グルメ・クッキング

2017年4月26日 (水)

40年ぶりのミャンマー訪問(その23) マンダレー観光③ エーヤワディー川沿いのミャ・ナンダール・レストラン

サガイン・マンダレー道路を北上し、35番通りへと左折してエーヤワディー川方面へ向かいました。もし、この交差点を直進するとマンダレー駅とマーケットなどがあるマンダレーの中心部。昼食会場はエーヤワディー川に行き当って少し北上した(シティパークに近い)場所にあるミャンマー料理とアジア料理の「ミャ・ナンダール・レストラン」(Mya Nandar Restaurant)です。
 
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ガイドさんにしたがって敷地の奥へ向かいました。
 
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店のスタッフに案内されたのはバガンでのランチと同様、エーヤワディー川に面したオープンテラスです。その中央にいる別のスタッフたちがシルエット(影絵)になり、あちこちに操り人形が飾ってあるようです。手前には小さな木造船もオブジェとして置かれています。
 
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最前列の席が予約されていました。中洲に貨物船や小型客船が停泊しています。
 
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マヤンチャン埠頭(ふとう)からは10kmほど遡(さかのぼ)った対岸にあるミングオンへ行く小型客船が出ているそうです。ミングオンにはコンバウン朝のボードーパヤー王が18世紀末に建設しようとして未完成のままとなったミングォン・パヤーの巨大な台座(一辺140mの正方形、計画された仏塔の高さは150m)と世界最大といわれるミングオンの鐘(外径約5m、重量90トン)、およびバーヂードー王が皇子時代の1816年に他界した妻を偲んでスメルー山(注、古代インドの世界観の中で中心にそびえる聖なる山)の頂上に建つといわれるスラマーニ・パヤーを模して建てたシンピューメェ(白亜の仏塔)があるそうです。
 
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雨に見舞われた前日のバガンとは異なり、こん日のマンダレーは天気が回復したため、エーヤワディー川西岸の山並みが良く見えます。その先は無数の仏塔が立ち並ぶサガインヒルがあると思われます。バガン王朝の滅亡した混乱に乗じてシャン族の王が1322年に都を置きましたが、1364年にはインワに遷都されたため、その後は遺跡・僧院・仏塔の町となったそうです。
 
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視力が良い同行者は下流に3連のアーチ橋があることを見つけました。地図を見ながらガイドさんに確認するとインワ(旧アヴァ)のエーヤワディー川に架けられた新旧2つの橋です。帰国後に確認すると、下流側にあるカンチレバー式トラスト構造で鉄道・道路併用のインワ橋(長さ約1200m、別名:アヴァ橋)と2015年に上流側に架けられた道路橋のエーヤワディ橋(長さ約2350m、別名:新アヴァ橋)です。ちなみに、前者はイギリスによってエーヤワディ川に初めて架けられた古い橋(1934年完成)です。注、トラストとは部材を三角形に繋(つな)いだ構造であり、カンチレバーとは片側の梁(はり)だけが固定され、他端は動くことができる構造体

 

上流方向にもエーヤワディー川西岸の山並みが続いていますが、ミングオンは小高くなった辺りだと思われます。
 
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この日の昼食はミャンマー料理です。このレストランもマンダレー・ビールを置いていないため、赤ワインを注文。突き出し(通し物)として瓢箪(ひょうたん)の天ぷらがミャンマー風ダレとともに配膳されました。
 
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次いで、バガンの漆器店で購入した土産物に似たミャンマーの弁当容器と玉子スープが
 
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大きな蓋(ふた)を取るとさまざまなメニューとご飯が小分けされたプレートが現れました。オカズの量はランチとしてほどよいのですが、私にはご飯の量が多すぎました。
 
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ミングオンへ行く小型客船でしょうか。
 
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デザートのフルーツも同じ形の容器に盛られています。
 
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この日に宿泊するホテルは2012年にオープンしたホテル・シュエ・ピー・ダー。マンダレー郊外(旧王宮の南東角から26番通り/高速3号線で約3km)にある4つ星の高級リゾートで、本館とは別になったバンガロースタイルのスイートがあるそうです。休憩するため、バガンと同様、午後2時と早めのチェックインです。玄関脇に巨大な象の置物があり、
 
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入口脇で民族衣裳を着た女性像が出迎えてくれました。
 
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ガイドさんがチェックインを代行してくれている間、エントランスホールの奥に一際目立つものを見つけました。ホテルとその周辺を描いた大きな絵と木工彫刻がすばらしい椅子です。その絵に描かれたホテルは田園地帯と市街地の境界付近に立地していることが分かります。注、航空写真はこちら
 
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そして、医師の前にあるテーブルには見事な浮彫細工(レリーフ)の装飾が
 
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スタッフに案内された部屋はそれほど広くはありませんが、落ち着いた雰囲気があります。
 
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午後の観光に出かけるまでの1時間ほどを自室で寛(くつろ)いで過ごしました。宿泊者はWiFiが無料で利用できます。(続く)

2017年4月24日 (月)

再開発で誕生したギンザシックス(後編)

同行者が一番盛り上がったのは”YAYOI KUSAMA POP UP STORE”でした。赤い水玉のデザインが高く評価された国際的なデザイナー、草間彌生(やよい)さんの店です。「わが永遠の魂」は彼女の作品のタイトルであるとともに彼女の哲学なのでしょう。入館してすぐ見た吹き抜けの天井から吊り下げられたカボチャをモチーフとした風船群ももちろんも草間彌生さんによるインスタレーション(注、場所・空間を演出する作品)です。
 
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この絵画も絵画作品群「わが永遠の魂」のひとつのようです。1983年の「かぼちゃの神様」(写真左)と「かぼちゃ(赤)」(写真右)の値札を見てびっくり。高級外車並!
 
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ティーカップセット
 
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同行者は、この店の商品なら手が届くと、あれこれ探し始めました。手に取っているのは「わが永遠の魂」のデザインが描かれたカラフルな外装の箱に入ったクッキー。
 
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同行者はポチ袋(祝儀袋)も買い求めました。来年の正月にオチビちゃんたちへ渡すのだとうれしそう。
 
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その先にあるのは創業が安政元年(1854年)の京都宇治・中村藤𠮷(とうきち)本店のカフェ。開店祝いの花には有名な女性歌手たちの名がありました。
 
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KENZO”(ケンゾー)、”Maison Margiela”(メゾン マルジェラ)、”MARUNI”(マル二)などが入店する3階のファッションフロアを通過して、同じくファッションの店舗が並ぶ2階に下りました。吹き抜けの真下にある開放的な店舗には奇妙なオブジェと帽子・サンダルが展示されています。商品の説明はありませんから、店内装飾品でしょうか。
 
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見上げた吹上天井のインスタレーション(注、空間を演出する作品)
 
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テレビ番組のロケーションのようです。マイクには”Zip”と表示されていますから、日本テレビのクルーです。
 
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MANOLO BLAHNIK”(マノロ ブラニク)はレディース靴(くつ)の専門店のようです。知識を持ち合わせない私が同行者に尋ねると、有名な靴ブランドであると教えてくれたあと、『ピンヒール(注、踵がかなり細いハイヒール)が履(は)けたら素敵だけど・・・』 と恨(うら)めしそうな言葉が続きました。帰宅後に調べると、スペインのカナリア諸島(ラ・パルマ島)出身のデザイナーが1972年にイギリスで立ち上げた、靴の王様との呼び名を持つ、高価格帯の靴ブランドでした。ダイアナ妃やマドンナなどが履(は)いたことで有名になったとのこと。
 
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エスカレーターと各フロアを見上げました。右下(先ほどの場所)で日本テレビのクルーによる撮影が行われています。
 
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2階の通路をほぼ一周したところで、中央に位置する大きな店舗が”SIXIÈME GINZA”(シジェーム ギンザ)であることを知りました。国内外からセレクトした雑貨を扱う店です。
 
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同行者はこのバッグも気に入ったとのこと。
 
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同行者がシジェームで商品を見ている間、近くの店舗を見て歩きました。まず、イタリアのGIANNI VERSACE(ジャンニ・ヴェルサーチ)が1978年にブランド化したアパレルと雑貨の店“VERSACE GINZA SIX“(ヴェルサーチ ギンザ シックス)。
 
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中央通りに面した地下1階・1階・2階(3フロア)を使用する多層階の旗艦店は”Yves Saint-Laurent"(イヴ・サン ローラン)です。フランスを代表するファッションデザイナー、イヴ・サン ローランは、フランス領アルジェリアで生まれたフランス人。後にパリに移住。21歳の若さで「ディオール」の主任デザイナーになり活躍しましたが、徴兵されてフランス軍兵士として参加したアルジェリア独立戦争(1954-1962年)で精神を病み、快復した1962年に独立。私が大好きな女優カトリーヌ・ドヌーブが主演したミュージカル映画「シェルブールの雨傘」(1964年公開)の時代背景と重なります。また、1967年に公開された同じく主演映画「昼顔」の衣裳をデサインしたのは彼なのです。
 
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同じく地下1階から4階まで5フロアにまたがる多層階の旗艦店“VALENTINO”(ヴァレンティノ)を出店したのは1960年にマリオ・ヴァレンティノがイタリア・ミラノで創業したファッションブランドで、オートクチュール(高級注文服)からプレタポルをテ(高品質の既製服)まで広く手掛けているそうです。
 
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ちなみに、多層旗艦店はこれら2店舗の他に、”House of Dior"(ハウス オブ ディオール/5フロア)、”CELINE”(セリーヌ/2フロア)、”Van Cleef & Arpel"(ヴァン クリーフ アンド アーベル/3フロア)、”FENDI”(フェンディ/4フロア)があります。
 

入館した時と同じ場所にあるエスカレーター1階へ下ります。館内のエスカレーターはすべて最新型のようで、両サイドに巻き込み防止用ブラシが付いています。
 
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1849年創業でパリ最古のトランクメゾン(バッグ店)“MOYNAT”(モアナ)および1846年にスペイン・マドリードで創業した革製品の”LOEWE”(ロエベ)
 
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エスカレーター脇にあるROLEX BOUTIQUE LEXIA(ロレックス ブティック レキシア)は有名な高級腕時計「ロレックス」の正規品販売店で、オーバーホールなどのアフターサービスも提供しているようです。入口付近に屈強なスタッフが数名控えていますから、近寄ることは遠慮しました。

 

地下1階はビューティフロア、地下2階はフーズフロア、そして地下3階には観世能楽堂がありますが、今回はスルーすることにしました。また、6階には高級なレストラン以外にも日本食・洋食・中華料理が味わえるフードホール「銀座大食堂」が、そして地下2階にはイートインのあるスイーツ店街の「デパ地下」など銀座でも気軽にランチを食べる場所もあるのですが、次の予定があるため立ち寄らないことにしました。

 

今回も、いつものように最上階から下の階へ下りながら、約1時間15分で目を惹(ひ)かれた約1割の店舗をざっと見て回りました。吹き抜け構造の建物に多くの店舗が入る形態はアメリカでは半世紀以上前からある大型ショッピングモール(注、遊歩道や広場などのある大規模な屋内商店街)そのものです。ただし、キーテナントとして百貨店がないことと、駐車場が限られる都心の一等地に立地することは、新しいチャレンジといえます。

 

GSIXに入店するのはいずれも高級な商品やサービスを提供する店ばかりで、普段であれば足を踏み入れることが躊躇(ためら)われる雰囲気がありました。しかし、グランドオープンした日の午前中は各店舗に選(え)り抜きの店員たちが配置されていることもあり、楽しみながら目の保養をすることができました。初日に足を運んだのは良い選択だったようです。
 
 

入館した時と同じ出入口から中央通りに出ました。すぐ脇にある”SAINT LAURENT GINZA”(サンローラン ギンザ)などの路面店を外から撮影することは遠慮しました。
 
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銀座五丁目交差点の角には相変わらず最後尾の看板を持つ人たちが来館者を時計回りに誘導しています。その後方に見えるのは”FENDI”(フェンディ)の店舗です。
 
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三愛ビル(写真左端)と和光ビルがある銀座四丁目交差点まで戻り、東京メトロ銀座線に乗って次の目的地へ向かいました。
 
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(終)

2017年4月23日 (日)

再開発で誕生したギンザシックス(中編)

南端に東京タワーが良く見えるポイントがありました。
 
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三原通りに面した長い回廊の中ほどではソーラーパネルが壁面に設置されていました。
 
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庭園エリアへの通り抜け
 
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東端角にある靍護(かくご)稲荷大明神は文化12年(1815年)に根岸で奉安され、昭和4年に神霊を分霊して松坂屋銀座店(大正13年/1924年開業、地上8階)の屋上に遷座されたことがパネルに説明されています。
 
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回廊の北東部
 
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東京スカイツリーがビルの間から見えるスポット
 
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北端まで進むと、銀座四丁目交差点の角にある和光ビル、その後方には東京駅周辺の高層ビル群
 
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先ほど反対側から見た通り抜けと壁面緑化の設備
 
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13階へ下りる階段
 
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13階のレストラン街には、写真撮影したラウンジ・レストラン・バー・バンケットの”THE GRAND GINZA” と天ぷらの「山の上」のほか、カフェバーの”Grand Cru Café Ginza”(グラン クリュ カフェ ギンザ)、フレンチの”L’homme du Temps signe a nu”(ロムデュタン シニエ ア・ニュ)、創作肉料理の「旬熟成(しゅんじゅくせい)GINZA GRILL」、寿司の「つきじ鈴富」、カフェバーの「ミクソロジー サロン」がありました。
 
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エレベーターで6階まで下りました。アート・ブック&カフェ・レストランのフロアですが、「蔦屋(つたや)書店」はひときわ目立つ広さ(フロアの約1/3を占める)があります。屋上へ上がる時にも説明したように、7階から12階はオフィスになっているため立ち入ることはできません。
 
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インド料理専門店の“Tamarind”(タマリンド)
 
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フランスの伝統的・庶民的な料理を提供する“Bistro AUXAMIS”(ビストロ オザミ)
 
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肉料理・ビールがうまいというGrill&PUBの“The NICK STOCK”(ザ・ニックストック)
   
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5階はファッション&ライフスタイルのフロアで、文具やライフスタイル雑貨の“MARK’STYLE TOKYO”(マークスタイル トーキョー)、隣はアイウエア(ファッション眼鏡)のセレクトショップ”EYESTYLE”(アイスタイル)
 
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吹き抜けの反対側にあるパーカーの専門店“Dartin Bonaparto”(ダルタン ボナパルト)、その奥にある日本のデニムブランド”KURO”(クロ)と1908年創業のフランスの靴メーカー「パラブーツ 銀座店」です。さらに先にはライカ銀座店(世界初の直営店)もあるようです。
 
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4階にあるレディース服の専門店“ADORE”(アドーア)には女優さんたちから贈られた開店祝いの白いバラが飾られています。他の店では定番の胡蝶蘭(こちょうらん)が置かれていますが、白いバラのイメージがこのブランドの拘(こだわ)りなのかもしれません。ちなみに、ADOREには、憧(あこが)れる、あるいは熱愛するという意味があります。
 
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同行者は店舗の横側でも気になる展示を見つけたようです。店員さんからあれこれ説明を聞いただけになりましたが、白いバラの花束を貰(もら)ってうれしそう。ちなみに、手に持っているビニール袋にはバラが3本入っています。帰宅後に調べると、”ADORE”は港区青山にあるサンエー・インターナショナルのブランドのひとつでした。
 
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次いで同行者が足を止めたのは玉川堂(ぎょくせんどう)銀座店。大小の急須(きゅうす)・湯沸(ゆわかし)・茶筒(ちゃづつ)などが展示してあります。1816年に創業した新潟県燕三条の銅器専門店(金属加工業者)です。一枚の銅板を木槌(きづち)と金槌(かなづち)で叩き起こして作る鎚起(ついき)銅器の伝統技術を200年にわたって継承しているそうです。
 
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茶筒やぐい飲みのように深いものはヘラ絞り(注、銅版を回転させながらヘラと呼ばれる鉄棒を押し当てて少しずつ変形させる塑性加工)である程度形を作ってから仕上げるそうです。

 

私は発色の方法が知りたくて、不躾(ぶしつけ)な質問をすると、長身の若い男性は丁寧に説明してくれました。銅色のほかに、さまざまな色を出すことができるそうです。ちなみに、青紫色を出すためには、銅の表面に錫(すず)を焼き付けたのち、硫化カリウムなどの液に漬け込んで銅器の表面を変色させ、それを磨いて光沢を出すそうです。内部は化学的に安定している錫(すず)張りのままでした。 

同行者はコーヒーポットとコーヒードリッパーのセットが気に入ったものの、その値段は数十万円と高く、手が届かないことが残念だったそうです。(続く)

2017年4月 4日 (火)

40年ぶりのミャンマー訪問(その10) 漆器工房「トゥン・ハンディクラフツ」と「サンセット・ガーデン・リバーサイド・レストラン」

午前11時30分ころ、ミィンカバー村の南隣となるニューバガンに到着しました。オールドバガンに住んでいた人たちが、オールドバガンが考古学保護区に指定されたことで、強制的に移住させられてできた村で、現在の人口は約1万人とのこと。この村の西端(エーヤワディ川寄り)にある有名なトゥン・ハンディクラフツ(漆器工房とショップ)を見学することになりました。

 

漆器(しっき)とは木や紙などに漆(うるし)を塗り重ねて作る東南アジアの工芸品の総称で、食器・漆箱や印籠を帯に留める根付(ねつ)け、ひいては仏壇や仏像などと、長持ちをする特性から様々な用途に使われる技術でもあります。

 

パガン王朝がモンゴルに攻められて滅びたあと、16世紀に同じバガンでタウングー王朝を起こしたバインナウン王が、タイのマニプルやチェンマイ、中国の雲南省などを征服した際、連れ帰った大勢の職人がミャンマーにおいて漆器を製作したのが始まりとされるようです。(注、異説もあり) 現在でもパガン(現在のバガン)がこの伝統工芸品の主要生産地とのこと。

 

広い空間がある工房には10名ほどの職人が壁際に並ぶ作業台で黙々と漆器(しっき)を製作していました。中央付近では箪笥(たんす)と思われる大きなものの細工をしている職人もいます。
 
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ミャンマーの漆器は、木をくり抜いて成型する日本とは異なり、薄く削いだ竹籤(たけひご)を強く捲きつけながら椀の形をした素地(ベース)を作る「捲胎技法」が一般的だそうです。
これは男性の仕事とのこと。
 
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また、湯呑(ゆのみ)や丸い小物入れのように口が狭いものは笊(ざる)や籠(かご)のように編む「らん胎技法」や馬の尻尾を使って織りあげる「馬毛技法」によって素地となる部分を作るようです。後者はミャンマーの漆は成分の違いにより粘り気がある(日本の漆のように固くならない)ことで弾力がある製品になるそうです。
 
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ミャンマーではミャンマー北東部に位置するシャン州に生えるビルマウルシから採れる樹液が原料だそうです。淡い黄色をしている樹液は空気に触れるとやがて黒に変化し、何度も漆塗されてサンドペーパーで磨かれると耐水や耐熱に優れる漆面となるとのこと。ひとつ驚いたことは、職人さんが素手で漆に触っていることでした。ガイドさんに気触(かぶ)れないのかと尋(たず)ねると全く問題がないとのこと。日本の漆とは成分が異なるからから大丈夫なのでしょうか。

 

漆を何度も上塗りする工程が右上から左下の順に並べて展示されていました。右側の黒っぽい椀(わん)は漆(うるし)のみを塗って表面をスムーズにする段階で、その後に左側のように絵付けが行われて完成します。右上の小瓶に入っているのは赤・緑・黄の色漆、一番奥の結(ゆ)わえてあるものは馬の尻毛(前述)。
 
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この女性は絵付けの前工程として、漆で下塗りした上に特殊な樹液を水で溶いたものを塗った表面に、下書きしないで、先のとがった工具を使って傷をつける線描(せんびょう)を行っています。
 
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その傷の部分にカラフルな色の粉末を固定して樹液を水洗いするプロセスで線画模様を仕上げていくようです。
 
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この工程のあと、色漆(いろうるし)でカラフルな色付けが赤・緑・黄色の順番で行われます。後で知ったことですが、日本とミャンマーの漆工芸の関わりは16世紀ころに遡(さかのぼ)り、日本の漆工芸の加飾技法の「蒟醤(きんま)」はタイやミャンマーからもたらされた技法でした。漆器の表面に文様を彫り込み、色漆を充填(じゅうてん)し研ぎ出し、地の色と充填(じゅうてん)した色との対比で文様を表すその技法は、まさにこの工房で使われている技法そのものです。

 

工房のやや左手にある大きな壺(つぼ)の素地は、胴回りを何等分化して、漆を塗る工程が表現されていました。ちなみに、左端が完成状態、その右側から反時計回りに何層も漆が重ね塗りされる段階がよく分かります。
 
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地下室は乾燥室として使われていますが、バガンの気候は乾燥に向いていて、換気などの特別な処置は行っていないそうです。
 
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隣のショップへ移動しました。さまざまな漆器製品が展示されているため、同行者は小物入れにもなるジュエリーケースや料理・菓子を盛り分けるために放射状の仕切りがある蓋付き容器などを観ながら、かなり迷ったあと、この変わった形の製品を購入することにしました。
 
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外形から推測しにくいのですが、ミャンマーの伝統的な弁当容器、私の推測では僧侶が托鉢(たくはつ)するときのお鉢です。ヤンゴンのロータリーで同じ形をしたモニュメントを見かけた時、ガイドさんから弁当容器だと聞いていました。中段の丸く膨らんだ部分が弁当容器(中にあるトレイで上下に区切られている)で、その蓋(ふた)の上にはパヤー(パゴダ)を模した装飾があり、下側にはこれまた装飾が施された台が付いています。高さは約35cmもあり、日用品ではなく置物(装飾品)にするのでしょう。後方の棚にもさまざまな形をした漆器製品が展示されています。

 

ちなみに、現在のミャンマ―では金属製で機能的な弁当箱(円筒形で3-5段、汁物も入れられる)に人気があるそうです。インドの弁当箱と似ているのかもしれません。

 

そして貝殻の小片を埋め込んで動物を表現する螺鈿(らでん)のブレスレット(厳密に言えばバングル)も買い求めました。注、螺は貝を、鈿はちりばめることを意味する
 
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ガイドさんによれば、現在も日本の漆工との交流があり、日本人がデザインした模様がミャンマーの漆器に採用されているそうです。ちなみに、弁当容器の漆器を購入した日本人客は初めてとのこと。

 

ニューバガン村の北西エリアへ向かい、木立の中の駐車場に到着すると、ちょうど正午になりました。昼食はエーヤワディー川に面した「サンセット・ガーデン・リバーサイド・レストラン」でのミャンマー料理です。車止めとして置かれた壺(つぼ)の間を抜けてレストランへ向かいます。折からの小雨がすっかり止みました。
 
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エーヤワディー川が見える場所にレストランの客席と思われる開放的な場所(オープン・レストラン)がありますが、
 
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我われに用意されていた席はその右手にある一段高くなったもう一つの建物内の見晴らしの良いテラスにありました。ここにも多くの壺が並べられています。テラスの外側は散策できるため、景観を損なわない柵の役割を果たしていると思われます。ちなみに、ミャンマーでは壺(つぼ)は穀物を保存する用途に使われるそうです。注、瓶(かめ、旧字では甕)は壺(旧字は壷)に似た形をしていますが、両者を分ける明確な基準はなく、口が狭いものが壺で、広い方が瓶と呼ばれるようです。
 
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写真を撮るため手すりから乗り出すと、エーヤワディー川の川岸(約1km下流)にある仏塔を見つけました。地図で確認すると、1059年にアノーヤター王によって建立されたローカナンダー・パヤーのようです。川岸にあるため、かつては航行の目印として使われたそうです。この仏塔も金箔を貼り直す作業中のようです。ガイドさんによると、内部に入ることができない上、周囲には何もないとのこと。
 
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こちらは上流方向
 
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このレストランのメニューには、マンダレービールがなく、ハイネッケンとタイガービールだけでしたので、シンガポール製あるいはそのライセンス製造品である後者を選びました。
 
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同行者はアボカドのジュースを注文。その前に置かれたのはミャンマー料理用の調味料でしょう。
 
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最初に配膳されたのは野菜の揚げ物
 
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スープビーフン(汁米粉)は野菜などの具が少なくあっさりした味付け
 
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鶏肉、茄子(なす)の煮込み、ミャンマー風カレー、野菜炒め、野菜サラダなど
 
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デザートはスライスしたスイカで、その甘味はやや低めです。
 
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爽(さわ)やかな川風に吹かれながら、エーヤワディー川の雄大で静かな流れに心洗われる思いになりました。対岸に山並みが薄っすらと浮かび上がる様子にも見入ってしまいました。(続く)

2017年3月26日 (日)

40年ぶりのミャンマー訪問(その6) ヤンゴンからパガンへ(後編)

午前7:15発AIR KBZK7 242便は、霧で機体の到着が遅れたため、15分遅れで出発。畿内はビジネス客と外国からの観光客でほぼ満席。バガン空港までは約500km、約1時間20分のフライトです。ちなみに、KBZは航空会社の他に銀行などを所有する企業グループ(コングロマリット)で、昔ミャンマー東部のシャン地域にあった国名にちなむ名前とのこと。窓の外には同じAIR KBZ社のプロペラ機が並んで駐機しています。
 

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誘導路をタクシーイングして主滑走路へ向かいます。
 
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離陸すると左手に国際線用のターミナル1(左)とターミナル2(中央右寄り)、そして右端に国内線用のターミナル3が少しだけ見えました。
 

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機首を北へ向けて、ヤンゴン川に沿って飛行しています。
 
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離陸して15分ほど経つと軽食が配られました。
   
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サンドイッチ、チョコレート、ケーキが入っています。朝食を済ませていた私は手を付けません。
 
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1時間後に外を見るとヤンゴン川の本流であるイラワジ(エーヤワディ)川を確認することができました。遠く西方にはベンガル湾沿いに南北に伸びるヤカイン州の山脈らしき山影を望むことができます。
 
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乾季であることから、眼下からは次第に緑が消えて、荒涼とした茶色の大地が広がりました。
 
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そして、イラワジ川の支流には水がありません。
 
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田畑の区画が確認できます。イラワジ川沿いの地方都市マグェを過ぎてバガン空港(バガン・ニャンウー空港)が近づくと、田畑は細かい区画となり、上空からも人々の営みが感じられます。
 
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飛行機は徐々に高度を避けて行きます。
 
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木立の姿を確認できる高さまで降下。左手(西方)に小さく見える高い建物(中央右寄り)はオウリウム・パレス・ホテルの入口にある高さ約60mのバガン・ビューイング・タワーのようです。残念なことに、このホテルがあるミン・ナン・トゥ村はバガン(パガン)遺跡の見学コースに入っていないようです。
 
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いよいよバガンのニャンウー空港に着陸します。ハワイのナライ島のラナイ空港(滑走路長1524m)によく似た(一回り大きくした)空港のようで、現代的なターミナルに変わったヤンゴン空港とは異なるミャンマー風のターミナル・ビルのようです。ターミナル・ビルの右端に管制塔があります。
 
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飛行機は主滑走路(長さ2591m)から誘導路を経ることなくエプロンに入りました。定刻より30分近く遅れたようです。
 
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(続く)

2017年3月25日 (土)

40年ぶりのミャンマー訪問(その5) ヤンゴンからバガンへ(前編)

夕食後にチェックインしたのはダウンダウンの北方、カンドーヂ(ロイヤル)湖畔にある5つ星リゾートのチャトリウム・ホテル・ロイヤル・レイク・ヤンゴン。元はホテル日航(1988年開業)だったそうです。2010年に日航が再建のためホテル事業から撤退したためでしょう。セキュリティをしっかり確保するため、正門では守衛による入場車両の目視確認が行われ、玄関前ではすべての手荷物がX線で検査されました。現地係員がフロントでチェックインを代行してくれます。
 
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ロビーに置かれたミャンマーの伝統楽器であるチョー(弦楽器)の一種サウン・ガウ(ビルマの竪琴、写真右)とワーパタラ(竹製の木琴、写真左)。いずれも王宮音楽・仏教音楽に使用されていたといわれるそうで、一般の人が演奏する楽器ではなかったそうです。
 
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わが家にある16弦のビルマの竪琴(たてごと)と形・大きさともほぼ同じですが、大きな違いはギター用とよく似た調律用のつまみ(ペグ)が付いていることです。わが家の竪琴にはこの便利な機能がなく、弦の先につながれた赤い紐(ひも)を弓なりに湾曲した棹(さお)に縛(しば)ってチューニングする古い(伝統的な)タイプのため、素人の私には調律(調弦)することができません。ちなみに、ビルマの伝統音楽は中国の影響を受けた日本の伝統音楽と同様、すべてペンタトニック・スケール(オクターブが5音階で構成)だそうです。つまり、長音階(メジャースケール)でオクターブを構成する7音階から2音を抜いた5音階。ただし、厳密には西洋音楽的ペンタトニックスケールではないと思いますが。
 
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鐘と思われるものも飾られています。左手にある黒いものの形はロータリーに設置された金色のオブジェを逆さまにしたようです。
 
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こちらはパヤー(パゴダ)のミニチュア模型でしょう。
 
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ロビーの1階下、グランドフロア(地階)にはカフェテリアがあります。ミャンマーの王宮を模(かたど)ったと思われるオブジェの中にあの形をした陶磁器が置かれていることを発見しました。ちなみに、建物の階の表示法はイギリス方式です。
 
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この日の部屋は十分に広く最上階(9階)に近い7階にあるのは良いのですが、上級クラスの部屋ではないため、湖とは反対側に面しており、お世辞にも美しい眺望とはいえません。ちなみに、シュエダゴン・パヤーまで約1.5kmと近いこともこのホテルの魅力のひとつかもしれません。ただし、酷暑の炎天下を歩く観光客がいるとは思われませんが・・。そして、このホテルには日本料理店「琥珀(こはく)」があります。
 
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部屋に用意されていたウエルカム・フルーツ。モンキーバナナより少し大きくずんぐりした形のバナナと青いリンゴはいずれもミャンマー固有の品種のようです。
   
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翌朝は午前5:30にホテルを出発して、午前7:15発の便で上座部仏教(昔は小乗仏教と呼ばれた)の聖地であるバガンへ移動するため、NHKワールド(テレビ番組)を観ることと客室Wi-Fi(無料)によるインターネット接続サービスの利用はほどほどにして、早目に就寝しました。残念ですが、早朝の散歩もマンダレーからこのホテルに戻ってからにすることにしました。

 

翌日は午前4時前に早起きし、シャワーを浴び、身の回りの品を確認して、午前5時20分までにチェックアウトを済ませて、ロビーで待つ現地係員と合流。実はミャンマー国内の全旅程を私たち二人に同行してくれるガイドさんでもあることが分かりました。すべてお任せの気楽な旅行が出来そうです。早朝の出発であるため朝食はホテルが用意してくれた軽食ボックスを空港まで持参することに。写真はフロントがあるロビーフロアへ向かう時に通り抜けた7階のロビーです。あの形をした黒いもの(写真の左下)を見つけました。
 
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前日と同じ運転手はスムーズな運転で安心感があり、早朝(日の出前)で交通量が少ないため30分後の午前6時10分前にヤンゴン空港のターミナル3(国内線専用)に到着。昨年12月にオープンしたばかりの真新しい建物は、国際線用ターミナル1と統一感を持たせた設計になっているようです。
 
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ターミナル3の1階にはチェックインカウンターが並んでいました。左端にセキュリティチェックが少し写り込んでしまいましたが、ボディチャックも入念(二重)に行われます。
 
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2階の出発ロビーへ移動して搭乗時間までホテルで準備してもらった軽食ボックスを取り出しました。またまた、40年前に始めてミャンマー(旧ビルマ)を訪れた時、タイのドンムアン空港を発ったミャンマー航空の機内で出された軽食(パン、クッキー、ソフトドリンク)が質素であることに驚いたことを思い出しました。
 
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蓋(ふた)を開けてみると、隔世の感を覚えました。決して豪華とはいえませんが、内容は日本のコンビニでも売っているようなものばかりです。同行者は娘のような(?)ガイドさんとの話に花を咲かせていました。
 
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ちなみに、女性のガイドさんは29歳、流暢(りゅうちょう)な日本語を話しますから、ミャンマーに居ることを意識させません。お寺の学校で日本に長期滞在したことがあるミャンマー人から日本語を習ったそうです。ヤンゴンのダウンタウンから車で1時間ほどの郊外の町に両親と住み、3年前に始めた観光ガイドの仕事が入った時はヤンゴン市内のシェアハウスに宿泊するとのこと。

 

外の様子を見ようとターミナル3の左端に移動すると、何機ものプロペラ飛行機が駐機していました。霧が出ているようで、フライトの遅れが気になります。
 
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定刻になると突然アナウンスがあり、構内バスに乗りました。幸いなことに霧はすっかり晴れています。写真はミャンマー・ナショナル・エアウェイズのプロペラ旅客機。
 
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こちらはミャンマー・ナショナル・エアウェイズのジェット旅客機ボーイング737-800
 
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こちらのプロペラ機が我われの搭乗するAIR KBZK7 242便、機体はフランスとイタリアの航空機メーカーの合弁会社であるATR社製のターボプロップ双発旅客機ATR 72-500(あるいは72-600)。3年前にハワイのホノルル空港から離島のラナイ島にあるラナイ空港まで乗っで乗ったプロペラ機もATR社製だったと思います。注、ターボプロップ・エンジンは、ガスタービン・エンジンの一形態で、エネルギーのほぼすべてをプロペラの回転に利用する方式。戦後において国産初(国内での運用期間1965-2006年)の旅客機となったYS-11も採用したエンジン。
 
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後部ドアから乗り込むスタイルになっています。ちなみに、前部にあるドアは荷物の搬入口になっているようです。
 
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同行者も窮屈なタラップを上がります。
 
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(続く)

2017年3月24日 (金)

40年ぶりのミャンマー訪問(その4) ヤンゴン空港からダウンタウンへ

機内からボーディングブリッジに出ると直ちに熱波が体に伝わりました。午後4時過ぎとはいってもまだ最高気温からあまり下がっておらず、外気温は35度以上あるのは確かなようです。11番ゲートとの間にあるエスカレーターを利用して1階にある入国審査場(Imigration)へ下りると、ミャンマー国籍、ASEAN国籍、その他外国人(Foreigners)、外交官(Diplomat)の4種類に分けられたカウンターが並んでいました。

 

入国審査はパスポートとビザの確認はもちろん、カメラの映像による顔認証チェックを行う別の場所にいると思われる係官と音声連絡を取り合うという念の入れ方で、一人当たりの所用時間は一般的な国の入国審査の2倍以上とかなり長いものでした。ただし、到着する便数がそれほど多くないため、入国審査を待つ人がカウンター前のエリアに溢(あふ)れることはありません。

 

また、預けた荷物が引き取り所に出てくるペースも遅く、こちらの方がネックと思われます。ちなみに、ビジネス目的で訪れる人にだけ対応するアライバルビザのカウンターは左後方(ガラスで隔てられた出国チェックインカウンターエリア寄りにありました。

 

40年前にこの空港に初めて到着したのはバンコクのドンムアン空港を経由したため、入国手続きを終えてターミナルビルを出た時には、日はとっぷり暮れていました。暗闇の中、大人や子供たちの手が四方から私のスーツケースに伸びて奪い合いに! チップを貰いたいのです。その人混みを必死に掻(か)き分けて、なんとか出迎えの人を見つけた時には正に地獄で仏に会った思いでした。今回は荷物引き取りエリアを出たところで旅行会社の現地係官員が出迎えてくれました。

 

最初にすることはドル紙幣をミャンマーの通貨であるチャット(Kyat)に交換することです。近くにあったミャンマーの大手商業銀行であるMAB(Myanma Apex Bank)の窓口を利用することに。ミャンマーならではのユニークなルールに驚かされました。交換レートを表示するパネルを見ると、US$をチャットに交換する場合にはドル紙幣の額面に応じて3種類のレートがあるのです。100ドル札と50ドル札はもっとも有利なレートになっていますから、日本を出国する際にチャットへ交換する金額分についてはドル高額紙幣を入手するとよいでしょう。
 
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ちなみに、市中で米国ドルが普通に流通するベトナムほどではありませんが。外国人観光客が立ち寄るホテル・レストラン・土産物店などでは米国ドルを使用することができるそうです。また、通常流通しているチャット通貨(紙幣だけ)は50チャットから1万チャットまで7種類あります。
 
 

ターミナル1から出るとそこは成田空港と変わらない現代的な世界がありました。40年前の空港ターミナルの面影はどこにも見当たりません。
 
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ターミナル1の3階にあるショップ・レストラン街から連絡通路が駐車スペースの先まで伸びています。
 
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現地係員が携帯電話で連絡すると、比較的新しい日本車(トヨタ・クラウン)が現れました。この車に乗って約15km離れたダウンダウン方面に向かうようです。渋滞がなければ45分ほどとのこと。道順から考えればホテルにチェックインするのが先のはずですが、夕方になるとレストランがあるダウンダウンで渋滞が発生するため、先にレストランに立ち寄ることになりました。
 
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ちなみに、ミャンマーは他のアジア諸国(タイ、インドネシア、ベトナムなど)と同様、4Gサービスを含む携帯電話(SIMカード)が人口とほぼ同じ数までこの2年間で約10倍へ急増加ています。つまり、人口普及率は100%と日本と変わらないのです。携帯電話の会社別シェアは、国営のMPT(郵電公社)のシェアが約5割、ノルウェーのテレノール社が約3割、カタールのウーレドゥー社が2割弱。
 
 

ヤンゴンのダウンタウンへ向かう道路(U.Wisara Rd./ウー・ウィサラ通り)を南下して、“WELCOME“とビルマ語で歓迎を意味する言葉が植栽文字で表示されている場所に差し掛かりました。現地係員に尋(たず)ねるとヤンゴン地区で最大のインヤ湖であるとの答えが返ってきました。40年前に訪れた時にインヤ・レイク・ホテルに立ち寄ったことを思い出します。ロシア(当時のソ連)の援助で建てられた湖畔の高級ホテル(主に外国人向け)で、現在もインヤ・レイク・リゾート・ヤンゴンの名称となって存在するそうです。注、言語はミャンマー語ではなくビルマ語、ミャンマーはビルマ族以外の独自言語を持つ民族を含む国名
 
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余談です。上の写真でも分かりますが車両は道路の右側を通行しています。戦前はイギリスの植民地であったことから車両は左側通行でしたが、1970年に旧宗主国イギリスの名残(なご)りを消そうと当時のネ・ウィン政権が右側通行に変更したそうです。ただし、経済的な鎖国や欧米諸国による経済制裁が長年続いたため、日本の自動車に対する人気が高く(シェア90%ともいわれ、その大半が中古車)、右ハンドルの車(日本車)が多数走っています。隣国のタイ(日本と同じ左側通行)から輸入したものかと思いましたが、調べると日本から直接送られた中古車とのことです。特に、バスやトラックは車体に日本企業の社名などが掛かれたものを多く見かけました。事実、我々が乗車する車(トヨタ・クラウン)も右ハンドルなのです。注、輸入する新車は左ハンドルのみが販売可

 

ヤンゴン大学脇を過ぎた巨大なロータリーの中央にパゴダに似た奇妙なオブジェを見つけました。これについても現地係員に尋(たず)ねましたが、その説明は後日の訪問先の項でしたいと思います。
 
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市民公園People’s Park)の中を抜ける道路(U Wisara Rd.、注、イギリス統治に抵抗したミャンマの高僧に由来する名称)からシングッダヤの丘に建つシュエダゴン・パヤー(Shwedagon Paya)を望むことができました。ヤンゴンを代表する信仰の地であり、観光地でもあります。注、シュエは金、ダゴンはヤンゴンの古い地名、パヤーはパゴダ(仏塔の英語表現)を意味するミャンマー語
 
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ミャンマー国鉄の鉄道線路を越える陸橋(跨線橋、こせんきょう)の先にある交差点でボーヂョーアウンサン通り(Bogyoke Aung San Rd.)へ左折して200m近く東進すると、ボーヂョーアウンサン・マーケットの前に出ました。ヤンゴンで最大かつ最もにぎやかなマーケットだそうです。ちなみに、ボーヂョーアウンサンはイギリスからの独立運動を主導したミャンマーの英雄アウンサン将軍の名前に由来し、アウンサン・スーチー氏の父親でもあります。
 
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さらに300m余り先、ボーヂョーアウンサン通りとスーレー・パヤー通りが交わる交差点の南東角にあるオフィスビルのサクラ・タワー(1999年完成)に午後5時半頃到着。日本企業が建てたこの高層ビルにはホンダや日本航空など日系企業が多数入居しているようです。
 
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最上階(20階)にある展望レストラン「ティリピサヤズ・スカイ・ビストロ」でビルマ料理を味わう予定です。注、このレストランでは洋食と和食も提供される トリップアドバイザーによるとヤンゴンのレストラン620軒中61位にランキングされています。ちなみに、左手の女性は今回の旅行でお世話になった現地係員。店内は日本人などの観光客とビジネス客が多いためか高級感があり、何と言っても北方向と南方向の眺望(ちょうぼう)がすばらしいのです。
 
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40年前の思い出に浸(ひた)ろうと、ヤンゴン(旧ラングーン)に長期滞在していた時、毎日のように飲んでいたマンダレービール(1886年創業、国軍系企業の製品、キリンビールが買収することを発表)を注文しましたが置いていないとのこと。現地係員の説明では現在のヤンゴンにはマンダレービールを置く店はほとんどないとのこと。代わりに人気があるというミャンマービール(現地製造をするハイネケンが20年前に撤退したことで同じ産業省系企業として発足、市場シェア約80%、昨年キリンビールが買収)を勧められました。マンダレービールは2日後にマンダレーを訪れるまでのお預けのようです! 日本風に冷やされたミャンマービールは味も日本のビールに似ており、ドイツの品評会で受賞するなどミャンマービールの品質は高く評価されているそうです。2杯目は無料でサービスされました。
 
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ボーヂョーアウンサン通りに面した窓際の席から北方にあるシュエダゴン・パヤーを望むことできます。木々が生い茂った丘の上にあるここと、周辺に高い建物を建てることが規制されているため西日に輝く黄金の仏塔が神々しい。
 
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配膳を待つ間、南側に広がるダウンタウン(旧市街地)も見てみたくなりました。その中心であるスーレー・パヤーSule Paya、注、スーレーは南方仏教聖典に使われたパーリ語で聖髪を意味する)を写真の中央やや右寄りに、そしてヤンゴン川にあるパンソダン埠頭(ふとう)付近にあるイギリス統治下に建てられた建物群を左手に入れて撮影。右端の建物は2013年に改装して名称も格上げされたホテル「スーレー・シャングリ・ラ ヤンゴン」(22階建て、旧称トレーダーズ・ヤンゴン)。
 
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旧市街地はスーレー・パヤー通りとマハバンドゥーラ通りが交差するロータリーにあるスーレー・パヤーが都市計画の中心地になっています。その左後方には独立記念塔(写真左端)があるマハバンドゥーラ公園と昨年オープンしたヤンゴン証券取引所(木立に囲まれた建物)。右後方にはAGD銀行(アジアグリーンデベロップメント銀行)と最近建てられたと思われる高層ビルが並んでいます。また、スーレー・パヤー通りがヤンゴン川に行き当る場所にある茶色の建物は貨物倉庫のようです。注、旧市街地が碁盤(ごばん)の目状に整備されたことが航空写真でよく確認できる
 
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ヤンゴン川沿いに左手方向へ視線を移すと、見覚えのある尖塔(せんとう)や丸いドーム状の屋根など、古い様式の建物が残されていました。イギリス統治時代の建物が多く残るエリアです。40年前に定宿としたストランド・ホテルもこの一角(尖塔がある建物の左手)にあるはずです。
 
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ミャンマー料理が配膳されました。手前はスープにも見えるミャンマー風カレー「ヒン」とライス、その後方には右手前から反時計回りに、揚げた魚肉のカレー味煮込み料理、海老とイカなどの海鮮料理、野菜サラダがそれぞれ大皿に盛られています。野菜サラダの手前にある小皿にはお好みに応じて振り掛けるものが入っています。ちなみに、ミャンマーの習慣ではこのように大皿や鍋で配膳された料理を各自が取り分けて食べるのが一般的なのだそうです。味はややピリ辛ですが日本人の口にも抵抗なく合うものです。ただし、量が多いため食べきれませんでした。
 
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これは「ラペットゥ」。小皿に取り分けて好きなものを好きなようにブレンドしてそのまま、あるいはお茶漬けにして食べるようで、ミャンマーのスナックあるいはフリカケといえるでしょう。中央の緑色のものは発酵させたお茶。「ラペットゥ」の名前の由来はラぺ(茶の葉)を混ぜた(トゥ)と単純です。
 
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レストランに立ち寄ることを優先した現地係員の判断は正しく、午後6時が近づくとボーヂョーアウンサン通りで大渋滞が発生している様子が見て取れました。道路の右側には丸いドーム屋根があるボーヂョーアウンサン・マーケットと聖三位一体大聖堂Holy Trinity Cathedral Church、イギリスによる植民地化が完了/インド帝国へ編入された1886年の創立)が見えます。ちなみに、国民の約9割が上座部仏教徒であるミャンマーで2番目に多いのがキリスト教徒だそうです。
 
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デザートはコーヒーまたは紅茶と餅米(もちごめ)ケーキです。満腹になった私は紅茶だけをいただきました。
 
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薄暮(はくぼ)になった午後6時30分ころ、先ほどまで夕日を浴びて黄金に輝いていたシュエダゴン・パヤーでライトアップが始まりました。夜の黄金仏塔は期待通りの幻想的な雰囲気に包まれています。
 
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(続く)

2017年3月22日 (水)

40年ぶりのミャンマー訪問(その2) 成田空港を出発

出発25分前の10時35分に搭乗の案内がありました。いつもの習いとして、短時間で機内へ入れるよう、人の列が短くなってから最後尾に並ぶようにしています。
 
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中型双発旅客機のボーイング767-300(座席数は214、巡航速度870km/h、航続距離9,700km)はほぼ満席(CAさんによると空きは約30席)です。この機種には空気抵抗を減らすウィングレットと呼ばれる垂直翼が主翼の先端についています。全日空(エアージャパン)はこの機種を大量に使用していますが、初期のものは導入して20年が経過するため新鋭機のボーイング787などに置き換えられつつあるようです。ちなみに、ビジネス席は横5列で余裕がある一方、エコノミー席は横7列でやや手狭な印象があります。主翼脇の座席を割り当てられることが多いのですが、今回は少し後ろの主翼を外れた場所ですから、窓越しの視界が良いと期待されます。ただし、エンジン音は?!
 
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ちなみに、隣に駐機するのはワイドボディで航続距離が長い双発旅客機ボーイング777-300ERのようです。

 

各座席にはUSB端子(入力用)が装備されデジカメやスマホの充電ができ、機内Wi-FiOnAir(有料)も提供されていました。USB端子(写真右)の左隣にある見慣れないコネクタはドック接続するiOS機器との接続用と思われます。
 
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最新鋭機のボーイング787がエプロンから先に出て行きます。
 
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離陸後の飛行時間は7時間19分の予定であるとのアナウンスと機内の安全についての注意があって定刻の午前11時ちょうどにターミナルを離れました。
 
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誘導路は飛行機が列をなして、ちょっとした渋滞が発生中
 
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エヤ-カーゴの駐機場脇を通過
 
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A滑走路を離陸したのは11時20分過ぎでした。
 
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東関東自動車道成田JCTの上空を通過し、
 
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印旛沼の手前で旋回し、
 
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成田空港の上空に戻りました。
 
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そして、成田空港の南西約10kmにある酒々井(しすい)プレミアム・アウトレットが眼下に現れたと思えば、
 
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あっという間に東京湾を横切って三浦半島に差し掛かりました。
 
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12時40分ころに昼食のサービスがありました。私は「鶏の唐揚げと彩り野菜弁当」を、同行者は「シーフードのトマト煮バジル風味」を選択。
 
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いずれも美味しく食べましたが、量が多めで、少し残してしまいました。(続く)。

2017年2月 5日 (日)

久しぶりの南房総ドライブ旅を満喫する(その5) 相浜漁港の相浜漁業組合直営「相浜亭」

観音堂から間近に見えた船形漁港にある館山船形漁業協同組合直営の海鮮料理店「ふれあい市場」もありますが、この日は外海(相模湾)に面した相浜漁港にある同種の食事処で昼食を摂(と)ることを予定していました。県道302号と県道296号を経由して入った国道127号(館山バイパス)は立山市の中心部で国道410号(北条バイパス)に変わりました。右手の小山に見える館山城は、戦国大名の里見氏の居城跡で、現在は城山公園に三層四階天守閣(八犬伝博物館)になっており、江戸時代の文豪曲亭馬琴が著した「南総里見八犬伝」に関する資料が展示されているそうです。

 

山間を抜けて海岸に出た相浜交差点から県道252号にそれて漁港の雰囲気がある集落に入りました。「相浜亭は右折」の案内標識を過ぎると漁港がありますが、目的の相浜漁業組合直売所は見当たりません。何と、そこは相浜漁港ではなく布良(めら)漁港でした。7年前に布良鼻灯台を求めて立ち寄った場所であることを思い出しました。

 

地元の方に尋ねて相浜漁港は郵便局の脇の道に入って300mほど進んだ場所にあることが分かりました。先ほどの見かけた「相浜亭」の案内看板に従うべきだったようです。相浜漁港は布良漁港に比べると規模の小さな港です。
 
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干物が作られています。
 
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路上に駐車する車もありますが、相浜漁業集会所の横にある相浜漁協直営「相浜亭」の駐車場に車を停めさせていただきました。
 
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「相浜亭」とは反対側に目的とする「相浜組合直売所」を見つけましたが、店内にも人影がなく、呼びかけても返事がありません。開店休業なのでしょうか?定休日は翌日(火曜日)のはずですが・・。予約することが関連のサイトで勧められていたことを思い出しました。予約が入った時だけ営業するのかもしれません。 「海鮮バーベキュー」を楽しみたいと相原漁港まで遠出して来たのについていません。
 
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それではと、「相浜亭」へ向かいました。こちらもプレハブ造りの漁協直営店らしい佇(たたず)まいです。メニューに海鮮バーベキューは入っていませんが定食と海鮮丼がお勧めの料理のようで、駐車している車の多さから料理は期待できそうです。
 
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店内に入って驚きました。空席を探すのが大変なほど客が多いのです。テーブル席が約20席、小上がりと奥の席を合わせると30席以上はありそうです。注、小上がりの写真は相席だったこともあり食事を済ませた後に撮影
 
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注文を取る女性と配膳する男性が忙しそうに店内を動き回っています。小上がりの席でメニューを眺めて、私は伊勢海老の味噌汁に惹(ひ)かれて季節限定のイチオシ定食メニュー「相浜定食」(1500円)を、同行者は相浜漁協イチ押しの丼「海鮮丼」(950円)を選びましたが、注文を取ってもらうまでしばらくかかりました。
 
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そして残念なことに、この日は海老がないと言われたため、煮魚・刺身・天ぷらを組合せた「はらいっぺぇ定食」(1000円)に変更。伊勢海老は秋から春が旬ですが、折からの荒天(強風)で漁ができないのかもしれません。強風に煽(あお)られたプラスチック製の天井(実は屋根)が音を立てています。

 

入店しておよそ20分後に配膳されました。同行者の「海鮮丼」は見るからに新鮮でおいしそうです。
 
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私の「はらいっぺぇ定食」は品数が多く、ご飯もたっぷり盛られています。ご飯を食べきることはできませんでしたが、煮魚・刺身・天ぷら・ひじきの小鉢はいずれも美味しく完食できました。
 
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相浜漁港に到着して約1時間後には次の目的地へ向けて出発しました。港から国道410号(房総フラワーライン)に出る途中、海岸に打ち寄せる波の荒さに惹かれて平砂浦と相浜海水浴場方面を撮影しました。右手遠方に須崎の大山付近が写っています。
 
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国道410号を東進して白浜にある野島埼灯台の近くを通過。
 
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外海のためか岩場に押し寄せる波が一層荒く見えます。
 
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(続く)

2017年2月 1日 (水)

久しぶりの南房総ドライブ旅を満喫する(その1) 東京湾アクアライン

季節外れの温かさに誘われてドライブに出掛けました。最高気温が18度前後と四月上旬並みの温かさになるとの予想が出されたことで思い立ったのです。ドーン(黎明)になるのを待って自宅を出発し、午前8時前には首都高速道路の浮島JCTに併設されたIC(川崎市川崎区)から「東京湾アクアライン」(国道409号)へ入りました。ETC車割引料金は800円。夜来の雨が上がったことで快適な房総半島ドライブになるはずです。
 
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ちなみに、これまでは2006年の「富津岬・鋸山」、2007年の「七里川温泉」、2010年の「花と灯台」の各記事で房総半島の観光スポットを紹介してきました。そして、2012年にも房総半島をドライブする計画を立てましたが、「ちばアクアラインマラソン」で車の通行が規制されたために目的地を茨城に急遽変更して、キャンセルして以来です。

 

これまでのブログ記事では東京湾アクアラインを通過したと記しただけ、その詳細についてはほとんど触れていませんので、遅まきながらその概略に触れたいと思います。

 

東京湾アクアライン」(正式名称:東京湾横断道路)は約19年前の1997年12月18日に開通した全長15.1kmの自動車専用道路で、西側(神奈川県川崎市側)の海底トンネル(9.5km長)と東側(千葉県木更津市側)の海上橋(約4.4km長)で構成され、その境界には木更津側の人口島の「海ほたるPA」(休憩施設)が設置されています。また、海底トンネルの中央付近には川崎側の人工島である「風の塔」(トンネル内の換気用)もあります。

 

海底トンネル区間は直径14.14mの泥水加圧式シールド工法で建設されたそうです。つまり、直径が15m近くもあるシールドマシン(長さ13.5mの掘削機械)で水面下約60mを円形状に掘削しながら、その後方をコンクリート製の  で固めて造られたトンネルです。上り車線用と下り車線用の2本のトンネルが並行する形で掘削されましたが、工期を短縮するため川崎市浮島側と、先きに建設された海ほたる(木更津人口島)、そして、風の塔(川崎人口島)の3か所から8機のシールドマシンで掘削されたそうです。注、風の塔からは東西両方向に向けて掘削

 

ちなみに、「海ほたる」は水深31mの場所に建設された盛土式の人工島で、島の天端幅が100m、長さ方向が650mの大きさがあり、豪華客船をイメ-ジしたPA(休憩施設)が設置されています。「風の塔」(川崎人工島)は、トンネルの中央部に位置する外径約195mの円形で、トンネル内の換気を行うために設置された換気塔で、海面上96mの大塔と81mの小塔からなります。関心があるかたは「海ほたる」の1階にある技術資料館「うみめがね」(入場無料)に立ち寄ると良いと思います。
 
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「海ほたる」が近づくと警報が表示されていました。木更津市側ではまだ雨が残っているようです。
 
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例によって、「海ほたるPA」に立ち寄ることにしました。
 
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5階までエスカレーターで上がり、展望デッキの先にあるテラスから川崎側にある「風の塔」方面を撮影しました。「南房総の花と灯台」で紹介した写真と同じ場所ですが、前回とは異なりかなりの強風が吹いています。
 
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眼下には海底トンネルが「海ほたる」に上陸する部分と思われるエリアがあり、その脇にはシールドマシンの先端部のモニュメントが置かれています。ちなみに、円盤状のパネルに多数取り付けられた掘削歯は実際に使われたものだそうです。
 
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こちらは振り返って見た5階の店舗エリア
 
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そして、木更津市の工場地帯はまだ低い雲が立ち込めています。
 
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同じ5階にあるフードコートの「あさりや」見つけたのは「あさりまん」
 
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あさりの新鮮な風味を期待したのですが・・・。
 
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3階にある駐車場に戻って東京湾を航行する貨物船を撮影
 
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千葉県木更津市側の東京湾アクアライン(橋梁区間)に入ります。
 
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木更津金田IC(料金所)を通過して一般道(県道270号)へ出ます。
 
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さらに、国道16号で木更津市内を南下
 
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国道127号で君津市を通過
 
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富津市を通過して館山自動車道の富津中央ICが近づきました。
 
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強風注意報が出されています。
 
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(続く)

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