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2024年10月

2024年10月31日 (木)

水道橋のイタリアン料理店GAZZOでランチを楽しむ!(後編)

Antipasto(前菜)は「ディルでマリネしたノルウェーサーモン」かと思いましたが、別の魚が使われているようです。薄く切られた魚肉にそぎ切りされた玉ねぎと「魚のハーブ」と呼ばれるディルが添えられています。なお、マリネとは肉や魚・野菜などを酢やレモン汁などの浸し汁に浸した料理法またはその料理を意味します。

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爽やかな香りとソフトな食感があり、美味しく食べました。

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次いで、賽(さい)の目に切った香ばしいバケット(注釈:フランスパンの一種で長細いタイプのパン)と、

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野菜サラダです。

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二つの前菜を取り分けると、サラダとバケットの柔らかい食感としっかりした味が楽しめました。

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Main(主菜)は「豚肩ロース 炭火焼き〜グリーンペッパー香るタプナードソース」はプロヴァンス伝統のオリーブペーストのようです。

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美味しい肉です。

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Pasta(パスタ)のボロネーゼ・ロッソは、ひき肉と玉ねぎ、トマトなどの野菜を赤ワインで煮込んだ赤いソースを使っているようです。

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円筒状の両端が斜めにカットされたペンネ(名前の由来:形状がペン先に似ている)は穴が開いていることで味が浸み込みやすいのが特長です。

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いずれも美味しく食べました。各テーブルで6名がシェアしたため食べ切れなくなることがなく、小食家である筆者は安心して気持ちよく味わうことができました。なお、料金に合わせてスタンダードコースの内容が少しだけ簡略化されているようですが、筆者には十分な内容と量でした。

旧友との会話とイタリア料理を楽しむ会は予定通りに2時間でお開きになりました。

筆者は「白山通り」の三崎町交差点に出ました。

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往路とは逆に「白山通り」を南へ歩きます。往路とは違う景色が見られることを期待しました。

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タイ酒場「バンコック コスモ食堂」の前には数人の人が入店を待っているようです。『タイ料理人のレトロな酒場』と書かれた看板が正面に掲げられています。

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まあまあ屋 にこみ・めし」とは変わった店名ですが、定食屋さんです。

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交差点から神保町交差点方面を望みました。

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往きでも見かけた「アムールショップ」です。

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神保町交差点の少し手前に「神保町駅」の案内看板がありました。

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往く時に確認した神保町駅のA4出入口です。復路ではここから神保町駅に入ります。

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下り階段の先に上り階段が見えます。この先にはA3出入口があるのでしょう。

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B2Fの地下通路に入ります。左前方が都営新宿線と都営三田線、そして半蔵門線は直進です。

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案内表示に従って下りのエスカレーターに乗ります。なお、現在は見かけることが少なくなった公衆電話を左端に入れて撮影しました。後で気づきましたが、「傘レンタル」お看板が写っています。何と、『3か月使い放題 ¥0』とのこと。ただし、新規アプリに登録する必要があるとの但し書きがありました。

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エスカレーターで下がったB3Fの右側に半蔵門線の改札口がありました。

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神保町駅構内の構成を思い出したようで、復路では駅構内をスムーズに通過することができました。神保町駅と神田三崎町の間を往路と復路とも散策した(注釈:都営三田線を利用して水道橋駅で下車することも可)ことで、食事会の楽しさが二倍になったようです。(終)

2024年10月30日 (水)

水道橋のイタリアン料理店GAZZOでランチを楽しむ!(前編)

古い友人たちとの定期的な会食会が今年も開かれました。今回の会場は千代田区三崎町にあるイタリアン料理店「GAZZO(ガッツオ)水道橋」です。地理的にはJR水道橋駅が最寄り駅ですが、筆者は電車の便が良い東京メトロ半蔵門線の神保町駅から歩くことにしました。当日は曇天ですが、雨の心配はなさそうです。

プラットフォーム後方のエレベーターを利用したためA1/A2出入口方面に出てしまいました。筆者が心積もりしていたA3出入口はプラットフォーム中ほどのエスカレーターを利用すべきでした。しかも、A1/A2出入口方面とA3出入口方面は通路で繋(つな)がっていないのです。迂闊(うかつ)でした。

次の写真はプラットフォーム階(B3F)から利用したエレベーターをB2Fで降りて都営新宿線の改札前を通過し、地上(A2出入口)へ上がるためのエレベーターへ向かう通路です。(参考:神保町駅構内立体図

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A2出入口の外観です。

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予定したルートの出発点より後退したポイントから出発することになりました。さっそく神保町交差点へ向かいます。170mほどの距離です。

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50mほど先にあるA3出入口の前を通過します。

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神保町交差点に出ました。右前方のエリアが古書店街です。7年前には一帯を散策していますから、神保町の蘊蓄と古書店街についてはその時のブログ記事を参照してください。なお、その時にはA3出入口から地上へ出ていました。今回はこの交差点を左折して「白山通り」(都道301号線)を北上します。なお、交差点内の赤い塗装は運転者に横断歩道などの存在を促すのが目的です。

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白山通りに入って20-30mの場所にA4出入口を見つけました。ここが一番近い出入口のようです。

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東京都千代田区一ツ橋から豊島区西巣鴨までの道路名である「白山通り」は神保町交差点を離れると、両側に飲食店や大学の施設が並ぶ街並みは落ち着いた雰囲気があります。「神田白山通り商愛会」の垂れ幕と「らーめん」の幟(のぼり)が次の写真に写っています。なお、白山通りの西側エリアは「神西町会」と呼ばれ、白山通りの反対側(東側、神保町一丁目北部町会)にはオフィスビルが並んでいます。

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本・ビデオ・雑誌・DVDの「アムールショップ」です。

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"DOUTOR"神保町白山通り店

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内蔵専門店には長い人の列ができています。内蔵専門店の暖簾(のれん)が掛かる卸)神保町食肉センターの『ランチ・焼肉食べ放題 1,000円』は魅力ですから人が並ぶのは頷(うなづ)けます。

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マツモトキヨシ 薬 神保町店(左手前)の先にはレコードを売買する富士レコード社本店と個室居酒屋 串神坊が並んでいます。

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交差点の左角にあるのは鳴門鯛焼本舗神保町店、その先には"BURGER KING"神保町店、タイ酒場、炭焼居酒屋 鶏や 神保町店などが並んでいるのが見えます。車道寄りの歩道には『カンダ かんだ 西神田(西神田』の垂れ幕が・・。

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「東京ハーフマラソン」開催のために白山通りで交通規制が10月20日に行われるようです。三崎町交差点の先(左側)には吉野家水道橋美崎町店がありますから、目的地は近いようです。なお、その2階はシンガポール海南鶏飯水道橋本店です。

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神保町駅から約500m先(徒歩約分)の三崎町交差点の北東角には"NIHON UNIVERSITY COLLEGE OF ECONOMICS"(日本大学経済学部)の白い建物があります。なお、右隣りで工事中の建物も関連施設のようです。

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三崎町交差点を左折しました。

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右前方にある建物は日本大学法学部2号館でした。なお、左手に写るのは日本大学法学部15号館。

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日本大学の施設に挟まれた三崎神社通りに入ると、左前方に目的地と思われる建物がありました。

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外観は縦長のオフィスビルで、一階のエントランス上に"GAZZO"と大きく表示されています。なお、左端にはオフィスがあると思われる上階へのアクセス階段がありました。住所:東京都千代田区神田三崎町2-2-15 大場ビル1F

さて、会場に選ばれた"GAZZO"は『ワインが大好きなお肉屋さんちの炭火焼きイタリアン』 と表現されています。なお、筆者の個人的な意見ですが、店名はイタリア北東部にある小さな町の名前に由来するのかもしれません。

店内に入りました。奥に長く伸びるレイアウトと落ち着いたインテリアがイタリアン・レストランらしい雰囲気を醸(かも)し出しています。3つのエリアをフル活用すれば最大36名まで着席が可能とのこと。

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幹事さんが予約していたメニューはランチのスタンダードコースのようで、「飲み放題(2時間制、30分前ラストオーダー)」のサービスがあります。

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生ビール(サッポロ黒ラベル)、ワイン(赤・白)、ワインカクテル、ハイボール、カクテル各種(ジン・ウォッカ・ラム・カシス・カンパリ・梅酒 etc...)、ソフトドリンク各種など約50種のメニューが揃っています。

筆者は白ワイン(クレバール・シャドネ)を選びました。

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食事の内容は後編で紹介します。(続く)

2024年10月25日 (金)

インプラントの歯が外れてしまいました!

失われた歯をカバー・再生する手法の一つであるインプラントは費用は高額ですが、自然の歯と同様に扱えることで人気があるようです。つまり、元の歯とほぼ同様に歯磨きなどの手入れができることも大きなメリットです。一方、入れ歯(部分入れ歯・総入れ歯)はインプラントと比べると安価ですが、食後には入れ歯を外して清掃する必要があるなど何かと面倒です。また、その中間的な存在としてブリッジ(固定式)もあります。

筆者は中学生時代に虫歯になった奥歯の治療(注釈:一部被覆冠のクラウン)を受けましたが、その約30年後に痛みが発生したため赴任先であるアメリカの歯科医院で再治療を受けました。複雑な形状の神経を抜くために別の専門医にその処置を依頼するなど大変でしたが、奥歯の上部を削除してクラウン(全部被覆冠)を被せることで治療が終了しました。

アメリカでの医療費は日本の10倍以上と高く、治療内容によっては100倍程度と高額になる場合があります。幸いなことに、筆者が勤める会社が加入していた民間の医療保険を利用すれば、自己負担分は日本の医療費並みに抑えられます。そして、この自己負担分は本社(日本)の保険組合に申請することで、2段階の保障により日本並みに抑えられました。

アメリカで治療を受けてから10年後(帰国後)、その奥歯の噛み合わせ調整が良くない上に歯軋(はぎし)りの癖があるため、その圧力により歯根が折れてしまいました。つまり、歯根破断です。そのため、その時(今から20年ほど前)にその奥歯を抜歯してインプラントを挿入しました。その後の経過を考えると、その選択は正しかったと思われます。

しかし、理想的と思われたインプラントにも不便なことがあったのです。まず、歯茎(はぐき)の磨き方が他の歯と微妙に異なることです。それは、歯の下部が歯茎(はぐき)に覆(おお)われている他の歯と異なり、インプラントの上部構造(歯冠部分)は歯茎の上に載(の)っているだけであるため、構造的に食べ物が詰まり易いのです。したがい、歯間ブラシやフロストは欠かせません。そのことを除けば負担に感じることはないのですが・・。

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しかし、ある日のこと、朝食を食べている時に口の中に異物があることに気づきました。インプラントの上部構造が突然外(はず)れてしまったのです。4年ほど前にもあったのと同じトラブルです。週末明けにかかりつけの歯科医院へ朝一番に電話して、その日の午前中に歯科医院を訪れました。

診察してくれた歯科医師は上部構造(歯冠部分)とインプラント本体(チタン製)を接続するアバットメントが古い形式であるため、その接続部が取れやすいことを説明してくれました。つまり、セメントで接着されているだけであるため、接続部が緩(ゆる)くなったり、上部構造(歯冠部分)が取れてしまうことがあることです。このことは4年前にも聞いた記憶があります。一方、新しいタイプのアバットメントは上部構造(歯冠部分)ともネジで固定するタイプのため、上部構造が取れることはほとんどありませんと。

そして、新しいアバットメントに取り替えることは可能だが、新旧アバットメントの差額費用(56,100円)が発生するそうです。また、取れては困りますから、今回は交換してもらうことにしました。さっそく、歯科医師は作業に取り掛かってくれましたが、問題があることが判明。インプラント本体にネジで固定されているアバットメントのネジが変形し食い込んでいるためアバットメントを外せないのです。

すでに元の接続方法は断念しています。歯科医師がアドバイスする唯一の解決策として、メーカーから特殊な工具を取り寄せる一週間後に作業を継続することになりました。それまでは歯が一本無い状態ですが・・。この日の治療費は無償でした。

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一週間後に歯科医院を再訪しました。細い治具をアバットメントに打ち込み、その反対側に工具をセットして回転させると、アバットメントが回転し始めて、今回はスムーズに外れました。これで問題は解決して次の工程へ進めるのかと思いましたが・・。歯科医師はもう一つの問題があることを告げました。歯茎(はぐき)の上部が腫(は)れているため、上部構造が正常な高さに固定できないことです。

飲み薬で腫れを改善した上で、もし必要があれば外科的手法で歯茎の高さを調整することになるかもしれないとの診断を告げられました。インプラント体を顎(あご)の骨に埋め込んだ20年前の手術だけでなく、本格的な外科手術(開腹手術)を二度受けた経験などから、麻酔手術に慣れている筆者は歯科医師に任せることにしました。一週間後に予約を入れました。インプラントには仮蓋(かりぶた)を設置。なお、治療費は1,100円です。

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3回目の治療は歯茎の状態を確認した上で、上部構造の型取りがありました。インプラントの仮蓋(かりぶた)を外してから型取り用の棒をインプラントに挿入。あとは光線の出る装置を使って型取りする上部構造の場所および周辺部を測定。タイプの異なる装置も使われました。続いてインプラントのある右下の歯をスキャンし、噛み合わせた状態で右上の歯もスキャンされました。前回(4年前)に受けた治療と同様であることを思い出しました。この日は型取りまででしたから、所用時間は約40分。料金は1,100円でした。

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4回目(3週間余り後)の治療はいよいよ新しい上部構造の調整と固定プロセスです。具体的には、噛み合わせ調整、高さ調整、仕上げの磨き、などに丁度1時間掛かりましたが、まったく痛みは無く終了。健康保険が適用されないので、支払い金額は56,100円でした。これで上部構造が脱落することはもうないでしょう。一安心です。加えて、噛み合わせはこれまで経験したことがないほど自然なのです。

2024年10月21日 (月)

くら寿司で「とろと北海道フェア」を楽しむ!

くら寿司で「とろと北海道フェア」が開催されていることを知り、さっそく出かけました。日曜日であることから「午前1130分の席を予約」することは忘れません。5分前に到着した店舗の駐車場はほぼ満車状態です。入口脇の端末で予約済みを選び、予約番号を入力すると案内票(テーブル番号)が出力されました。若番ですから、店舗の奥へ進みます。目のこですが、7-8割の席が埋まっているようです。

タッチパネルで「とろと北海道フェア」のメニューに該当すると思われる「お勧めメニュー」からまず選ぶことにしました。

珍しいメニューである「北海道秋刀魚にぎり」(180円)

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次いで、「濃厚うに」(230円)

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「北海道ほたてにぎり」(250円)

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「ほたるいか沖漬け」(150円)注釈:境港産(鳥取県)とのこと

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「大葉えんがわ(かれい)」(165円)

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「ふり塩熟成中とろ」(115円)x2

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そして、「ふり塩熟成大とろ」(345円)x2

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「北海道しまそい」(115円)

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「北海道フェア」外のメニューとしては、「明太小柱」(115円)

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「甘海老にぎり」(115円)

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「たこキムチ」(115円)

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「大葉真イカ」(115円)

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「ごまだれサーモン」(115円)

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今回のデザートに同行者が選んだのは「モンブランパフェ」(680円)

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ガチャポンが当たりました。

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中に入っていたのは、「マーシャル・D・ティーチ」の缶バッジでした。

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会計は17品の合計で3,410円でした。上記の内容と一致しない理由は、同行者が回転レーンから選んだメニュー2点(各115円)を筆者が認識しなかった(撮影できなかった)ためです。この日はお腹の調子がいつになく良好で、直行レーンで運ばれたメニューと、同行者が回転レーンから選んだメニューの皿が溜(た)まらないように食べ切ることができました。ご馳走様でした。

2024年10月 7日 (月)

岐阜県と愛知県の史跡を巡るドライブ旅(最終回) 帰路は岡崎ICから東名川崎ICまで

午後4時30分ころ、岡崎ICから東名高速道路に入り、9月下旬まで東名リニューアル工事が行われている音羽蒲郡ICと豊川ICを経て静岡県浜松市浜名区の三ケ日JCTで新東名高速道路(連絡路、片側2車線)へ逸(そ)れました。通行する車はほとんどいません。

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新東名高速道路の富幕山(とんまくやま)トンネル(上りの長さ:1,550m)に入ります。ここでは最高速度が80㎞/hに制限されています。

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いなさICを過ぎたいなさJCTで新東名高速道路の本線(上り線)に入りました。こちらも走行する車はごく僅(わず)かです。

前方に見えるのは都田川(みやこだがわ)橋。PC2径間連続エクストラドーズド橋(橋長268m、支間長133mx2)。中央に高さ56.4mの橋脚3本の上に繋(つな)がる主塔が3基並ぶとともに、それらに挟(はさ)まれた橋桁(はしげた)と斜材(ケーブル)で上下線(各3車線)を支えています。景観を重視したスマートなデザインです。

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新東名高速道路(上り線)は浜松SA方面へ向かって一直線に伸びています。

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浜松SAに近づきましたが、今回は通過します。駐車場の混雑を避けるためです。

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その代わりとして次の遠州森町PAに立ち寄りました。しかし、ここの駐車場もほぼ『満車』状態でした。唯一『混雑』と表示された一番奥のエリアで何とか空きスペースを見つけることができました

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西方が夕焼け空になりました。

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20分余りにわたって休憩と買い物をした後、おもむろに出発しました。ほどなく、路肩で電光式標識に『走行注意』と点灯する業務用車両(高速道路パトロールカー)が停まっているのが確認できました。この先に何かあるのでしょうか?

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筆者の懸念(けねん)は杞憂(きゆう)に終わりました。

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日が暮れてあっと言う間に暗くなりました。前方の電光表示板に混雑状況が表示されています。なお、夜間で照度不足のためこれ以降の写真(画面)がブレていることをご容赦(ようしゃ)ください。

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トンネルに入ります。この先にある2か所のPAに混雑はなさそうです。

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さらにトンネルが続きますが、前方に車が少ないことで一定速度で走行することができます。

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対向車線からの光が眩(まぶ)しい理由は何でしょうか?

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少しづつ車の数が増え始めたようです。とは言っても、路肩の案内標識は正常走行ができていることを示しています。

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第一走行車線に車が並び始めました。「新富士IC」から下道へ出る車でしょう。

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突然、雨が降り始めてフロントグラス(正式名称:フロント・ウインドシールド・ガラス)を濡らし始めました。ちょうど、左前方に「駿河湾沼津SA」が見え始めた頃です。なお、「駿河湾沼津SA」も「浜松SA」と同じ理由で通過します。

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先を走る車の速度が低下して、車間距離も短くなりました。

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ここは東名高速道路と交わる「御殿場JCT」です。戯言(ざれごと)ですが、『いつの日にか右車線に入りたい!』 ものです。しかし、早くても4-5年先でしょう。

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東名高速道路に入ったところで渋滞の最後尾に付(つ)きました

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案内標識板には、この先にある「足柄SA」と「鮎沢PA」の駐車場にはまだ空きがありますが、「中井PA」の駐車場はやや混雑していると表示されています。それよりも、この渋滞はどこまで続いているのでしょうか? なお、筆者は渋滞発生時に第1走行車線を走行することにしています。

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渋滞の理由は「足柄SA」に入る車の列が本線まで伸びていたことと、そのすぐ先で二輪車による小さな事故があったことによるものでした。

鮎沢PA」の手前で先を走る車の車速が上がって渋滞が解消し始めたようですから、追い越し車線へ移って走行しました。なお、案内標識には「御殿場IC」付近に加えて、「厚木IC-横浜町田IC間」で渋滞が発生していることが表示されています。

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高速道路パトロールカーの電光表示板には『右へ・・』 の表示があります。前方で事故が発生しているのでしょうか? 安全のため時速60㎞ほどで走行します。

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路肩に事故車が停まっているようでした。

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「圏央道」と交差する「海老名JCT」が近づきました。先ほどの表示情報から判断して、ノロノロ運転は「横浜町田IC」を過ぎるまで続いていそうです。

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やはり、「海老名JCT-横浜町田IC間」はずっと渋滞していましたが、これは交通集中によるいつもの自然渋滞でした。なお、「岡崎IC」を午後4時30分ころに入って「御殿場IC」(距離:201.9km)を午後7時15分ころに通過(所要時間2時間45分、通常は約2時間)、さらに2時間弱が経過した午後9時過ぎには自宅へ帰り着くことができました。ちなみに、「御殿場IC」から「東名川崎IC」までの距離は76.1㎞(通常の所要時間は50分ほど)ですから、この日は自然渋滞のため2倍以上の時間が必要となりました。

史跡を巡る楽しい二日間のドライブ旅でした!(終)

2024年10月 6日 (日)

岐阜県と愛知県の史跡を巡るドライブ旅(その14) 岡崎市の岡崎城に初登城⑥

左手へ進んだところにある立派な建物は「巽閣(たつみかく)」です。展示館かと思いましたが、賃貸広間などがあるようです。

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意外なことに「アラモの碑」の説明看板がありました。『「アラモの戦い」と「三州長篠城の戦い」がよく似ていることに関心を持った地元出身の地理学者志賀重昂(しげたか)氏が大正3年(1914年)にサンアントニオ市アラモ砦史跡の一角に記念碑を建立されました。注釈:「三州長篠城の戦い」は天正3年5月(1575年7月9日)に、三河国長篠城を巡って、3万8千人の織田信長・徳川家康連合軍と、1万5千人の武田勝頼軍が戦った合戦、長篠・設楽ヶ原の戦いと記す場合がある。』

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遊歩道から見下ろす高い石垣と深い堀

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堀の中にある水草除(よ)けの噴水

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右奥の石垣

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遊歩道を進むと、お目当ての店「お休み処 いちかわ」がありました。午後3時40分と、予定よりかなり遅いランチです。

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店内には八丁味噌を使った土産物が並んでしました。

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店員さんから『食事メニューは終わりました』 との残念なお知らせが。そこで、気を取り直して他のメニューから選ぶことにしました。

同行者は見た目に派手な「井伊直正パフェ」(990円)です。

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この「パフェ」を見ていると兜(かぶと)の形に見えてきました。ちなみに、井伊直正(いいなおまさ)は徳川四天王のひとりで、後に彦根藩初代藩主になった武将です。岡崎市でも人気があるのでしょう。なお、岡崎市内には徳川四天王の像があるようです。

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筆者は八丁味噌が味わえる「木の芽田楽」(550円)。

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いずれも美味しく食べました。

店を出たところで、同行者が『この石は何?』 と訊(き)きます。『八丁味噌を造る時に使う重石(おもし)だよ』 と答えると、半分納得したようです。正確には八丁味噌を凝縮する時に使われる石積みです。

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もうひとつ気になったのが「家康くん?」。

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ダンボールで作られているようです。

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もう一度、遊歩道から水草で緑色になった幅の広い堀を眺(なが)めました。

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遊歩道を歩いて広場の横に出ました。先ほどよりも人出が増えたようです。

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ポニーが女の子二人を乗せて城郭内を闊歩(かっぽ)?しています。

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駐車場まで戻りました。しかし、出口へ続く車列の様子は1時間半前とあまり変わっていません。

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車をスタートして数分後には料金所(精算機)が近づきました。左から入る車は奥にある広場から来たようです。

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「岡崎城」は日本100名城の一つですが、天守閣は戦後にになって再建されたものです。筆者は展示物を楽しみましたが、天守閣はやや物足りないものでした。実は、筆者が「岡崎城」を訪れたかった理由は、15年前の「旧東海道53次を巡るドライブ旅」では岡崎城の北方500m~900mにある「二十七曲り」を辿(たど)ることに専念したため、家康が誕生した「岡崎城」に立ち寄れなかったためです。つまり、積年の思いがある城でした。(続く)

2024年10月 5日 (土)

岐阜県と愛知県の史跡を巡るドライブ旅(その13) 岡崎市の岡崎城に初登城⑤

天守閣最上階(5階)の展望室から廻縁に出て外を見下ろしました。なお、隣の建物は「井戸櫓」(写真左)と「龍城神社」(同右)です。

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その先には「晨閣(たつみかく)」の建物と岡崎市の市街地が広がっています。注釈:難解な漢字である晨は早朝・夜明けを告げるを意味する

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カラー写真による案内パネル(東方向)

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別の方向を見るために廻縁を右手へ移動しました。

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南方向です。

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さらに西方向も

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最後は北方向です。

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何やら変な趣向があります。

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パイプを使って正確に大樹寺の場所(約3.5㎞の距離)を確認できる優れものです。超アナログな方法ですが・・。

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階段脇に何やら人の列ができています。ひょっとして、ここにも名城スタンプのコーナー?

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幅の狭い階段を下ります。

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「心礎(しんそ)」の説明パネルがありました。

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説明: この巨大な石は、かつての天守を支えた心柱の礎石(そいし)である。

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「用材」

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明治6年(1873年)の廃城令により取り壊された岡崎城の建物に使われていた柱材。3本ともケヤキ材。

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天守閣内の見学はここまでにして天守閣の外に出ました。

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(続く)

2024年10月 4日 (金)

岐阜県と愛知県の史跡を巡るドライブ旅(その12) 岡崎市の岡崎城に初登城④

五万石を支えた岡崎城下町: 東海道や舟運により、交通の要衝(ようしょう)であった岡崎の城下町の賑(にぎ)わいを紹介しています。

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東海道二十七曲りと城下町十九か町: 田中吉政が岡崎城を総構えしたときに、東海道が城下に引き入れられた。慶長14年(1609年)、本田康重により総構えの北辺まで大きく廻され、東海道は「二十七曲り」と呼ばれる屈曲の多い道筋となった。

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岡崎城下町模型です。江戸時代後期の町並み(岡崎城の南東部)を再現。岡崎城総構えの東の入口 籠田(かごた)総門から大手門前の対面所辺りまでを示す。東海道の両側には町家が立ち並び、南側には侍屋敷が拡がる。町家の裏手には、城下町を囲む土類と総堀が巡る。

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伝馬町の町並み: 伝馬町は、慶長14年(1609年)本多康重(やすしげ)により東海道宿駅のまちとして新設された。通りの南側には旧榎町(えのきちょう、現裕金町)から、北側には八丁村(現八帖町)から住人が移り住んだ。

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八丁味噌製造道具: 上は蒸した大豆をつぶす「きね」、 下は味噌玉と塩水をこね合わせる道具の「てこぼう」

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神社の繁栄

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古写真に見る岡崎城 岡崎城天守の特徴

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混迷する岡崎城: 岡崎は矢作川の地の利により発展したが、次第に固定化した流路に土砂が堆積し、江戸時代後期には洪水が相次いだ。岡崎藩は、救米(すくいまい)などによる被災者救済や、決壊した堤防の修復に追われ、借財が膨らんでいった。

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これはアトラクションの「岡崎城シアター」です。

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床面と壁3面のスクリーンに投影された岡崎城総構えのマップを歩くと、江戸時代の城下町の映像が現れ、現在のまちと比較・体験できるようです。

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参加者が足で桜の花びらを踏むと黄色い煙が立ち昇るとともに大きなハートマークが現れました。

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岡崎城下町あんないじょ ー岡崎見どころマップー

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(続く)

2024年10月 3日 (木)

岐阜県と愛知県の史跡を巡るドライブ旅(その11) 岡崎市の岡崎城に初登城③

岡崎城天守閣の前に出ました。三層のコンパクトな建物です。江戸時代には三層三階地下一階でしたが、現在(1959年再建)は三層五階になっているようです。なお、正面には入母屋破風(いりもやはふ)があり、最上部に連高欄(手すり)と廻縁(説明:建物まわりの縁、昔は無かった)が設けられています。そして、右側のベージュ色の建物の陰になって僅(わず)かだけ覗(のぞ)いている建物は井戸櫓(やぐら)。

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その右手には「岡崎東照宮 龍城(たつき)神社」があります。

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祭神は、徳川家康公、本多忠勝公、天神地祇、五穀英霊です。

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石段を上がって岡崎城の天守閣へ入ります。

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岡崎城の説明パネルには『15世紀中頃(室町時代)、西郷弾正(だんじょう)左衛門頼嗣(よりつぐ)が現在の岡崎城の位置にはじめて城を築き、のちに家康の祖父である松平清康が入城し本格的な岡崎城を構えた。1542年(天文11年)12月26日、徳川家康はここ岡崎城内で誕生した。』 とあります。

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パンフレット・ラック

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名城スタンプ・コーナー: 岡崎城は日本100名城 45

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休憩用の長いすの隣にはガチャガチャが

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正面奥にチケット売り場(発券所)がありました。

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チケット(大人300))を購入したあとは、階段で2階へ上がるのがルートのようです。

階段を上がり終えたところに岡崎城の歴史が説明されていました。まずは築城以前の状況として、室町将軍から領地を公認される総持寺領であった。岡崎城の南側を西流する菅生(すごう)川(乙川、おとかわ)は、室町幕府の命令で流れを南流から西流させる付け替え工事が行われた。これにより、矢上川から菅生や明大寺へ直接船が入れるようになった。(以下略)

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いよいよ築城です。西郷氏と清海堀: 岡崎城のはじまりは、永享年間(1429-41)に菅生川南岸の明大寺(みょうだいじ)付近に居館を構えた西郷弾正左衛門頼嗣による。享徳元年(1452)から康生元年(1455)にかけて、菅生川北岸の岡の先というに相応しい半島状段丘の先端にある龍頭山(りゅうとうざん、岡崎城本丸・二の丸)に、城館を構築したといわれる。(以下略)

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岡崎松平氏: 文明年間(1469-87)のはじめ、松平惣領家(そうりょうけ)の三代信光は地元の武士西郷頼嗣を追放し、五男光重を頼嗣の娘婿として西郷家を継がせた。これが光重を初代とする岡崎松平氏であり、光重ー親貞ー信定と続いたとされる。(以下略)

岡崎城の縮尺模型: この城郭模型は最後の岡崎藩主を勤めた本多家によって岡崎市に寄贈された。版籍奉還後の明治6~7年(1873-74)に取り壊される以前の岡崎城を知る人々の記憶や資料を基に作成されたものと伝わる。(以下略)

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水野時代・江戸時代中期: 総構え内の北辺に沿うように通る東海道二十七曲りに沿いに町家(茶色の着色部分)が並ぶ。
近世岡崎城の完成(内郭の整備): 大林寺曲輪堀(おおりんじくるわぼり)、菅生川端石垣の完成、天守の再建

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武士の備え: 徳川家康が開いた江戸時代も天下泰平の世となり、戦が行われなくなった。すると武士たちは日々武芸に励みながらも、武家の備えとしての甲冑や刀剣は実用の道具から武士階級のの象徴として重視された。(以下略)

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二の丸藩主御殿: 藩主の住居は、藩政実務の中心となる役所の機能もあり、城内でもっとも広い区画の二の丸に建てられていた。(以下略)

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岡崎藩の刀鍛冶: 岡崎城下町へは戦国時代末に田中吉政が新設した材木町に、美濃国関鍛冶(せきかじ)の刀工が移り住み、「兼有」名で代々作刀した。兼有のの小刀は岡崎宿の名産として広く知られた。(以下略)

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(続く)

2024年10月 2日 (水)

岐阜県と愛知県の史跡を巡るドライブ旅(その10) 岡崎市の岡崎城に初登城②

徳川四天王の一人である本田忠勝公像がありました。鹿角脇立兜(かづのわきだてかぶと)と甲冑(かっちゅう)で身を固め、名槍蜻蛉切(めいそうとんぼきり)を携(たずさ)えています。姉川の戦い(注釈:織田・徳川連合軍が浅倉・浅井連合軍と戦った)、一言坂(ひとことざか)の戦い(注釈:徳川家康と武田信玄の戦い)、長篠(ながしの)の戦い(注釈:織田・徳川連合軍と武田勝頼の戦い)などで数々の武功を挙げた武将です。

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振り返って見た「本多忠勝公像」と「二の丸能楽堂」です。なお、それらの手前には藤棚と休憩所が。

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前方、木立の合間に天守閣が見えました。

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右手へ下る石畳の遊歩道を進みまました。

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標識によると、この先に「産湯の井戸」があるようです。後で調べましたが、「五万石ふじ」は城郭の南西部の乙川を望む場所にありました。花期は4月下旬から5月初めまでです。「えな塚は」後出。また、後方の「家康館」は先ほど通過した「ひょうたん屋」の裏手、国道1号線に近い場所にあります。

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畳の遊歩道はまだ続きます。

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堀端(ほりばた)に出ました。左手の石垣上に本丸と天守閣があるようです。

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「産湯(うぶゆ)の井戸」の説明パネルには、家康が生まれた時にこの井戸から産湯の水を汲(く)んだと伝えられると書かれています。

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井戸から水が出る仕掛けがありますが、『東照公産湯の井戸から汲み上げた水を浄水設備を通して触れられるようにしてある』 と説明されています。「産湯の井戸」はどこにあるのかが気に掛かります。

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左手には堀が続いています。

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マンホールの蓋(ふた)があります。お城と帆掛(ほか)け船をモチーフにしたデザインです。帆掛け船の帆には「五万石」の文字があるのは、江戸時代を通じて岡崎藩は石高(こくだか)が五万石と小藩並でしたが、家康の出身地であることから藩主は譜代大名並に扱われていたプライドを表しているのでしょう。なお、左下には平仮名で「おすい」とさりげなく表示しています。

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前方に大木があります。

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近くにある立て看板には、ふるさとの名木「岡崎公園の大くろまつ」と表示されています。

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先ほどの道標にあった「胞衣(えな)塚」の説明パネルです。これによると「胞衣塚」は子供の成長と出世を願う習わしとのこと。

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徳川家康の「胞衣塚」は石造りの立派なものです。

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本丸埋門(うずみもん)北袖(そで)石垣」は、本丸埋門から来た方向に伸びる石垣で、高さは10mを超える大規模なものであると説明されています。

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ゆるやかな坂道を上がると徐々に石垣が見えてきました。

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高い場所からは石垣をよく見ることができます。

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前方に見えてきたのは両側を石垣に囲まれた「本丸埋門」のようです。

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(続く)

2024年10月 1日 (火)

岐阜県と愛知県の史跡を巡るドライブ旅(その9) 岡崎市の岡崎城に初登城①

投稿を再開します。

名古屋市守山区の「白鳥塚古墳」を出発して国道155号線を西進しました。ルートとしては少し戻る形になりますが、春日井ICから東名高速道路へ入るためです。

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東名高速道路のこの区間を走るのは久しぶりですが、道路の状況は特に変わったところはないようです。

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44.2㎞先の岡崎ICを出て、国道1号線(下り)で名古屋方面を目指しました。手入れが行き届かないのか、路肩の雑草が伸びて鬱蒼(うっそう)とした感があります。なお、前方に見えるのは県道26号線が立体交差する陸橋です。

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3㎞余り先の左手に岡崎城公園乗用車駐車場(150台)がありました。『岡崎公園 岡崎城・家康館 P』の標識にしたがって国道1号線から細い脇道に入ると、右手に料金所まで車の列が続いているのが見えます。

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駐車場内に入りましたが、空きスペースを探すのが大変です。なお、駐車場から出る車の列が中央に見えます。

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何とか駐車できました。お城と思われる方向へ歩くと、城郭の地図がありました。地図の右側で上下(東西)に伸びるのが国道1号線で、中央下にある「菅生曲輪(すごうくるわ)」がこの駐車場ですから、掘に囲まれた天守閣は西方向のようです。注釈:地図の向きが変則で西方向が上になっている

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直線的に続く遊歩道を歩きます。右手の広場では催しものがあるようです。なお、右手に見える白い塀と二層の櫓(やぐら)がある場所は「東曲輪(ひがしくるわ)」です。

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「菅生曲輪」の説明看板には、菅生緑地は本丸東側に位置し、下級武士の居住地であったと説明されています。

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広場にはテントが設置され、キッチンカー(食堂自動車)も何台か停まっているのが確認できます。また、中央奥には赤白の横断幕で飾られたものがあります。

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岡崎市の立て看板です。いろいろなポスターが貼られていますが、その意味が・・。看板下部の地図によれば多目的広場と表示されています。

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多目的広場を振り返って見ると、中央にあるのは間違いなく盆踊りのやぐらでした。

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直進する道には店舗が並んでいますが、筆者は右手に続く階段が気になります。「東曲輪」を経由して本丸と天守閣へ続くと思い(勘違いして)、この階段を上がることにしたのです。

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二の丸」(左手)に出ました。右手にある「東曲輪」との間にある塀に沿う遊歩道を歩きながら悪い予感がしてきました。このままでは「東曲輪」に沿って城外へ出てしまいそうなのです。

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突然現れたこの建物は大手門のようです。

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門は開いていますから、出入りは自由です。

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「岡崎城総構え案内」の地図がありました。しかし、地図を確認すると、この場所は七間門(しちけんもん)付近であり、大手門は浄瑠璃(じょうるり)曲輪とともに左下に小さく示されています。注釈:この地図はなぜか上下(南北)が逆さま

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門を潜(くぐ)って外へ出ました。なお、次の写真は振り返って撮影したものです。

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左手の生垣の中に「岡崎城大手門」の案内が彫られている大きな石を見つけました。

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写真では読みにくいと思いますので、次に説明文を引用します。

岡崎城大手門

この大手門は、岡崎公園の表玄関にふさわしい建物として建築したものです。
本来の岡崎城大手門は、現在の浄瑠璃寺の南(北東約200m)にありました。
江戸時代の記録によれば大手門は「桁行十間、梁行二間四尺)でした。


近代になって、岡崎城の城郭北側を横断する形で国道1号線が建設されたため、元の大手門が城郭から切り離されたのです。なお、ここで分かったことがもうひとつありました。東曲輪にはバス優先駐車場(身障者の小型車も駐車可)があることです。

大手門についての経緯(いきさつ)を知ったところで、元来た道を引き返すことにしました。そして、やっと気づいたのは「二の丸」には集合写真を撮る場所と土産店「おかざき屋」があることです。また、左奥にある建物は「二の丸能楽堂」と思われます。

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(続く)

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