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2020年10月 8日 (木)

(続)「45年前のヨーロッパ旅行」を古い写真で振り返る!

終活の一環として不用品を整理していて、古い写真を見つけました。デジタル化した後に破棄(はき)したと思った写真(プリント)の一部が残っていたのです。最初の海外旅行であるヨーロッパ旅行の写真(筆者自身をポートレート)が14枚含まれています。懐かしくなってその写真に見入ってしまいました。

20年近く前のことですが、大量に溜まったアルバム帳の写真をスキャン(デジタル化)し、そのすべてのファイルを自作パソコンのHDDに蓄積する大作業を終えて、プリントされた写真は裁断処分して書棚をすっきりさせました。手軽に閲覧することができ、必要があればプリントして取り出すこともできます。以前のブログ記事で紹介しましたが、そのHDDがクラッシュ(ディスクの損傷)してしまいました。パソコンショップに持ち込んでデータとファイルを取り出してもらいましたが、一部のデータとファイルは壊れていたため、永久に失われてしまいました。

救出された画像ファイルを使って、15年前のブログ記事「思い出に残る海外の旅行先」と同じく「旅の思い出を残しましょう」では「ヨーロッパ旅行」の写真を9枚紹介しました。そして、半年前の2020313日には「45年前のヨーロッパ旅行」のタイトルで、手元に残る「旅程表」を参考にして、ヨーロッパ旅行の概要を紹介しています。

今回見つけた14枚の写真はそれと共通する写真は1枚だけですから、「(続)45年前のヨーロッパ旅行」として、トピックスを交えながら発見した写真を紹介します。先に投稿した「45年前のヨーロッパ旅行」のブログ記事と合わせてご覧ください。

                           ☆

出発する日(19751016日)、羽田空港(正式名称:東京国際空港)へ同居者と生後9か月の娘、そして田舎から駆けつけてくれた筆者の母親が見送りに来てくれました。

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羽田空港を離陸した当時最新鋭だったジャンボ機B747)は給油のためアラスカのアンカレッジ空港に立ち寄りました。乗客は飛行機を出てターミナルで休憩しましたが、売店で見つけたのはその4年前に発売された日清の「カップヌードル」、初めてドルを使う買い物になりました。ちなみに、価格は1ドル(当時のレートでは360円)と高かったこと(注釈:日本国内では100円強)を覚えています。アンカレッジ空港を飛び立ったジャンボ機は羽田空港を飛び立ってから16時間20分後にデンマークのコペンハーゲン空港に到着しました。コペンハーゲン空港のターミナル2で巨大な木製リンゴのオブジェを見かけました。

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コペンバーゲン空港は所在地の地名からカストルプ空港とも呼ばれます。同じくコペンハーゲン郊外にあるロスキレ空港と区別するためであり、羽田空港と成田空港の通称と同じです。

当時の国際線旅客機はターミナル2を利用していました。ちなみに、ターミナル31998年に完成して、昨年の北欧旅行で利用しました。ネットで検索しても、大きなリンゴのモニュメントはヒットしませんから、現在はないのかもしれません。

デンマークのコペンハーゲン市街にある「クリスチャンボルク城」を訪れた後、市街地の外れに移動して海岸にある「人魚姫の像」の前で「お上(のぼ)りさん」よろしく記念撮影しました。

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コペンハーゲン港北東部にあるアンデルセンの童話をモチーフとした「人魚姫の像」は日本でもよく知られますが、思ったよりも小さくて期待外れでした。この日は「ホテル・スカンジナヴィア」(Hotel Scandinavia)に宿泊。

翌日は同じシェラン島の北東部へ移動して、ヘルシンガー(ヘルシンゲル)にあるクロンボルク(クロンボー)城を見学しました。シェークスピアの戯曲「ハムレット」の舞台とされる城です。

夕刻、空路でイギリスのロンドンへ移動し、「ブリタニア・ホテル」(「Britannia Hotel)に宿泊。

イギリス・ロンドンのでは「ロンドン塔」「ウェストミンスター寺院」「ピカデリー・サーカス」「セントポール寺院(大聖堂)」などを駆け足で訪れました。下の写真はテムズ川河畔の露店を見る筆者です。ちなみに、後方はテムズ川の対岸にある国会議事堂(Houses of Parliament)。

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テムズ川の西岸にある国会議事堂は、正式名をウェストミンスター宮殿 (The Palace of Westminster)と言います。中世後期をとおしてウェストミンスター宮殿は王の住居であり続けましたが、1295年に設立された初めてのイングランド議会である模範議会もこの宮殿内で開催されています。貴族院議事堂は1847年に、庶民院議事堂は1852年に完成した。

その隣りにあるビッグ・ベン(Big Ben)はウェストミンスター宮殿(英国国会議事堂)に付属する時計台の大時鐘の愛称です。道路を挟んで西側にはウェストミンスター寺院が建っています。

建物の中に入ったことはありませんが、ロンドンを代表する建物です。印象に残っているのはSF映画「Vフォー・ヴェンデッタV for Vendetta)」(2005年製作)の最終シーンで国会議事堂が爆破されて飛び散る様子は圧巻でした。独裁者アダム・サトラーによって全体主義国家と化したイングランドを救うために謎の男“V”が独裁者と戦う未来世界を舞台とする映画です。ちなみに、"Vendetta"は「復讐」を意味します。

空路で移動したフランス・パリでは「ノトルダム寺院」「コンコルド広場」「シャンゼリゼ通り」などを巡りました。下の写真は大型展示会場の「シャイヨー宮」(ベストビューポイント)で「エッフェル塔」を背景にした筆者。(注釈:「45年前のヨーロッパ旅行」(中編)の写真と同じもの) 「ホテル・コンコルド・ラ・ファイエット」(Hotel Concorde La Fayette Paris)に宿泊。

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パリと言えばシャンゼリゼ通りと凱旋門(がいせんもん)、ノートルダム大聖堂、ルーブル美術館、エッフェル塔、モンマルトルのサクレ クール寺院、キャバレーのムーランルージュなど、観光スポットは数え切れません。苦い思い出は女性警察官に英語で道を訪ねた時に無視されたことです。下手な英語が原因なのか、フランス語ではなかったことが理由なのかは分かりませんが・・。

翌日はパリを象徴する観光地である「ベルサイユ宮殿」と「ムーラン・ルージュ」を訪れました。

フランス・パリにあるホテル・コンコルド・ラ・ファイエットの自室で寛(くつろ)ぐ筆者

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フランスのパリにあるノルド駅のプラットフォームにてフランス人ガイドの女性とツーショットで写る筆者

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列車でアムステルダムに移動し、「アムステルダム・ヒルトン・ホテル」(Amsterdam Hilton Hotel)に宿泊。

翌朝、オランダ・アムステルダムの運河にて

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アムステルダムは「北のベェネチア」と呼ばれる都市の一つで、アムステル川のダム(堰堤)を意味します。100km 以上の運河(世界遺産に登録)があるそうです。有名な観光スポットはアムステルダム中央駅、風車、路面電車、チューリップ、飾り窓など。ちなみに、オランダの国名は英語では"Nederland"で低地の国を意味します。俗称の「Holland(ホラント)」(ポルトガル語による呼び方)が日本語のオランダという呼び方になったようです。Dutch(ダッチ)もオランダの俗称で、ダッチアカウント(Dutch Account)は和製英語ですが、割り勘を意味します。正しくは"Dutch treat"または"separate checks"です。

空路でドイツのフランクフルトへ移動。マインツにある「マインツ・ヒルトン・ホテル」(Mainz Hilton Hotel)に宿泊。

ドイツの南西部にある小都市ハイデルベルクのネッカー川に架かるカールテオドール橋(1786年建造)の上でハイデルベルク城を背景に写る筆者

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フランクフルトのレストランでグループツアーの仲間たちと写る筆者(中央)です。なぜか若いドイツ人女性店員が一緒に写っています。

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フランクフルトはドイツ南部にある人口が約72万人の金融と商業の都市です。正しくはフランクフルト・アム・マイン。フランクフルトは「フランク人が渡河した場所」、アン・マインは「マイン川の」を意味します。ドイツには多数のフランクフルトがあるため、ドイツらしく他と区別するためのようです。注釈:"am"はドイツ語で曜日や場所を表す前置詞

ハイデルベルク(人口約14万人)はドイツの作家・ヴィルヘルム・マイヤー=フェルスターの戯曲『アルト・ハイデルベルク』(Alt-Heidelberg) は知られます。題名は「古き(良き)ハイデルベルク」の意。ザクセン(ドイツ北部、フランク王国の支配下にあったサクソン人の公国)のカールブルク公国の公子、カール・ハインリッヒがハイデルベルク大学へ遊学して、知り合った女性との純愛を描いています。

また、ドイツで最も古い大学ループレヒト=カールス大学(通称はハイデルベルク大学)があることで知られます。ちなみに、ノーベル賞の受賞者を30名以上輩出する名門大学です。

場所は覚えていませんが、ホテルのロビーで出発を待つ筆者

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空路でスイスのジュネーブへ移動。宿泊したホテルは「ホテル・メトロポール・ジュネーブ」(Hotel Metropole Geneve)。バスでフランスとの国境を越えて訪れシャモニーからロープウェーで登ったモンブラン(標高4810mの山、ヨーロッパアルプスの最高峰)の「エルブロンネ展望台」(標高3777m)に立つ筆者。フランス側シャモニー・モンブランの町からイタリア側クールメイユールの町へロープウェイを利用した「エギーユ・デュ・ミディの北峰駅」の近くだと思います。

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ジュネーブは、スイス西部、レマン湖の南西岸に位置する都市です。チューリッヒに次いでスイス第二の都市。名称は土地の有力者に由来するようです。第二次世界大戦の前は世界連合が置かれ、現在も国際連盟の下部組織や国際的な団体が置かれています。また、様々な国際見本市が催されています。

筆者は国際展示会に出典するため、何度も訪れた魅力的な都市です。

ジュネーブから急行列車でミラノへ。スイス・アルプスを「ゴッダルド鉄道トンネル」(1881年開通、全長15㎞)で抜けてイタリアの保養地である「コモ湖」の湖畔を通過してミラノを経由してこの日の宿泊地である「フィレンツェ」へ向かいました。宿泊したホテルは「グランド・ホテル・ミネルヴァ」(Grand Hotel Minerva)。翌日はフィレンツェで「ドゥオモ」「ミケランジェロ広場」などを観光した後、昼過ぎに出発したバスで、高速道路を利用して、「ローマ」へ移動しました。

イタリア・ローマでは「フォロ・ロマーノ」「パンテオン」「カラカラ大浴場」「コロッセオ」などを一日かけて巡りました。下の写真は「ポーリ宮殿」と一体化した「トレヴィの泉」の前に腰掛ける筆者です。

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翌日の午前中は2泊したグランド・ホテル・レオナルド・ダ・ヴィンチ(Grand Hotel Leonardo Da Vinci)の近くを散策した後、ローマに別れを告げて、午後のJAL便で長い南周りのルート(機中泊有り)で帰国の途に就きました。

45年が経過した今もイタリアのローマを再び訪れる機会はありません。泉に投げ入れたコインが少な過ぎたのでしょうか? 45年前に訪れたローマ・ミラノ・フィレンツェだけでなく、ベネチア、ナポリ、シチリア島など魅力的な場所が多数ありますからいつかは訪れてみたいと思います。◇

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