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2021年2月

2021年2月28日 (日)

コロラド・ロッキーを巡るドライブ旅(その22) マニトウの崖住居群とウインズ鍾乳洞

“Balanced Rock”の西方約1.5㎞にManitou Cliff Dwellings”(マニトウの崖住居群)がありました。いずれも米ハイウェイ24号線に近い場所です。

まず、崖住居についての昔話を紹介します。”Manitou Springs”の南西約260マイル(400㎞強)にあるフォーコーナー付近にプエブロ・インディアンが古くから住んでいたそうです。それから何百年後の1900年代初めに、彼らが造った崖住居(注釈:崖の側面に穴を掘ったもの)に似たものを現在の場所(コロラド・スプリングス近郊)に造ったのが「マニトウの崖住居群」。その目的は博物館・文化保存・観光者向けアトラクションだったとのこと。なお、フォーコーナーはコロラド州・ニューメキシコ州・ユタ州・アリゾナ州の州境(つまり4つの角)が一点に集まっている場所で、2‐3年後の旅行で立ち寄っています。

到着した時には、前日立ち寄ったSeven Fallsで見たものと似たアメリカ・インディアンの踊りが始まっていました。ちなみに、後方にある建物は日干し煉瓦を積み上げて造られているようです。

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左手にある住居”Red Sandstone”(赤い砂岩)の崖を刳(く)り貫いて造られたと思われます。

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踊りはまだ続いています。

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Pueblo Indian Bake Oven”(プエブロ・インディアンの焼き窯)の立て看板がありましたが、迂闊(うかつ)なことに外観・内観とも撮影することを失念してしまいました。後ろに写る石組のことだったのかもしれません。

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「崖住居」に入り、少し高くなった見学コースから円形の居室を俯瞰(ふかん)しました。

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見学コースの壁に貼られたイラスト(平面図)には居室の構造が説明されていました。解像度が良くないので読み取れない箇所がありますが、『内装の手順として、A:まず丸太をベビーベッド状に並べて、B:その上に杉の外皮を載せる。C:そして、その上に粘土を広げる。右側が入口と煙排出口、上が吸気口』 などの言葉が書かれているようです。

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「崖住居」は右手方向にも続いていました。なお、写真には写っていませんが、「崖住居」と向かい合うように博物館や土産物店などが建っています。

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「さらに崖住居」内を巡りました。

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後先になりましたが、“Welcome to the Manitou Cliff Dwellings Mussium”(マニトウ崖住居博物館へようこそ)の看板が掲げられたゲートがこの施設の入口でした。”Altitude 6530”(高度1,990m)とも表示されています。

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乾燥地らしく“Prickly Pear Cactus”(ウチワサボテン)が生えています。

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30分ほど「崖住居」に滞在したあと、米ハイウェイ24号線を北西へ1.5㎞ほど走り、さらに折れ曲がった山道を登り切った場所にある"Cave of the Winds"(ウインズ鍾乳洞)に立ち寄りました。平屋の建物が入口になっています。

日本の鍾乳洞に比べれば見どころが少なく、鍾乳洞ツアーの所要時間は40分ほどでした。言葉で説明するのは難しいため、薄暗い鍾乳洞内で撮影した低画質のビデオから切り出した写真を何枚か使ってツアーの様子を紹介します。まず、急な階段を下りて鍾乳洞に入りました。

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ローマにあるトレビの泉を真似たようで、小さな池にコインがいっぱい入っています。

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狭い洞窟が続きます。

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天井からは鍾乳石が伸びています。

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次の写真は建物のベランダから見下ろした深い峡谷と道路です。写真で見る以上に迫力がある景色でした。現在、この場所には変形バンジージャンプのアトラクションが出来ているようです。この後、このような未舗装で九十九折れの山道を走り下りる時のは結構スリリングでしたが、次に向かう「パイクス・ピーク・ハイウェイ」を走行する予行演習と思いながら真剣に運転しました。


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次回はいよいよ「パイクス・ピーク」の山岳ドライブです。(続く)

2021年2月27日 (土)

コロラド・ロッキーを巡るドライブ旅(その21) ガーデン・オブ・ザ・ゴッズ

翌日(8月10日)はドライブ旅の7日目(最終日)です。コロラド・スプリングスの市街地にある宿泊ホテルで朝食を摂ったあとにチェックアウト。そして、向かったのはこの日で一番目の目的地であるGarden of the Gods Visitor Centerーデン・オブ・ザ・ゴッズ公園のビジター・センター)。市街地から北西方向へ約10㎞の距離にあります。

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この「ガーデン・オブ・ザ・ゴッズ公園」は旅行の最終目的地である「パイクス・ピーク」の登山道である「パイクス・ピーク・ハイウェイ」の入口に近い(約12㎞の距離)場所にあります。ちなみに、「神々の庭」の名称が付けられたこの公園は赤茶色の西部らしい奇岩が林立している公園で、砂岩でできた赤とピンクの巨大な造形物が多数あることが名前の由来です。

コロラド・スプリングス周辺で最も知られる山「パイクス・ピーク」の概要が、“Pikes Peak Facts”(パイクス・ピークの事実)の案内看板に説明してありました。なお、”Facts”と表現するのはいかにもアメリカ的です。

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パイクス・ピークの標高が14,110フィート/4,801mであることと、“Incline Railway”(傾斜鉄道)があることも表示されています。

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視線を上げると山並の向こうにパイクス・ピークが見えました。気のせいか、ホテルの自室から見るよりも間近に感じられます。

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ビジター・センターを出て地図を頼りに公園内を展望しました。

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その近くで東西南北の各方向に何があるかを示すが立て看板を見かけました。まず、東方向147マイルにはコロラド州とカンザス州の州境があり、1,774マイル先には”Atlantic Ocean”(大西洋)があるようです。

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北方138マイルには旅の2日目に訪れたロッキー・マウンテン国立公園16マイル先には2日前に立ち寄った空軍士官学校、894マイル先にはアメリカとカナダの国境が、70マイル先には旅の初日に訪れたデンバーが。

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西方向では、1.5マイル先に”Balanced Rock”(バランスした岩)、1,296マイル先に太平洋、10マイル先にパイクス・ピークが。

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南方向では590マイル先にアメリカとメキシコの国境、45マイル先に前日訪れたロイヤル渓谷275マイル先には後日訪れたニューメキシコ州のサンタフェがあると説明されています。

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右前方に”Red Rocks”(赤茶けた奇岩)が現れました。地図で確認するとビジター・センターから約1㎞の距離です。

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時間の経過から考えて、自動車で奇岩群の北側へ移動したようで、"Red Rocks"が間近に迫りました。

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カフェがある駐車場に車を停めたようです。

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周辺にある奇岩

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少し先にある一際鋭く尖った岩はSouth Gateway Rock”、North Gateway RockKissing CamelsTower of Babel”などと思われます。

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散策路を進む途中で木に吊るされた三角錐型の鳴子(あるいは風鈴)を見つけました。

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岩山の上から見下ろした駐車場は、自動車道路に面して四角形をしていますから、公園の北端(Tower of Babelの近く)にあったと思います。30年前は未舗装でした。車の脇では筆者の家族がこちらを見ています。『早くもどれ!』 と言っているようです。

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巨大な岩山を見上げて撮影

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車に戻って南西方向へ移動しました。訪れたのはビジター・センター近くの立て看板に西方向、1.5マイル先にあると表示されていたBalanced Rockバランスした岩)です。公園のほぼ南西端、自動車道路のすぐ脇にありました。左側(道路の反対側)にある岩は”Steamboat Rock”です。確かに蒸気船の舳先(へさき)に形が似ています。

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家族の全員で登り始めました。

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画像では撮影アングルが禍(わざわい)して分かりにくいのですが、”Balanced Rock”(重量:約70トン、"Red Sandstone"/赤い砂岩)の下に子供たちが潜り込んでいることから分かるように、岩の基部はキノコの柄(え)のように細く抉(えぐ)れているのです。

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撮影するアングルを少し変えてみました。基部がキノコの柄のように細いことが確認でき、あきらかに不安定に見えます。

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次回はすぐ近くにある"Manitou Cliff Dwellings"(マニトウの崖住居群)を紹介します。(続く)

2021年2月25日 (木)

確定申告が今年は様変わり!

2月16日から確定申告の受付が始まりました。筆者は、今回は期間が4月15日まで延長されるとともに、提出窓口へ入場するには整理券が必要だということは事前に知っていました。しかし、受付初日に間に合うように申告書類を国税庁のhpにあるアプリで例年通り作成しました。前年度のデータに上書きすれば簡単なはずですが、慣れているとはいっても気が抜けません。本人確認書類としてマイナンバー通知カードのコピーだけではなく、昨年2月に更新した運転免許証のコピーを新たに作成しました。

なお、今回は申告内容の変更が大幅であり、データを入力する過程で何度となく警告を出される羽目に陥りました。ちなみに、主な変更点は、基礎控除額の引き上げ(合計所得が2,400万円以下では48万円)、給与所得控除額の引き上げ(筆者は非該当)、e-taxによる電子申告で65万円控除(日ssyは非該当)、ひとり親控除(筆者は非該当)、等。

中でも株式取引(特定口座の株式譲渡益)データの入力など、昨年には申請する必要がなかった項目において苦労させられました。その一方、今回から公的年金・健康保険料納入証明書などの書類添付を省略することが可能になりましたから、医療費の自己負担分(医療費控除の明細書)をエクセル(excel)でまとめるだけで良くなりました。そして、2時間にわたってパソコン(申告書作成アプリ)と格闘することで何とかデータの入力を完了し、申告書類をプリントアウトすることができました。

今回も申告期間の初日である216日に最寄の税務署に出かけました。新型コロナウイルス禍のため、駐車場が例年以上に混雑する可能性があるため、今回は公共交通機関を利用。このためだったのか、税務署に到着したのは窓口が開く午前830分より大幅に遅れて、午前9時近くになっていました。税務署の入口で整理券を貰いたいと申し出ると、『整理券の配布は終了しました。LINEで後日の整理券を申請できます。』 との説明とともに、ネット経由の申告とLINEを使って整理券を申請する方法などが書かれた書類を手渡されました。

整理券は午前830分から配布されたようですが、事前に待っていた人たちが受け取っただけで当日分は終了したと思われます。往路とは打って変わり、帰り道は足取りが重く、帰宅した時にはドット疲れが出てしまいました。心身の疲れが少し取れたところで、LINEを使って整理券を申し込むことにしました。何と、1週間後までは予約枠が埋まっており、その後も1日当たり数枠しか残っていませんでした。できるだけ早くしたかったのですが、自分の都合に照らし合わせて、10日後の午前中(30分の時間帯)を何とか予約することができました。

「俎板(まないた)の鯉」になった心境で、予約日を待つことに。冷静に考えると合理的で良い仕組みですから、来年以降も予約制度を継続して欲しいものです。帰路に偶然一緒になった方は、『LINEを使っていないので誰かに頼まなければならない。』 とおっしゃっていました。これは後で分かったことですが、受付番号と予約日時はLINE予約に使ったスマホに保管されますから、LINE以外の予約手段もあると便利でしょう。

なお、税務署へ出向かないでも、e-Tax(マイナンバーカードあるいはID・パスワードを使う電子申告)で行うか、あるいは申請書類を郵送することでも申告できますが、筆者は対面申告が一番確実だと信じている根っからのアナログ人間なのです。予約日である明日(2月26日)は確定申告の手続きが滞(とどこお)りなくできることを願っています。◇

〈追記 2021.2.26〉 例年とは様変わりで駐車場にすぐ入ることができました。定刻になるのを待って提出場へ向かい、スマホのLINE画面を提示すれば、申告書の提出が1分足らずで完了しました。◇

2021年2月23日 (火)

“IPv6”でインターネットに接続する

箸休めの記事に固い話題を選んで恐縮です。気分転換にと斜め読みをしてください。

筆者が加入しているインターネット・サービス・プロバイダー(ISP)の"@nifty""IPv6"を利用することができるようになりました。新し物が好きな筆者は利用するための手続きを行いました。今のところ、"IPv6"で提供されるサービスは限られていますから、この変更をしなくても困ることはありませんが・・。

変更した場合はこれまで使っていた"IPv4"PPPoE方式)も"IPv4over IPv6"OCNバーチャルコネクトのIPoE方式によるIPv4接続)の形で仮想的に利用することができますから、上記の手続きを行ったこと以外、インターネットを利用する上で特に留意することは何もありません。

急いで変更しなくても良いと言いましたが、光回線を利用してインターネットに接続しているにもかかわらず通信速度が遅いとお感じの方は、“IPv4”から”IPv4overIPv6”へ切り替えると改善されるかもしれません。加えて、セキュリティ対策(IPsec)が標準装備されており、マルチキャスト方式による情報配信サービスなどが容易になる効用もあります。

なお、事前のチェックポイントとして、『加入しているプロバイダーは”IPv6”に対応しているか?』、『利用料金が高くならないか?』、『使用しているインターネット機器(ルーター)が“IPv6”に対応しているか?』、などを確認してください。

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参考までに関連する技術について簡単に説明しましょう。

まず"IPv4"と"IPv6"です”IP””Internet Protocol”(インターネット通信規約)、つまりインターネットに接続されたコンピュータ同士がデータをやりとりするためのデータ通信の方法を定めた規約です。“v4”は ”version 4”4版)を、”v6”は”version 6”6版)を意味します。なお、"v1" "v2" "v3" "v5"もありそうに思われますが、現存するのは"v4"と"v6"の2つだけです。

両者の大きな違いはコンピューターの住所にあたる固有なIPアドレスにあります。まず、"IPv4"はIPアドレスを32ビットのデータで表しています。その理由は、インターネット・サービスが始まった1995年ころに32ビットのデータは232乗、すなわち約43億のIPアドレスがあれば(つまり約43億台のコンピュータを扱えれば)十分であると考えられたからなのです。

しかし、世界的にインターネットが普及したことに加えて、コンピュータ(含むパソコン)だけではなく、爆発的に増加しているスマホもIPアドレスを必要としますから、IPアドレスが不足する(枯渇する)問題が21世紀に入って喫緊(きっきん)の課題になりました。さらに、家電製品や自動車などもインターネットに接続され始めていますから、IPアドレスの不足が生じかねない状況は深刻な問題になりました。いわゆる、”Internet on Things”(略号:IOT)の時代が到来しているのです。

そこで1998年に国際規格として詳細仕様を定められたのが次世代のプロトコルである”IPv6”です。”IPv6”ではIPアドレスを128ビットのデータとして表現しますから、IPアドレスの総数は2の128乗(約43億x約43億x約43億x約43億)、つまり約340澗(かん)個と膨大になります。現状では「ほぼ無限」と言える数です。2010年代に入るとサービス・プロバイダーは”IPv4”から”IPv6”への移行を徐々に進め始めましたが、インターネット上のサービスはほとんどが"IPv4"向けで、”IPv4”と互換性がない"IPv6"向けに作られたサービスはまだ少数のようです。

規模が大きすぎて分かりにくいかもしれませんので、身近な携帯電話の例になぞらえて説明します。スマホの普及によって携帯電話番号が不足したため、使用されなくなった携帯電話番号を再割り当てするだけではなく、1999年以降”090”が携帯電話番号専用になった後、2002年に”080“2013年に”070”PHS用)で始まる携帯電話番号が新たに加えられたことと少し似ています。

閑話休題。接続する時のプロトコルの違いも説明します。”PPPoE”PPP (Point-to-Point Protocol)という通信方式の機能をネットワーク上で利用できるようにしたものです。”Point -to-Point”と呼ばれるように、従来は電話回線を通じて(モデムを利用して)接続していた技術を通信業者のネットワークで使えるようにしたものです。ちなみに、「トンネル接続方式」とも呼ばれます。

もう一つの”IPoE”NTT東西のNGN網(次世代ネットワーク)など事業者側のネットワークと直接接続してIP通信を行う通信方式です。接続用のユーザー名(ID)とパスワードを必要としないため、IPoEは「ネイティブ接続方式」とも呼ばれます。ちなみに、通信が混雑しやすい”PPPoE”に比べてIPoEは混雑が発生しにくいため、通信速度が速くかつ安定になる可能性があります。なお、インターネットの利用者はPPPoEとIPoEの違いを意識する必要はありません。 

最後です。“IPv4 over IPv6”は、“IPv6”の環境で通信を行いながら、これまでの”IPv4”IPアドレスで通信できる優れた技術です。こうした技術は「カプセル化」と呼ばれます。あえて、似た例を挙げると、2014年にサービスが開始された携帯電話サービスの”VoLTE”(ボルテ)でしょう。2010年にサービスが開始された最新規格の”LTE”(データ専用)網上で音声通話サービスを提供する技術です。なお、”LTE”の導入初期においては音声通話をする時、通信事業者が一世代前の携帯電話規格である”3G”へ自動的に切り替えていました。◇

2021年2月21日 (日)

コロラド・ロッキーを巡るドライブ旅(その20) ブロード・ムーアの七つ滝

「ロイヤル渓谷」を後にして、米ハイウェイ50号線と州道115号線でコロラド・スプリングス方面へ引き返しました。市街地に入る手前で左手(西方向)へ入って"Cheyenne Blvd."(シャイアン通り)と"South Cheyenne Canyon Road"で山麓へ進むと、"Broadmoor Seven Falls"(ブロードムーアの七つ滝)がありました。夏時間だといっても午後9時半を過ぎていましたから、日は暮れていました。

ブロードムーアの七つ滝」は、コロラド・スプリングス市街地の中心部から南西へ5‐6㎞、”South Cheyenne Canyon” (南シャイアン峡谷)にあります。ちなみに、7つの滝の名称は“Bridal Veil”、”Feather””Hill””Hull””Ramona””Shorty””Weimer”とのこと。(アルファベット順)

外が暗くなってから立ち寄った理由は夜間照明されたカラフルな滝を見るためです。ちなみに、夜間照明は1947年に始まったそうです。急傾斜の峡谷であるため、1965年と2013年の2度、豪雨によって大きな被害が出たようです。

アナログビデオから切り出した写真には照明で照らし出された滝がぼんやりとしか写っていませんのでご了承ください。いくつかの写真には七つの滝に沿って設けられた見学用の通路(階段)が写っていますが、ネット検索で確認すると計224段あるそうです。

”South Cheyenne Canyon Road"の終点にある「レストラン1858」の横に最初の滝(注釈:人工堰と思われる)があり、レストランの横を抜けて渡った対岸の広場から見学用の階段が上方へ伸びていました。次の写真はレストランの手前から撮影したようです。

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この後の画像は見学用の階段を上がりながら順に7つあるという滝を撮影したビデオから切り出したものです。

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橋と人影が見えますから最上部のようです。

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ここで引き返すことにしました。

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後先になりましたが、長い階段を下まで降りたところで、"Seven Falls"の案内パネルを見つけました。

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こちらは“Ramona”滝と”Feather”滝の案内部分です。

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ほどなく、先住民(アメリカ・インディアン)の民族衣装を着た人たちが登場しました。地名からみて「南シャイアン族」かも知れません。有名な西部劇映画「駅馬車」に登場する「シャイアン族」の一つです。

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何人かがダンスを披露しました。

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一番下の滝を再度撮影したアナログビデオには午後1110分の時刻表示がある映像が残っていますから、現地の山岳地帯時間では午後9時40分から午後1010分まで約30分間にわたって滞在していたことが分かります。

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午後10時半過ぎにはコロラド・スプリングス市街地のホテルへ戻ったと思います。翌日は旅の最終日(7日目)ですが、ここでコロラド・ドライブ旅についてのブログ記事の投稿を一時休止します。(続く)

2021年2月20日 (土)

コロラド・ロッキーを巡るドライブ旅(その19) ロイヤル渓谷の橋と公園④

6-7分後に筆者と家族に順番が回ってきました。一番前に陣取ると金網越しに急傾斜の線路の先に下の駅が見えます。結構な迫力を感じます。

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ズームアップで写した下の駅方面

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横方向には岩の壁が迫ります。

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中間地点で反対方向へ進む(上り方向の)車両とすれ違います。単線ですが、すれ違い用の退避線路があるため、交互運用が可能な仕組みです。

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下の駅とアーカンザス川の急流が近づきました。ここで気づきました。ロイヤル渓谷橋の上から見た線路際の建物は、渓谷沿いを走る鉄道の駅ではなく、「傾斜鉄道」の駅だったのです。

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下の駅で多数の客が待っているのが見えます。

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下の駅を出て来し方を見上がました。下から見ても迫力があります。

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下の駅の駅舎を出ると、目の前に”Prospectors Pan”(探鉱者たちの選鉱平鍋)の大きな看板がありました。銀鉱山にちなんだアトラクションが行われているようです。

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次男が長い階段を川縁まで駆け下りて行きましたので、アトラクションの建物には入らずに彼の後を追いました。

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その先には細長い駅のプラットフォームのような通路が続いています。旅客輸送が行われていた時代の名残かも知れません。

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同行者は金網越しにアーカンザス川の白波が立つ急流に見入っています。

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行き止まりのようですから下の駅方面へ引き返しました。長い階段を上がったところにある建物脇から対岸へと続く吊り橋がありました。どこへ行けるのか興味がありましたが・・。

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「傾斜鉄道」の車両が中間地点を過ぎたようですから、次の便に乗ることにしました。

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相変わらず大勢の客が乗っていました。

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車内へ乗り込み、帰りも進行方向、つまり上方を見られる場所を確保しました。そこには”Royal Gorge Incline Railway Capacity 30 Adults or 5,100 lbs.(pound) or 2,313kg.”(ロイヤル渓谷傾斜鉄道 容量:大人30人または5,100ポンドまたは2,313kg)と説明してあります。

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別のパネルには”In the event this car stops unexpectedly. Remain calm and inside cabin. The operator will give further instructions if necessary.”(万一の場合この車両は予期せずに止まります。落ち着いて車内にいてください。必要であれば運転者がさらに指示します。)と平易な英語で書かれています。ちなみに、”In the event”の次には“of emergency”が省略されています。

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上の駅の展望所で望遠鏡をのぞく次男

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筆者たちが乗車した車両とすれ違った車両が折り返して来たところが見えます。ちなみに、この傾斜鉄道は設備が故障したため、現在は運航を中止しているそうです。

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午後7時半(山岳部時間)になりましたので、次の目的地へ移動することにします。(続く)

2021年2月19日 (金)

コロラド・ロッキーを巡るドライブ旅(その18) ロイヤル渓谷の橋と公園③

ロープウェイ乗り場(南駅)に到着しました。周囲の山々を見渡せる展望スポットでもあります。

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対岸の北駅より今いる南駅の方がかなり高い位置にあるようで、駐車場を見下ろすことができます。

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約10分後にゴンドラが南駅のランプに到着しました。

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1台のゴンドラが3本のワイヤーロープ群(注釈:2本の支索と1本のループ状曳索)を使うシンプルな構造です。写真では見にくいかもしれませんが、計4本のワイヤーロープが写っています。なお、2013年に大幅に変更が行われたことで、現在は1本の太いループ状ワーヤーロープに吊るされた3連結のゴンドラ(2セット)に変更されて、輸送力が大幅に向上しているようです。(ロイヤル渓谷のhpにあるロープウェイの説明

ちなみに、旅の2日目に利用したエステス・パークのロープウェイはワイヤーロープ群(支索と曳索が各1本)の2セットにそれぞれ取り付けられた2台のゴンドラが交互に移動する「2線交走式」でした。

ゴンドラが動き始めると、先ほどロイヤル渓谷橋から見上げた展望所が眼前に迫りました。驚いたことに、その近くまで続く砂利道に自動車が停まっている車が見えます。

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今にも転がり落ちそうな大きな岩

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ロイヤル渓谷橋の全景が正面に見えてきました。

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この辺りからはアーカンザス川の流れもはっきり確認できます。

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ゴンドラはロープウェイの中ほどに差し掛かりました。

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ロイヤル渓谷橋の中央付近を通過する車と観光客たち(ズームアップ映像)

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下を見るとアーカンザス川の速い流れと「ロイヤル渓谷ルート鉄道」の線路が良く見えます。(ズームアップ映像)

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北側の支柱を通過しましたから、ロープウェイの北駅にもうすぐ到着します。

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ゴンドラを降りて南駅方向を見上げて撮影。南駅は岩山の頂上部にあることが分かります。

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次いでロイヤル渓谷橋を見ると、ロープウェイとの位置関係(V字型)がよく分かります。

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ロープウェイ北駅のすぐ近くで、“Incline Railway”(傾斜鉄道)の看板を見つけました。

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ここで理解できました。入園した直後に展望ブリッジから見下ろした急傾斜の線路はこの「傾斜鉄道」の物だったのです。ちなみに、「インクライン」はアメリカの他の観光地にもあるようですが、日本でも京都の「蹴上(けあげ)インクライン」が良く知られています。

家族全員は乗る気満々です。

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礎石のようなものには”Otis Elevator Company Incline Railway 1931”(オーティス・エレベーター社製傾斜鉄道 1931年)とあります。

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ちなみに、世界最大のエレベーター製造会社であるオーティス・エレベーター社(米国企業)のエレベーターやエスカレーターは日本国内のビル内でもよく見かけます。

乗り場へ向かうと鳥籠(とりかご)のようなものに入った人たちが見えました。約45度といわれる急傾斜がよく分かります。

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客車が金網に覆われていることで、工事現場のエレベーターにも似た、物々しい乗り物に見えます。(続く)

2021年2月18日 (木)

コロラド・ロッキーを巡るドライブ旅(その17) ロイヤル渓谷の橋と公園②

ロイヤル渓谷橋から下を覗(のぞ)くと、渓流に沿って敷設(ふせつ)された線路が見えます。そして駅のような建物とアーカンザス川に架けられた小さな吊り橋も。

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後で調べると、1870年代後半にアーカンザス川の流域で銀が発見されたことで鉄道会社が1880年ごろに線路を敷設したようです。しかし、1967年に旅客輸送が廃止されたため、訪れた時(30年前)は貨物線路だったようです。その後の紆余曲折(うよきょくせつ)を経て、1998年に"Royal Gorge Route Railroad”(ロイヤル渓谷ルート鉄道)が観光列車の運行を開始。キャノン・シティからロイヤル渓谷を抜けたさらに上流の”Parkdale”(パークデイル、注釈:アーカンザス川が米ハイウェイ50号線と交差する付近の場所ですが現在は地図上に存在しない)までの区間(12マイル/約19㎞、往復約2時間)で観光用列車を運行しているようです。

ロイヤル渓谷橋の中央付近まで来ましたが、先はまだ長く続いています。

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看板の前で記念撮影

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看板には”Royal Gorge Bridge Highest in the World”(世界で一番高いローヤル渓谷橋)とあります。その下には『アーカンザス川まで1053フィート(約321m)』 と。つまり、筆者たちは東京タワーの最上部に取り付けてあったテレビ放送用のアンテナと同じ高さにいるのです。

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すぐ近くにはこんな看板もありました。書かれていた言葉は、『この場所はデイビッド・カークがABCテレビの番組「そんなの信じられない」でバンジージャンプをした場所です。』 でした。

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同行者は恐るおそる下を覗(のぞ)いています。内心では、『こんなところから飛び降りたのね!』 と思っているのでしょう。

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ビデオカメラをズームにすると渓流の脇に先ほど見た鉄道線路が通っていることがよく分かります。

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息子たちは敷板の隙間をのぞき込んでいるようです。

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“No Fishing From the Bridge”(橋から魚釣りをするな)は橋の高さ(川の水面まで約321m)を考えるとジョークでしょう。

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左前方にロープウェイの赤いゴンドラが現れました。

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左手の岩山に展望所のような建物があります。

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S.DAKOTA”の看板があります。「サウスダコタ州」のことかと思いましたが、コロラド州の中央部にあるこの公園との関係があるとは思えません。意味不明です。

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少し先には見慣れたテキサス州の州旗が掲げられていました。これで他州にかかわるものがある意味が何となく分かったような気がしてきました。

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吊り橋を支える支柱とロープ群は迫力があります。

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ロープ群を避けるため対岸のアクセス道路は折れ曲がって斜め方向へ伸びています。そして、先ほど橋の途中で追い抜かれた青いバスがそのアクセス道路を通って橋へ引き返します。

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建物の間を抜けて小高い場所へ上りました。この場所からは吊り橋の全景が良く見えます。

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家族たちはわれ先にとさらに高い場所へと急いでいます。

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この先にTramway(ロープウェイ)の乗り場「南駅」があるのです。“Last Trip of the Day”(一日の最終旅)とありますから、標準的な観光ルートの最終スポットなのでしょう。

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余談です。"Tramway"または"Tram"といえば、英語圏では路面電車(トラム)を指すことが多いのですが、アメリカではロープウェイを意味します。誤解を避けるために"Areal Tramway"または"Sky Tramway"と表現することもあります。ちなみに、"Ropeway"は「索道(総称)」を意味しますから、"Areal Ropeway"とすればアメリカでも問題なく通じます。(続く)

2021年2月17日 (水)

コロラド・ロッキーを巡るドライブ旅(その16) ロイヤル渓谷の橋と公園①

コロラド・スプリングスのホテルにチェックインしました。名称は覚えていませんが映像から推察すると、市街地にあって広い道路に面しているホテルのようです。ちなみに、当時(1990年)の人口は約28万人でしたが、防衛産業(ボーイング社など)・ハイテク産業(通信/電子関連)・観光産業などが急発展したことにより、2010年現在では40万人超(都市圏では約65万人)へと増えて、コロラド州で人口が一番多いデンバー(約60万人)を追い上げているようです。

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西方にコロラド・ロッキーが良く見えます。

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こちらの山はその形から約20㎞西方にある"Pikes Peak"(標高4,301m、富士山より525mも高い)と思われます。

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1806年に探検家ゼブロン・パイク(Zebulon Pike)によって広く紹介されたことで、”Pike's Peak “(パイクの頂)と名づけられたそうです。筆者は「尖峰」を意味すると思い込んでいました。上の写真で分かるように山影(やまかげ)は比較的になだらかです。ちなみに、現在は"Pikes Peak"と表記されることが多いようです。

ホテルの自室で少し休憩したあと、夏の長い昼間を利用して郊外にある観光スポットへ出掛けました。到着したのはコロラド・スプリングスの南西約60㎞(州道115号線経由)にあるキャノン・シティを米ハイウェイ50号線で少し通り過ぎた山の中(道路3A)にあるRoyal Gorge Bridge & Park(ロイヤル渓谷 橋と公園)です。”To Plaza Area”(広場へ)と表示されたゲートには”Bridge”(橋)や”Tramway”(軌道),Visitor’s Center”(ビジター・センター/案内所)などの表示があります。

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順路にしたがって進みました。横には線路のようなものが写っていますから、北側の駐車場に車を停めて、南へ向かう順路を利用したようです。。

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“Silver Rock”と書かれた看板を右脇に見つけました。

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後で気づきましたが、この岩が公園のシンボルのようです。

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ビジター・センターに到着。現在の建物は建て替えられてモダンなものに変わっています。

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左手に展示してある小型の蒸気機関車にはThe Royal Gorge Routeと表示されています。ネット検索すると、公園内を走るミニ列車の名前はSilver Rock Miniature Train”でした。後で説明しますが、展示されていた小さな蒸気機関車はロイヤル渓谷沿いの線路を走るもののミニチュア・モデルでした

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反対側(右手)には時計の文字盤のようなものがいくつも飾られています。調べてみると、この"Water Clock"(水時計)は現在も稼働しているそうです。中央に見える水車を動力源としているようです。

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下の写真には水が水車へ流れ落ちている様子が写っています。なお、ビデオカメラの時計表示(午後6時30分)はアメリカ中部時間(地元のテキサス州など)ですから、現地のアメリカ山岳部時間(写真右下の時計表示である5時30分)と1時間の時差があります。

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展望ブリッジに出ました。

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“Arkansas River”(アーカンザス川)と“Royal Gorge(ロイヤル峡谷)を見渡すことができます。

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アーカンザス川はコロラド州レッドビル近くを水源とする全長約2,344㎞の長大な川(アメリカで第4位の長さ)です。カンザス州、オクラホマ州、アーカンソー州を流れて、ミシシッピー州との境界でミシシッピー川に合流しています。

余談です。アーカンザス川はアーカンソー州と同じ綴(つづ)りの”Arkansas”ですが、コロラド州では「アーカンザス川」と呼ばれるようです。ちなみに、「アーカンソー」はこの地に住んでいた先住民(アメリカ・インディアン)および地名を、この地を領有したフランスがフランス語風に「ザス⇒ソー」と発音したことによるそうです。そして、1803年にアメリカがルイジアナとともにフランスから買収し、1881年にアーカンソー州と呼ぶことが正式に決定された経緯があるそうです。本当にややこしい由来です。ちなみに、ロイヤル渓谷は「アーカンソーのグランドキャニオン」とも呼ばれているようです。

崖から迫(せ)り出した展望ブリッジから真下を覗(のぞ)くと、崖(がけ)に沿って下へ伸びる線路のようなものが確認できました。

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さらに先にはS字型に折れ曲がる渓流も見えました。

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いよいよ、展望日リッジの先にある巨大な"Royal Gorge Bridge"(ロイヤル渓谷橋、完成:1929年、全長:1,260フィート/約384m、支間長/主塔の間隔:880フィート/約268m)を渡ります。ロイヤル渓谷を越えるこの吊り橋は大きなバスも通過するのです。

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100年近く前の1926年(昭和2年))に完成したとは信じられません。当時(30年前の1990年)の日本にはこんなに大きな吊り橋はほんのわずかしかなかったと思います。

ちなみに、日本で長い吊り橋と言えば「明石海峡大橋」(完成:1998年、支間長:1,991m)と南備讃瀬戸大橋(完成:1988年、支間長:1,100m)、来島海峡第三大橋(管制:1999年、支間長:1,030m)ですが、歩行者専用では「九重夢大吊橋」(完成:2006年、全長:390m、横幅:1.5m、高さ:173m)、「三島スカイウォーク」(完成:2015年、全長:400m、横幅:1.6m)、静岡・大井川の「塩郷の吊橋」(長さ:220m、高さ:11m)、静岡・寸又峡(すまたきょう)の「夢の吊橋」(長さ:90m、高さ:8m)、静岡・伊豆の「城ヶ崎つり橋」(長さ:60m、高さ:18m)などが良く知られています。(続く)

2021年2月16日 (火)

コロラド・ロッキーを巡るドライブ旅(その15) アメリカ空軍士官学校

旅の6日目(8月9日)は、宿泊地のセントラル・シテイから南下して入ったI-70を東進し、デンバーで州間高速道路25号線(I-25)に反れて山間地をひたすら南下しました。次の目的地はデンバーの南、約100kmにある"Colorado Springs"(コロラド・スプリングス)周辺にある何か所かの観光地です。ちなみに、地名の"Colorado Springs"は「コロラドの鉱泉」を意味します。これはコロラド・ロッキーの山麓に鉱泉が多数あったからでしょう。

最初に立ち寄るのはコロラドスプリングスの北、約2kmにある「アメリカ空軍士官学校」(United States Air Force Academy)。ちなみに、士官学校とは軍隊の幹部である士官(将校)を養成する学校です。つまり、空軍士官学校を卒業すると理学士の学位(学士)が与えられ、空軍に入隊すると将校の最下位である空軍少尉(または宇宙軍少尉)に任官されます。

1949年に設立された「アメリカ空軍士官学校」は、それまでアメリカにあった陸軍士官学校と海軍兵学校とは別に、空軍の士官に必要とされる資質を育成することを目的としています。つまり、政治家や軍の幹部による推薦や難易度が高い選抜試験で選ばれた士官候補生が士官として必要な一般教養と専門的科目を4年間学ぶのです。

ロッキー山脈の麓に約73平方km(東京都あきるの市や同町田市の面積に相当)を有する「アメリカ空軍士官学校」は学生数が約4,000人、教官が約600人と少数ですから、見た目に学校と言うよりも研究施設といった雰囲気です。また、校舎から数㎞南東に士官学校の飛行場(Airfield)があり、飛行の操縦訓練だけではなく、運動科目の一つとしてパラシュートによる降下訓練も行われるそうです。

なお、戦闘機などのパイロットになるには、まず空軍に士官として入隊し、操縦要員選抜試験に合格する必要があるそうです。合格者だけが戦闘機などのパイロット訓練を受けるのです。なお、空軍の教育機関としては空軍士官学校の他に、空軍大学、指揮官や幕僚を養成する空軍指揮幕僚大学、空軍工科大学があります。

前置きはここまでにして本題です。I-25のインターチェンジから”North Gate Blvd”に入り、約1.5㎞西進した北入口近く(North Gate BlvdStadium Blvdの分岐点角)に置かれていたのはボーイング(Boeing)社製“B-52爆撃機(正式名称:Boeing B-52 Stratofortress)でした。駐車場に車を停め、家族全員が遊歩道にしたがって”B-52”へ向かいます。

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1955年からアメリカ空軍が使用を開始した核攻撃が可能な大陸間爆撃機で、ベトナム戦争では当時の北ベトナム領での絨毯(じゅうたん)爆撃に使用されたことで知られます。ちなみに、この士官学校に静展示されているのは1950年代後半に製造された"B-52D-55-BO"のようです。

写真で分かるように垂直尾翼が長大です。

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展示場は芝生が植えられていて公園のようであり、前方に山が見えますから”B-52”は西向きに置かれているようです。ちなみに、地図で確認すると西北西方向でした。

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前後に2つあるコンクリート製の台には"Please Keep Off ~"(近づかないでください)と表示されています。

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“B-52”の下にある円形の遊歩道を歩きました。前方に見えるのは”North Gate Blvd”です。

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元来た遊歩道で駐車場へ向かうと、先ほどは巨大な“B-52”に目を奪われていたため気づきませんでしたが、3つの三角形を組み合わせたモニュメントがありました。

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“B-52”がベトナム戦争で活躍したことが説明されています。

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翼の大きさにだけ目を奪われていましたが、改めて“B-52”の巨大な胴体を見上げます。

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そして機首部分も

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主翼に装着された多数のジェットエンジン

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駐車場とその後方(東方面)の様子

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”North Gate Blvd”から"Academy Drive"に入ってアメリカ空軍士官学校ビジター・センターBarry Goldwater Air Force Academy Visitor Center)へ向かいました。35,000平方フィートの広さがあるようです。ちなみに、”Barry Goldwater”は故アリゾナ州上院議員で、1968年に上院軍事委員会、航空宇宙科学委員会に任命された士官学校の熱心な後援者の名前とのこと。

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1時間余りにわたってセンター内を見学しました。映像が残っていませんから、撮影ができなかったようです。

次いで、場所を覚えていませんが、スマートなジェット戦闘機が展示されていることに気づきました。"Thunderbird 1"の表示がありますから、アメリカ空軍のアクロバット飛行隊で使われていたようです。ちなみに、このノースロップ(Northrop)社製“T-38A Talon”は1950年代中期に開発された超音速練習機(前後2座)で、現在も現役で使用されているそうですが、近々その役目を終えると伝えられます。

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1959年に製造された機体でした。主な諸元は、全長14m、自重3,244kg、最大速度M1.08、航続距離1,093マイル/約1,759km、乗員2名。録画したBDで丹念に調べてみると、トム・クルーズ主演の映画「トップガン」(1986年公開)では駐機中の戦闘機としてほんのわずかですが登場していました。

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アメリカ空軍士官学校に約2時間半滞在したあとは、コロラドスプリングスの西方へ向かい、コロラド・ロッキーを楽しみます。(続く)

2021年2月14日 (日)

新型コロナウイルス禍とパルスオキシメーター

低酸素血症を早期に判断する方法として簡便な医療機器のパルスオキシメーターが医療とスポーツの分野で普及しています。つまり、激しい運動をするアスリートの体調管理、心臓疾患や気管支喘息などの慢性呼吸器系疾患を患う人の自己管理に利用されている簡便な機器です。しかも、ネット通販で簡単に購入できる商品でしたが、最近は需要が急増したことにより、一部で入手が困難になっていることが報道されました。

新型コロナウイルス感染症の患者が、自宅療養中に自身の病状を把握できない不安から、重症化の目安となる血中酸素飽和度を数値で測定できるパルスオキシメーターを買い求めるケースが増えていることが背景にあるようです。加えて、診察・手術用に必要とする医療機関だけではなく、多くの自治体が住民への貸出用としてパルスオキシメーターを購入しているとも。

しかし、日本呼吸器学会などの専門家は『確な診断をするには医師や医療関係者の指導が不可欠であり、ましてや新型コロナウイルス感染の判断に利用することはできない。』 と指摘するとともに、『パルスオキシメーターを必要とする人たちが購入できるようにパルスオキシメーターを感染予防目的で購入しないようにして下さい。』 と呼びかけています。また、メーカーのコニカミノルタ社などは『パルスオキシメーターを感染予防目的のために購入されることはお避け下さい』 という異例の呼びかけを行っています。

新型コロナウイルスに感染した人の数は、昨春(4月)の第一波、昨夏(8月)の第二波に続いて、今年1月に入ると第三波の大きなピークが生じました。クリスマスや年末の忘年会などでの会食が感染拡大をもたらしたと考えられます。27日に第二目の非常事態宣言が発令されると正月の人出が減少したことで、感染者数がピークアウトして急減しました。しかし、高齢者層を中心に重症者は最多を更新した後は高止まり状態が続いています。

この状態で注目され始めたのは新型コロナウイルスの後遺症(Long COVIDあるいはPost COVID)です。20代と30代を中心に様々な後遺症が発生していることが国内外で報告されています。それには、味覚・嗅覚異常、肺や心臓の恒久的な障害(息苦しさ・胸の痛み・咳)、脱毛、コロナ症状の持続、歩行困難など肉体的障害、免疫機能が自らの組織を傷つける免疫炎症反応、不眠症、記憶障害、PTSD(心的外傷後ストレス障害)などがあるそうです。

新型コロナウイルスに感染した初期症状である発熱・倦怠感・味覚/嗅覚障害は、治療によってPCR検査が陰性となっても、完治には至らない例が少なくないのです。感染者の3割ほどが再入院しているとイギリスの報道機関が伝えました。しかも、新型コロナウイルスの後遺症は治療が困難かつ長期化するだけではなく、現状ではその治療費が自己負担になることも大きな問題です。

つまり、高齢者層は重症化によって突然死するリスクが高く、一方の若年層は後遺症に長期間悩まされる可能性があることが分かって来たのです。既往症がある人はもちろんのこと、健康に自信がある方も後遺症のリスクと無縁とは言い切れないことが分かりました。気管支喘息を持病とする筆者はこれからも新型コロナウイルス対策を万全にして生活して行きたいと思います。

最後に。新型コロナウイルスへの感染を防止する重要な手段となることが期待される「ワクチンの接種」において、日本はいつの間にか先進国で一番遅れてしまったようです。海外企業からワクチンを入手する時期の遅れだけでなく、接種体制の整備も進んでおらず、その結果として接種が行われるスケジュールも政府内で齟齬(そご)が生じてはっきりしていません。先週末になって「ワクチン」の第一陣がやっと到着し、その接種が厚労省によって正式に承認される運びとなったようです。

余談です。新型コロナウイルス禍とは別に、政治やオリンピック東京大会の準備において日本のトップ指導者たちにまつわるスキャンダルや不都合な事態が次々と明らかになりました。ここではそれらの一つひとつに触れませんが、新型コロナ・ウィルス禍対策と東京オリンピックの開催準備は喫緊(きっきん、待ったなし)の課題です。そして、昨夜11時過ぎに発生した東日本大震災の余震で大きな被害が出ています。筆者は日本という国(つまり日本人)が21世紀に入って急激に知性を劣化させたことを痛感し、日本の未来を大いに憂(うれ)いています。◇

2021年2月12日 (金)

コロラド・ロッキーを巡るドライブ旅(その14) セントラル・シティのゴールデン・ローズ・イン

この日に宿泊する”The Golden Rose Inn(ゴールデン・ローズ・イン、現Golden Rose Victorian Hotel)にチェックインしました。ストリートビューで確認すると、外壁が再塗装されただけで、現在の外観は30年前とほとんど変わっていません。注釈:"Inn"は小ホテルを指し、日本におけるアメリカ系ホテルで"Inn"が付くホテルには"Holiday Inn"(ホリデイ・イン)と"Comfort Inn"(コンフォート・イン)などがあります。

客室のインテリアとライティング・デスクなどの調度品も建物の外観と同様にクラシックです。部屋の右端にはテキサス州ではあまり見かけないラジエター型温水ヒーターがあります。ちなみに、テキサス州では、自宅はもちろんのことホテルの客室でも、電気とガスを併用するセントラル・エアコン・システムが主に使われていました。

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窓には防寒用と思われる厚手のカーテンが取り付けてあります。

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天井灯は、もちろん天井に取り付けた蛍光灯ではなく、ガラス製のランプシェイドを使うシャンデリアです。余談ですが、当時のアメリカの住環境では電球を使ったシャンデリアあるいはダウンライトなどの装飾を兼ねた間接照明が一般的であり、オフィス用の天井灯や蛍光灯などの直接照明を住宅の居室で使う習慣はありませんでした。

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ベッド

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ティーテーブルに置かれたテーブルランプは、床に置くスタンドライトとともに、アメリカ的な照明方法です。

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こちらは子供たちの部屋です。つまり、2部屋がドアで隔てられている"Connecting Room"(続き部屋)です。なお、長期滞在する家族向けの部屋としては、キッチン・洗濯機・居間・寝室(2室)が設備された"Condominium"(コンドミニアム、略称"condo")、あるいは寝室(2室)・居間・浴室がある"Hotel Suite"(スイート・ルーム)が適していると思います。

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洋式タブがある浴室は家族共有です。

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壁に子供たちの古い集団写真が飾られています。これも「セントラル・シティ」が賑わっていた頃に撮影されたものでしょう。

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翌朝、チェックアウトするため、ロビーへ下りました。

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ロビーの隅に古い町並みを描いた油絵が飾ってあります。

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手持無沙汰(てもちぶさた)になったのか、娘は手荷物を見守りながら、エントランス・ドア越しに通りを眺めています。

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例によって、ここで記事の投稿を小休止します。(続く)

2021年2月11日 (木)

コロラド・ロッキーを巡るドライブ旅(その13) セントラル・シティの金鉱山跡を見学

Thomas House Museum”から200mほど先、Y字路脇にある“The World Famous Lost Gold Mine(世界に名高い金廃坑)へ向かいました。注釈:ネット検索ではヒットしませんでしたが、ストリートビューで"Lost Gold Mine"の小さな看板を確認。玄関ポーチに当時の大きな表示はなく、"Private Residence"(私邸)の表示がありますから、現在は公開されていないようです。

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なぜかこの金鉱山の名前はどこにも表示されていません。「金鉱山跡」へ入場すると、昔金鉱石を運んでいたと思われる貨車が展示してあり、車体には”Elevation 8,496fl”(高度約2,590m)と表示されています。

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急峻な崖に掘られた暗い坑道内に入ると、立派な白ひげを蓄えた男性がこの「金鉱跡」について説明を始めました。よく見ると、後方に飾られた帽子には”CHANCE”(チャンス)と書かれているようです。

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なお、「セントラル・シティ」の金鉱山は「セントラル・シティ・パーウェイ」沿いのHidee Gold Mine(ヒディー鉱山)が有名のようです。

坑道の奥へ入って行きます。

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大きな岩がいくつも転がる坑道の奥には説明員と同じ帽子を被った人がいますが、人形だったのかもしれません。

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坑道脇に金鉱石などが展示されていました。

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狭くなった坑道はさらに奥へと続いています。

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娘は何かを見つけたようです。

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気が付けば売店に出ました。様々な鉱石が展示販売されています。

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同行者は記帳をしています。

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アメリカの観光地でも日本と同様に住所氏名を残す台帳が置かれていることが多いのです。ちなみに、日付はアメリカ風に8/8/90199088日)、住所は”Plano TX”テキサス州プレーノ市)と書きます。

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「金鉱山跡」では30分余りの見学になりました。これから宿泊するホテルへ向かいます。(続く)

2021年2月10日 (水)

コロラド・ロッキーを巡るドライブ旅(その12) セントラル・シティの町並み

US Highway 6”(米ハイウェイ6号線)の山道を後にして、I-70(注釈:正確にはUS HWY 6との共用区間)50㎞ほど東進し、北方に伸びる山道に入りました。(注釈:"Virginia Canyon Road"/州道279号線と思われる、2004年には全長13㎞/4車線の高速道路"Central City Parkway"/セントラル・シティ大通りがI-70と"Central City"/セントラル・シティ間に開通) この日の宿泊地である"Central City"(セントラル・シティ、正式名称:The City of Central")へ向かっているのです。1850-1860年代の「ゴールド・ラッシュ時代」に開発された金鉱跡がある山間(海抜8,510フィート/約2,550m)の小さな町で、西部開拓時代の古い町並みが良く保存されていることで当時から観光客に人気があったようです。

ちなみに、1マイル(約1.6㎞)東にある”Black Hawk(ブラック・ホーク)は1900年代初頭からカジノで栄えた町で、現在は13のカジノがあることで「コロラドのベガス」と呼ばれているようです。

「セントラル・シティ」(当時の人口約330人、現在約750人)のメインストリートである”Lawrence St”(ローレンス通り)で最初に目に入った建物は“Chandelier Hotel”(シャンデリア・ホテル)でした。ネット検索で調べましたが、現在は存在しないようです。余談ですが、”Chandelier”(フランス語由来)の発音は最後の”lier”にアクセントがあります。

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すぐ先にある"The Grubstake Inn"(グラブステイク・ホテル)は1875年に"Italianate Style"(イタリアネート・スタイル)で建てられたホテルで、軒の飾りと窓まわりのデザインが特徴的です。ネット検索で調べると、20年ほど前の写真が見つかりましたが、現在は存在しないと思われます。その写真に付けられたコメントから推測すると、2006年に「セントラル・シティ」へ進出した”Century Casino"(センチュリー・カジノ)に建て替えられたようです。上述した「シャンデリア・ホテル」も同様かも知れません。

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”Lawrence St"(ローレンス通り)から名前が変わった“Eureka St”(ユリーカ通り)と脇道の”Pine St”(パイン通り)が交差する場所にあるThe Golden Rose Innはこの日の宿泊を予約したホテルです。ネット検索で確認すると現在は”Golden Rose Victorian Hotel”に名称が変わっていました。参考までに「ストリートビュー」で見た現在のホテル周辺です。

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メインストリートである「ユリーカ通り」を西方へ歩きます。

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アンティークショップでウインドウ・ショッピング

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右前方に見える鐘塔は“St James United Methodist Church”(聖ジェームス合同メソジスト教会)のものです。

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教会の向かい側(左手前)にある建物はOpera House(歌劇場)でした。今も現役である立派な歌劇場はこの小さな町が昔(五世紀半前)は大いに栄えたいたことを象徴しています。ちなみに、最盛期における「セントラル・シティ」の人口は約1万人だったとのこと。

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教会の先にある赤い建物はGilpin County Courthouse(ギルピン郡裁判所)です。

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Courthouse”(裁判所)と表示されています。

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振り返って見た教会

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"Tour Historic Thomas Billings Museum"の看板がある"Thomas House Museum"(トーマス家博物館)1867年に建てられた1830年代から1860年代にかけてアメリカで流行した”Greek Revival style”(ギリシャ懐古スタイル)のペンキで白く塗られた住宅です。訪れた3年前(1987年)に個人の別荘から博物館に変わったばかりだったようです。ちなみに、”Thomas Billings”は当時の所有者の名前でした。

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博物館と少し西方にある金鉱跡のどちらに入るかで迷いましたが、やはり「セントラル・シティ」を象徴する後者を選びました。(続く)

2021年2月 9日 (火)

コロラド・ロッキーを巡るドライブ旅(その11) 米ハイウェイ6号線の山岳ドライブ

旅の5日目である翌日(199088日)も山岳ドライブを楽しみました。I-7020㎞ほど西進して入ったUS Highway 6(米ハイウェイ6号線)を南下したのだと思います。ちなみに、同ハイウェイはカリフォルニア州とマサチューセッツ州を東西に結ぶ主要道路で、コロラド州の大部分ではI-70と同じルートになっています。筆者が走行した区間から"Dillon/Silverthorne"までは険しい山地のためか、2つの道路が大きく異なるルートを採っています。米ハイウェイ6号線は険しい山をさけるため大きく南へ迂回し、I-70は"Golden Bear Peak"(海抜13,010フィート/3,965m)の南麓をトンネルで抜けています。

米ハイウェイ6号線は山肌に沿って大きく折れ曲がりながら一気に高度を上ると、「ジョージタウン」とは異なる植生が広がりました。写真に写る“Rocky Mountain bristlecone pine”は「コロラド・ロッキー」の生息する松の一種で、学名で"Pinus aristate"とも呼ばれます。コロラド州からニューメキシコ州北部にかけての高地に自生するアメリカの固有植物のようです。

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米ハイウェイ6号線はさらに高度を上げて森林限界を越えました。

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"Loveland Pass"(ラブランド峠、海抜3,655m、大陸分水嶺)付近の岩山に何かを発見。角がありますからヤギのようです。

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何頭もいるようです。コロラド・ロッキーに棲(す)む野生動物の「コロラド・ヤギ」(別名:マウンテン・ゴート/山ヤギ)でしょう。

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急斜面を下りてきました。

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道路上にはカメラを構えた人たちが・・

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我われも車を停めて山ヤギを観察することにしました。

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そして、岩の上を眺めます。

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山ヤギは道路上を闊歩(かっぽ)し始めました。

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人に懐(なつ)いているようです。

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山ヤギと10分余り戯(たわむ)れた後は、少し先にある“Pass Lake(パス湖、海抜11,834フィート/3,607m)に立ち寄りました。地図で見ると3つの湖で構成されているようです。

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後で調べると、"Pass Lake"から流れ出た水は米ハイウェイ6号線の東側を流れる"North Fork Snake River"に合流しているそうです。そしていくつもの川を経由して、最終的にはコロラド川になっているようです。

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湖畔を散策した後はトレッキング・トレイルを利用して近くの岩山に登りました。山の名前は分かりませんが、かなり見晴らしの良い場所です。

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よく整備された登山道です。

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下山した後は、I-70を戻って、次の目的地である「セントラル・シテイ」へ向かいます。(続く)

2021年2月 8日 (月)

コロラド・ロッキーを巡るドライブ旅(その10) ジョージタウン鉄道の蒸気機関車

コロラド州を東西に貫く州間高速道路70号線(I-70)に入り、少し西方にある町"Georgetown"(ジョージタウン)へ向かいました。到着したのは「ジョージタウン」(人口約1,000人)の街外れ、I-70と並行する”Loop Dr.”(ループ通り、注釈:次の写真の中央に映るカーブする道)の終点にある”Georgetown Loop Railroad”(ジョージタウン・ループ鉄道)のDevil's Gate Station(デビルズゲート駅、標高約2,600m)です。ちなみに、"Devil's Gate"は「悪魔の門」を意味します。

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コロラド・セントラル鉄道が1884年に完成させた「ジョージタウン・ループ鉄道」の高架橋を見ることができる観光スポットであり、多数の車が駐車場を埋め尽くしていました。上の写真でははっきり分かりませんが、この高架橋はヘアピンの頭のようにカーブしていることから「ループ」の名前が付けられているようです。ちなみに、この高架橋は訪れた6年前の1984年に復元されたものです。

”The Georgetown loop”の案内看板

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コロラド州政府観光局による「ジョージタウン・ループ鉄道」の説明は次の通りです。『かつてジョージタウンの銀を運んだ列車で、山の急勾配を上がっていくために線路が大きく輪(ループ)を描くように敷設されています。約3kmの間に200m近い高低差(筆者注、勾配1000分の25)を登っていくのは、馬力のあるアメリカ鉄道ならでは。約8kmのルート上には高さ30mの高架橋があり、それまで力強く走行してきた蒸気機関車(もしくはディーゼル車)も、この高架橋は、そろりそろりと慎重に走っていきます。512月の運行。』

左方向へ走る汽車が高架鉄道橋「デヴィルズゲート・ハイブリッジ(Devil's Gate High Bridge)」(高さ約30m)に差し掛かりました。蒸気機関車に牽引(けんいん)される客車には屋根付きと屋根なしの2種類があるようです。

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一分後に”Devil’s Gate Station”(デビルズゲート駅)の近くにある崖(I-70の法面)の下に同じ汽車が現れましたので、同駅へ向かいました。(乗車体験記事へのリンク

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急勾配の線路を上下するため、前後に蒸気機関車が接続されています。

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なお、蒸気機関車の入れ替え運転が行われて、客車の前方に接続されました。次の写真から推測できるようにアメリカにおける狭軌鉄道(軌間3フィート/914㎜)です。ちなみに、世界の標準軌道は4フィート8‐1/2インチ(1,435㎜)。日本における鉄道の多くは狭軌(軌間:3フィート6インチ/1,067㎜)、新幹線と私鉄・地下鉄の一部は標準軌道(軌間1,435㎜)、そしてほとんどの森林鉄道はより狭軌の762㎜です。

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座席の指定はありませんから良い席は早いもの勝ちになりますが、幸運にも屋根なしの客車に座ることができました。ほどなく、ほぼ満席になった汽車が出発。

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かなり後方の客車に乗車していたようです。

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振り返ると、駅の後方に「デビルズゲート・ハイブリッジ」(高さ約30m)が見えます。

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出発した7分後にはループ橋「デビルスゲート・ハイブリッジ」の上へと進みます。ここが最大のハイライトです。

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半径300mのループで高度差を稼ぐ仕組みなのです。つまり、「デビルズゲート駅」とその先の「シルバープルーム駅」との間にある高低差を吸収するため4つのループが設けられています。ちなみに、線路が「シルバープルーム駅」まで延長されたのは1884年だったそうです。

高架橋の下には"Clear Creek"(クリア川)、退避用線路、道路(ループ通り)を確認できます。この線路はもともとデンバーまで続いていた線路の名残とのこと。

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遠くに「ジョージタウン」の町並みを確認することができます。ちなみに、町名の由来はこのエリアで金と銀の鉱脈を発見した人物のファーストネームとのこと。

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銀を産出した“Lebanon Mine”(レバノン鉱山)が近くにある途中駅の" Lebanon Mine"(レバノンマイン駅)を通過して、「デビルズゲート駅」を出発してから30分後に7.2㎞先のSilver Plume Depot(シルバープルーム駅、海抜約2,800m)に到着。ちなみに、京都・嵯峨野トロッコ列車(約7.3㎞)とほぼ同じ長さです。

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蒸気機関車の前後を入れ替えるようです。

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連結器が繋(つな)がりました。子供の時代に見た日本の電車と同じ古い形式です。分かりやすく言えば、「指相撲」をする時の手の組み方に似ています。

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「シルバープルーム駅」に15分ほど停車したあと、「デビルズゲート駅」まで引き返しました。なお、「シルバープルーム駅」から乗車することもできたようです。(続く)

2021年2月 6日 (土)

ミャンマーで軍事クーデターが勃発!

2月1日の朝、ミャンマーで軍事クーデターが発生したことが一斉に報道されました。昨年11月に行われた総選挙後としては初の議会が21日に招集され、2016年に発足した次国民民主連盟(NLD)による第二次政権が発足する予定を阻止するため、1日の未明に国軍がアウン・サン・スー・チー国家顧問兼外相をはじめ、ウィン・ミン大統領やその他現政権の幹部を拘束し、政権が国軍トップのミン・アウン・フライン最高司令官に「移譲された」と発表したのです。そして、同氏は新たに設置された連邦行政評議会議長に、国軍出身のミンスエ副大統領が暫定大統領に就任。

国軍は昨年11月の総選挙でアウン・サン・スー・チー氏が率いる与党の国民民主連盟(NLD)が圧勝したことに不満を募らせて、総選挙で不正が行われたと主張していました。これはどこかの前大統領の主張と似ています。この国軍によるクーデターに対してアメリカは国軍の行動は民主制度への移行を台無しにするものであると非難。拘束した幹部を釈放するようにとの声明を直ちに発表し、もし事態が変わらなければ対抗措置を取ることを示唆しました。

上記の総選挙でNLDは連邦議会の上下両院で改選分の83%に当たる396議席を獲得した。国軍系政党である連邦団結発展党(USDP)は前回を下回る33議席にとどまりました。ちなみに、軍事政権下で制定された憲法の規定により、総議席数(上下両院で664)の4分の1の「軍人枠」があり、国軍は今も政治に影響力を保持していますが、アウン・サン・スー・チー氏の人気に押されて影響力が低下しているとされていました。また、強気で知られるミン・アウン・フライン総司令官は自身の任期切れが迫っていることから、個人的な思惑が背景にあるとの見方もあるようですが、今ひとつはっきりしません。。

2月3日には国連のグテレス事務総長がクーデターを起こしたミャンマー国軍に対して国際的な圧力をかけると述べました。しかし、15か国で構成する国連安全保障理事会はイギリスが作成したクーデターを非難する草案を準備中ですが、中国とロシアが対応を保留しているとの情報がありました。そして、翌4日には国連安全保障理事会で関連の声明が何とか採択されました。しかし、草案にあった「クーデター」や「非難」の言葉は削除されており、国際社会が一致してミャンマー国軍によるクーデターに強く対処できるかは不透明です。

後先になりますが、ここでミャンマーの近代史を振り返ってみます。第二次世界大戦後の1948年にイギリスから独立したミャンマー(注釈:当時の国名はビルマ)は1968年の軍事クーデターで軍事政権が発足し、2010年の総選挙後に軍事政権は解散。名目的な文民政権を経て、2016年に約半世紀ぶりの文民政権がスタートしました。そして昨年11月の総選挙で与党NLDが大勝利したことで、豊かな天然資源を支配する国軍とその支持者たちが先行きに危機感を持って巻き返しに出たのです。国軍主導で2008年に制定された現憲法が改正されることも懸念材料だったと考えられます。

国軍のこの思惑とは別に、上述したアメリカや同様の非難声明を出したオーストラリアだけでなく、軍事政権になってから始まった少数民族ロヒンギャ(注釈:バングラディッシュとの国境近くに住む)に対する弾圧などの人権問題と政治の民主化をめぐる問題で欧州諸国と対立して経済制裁を受けており、また1997年に加盟した東南アジア諸国連合(ASEAN)の加盟国(ミャンマーを含めて10か国)との関係も揺らぎ兼ねません。日本政府は今のところ静観に近い対応です。

と言うのは、これまで2013年・2016年・2018年にアウン・サン・スー・チー氏が訪日しただけではなく、2019年にはミン・アウン・フライン総司令官も防衛省の招きで訪日し、安倍前総理大臣と菅総理大臣(前官房長官)を始め、茂木前外務大臣などの政府要人と会談しています。つまり、日本政府は敵対したこの2人の双方とかなり深い関係にあるのです。

ミャンマーとの良好な関係からミャンマーに進出した日系企業が400社以上あります。今後の企業活動への影響が懸念されますが、今回のクーデターにより国軍系企業との合弁を解消する(ただし、ミャンマーにおけるビジネスは継続する)と2月5日にキリンが発表しました。この措置はアメリカによる制裁を回避するためと考えられます。一方、ミャンマーで事業を行うにはミャンマーの企業との合弁が必須とされるようですから、他の日本企業にも同様の動きがあるかもしれません。

結言です。ミャンマーはインド洋への進出を図る中国から多額の経済援助を受けており、またインドとも関係を最近になって強化しています。国際政治における台風の目に拡大する可能性も考えられます。当ブログで紹介しましたように、45年前に初めての海外出張として訪れて以来、何度も出張で訪れ、4年前(2017年)には同居者とともにヤンゴンとパガンを観光した筆者にとって思い入れのあるミャンマーの今後を注視したいと思います。

2021年2月 4日 (木)

コロラド・ロッキーを巡るドライブ旅(その9) トレイル・リッジ・ロードでロッキー山脈を越える④

「トレイル・リッジ・ロード」(米ハイウェイ34号線)にある駐車場方向を振り返ると、”Tundra Communities Trail”をこちらへ向かう人たちの姿が確認できます。

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少し左手方向に視線を転じると、緩(ゆる)やかにカーブして続く「トレイル・リッジ・ロード」を望むことも。

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岩を降りる同行者

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降りきった同行者は最初に上がった岩の上にいる人たちを眺(なが)めています。

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その岩の上には、我々がしたように、「方位図」を眺(なが)めている人がいます。

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駐車場へ戻ることにしました。遊歩道脇に生えているツンドラ植物を撮影。

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緩(ゆる)やかな下り坂を足取り軽く下って行きます。全員、富士山の山頂に近い高地であることを忘れているようです。

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「トレイル・リッジ・ロード」が我々がこの朝に出発した「エステス・パーク」方面へ伸びているのが確認できます。

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観光客の車で溢(あふ)れる駐車場が近づきました。

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「トレイル・リッジ・ロード」を挟んで、「キノコ岩」の反対側には小さな湖があります。

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この駐車場に到着した40分後には再び「トレイル・リッジ・ロード」を快調に走り始めました。

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Lava Cliffs Overlook"(溶岩の崖展望台)と最高地点付近を通過すると、一気に下り坂に変わった「トレイル・リッジ・ロード」は南に方向を変えました。 

ビデオの記録はありませんが、通過した見どころスポットを紹介します。先ず、rock cut“(ロック・カット)です。その名称の通り、「トレイル・リッジ・ロード」を通すため、岩山を爆破して造られた「切通し」です。

そして、Gore Range Lookout(ゴア山脈展望台)からの眺め、標高3,595mにあるAlpine Visitor Center、 標高3,279m”Milner Pass”(ミルナー峠)にある”Continental Divide”(大陸分水嶺)のサイン標識などが続きます。(紹介記事

さらに、”Milner Pass”に近く針葉樹林に囲まれたPoudure Lake”(パウダー湖)を過ぎると多くのピクニック・エリアがあり、「トレイル・リッジ・ロード」の西側にコロラド川が迫ります。

快適なドライブで「トレイル・リッジ・ロード」の終点である”Grand Lake”(グランド湖)の脇を通過し、さらに”Shadow Mountain Lake”(シャドー・マウンテン湖)”Lake Granby”(グランビ―湖)も通り過ぎました。

3つの湖の先にある”Granby”(グランビー)の町で「米ハイウェイ40号線」に入りました。西隣のユタ州から続いている道路でデンバーの西方約65kmの小さな町”Empire”で、「州間高速道路70号線」(メリーランド州とユタ州を結ぶI-70、全長3,462㎞)につながっています。

「キノコ岩」を出発して約2時間後、「米ハイウェイ40号線」沿いで”ARPAHO National Forest OVERLOOK“の看板を見かけました。その下には”MOFFAT TUNNEL”の表示もあります。

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Arapaho National Forestは「ロッキー・マウンテン国立公園」内にある国有林の一つです。注釈:"Arapaho"は先住民の一族名、”OVERLOOK”は見晴らし台を意味する

MOFFAT TUNNEL(モファット・トンネル)は「ロッキー山脈」(大陸分水嶺)を貫く鉄道トンネル(全長9,996m、標高2,816m1928年開通)で、開通時にはアメリカ大陸で最長のトンネルでした。このトンネルの開通により、それまで3,560mの峠越えをする鉄道が飛躍的に便利になったとのこと。なお、この鉄道はデンバーと西隣のユタ州ソルトレイクを結ぶ目的で建設されたもので、"Moffat"は鉄道会社の社長名のようです。ちなみに、衛星写真で確認できるように、「米ハイウェイ40号線」のすぐ西側に「モファット・トンネル」の"West Portal"(西出入口)があります。

ネット地図で丹念に探しましたが、”Arapaho National Forest OVERLOOK“らしき場所を見つけることができませんでした。なお、訪れた時の画面では片側1車線の狭い道路でしたが、現在は片側2車線の広い道路に改修されて、巨大なスキーリゾート地 WINTER PARK RESORT”が出来ています。30年が経過したことを思い知りました。

立ち寄った時に撮影した写真には急斜面をジグザグに滑り降りる長い滑り台と長いリフトが写っています。

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ですから、リフトを利用して上がった場所に”Arapaho National Forest OVERLOOK“があったのかもしれません。この考えから、それらしき跡地(大型駐車場の東側/山側)を見つけました。

見どころ満載で気になるスポットでしたが、時間の制約があるため、次の目的地である"Georgetown"(ジョージタウン)に向けて先を急ぐことにしました。ここで関連記事の投稿を小休止します。(続く)

2021年2月 3日 (水)

コロラド・ロッキーを巡るドライブ旅(その8) トレイル・リッジ・ロードでロッキー山脈を越える③

数分走って到着したのはMushroom Rocksキノコ岩)の入り口にある駐車場です。

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駐車場の一番手前にあるスペースに車を停めて、強風が吹き荒れる中、“Tundra Communities Trail”(ツンドラ・コミュニティーズ・トレイル、海抜12,110フィート/約3,690m)を前傾姿勢で上がりました。後方に長く続いているのは「トレイル・リッジ・ロード」(米ハイウェイ34号線)です。ちなみに、地図で確認すると、駐車場から「キノコ岩」まで約600m

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ビデオカメラを望遠にするとキノコのような不思議な形をした岩が右手前方に見えました。傘の部分が茶色い安山岩で、その下の茎に当たる部分は白く、形だけではなく色の対比は正にキノコと言えます。白い部分はおそらく石灰岩で、水に浸食されやすいため、このような形になったのでしょう。

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前方にY字路がありますが、“Tundra Communities Trail”は右手方向です。

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右手上方に巨大な岩が並んでいるのが見えます。

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Tundra Communities Trail”(最高地点:12,319フィート/約3,755m)を2/3ほど進んだところで右手に折れて脇道へ入りました。大きな岩の上に上がっている人たちが見えます。

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キノコ岩」にかなり近づきました。キノコ岩の後方にあるいくつもの巨岩は白い部分がなく、ほぼ茶色の岩として地表に露出しています。

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遊歩道の脇にある案内パネルには、『この小道を利用していたインディアンの情勢と子供たちは見つけた植物を楽しんだのではないか私は思わずにはいられない。もしそうであったなら、(以下省略)』 と詩が書かれています。

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男の子たちに続いて同行者も岩に登り始めました。

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岩の上に上がった同行者と子供たちは「方位図」を見つけたようです。"Tundra Communities Trail"の坂道を上(のぼ)り、さらに大きな岩の上まで登りましたから、今は富士山(標高3,776m)とほとんど同じ高さにいるのかもしれません。

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その後、男の子たちは別の岩に移動して、雄大な景色を楽しみ始めました。

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筆者も周囲を展望してみると、このエリアは比較的なだらかな高地であることがを理解できます。

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(続く)

2021年2月 2日 (火)

コロラド・ロッキーを巡るドライブ旅(その7) トレイル・リッジ・ロードでロッキー山脈を越える②

ビデオカメラを望遠にしてみると、200mほど先に”Forest Canyon Overlook"(フォレスト・キャニオン見晴台)ありますから、行ってみることにしました。

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そこに至るトレイルは見晴らしの良い場所あ続いているだけに強風が吹き抜けています。

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「ツンドラを保護するため遊歩道から出ないでください」と書かれた立て看板があります。

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ちなみに、「ツンドラ」(Tundra)とは寒冷地で降水量が少ない地域を指します。日本では富士山・飛騨山脈・大雪山など高山の山頂付近だけがツンドラ気候と呼ばれます。

"Forest Canyon Overlook"(フォレスト・キャニオン見晴台)には人だかりが出来ていました。

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下を覗(のぞ)くと岩肌が剥(む)きだした急斜面がずっと下まで続いています。

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正面には迫力がある山が聳(そび)えています。この辺りが「森林限界」であることがよく分かります。

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針葉樹林の中に小さな池のようなものが見えます。"Forest Lake"(フォレスト湖)でしょう。

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右手方向には"Specimen Mountainn"(海抜3,808m)などの山々を遠望することができます。こちらにはなだらかな山や丘のような地形が続いています。

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そして、左手方向も、"Longs Peak"(海抜4,346m)を始め、富士山を越える4,000m級の山々が

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“The Fragile Tundra”(か弱いツンドラ)の説明看板には、『エルク、バイソン、ビッグホーンたちがかつて歩き回った土地を今は何百万人もの人たちが旅行します。歩くことが高山ツンドラを破壊し始めたことにより、1959年に行われた研究によって、ツンドラの植物がいかに傷つきやすいかを知ることになりました。そして、今は高山のツンドラが回復するまで何百年もの長い時間がかかることも分かっています。ですから、ツンドラ保護地域にある遊歩道の外に出ないでください。できれば岩の上を歩いてください。』 とあります。

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ツンドラに生えている高山植物と後方に見える海抜3,000m超級の岩山群

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さらに高みを目指して「トレイル・リッジ・ロード」を北西方向へ走りました。

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(続く)

2021年2月 1日 (月)

コロラド・ロッキーを巡るドライブ旅(その6) トレイル・リッジ・ロードでロッキー山脈を越える①

旅の4日目である翌朝(1990年87日)に眺めた宿泊先(Motor Inn)の周辺です。

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宿泊地を出発して”US Highway 34"(米ハイウェイ34号線、エステス・パーク以西区間の愛称:”Trail Ridge Road"/トレイル・リッジ・ロードを西方向へ走りました。コロラド・ロッキーを横断(最高地点:海抜3,713m)して、その西側の山麓を南下するドライブ旅を計画したのです。注釈:"Trail"は「山の中の小道」を、"Ridge"は「山の背」「尾根」を意味する

参考情報です。コロラド・ロッキーのドライブ・コースとしては州都デンバーに近い東側の山麓を南北に伸びる"Peak to Peak Scenic Byway"が良く知られています。"Estes Park"から米ハイウェイ7号線・同72号線・州道119号線を利用する全長約89㎞の山岳道路(海抜約2,200m-約2,800m)で、美しい景色を楽しむことができるそうです。注釈:"Peak"は「峰」、"Scenic"は「風光明媚な」、”Byway”は「脇道」「間道」を意味する

閑話休題。旅の2日目である8月5日に「エステス・パーク」寄りの区間を走行した「トレイル・リッジ・ロード」(Estes Park-Grand Lake間約75㎞)をさらに先まで走行すると、"Sheep Lakes"(シープ湖)の畔に差し掛かりました。左奥に見える山は"Deer Mountain"と思われます。

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”Sheep Lakes"は名前から分かるように複数の湖で構成されています。

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2㎞ほど走行すると、大きなU字型のカーブの先に、展望兼駐車スペースがありましたので立ち寄ることにしました。緑の渓谷といくつも連なる岩山が「コロラド・ロッキー」らいし景観を構成しています。中央の手前にある山が"Bighorn Mountain"、その奥に見える一際高い岩山が"Mount Tileston"のようです。

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“What You see from here”(ここから見えるもの)の案内看板には山々の名前が書かれています。しかし、残念ながら画面が粗いため、読み取ることはできませんが、恐らく中央にある山が"Mount Tileston"でしょう。

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女性陣は岩の上へ

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岩陰にリスを発見

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半月型の駐車スペースに停めておいた車に戻ります。

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数分走った場所でも駐車スペースに車を停めて景色を楽しみました。

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さらに10分余り走った展望スペースに人だかりが出来ていましたので迷わずに立ち寄りました。

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山道をさらに走行します。

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道路脇の駐車スペースに“The Glacial Landscape”(氷河の風景)の案内看板がありました。

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(続く)

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