翌日配達):テレビを端末として商品を注文できる病院もあります。

⑨食事の選択:オプションがある場合は同上の方法で可能な病院もあります。(リストバンドのバーコードをリーダーで読み取ることで患者を確認)

⑩入院生活の記録:適宜スマホにメモを記入

⑪各種充電器、イヤホンまたはヘッドフォン、筆記用具
 
(続く)

2019年8月25日 (日)

唐突ですが、緊急入院しました!

酷暑の日々が続くなか、日課にしたはずであったウォーキングとはいつの間にかご無沙汰になっていました。そのせいか体調が徐々に悪化して、就寝時を中心に気管支喘息の緒症状が頻繁に発生するようになったのです。昨秋から受診している医院で処方されている対症療法用の薬が効かなくなったようで、気管支喘息の緒症状は一段と酷くなり、、睡眠に支障を来たすようになっていたのです。つまり、昼夜の生活パターンが大きく狂ってしまいました。
 

恒例行事として孫たちが泊りがけで遊びに来てくれたお盆には、孫たちとの相手をする気力と体力ともすっかり無くなり、すべてを同居者に任せざるを得ない酷い状況に陥ってしまったのです。そんな有様でありながら、お盆は何とか過ぎて行きました。
 

我が家が元の静けさに戻ると事態はさらに悪化。ほぼ毎晩のように気管支喘息の発作が起こり、睡眠不足と食欲不振が積み重なって行きました。次第に不安が募って行くなか、ついには日中から呼吸が困難になり始めました。つまり、一日中呼吸が苦しい状況が続き、食事も満足に摂れないという最悪の事態に陥ってしまったのです。
 

午前中から呼吸困難に陥ったある日(6日前の819日)には午後になると状況はさらに悪化し、夕方にはこれまで感じたこともない苦しさに耐えるしかない事態にまで陥りました。そんな状況下、同居者が外出先から戻ってくれたのは午後6時過ぎでしたが、地獄に落つつあった私にとっては正に「一条の救いの糸」でした。2年続けて大腸ポリープの切除と両眼の白内障手術のために入院した大学病院の救急センターへ同居者に電話を掛けてもらいましたが、呼吸器の急患に対応できそうもないとして、他の救急外来へ盥((たらい)回し状態になってしまいました。
 

そんな中、別の大学病院の緊急外来はとりあえず受け入れてくれることになりましたが、対応できるかどうかについては曖昧な返事しか貰えません。それまでは同居者が運転する車に乗って病院へ向かうつもりでしたが、私の症状はますます重篤になっていたため、最後の手段として救急車を呼ぶことを決断しました。20歳代半ばの私が急性腹膜炎になって救急車を利用させてもらってその年の晦日以来、ほぼ半世紀ぶり回目のことです。
 
午後7時過ぎ、救急車の到着を待つ15分ほどは非常に長く感じられましたが、救急車を呼んだことは大正解だったのです。歩行がおぼつかない私は布製の簡易型担架に乗せられて我が家に到着した救急車まで運ばれました。吸入用マスクを使った酸素吸入を受けたことで何とか会話ができるようになった私への問診が始まりました。現在の症状の聞き取り、関連する通院状況、過去の病歴などとかなり詳細な内容です。そして、救急隊員は受け入れ可能な病院の確認を始めました。別の救急隊員の説明によると、利用できる病院の情報には偏り濃淡があり、病状に合う適正な病院であるかどうかの判断ができないこともある様です。問い合わせの作業の結果、私に通院歴(診察券)がある隣区の大学病院が受け入れてくれることになりました。ただし、最適な処置ができるとの確約はできないとのこと。
 
乗車して15〜20分後、救急車がやっと出発してくれて、約10分後(午後8時ころ)その大学病院に到着。院内にある救急センターにはいくつも並ぶ仮設ベッドの一つが私に割り当てられ、救急車内と同様にマスクを使った酸素吸入を受けながら問診が始まりました。救急隊員に説明したことと重複する項目がほとんどでした。その診断結果を踏まえて、救急センター担当医の指示により、血圧測定、採血、点滴(生理食塩水とステロイド剤)、痰の切れを良くする薬剤てあ水蒸気の噴霧吸入(注釈:オムロン製超音波式ネブライザー/吸入器NE-U780を使用)と胸部レントゲン検査が2時間余りに亘って順次実行されました。
 
レントゲン検査の結果、肺には炎症などの異常は無く、気管支炎だけが認められたそうですが、私はかなり酷い脱水症状になっていたそうです。重篤な発作が再発するのを防ぐための点滴を継続する必要があるため、即時入院が決まりました。もちろん、息も絶え絶えの私に異存があるはずはありません。午後10時少し前、鼻に付けたチューブから酸素吸入を受けながら、左手の人差し指には血中の酸素濃度を常時測定するセンサーとコードで繋がれた本体を付けたまま、車椅子に乗せられて病室へ運ばれました。この頃には自分で意識しなくても自然に呼吸ができるまでに症状が改善し、身体は随分楽になりました。
 
割り当てられた病室のベッドに寝た状態でも点滴が続き、他のクリニックで処方されていた慢性疾患の常用薬に相当する病院支給薬も飲むように指示されました。ちなみに、病室にあるベッドは電動リクライニング機能が付いていますから、上体を好みの傾きに調整した状態で横になることができました。つまり、気管支喘息の発作が起きにくい態勢であり、喘息患者には大きな安心感があります。同居者が帰宅した直後に緊急搬送された私はパジャマもないため普段着のままでしたが、ベッドに寝たことですっかり落ち着いたためか、呑気なことに夕食を食べていないことに気づき、明朝までまで何も食べられないことに思いが至りました。
 
それでも酸素吸入を続けていることから、日が変わるころには呼吸の苦しさをほとんど感じなくなっていました。しかし、精神的なダメージ大きかったからなのか、眠りについたのは午前時過ぎになっていたようです。(入院生活へ続く)

2019年8月21日 (水)

北欧4か国を駆け巡る旅(最終回) コペンハーゲン空港から成田空港へ(後編)

[機内映画](続き)
The House Where the Mermaid Sleeps(邦題:人魚の眠る家) 日本映画
 

プールでの事故で重体(脳死状態)に陥った幼い娘をもつ離婚寸前の裕福な両親の話である。医師から臓器提供の可否を問われて戸惑う。父親は脳に接続できる装置を開発する会社の社長である。両親は悩んだ末に臓器提供に一旦は同意するが、娘の死を受け入れることができない。そして娘(実際はその心臓)を生き長らえさせることを決意する。それから母親の必死な介護とそれに必要な勉強が始まった。家族と祖母もそれに参加する。父親は会社の技術を娘に活かすことを思いつく。そして、その装置の刺激により娘の身体は反応を示す(ロボットのように行動する)ことができるようになり、両親は娘を自宅で療養させることにした。
 
しかし、その協力にのめり込んだ開発技術者も婚約者との関係が次第にギクシャクしたものになり、社長である父親に対しも社内から公私混同との疑問が呈せられるようになった。娘に対する母親の愛と、開発技術者の情熱がエスカレートし始める。そんな折り、父親は心臓移植が必要な友人と偶然にも再会し、1億円を寄付する。そしてその心の奥に・・。年下の兄弟たちも姉が死んでいることを理解し始める。そして、祖母も。さらには夫婦の間にも大きな溝ができてしまう。心臓移植を必要とする少女の死亡が父親に知らされる。(中略) そして奇跡の結末が待っていました。篠原涼子さんの熱演が印象に残る作品です。
 
 
ボヘミアン・ラプソディ(再視聴、134分、日本語)  往路の記事を参照
 
 
SK983便はシベリアの上空を飛行中です。
   
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午前5時10分(日本時間)ころ、雲海から朝日が昇り始めました。
 
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ロシアのウラジオストック付近を飛行中です。
 
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午前8時(日本時間)を少し過ぎたころ、朝食として軽食が提供されました。
 
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機体のカメラが新潟東港を捉えています。
 
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福島県、群馬県、新潟県にまたがる山地はまだ冠雪していました。
 
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九十九里浜が見えてきました。
 
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千葉県の丘陵地帯
 
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成田空港の敷地に入り、
 
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タッチダウンします。
 
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ターミナルビルへ向かってタクシーイング(走行)中

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エプロン内をターミナルビルに接近(アプローチ)中
 
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定刻より25分早い午前9時10分に成田空港着しました。
 
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到着した旅客が急ぎ足で向かった入国審査ゲートではセルフで(自分自身が)行うパスポート・スキャンおよび係官による再確認と確認スタンプの押印へと仕組みが変わっていました。
 
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QLライナーのカウンターに立ち寄って、スーツケースの宅急便サービスを依頼すると、明日(5月31日)の午前中に配達さしてくれることになりました。そして、身軽になった我々は午前10時04分発の京成スカイアクセス特急に乗車して、一路自宅へと向かいました。
 
結言です。今年に入って体調が必ずしも万全ではなかったため、ヨーロッパまでの11時間前後の長時間フライトの絵強が懸念されましたが、何事もなく帰国することができたことと楽しい思い出がまた一つ増えたことに感謝しています。3か月前から飲酒とウオーキングなどの生活習慣を改善したことが良かったのかもしれません。
 
<同行者のコメント> 今回も弾丸旅行で毎日ホテルを移動したため、連日の荷造りが大変でした。それでも列車の旅と客船クルーズは楽しかったです。そして、北欧の国々の美しさにも大満足しました。□

2019年8月20日 (火)

北欧4か国を駆け巡る旅(その62) コペンハーゲン空港から成田空港へ(前編)

午後1時20分(デンマーク時間)にコペンハーゲン空港へ到着した後、私は2時間余りの乗り継ぎ時間を利用して旅行メモの整理を続けました。同行者はヘルシンキの空港で見つけられなかったTシャツをショップを探し回って何とか買うことができたようです。
 

そこで、同行者とともに搭乗ゲートC28へ向かいました。搭乗が始まるまでの時間をゲート近くの待合所でのんびり過ごしていると、近くの席にいた同年代のご夫婦が話しかけてくださいました。2組とも欧州旅行を終えて、SASのSK983便で日本(成田空港)へ戻るところであることが分かりました。私たちからは北欧旅行の話を、そのご夫婦からはポルトガルで巡礼をした話題をそれぞれ披露するうちに、瞬く間に時間が過ぎて行きました。
 
そして、定刻の午後3時25分にゲートC28から搭乗しました。座席は54A&54Bと今回の利用したフライトで初めて窓側の席になりましたので、SK983便の窓から見える景色を少し紹介します。
 
午後3時45分発のSK983便(往きと同じA340-300機)はコペンハーゲン空港から成田空港へ定刻で出発しました。ちなみに、飛行時間は約10時間50分の予定です。
 
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SK983便は定刻にターミナルを離れて主滑走路からスムーズに離陸し、空港沖の海上へ出ました。
 
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眼下にオーレンス・リンクの海上橋と海底トンネルへの入口が見えてきました。デンマークに到着した初日の記事で触れましたが、デンマークとスウェーデンのとの間にあるエーレンス海峡を結ぶ鉄道道路併用橋および併用海底トンネルです。
 
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スウェーデンの上空に入りました。
 
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SK983便が高度を上げて巡航モードに入ると、ドリンク・サービスが始まりました。私は赤ワイン(イタリア原産でカリフォルニア産)のZINFANDELと白ワイン(南アフリカ産のSTELLENHEK)を注文すると、客室乗務員が「他には?」と訊(き)いてくれましたので、お言葉に甘えて白ワインをもう一瓶もらいました。さて、欲張って注文した理由ですが、最初のタイミングを逃すと以降のサービスでは有料となるからなのです。さらに、同行者が白ワインを一瓶譲ってくれましたので、私のテーブルは期せずしてワインの小瓶で溢れてしまいました。
 
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その1時間後には眼下に雲海が広がりました。
 
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さらに30分後(離陸2時間後)、食事が配膳されました。チキンとマッシュポテトに野菜サラダが付いていました。
 
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[機内映画]
Mary Poppins Returns(日本語吹き替え版、130分)
 
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メリー・ポピンズが再び訪れてバンク家の次世代家族を手助けする話です。バンク家の子供たちによるドタバタシーンから始まりました。そこへ訪れた二人の紳士が銀行の弁護士と名乗り、返済が滞っている借金のカタに家を5日後に差押えると告げる。銀行の株券を持っているはずという子供たちの父親は屋根裏部屋を探すが、株券はおろか目ぼしいものは見つからない。その時、急に強風が吹き始め、凧揚げをしていた子供か飛ばされそうになる。そこへ現れたのがメリー・ポピンズで、バンク家を訪れる。父親が子供のころにメリー・ポピンズが家庭教師を務めたことがあり、再び子供たちの教育係をすると一方的に告げる。
 
早速、お風呂に入る子供たちと共に泡立ったバスタブに飛び込むと、何とそこは海の中、冒険の世界だ。気がつけば子供たちの入浴は楽しいものとなる。次いで子供部屋の片づけ作業。父親は銀行の貸金庫も調べるが株券は見つからず、株主台帳にも記録が残っていない。子供たちは壊した高価な器を修理するためメリー・ポピンズに先導されて器の中にある世界などを次々と冒険する。が、それらのすべては3人が同時に見た夢だったことを知る。しかし、壊したはずの器は綺麗に直っていた。(中略) もちろん、ハッピー・エンドが来て、メリー・ポピンズは帰っ行きましたとさ!
 
私には学生時代に見たジュリー・アンドリュースが主演した「メリー・ポピンズ」(1964年公開)の記憶が未だ鮮明に残っているため、二番煎(せん)じの感がありました。
 
 
午後7時30分(日本時間の午前2時30分)ころ、日が雲海に沈みました。
 
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その1時間後、キャビン(機内)の照明が落とされました。
 
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(続く)

2019年8月19日 (月)

北欧4か国を駆け巡る旅(その61) ヘルシンキ空港からからコペンハーゲン空港へ

夜来の雨はほとんど上がり、空には青空が覗き始めた午前9時45分にホテルから専用バスでヘルシンキ空港へ向かいました。晴れ男の面目躍如です。写真はホテルのエントランス付近から見た半円形の屋根がある市立美術館と地下鉄 ”Kamppi“ 駅方面。
 
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前日と同じルートのようでリンナンマキ遊園地の脇を通過しました。
 
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しかし、この日は
主要道45号に入って空港へ向かいます。案内表示にある”Tuusula"には観光スポットのトゥースラ湖があり、さらに北上してE12に入るとムーミン美術館があるタンペレ(ヘルシンキから車で約2時間の距離)へ行くことができるはずです。ちなみに、日本でも良く知られるムーミンはフィンランドの作家トーベ・ヤンソンの小説と絵本に登場する架空の生物で、主人公の名前ムーミントロールの略称でもあります。
 
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ヘルシンキの中心部から約15km北上し、ヘルシンキ・ヴァンター国際空港(通称:ヘルシンキ空港またはヴァンター空港)のアクセス道路に入りました。
 
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空港の駐車スペースで専用バスを降りてターミナル1&2へ向かいます。
 
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2つあるターミナルの内、SASが使用する手前のタ
ーミナル1に入り、入口近くにあるセルフサービスの発券機を操作して、コペンハーゲン行きとコペンハーゲンから成田行きの搭乗券(計2枚)を受け取りました。続いて、機内預け手荷物用チェックイン用端末で荷物を預けます。
 
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今いる1階は到着ロビーで、搭乗口(出発ロビー)は2階にあるようです。
 
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午前10時40分ころ到着した出発ロビーにもチェックイン用端末がありました。
 
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12:50発コペンハーゲン行きSK1709便はターミナル1の11番ゲートです。ちなみに、ターミナル1はSAS、エア・パルテック、ルフトハンザドイツ航空などが発着します。ちなみに、ターミナル2はフィンエアー、日本航空、KLMオランダ航空、トルコ航空、ノルウェー・エアシャトルなどが利用しています。
 
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搭乗ゲート11番へ向かう途中に見た”easyJet”機はイギリスのルートンに本社を置く格安航空会社であることを知りました。
 
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我われが搭乗するSAS機
 
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昼食はサンドイッチにすることにしました。
 
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搭乗にはまだ時間がありますが、同行者は搭乗までの約2時間を利用して土産物店で品定めに勤(いそ)しみ、私は溜まった旅行メモの整理に専念することにしました。
 
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ルフトハンザ機
 
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ローカル路線を就航するNoRRA(Nordic Regional Airlines)のプロペラ機
 
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定刻の12時15分に搭乗が始まりました。搭乗ゲート11番は下の階にあるようです。
 
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搭乗した機体はカナダ・ボンバルディア社(Bombardier)製の中型機CRJ900でした。機体(胴体)が小さく造られているため、西洋人には窮屈そうですが、日本人には問題ないサイズです。
 
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ちなみに、CRJ900の諸元は次の通りです。座席数:90、長さ:36.2m、翼幅:23.4m、重厚速度840km/h、最長飛行距離:2100km。
 
SK1709便は定刻より10分早い午前12時40分に出発した。機内アナウンスでは「天気は晴れで気流が安定している」との説明がありました。SK1709便は短時間のフライトですから飲み物のサービスだけがありましたが、例によって私は50年来の紅茶派です。
 
SK1709便はバルト海上を約1時間40分フライトした後、午後1時20分(デンマーク時間)にコペンハーゲンへ到着。ちなみに、我われは成田空港へのトランジット客です。
 
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(続く)

2019年8月18日 (日)

北欧4か国を駆け巡る旅(その60) ヘルシンキの「かもめ食堂」と宿泊したラディソン・ブル・ロイヤル・ホテル(後編)

思ったよりも間口が狭い「かもめ食堂」の店内に入ると、かなり奥行があることが分かりました。道路に面したレイズドフロアには4人掛けのテーブルが2卓あり、店の奥に向かっては6人掛けのテーブルが1卓、さらに長テーブルのようにいくつかのテーブルが並べられたテーブルに14席、一番奥には4人掛けのテーブルと2人掛けのテーブルが各1卓ずつ。当然かもしれませんが、映画で使われた時の店内レイアウトとは大きく異なります。
 
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いずれのテーブルにも4cm厚の無垢板(むくいた)が使われていて、フィンランドらしさを演出しています。そして、静かなジャズが流れていて、落ち着いた雰囲気があります。  
 
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何ページにもわたるメニューの一部分
 
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美味しそうなフィンランドBOX(35ユーロ)はボリュームがありそうですから、ラーメンを選ぶことにしました。同行者は「柚子塩ラーメン」(17ユーロ)とフィンランドのベリー(グミ科の果実)でできたトゥルニ(英語ではシーバックソーン)を、私は「とんこつ塩ラーメン」と白ワインを注文しました。今回の旅行で私は一貫して白ワインで通しています。なお、配膳されたラーメンはいずれもスープと麺ともよくできたラーメンで、二人とも美味しく完食しました。
 
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料金は締めて44ユーロ(約5300円)。同行者は店内にディスプレイされていたキッチンタオル3枚セット(8ユーロ)もお土産に購入しました。近くの席に座る客が注文したBOXはおばんざいのような料理に見えました。来客は現地の人が組、日本人客が5組でした。2016年春から日本人が経営するという”KAMOME”は日本人女性がマネージャーで、英語を話すホールスタッフが1名と厨房(キッチン)係1名(日本人)で店を回しているようです。
 
午後8時30分ころ、小雨が降り続くなか、ホテルへ戻りました。
 
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この日の総歩数は12,806歩でした。
 
午前4時30分ころに起床し、カーテンを開けると外は雨。旅行中は小雨やにわか雨に何度も会いましたが、いずれもバスや列車での移動中であり、本格的に降るのは昨夜から帰国するこの日にかけてのこの雨が初めてであったことは天恵でしょう。
 
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荷物は前夜に整理してありますが、朝食までの時間をこの日の天気に合わせて微調整する作業が必要でした。
 
午前6時30分から朝食(ビッフェ)です。やや高級なホテルだけあってビッフェの内容は温野菜やフルーツなどがあって充実しています。何といっても、カフェテリアに混雑と声高な会話がないことで落ち着いて食事ができます。旅程の最後にグレードの高いホテルを使うのは旅行会社の常(朝三暮四)ですが、純朴な私ですから悪い気持ちはしません。
 
こちらが同行者の選択で、
 
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そして、こちらが私の朝食です。
 
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(続く)

2019年8月17日 (土)

北欧4か国を駆け巡る旅(その59) ヘルシンキの「かもめ食堂」と宿泊したラディソン・ブル・ロイヤル・ホテル(前編)

ポルヴォーを出発して30分余りでヘルシンキの市街に入りました。
 
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さらに10分ほど走るとトーロ湾(Toolonlahti)沿いに出ました。一見すると湖のようですが、海に繋がっているそうです。
 
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国立オペラ座
 
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地下鉄カンピ(Kamppi)駅の近くにあるヘルシンキ市立美術館(HAM)
 
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午後5時を少し過ぎたころ、この日宿泊する4つ星のラディソン・ブル・ロイヤル・ヘルシンキ(Radisson Blu Royal Helsinki)に到着。
 
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自室は上階の634号室でした。
 
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自室の様子
 
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洗面所
 
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バスタブが付いています。
 
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自室で1時間余り休憩した午後7時少し前、夕食のために出かけることにしました。疲れが溜まっていることと、夜は雨が予想されていましたからホテル内のレストランあるいは近場のカフェなどが賢明と思われましたが、ヘルシンキで是非訪れたいレストランがあるのです。それは「かもめ食堂」、かなり前の同名映画(2006年3月公開、若い女性たちに人気がある)のロケに使われた場所です。例にもれずこの映画が好きだったおチビちゃんとコチビちゃんのお母さん、チビスケくんとチビエちゃんのお母さん、2人への土産話になると考えました。地元ガイドさんから目抜き通りに「ムーミン・カフェ」があると聞きましたが、ランチで食べた料理のようにフィンランド料理はあまり特徴がなく、美味しさもイギリス料理並みとの俗説がありますから、敢えて迷わないことにしました。
 
事前に確認したところ、かもめ食堂は1km強(徒歩約15分)南東にあるようです。

 
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Malminrinne”通りから”Albertinkatu”通りに入れば一本道といっても良いルートです。行き当たった5差路を”Pursimiehenkatu”通りへ右折すると200mほど先に”Ravintola KAMOME”の看板がありました。ちなみに、"Ravintola"はフィンランド語でレストランを意味します。
 
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立て看板にお勧めが「美味しいフィンランド・ボックス」(トナカイ、サーモン、ミートボールなどの料理9種)と「KAMOMEの美味しいラーメン ミソ、醤油など7種類の風味」とあります。
 
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(続く)

2019年8月16日 (金)

北欧4か国を駆け巡る旅(その58) ヘルシンキ郊外にあるポルヴォーを観光する③

手作りチョコレートの店”PETRIS”(関蓮URL
 
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インテリアの店Vanille Home”(関連URL)
 
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この海老茶色の建物は1809年、スウェーデンから割譲されたファインランドにフィンランド公国を建国するため、ロシア皇帝アレクサンドル1世によって召集されたポルヴォー議会(フィンランド語:Porvoon Valtiopaivat、スウェーデン語:Borga Lantdag)が開催された場所です。つまり、フィンランドがロシア帝国の支配下に入った重要な立法議会の開催地ですちなみに、アレクサンドル1世はポルヴォー議会の会期中(1809年5月25日~7月19日)、ここに逗留(とうりゅう)したそうです。
 
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幅の広い自動車道(地方道170号)へ出てポルヴォー川に架かる橋の中ほどまで歩くと、築300年を経た倉庫群が目の前に広がりました。重要文化景観の一つだそうです。右手前は古い建物と船を利用したカフェ&バー"Porvoon Paahtimo"トリップアドバイザーの評価によるとポルヴォーで第1位のレストランです。
 
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倉庫群の先には旧市庁舎と修復工事中の大聖堂(大きな三角屋根)を見ることができました。
 
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橋から見たポルヴォー旧市街
 
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旧市街に戻りました。この建物には家具屋さんが入っているようです。
 
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その隣、同じ建物の南東の角にあるのは1871年創業のキャンディ店BruunBerg関蓮URL
 
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由時間になると同行者は、キャンディ店”BruunBerg”ではなく、手作りチョコレートの店”PETRIS”に直行しました。
 
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店の外に出ると青空を人工のカラスと本物の鳥が飛んでいました。
 
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ポルヴォー旧市街の地図を見かけました。
 
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キャンディ店”BruunBerg”の前に戻って見た南方向(幅の広い道路が東西に通っている)
 
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ポルヴォーへ到着してちょうど1時間後の午後4時ころ、専用バスに乗車して地方道170号でヘルシンキへ向けて出発しました。
 
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ポルヴォーで同行者はお土産用のチョコレートと自分のコレクションであるパッチワッペン)とスプーンの探索に余念がなく、1時間の滞在時間はあっという間に過ぎてしまいました。至極満足そうですから、帰国する前日にヘルシンキの郊外をわざわざ訪れた甲斐があったようです。 (続く)

2019年8月15日 (木)

北欧4か国を駆け巡る旅(その57) ヘルシンキ郊外にあるポルヴォーを観光する②

ポルヴォー近郊のキーアラで生まれた画家アベルト・エデルフェルト(Albert Edelfelt、1854-1905年)の胸像と彼が描いたポルヴォーの路地
 
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“Salt.”は何の店でしょうか。後で調べると、カジュアルな欧州料理のレストランでした。
 
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不思議な形状の金具が窓辺に取り付けられています。地元ガイドさんによれば、家の前を通行する人を確認するための鏡とのこと。世の東西を問わず隣人に興味津々である人はいるものです。
 
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住宅の門扉
 
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雨戸がある住宅の窓
 
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石畳の道が続いています。何軒もの住宅の脇にそれぞれ自動車が停まっていますから、この町では青空駐車が一般的のようです。
 
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右手の路地に入って急坂を下ります。
 
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前方にピンク色の建物が見えてきました。1764年に完成した旧市庁舎で、フィンランド最古の市庁舎の一つとのこと。ちなみに、現在は博物館となっています。
 
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路傍に咲くタンポポなど
 
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下り坂の路地が続きます。
 
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2重窓の内側にある綿のようなものは結露対策とのこと
 
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旧市庁舎にある“DET GAMIA BORGA”(ボルガ博物館)と表示されたレリーフ
  
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旧市庁舎の北側にある石畳のマーケット広場に出ました。前方のテントでは何か土産物のようなものが売られているようです。
 
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旧庁舎の南側にはCafé POS 3関連URL)などの店舗が並んでいます。
 
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旧庁舎の南側にあるギフトショップのSHOP SADUNHENKI
 
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フィンランドの手芸品とインテリアの店ISTRA & ILMAR” 
 
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MEAT DISTRICT関連URL)は欧州料理とステーキの店のようです。
 
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(続く)

2019年8月14日 (水)

北欧4か国を駆け巡る旅(その56) ヘルシンキ郊外にあるポルヴォーを観光する①

午後2時ころにヘルシンキの中心部を出発した専用バスは欧州自動車道路E75からE18に入ってヘルシンキの東方約50kmにあるフィンランドでは旧首都のトゥルク(Turku)に次いで2番目に古い街ポルヴォー(人口約5万人)へ向かいました。ちなみに、ポルヴォーは中世からおよそ800年の歴史があるそうです。
 
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出発して約45分が経過すると、一般道1541への分岐点に差し掛かりました。
 
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E18は森林地帯へと入って行きます。
 
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E18から一般道へ出ると、住宅が立ち並ぶ水辺に出ました。
 
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午後3時少し前、ポルヴォーに到着したようです。駐車場には大型バスが2台停まっているのが見えます。
 
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ポルヴォーはフィンランド湾に注ぐポルボー川(Porvoonjoki)沿いの町のようです。ちなみに、現在地は地図の左下。
 
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駐車場内には移動式の榴弾砲(りゅうだんほう)が展示されています。カノン砲よりも砲身が短く、短射砲ですが、軽量・コンパクトであることが特徴です。説明パネルに1941年の文字が見えますから、第二次世界大戦中においてソ連がフィンランドへ侵攻した時、フィンランド軍によって使われたものかも知れません。
 
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ポルボー川に架かるオールドブリッジを渡って対岸にあるポルヴォーの旧市街へ向かいます。かつてはポルヴォーに入るための唯一の橋であったこの橋からは重要文化的な景観として知られる川沿いの倉庫群や教会など、絵画のようなポルヴォー旧市街などが一望できました。ちなみに、ポルヴォーの旧市街にある住居は18世紀に当時の建設規制にしたがって造られ、現在にいたるまで大切に守られてきたそうです。ちなみに、前方に見える大きな三角屋根は大聖堂と思われます。
 
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船着き場(右手前)の先に見える対岸には綺麗な住宅群とポルヴォー旧市街を代表する倉庫群(写真右端)が並んでいるのが見えます。
 
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オールドブリッジを渡りきると、集落に入る坂道がありました。
 
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石畳の急坂は歩行者にとって難儀です。
 
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前方に黄色く塗られた建物が見えてきました。1923年にフィンランドスウェーデン語教区の監督職がポルヴォーに設置されたことにともない、1927年に建てられた監督館(公邸)です。
 
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右手の坂道沿いにはライラックの花が咲き誇る住宅があります。ちなみに、フィンランドの国の花はスズランのようです。
 
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左前方に大聖堂の付属施設である美しい鐘塔が見えてきました。ちなみに、13世紀から14世紀にかけて最初の教会が現在の場所に建設されましたが、現在の建物は1450年代に完成し、1723年に大聖堂となったそうです。残念ながらこの日は大聖堂が修復工事中のため敷地内に入ることができません。
 
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(続く)

2019年8月13日 (火)

北欧4か国を駆け巡る旅(その55) ヘルシンキ市内観光④欧州料理店「ジンケラー」でランチ

こちらはヘルシンキ・アイランド・ホッピング(諸島巡り"JT-LINE")の乗船場です。マーケット広場発着で世界遺産の古い要塞があるスオメンリンナ島などを巡るサービス(4ルート有)を夏季期間(5月1日~9月30日)に提供。料金は10ユーロ、途中乗下船可。
 
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桟橋に接岸するその観光船(海上バス)
 
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港の右手方向(西側)
 
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ヘルシンキの街角でもキックボードを発見
 
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セナーティ広場へ戻ると、フィンランド・チームが前々日の5月26日にスロバキアで開催されたアイスホッケーの世界選手権で優勝して世界一になったことを祝うコンサートの開催準備が始まっていました。
 
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午前12時40分ころ、大聖堂から北東へ約500mと近い欧州料理店「ジンケラー(」(Ravintola Zinnkeller)に入店しました。 
  
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ランチに出されたのはマッシュルームのスープとニシン料理です。あっさりした味付けのスープと濃いめの味付けのニシン(人参とジャガイモ添え)はいずれも美味しく食べました。
 
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ランチを終えた午後1時40分ころ、ヨットハーバー沿いの道で専用バスに乗車しました。少し離れた埠頭には貨物船が停泊しています。
 
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ウスペンスキ寺院が見える場所を通り、
 
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市中央駅の南西約1.4kmにあるラディソン・ブル・ロイヤル・ホテルRadisson Blu Royal Hotel)に立ち寄ると、この日の後半ツアーに参加しない一部メンバーが下車しました。
 
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マンネルヘイミン通り(Mannerheimintie) に入ると、国会議事堂の左手前角にフィンランドの初代大統領(1919-1925年)であるK.I.STAHLBERG(1865-1952年)の銅像を確認できました。
 
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そして、“Helsinginkatu”通りに入って東進し、リンナンマキ遊園地の脇を抜けました。
 
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そこで、自転車に乗るスイカ頭を発見。こちらは充電しなくても一人で走れるエコタイプです。
 
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これから向かう次の目的地はヘルシンキの東北東方向へ50km(約1時間)の地点にある古い町ポルボー(Porvoo)です。(続く)

2019年8月12日 (月)

北欧4か国を駆け巡る旅(その54) ヘルシンキ市内観光③ヘルシンキ大聖堂とマーケット広場

マネンヘイム元帥(1867-1951年)の騎馬像があるヘルシンキ国立現代美術館キアズマの広場の前に出ました。
 
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そして、ヘルシンキ中央駅前を通過
 
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その向かいにある“Duodecim”は1881年に設立されたフィンランド医学会です。
 
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ヘルシンキ中央駅に東隣、フィンランドの有名な小説家アレクシス・キヴィ(1834-1872年)の像があるラウタティエントリ広場の北側にある建物は国立劇場Suomen Kansallisteatteri)です。
 
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カイサ二エミ公園Kaisaniemi Park)にあるフィンランドのヘーゲル哲学者ユーハン・ヴィルヘルム・スネルマン(J.V.SNELLMAN)の銅像
 
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ヘルシンキ大聖堂に到着しました。ヘルシンキに現存する2番目に古い教会。ちなみに、最も古い教会は木造のオールド教会です。
 
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大聖堂の前にあるセナーティ広場にはかつてフィンランドを統治したロシア皇帝アレクザンダー2世(Alexander II)の銅像があります。
 
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セナーティ広場の右手にある建物
 
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セナーティ広場の左手にある建物
 
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約40万個の御影石が引きつめられたセナーティ(元老院)広場
 
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セナーティ広場を出て南方向へ歩きました。
 
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ヘルシンキ大聖堂を振り返りました。
 
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現地
ガイドさんの説明によれば、この通りは2019年2月1日から上映された映画「雪の華」のロケ地になったそうです。参考までにその映画の導入部を紹介すると、『余命1年と宣告された若い女性が偶然出会ったガラス工芸家を目指す男性に100万円を提供する代わりに1か月間の恋人になって欲しいと依頼して受け入れられたことで、2人のフィンランド旅行が始まりました。そして、二人のデートが始まったのがヘルシンキ大聖堂前の広場からマーケット市場へ向かうこの通り(SOFIEGATAN)なのです』。
 
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セナーティ広場から南へ約200m歩くと、エテラ港に面したマーケット広場に到着しました。青空市が開催されていて、オレンジ色のテントには野菜・フルーツ・お土産になる手工芸品・新鮮な魚を使った屋台飯などの店が並んでいます。
 
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振り返ると、マーケット広場の北側にはヘルシンキ市庁舎があります。
 
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マーケット広場の中心にあるモニュメント
 
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右手(東側)にはシベリウス公園へ向かう途中で一瞬だけ見えたウスペンスキ寺院が間近にあります。
 
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(続く)

2019年8月11日 (日)

北欧4か国を駆け巡る旅(その53) ヘルシンキ市内観光②テンペリアウキオ教会

“Runeberginkatu”通りに入って南下しました。
 
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トーロ地区のアパートが建ち並ぶエリアにある
テンペリアウキオ教会(別名:岩の教会)に到着しました。
 
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岩盤をくり抜いて1969年に完成した福音ルーテル派の教会で、岩盤を掘削し、その上に銅線を使った円形の屋根を被せたユニークな造りです。岩と屋根の間にはガラスを使い、自然光が取り入れられるように工夫されており、軽井沢の石の教会に似た雰囲気があります。
 
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祭壇とその周辺は岩がむき出しになっています。
 
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明かり取の大きな窓
 
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螺旋状に渦を巻いた銅線の天井は直径約24mと巨大です。
 
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2階バルコニーへ上がると、教会内の全景を見ることができました。繰り抜いた岩盤がそのまま使われていることで音響効果は抜群であるため、しばしばコンサートホールとして使われるそうです。
 
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10分余りと短い滞在の後、教会から外に出ました。
 
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次はヘルシンキのランドマークであるヘルシンキ大聖堂とマーケット広場です。(続く)

2019年8月10日 (土)

北欧4か国を駆け巡る旅(その52) ヘルシンキ市内観光①シベリウス公園

午前10時45分ころ、専用バスで約2時間のヘルシンキ市内観光へ出発しました。
 

参考情報です。フィンランドは、王国である他の北欧諸国とは異なり、唯一の共和国である。人口は約532万人、首都はヘルシンキ(人口は約61万人、大都市圏の人口は約117万人)。国土は西がスウェーデン、北がノルウェー、東がロシア、南がフィンランド湾を挟んでエストニアと接しているが、スカンジナビア半島には含まれない。また、国土の大半は平坦な地形で、氷河期に削られて形成された湖が無数に点在し、植生はタイガ(針葉樹林)と地衣類が多い。産業は農業と林業が中心だったが、携帯電話のノキアやOSのリナックスなどで知られる工業先進国かつサービス大国、つまり現在は経済大国である。
 
ちなみに、国名のフィンランドは、言語的な特徴(ウラル語族)から推定して、東方(シベリアまたはコーカサス)から移動してきたとされるフィン人の国を意味する。歴史的には、1155年までが先史時代、1155-1809年がスウェーデン時代(注釈;北方十字軍による占領
)、1809-1917年がロシアによる大公国時代(注釈;大北方戦争による)、1917年以降が独立国としてのフィンランド王国時代に大別される。また、EU加盟国で、通貨はユーロである。

注釈;1人当たりのGDPでは、4位ノルウェー(産油国)、10位デンマーク、12位スウェーデンなどに次いでは15位である。ちなみに、1位ルクセンブルグ、2位スイス、3位マカオ、そして日本は26位。
 

丘の上に建つウスペンスキ寺院は1868年に完成した北欧最大規模のフィンランド正教会です。ロシア人建築家アレクセイ・ゴルノスタヤブによって設計されたビザンチン・ロシア建築で、赤レンガと金色に輝くタマネギ形のクーポラが特徴とのこと。
 
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マーケット広場とエスプラナーディ公園の間にある交差点を左折すると、
 
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右前方に
ヘルシンキ市庁舎が見えましたので急いで撮影すると、手振れ写真になってしまいました。1833年にホテルとして建てられましたが、その移転にともない、1920年代に市庁舎として改装されたようです。
 
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エスプラナーディ公園内(左手)にあるフィンランド料理店カペリKappeli)の前を通過
 
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マンネルヘイミン通り(Mannerheimintie)へ右折すると、左手にある“FORUM Shopping Centerの前を通過
 
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右前方にヘルシンキの玄関口であるヘルシンキ中央駅(1862年開業)が見えます。
 
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左手には1931年に建設された
国会議事堂Parliament House
 
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右手にはヘルシンキ現代美術館キアズマ(左)とヘルシンキ中央図書館オーディOodi)が見えてきました。”Oodi”はフィンランド語で「頌歌(しょうか)」、古代ギリシャ劇で歌われる神の栄光や人の功績などをたたえる賛歌のことだそうです。フィンランド人が独立100周年を祝福する意味を込めて、2018年12月5日に開館しました。

注釈;フィンランドンは1155年からスウェーデン王国に属していたが、1809年にスウェーデンがロシア帝国との戦争に敗れたことからロシア帝国に割譲されてフィンランド大公国となり、1917年にフィンランド王国としてソ連(旧ロシア帝国)から独立し、1918年にフィンランド共和国となった。
 
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ヘルシンキ国立現代美術館キアズマの広場にあるフィンランド建国の父と讃えられるマネンヘイム元帥(6代目大統領)の騎馬像“Statue of Mannerheim
 
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フィンランド国立博物館では写真展”Inherit the Dust”が行われています。1916年から博物館として公開されたフィンランドを代表するナショナルロマンチック様式建築です。
 
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フィンランディア・ホールは建築界の巨匠アルヴァ・アアルトの代表作として有名なコンサートホールで、 外壁がイタリアのカッララの大理石で、内部の壁タイルの一部はアラビア社製とのこと。
   
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ヘルシンキ大学とアールト大学の訪問者用の宿泊施設テーロタワー(Toolo Towers)の付近を通過
 
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ヘルシンキ市の北西にあり、海に面したシベリウス公園に着しました。主要道路”Mechelininkatu”を挟んで東西に広がる大きな公園です。
 
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西側のエリアに入ると、フィンランドを代表する作曲家ジャン・シベリウスの肖像レリーフとステンレスパイプの彫刻がありました。
 
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大きな岩石の上に置かれたシベリウスの肖像レリーフと並んで記念撮影する人たちがいます。
 
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ちなみに、ジャン・シベリウス(1865-1957年)は後期ロマン派として活躍したフィンランドの作曲家です。フィンランドがロシア帝国から独立しようとするする時代に音楽を通じて国民意識(愛国心)を形成することに貢献したとされます。交響詩フィンランディアと7曲の交響曲などの作品が知られています。
 
公園内には露店が出が出ています。
 
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クラッシクカーを使って商品をディスプレイする露店
 
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10分足らずの滞在でしたが、次は国会議事堂の西方約500mにあるテンペリアウキオ教会へ向かいます。(続く)

2019年8月 9日 (金)

北欧4か国を駆け巡る旅(その51) バルト海客船クルーズ⑤起床してからヘルシンキ到着まで(後編)

 海鳥が並行して飛んでいます。
 
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ヘルシンキが近づいたようで、建物が見え始めました。
  
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カフェテリアの船窓からヘルシンキ港のカタヤノッカ・ターミナルに停泊する"VIKING LINE"の客船が確認できますから、シリア・セレナーデ号はいよいよヘルシンキの港(オリンピアターミナル)に到着するようです。自室に戻って身の回りの手荷物を持ち、午前10時ころプロムナード(コンコース)へ向かいました。
 
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スケルトン・エレベーターが忙しく動いています。
 
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プロムナード(
コンコース)にも人が増えました。
 
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昨日は気づきませんでしたが、一番前にはバーやカジノがあったのです。ちなみに、明かり取のある最上階は前日にコンコースを見下ろした場所です。午後11時から開かれたミッドナイト・ショーはこちらが会場のようです。
 
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船内に向いた客室はまるで蜂の巣のように整然と並んでいます。
 
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スウェーデンとフィンランドは時差が1時間あります。
 
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午前10時20分(フィンランド時間)、コンコース中央にあるステージ付近が集合場所です。大きなディスプレイには「本日の広がる水平線」(Expanding Horizins Today、注釈;Horizonsと複数形)が表示(注釈;直訳すると「今日の広がって行く地平線/水平線」)されていますが、その意味を理解できない私がネット辞書で確認すると、"Horizons"(複数形)は「視野・展望」、つまり全体では「ぜひ来てくださいね」を意味するようです。つまり、ファッション店舗の案内(営業時間)と思われます。
 
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「今夜の娯楽」に搭乗する音楽家とシリア・セレナーデ号の主な乗組員が紹介されています。
 
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午前10時30分から下船が始まりました。
 
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シリアセレナーデ号の船腹が見えます。
 
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ヘルシンキ港のオリンピア・ターミナル(南港)にも長い乗下船用の通路が設けてあります。
 
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ターミナル周辺の景色
 
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人の流れに従ってゲートを出ます。
 
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フィンランドで利用する専用バスの待つシリアライン・ターミナル前の駐車場へ向かいました。 ちなみに、外気温は9度と肌寒いのは北欧の朝ならではです。
 
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大型のスーツケース(左側)はすでに船から搬出されて、確認しやすいよう歩道上に整然と並べられていました。
 
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(続く)

2019年8月 8日 (木)

北欧4か国を駆け巡る旅(その50) バルト海客船クルーズ④起床してからヘルシンキ到着まで(前編)

午前3時30分ごろ、水平線付近が明るくなりました。
 
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室内のテレビを付けると、EUROSPORT1(衛星放送)女子テニスの試合が中継されていて、セリーナ・ウイリアムスが順当に勝利。その後はフェンシングの試合に変わりましたので、再びベッドに戻りました。
 
午前6時(フィンランド時間)少し前に起床。
自室から明るくなった船外にある救命ボートを改めた見下ろしてみました。
 
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白い貨物船とすれ違います。
 
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午前8時(フィンランド時間)ころ、朝食が提供される6階のビッフェ・レストラン(食べ放題)へ向かいました。
 
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船内WiFiを利用してニュースをチェクすると、ペルーで地震が発生したようです。
   
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右手にある船窓から外を見ると岩礁を確認することができました。
   
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同行者は初めての外洋クルーズ旅によるハイテンションのためお腹が空いたようで、朝食であるにも関わらず、こんなに食べるようです。
 
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私は相変わらずの取り合わせです。
 
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午前9時ころ、小さな島の脇を通過します。
 
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午前9時20分ころ、水平線上に大型客船のシルエットが
 
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再び、小さな島の脇を通過
 
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午前10時ころ、陸地が近づいたようです。
 
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(続く)

2019年8月 7日 (水)

北欧4か国を駆け巡る旅(その49) バルト海客船クルーズ③出航から就寝まで

自室へ戻るとほどなく(午後4時45分ころ)、シリア・セレナーデ号は出航しました。これからフィンランドの首都ヘルシンキまで約400km(約17時間)のバルト海クルーズが始まります。
 
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埠頭から後退しながら進路を南東方向へ変えて"Lilla Vartan"水路を前進するとカクネス塔(Kaknastornet)が真横に来ました。
 
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軍艦が右手の桟橋に停泊しています。
 
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小型のヨットとすれ違います。
 
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シリアセレナーデ号は東方向へ進路を変えながらフィヨルドをゆっくり進みます。
 
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iPhone SEのマップ・アプリで位置を確認すると、午後5時15分ころシリア・セレナーデ号は複雑な形状をしたフィヨルドの中を外洋へ向けて進んでいるところでした。なお、船内WiFiは主に共通エリアが対象のようで、残念ながら船室からは利用できませんでした。
 
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午後5時30分ころ、船室を出て再びブリッジの前に出ました。シリアセレナーデ号は航路を示す小さな灯台の脇を通過し、
  
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前方に大型客船が確認できます。
 
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同じ方向へ進む“VIKING LINE”の客船でした。
 
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フィヨルドが続きます。
 
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別の大型客船とすれ違います。
 
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小島に別荘のようなものが見えます。
 
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サンデッキの後方にあるアンテナ群と煙突
 
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午後5時45分ころ、7階のプロムナード(コンコース)へ下りると、中央のステージ脇でライブ演奏が始まっていました。午後7時からはグランド・オープニング・ショーが開催されるようです。いずれも、鑑賞は無料。
 
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午後7時ころ、航路を示す小型灯台がある小島の脇を通過
 
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午後7時30分からの夕食はチケットに表記されているように6階(船尾)のビッフェ・レストラン"Grande Buffet"でのスモーガスボード(北欧風ブッフェ)です。ちなみに、ビール、ワイン、ソフトドリンクはセルフサービスで自由に飲むことができました。
 
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シリアセレナーデ号にはこのビッフェ・レストランの他に、イタリアンレストラン"TAVOLATA RISTORANTE ITALIANO"、バルト海の魚介類を味わうことができる"HAPPY LOBSTER"、グリルレストラン"EL CAPITAN"、正統派アラカルトレストラン"BON VIVANT, WINE BAR & SHOP"、軽食の"FAST LANE"と”COFFEE & CO."があるようです。
   
食事を終えた午後9時40分ごろ(出航して約5時間後)、シリアセレナーデ号は外洋(バルト海)に出ていました。
 
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午後10時20分ころ、岩礁が見え始めました。
 
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15分後の午後10時30分過ぎにはすっかり暗くなりましたが、大きな島影と停泊する漁船を確認することができました。オーランド諸島(フィンランドの自治領)のマリエハムン(Maarianhamina)港です。時間調整のための寄港で、乗下船はできません。
 
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先行していた”VIKING LINE”の客船が停泊しています。
 
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EUROSPORT1チャンネル(衛星放送)でル・マンのオートレース中継を観た後、午後11時30分過ぎに就寝しました。 ちなみに、 この日(5日目)の総歩行数は14,168歩。(続く)

2019年8月 6日 (火)

北欧4か国を駆け巡る旅(その48) バルト海客船クルーズ②船内散策

7階の後方にあるエレベーターホールでエレベーターの到着を待ちます。
 
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スケルトン・エレベーター内から見るプロムナード(コンコース)と内側船室の窓
 
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10階の自室前に到着
   
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自室(Aクラス: 海側スタンダードキャビン)の様子
 
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洗面所には簡単なシャワー機能も付いています。
 
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「警報と船内の配置図」にはフィンランド語・スウェーデン語・英語・ロシア語の4か国語で、『警報時には温かい服装をして表示にしたがって集合場所に集まってください。緊急の場合はエレベーターを利用しないでください。』 と書かれていました。
 
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自室から見る埠頭にはコンテナーが多数並べられています。
 
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先ほどと同じ後方のエレベーターを利用して最上階(13階に相当する屋上)のサンデッキに出ました。乗船直後であり、まだ人の気配がまったくないサンデッキを前方へ歩くことに。
 
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ドアを開けて船内に入ると後方のプロムナード(コンコース)を見下ろすことができました。
 
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反対側のサンデッキへ出て、最前部にあるブリッジ(船橋)へ向かって進みます。
 
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最前部(ブリッジの前)から見た桟橋(ターミナル)と前方に停泊する大型客船
 
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丘の上にテレビ塔のようなものが見えます。これが当初の計画ではランチを摂ることになっていたカクネス塔でしょう。
 
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ブリッジの前から引き返すと、サンデッキの中央にある売店がすでに開いていました。
 
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さらに後方へ向かいます。
 
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こちらでも前方のプロムナード(コンコース)見下ろすことができました。
 
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船尾にある“SUNFLOWER OASIS”(有料)にはスパで、ジャグジーとサウナがあるようです。
 
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階段を上がった先にある”NEW YORK CLUB & LOUNGE”は成人(18歳以上)向けです。
 
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サンデッキを一周した後、10階の自室へ戻りました。
 
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(続く)

2019年8月 5日 (月)

北欧4か国を駆け巡る旅(その47) バルト海客船クルーズ①乗船

往路と逆方向にストロム橋(Strombron)を渡ると、左前方に王立オペラ劇場Kungliga Operan)と聖ヤコブ教会(St. Jacobs Kyrka)が見えてきました。左端の茶色い建物は地中海・近東古美術博物館(Medelhavsmuseet)で、その手前はスウェーデン王グスタフ・アドルフ2世の騎馬像があるグスタフアドルフ広場でしょう。
 
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さらに王立公園Kungstradgarden)が見えてきました。ちなみに、中央に立つのはカール12世像です。
 
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“stromgatan”通りへと右折すると、ほどなく“Nybrogatan”通りに面した王立ドラマ劇場Kungliga Dramatiska Teatern)の近くの複雑な交差点を通過。
 
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“Djurgar”運河の対岸、ユールゴーダン(ユールゴーデン島)に尖塔が目立つ北方民族博物館(Nordiska museet)が見えます。16世紀以降のスウェーデンの風俗・文化を紹介しているそうです。
 
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専用バスは、道なりに北方向へ走って、午後2時45分ころにクルーズ船が発着するヴァルタハムン(Bartahamnen)港に到着しました。出港予定時間のちょうど2時間前です。
 
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前方に大型客船が2艘見えます。
 
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ターミナルビルの近くの駐車場で専用バスを下車。先行したクルーズ船会社の送迎バスから降ろされた大きなスーツケースが並べられていました。我われの専用バスについても、バスの運転手さんが船室へ持ち込まない大きなスーツケースなどを別途チェクインして、クルーズ中は貨物室にそれらを保管してくれるようです。
 
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我われは前方に停泊する大型客船のシリアセレナーデ(Silja Serenade)号に乗船するようです。その概要は、総トン数:58,376、造船:1990年、改装2006年、全長:203m、全幅:31.5m、巡航速度:21ノット、搭載車数:395、乗客定員:2,852、キャビン数:986、デッキ数:13、ベッド数:3,041。
 
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ターミナルビル内のエスカレータで上階へ上がります。
 
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バルト海クルーズで我われが利用するタリンクシリアライン(SILIA LINE)のチケット売り場
 
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空港のゲート前の待合室に似た待合室
 
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我われが乗船するのはヘルシンキ行きです。ちなみに、タリンクシリアラインはヘルシンキのほか、同じくフィンランドの古都トゥルク、エストニアのタリン、ラトビアのリガとの間にもクルーズ・サービスを提供しています。ちなみに、トゥルクは1229年にローマ法王が司教座を置いたことで築かれたフィンランド最古の街で、ヘルシンキから特急で約2時間で行くことができるようです。1812年にヘルシンキが首都となるまで、フィンランドの中心都市として栄えたそうです。また、トゥルクの近くにある小さな港町ナターリンはナターリン教会と19世紀ころの木造家屋が並ぶ旧市街があり、ナターリン湾にある小さな島にはテーマパークの「ムーミン・ワールド」があることでも知られます。
 
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ルームキーを兼ねた乗船券(シリア・セレナーデ号、10階506号室、夕食・朝食付き)
 
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午後3時15分に専用通路を経由する乗船が始まりました。
 
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ボーディング・ブリッジを渡ってシリア・セレナーデ号に乗船します。
 
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正面のディスプレイになぜか “Benvenuto”と表示されています。歓迎を意味するイタリア語です。エレベーターホールが前後2か所にあり、自室となる10階の506号室は左手(後方)のエレベーターを利用するようです。
 
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両側にショップ(免税店)が建ちならぶ7階のプロムナード(コンコース)に入りました。左手には小さなステージ脇に集まって説明を受けているグループ客がいます。そして、その先にはスケルトンのエレベーターがあります。
 
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右手方向(前方)にもショップ(免税店)の先にスケルトンのエレベーターが見えました。
 
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(続く)

2019年8月 2日 (金)

北欧4か国を駆け巡る旅(その46) ストックホルムの旧市街で教会を巡る③路地とドイツ教会

貴族の館の前から“Stora Nygatan”通りに入ると、左手に伸びる”Storkyrkobrinkenn”通りの先に大聖堂の尖塔を見ることができます。
 
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"Stragramunkegrand"通りとの三叉路の角にある“STAMPEN”はTripAdvisorによればストックホルムにある2837件のレストラン中で台314位とのこと。
 
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左手に伸びる細い路地Helga Lekamens Grand通りを進むと、
 
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大広場により近い“Vasterlanggatan”通りに行き当りました。
 
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“Vasterlanggatan”通りにあるセブンイレブンの店
 
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婦人服の店GUSTAF/MELLBINN
 
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"Kryp In Gamla stan"はTipAdvisorによる評価でストックホルムのレストラン2838軒中32位とトップクラス
 
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一旦、大広場に戻り、Skomakargatan通りを南へ歩いて、最初の交差点を右折して”Tyska Brinkenn”通りに入りました。同行者はどんどん先へと歩いて、三差路の先にある長い坂を下りそうになっていますが、目的地は今いるところの左手ですよ!!
 
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同行者に声をかけて、ドイツ教会の北門に無事到着。ドイツ教会はハンザ同盟の商人たちによって17世紀に建てられた教会です。
 
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真下から見上げた鐘楼
 
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建物の横にある入口
 
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建物に沿って進むと南側に正面の入口がありました。内部には金メッキの天使像が38体あるそうですが、自由時間の終わりが迫りましたので外観を見るだけに。
 
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元来た道を辿って大広場へ戻ります。
 
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大広場に面したレストラン”Stortorgskallaren”(大広場の記事に掲載した写真参照)でランチを摂ることになりました。当初の予定ではストックホルムで一番高い建造物であるカクネス塔にあるレストランが予定されていましたが、改装工事に伴う休業中であったための代替案です。とは言っても、旧市街の中心部にあり、かつTripAdvisorの評価ではストックホルムのレストラン2838軒中123位と評判のレストランです。ランチのメニューはスープとサーモンのムニエル(注釈;2018年ノーベル賞晩餐会で出されたアークティック・チャーと似ている)、そしてスイーツだけのシンプルな内容でしたが、味付けが上品であり、内装もクラッシクでまずまず満足できるランチでした。旧市街の散策話に花が咲いたため、スープだけの撮影になってしまいました。
 
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ストックホルムの市内観光は半日余りと短いため、ストックホルム市庁舎と旧市街(ガムラ・スタン)を観光しただけですが、他にも国会議事堂、王室専用の狩場だったユールゴーダンにあるスカイセン屋外博物館、レンブラント作品を多く展示する国立美術館、世界遺産に認定されたドロットニングホルム宮殿など見どころはたくさんあり、グルメの人は多くのレストランでスウェーデン料理を楽しむことができ、さらには北の新市街(ノッルマルムとエステマルム)や南の新市街(セーデルマルム)で北欧デザインの家具・食器・雑貨を見て歩くことも良いでしょう。また、時間に余裕がある方は水の都と呼ばれるストックホルムの水路/橋/町並みを船で巡るクルーズ観光(中央駅近くの桟橋とグランド・ホテル前の桟橋などを出発する3コースが有り)、そしてポップ・ミュージックが好きな方にはスウェーデン出身の人気ポップ・グループABBAの音楽とダンスが楽しめるABBAミュージアムをお勧めしたいと思います。
 
ここで投稿を小休止します。(続く)

2019年8月 1日 (木)

北欧4か国を駆け巡る旅(その45) ストックホルムの旧市街で教会を巡る②リッダーホルム教会(後編)

振り返って後方(入口方向)を撮影しました。残念なことにステンドグラスは彩色されていません。
 
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床面に施された細工
 
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紋章
 
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埋葬に使われた棺桶
 
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『教会の創設者かつ主要な寄付者であるMagnus Ladulas王(1240-1290年)とKarl Knutsson Bonde王(1408-70年)が埋葬されている。(以下略)』 と説明されています。
 
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イエス・キリストの磔刑(たっけい)シーンの絵画が主祭壇に祀られています。
 
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その上にあるステンドグラス
 
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右手にあるグスタフ3世の地下納骨所
 
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地下納骨所の説明
 
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もう一つの地下納骨所
 
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地下納骨所の説明には埋葬されている代々の王と王妃の名前がリストアップされています。
 
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ベルナドッテ礼拝堂の説明
 
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スウェーデン=ノルウェー連合王国国王カール14世ヨハンの王妃であるフランス出身のデジデリア(デジレ・クラリー)の納骨所
 
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“BERNADOTTE”はカール13世の養子でスウェーデン王太子のカール・ヨハンを指すと思われます。
 
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様々な装飾品が飾られています。
 
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西洋甲冑
 
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氏名不詳の肖像画
 
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入口の近くまで戻ると、教会に貢献した人々と13世紀にはこの教会は修道院であったことの説明がありました。
 
201906011135
 
リッダーホルム教会を出て、ストックホルム商工会議所(写真左)との間にある道を歩いて、旧市街の中心部へ戻ることにしました。
 
201906011136
 

(続く)

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