筆者にとっては1964年に開催された前回のオリンピック東京大会(18回オリンピック大会)は長い人生で思い出に残るイベントの一つです。日本が敗戦後に復興したことを世界に示す絶好の機会でした。ただし、多くの国民は東京大会への関心が高かったとは言えなかったようです。
その雰囲気の中でも、国立競技場を始めとする競技会場の新設・整備は勿論のこと、当時、世界最速の高速鉄道であった東海道新幹線は東京大会が10月10日に開幕される直前の10月1日に開通。首都高速道路の整備と東京モノレールの開通などのインフラが突貫工事で完成したのです。
そして、開催式の前日まで台風の影響で荒天であったのが、開催式の当時は快晴(秋晴れ)に恵まれ、式典は滞りなく開催されました。地方に在住していた筆者は土曜日午後の開催式をテレビ中継で観ることができました。そのテレビ映像は通信衛星で世界各国にも中継され、本格的なテレビ・オリンピック大会の走りと言えるものでした。また、賛否の論拠を呼んだ記録映画(市川崑監督)も制作されました。
こうして盛り上がりを見せた東京大会の閉会式では各国の選手団が入り混じって閉会式場に入場したことで最高潮に達しました。これは関係者にも想定外のことだったようです。
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さて、今回のオリンピック東京大会の四方山話(よもやまばなし)です。正式名称は「第 32 回オリンピック競技大会(2020/東京) 」、またパラリンピックの方は「東京 2020 パラリンピック競技大会」とのこと。ニュース報道では「東京2020オリンピック競技大会」(略称:TOKYO 2020)と東京の名前を強調する名称になっています。
新型コロナウイルス禍の世界的な蔓延により2020年の開催が断念され、2021年開催と1年の延期が2020年3月24日に発表されました。それに先立ちオリンピック開催に当たっての複数のトラブルが発生しました。
その代表格は新国立競技場のデザイン・コンテストで一旦は選ばれたザハ・ハディド氏のデザインを総工費が予算の1.5倍以上になることが判明したため白紙撤回されました。次いで東京大会のエンブレムは某劇場のロゴとの類似疑惑が持ち上がってこれも再募集することになりました。
2019年には東京大会の誘致に関してIOC委員に約2.5億円の賄賂を送ったとしてJOC会長がフランス当局の取り調べを受けたそうです。会長は辞任。2021年2月には大会組織委員会(以下、組織委員会と表記)の会長が性差別発言で辞任。その直後には大会の開閉会式の演出を統括するクリエイティブ・ディレクターが女性タレントを対象とした不適切な演出案を出したことで辞任。
今月には開催式のオープニング用楽曲を担当する音楽家が犯罪とも言える過去の不祥事で辞任。このように今年だけでも東京大会を推進する重要人物の辞任ラッシュが続いています。いずれも一旦は擁護(ようご)する意見が出た後の辞任(実質的な解任)でした。組織委員会の武藤事務総長は前言を撤回して解任するとともに、この音楽家が担当した4分間の楽曲を使わないと発表しました。
そして、開会式の前日である7月22日には、開閉会式でショーの演出総合統括(ショー・ディレクター)を務める元お笑い芸人が解任されました。過去にお笑いグループとして活動していた時にコントの中で「ユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)」を揶揄(やゆ)するとみられるシーンの動画(注釈:1988年に発売されたビデオとみられる)がネットワークに拡散して、SNS上で問題になっていました。7月21にはアメリカのユダヤ人権団体からも非難声明が出されていました。
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こうして振り返ってみると、いずれも組織委員会の責任者に関わるもので、人権意識の無さはオリンピックの理念「あらゆる差別の禁止、多様性と調和」に反するものばかりです。「復興五輪」を旗印にして誘致した「東京大会」でしたが、開催が決まると「東北の復興」や「小さな東京大会」の考えは跡形もなく消えてしまいました。
その結果、外部の意見に耳を傾けながら「東京大会」の開催を裏方として支えるはずの「組織委員会」は、主役である選手とそれを応援する観客に代わって、悪い意味で中心となる「東京大会」へと変質してしまい、「オリンピックの精神」を蔑(ないがし)ろにしてしまった感があります。
それにも拘(かかわ)らず組織委員会の幹部は、自身が問題の当事者であった森前会長以外、誰ひとりとして責任を取ってはいません。これは最近の日本における長期政権と同じ"3S"手法、つまり「説明しない」「説得しない」「責任をとらない」を組織委員会も踏襲しているのです。
7月22日、橋本会長はお詫(わ)びの言葉を述べました。しかし、開催式のショーを担当する2名の責任者が解任されたことで、4分間のオープニング音楽だけではなく、連日練習が行われていた開催式のショー全体が実行できるかどうか危ぶまれる事態に実行委員会は追い込まれました。前回の東京大会と同様に入場行進と聖火点灯を中心とするシンプルな開催式にするべきであるとの意見が出たようです。
前日に対応を判断せざるを得なかった実行委員会は、『ショーの演出が当該の責任者単独で行われた部分はない』 として、開会式は当初の予定通りの内容で7月23日午後8時から実施されました。かなり苦しいん説明だと思います。次々と明らかになるトラブルに組織委員会の幹部は薄氷を踏む思いだったのでしょう。あるいは祈る思いだったのかもしれません。
組織委員会の枚挙に暇(いとま)がないお粗末(そまつ)さの数々はいずれも海外メディでも報じられて、組織委員会が美辞麗句で開催意義を語った「東京大会2020」のイメージを著しく貶(おとし)めたことは世界が知るところとなりました。
以上、列挙してみると、まるで倒産直前の不良企業のゴタゴタを見るようです。つまり、責任体制と管理機能に不全状態が起きているのです。この状況に対し東京大会に距離を置くことを経済三団体と東京大会の主要スポンサーでもある大企業のトップが相次いで意志表明(説明:開催式への不参加とオリンピック関連のテレビCMの取り止め/差し替え)しました。これまでに無かった極めて異常な事態だと思います。
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7月23日午後8時から開会式(Opening Ceremony)が始まりました。式次第を簡単に紹介します。オープニングはダンス・パフォーマンスと五輪の輪を木材で作るシーン、東京大会の50競技を記号で示す動くピクトグラムなどで始まりました。国旗掲揚と歌手MISIAさんの国歌斉唱に続いて各国選手が「あいうえお順」で入場するシーンが長時間(約2時間)続いたあとは橋本組織委員会会長(6分半)とIOCバッハ会長(13分)の長い挨拶があり、午後11時13分ころに天皇陛下が開催を宣言されました。
会場内の聖火リレーは金メダリストの吉田沙保里さんと同じく野村忠宏さん、プロ野球のレジェンドである長嶋・王・松井の3氏、医療従事者(医師と看護師)、パラリンピックのトライアスロンに参加予定の土田和歌子選手、被災地である宮城・岩手・福島の子供たち、そして最終ランナーはテニスの大阪なおみ選手。
両会長の長い挨拶があったため予定より遅い午後11時45分頃、大阪選手は富士山を模した聖火台の階段を上がり、太陽をモチーフとした聖火灯点火しました。聖火台は世界的なデザイナーの佐藤オオキさんのデザインで、点火時には花のように開きました。聖火を灯す燃料はオリンピックで初めて使用された水素ガスで脱酸素社会を象徴するものです。
開会式を観た感想です。個々の演目は完成度が高かったのですが、開会式としては何かが足りない(欠けている)ように思われました。先ず、東京大会の理念が上手く表現できていないこと、そして各演目間にストーリー性がなくてバラバラの印象を受けました。会場内の聖火リレーも日本人以外には分かりにくかったでしょう。兎にも角にも、ほぼ4時間に近い開会式が終了しました。ただし、最終的に完成しないジグソー・パズルのようでモヤモヤ感が残りました。
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話は前後しますが、そんな歓迎されないムードの中で7月23日の開催式を待たずに一部の競技が7月21日に始まりました。その先駆けとなったのは女子ソフトボールです。強豪のオーストリアを8-1と大差をつけて日本がコールド勝ち、幸先の良いスタート。『日本人選手が金メダルを2-3個獲得すれば雰囲気が大幅に好転するはずだ』 との見方を述べる人が一部にはいますが・・。
最大の課題である新型コロナウイルス対策として国際大会で実績がある「バブル方式」(選手・関係者を外部から隔離し、移動制限するとともにPCR検査を頻繁に行う手法)が採用されましたが、移動制限と違反外出管理の不徹底がすでに明らかになっています。
また、これまで不具合が発生した状況から見て、バブル内に入った後にPCR検査で陽性が判明(注釈:南アフリカ、チェコ、オランダの各チームで確認)した人物の扱いと濃厚接触者の特定などが課題として残っていると言われています。
国際大会で実績がある方式とは言っても、それらはほとんどが単一種目の競技会でした。一方、夏季オリンピックの東京大会には1万人を超える選手・関係者が海外から来日しますから、「バブル方式」の管理を徹底することは容易ではなさそうです。ちなみに、入国時にPCR検査で陽性と判断された人数は7月20日現在で27人、この他に国内在住の関係者の感染者が40人、計67人に上ることが専門家会議で確認されたそうです。
国民の8割近くが東京大会の開催に反対しているなか、菅首相は国民の意識を斟酌(しんしゃく)せず 『(東京大会を)やめることは一番簡単なこと、楽なことだ。挑戦するのが政府の役割だ。感染者数なども海外と比べると1桁以上と言ってもいいぐらい少ない。ワクチン(接種)も進んで、感染対策を厳しくやっているので、環境はそろっている』と楽観的すぎるとも思える発言(インタビュー記事)が7月21日付けの米WSJ紙(日本語版)に掲載されました。
この発言から分かるように、見切り発車の形で開催式を迎えた「東京2020オリンピック競技大会」です。「安心・安全」の言葉だけではなく、大会の感染予防とセキュリティについては実のある「アンダー・コントロール!」の状態が「オリンピック・パラリンピック東京大会」の期間中だけでも維持されることを願っています。◇
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