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2024年9月24日 (火)

岐阜県と愛知県の史跡を巡るドライブ旅(その6) 犬山市青塚の青塚古墳

国道21号線をさらに東進した鵜沼I.C交差点で県道207号線に入りました。さらに、鵜沼東町交差点を右折して県道27号線に入り、木曽川を渡って愛知県犬山市に入りました。犬山橋の上から右手方向に国宝犬山城を遠望することができます。

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4㎞ほど南下した五郎丸交差点(立体交差)で国道41号線(名濃バイパス)へと右折して犬山市青塚(あおつか)にある「青塚古墳」へ向かいました。片側3車線の走りやすい道路です。なお、国道41号線は名古屋市と富山市を結ぶ主要道路で、途中に岐阜県の下呂市と高山市を経由します。

5㎞余り走った新宮2丁目交差点を左折して県道176号線に入り、1㎞ほど西進して右手にある「青塚古墳史跡公園」の駐車場(20台)に車を停めました。とは言っても、カーナビに次の目的地を入力せずヤマ勘で走っていたため、少し行き過ぎてから引き返しましたが・・。

「青塚古墳」に沿って水が滔々(とうとう)と流れる農業用水沿いの道を歩き、200mほど先の十字路を右手に折れました。右手の角には「青塚古墳」と関係がありそうな建物があります。

初秋であり田んぼでは稲穂が実りつつあります。給水路(次の写真の右側)から田んぼへ間欠的に水を供給して水を張ることで稲の成長を促(うなが)しているのでしょう。そして、稲刈りの1-2週間前には最後の落水を行うのです。筆者の生半可な知識ですが・・。

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右手にある建物を過ぎると、生垣越しに国指定史跡の「青塚古墳」の全景が姿を現しました。

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さらに進んで敷地の奥に門のない入口を見つけました。敷地内左手には簡単な休憩施設(東屋とベンチ)があります。

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右手には三角屋根の立派な建物があります。これは先ほどすぐ脇を通過した建物です。

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古墳に近づいてみました。

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前方部の角に『古墳(墳丘)には登らないでください。』と書かれた看板が下がっています。

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前方部のもう一つの角には住宅が迫っているため、敷石と2m間隔で配置される壺型埴輪の列が途切れています。とは言っても、歩いて通過するには支障がなさそうです。

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前方部の反対側に出ました。ここから見ても後円部の高さが目立ちます。

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左手には蒲(がま)が植えられた水田があります。よく見ると穂が実っています。古代の雰囲気を演出するための環境でしょう。蒲の穂は切り傷に薬効があるそうで、古事記に記されている因幡(いなば)の白兎(しろうさぎ)と大国主の伝説に重要な役回りで登場します。なお、蒲の穂は、薬用としてだけではなく、地下茎とともに食用としても利用できるそうです。

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さらに進むと、前方部と後円部の境目(くびれ部)付近に差し掛かりました。

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ここにも先ほどと同じ看板があります。

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蒲の水田を過ぎると左手に折れる道がありましたので、興味を持ってそちらへ進んでみました。次の写真は左手に見える蒲の水田方面を写したものです。

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次の写真は振り返って後円部を写したものです。

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道の反対側には説明看板がありました。

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説明文は以下の通りです。

青塚古墳について

青塚古墳は、愛知県で2番目に大きい規模をもつ前方後円墳です。別名「王塚」、「茶臼山」と呼ばれています。この古墳は、犬山市から南方6㎞、標高31mの台地の端に築かれ、古墳の西側には木曽川によって形成された平野が広がります。

青塚古墳の形状は、前方部・後円部共に低い基壇(きだん)の上に築かれており、前方部2段・後円部3段の築成であります。また、各段のテラス(平坦面)には壺型埴輪(はにわ)が並べられています。前方部の墳頂には低い壇があり、この壇を囲むように円筒埴輪・鰭(ひれ)付朝顔型埴輪などが並べられています。

青塚古墳の周りは、自然の地形を利用した空堀の周濠(しゅうごう)があり、この周濠からは古墳東側のくびれ部より外に向かって延びる陸橋があります。注釈:陸橋は敷地東南にある建物方向へ

古墳の築かれた時期は、出土した埴輪などから4世紀中頃の古墳時代前期に造られたものと思われます。

前方後円墳(4世紀中頃) 国史跡指定(1983年2月8日)
保存整備事業(1996年度~1999年度)

全長       123m        くびれ部高    5.5m
後円部径       78m        前方部長      45m
後円部高     12m        前方部幅      62m
くびれ部幅    43m        前方部高      7m

事業者 犬山市


さらに進むと道路に出ました。ここが「青塚古墳史跡公園」の正面口であることが分かります。次の写真は駐車場から続く道です。

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後円部の周回ルートに戻りました。長い草が生い茂っているためはっきりしませんが、三段構造になっているようにも見えます。

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広場側へ出ました。正面に先ほどの建物があります。

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前方部が少し見えてきました。

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ここで、建物の方へ向かうことにしました。

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花壇の縁に見えた説明看板です。先ほどの説明看板とは異なりカラフルです。周郷を取り囲む外提部に烏(からす)塚古墳耳塚古墳(消失)が表示されています。

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説明文は以下の通りです。

国指定史跡 青塚古墳  墳長 123m  墳形 前方後円墳  時期 4世紀中頃(古墳時代前期)

青塚古墳は4世紀中頃(古墳時代前期)に造られた愛知県で2番目に大きい前方後円墳です。標高31mの台地の端にあり、古墳の西側には平野が広がります。古墳は、低い基壇(きだん)の上に後円部が3段、前方部が2段に築かれています。段ごとの平坦部には、赤く塗られた壺形埴輪が並び、前方部の頂上には、方形壇((注釈:羽柴秀吉と織田信夫・徳川家康の戦)を囲んで円筒埴輪、朝顔形埴輪が並んでいました。また、古墳全体は大量の河原石で覆(おお)われていました。古墳の周りには周濠(堀)と外提が巡(めぐ)り、周濠(しゅうごう)を横切って古墳に向かう通路(陸橋部)がありました。
1584(天正12)年の小牧長久手の戦い(注釈:羽柴秀吉が織田信雄・徳川家康と戦った)の際には、秀吉の砦(とりで)として利用されたとも伝えられます。


蛇足ですが、青塚古墳周辺に存在する烏塚古墳(注釈:青塚古墳の南西隣り)、花塚1号墳、2号墳、3号墳(注釈:青塚古墳の南西部)、尾張地区最古とされる東之宮古墳など多くの古墳が発見されているそうです。

立派な建物はガイダンス施設の「まほろ館」でした。
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開館中の標札が出ていますが、時間を確認すると午前12時40分を過ぎていました。スケジュールがかなり押していますから、先を急ぐことにします。(続く)

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