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2020年7月21日 (火)

NHK 「ニッポン不滅の名城〜明智光秀の城から読み解く本能寺の変の真相」

7月12日にNHK総合テレビで再放送された『絶対行きたくなる!ニッポン不滅の名城「明智光秀の城」』(20191228日初回放送)を観ました。NHKの関連hpには次のように紹介してあります。

『明智光秀は、なぜ主君・織田信長を討ったのか?日本史の一大ミステリーの謎を解く鍵は、光秀が造った名城にあった!時代を先取りした坂本城、町づくりに秘密が隠されていた福知山城、そして鉄壁の防御で固められた知られざる山城を、最新の研究成果に基づき徹底解明。信長の安土城と対比することで、浮かび上がる光秀の真実とは?大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」が何倍も面白くなる、城から読み解く本能寺の変。』

番組を観ながら書いた概要は以下の通りです。

明智光秀が造った4つの名城の特徴を解き明かし、主君である織田信長が築城した安土城と比較することにより、明智光秀の世界観(ビション)を理解しようとする興味深い番組です。

番組の案内者である城郭考古学者の千田嘉博(よしひろ)奈良大学教授は光秀が最初に築城した琵琶湖西岸の坂本城跡(滋賀県大津市坂本城跡公園)を訪れました。数多くの論功により信長から築城を許された光秀はそれまでとは異なる発想に基づいて築城したことが発掘調査により明らかになったそうです。戦国時代のそれまでの城は土を盛り、土塁や空堀に守られた構造が一般的でしたが、光秀はそれとは異なる発想により石垣を多用し、琵琶湖に面した場所に瓦葺きの建物を建てたと推定されるそうです。事実、井戸跡からは鬼瓦が発見されています。光秀は戦国時代後期から江戸時代における城の原型を実現していたのです。

それを窺(うかが)わせる痕跡(こんせき)は残っていませんが、琵琶湖の東岸(近江八幡市)に信長によって建てられた安土城は城の詳細な記録が残っており、坂本城の様子を推定する手がかりがあると千田さんは言うのです。高さ20mの石垣は新しい城の特徴を残しています。信長の家臣たちが分担して石垣を造ったとされますから、光秀も石垣造りに参加したと考えられます。安土城は壮大な天主(注釈:安土城だけは天守/天守閣と呼ばない)が最大の特徴ですが、坂本城は安土城に先んじて築城されており、宣教師のルイス・フロイトは坂本城は安土城に並ぶ豪壮華麗な城であったと記録していることを紹介しました。

坂本城跡に戻り、琵琶湖の水位が下がった時に行われた発掘調査の結果を解説しました。水辺には立派な石垣があり、井戸からは鬼瓦や瓦が発見されたこととから城郭の様子と瓦葺きの高層建築が建てられたことが推定されると言います。石垣の技術は近くにある比叡山延暦寺の境内に石垣が多くあることから、坂本城と安土城はともにその技術が用いられたと指摘います。坂本城が湖に面して築城された理由の一つが船で琵琶湖を渡ることで対岸の安土城へ直行できることと、もう一つは琵琶湖を利用した物流の拠点としたことであることが船着場跡が発見されたことから明らかになりました。つまり、比叡山延暦寺に代わって光秀が琵琶湖の物流権を握ったのです。

2つ目の城は京都府北部の福知山市にある福知山城です。小高い丘の上にあるため、城下のどからでも福知山城の天守閣を見ることができます。ここで2人目の解説者である歴史学者の小和田哲男静岡大学名誉教授が登場して福知山城の石垣について解説しました。天守閣の石垣には石塔や墓石などが逆さまに積まれている理由を解き明かしました。江戸時代初期の古い絵図で光秀が基礎を造った城下町は城と町を一体として守る「総構え」を解説しました。城の脇を流れる由良川(ゆらがわ)を改修して洪水から城と町人を守るために堤防を築いたことが分かりました。もうひとつの狙いは由良川を利用した物流です。

城下町の中心部にある主要道路には高低差が付けてありますが、これは町人町の方が武家町よりも土地が高く洪水の可能性が低いことで町人町を守ったと考えられると言います。明智光秀を祀った御霊(ごりょう)神社には町人への税を免除した記録が残っていました。汚れの逆転の考えから石塔や墓石を逆さまに積んだと解釈します。一方、高い山に築城された安土城は天主閣、家来の屋敷が明確なハイアラキーを具現化しており、町造りは光秀の福地山城のように重要視されていません。2つの城の違いから信長と光秀の領民政策の違いが見て取れると小和田さんは言い、それが本能寺の変につながったと小和田さんは解釈します。

兵庫県丹羽市の山城である黒井城跡は光秀が4年をかけて攻略した土盛りの山城(赤井氏の居城)であり、光秀は石垣を巡らせて城の守りを強化しました。高い山の上からは攻め入ってくる敵軍の動きをいち早く知ることができるとともに、大きな石垣の存在は領民に時代が変わったことを示す狙いがあったといいます。城下を通る2本の街道は京都とのネットワークを意識したものです。城の防御では外枡形が4重に設けられて鉄壁の備えがありました。

信長とは違う方法で信長よりも優れた城を光秀が造ろうとしたことを京都市北部(右京区)にある山城の周山(しゅうざん)城で説明しました。森林に覆われた急峻な山城には様々な工夫があります。飲み水を確保するために掘られた井戸、山頂にある本丸から放射状に伸びる尾根には家臣たちの独立した城である曲輪(くるわ)が大量の石垣で整備された自立・分散型の城郭構造が最近の調査で明らかになりました。戦死した家臣一人ひとりに供養米を明智家の菩提寺である西教寺に寄進していたことを示す詳細な書状が残っていました。

最後に最新技術を用いて新しい城造りを行ったことにおいては信長と光秀に似た点がありましたが、「日本をどうして行くかの考え(ビション)」(信長が選んだ世界と光秀が選ぼうとした世界)に明らかな違いがあり、関係が拗(こじ)れたことが本能寺の変(天正1062日)に繋(つな)がった小和田さんは言うのです。

〈視聴後記〉 10数年前、明智光秀に興味を持ってから、光秀に所縁(ゆかり)の城である坂本城跡福知山城亀山城跡を訪れたことがあります。そして、今回はさらに黒井城跡と周山城跡についても詳しく知ることができました。NHKの大河ドラマ「麒麟がくる」は観ていませんが、光秀のさらなる魅力が感じられた本番組を楽しく観ることができました。ちなみに、信長の城についても、名古屋城(旧那古野城跡)、清洲城小牧山城跡岐阜城安土城跡も訪れています。

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