グルメ・クッキング

2018年6月13日 (水)

中欧3か国を巡る旅(その45) ブダペストで宿泊したホテル

午後9時ころ、宿泊する「レオナルド ホテル ブダペスト」(LEONARDO BUDAPEST)に到着。ペスト地区(旧市街)の南端に近い場所にありました。
 
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ハンガリーでも喫煙は屋外だけに規制されているようです。2人の男性の後方に”so many salads, so little time”と書かれた看板があることに気づきました。このホテルのレストランのキャッチコピーのようですが、英語らしい常套句であり、セールス用キャッチコピーでよく見かけます。
 
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翌朝は午前5時過ぎに起床。午前6時ころに自室から見た公園
 
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空には雲がかかっています。
 
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午前6時半過ぎに近くの建物の屋根から太陽が覗き始めました。
 
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午前7時になりましたのでカフェテリアへ向かいました。
 
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ホテル名に合わせてレオナルド・ダビンチの「ウィトルウィウス的人体図」が廊下のカーペットに描かれています。
 
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廊下に飾られた装飾品
 
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カフェテリアに到着しました。右手にはすでに多くの宿泊客が朝食を摂っています。カフェテリアを通り抜けた先にはバーがありました。
 
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これは同行者の選択ですが、私が選んでいるうちに食べ始めていました。
 
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私の選択はこの日もあれこれ欲張りです。
 
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この日は午前9時20分にブタペスト空港(リスト・フェレンツ国際空港)へ向かうことになっていますから、それまでの時間を利用してホテルの周辺を30分ほど散策することにしました。
 
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路上駐車は当たり前のようです。
 
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単調な街路を四角いルートで歩いたため、15分ほどでホテルの横に戻ってしまいました。
 
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早朝、ホテルの自室から眺めた公園に入ってみました。
 
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歩いたエリアは道路と建物しかなくて殺風景だと思いましたが、航空写真で確認すると、それぞれの建物にはほぼ例外なく中庭が設(しつら)えられていました。人口密度が高い都市の住宅地には優れた都市計画です。注、京都の町屋の構造に近い つまり、開放された公園はブダペストの旧市街では珍しいのです。
 

しばらく公園で過ごした後、ホテルへ戻りました。朝になって見ると自室は簡素なものですが、一泊するだけですから、これで十分です。いつものことですが、夜のうちにパッキングをほぼ済ませていますから、最終確認をした後は出発時間が来るまで自室で寛(くつろ)ぎました。
 
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(続く)

2018年6月 6日 (水)

中欧3か国を巡る旅(その38) ウィーンからハンガリーのブダペストへ

ウィーンを出発する日になりました。午前6時30分ころ、自室の窓越しに表通り(ラントシュトラーセル・ハウプト通り)を撮影。
 
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午前7時から1階のカフェテリアで朝食。こちらは同行者の選択で、
 
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こちらが私の欲張ったメニューです。
 
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午前8時30分にホテルを出発。アウトバーン(A4)と高速道路(E60)でハンガリーのブダペストへ向かいます。距離は243km、約3時間の長距離バス旅です。途中、無数とも思えるたくさんの風力発電所が存在していました。
 
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南東方向へ約70km走り、ハンガリーに入った最初のガソリンスタンドでトイレ休憩
 
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出発した時のウィーンからガソリンスタンドに到着するまでは晴れていましたが、さらに東南東方向へ約140km走ってブダペスト(人口183万人)が近づくと小雨が降りはじめました。そして、案内標識には、高速道路”E60”に加えて、“M1 Budapest”の表示も現れました。
 
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ハンガリーという国名は知っていても日本人にはあまり馴染みのない国の一つかも知れません。思いつくものを挙げてみると、フォアグラ(灰色ガチョウの肝臓)、グースダウン、貴腐ワイン、カロチャ刺繍、パプリカ、木製雑貨、などと、農業国のイメージが強いといえます。以下に、ハンガリーを理解するために概要を紹介します。
 

農業国であったハンガリーは第二次世界大戦後、社会主義国(現在は資本主義国)として重工業化が進められたことで車両生産を始めとする各種工業が盛んになり、輸入した原材料を加工して輸出する産業構造になっています。ちなみに、現在は輸出額の80%以上を工業製品が占めていることからみて、日本に近い産業構造といえるでしょう。
 

地理的には北にカルパチア山脈、南にバルカン半島、東はウクライナ、西はオーストリアに接し、ドナウ川が国土を貫流しています。国土全体はほぼ平たん(西部は丘陵、東部は平野)で、西欧・ロシア・バルカン・トルコなどを結ぶ交通の要所となっています。
 

現在のハンガリー人はウラル山脈周辺から移動したマジャル人であると考えているようです。今のウクライナを経て9世紀の後半に今のハンガリーに移動し、スラブ系を中心とする原住民と混血し、定住したとされています。現在の人口は約1000万人(首都ブダペスト:175万人)。
 

ハンガリーの歴史を2000年前からレビューしましょう。
 
紀元前1世紀にローマ帝国の属州となり、4世紀後半にフン族、6世紀に遊牧民のアヴァール人が侵入。8世紀にはフランク王国の支配下となり、9世紀にマジャル人が侵入。1000年にハンガリー人がハンガリー王国を建国。13世紀にはモンゴル帝国軍が来襲して大きな被害を受けるが、14-15世紀には中央ヨーロッパの強国になる。
 

15世紀後半からオスマン帝国の強い圧力を受け、1541年にオスマン帝国軍との戦いに敗れてブダを占領されたことで領土の2/3がオスマン帝国の支配下となり、残り1/3はオーストリアが分割支配した。1683年にオスマントルコ帝国が軍事的に後退すると、ハンガリーおよびハンガリー王国領のクロアチアとトランシルヴァニアはオーストリアに割譲され、1867年にオーストリア=ハンガリー帝国となる。
   
第一次世界大戦で敗戦国になり、オーストリアから独立して1918年に共和国(1920年にハンガリー王国)となる。1945年に第二次世界大戦の敗戦国となり、1946年に王政を廃して共和国(ソ連の支配下)となる。1989年に第三共和国が成立。2004年にEUに加盟。
 
高速道路
M1)は、「ドナウの薔薇」と讃えられる美しい首都ブダペストのブダ地区からドナウ川対岸(東岸)のペスト地区へと続きます。
   
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ペスト地区に入って一般道のトムバ通りにそれて東進し、”Leonard Hotel”の前を通過するところまでは確認できました、その後は複雑なルートを走っているようです。前方に黄色い教会が確認できましたが、名称は不明です。
 
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社会主義時代のものと思われる銅像の台座には”VITAM ET SANGUINEM!”と刻まれています。
 
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午前11時45分ころ、昼食のためハンガリー料理のレストラン「カルテンべルグ」(Kaltenberg)に入るようです。
 
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階段を下りるとレンガ造りの地下倉庫をリノベーションしたストランであることが分かりました。
 
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セットアップされたテーブル
 
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ハンガリー起源のスープ「ハンガリアングヤーシュ」は、牛肉、ラード、タマネギ、パプリカなどから作られるそうです。少し濃いめの味付けが食欲をそそりました。
 
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「ドルマ」というトルコ料理がヨーロッパに伝わって形を変えたと言われる「ロールキャベツ」ですが、キャベツの酢漬け(ザワークラウト)に載せてサワークリームをかけたハンガリー風はマイルドな味でとても美味しい料理です。長い歴史があることから、今やハンガリー料理と呼んでもよいでしょう。
 
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温かいスープ「ハンガリアングヤーシュ」をベースにしたハンガリーで定番の牛肉料理で、ご飯が添えられています。「グイヤーシュ」はカレーのように見えますが、濃くのあるスープで、牛肉との相性の良いものです。カレーライスのようにご飯と一緒に食べると味がマイルドになりました。
 
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ちなみに、グヤーシュは牛肉とみじん切りにしたタマネギを一緒に炒めて、パプリカパウダー/コンソメ/胡椒を入れ、パプリカ/トマト/ニンジン/ジャガイモを大まかに切ったものを加えて良く煮込んだものです。(続く)

2018年6月 5日 (火)

中欧3か国を巡る旅(その37) ウィーン旧市街観光(自由行動⑤) ウィーン・モーツァルト・オーケストラの演奏会

通常のトラム(2番)に乗ってリングトラムに乗りながら確認したバス停まで移動しました。ちなみに、バスの路線番号は”74A”。ちなみに、左端に写る建物は「オーストリア応用美術博物館」。注、”HALTESTELLE”は停留所、“A”は”AUTOBUS”のイニシャルではなく、”A””B”の2つのグループがあるうちの”A”
 
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当初の心積もりでは、旧市街の南東にある(トラムDのシュロス・ベルヴェデーレ駅に近い、宿泊するホテルから約1.5kmの距離)[ベルヴェデーレ宮殿(上宮)]へ出掛けて、クリムトやシーレなどの展示を鑑賞することにしていました。もちろん、わが家にポスターがあるクリムトの「接吻」(1908年に描かれた絵画)を鑑賞するためです。しかし、時間的には可能ですが取り止めて、ホテルの自室で1時間余り休憩することにしました。夜のクラッシク・コンサートを鑑賞するためには観光用のカジュアルな服装をフォーマルなものに着替えることも必要です。

 

バスに乗って市立公園脇の“Stubentor U”停留所まで戻り、2時間後にはStubentor”(シュトゥベントール)駅でトラムに乗車し、市立公園の前を通過します。
 
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「ウィーン国立歌劇場」近くの”Kärntner Ring, Oper”停留所に到着。
 
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「ケルントナー通り」から右手のマーラー通り(アーケード街)に入りました。
 
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夕食の会場はオーストリア料理の人気レストラン“BRISTOL LOUNGEです。「楽友協会」で開催される夜のコンサートと夕食がセットになったコースを事前に予約してありました。
 
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ウィーンの中心部の人気レストランらしく、高級感が漂う落ち着いた雰囲気があります。
 
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前菜に次いで「牛肉のカルパッチョ」(Rindercarpaccio)が配膳されました。ロケットの葉(ルッコラ)とパルメザン・チーズがトッピングされています。
 
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この日はオーストリアで主流である白ワインをあえて注文
 
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メイン料理はスィート・ポテトのクリームおよび茹(ゆ)でたブロッコリーを添えた「サーモン・トラウト(切り身)の焼き物」(Gegrilltes Lachsforellenfilet)またはハンガリー風牛肉煮込みの「オニオン・グレービーソースをかけたロースト・サーロイン・ステーキ」(Alt Wiener Zwiebelrostbraten)から選べます。ちなみに、後者はガーデン・ビーンとフライド・ポテトがトッピングされています。
 
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デザートはホワイトチョコレート・ソースおよびピスタチオ・アイスクリームと組み合わせた「モーツアルト・クノーデル」(Mozartcnodel)。ちなみに、「・クノーデル」はジャガイモの団子で、「モーツアルト」を冠しているのは無類のお菓子好きであったモーツアルトに由来すると思われます。
[作り方の例] 皮を剥(む)いて茹(ゆ)でたジャガイモを潰(つぶ)し、バター/セモリナ粉/塩/卵黄/粉糖と混ぜ、捏(こ)ねて生地にしたものを麺棒で延ばて約2時間待つ。それを巻いて、適当な大きさに切り、それぞれを団子に成形して約10分間茹(ゆ)でた後、水を除いてからバターを入れたパン粉を塗(まぶ)して完成。
 
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こちらが夕食とクラッシク・コンサートがセットになったチケット(シルバー・パス)の料金は1人100ユーロ(約1万3000円)です。ちなみに、座席はカテゴリーCの1列目6番 注、郵送してもらったため2人分の合計金額は212.9ユーロ
 
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日没したリング通りを歩いて「楽友協会」へ向かいます。ちなみに、「モーツァルトVIPチケット」(320ユーロ)を購入するとレストラン「オープス」からコンサート会場までの辻馬車フィアカーサービスなどを受けられます。
 
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昼間にも訪れていますから、迷わず最短コースで到着したころには、急に薄暮となりました。
 
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受付けのようなショップは、午後のガイド・ツアー後に立ち寄って、「楽友協会」の写真集を買い求めた場所です。
 
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大きな手荷物や外套などはホールに持ち込めませんからクロークへ立ち寄った後、開演30分前にチケットの種類ごとに指定された階段で2階へ上がりました。チケットはブラームスホールの各入口で担当者が確認します。ただし、日本のようにチケットの捥(も)ぎりはありません。
 
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「ブラームス・ホール」は観客がまだ疎(まば)らです。”B”席と”C”席の間に柱があることが気になり、後で調べると、完成後にホールを縦長に変更したためでした。
 
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チケットの種類と座席の関係を説明します。VIP席は両側にある2階席(バルコニー)の前半分、上級席は舞台に一番近い正面のエリア、その次は“A”、”B”、”C”の順。そして、2階席(バルコニー)の後ろ半分は”B”に、舞台の後ろの2階席は”C”に、後方2階席(バルコニー)の最前列は”A"席、その後方は”C"席に指定されています。ちなみに、総座席数は601。

 

徐々に客の数が増えたところで、2本の柱の間からも撮影。左側の壁にはブラームスの胸像のようです。ちなみに、”C"席は一番後ろですが、”B"席よりも一段高くなっており、しかも我われの席はその最前列ですから、前の席に座る人の頭を気にする必要はありません。つまり、ほぼ写真のように部隊の演奏者を見ることができます。
 
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開演3分前になると、当時の様式に従った豪華な衣裳と鬘(かつら)をつけた「ウィーン・モーツアルト・オーケストラ」の団員がステージに登場。ズームアップしながら慌てて撮影したため手振れ写真になってしまいました。綺麗な写真が「ウィーン・モーツアルト・オーケストラ」のhpで見ることができます。
 
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ここから先(演奏中)はカメラ撮影ができません。

 

演奏曲目はモーツアルトの名曲集的な内容が続きました。ドン・ジョバンニから序曲、アリア、デュエット、フィガロの結婚、魔笛、アイネ・クライネ・ナハトムジーク、などのセレナーデ、交響曲40番、同41番「ジュピター」、ピアノ・バイオリン・フルートコンツェルトなど。そして、フィナーレは「ウィーンフィルのニューイヤー・コンサート」のアンコール曲であるシュトラウスの「美しく青きドナウ」と「ラデツキー行進曲」が演奏されました。後者ではお決まりの手拍子を観客に求めるサービスもあり、500名弱の観客は大いに盛り上がりました。

 

約1時間40分のクラッシク・コンサートが終わり、正面の大きなドアを開けて外に出ました。
 
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トラムの最寄り駅であるシュヴァルツェンベルクプラッツ(Schwarzenbergplatz)駅まで歩き、トラムに2駅乗車したあと、路線番号は”74A”のバスに乗り換えました。次の写真はホテルの近く、”HEINBURGGASSE”(ハインブルク通り)停留所に差し掛かったころのバス内です。ちなみに、2両連結のワンマンカーの座席は横3列。
 
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(続く)

2018年5月29日 (火)

中欧3か国を巡る旅(その32) ウィーン旧市街観光「旧市街の中心部」へ

貸し切りバスへ戻って、リング通りの外側にあるムゼウム通りに出て、さらに北西方向へ進みました。左手に写る建物は「ミュージアムクオーター(MQ)」です。
 
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自然史博物館(右)の外周に沿って進みます。左手に見えるのは旧市街の中心部を通る地下鉄(U3)の入口です。注、地下鉄(U Bahn)は5つの路線がある
 
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国会議事堂のファサードはギリシャ風です。その前にあるのは「アテネの泉」と呼ばれる噴水で、その上に立つのは知恵の女神「アテナ像」(高さ5.5m)です。右の手のひらには「勝利の女神ニケ」の像を乗せています。また、「アテナ像」の下に並んでいるのはオーストリア・ハンガリー帝国の地域にまつわる寓話の彫像とのこと。道路側に“Parlament”と表示されたコンテナーがあって見にくいことは残念。
 
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「市庁舎前庭園」は大変な賑(にぎ)わいです。年間を通じてさまざまなイベントが開催されているそうです。『シュタイアーマルク(Steiermark)』と『南西シュタイアーマルク(Südwest Steiermark)』の看板が確認できました。ちなみに、シュタイアーマルクはオーストラリアにある9つの連邦州のひとつで、オーストリアの南西部(南にあるスロベニアとの国境に接する)位置にあります。左下には”bauer"(農家)の文字も見えますから地方の物産展かもしれません。
 
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交通規制があるようで、ウィーン大学の手前で左折してリング通りから外側に迂回すると、右手方向(ライスラーツ通りの先)に2本の高い尖塔が見えます。「リング通り」の北西(外側)にあるネオ・ゴシック様式の「ヴォティーフ教会」のようです。ウィーンで2番目に大きな教会で、高い天井と美しいステンドグラスで知られるとのこと。貸し切りバスは、複雑なルートを通ってショッテン通りに入り、旧市街の中心部方向へ向いました。
 
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いつの間にかケルントナー通りに入って少し南下したところに立つ道路標識に“A1 Linz”Schönbrunn”の表示があります。その左手にあるノルトゼー(NORDSEE)はザルツブルグ(モーツアルトの生家の隣)で見かけた魚介類のファストフード店、“Der Mann”(中央)はベーカリー店で、カフェとして営業する店舗もあるようです。
 
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アウグスティナ通りに面したカトリック教会(Katholische Augustinerkirche)の脇を通過
 
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ルートの詳細は定かではありませんが、ミヒャル広場からライトシュール通りとアウグススティーナー通りを経由して、「ウィーン国立歌劇場」の裏手にある広場、アルベルティナ広場(Albertinaplatz)に到着。ここで貸し切りバスを降りました。東へ150mの場所に「音楽の家(Haus der Musik)」があると表示されています。後で詳細な地図で確認すると、一方通行のため通行できない区間を除いて、ほぼ一直線のルートだったと思われます。
注、ウィーンの道路は直線的な道路でも次々に通りの名前が変わることが多い
 
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「ウィーン国立歌劇場」の裏手(フィルハーモニカ通り)を通り、テゲトフ通りに入ると三角の屋根と質素な外壁が印象的なカプツィーナー教会(KAPUZINER-KIRCHEの前に出ました。1633年完成したこの教会でハイドンが皇帝讃歌を作曲したとのこと。
 
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通りの名前がノイアー・マルクト通りに変わると、「ドンナーの泉」がある広場に出ました。
 
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広場の右手方向へ進んで旧市街の主要道路であるケルントナー通りに出ると、ホットドッグの屋台(HUNDE-TANKSTELLE)に行き当りました。
 
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地下鉄(U1&3)のシュテファンプラッツ駅の入口です。小さく写る時計は午前11時少し前を指しています。
 
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左手に伸びるグラーベン通りも人通りが多い主要道路
 
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道路の中央に立つモニュメンをズームアップして撮影。大流行したペストが終焉(しゅうえん)したことを記念して皇帝レオポルド1世が1683年に建てた「ペスト記念塔」です。
 
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旧市街の中心にあるシュテファン大聖堂は世界第3位の高さを誇る尖塔(南塔、高さ:136.7m)と尖った三角形の屋根に特徴があります。注、高さが
 
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近くまで寄って撮影
 
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ケルントナー通りを戻ります。写真は先ほども撮影したホットドッグの屋台の客席
 
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ウィーン国立歌劇場の前(リング通り)に出ました。
 
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ここでグループは一旦解散して、午後一杯(夜まで)は自由行動となりました。(続く)

2018年5月26日 (土)

中欧3か国を巡る旅(その29) 夕食はウィーン名物のウィンナーシュニッツェル

午後7時45分ころ、夕食を摂るレストランに到着しました。旧市街の北東端、カトリック教会(Maria Rotunda)とフェルドナー・ブーツィン・ハーバート医科大学の近く、ファルケ通りにある「レストラン・カルドス(Kardos」でオーストリアの伝統料理「ウィンナーシュニッツェル」を食べます。仔牛のモモ肉を使ったカツレツです。
 
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店内は落ち着いた雰囲気です。
 
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「野菜サラダ」
 
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飲み物はビールを選択
 
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メインは「ウィンナーシュニッツェル」です。急いで撮影したため、後ピンになってしまいました。
   
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プチ薀蓄です。後で知ったことですが、「ウィーンナーシュニッツェル」のルーツはイタリア北部にありました。19世紀半ば、オーストリア領であった北部イタリアで独立運動が起こったため、オーストリアの貴族、ラデツキー将軍が北イタリアへ進軍して何度も鎮圧した時に、仔牛のカツレツ料理(コトレッテ)をウィーンに持ち帰ったと伝えられるのです。ちなみに、ラデツキー将軍の功績を讃えるため、にヨハン・シュトラウスが作曲したのが「ラデツキー行進曲」、ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートのアンコール曲として「美しく青きドナウ」とともに演奏される曲です。注、仔牛のカツレツはもともとフランス料理の1つであるコートレットで、それがイタリアだけではなく日本にも伝わり、日本では入手しやすかった豚肉で代用したことで「トンカツ」と呼ばれるようになった。
 

アイスクリームの写真も同様
 
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午後9時20分にウィーン旧市街地の南東(リング通りから約2km)、ラントシュトラーセ・ハウプト通りに面した「アメディア・ホテル・ウィーン」(4つ星)に到着。
 
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ロビーは黒と赤を対比させた鮮やかな色調です。
 
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部屋も赤と白を配してカラフル
 
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翌朝は午前5時過ぎに起床。朝食は午前6時30分から1階のカフェテリアでバイキング。次の写真は同行者のセレクション。
 
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私はこのような選択をしました。
 
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朝食後はホテルの外に出てみました。
 
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旧市街方向です。路上駐車が許されているため、早朝にもかかわらず、駐車する車が多くみられました。
 
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反対方向
 
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(続く)

2018年5月20日 (日)

中欧3か国を巡る旅(その25) ザルツブルクからハルシュタットへ

集合場所へ戻る途中、ファストフード店でザルツブルク名物の”Bosna”(ボスナ、3.70ユーロ)を購入しました。カレー風味のホットドッグです。日本人の好みにもあっていると思いました。下半分を白い紙で包んで提供されます。見栄えはともかく、その素朴な味は非常に美味しい。店によってはタマネギの代わりにケチャップ味とすることもあるようです。 注、鉄板で焼いた白パンにマスタードを塗り、同じく焼いた細いソーセージを2本挟んで、刻んだタマネギとパセリを加え、最後に最後にカレー粉を振り掛けたもの
 
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バスの乗降所に近い公共施設まで戻りました。相変わらずの雨が続いています。
 
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雨にもかかわらず、バスの乗降所でバスを降りた団体客が道路の向こう側に集まっています。
 
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午前12時40分ころ貸切りバスが出発すると、急に青空が・・。次の目的地は72km東南東にあるハルシュタットです。所用時間は約1時間30分。
 
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雪が残る山の脇を抜けて行きます。
 
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アウトバーンA10で南下、ゴリング・アン・デア・ザルツァッハGolling an der Salzach)でA10を下りて、山道(B162)に入りました。この辺りは、山・湖・滝・塩炭鉱などを楽しむことができる観光地です。オーストリアアルプスの山間エリアに入ったためか、空全体が厚い雲に覆われてしまいました。
 
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路傍の雪の塊
 
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谷川を渡ります。
 
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道路が高地まで上がったようで、さらに雪の白さが目立つようになりました。
 
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は小さな集落に入ります。脇道の先に見えるガストホフ・シェーンブリックGasthof Schönblick)はクセン(Gseng)の近く、ルスバッハ アム・パス クシュット(Russbach am Pass Gschütt)にあるホテルです。このエリアは地形から容易に想像で得切るように、クロスカントリースキーやマウンテンバイクなどの屋外スポーツの施設が充実しているようです。
 
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山間の谷川沿いを走ります。
 
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湖の畔(ほとり)に出て、B166から地方道にそれ、南北に長く伸びる湖に沿って南下しました。ちなみに、窓ガラスに貼られたシールにある”Notausstieg”はドイツ語で非常口を意味します。
 
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長いトンネルを抜けてハルシュタットバス乗降所に到着。人口が1000人弱のハルシュタットは、景勝地ザルツカンマーグート地方(湖水地方)の奥にそびえるダッハシュタイン山塊の山麓に位置する小さな町です。”Hall”はケルト語で「塩」、”Statt”はドイツ語で「場所」を意味します。写真に写る看板はハルシュタット高等技術学校のものです。オーストリアでは学校教育と職業訓練が組み合わされており、その上級(後期中等教育)コースが“HTL”(工業系高等技術学校、日本の高専に近い)。卒業すると社会人となるか、受験して専門単科大学または総合大学へ進学することも可能とのこと。確かに、“Tischlerei”(建具)や“Drechslerei”(木工)、”Zimmerei”(大工)などの言葉が並んでいます。そして、”HTBLA"は技術系の国立単科大学のようです。
 
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ハルシュタット湖の湖畔に家々が並び立つ景観は、世界でも最も美しい湖畔の町の一つとして知られています。一帯は「ハルシュタットとダッハシュタインの文化的景観」として、1997年にユネスコ世界遺産に登録されました。(続く)

2018年5月15日 (火)

中欧3か国を巡る旅(その20) ザルツブルクの宿泊ホテル

食事を終えたころには日が沈んで、薄暗くなっていました。三位一体通り(Dreifaltigkeitsgasse)から屋外で飲食を楽しむ人々が集まるプラッツル(Platzl)広場を通過。
 
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バスの乗降場まて30分近く歩いて戻りました。10分ほど待つとバスが到着。旧市街を横切って市街地の北西端、アウトバーンA1のインターチェンジに近い「アリーナ・シティ・ホテル」に到着。清潔ながら質素な客室と華やいだレストランやバーの対比が面白いホテルです。ちなみに、この日の走行距離は約400km
 
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チェックインの手続きが終わるまで螺旋階段で2階へ上がってみました。
 
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割り当てられた部屋は質素ですが清潔感があります。
 
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翌朝は午前5時過ぎに起床。午前630分から1階のカフェテリアで朝食。
 
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私が選んだ朝食メニュー
 
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そして、同行者の選択
 
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朝食の後、外へ出ると生憎(あいにく)の空模様です。
 
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午前8時過ぎに旧市街へ向けてホテルを出発。
 
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iPhone SEで場所をチェックすると旧市街の北西を走行中であることが分かりました。
 
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シュヴァルツ通り(Schwarzstrasse)を東進して新市街にある「ミラベル宮殿と庭園」の脇を通過
 
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ザルツァハ川に架かるシュターツ橋Saatsbrucke)を渡って旧市街に入ります。
 
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旧市街の東端にあるバスの乗降所付近で見かけたザルツブルクの地図
 
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(続く)

2018年5月14日 (月)

中欧3か国を巡る旅(その19) チェスキー・クルムロフからオーストリアのザルツブルクへ

定刻の午後3時30分には全員が集合場所に揃(そろ)いましたが、バスは5分ほど遅れて到着!! 乗客が集合時間に遅れると不満を漏らすことが多い運転手さんはバツが悪そうでした。約10分遅れでバスはチェスキー・クルムロフからザルツブルクへ向けて出発しました。この区間も距離220km(所要時間3時間30)と長い移動です。

 

チェスキー・クルムロフを出発した貸切バスはチェスケー・ブジェヨビツェ(Ceske Budejovice)市まで戻って国道3号(E55)を南下して検問所跡を通過してオーストリアに入り、国道510号とA7を経由してドナウ川を渡り、人口がオーストリア第3の都市(人口約20万人)、リンツの市街地を通過。ちなみに、オーストリアに入っても、車窓から見える景色は相変わらず丘陵地帯です。
 
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 オーアウトリアの国名はドイツ語で東の国(エースターライヒ)を意味します。フランク王国が欧州大陸の中央部(東欧・北欧・イベリア半島・イタリア半島南部を除く)を支配していたころ、オストマルク(東方辺境領)が設置されたことがその由来です。
 

出発して1時間半ほどが経過した時にガソリンスタンドでのトイレ休憩が入りました。
 
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奥に見えるのは雑誌(Zeitschriften)の棚です。
 
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同市の南方でアウトバーン”A1”(下り線)に合流して南西方向へ走りました。ちなみに、オーストリアの高速道路アウトバーン”Aはザルツブルグ-ウィーン間を結ぶ主要道路として1967年に完成しています。
 
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丘陵地帯から木立が徐々に増えて雰囲気が変わり始めたと思っていると雪が積もる岩山が見え始めました。ザルツブルクに近づいたようです。ちなみに、ザルツブルクはザルツブルク州の州都で、人口は約15万人、標高は424m。
 
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ザルツブルクはオーストリア国土の60%以上を占めるオーストリアアルプスの北縁(山麓)に位置しています。チェコのチェスキー・クルもロフから南下して越えたえたオーストリアとの国境付近にはボヘミア高地があり、平地は南ドイツに水源の多くを持つドナウ川が流れる中部のリンツから北東部のウィーン盆地に限られます。
 
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ザルツブルクの歴史を概観します。古くはローマ帝国の属州にあった都市です。中世(4世紀以降)に入るとゲルマニア(ドイツ北部とスカンジナビア南部など)に定住していたゲルマン人がフン族の西進により圧迫されて移動しましたが、その一部が南ドイツに建国したバイエルン王国の支配下となり、696年に王国が大司教にザルツブルクを領土として寄進したことでドイツ諸州のひとつとして栄えましたが、フランス革命の余波(ウィーン会議)により19世紀以降はオーストリアに併合されました。 ちなみに、地名の意味は”Salz”(塩)+”burg”(城砦)で、15kmほど南で採れた岩塩をザツツァハ(Salzach)川を使ってヨーロッパ各地へ運んだことによるとのこと。大司教がその通行税を徴収したことで街が栄えたそうです。

ザルツブルクに到着した時には夕日が山の端に近づいていました。アウトバーンの“A1”から一般道に出た貸切りバス、はホテルに立ち寄る前に、夕食が予約されているレストラン“Costa”がある新市街へ向かうようです。市街地を大きく半周した後、旧市街の東端からから丘の上に聳(そび)えるホーエンザルツブルグ城が良く見えるザルツアッハ川沿いの道に出て、シュターツ橋を渡りました。
 
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しかし、バスは新市街に駐車できないことが分かったため、旧市街へ戻って、その南端にあるバスの乗降場で停車。
 
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そこからレストランまでは徒歩で20分ほどとの説明を受けましたが、遠回りしたこともあり、実際は30分以上も掛かりました。
 
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ベルク通りに面したレストランCostaは外装と内装とも明るいくて、しかも落ち着いた茶系統の色調で統一されています。
 
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夕食メニューは、スープ、ビーフステーキのキャベツの酢漬け(Sauerkraut/ザワークラウト)とポテト添えでした。大きく伸ばしたステーキは柔らかくて薄い味付けでしたらか、完食することができました。
 
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デザートはザッハトルテ風のチョコレートケーキで、やはり生クリームが添えられていました。
 
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(続く)

2018年5月 6日 (日)

中欧3か国を巡る旅(その14) チェスキー・クルムロフ歴史地区①チェコの名物料理

参考までにチェスキー・クルムロフの地名と歴史を概観します。地名の由来は、チェスキーがチェコ語で「ボヘミアの」を、クルムロフは「川の湾曲部の湿地帯/草地」を意味します。歴史的にはボヘミアの重要な通商路であるヴルタヴァ(モルダウ)川沿いに13世紀後半から町と城の建設が始まり、16世紀にはルネッサンス様式の建物が数多く建築されてルネッサンス都市へと変貌しました。しかし、この地を14世紀初頭から支配したローゼンベルク家が財政的に破綻したため、1601年にチェスキー・クルムロフは神聖ローマ帝国の領地となり、町にはバロック様式の建築物が加わり、城はバロック様式に改築されました。

 

1867年にはオーストリア=ハンガリー帝国の一部になり、第一次世界大戦後はオーストリア=ハンガリー帝国が崩壊するとチェコスロバキア領になりました。道路と鉄道が整備されて川を利用した水上運輸が衰退するとともにチェスキー・クルムロフは衰退したことで、その最繁期の景観が当時のまま残されることになりました。そして、1982年にはクルムロフ城を含む優れた建築物と歴史的文化財が残るチェスキー・クルムロフ歴史地区が文化遺産として世界遺産に登録されています。

 

バスは市街地の外れにある駐車場に一旦入りましたが、目的地から遠かったのか、国道39号を少し引き返して丘の上に停まりました。国道の上を跨ぐ橋を渡ると、旧市街への入口であるブディヨヴィツェ門(Bude jovicka)がありました。
 
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石畳の道「ラトラーン」(Latran)がルネッサンス様式の町並みの中に伸びています。
 
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昼食はエッゲンベルク(Eggenberg)醸造所が経営するレストランで摂(と)るようです。ちなみに、エッゲンベルクは旧領主に因んだ名称とのこと。
 
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バスを下車して200m余り歩いた所にあるクロムロフ タワー
 
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その右側にある大きな建物が醸造所かと思いましたが、エッゲンベルク醸造所はヴルタヴァ(モルダウ)川の畔(ほとり)にあるそうです。
 
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そして右手前にある建物の2階に「レスタウラツェ エッゲンベルク」がありました。チェスキー・クロムロフでは一番人気のレストランのようです。いつの間にか同行者は2階の窓から覗いています。
 
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こちらがレストランの入口
 
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階段を上がったレストランの入口には「チェスキー・クルムロフ 歴史的醸造所1560年(Historicky pivovar1560)」の言葉とともに、レストランは右手との表示があります。
 
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レストランへ向かう廊下
 
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壁には入口にあったものと同じロゴが
 
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明るい店内
 
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テーブルがすでにセットアップされていました。
 
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前菜はハムと野菜のサラダで、飲み物はエッゲンベルクビール(無濾過)を選びました。黒ビールも人気があるようです。
 
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グループのメンバーから強く勧められたこともあり、極めて珍しいことですが、同行者とツーショットの写真を撮影していただきました。
 
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野菜スープが続きます。
 
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メインはチェコの人気郷土料理です。根菜とクリームで作られたスヴィチュコヴァー(Svickova)と呼ばれるクリームスープにレモン、クランベリージャム、ホイップクリームをトッピングして、サーロインテーキと蒸しパンのクネドリーキを添えたものです。注、クネドリーキは日本の白いご飯のようなもの
 
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昼食にはやや重い料理とビールを楽しんだ後は自由行動です。クルムロフ城と旧市街を巡りますが、例によって高い場所から町全体を確認するのが私の決めごとですから、クルムロフ城の塔を目指すことにしました。レストランからさらに南方向へ進むと、城の入口である「赤の門」(Cervena brana)の前に出ました。高校生と思われるグループが入門するところでした。ちなみに、旧市街は道なりに右へカーブする道の先にある橋を渡る必要があるようです。
 
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「赤の門」を潜ると、なだらかな坂道が続く「第一の中庭」の先に円柱形の塔が聳(そび)えていました。よく見ると、塔の表面には騙し絵が描かれていて、豪華さを演出しています。ちなみに、城の敷地に入るだけであれば無料です。
 
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クルムロフ城の案内図には、1番「赤の門」、2番厩舎(きゅうしゃ)、 3番塩の館、4番宮殿ラピダリウム(考古学博物館)、5番塔のある小宮殿(博物館)、6番貨幣鋳造所、7番牛乳加工所、8番宮殿、9番渡り廊下、10番バロック劇場などが表示されています。 注、Statni HradおよびZamekはともにチェコ語で城を意味するが、英語とドイツ語ではチェスキー・クルムロフの城と大邸宅(宮殿)と表現されている
 
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(続く)

2018年4月15日 (日)

中欧3か国を巡る旅(その3) プラハで宿泊したホテルとプラハの歴史地区探訪

午後7時30分ころ、出迎えてくれたバスに乗車してプラハ市内のホテルへ向かいました。プラハ空港のアクセス道路から国道7号に入って南下し、2つ目のインターチェンジで国道5号にそれて東進し、午後8時過ぎにヴルタヴァ川西岸に近いトラムが通るプルゼニスカー通りのMozartova地区にある HOTEL NH PRAGUE CITYに到着しました。
 
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同ホテルにチェックインすると、5階の部屋が割り当てられました。
 
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少し休憩した後、プルゼニスカー通りを散策することにしました。
 
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 翌日は午前6時に起床して朝の散歩に出かけました。ホテルの前にあるロータリーにはクレーンが設置されていて、まだ工事が行われています。
 
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ホテルの右手方向には石畳の道が続いています。
 
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同じく左手方向
 
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午前6時30分にオープンするカフェテリアへ向かいました。
 
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ビュッフェスタイルの朝食から同行者が選んだメニューです。
 
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こちらは私の選択です。私が海外旅行で楽しみにしている大きなオムレツがポイント。人気があるため長い行列に並んで約20分待つことになりました。
 
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部屋に戻って窓の外を見ると、完成して間もないと思われるトンネルを抜けてくる車が増えて列をなしていました。
 
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午前8時30分ころホテルを出発して、プラハの歴史地区へ向かいました。最初の場所はプラハ市街地の北西部、フラッチャーニの丘にあるプラハ城です。セキュリティ・チェックがあるゲートを抜けると正門が見えました。9世紀に築かれた小さな砦を神聖ローマ皇帝カール4世が大改修したプラハ城は14世紀ころ、おおよそ現在の姿になったそうです。[プラハ城の航空写真](注、クサビ形の細長いエリア)
 
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歴史を感じさせる聖ヴィート大聖堂
 
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プラハ城の濠
 
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(続く) 

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