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2020年5月17日 (日)

BS-TBSのスペシャル番組「テレサ・テン 名曲熱唱 ~没後25年目の真実~」を観る

歌手テレサ・テン没後25年(説明:1995年5月8日に静養先のタイ・チェンマイで気管支喘息による発作のため死去)を迎えて202058日にBS-TBSで再放送された掲題の番組を観ました。2018年12月29日に初回放送されたこの番組は1989年(平成元年)1124日に放送された番組などTBSが保管する映像を集大成したものです。以下は番組を観ながら書いたあらすじです。

1953年に中国大陸出身の両親のもとに台湾で生まれたたテレサ・テンの生い立ちから、13歳で歌手デビューして、17歳の時香港に活動の場所を移し、さらに1974年、21歳には日本での歌手活動を開始。当時、テレサをスカウトした日本のレコード会社のスカウトなどがその経緯を証言しました。テレサの声の魅力や、父親が日本へ行くことに強く判断したことなどです。テレサの父親は戦時中、抗日活動をしていた国民党の軍人でした。日本のレコード会社の幹部がこの父親を直接説得したことでテレサは来日することになります。

演歌へ路線を変更した2作目の「空港」が大ヒットトし、この曲で第16回日本レコード大賞新人賞を獲得して日本でもトップ・スターの仲間入りを果たし、歌手活動も軌道に乗った。続く「雪化粧」もヒットし、さらなる活動が期待されました。しかし、台湾と香港などで実績があったテレサでしたが、日本では新人扱いで苦労したことと、それにめげないで歌に専念するテレサの歌声が続きました。日本での待遇も徐々に改善されて行きました。ドリフの人気テレビ番組である「全員集合」にも出演して活躍することになります。

テレサ・テンは日本以外での活動も続けていました。19735月に台湾で発表されたラブソング「月亮代表我的心」(邦題:月は何でも知っている)を1977年にカバーし、台湾だけではなく広く中華圏でヒットして、テレサ・テンの代表作になりました。中国語(北京語)だけで歌っているため、日本ではあまり知られていませんが、夏川りみさんが「永遠の月」(日本語の歌詞)の題名でカバーしています。ちなみに、原題を日本語に直訳すると『月は私の心を代表(表わ)している』 となります。

順風に思われた4年後の1979年、テレサは台湾(中華民国)のパスポートではなく、インドネシアの正規パスポートで日本へ入国しようとしたことで、一年間の国外退去処分を日本政府から受けてしまいます。グレーゾーンとの判断だったようですが・・。「紅白歌合戦」に出場する夢が破れたテレサはアメリカへ渡りました。

そんな折、テレサの歌(カセットテープのコピー)が中国国内で人気を博したことで、テレサは自らの意志と関係なく中国を巡る政治問題に巻き込まれて行きました。そして1年後、台湾政府に協力することを条件として台湾へ戻ることを許されたテレサは、台湾政府に利用され、軍の広告塔になります。時代の波に飲み込まれ始めたのです。

一方でテレサの日本復帰の動きが関係者達の努力によってデビューから5年後に実り始めました。1984年に再デビュー曲の「つぐない」(作詞:荒木とよひさ、作曲: 三木たかし)がリリースされました。しかし、パスポート事件の影響があったため、立ち上がりは絶不調。テレサの記者会見を機に人気が一気に復活してその年の「第17回日本有線大賞」を受賞。加えて、「日本レコード大賞」の最優秀歌唱賞にもノミネートされましたが惜しくも細川たかしに賞を譲ります。そして、翌1985年にリリースした再デビュー2曲目の「愛人」(作詞作曲は前作に同じ)も大ヒットして念願の「NHK紅白歌合戦」への初出場を決めました。しかも、前年に続き「日本有線大賞」を連続受賞。

番組の内容からそれますが、下の写真は1984年にリリースされたCD「つぐない」(オリジナル曲とカバー曲を計12曲収録)のジャケットを撮影したものです。

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閑話休題。翌1986年にリリーズされた第3曲目も「時の流れに身をまかせ」(作詞作曲は禅2曲と同じ)も大ヒット3年連続の「日本有線大賞」を受賞。1987年には「別れの予感」を・・。タイトルが自身の未来を暗示するようで意味深な曲でした。テレサ・テンが作詞家の荒木とよひささんと作曲家の三木たかしさんと対談してヒット曲について語り合うシーンが挿入されました。

中国で解放派の胡耀邦(こ ようほう)が実権を握ると、それまで禁止されていたテレサの歌が中国国内で解禁になり、テレサの夢であった中国本土でのチャリティコンサートが実現するかに見えました。しかし、ここで大きな波がテレサを襲います。胡耀邦が死去し、鄧 小平(とう しょうへい)が権力を握ると、民主化を要求する学生たちのデモ隊を中国の軍隊が鎮圧した「天安門事件」が1989年に勃発(ぼっぱつ)したのです。その直前、テレサは中国への返還が決まっていた香港で民主化活動を支援するコンサートを開いています。

天安門事件の直後に来日したテレサは自身の気持ちを記者たちに語り、また日本デビュー15周年番組の終盤にテレサは『自分が中国人であることを誇りに思っている。中国の将来を心配している』 と日本のファンに日本語で語りかけました。そして、最後に歌った2曲は「悲しい自由」と「時の流れに身をまかせ」です。

スペシャル番組の最後に民主化運動で荒れる現在の香港のシーン(注釈:香港の民主化デモは2019年3月に始まっていますから、今回の放送に当たって追加したと思われる)を流して2時間の番組が終わりました。テレサ・テンの生き様を知るとともに、自らのヒット曲と日本・中国・世界の名曲をカバーした曲など、多数のの名歌唱を堪能(たんのう)することができました。

                           ☆

最後に蛇足ですが、筆者の思い出を書きたいと思います。テレサ・テンが日本でデビューしたころから彼女の歌をラジオ放送やカセットテープで聴いていましたが、本格的に聴くようになったのは1983年からです。その切っ掛けになったのはソニーから発売されたカセットサイズ(伸縮ボディ)のウォークマン"WM-20"を購入したことです。

本体が小型(カセットケースと同じサイズ)であることと、解放型の小型ヘッドホン(バーチカルインザイヤー方式)が気に入りました。海外出張時に携行するのに最適なオーディオ製品でした。それまでも、搭乗する飛行機の機内サービスで音楽を聴いて楽しんでいましたが、好きな曲はそれほど多くない上、その音質に不満があったのです。

カセットサイズのウォークマンとカセットテープを数本、さらに交換用乾電池(単三アルカリ電池1本で約5時間駆動可)などをアタッシュケースに余裕を持って収納できました。テレサ・テンの歌声を聞いていれば長時間で退屈な長いフライト中も快適に過ごすことができました。特に、顧客とのハードな交渉を目的とする気が重い出張でもテレサの歌声で気持ちを落ち着かせることができるのです。つまり、私にとっては精神安定剤の「トランキライザー」代わりなのです。テレサの歌声に励まされたことで、度重なる難局をすべて乗り切ることができました。

どれほどテレサの歌を聞き続けたかを計算してみました。一回のフライトで少な目に見積もって20曲、おそらくカセットテープ2本の約30曲だったのでしょう。この推定によれば1983年からアメリカに転勤するまでの6年間(出張32回、64フライト)の累計で1200曲から1800曲を聴いたことになります。ちなみに、現在でもカラオケでテレサ・テンのヒット曲は例外なく歌うことができます。

今回のスペシャル番組において、30数年ぶりにテレサ・テンの曲をまとめて聴いているうちに、現役時代(特に1980年代)の海外出張を懐かしく思い出しました。

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