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2020年6月 5日 (金)

海外出張先の8か国目はトルコ

1985年10月のことです。クウェートとインドネシアへ出張することになりました。最初の訪問国クウェートでの業務がほぼ終わりかけた時、本社からトルコへ向かうようにとの指示が届きました。トルコのプロジェクトは筆者の担当ではなく、同国の顧客についての知識はほとんど持ち合わせていませんでした。しかし、その顧客と技術問題を至急協議する必要があるとのこと。トルコから約2000㎞(北海道北端-九州南端間に相当する距離)しか離れていないクェートにいて、しかも他の顧客において同様の問題に対応したことがある筆者が急遽(きゅうきょ)指名されたと思われます。ぶっつけ本番の仕事になりますが、もちろん本社の指示に従いました。

子供のころから地理が好きであった筆者はトルコの場所と地形などについての知識はありました。また、大学の教養課程で近代西洋史を学んだことがあり、「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれて第一次世界大戦勃発の切っ掛けになったバルカン半島の情勢とその近くに存在する大国「トルコ」(当時はオスマン帝国)の影響力についても知っていました。英仏露の三国協商と独墺伊の三国同盟、これら二大勢力は地中海周辺で支配地域を拡大させようと対立したことが背景になりました。つまり、衰退し始めたオスマン帝国支配下のバルカン半島におけるナショナリズム(民族運動)に乗じてヨーロッパの二大勢力がバルカン半島に干渉(かんしょう)したのです。後追いで知った知識ですが、トルコについて以下に概観します。

トルコ(正式国名:トルコ共和国)は西アジアのアナトリア半島と東ヨーロッパの東トラキア(エディルネとイスタンブール)を領有する国家で、面積が約78万平方キロメートル(日本の約2倍)、人口が約8200万人。ちなみに、トルコ語の発音では「テュルク」。英語では「トルコ人の国」を意味するターキー(Turkey)ですが、日本で「トルコ」と呼ぶのはポルトガル語での呼び方が取り入れたからのようです。

歴史を振り返ると、古代のアナトリア半島には鉄器で知られるヒッタイト(紀元前16世紀-紀元前12世紀)やリュディア(紀元前7世紀-6世紀)などの王国が存在しましたが、ペルシャ人によるアケメネス朝や東ローマ帝国(4世紀-15世紀)がこの地を支配しました。

一方、北アジアでは6世紀ごろにトルコ系民族が国家「突厥(とっけつ)」を建国。その一部が西進して中央アジアに「セルジューク朝」(11世紀-13世紀)を起こしました。さらに領土を拡大させた「セルジューク朝」(別称:セルジューク・トルコ)はイラン西部からアナトリア半島まで進出しましたが、次第に勢力を失くし、1243年にはモンゴル帝国の支配下に入ることになります。

13世紀末にアナトリア半島の西端で建国した小国「オスマン朝」は、「東ローマ帝国」(別名:ビザンティン帝国)や西アジア・北アフリカの諸国を征服して、「ローマ帝国」に比肩(ひけん)する巨大な「オスマン帝国」(15世紀-20世紀)へと発展しました。第一次世界大戦ではドイツを中心とする同盟国に加わって参戦しましたが、敗戦したことで「オスマン帝国」は解体され、1923年に「トルコ共和国」が建国されました。ちなみに、2018年6月のブログ記事「ハンガリー旅行記」の中でオスマン帝国の東ヨーロッパ侵攻について簡単に触れています。

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10月17日、トルコのイスタンブールのアタテュルク空港に到着。ちなみに、2019年にイスタンブール空港が市街地の北西部に新空港として開港しています。その日のうちに顧客の事務所がある首都アンカラへ国内便で移動することにして、エセンボーア空港へ飛びました。アンカラの市街地から北東約28㎞の場所にあります。翌18日に顧客と打ち合わせを持ち、午前中に改善策で合意することができました。

同日の午後は空き時間を利用してアンカラ市内のアヌトテペ地域にある高台へ向かいました。1953年に完成したというムスタファ・ケマル・アタテュルクの廟(びょう)が聳(そび)えていました。ちなみに、アタテュルクはオスマン帝国の将軍であり、トルコ共和国の創設者としてトルコ共和国の初代大統領に就任した人物で、トルコの国父と呼ばれているそうです。

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高台から見たアンカラの市街地(遠景)

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現地協力会社のオフィス前で記念撮影

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翌10月19日にはイスタンブールのアタテュルク空港へ戻りました。海岸沿いの道路を東進したところにイスタンブールの旧市街地がありました。アジアとヨーロッパを隔てるボスポラス海峡を体感するため、イスタンブールの旧市街とアナトリア半島側のイスタンブールを結ぶ自動車用橋「ボアジチ大橋」(1973年建設の吊り橋、長さ1074m)を渡りました。注釈:現在は「715日殉教者の橋」と呼ばれている

写真はボアジチ大橋から見た「ボスポラス湾」の南方(マルマラ海/地中海方面)と、

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ボアジチ大橋の東袂(ひがしたもと)付近の住宅地

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当時、自動車用の橋としてはこの橋だけが架かっていましたが、1988年に「ファーティフ・スルタン・メフメト橋」(長さ1090mの吊り橋)、2016年には「ヤウズ・スルタン・セリム橋」(長さ1400mの吊り橋)が建設され、現在は計3つの橋が架かっています。

10月20日には伝統的に様々な民族が住んでいたことでヨーロッパの雰囲気が漂う新市街にある現地事務所でトルコにおける出張報告を纏(まと)めながら過ごすことに。ちなみに、トルコはチュルク人は約70%と一番多いのですが、残りは様々な民族で構成される多民族国家なのです。民族が入り乱れて変遷した長い歴史を反映しています。

そして、翌10月21日は次の訪問国であるインドネシア行きの便を待つ間、イスタンブール市内(旧市街)を観光することにしました。なお、2005年12月の当ブログ記事「イスタンブールの思い出」で主な観光地を紹介しています。

まず、高台から世界文化遺産の「イスタンブール歴史地区」(1985年登録)の遠景を撮影。中央やや右手にはボスポラス湾とつながる「金角湾」があり、左端に聳(そび)えるのは「スレイマニエ・モスク」、その右手前にあるのは「リュステム・パシャ・モスク」のようです。右端にはガラタ橋でつながる新市街が少し写っています。

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テオドシウス一世のオベリスク」は「ブルーモスク(スルタン・アメフトジャミィ・モスク)」の近くにありました。古代ローマ帝国の皇帝「テオドシウス1世」(注釈:4世紀末に東西ローマ帝国を一時的に統合した皇帝)がエジプトから持ってきたものであるため、ヒエログリフ(神聖文字)が刻まれています。案内書によっては元々の所有者であった古代エジプトのファラオの名を採(と)って「トトメス3世のオベリスク」としているものがあるようです。

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イスタンブール観光の定番である「トプカプ宮殿」(注釈:トプカピ宮殿とも表記)は半島の先端にありました。「アヤソフィア・モスク」の北隣です。

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宮殿内に展示されていた「エメラルドの短剣」

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イスタンブールの旧市街ではその他にも「ブルーモスク」と「アヤソフィア」に加えて、旧市街地の中心にあるカパル・チャルシュ(屋根付き市場、英語ではグランドバザール/Grand Bazaarも訪れました。西洋と東洋が融合した不思議な魅力を持つオスマン帝国の遺産に圧倒されたことを今でもよく覚えています。注釈:5月30日にテレビ朝日で放送された「旅サラダ」で「ブルーモスク」が紹介されました

慌(あわ)ただしい予定外の出張(寄り道)でしたが、そのお陰で空き時間を利用して上記したようにイスタンブール観光を楽しむことができました。しかし、今回のトルコ行きは代役の出張であり、残念なことにトルコへ再度出張する機会はありませんでした。

話が飛びますが、定年退職して時間の余裕ができたことで、2006年にドイツ・スイス・フランスへ出かけました。現役時代の1999年にニュージーランド旅行へ出かけてから7年後のことです。しかし、その後の数年は国内のドライブ旅として旧東海道(静岡京都)、大山道(川崎伊勢原)、西国街道、奥の細道(前編後編)、四国八十八霊場への遍路旅(徳島・香川・愛媛徳島高知・愛媛・香川)、3年連続の富士登山(2008年2009年2010年)、東北ドライブ旅、さらには全国の温泉巡りなどに熱中。

そして、それらが一段落したところで海外旅行を急に思い立ち、2013年にクロアチアへ、2014年にはハワイ台湾への観光旅行した後、2015年にトルコへの旅行を計画しました。もちろん、行先の候補地は古都イスタンブール、ほぼ中央部にあるカッパドキアのカルスト台地、エーゲ海に面したベルガマのギリシャ都市国家跡と同じくトロイ遺跡など。

しかし、2015年ころには西欧での難民流入の影響(混乱)が中東からの流入ルートにあるトルコにも及び始めたため、その旅行計画を取りやめて、急遽(きゅうきょ)東南アジアへの旅行へ切り替えることに。手始めとして2015年は「インドネシア」、2016年「ベトナム」、2017年「ミャンマー」、そしてヨーロッパ情勢が落ち着いた2018年になって「中欧3か国」、2019年「北欧4か国」と海外旅行を続けてきました。

このように「トルコ」の政情が安定化するのを5年間も待っていましたが、今年初めには「新型コロナウイルスのパンデミック」が世界的に発生したため、海外旅行はしばらくお預けになってしまいました。残念なことですが・・。◇

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