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2020年2月28日 (金)

日本橋の神社を巡る(その3) 福徳神社

三番目に参拝する「福徳神社」(中央区日本橋室町2-4-14)は「コレド室町」の近くにあります。その由緒は古く、9世紀の貞観年間に遡(さかのぼ)るそうです。江戸城に入府した徳川家康、そして2代将軍秀忠の篤(あつ)い信仰を集め、今でも日本橋を見守り続ける「福徳神社」には多くの人が参拝するとのこと。

「小網神社」からは日本橋川沿いに「日本橋」の方向へ進むシンプルなルート(所要時間:15分/距離:約900m)です。先ず、「小網神社」がある脇道から表通りに出て北西方向へ歩きました。日本橋川の中に建設された高速道路(江戸橋JCT)の先には東側の壁面が円形であるユニークな「日本橋ダイヤビルディング」(写真右上)が見えます。注釈:平面図では「U字型」

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200m先の小舟町(こぶなちょう)交差点(Y字路)を左前方へ進みました。前方に見えるのは首都高速都心環状線の高架です。

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小舟町は江戸時代から関東大震災で壊滅的な被害を受けるまで続いた「日本橋魚河岸」(日本橋と江戸橋の間にあった江戸湊)に近く、諸国の産物を扱う商店があった場所です。ちなみに、浅草にある浅草寺(せんそうじ)の雷門に吊るされている真っ赤な大提灯は、松下電器(現パナソニック)の松下幸之助さんが約100年前に焼失した雷門を1960年に再建した時に寄贈したものです。これに比べると目立ちにくいのですが、雷門と本堂の間(参道)にある宝蔵門に吊るされている赤提灯が「小舟町の提灯」。名前から分かるように小舟町の商人たちが約340年前に寄贈した古いものでしたが、日本橋小舟町奉賛会より平成15年(2003年)の江戸開府400年を機に奉納掛け換えされています。

伊勢町掘(西堀留川)跡の説明看板には日本橋本町1丁目と日本橋小舟町の境界沿いにあった掘割が、「かぎの手状の入堀」として、日本橋室町3丁目まで続いていたことが書かれています。

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「江戸橋」の上に覆(おお)い被(かぶ)さるような首都高速の「江戸橋JCT」と「江戸橋出入口」

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首都高速都心環状線の下を潜(くぐ)り、「昭和通り」(都道316号)を横断しました。高速道路の先に見えるのは「小網神社」の近くから見えた「日本橋ダイヤビルディング」(地上18階建、2014年竣工、オフィスビル)です。昭和5年(1930年)に建てられた「江戸橋倉庫ビル」の跡地に三菱倉庫が建てたものですが、ビルの下部(5階まで)は古いビルの外観を留めているそうです。東京駅丸の内口にある「KITTE(キッテ)」(東京中央郵便局ビル跡)と同じ発想で、古いビルの外壁が新しいビルの外壁として保存されているのです。

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日本橋北詰交差点のひとつ手前の脇道に入りました。直線的に伸びる狭い一方通行の道です。前方に見えるビル群は「COREDO室町」のようです。

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COREDO室町3」(地上17階建、2014年竣工)の前(東側)を通過

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次いで「COREDO室町1」(地上22階建、2010年竣工)と「同2」(地上22階建、2014年竣工)の間を抜けると、

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福徳神社」(芽吹稲荷)の朱色の鳥居が見えました。高層ビルに囲まれた神社です。

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由緒が書かれていました。『武蔵野の片田舎である福徳村(現在の日本橋室町周辺)の稲荷神社であったことから社号が「福徳神社」となった。主祭神は五穀主宰の神、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)。11世紀後半(平安時代後期)の源義家(八幡太郎、源頼朝の祖先)、15世紀(室町時代後期)の大田道灌(どうかん)らの武将に崇敬され、天正18年(1590年)に入府した徳川家康公と二代将軍秀忠公も参詣した』 ことなどです。石碑に刻まれた碑文は読みにくいため、詳細は同神社のhpを参照してください。

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鳥居を潜って振り返ると黒いビル"YUITO ANNEX"の後方に超高層ビルの「日本橋三井タワー」(地上38階建、2005年竣工)があり、右手には「YUITO(ユイト)日本橋室町野村ビル」(地上21階建、2010年竣工)も。

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社殿の前に出ました。

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神の使いである狐

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社殿の後方には「武田グローバル本社ビル」(地上24階建、2018年竣工)が聳(そび)えています。あるテレビ番組ではこのビル内からの中継画像とインタビューにより、同本社内は「テレワーク中」のため、ほぼ無人状態になっていることを伝えました。

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左手に奉献された「算額」がありました。江戸時代に流行した「和算」におけるいくつかの問題の解法が分かったことを神に感謝(自慢)して奉納したのでしょう。

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今回巡る最後の「福徳神社」の社殿の右手にある植込みへ入ってみると、

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その先にはベンチが並ぶ広場がありました。

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日本橋の神社巡りはここでお仕舞ですが、次の記事は続編の「八重洲散策」です。(続く)

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