神秘のヨーロッパ 絶景紀行「崖の上に街があった」を観る
NHK総合テレビで7月25 日に放送された掲題の旅行記番組を観ました。
ちなみに、NHKの関連hpには次のように説明してあります。
『ドローン映像を駆使し、地上にも降り立ちながら崖の上に築かれた街を巡るヨーロッパ一周の旅。たった一人が暮らす集落から要塞都市まで、まさに絶景の連続。語りは岡田将生』
☆
番組を観ながら書いたその概要は以下の通りです。
冒頭、急峻な崖の上に街が造られた例がヨーロッパ全土に存在することを紹介した上で、ヨーロッパ文明発祥の地であるギリシャから始まり、北欧のノルウェー、イギリス、ポルトガル、スペイン、フランス、そしてイタリアと、反時計回りにヨーロッパを一周することを説明。そして、崖の上に街が造られた理由と人々の生活をドローンを使った空撮を駆使して紹介する番組であることも明かしました。
最初の訪問地はギリシャのエーゲ海(注釈:その南部であるクレタ海)にあるサントリーニ島の中心地「フィラ」です。頂上が冠雪した岩山のように見えたのは、赤茶色をした岩崖の上に造られた白い建物の一群でした。崖に横穴を掘ってスペースを確保する工夫がある洒落た外観の家々です。崖の下にある小さな船着場からは何度も折れ曲がる石段の道が続いています。580段もあるそうです。ロバが人や荷物を運びます。
現在、観光地となっているサントリーニ島は三日月型をしており、その頂上部にはいくつもの街が点在しています。「フィラ」のすぐ北にある人気リゾート地の「イメロヴィグリ」もそのひとつです。街の中は階段だらけ、複雑な構造でホテルなどが造られています。
過去に何度も地震や火山の噴火が起きましたが、3万年前の噴火と地震によってカルデラが沈んだことで、サントリーニ島はカルデラの中心であり現在も噴火を続ける「ネア・カメニ島」と別の島になったといいます。つまり、サントリーニ島はカルデラ縁の一部であったため、三日月型をしているのです。天災のため島を去った人々もいましたが、残った人々は街を造り続けました。今も古代ギリシャ文明の「ティラ遺跡」(防衛拠点)が残っています。
サントリーニ島はその地理的な特徴からエーゲ海における交通の要衝(ようしょう)だったのです。現在のような観光地になる前は、限られた土地を利用する自給自足の生活だったと村長さんは言います。畑にはワイン用のブドウが栽培されています。火山灰の土地がそれに適しているのです。崖の中ほどにある「聖アンドニオス教会」は1000年も前に洞窟を利用して建てられものでした。
カメラはエーゲ海のもうひとつの島も訪れました。「悲劇に消えた街」です。隣国トルコまで8kmの「ヒオス島」の街「アナヴァトス」は中世に築かれましたが、19世紀にオスマン帝国が襲い、その後の地震で廃虚になりました。
2か国目はノルウェーにある「フィヨルドの一軒家」です。「カルガンベル・フィヨルド」を見下ろす高所にある集落「シェオースン」(子山羊の丘)は利用できる土地が狭く生活が苦しかったことから住民が去り、現在は高齢(89歳)の女性が一人で生活していました。1年の半分を自分の生家で暮しているのです。
3か国目はイギリス南部のコーンウォール地方です。小さなセント・マイケルズ・マウント島は信仰の対象であり、12世紀には修道院が建てられ、その後は貴族の館も建設され、その子孫たちが住んでいるそうです。干潮になると現れる道を歩いて島に渡ることができます。ちなみに、「セント・マイケルズ・マウント」はフランスの世界遺産「モン・サン・ミッシェル」の英語表記であるのは、かつては後者の管理下にあったからといいます。
4か国目はポルトガルです。首都リスボンの北東、スペインとの国境に近いモンサントにある「巨岩のはざま」です。巨岩が多数ある崖に多数の建物が建てられていました。崖に埋め込まれたようです。何万年も前からある花崗岩(かこうがん)の巨石です。レストランの客席は洞窟の中にありました。岩は壁代わりになっています。ポルトガルは元々要塞の街として築かれた街だったのです。
5か国目はスペインにある「街を切り裂く断崖」です。高さ100mの上にあるのはスペイン南部のアンダルシア地方の街「ロンダ」。街の中にある裂(さ)け目に架けられたのが18世期に石で造られた「ヌエボ橋」です。一方がイスラムが築いた旧市街で、もう一方はキリスト教徒が後に築いた新市街なのです。スペインで最も伝統がある闘牛場ともう一つの橋「ビエホ橋」がありました。
市の職員が橋の下を清掃しているところに出会いました。古代ローマ時代の遺跡が見つかったそうです。当時の「ロンダ」は交通の要衝(ようしょう)でした。イスラム王朝が築いた城壁も残っています。イスラムが去った後に街は造り変えられ、旧市街の崖の上に建てられ住宅がありました。岩が堅固であるため安全で見晴らしが良いため快適なのだそうです。
6か国目はフランス南部にあるキリスト教の聖地「 ロカマドゥール 」。そこに「岩窟(がんくつ)の黒いマリア」があるのです。崖と一体になったような建物とともに聖堂が建てられていました。
12世紀にカトリックによって聖地とされたことで多くの人々が巡礼として訪れる街です。その洞窟には「黒いマリア像」があったと伝えられますが、12世紀に作られたた「黒いマリア像」が街の中にある「ノートルダム礼拝堂」に安置されています。
コルシカ島の南端にあるボニファシオの旧市街は石灰岩でできた垂直な崖の上にありました。天然の良港があるため、周辺の国々がその領有を巡って争ったそうです。
7か国目はイタリア中部(ローマの北方)のオルヴィエートにある「世界一美しい丘の上の街」です。火山の噴火で露出した岩の上に、紀元前9世紀、先住民族のエトルリア人が街を築きました。中世には崖を利用した城壁が築かれ、堅固な城壁都市となりました。
オルヴィエートの南方約15kmには「削られる街」と呼ばれる崖の上にある「チヴィタ・デイ・パニョレージョ」があります。長さ300mの橋でしか行けない街なのです。元々は5つの門がある交通の要衝でしたが、地震や地滑りによって地面が崩れ、18世紀には「陸の孤島」になりました。地盤の凝灰岩(きょうかいがん)は脆(もろ)く、今も風化が進んでいると言います。住民は11人。この地を離れ難(がた)い人たちなのです。
最後はシチリア島にある「天空の神々」です。標高751mに「エリチェ」は褐色の建物がひしめいている。現在は100ほどが暮らしている。先住民が造った街に様々な民族が住みつき、キリスト教が普及すると、いつしか「ヴィヌス(ヴィーナス)神殿と呼ばれるようになった。また、12世紀にこの地を支配したノルマン人(北方系ゲルマン人)は砦(とりで)を築き、その周辺に街ができ、30もの教会が建てられた。だが、常駐すれ親父は一人しかいない。
「エリチェ」からは素晴らしい絶景が楽しめました。また、ヴィヌス神殿 の石を使って14世紀に建てられた「マドリーチェ教会」は19世紀に内部が改装されて柔らかな印象を与えます。そして、最後に崖の上に暮らす住居と住民の暮らしを紹介して番組が終わりました。◇
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