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2024年9月22日 (日)

岐阜県と愛知県の史跡を巡るドライブ旅(その4) 岐阜市・金鳳山正法寺の岐阜大仏と岐阜市長森の琴塚古墳

長い一日に疲れた初日はJR岐阜駅に近いホテルに宿泊しました。かなり前に予約を入れていたのですが、その内容について筆者が大失態していたことが発覚しました。なんと宿泊日を間違えていたのです。

ホテル側のご好意により何とか宿泊させてもらうことができました。どっと疲れが出た筆者は、夕食のことを忘れて、自室のベッドで「白河夜船」状態になっていました。これが幸いし、爽快な気分で翌朝を迎えました。

窓越しに外を見ると曇天でした。天気予報では雨模様とも。金華山とその山頂に聳(そび)える岐阜城が確認できます。

なお、右側にある赤白に塗り分けられた電波塔「上加納山タワー」(1967年建設)は岐阜県南部地域内向けに電波を発射するテレビおよびFM放送用電波塔です。また、岐阜城との間に建つもう一つの電波塔はNHK岐阜放送局の電波塔で、地デジテレビとFM放送送信しているそうです。

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しかし、朝食から戻った時には、金華山の山頂付近が低く垂れこめてきた雲に覆(おお)われてしまいました。このため岐阜城の姿も・・。

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長良川河畔から金華山と岐阜城を写真撮影する計画は中止して、次の計画に移ることにしてホテルを出発しました。JR岐阜駅前を通過します。

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正面に見えるのは黄金に輝く織田信長像(後ろ姿)です。

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旧聞ですが、2022年11月6日に開催された岐阜信長祭には俳優の木村拓哉さんが信長に扮(ふん)し、地元岐阜出身の俳優伊藤英明さんとともにて登場したことで、46万人の観客が沿道沿いに集まって声援したそうです。これは岐阜市民の数39.4万人を大きく上回る人数です。

岐阜市街の北東にある岐阜公園前交差点を右折して折り返すように南下しました。一方通行の道路に右前方に寺院の建物が見えてきました。

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幸いにも道路に面した場所に7-8台分の駐車場がありました。無料です。

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見上げると三層構造の大きな建物です。

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駐車場に車を停めて細い道を抜けて建物の正面に出ました。左側に入口があるようで、受付所のような小屋が見えます。

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『日本三大仏 岐阜大仏殿』 と書かれた案内看板があります。

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ここは岐阜市大仏町8番地にある禅宗のお寺である「黄檗宗(おうばくしゅう)金鳳山(きんぽうざん)正法寺(しょうほうじ)」の大仏殿です。

『金鳳山正法寺は、天保3年(1683年)に大休(だいきゅう)禅師の命を受けた廣音(こうおん)和尚が金華山山麓の当地に草庵を結んだことに始まりました。開山は大休禅師の希望から祖翁千呆(せんがい:黄檗大本山萬福寺第六代住持)禅師とし、黄檗山萬福寺の末寺として今日に至っております。開創当時における正法寺の堂宇(どうう)は「獅子窟」の様相が伺えられ、大仏殿建立はのちの第11代惟中(いちゅう)和尚の時代であります。』(出典:正法寺の案内パンフレット)

入館料200円を窓口に差し出して入館しました。すぐ左手にある仏像は説明書きに寄れば、『「賓頭盧(びんずる)様」はお釈迦様の弟子であり十六羅漢の第一の人である。我国では古来からこの仏様を信仰すれば無病息災といわれています。自分の患部をなぜ、この仏様の同じ部分をなでると病気が除かれ霊験あらたかといわれています。』

7年前の12月には筆者一人で訪れた場所で、今回は同行者にも紹介したかったのです。内容が重複しますから、2017年12月20日のブログ記事を参照してください。

20分ほど滞在したあとは次の目的地である「琴塚古墳」へ向かいました。

一方通行の道をさらに南下します。

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小熊町2交差点を左折して県道152号線を東進、鶯谷(うぐいすだに)トンネルに入ります。なお、金華山南麓に造られた同トンネルは岐阜市の中心部と同東部を結ぶ至便なコース(ショートカット)です。

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折れ曲がった道を進むと金園町9交差点で国道248号線に出ました。ここを左折して東進し、北一色1交差点を直進して県道92号線に入ります。500mほど先の北一色7東交差点を右折(斜め右方向)して県道205号線をさらに2㎞余り東進しました。筆者のカーナビには琴塚古墳が登録されていないようなので、琴塚の地名を頼りに進みました。

東海北陸自動車道の少し手前、琴塚3交差点を過ぎた信号のない交差点を左折すると500mほど先(北方向)に琴塚古墳(国指定古墳)がありました。ここまでのルートは筆者が事前調べた情報にしたがったのです。なお、正法寺からの所要時間は約20分。

手前には琴塚公園と表記された看板があることから間違いなさそうです。。

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公園の入口から右前方を見ると滑り台があります。

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公園内に入って左手方向を見るとブランコも。普通の児童公園です。

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一方、右手方向には案内看板のようなものがあります。なお、先の方に見えるのはトイレのようです。

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案内看板には「琴塚古墳」の概要が説明されていました。

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説明文は長くなりますが以下の通りです。

琴塚古墳 国指定史跡 昭和9年(1934)8月9日指定

琴塚古墳は、全長約115mの岐阜県内で3番目の大きさを誇る前方後円墳です。周辺には各務原市にかけて4つの前方後円墳でこうせいされる古墳群がありましたが、現在は琴塚古墳と柄山(からやま)古墳(各務原市)のみが残っています。

前方後円墳とは、前方部と後円部の墳丘(ふんきゅう)を組み合わせた形の古墳で、古墳が造られた当初は後円部が大きく・高く造られていましたが、次第に前方部のほうが幅広く・高く造られるようになります。墳丘には段々状のものもあり、段の数は被葬者の格式と関係があると考えられます。

琴塚古墳は前方部と後円部がほぼ同じ巾であり、この形から5世紀頃に造られたと考えられ、墳丘は樹木に覆われ明瞭ではありませんが、形式の高い三段に築かれていた可能性があります。また周囲には岐阜県内では珍しい二重に巡らされた堀が造られました。現在外堀はほとんどが畑や道路の下に隠れていますが、外堀を含めた範囲が国の史跡に指定されています。

被葬者は、電照では景行天皇の妃である五十琴姫命(いそことひめのみこと)であると言われていますが、明らかにはなっておらず、埴輪や副葬品などの遺物もほとんど発見されていません。しかし、全国の同じ時期の古墳では鏡や武器・武具などの副葬品が多く見つかっており、琴塚古墳でもこのようなものが納められたのかもしれません。

現在、琴塚古墳は琴塚顕彰協会や地元の人たちによって保護活動が行われ、大切に守られています。

令和2年9月 岐阜市


公園とはフェンスで仕切られていますが、その左手に「琴塚古墳」の入口がありました。二重豪の内堀のようです。先ほどの案内看板にあった地図から判断して樹木に覆われた右手エリアが前方部と思われます。奥の方、少し迫り出したエリアが後円部と造り出しでしょう。

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右前方に石碑のようなものが確認できます。

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近づいてみると「史跡 琴塚古墳」の概略説明でした。

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記載されている内容は次の通りです。

位置 岐阜市長森左衛門新田
面積 279アール
指定 文化財保護委員会
   昭和9年8月9日
形状 平地に築かれた二重の周濠をもつ前方後円墳である
   墳丘の全長115m後円部の直径69m 高さ10.5m
   前方部の巾74.2m 高さ7.8m 内豪の巾約18.2m
   内堤の巾14.5m 外豪の巾72m
付記 この古墳は柄山古墳などと共に前方後円墳群を形成し
   この地域には約 200年前に有力な豪族が栄えて
   いることを推定させる 古墳時代中期のものとして
   代表的なものである
昭和38年5月
岐阜市教育委員会


直線的な境界(前縁)が右手方向へ続いており、その中央部に祈祷所と思われるものがあります。

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左側の石柱には『琴塚御墓  兆域 東西7間 南北88』と刻まれています。

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前方部の右手へ廻って見ることにしました。開けた場所は草が生い茂っていますが、何とか歩けそうです。雨に濡れた足元に注意しながら進みます。

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大きな樹木が並んでいる所まで進み、左手から伸びる樹木の枝を押し上げて覗(のぞ)きました。すると、前方部のフェンスがさらに先へと直線的に続いたところで右手へ大きく曲がっていることが見て取れました。ただし、造りだしと後円部の形までははっきりしません。

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もう少し先まで進みたいところですが、足元の悪さと枝の張り出しが邪魔になります。ここは無理をしないで引き返すことにしました。先の長い史跡巡り旅ですから。後知恵ですが、前方部の左側にある小径の方が歩きやすかったかもしれません。

なお、琴塚古墳の航空写真はこちらのサイトで見られます。

琴塚古墳の周囲を巡った後になって気づきましたが、公園の右隣に2台分ほどの舗装された駐車スペースがありました。(続く)

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