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2024年9月25日 (水)

岐阜県と愛知県の史跡を巡るドライブ旅(その7) 名古屋市守山区の白鳥塚古墳(前編)

県道176号線に戻ってさらに東進しました。若宮交差点で県道177号線に名称が変わり、薬師前交差点のすぐ先にある信号のない三叉路を右に進んで県道195号線に入ると、ほどなく小牧市に入りました。篠岡小学校南交差点を通過する際、前方に電波塔のようなものが・・。

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次の桃花台センター交差点近くの高台に建っているようです。右側には水道タンクのような施設(茶色のキノコ型とベージュ色の円筒形)も確認できました。

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後で調べると、高台にあるのは桃花台(とうかだい)中央公園でした。芝生広場、噴水、長いローラー滑り台、アスレチックなどが充実している小牧市の施設とのこと。なお、筆者が気付いたタワーは1986年に運用を開始したテレビ放送(アナログ放送)用中継所でした。2011年7月にアナログ放送が終了した後は、携帯電話の基地局として活用されているそうですが、鉄塔を撤去するかどうかはまだ決まっていないそうです。

中央高速道路の下を潜り、大草東交差点で県道199号線に合流し、高蔵寺北交差点で国道155号線に合流、新東谷交差点を左折した県道255号の高蔵寺駅南交差点を右折して東谷橋(とうごくばし)で庄内川を渡り名古屋市守山区へ入ると、次の目的地である国指定史跡「白鳥塚(しらとりづか)古墳」に到着です。

このように表現する(長い一筆書き風)と目が回りそうですが、次の目的地である「白鳥塚古墳」をカーナビがヒットしてくれましたから、その指示通りに走っただけなのです。なお、走行距離は15㎞強、所要時間は約45分。

「白鳥塚古墳」にはきれいな駐車場(4-5台)とトイレの施設が道路の反対側に完備されていました。

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白鳥塚古墳」とその周辺の案内地図には庄内川の南岸(左岸)の東部に拡がる丘陵地帯と右上から左下へ伸びる河川段丘の等高線(参照:案内地図の右下にある小さな図)が伸びる様子が描かれ、その中位段丘に「白鳥塚古墳」があることが示されています。

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拡大した地図で確認すると「白鳥塚古墳」以外にも多数の古墳が存在することと、大きな池がいくつも表示されています。

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道路を横断して「白鳥塚古墳」へ向かう途中にこの立て看板を見つけました。

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説明文は読み取れると思います。

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入口は近いようです。

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右手を見ると一面の草原があります。

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縦格子フェンスに両側を挟(はさ)まれたところが「白鳥塚古墳」の入口のようです。駐車場から100m余りの距離でした。

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門の中には車止めがあります。

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右前方にある「史跡 白鳥塚古墳」と彫られた石柱

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その右手には「国指定史跡 志段味(しだみ)古墳群 白鳥塚古墳」の説明パネルがありました。

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説明文は以下の通りです。

志段味(しだみ)古墳群は、濃尾(のうび)平野の東端に位置し、4世紀前半から7世紀末(古墳時代前期から終末期)に造られた総数約70基の古墳から構成されます。
白鳥塚古墳は、4世紀前半(古墳時代前期半ば)に築かれた愛知県で最も古い前方後円墳です。墳丘の長さは約115mで、県内で3番目の大きさです。古墳の周りには濠(ほり)がめぐり、後円部北側には渡土手(わたりどて、陸橋)が設けられていました。
埴輪(はにわ)が見つかっていないことから、この地域には埴輪を並べる文化が伝わる以前に造られた古墳であると考えられます。
渡土手があることや、墳丘が白色の石(石英)で飾られることなど、白鳥塚古墳と奈良県の大型前方後円墳には共通点が認められることから、白鳥塚古墳の被葬者(ひそうしゃ)はヤマト王権と強い結びつきがあった人物と推定されます。

説明パネルの右側にある地図には白鳥塚古墳を巡るルートが表示されていますので、これに従うことにしました。

後円部へ向かう直線的な道は、一旦急な階段を下り、その上で階段を上がるように続いています。

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上り階段の手前に「白鳥塚古墳の名前の由来」を説明するパネルがありました。葺石(ふきいし)として使われた石英の白さと、伊吹山で傷をおったヤマトタケル(日本武尊)を尾張まで運んだ白鳥の墓であるとする伝説によると説明されています。

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急な階段を上がります。

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階段の後に続く砂利道を上がると後円部の頂部が近づきました。

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頂部には小石を敷き詰められた円形状のものがあります。

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右手にある説明パネルには「白鳥塚古墳の埋葬施設」について説明されています。

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説明文は以下の通りです。

昭和初めに後円部墳頂中央部の発掘が行われましたが、埋葬施設や福装品は見つかりませんでした。これまで後円部墳頂の学術的な発掘調査は行われていません。
2006(平成18)年に実施された物理探査(レーダ探査・電気探査)では、南北方向を主軸とする二つの埋葬施設が東西に並んで存在する可能性が指摘されています。
なお、後円部墳頂の平坦部には、石英の小礫(しょうれき)が敷き詰められていたと考えられます。

指定されたコースに従って次へ進みます。(続く)

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