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2019年8月25日 (日)

唐突ですが、緊急入院しました!

酷暑の日々が続くなか、日課にしたはずであったウォーキングとはいつの間にかご無沙汰になっていました。そのせいか体調が徐々に悪化して、就寝時を中心に気管支喘息の緒症状が頻繁に発生するようになったのです。昨秋から受診している医院で処方されている対症療法用の薬が効かなくなったようで、気管支喘息の緒症状は一段と酷くなり、、睡眠に支障を来たすようになっていたのです。つまり、昼夜の生活パターンが大きく狂ってしまいました。
 

恒例行事として孫たちが泊りがけで遊びに来てくれたお盆には、孫たちとの相手をする気力と体力ともすっかり無くなり、すべてを同居者に任せざるを得ない酷い状況に陥ってしまったのです。そんな有様でありながら、お盆は何とか過ぎて行きました。
 

我が家が元の静けさに戻ると事態はさらに悪化。ほぼ毎晩のように気管支喘息の発作が起こり、睡眠不足と食欲不振が積み重なって行きました。次第に不安が募って行くなか、ついには日中から呼吸が困難になり始めました。つまり、一日中呼吸が苦しい状況が続き、食事も満足に摂れないという最悪の事態に陥ってしまったのです。
 

午前中から呼吸困難に陥ったある日(6日前の819日)には午後になると状況はさらに悪化し、夕方にはこれまで感じたこともない苦しさに耐えるしかない事態にまで陥りました。そんな状況下、同居者が外出先から戻ってくれたのは午後6時過ぎでしたが、地獄に落つつあった私にとっては正に「一条の救いの糸」でした。2年続けて大腸ポリープの切除と両眼の白内障手術のために入院した大学病院の救急センターへ同居者に電話を掛けてもらいましたが、呼吸器の急患に対応できそうもないとして、他の救急外来へ盥((たらい)回し状態になってしまいました。
 

そんな中、別の大学病院の緊急外来はとりあえず受け入れてくれることになりましたが、対応できるかどうかについては曖昧な返事しか貰えません。それまでは同居者が運転する車に乗って病院へ向かうつもりでしたが、私の症状はますます重篤になっていたため、最後の手段として救急車を呼ぶことを決断しました。20歳代半ばの私が急性腹膜炎になって救急車を利用させてもらってその年の晦日以来、ほぼ半世紀ぶり回目のことです。
 
午後7時過ぎ、救急車の到着を待つ15分ほどは非常に長く感じられましたが、救急車を呼んだことは大正解だったのです。歩行がおぼつかない私は布製の簡易型担架に乗せられて我が家に到着した救急車まで運ばれました。吸入用マスクを使った酸素吸入を受けたことで何とか会話ができるようになった私への問診が始まりました。現在の症状の聞き取り、関連する通院状況、過去の病歴などとかなり詳細な内容です。そして、救急隊員は受け入れ可能な病院の確認を始めました。別の救急隊員の説明によると、利用できる病院の情報には偏り濃淡があり、病状に合う適正な病院であるかどうかの判断ができないこともある様です。問い合わせの作業の結果、私に通院歴(診察券)がある隣区の大学病院が受け入れてくれることになりました。ただし、最適な処置ができるとの確約はできないとのこと。
 
乗車して15〜20分後、救急車がやっと出発してくれて、約10分後(午後8時ころ)その大学病院に到着。院内にある救急センターにはいくつも並ぶ仮設ベッドの一つが私に割り当てられ、救急車内と同様にマスクを使った酸素吸入を受けながら問診が始まりました。救急隊員に説明したことと重複する項目がほとんどでした。その診断結果を踏まえて、救急センター担当医の指示により、血圧測定、採血、点滴(生理食塩水とステロイド剤)、痰の切れを良くする薬剤てあ水蒸気の噴霧吸入(注釈:オムロン製超音波式ネブライザー/吸入器NE-U780を使用)と胸部レントゲン検査が2時間余りに亘って順次実行されました。
 
レントゲン検査の結果、肺には炎症などの異常は無く、気管支炎だけが認められたそうですが、私はかなり酷い脱水症状になっていたそうです。重篤な発作が再発するのを防ぐための点滴を継続する必要があるため、即時入院が決まりました。もちろん、息も絶え絶えの私に異存があるはずはありません。午後10時少し前、鼻に付けたチューブから酸素吸入を受けながら、左手の人差し指には血中の酸素濃度を常時測定するセンサーとコードで繋がれた本体を付けたまま、車椅子に乗せられて病室へ運ばれました。この頃には自分で意識しなくても自然に呼吸ができるまでに症状が改善し、身体は随分楽になりました。
 
割り当てられた病室のベッドに寝た状態でも点滴が続き、他のクリニックで処方されていた慢性疾患の常用薬に相当する病院支給薬も飲むように指示されました。ちなみに、病室にあるベッドは電動リクライニング機能が付いていますから、上体を好みの傾きに調整した状態で横になることができました。つまり、気管支喘息の発作が起きにくい態勢であり、喘息患者には大きな安心感があります。同居者が帰宅した直後に緊急搬送された私はパジャマもないため普段着のままでしたが、ベッドに寝たことですっかり落ち着いたためか、呑気なことに夕食を食べていないことに気づき、明朝までまで何も食べられないことに思いが至りました。
 
それでも酸素吸入を続けていることから、日が変わるころには呼吸の苦しさをほとんど感じなくなっていました。しかし、精神的なダメージ大きかったからなのか、眠りについたのは午前時過ぎになっていたようです。(入院生活へ続く)

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