心と体

2018年8月20日 (月)

~たかが咳、されど・・~ 「咳止め薬の怖さ」

風邪を引いた時に咳をすることは良くあることです。咳は異物が喉および気道を通して肺に入ることを防ぐために人の体が供えた自己防衛反応で必要なものですが、意思とは無関係に発生するため困った体の反応です。咳が長引けば周りに不快感を与えるだけではなく、苦しくて睡眠を妨げて自分の体力を無くすこともあります。極端な場合は肋骨を骨折することもあるそうです。ちなみに、風邪は鼻や喉などの「上気道」という部分がウィルスや細菌に感染することで起こりますが、体の中でウィルスや細菌の増殖を防ぐための防御反応として咳やくしゃみ、熱や鼻水などの症状が現れます。また、風邪でなくても気温の変化に気道や肺が敏感に反応して咳がでることもあります。

 

風邪の場合はまず治療することが大事ですが、咳の症状が軽い場合は嗽(うがい)をしたり、水を飲んだり、マスクをかけたりすることで楽になることがあります。しかし、朝晩に激しい咳が続く場合は自律神経が影響している場合が多いと考えられます。人には体や脳を興奮させる交感神経と休息したりリラックスしたりするときに働く副交感神経という二種類の神経が存在します。昼間は活動するために交感神経が活発になり、夜眠るときには体を休めるために副交感神経が働いて気管や気道が狭くなります。このため、空気の乾燥などの刺激に過敏になるため、咳がひどくなりやすいのです。朝方は就寝中に溜まった痰(たん)を排出しようと咳が出ますし、アレルギー性鼻炎や逆流性食道炎がある人も同様に咳が続くことがあるそうです。

 

乾燥などへの対策をしても症状が改善されず、朝晩に咳が長期間続くときには速やかに医療機関を受診しましょう。咳の原因を見極めて適切な治療を受ける必要があります。咳がひどい場合には対症療法として咳止めを処方されることが多いのですが、上記したように咳は自己防衛本能に基づいた反応ですから、咳が止まればそれで良いわけではありません。例え、咳が止まったとしても重篤な副作用が出る場合があります。私のケースは正にそれでした。今春、中欧旅行から戻った後、風邪の症状(発熱)がないのに朝晩に激しい咳と鼻水が続いたため、緊急対応として近くの内科医院でアレルギー性鼻炎の症状を起こりにくくする薬と咳止めの飲み薬を処方してもらいました。

 

指示された通り5日間に亘って薬を飲み続けた直後に副作用と思われる症状が出ました。先ず、排尿が困難になりました。それに続いて皮膚に発疹が出ることと、下痢の症状が始まりました。そこで、一番つらい排尿困難について泌尿器の専門医の診察を受けました。薬の副作用による可能性も考えられるとのことですが、排尿困難の原因として一般的な前立腺の検査を受けることになりました。その結果は軽度の前立腺肥大症(尿道の柔軟性が低下)との判定。これまで自覚症状はほとんどありませんでしたが、前立腺肥大によって生じる排尿困難を軽減する薬を処方してもらいました。前立腺の平滑筋をリラックス弛緩)させる働きがあるそうです。

 

この薬を飲み始めると、2日目には症状の改善が見られ、一週間後にはほぼ正常に戻ってくれました。ただし、処方された薬は上記のように対症療法ですから、長期間飲み続ける必要があるようです。ちなみに、前立腺肥大の根本的な治療法は薬物による方法と手術による方法があります。前者は男性ホルモンが前立腺に作用するのを抑えて肥大した前立腺を小さくするものであり、後者はレーザーやマイクロ波などによって尿道を広げる手法です。(注、前立腺癌の場合は前立腺の一部または全部を切除する必要がある) また、エコー検査と尿検査の結果、膀胱と腎臓の機能も正常であることが分かりました。これらを総合的に判断すると、軽度の前立腺肥大症と薬の副作用とがあいまって排尿困難な症状を発症したようです。

 

下痢と皮膚の発疹については日を追うごとに軽くなりました。しかし、咳と鼻水は相変わらずですから、近くの内科医からのアドバイスにしたがって、掛かりつけの病院(内科)の担当医師に相談することにしました。咳の原因を調べるため、問診に続いてアレルギーの有無を調べる血液検査と胸部のCTスキャン撮影をしてもらいました。アレルギー検査(一般的な6項目)の結果はすべて陰性。CTスキャンでは気管支炎の跡が確認されました。それらを総合判断して、咳の原因は副鼻腔炎による鼻水が喉に流れ出ることであると考えられるとの診断が下され、その症状を軽減および原因を取り除くための薬を処方されました。担当医師の考えは、咳止め薬を飲むのは継続する咳によって体に深刻なダメージを与える恐れがある場合に留めることが望ましいとのこと。幸いなことに、2週間後には咳の発生はかなり少なくなり、現在は3種類の飲み薬の1種類を変えて、さらに飲み続けています。

 

最後に今回学んだ教訓です。1時間前後にもおよぶ激しい咳と排尿困難が重なると睡眠もままならなくなり、まさに地獄に落とされたような苦しい日々が続きました。そして、お釈迦様に「蜘蛛の糸」を願いました。しかし、どんな苦しい症状であっても、神経に働きかける咳止め薬は重篤な副作用をもたらし、さらなる地獄の深みへ落ちることを痛感させられました。ちなみに、この副作用は咳止め用の市販薬でも起こることがあるようです。これほど重篤な薬の副作用は初めての経験でしたが、専門医の的確な診断と薬の処方により、副作用を抑えながら、症状が回復へ向かっていることに今は感謝しています。

2018年6月25日 (月)

胃カメラ検査とピロリ菌

国民の三分の一は逆流性食道炎の可能性があると言われていますが、かく言う私もその一人です。3年ほど前から胃と食道付近に違和感が常態化し、それに伴い食欲不振に陥りました。内科医院を受診して逆流性食道炎と診断されて投薬療法を受けたことで、その症状は少し軽くなったように感じましたが、胸やけと食欲不振は現在も続いています。つまり、この症状は私の生活の質(QOL: Quality of Life)を低下させる一番の要因になっているのです。

 

逆流性食道炎の原因は、①横隔膜と下部食道括約筋の衰えで起こる胃の入り口である噴門(ふんもん)の弛(ゆる)み、②腹圧の上昇、③胃酸分泌過多、の3つがあると言われます。私が投与されている飲み薬は③を改善する対処療法を目的とするものです。①と②は悪い姿勢に起因する身体の歪(ゆが)みで起こることが多いとされますが、私の場合はこれらを積極的に改善することを怠っているため、大幅な改善が見られないのかもしれません。

 

遅まきながらですが、定期検診で受けているバリウムを用いたX線撮影では見つかりにくい食道と胃の異変を直接見る胃カメラ(上部消化器官内視鏡)検査を担当医師に依頼しました。20年以上も受けてこなかった検査です。最近の胃カメラは、大腸カメラ(大腸内視鏡)と同様、食道や胃にポリープが見つかれば、直ちに切除することができる点が優れています。ちなみに、大腸ポリープは4年前と昨年の2回、切除手術を受けています。

 

胃カメラによる検査は昔受けた時と基本的には同じでした。前日の夜食を早めに摂り、当日の朝は水またはお茶だけにして、病院へ出掛けました。白い液体の薬(消泡剤)を飲んだ後、喉の付近に軽い麻酔をうけました。そして、唇と歯で胃カメラの通路となるプラスチック製のマウスピースを咥(くわ)えて手術台に横になり、左半身を下にすれば準備は完了です。最近は鼻から入れる経鼻挿入が一般的だと思っていましたが・・。また、胃カメラのチューブは昔より細くなったように見えます。

 

消化器専門医師が長い胃カメラを私がくわえたマウスピースから口の中・喉、そして食道へと巧みに押し入れます。体が反応して胃の内容物を吐きだそうとする嘔吐反射が起きましたが、胃の中には水と胃液だけですから、吐くことはありませんでした。そして、横にいる看護師さんが優しく背中をさすって落ち着かせてくれたおかげで、胃カメラは胃の入口(噴門)に到着。

 

食道を観察するためか、胃カメラが上下しながら、さらに胃の中まで入るのが感じられます。時々胃カメラが停止したポイントで写真を撮りながら、胃壁全体を撮影するために胃の中を縦横無尽に移動し始めました。これも気持ちの良いものではありません。もうそろそろ終わりにして欲しいと思い始めたころ、担当医師がそれを察したのか、「終わります」の言葉が聞こえました。やれやれです。

 

私が落ち着いたところで、消化器専門医師から検査結果について2つの指摘がありました。それは、「胃壁には2つのポリープを認めたが、ガン化する可能性は低いので、直ちに切除する必要がないものである。胃壁全体に慢性胃炎の兆候(赤い斑点)が見られることから、ピロリ菌の有無を検査することを勧める」というもの。食道が炎症しているとの指摘はありませんでしたから、私の場合はいわゆる逆流性食道炎ではなく、非びらん性胃食道逆流症(NERD)なのでしょう。

 

後日、担当の内科医からも同様の説明、つまり慢性胃炎(腺細胞の軽微な萎縮)になったことでピンク色の胃壁に赤色の斑点(発赤)が現れていることを告げられ、慢性胃炎の主原因と疑われるピロリ菌(ヘリコバクター・ピロリ菌)の存在を検査することになりました。ちなみに、健康な胃壁は年齢にかかわらず綺麗なピンク色をしているそうです。慢性胃炎の症状は上腹部不快感、膨満感、食欲不振とのことで、逆流性食道炎の症状とか似ています。治療方法は胃酸の分泌を抑え、胃粘膜を改善する薬を投与する薬物療法が一般的とのこと。注、慢性胃炎はピロリ菌が出す毒素により腺細胞が萎縮し、胃粘膜が委縮性胃炎を起こす病気

 

ピロリ菌の有無を調べる検査には、呼気を分析する方法(尿素呼気試験)と血液検査による方法(抗体検査)があるそうですが、担当医師と話し合った結果、検査用サンプルを即日採取できる後者が選ばれました。私の場合は、逆流性食道炎の症状を抑えるため、胃酸の分泌を押さえる薬を常用しているからです。前者の場合、検査の前の2週間は薬を控える必要があるとのこと。

 

ピロリ菌の除菌療法は、1種類の「胃酸の分泌を抑える薬」と2種類の「抗菌薬」の合計3剤を、1日2回、7日間服用する治療法です。指示通りに薬を服用すれば1回目の除菌療法の成功率は約75%といわれます。状態が安定する3か月後(8月以降)に除菌できたのかどうかについて検査を受けることになりました。もし除菌できていない場合には、抗菌薬のひとつを他の薬にかえて、1回目と同様に7日間服用します。これでほとんど除菌に成功することが期待できます。ちなみに、20132月から2回目の除菌まで健康保険が適用されるようになったそうです。

 

ピロリ菌の除菌に成功しても直ちに慢性胃炎が完治するわけではありません。担当医師からは、今後も胃カメラによる検査を定期的に受けて、慢性胃炎が改善されたことと胃癌の兆候がないことを確認する必要があるとの指摘および助言をしてもらいました。

 

今回の結果を踏まえて、現在定期的に受けている「歯の検診」(半年に1回)・「健康診断」(年1回)・大腸カメラ(3年毎)に加えて、「胃カメラ(内視鏡)検査」(3年毎)を定期検査項目として私の長期予定表に書き込みました。

2018年4月30日 (月)

久しぶりの入院手術: 白内障(後編)

4日目の視力測定では、裸眼で0.9、眼鏡ありでは1.2と、前日より改善されて、申し分ない結果でした。前日と同様、シャワー浴と洗髪(介護)

 

5日目の視力測定では、裸眼が0.9、眼鏡ありでは1.2+と、さらに良くなりました。この日もシャワー浴と洗髪(介護)

 

そして、6日目は午前7時に点灯。看護師により手術前の瞳孔を広げる目薬を左目に点眼してもらう。午前8時に朝食を摂り、右目に3種類の目薬を点眼。午前830分から眼科診察を受けた後、午前9時からシャワーを浴びる(洗髪はパス)。午前12時から30分毎に手術前の目薬を点眼してもらう。午前12時に昼食。右目に3種類の目薬を点眼。午後3時から左目についても右目と同様の手術を受けました。

 

手術当日のプロセスは2日目の右目とまったく同じであり、特記することもありませんので、細かい説明は省略します。後先になりましたが、入院中は飲酒ができませんので休肝日ならぬ「休肝週」と位置づけるとともに、食生活を改善する好機と考えました。日頃、食べ残すことを常としている私は、病院食を残さず食べることを目標に設定。6日目までの結果は、量が多かった棒棒鶏(バンバンジー)を少し残した3日目の夕食を除いて、すべての食事を完食しています。

 

翌日(7日目)は午前7時に点灯。午前730分ころ、看護師が左目の眼帯を外してくれ、午前8時には朝食、午前830分から左目の術後診察がありました。幸いなことに、右目と同様、左目も正常でした。そして、右目に加えて左目にも手術後の目薬(化膿止め)13回点眼することになりました。両眼を手術したことで、左右の見え方はがほぼ同じになり、裸眼での視界はバランスの良いものになりました。つまり、短焦点の眼内レンズを入れた両眼は近視の強さがほぼ数年前の状態に戻りました。午後120分ころから受けた視力測定(左右)では、裸眼で0.9/0.8、眼鏡補正付きではいずれも1.2でした。

 

手術から1か月以上が経過して両眼の状態が安定してから新しいメガネレンズを誂(あつら)えることになりますが、それまでは予備用としてキープおいた数年前(1つ前)のメガネを暫定的な使用することにしました。

注、子供の頃からメガネと無縁であった私も、30才代後半に眼の疲労により一時的に近視のような状態(仮性近視)になり、それが本物の近視へと移行してメガネの使用を開始

注、還暦を過ぎてから近視が進行した理由は核内白内障が起きたためと考えて られ、左右で焦点距離が異なる不同視(左目:中等度近視-5D、右目:強度近視-8D)も生じた

 

最終日(8日目)の午前10時に予定通り退院することができました。当分のケアとして、両眼に手術後の目薬を13回点眼することが必要です。また、洗顔は医師の許可が出るまで禁止で、洗髪は介添えが当分(1週間程度)は必要とのこと。

 

今回の入院は白内障の手術が目的でしたが、①食事の内容に制約がないこと(ただし、飲酒は不可)、②病室での過ごし方は自由であること(ただし、生活のリズムは規則正しい)、③外部からの不必要な刺激やストレスが無いこと、により乱れ勝ちであった私の生活リズムを一旦リセットする貴重な機会になりました。つまり、視覚の曇りを取り除くとともに、心身のリフレッシュにも役立つ8日間であったと思います。

 

今後は通院で回復状況を担当医師に確認してもらえば、大学病院に通うことは必要はなくなり、自宅近くの眼科医院へ従来通り定期的に通院することになります。これまで消化器系の手術(入院3回、通院1)と外科・皮膚科の手術(すべて通院)を受けた経験がありますが、これまでの手術とは異なる心理的な抵抗感が眼科の手術にありました。しかし、担当医師と3回も事前打ち合わせする機会を通じて抵抗感や懸念は医師の懇切丁寧な説明によって霧消し、むしろ手術を楽しむ余裕さえ生まれました。最後に、患者をリラックスさせながら手際よく手術を進める高度な手術スキルを持つ医師に出会えた幸運に感謝します。
 

 

[参考情報] 近視・遠視・老眼・白内障

 

人の目は眼球の前部にある水晶体と網膜の組み合わせで外界の様子を視覚として捉える機能があります。(注、水晶体を保護する角膜および取り入れる光量を調節する虹彩は省略) 外部から眼球な入る光は水晶体で屈折して網膜上に像を結びますが、水晶体の屈折率と水晶体から網膜までの距離により、正確に像を結ぶ場所が網膜上・網膜の手前・網膜の後ろになります。それぞれ正視・近視・遠視と呼ばれる状態です。幼児は、眼球が未成熟で水晶体と網膜の距離が十分でないため、一般的に遠視であることが多いのです。

 

ひとが成長するにしたがって、眼球も大きくなるとともに、遠視から正視あるいは近視へと変化します。この変化は人の成長が一段落する20才過ぎまで続きますが、個人差があるため、正視・遠視・近視のいずれかになるのです。正視または正視に近い遠視と近視の人は裸眼でも支障はありませんが、中程度以上の遠視または近視の人はメガネまたはコンタクトレンズで矯正する必要があります。

 

水晶体は毛様体(もうようたい)と呼ばれる筋肉で眼球と結ばれており、この筋肉の緊張と弛緩(しかん)によっつ水晶体の厚さを変え、網膜上に像を結ぶように遠近調節します。このため、上記した軽度の遠視や近視をカバーすることができるのです。

 

しかし、加齢によって水晶体が硬くなったり毛様体の機能が衰えたりすると、毛様体筋が十分緊張できず、手元にピントが合わせられなくなります。この状態が老眼(老視)と呼ばれるものです。正視・近視・遠視のいずれであっても老眼になりますが、近視の人は変化を認識しにくいため、「近視の人は老眼にならない」という迷信(都市伝説)が生まれました。老眼になった人は近くに焦点が合うようにオーレンズを使った老眼鏡で補正する必要があります。ただし、遠方は逆に見えにくくなりますから、老眼鏡を外すことになります。

 

白内障は水晶体内の核と呼ばれる部分が紫外線など外的な影響や老化現象によって透明度が失われることが原因です。名称通りに水晶体が白濁して(通過する光量が低下して)物が薄暗く見える場合が多いようです。濁り方によっては水晶体内で光が乱反射して眩(まぶ)しく見える場合があります。この現象は夜間に強い光を見た時に起こります。つまり、白内障になると車を夜間に運転する時に明るい街灯や照度の高い信号を見るとこの現象が顕著になります。

 

サングラスをかけて強い日光を避けることで水晶体が劣化するペースを遅らせることができるかもしれません。ただし、誰にも不可避な老眼現象ですから、早い人は60才代始め、通常は70才前後、80才を超えるとほとんどの人が白内障になると言われます。白内障の進行を薬によって遅らすことができますが、元に戻すことはできません。生活に支障が出始めた場合は、眼科手術により水晶体を人工眼内レンズと交換する必要があります。
 
[追記] 術後の経過が良好であったことから、医師と相談の上、1か月が経過したところで新しい眼鏡を誂(あつら)えました。注、できれば眼が十分安定する2-3か月後が良い 掛かりつけの眼鏡店で相談した結果、手持ちのメガネ・フレームが古くなっていたため、フレームも新調することにしました。医師が設計通りの結果を出してくれたことで左右のバランスが良いため、左右のレンズはほぼ同じ(注、乱視の入り方が少し異なる)であり、左右の見え方はまったく同じとなるはずです。事実、1週間後に出来上がったメガネをかけてみるとその通りでした。ひと言で表現すれば、数年前の視界に戻ったのです。加えて、人工的な眼内レンズを入れたことで、眼で感じる明るさはこれまで以上ですから、クリップオン・サングラスは手放せません。注、色つきのレンズは採用せず ちなみに、医師の助言にしたがい、視力変化への補償(6か月)があるレンズを選びました。(2018年6月10日)

2018年4月29日 (日)

久しぶりの入院手術: 白内障(前編)

3年半前の定期健診で指摘された白内障が徐々に進行して、症状が悪化した右目の視力は0.5以下まで低下し、左目も0.7近くになったことが定期的に通院する眼科の視力検査で判明しました。担当医から視力が低下した右目の手術が必要となったことと、日常生活に支障がない視力がある左目も一緒に手術するかどうかは手術を担当する医師と相談するようにとのアドバイスとともに、私が希望する大学病院への紹介状を書いてくれました。これまで家族が入院と通院したことがあり、私自身も大腸ポリープの切除手術を入院と通院で計2回受けたことがある大学病院です。自宅から車でのアクセスが良いことも希望した理由の一つです。

 

自宅近くの眼科医院でさまざまな検査を受けましたから、その結果が生かされると考えましたが、大学病院ではより詳細な検査を受けることになり、2月初旬から3月にかけて3回も通院することになりました。身長・体重・血圧・心電図の測定にはじまり、血液検査(感染症を含む)、視力・眼圧・眼底・水晶体(屈折率)など数え切れないほど多項目に亘(わた)りました。大学病院の担当医師からそれらの検査結果(異常なし)の説明を受けたあと、私に与えられた選択肢(通院/入院・手術内容・レンズの種類)について一つひとつ確認する遣()り取りが行われました。

 

このプロセスを経て4月下旬の8日間入院して両目の手術を合わせて受けることと、両眼とも短焦点レンズを入れることが決まりました。注、片目の場合は3日間の通院または入院 ここまで決まれば、「まな板の鯉」も同然ですから、4月上旬に予定していた中央ヨーロッパ(中欧)への旅行(8日間)に予定通りに出かけました。そして、帰国してからは毎週教室に通うピアノの練習に専念する日々が続きました。入院する日の3日前からは右目を清潔に保つ(注、細菌の増殖を抑える)目薬を朝昼夕の13回点眼することは忘れませんでした。

 

入院日の朝、午前9時前に車で病院へ向かいました。手術前ですから、私自身が運転しましたが、自宅へ車を戻すため、同居者に同行してもらいました。入院手続きは事前に記入しておいた書類を大学病院の窓口に提出して午前9時過ぎには完了。病室のベッドが準備されるまで約2時間待った後、入院に際しての注意事項の説明を受けた上で、病室へ向かいました。ちなみに、追加料金が不要な多人数部屋は空いていないとのことで、差額料金を負担する必要がある病室です。

 

病室で寛(くつろ)いでいると、正午過ぎに昼食(一般常食)が配膳されました。病院食はボリュームが少ないので、年齢が進むとともに食が進まなくなった私にはもってこいの食事なのです。午後には翌日手術を受けるに際しての事前準備と手術の概要についての説明が15分ほど手術担当の看護師さんからありました。ここまでで初日のオリエンテーションは終了。翌日の手術に良好な体調で臨むため、病室でのんびりと過ごすことにしました。午後6時からの夕食を済ませ、午後7時半からシャワーを浴びてさっぱりしたところで、少し起こしたリクライニング式ベッドに横たわりながらラジコでラジオ番組を聴いた後、早めにに就寝しました。今回の入院は目の手術を受けるためですから、テレビの利用は申し込んでいません。ちなみに、消灯時間は午後10時です。

 

翌朝は午前6時に起床。午前730分ころ看護師が病室に現れて瞳孔を広げる(散瞳する)目薬を処方したことから始まり、午前8時の朝食、午前830分には眼科診察室で担当医師による診察、午前10時にも手術前の目薬を差してくれました。最初の目薬点眼で瞳孔が十分に開いていたそうですが、午前11時と午前12時にも同じ目的で3種類の目薬を点眼してもらいました。昼食を済ませた午後145分ころ、両眼に麻酔用の目薬をした後、車椅子に乗って病室から手術室へ移動。看護師が持参した手術関連の書類(手術同意書・各種検査データなど)と患者のバーコードを手術室のスタッフが確認したあと、午後2時に手術に移されました。

 

手術室の中央にあるリクライニングチェアに座り(横になり)、心電図・血圧計・脈拍計を身体に装着し、手術する右目に大量の麻酔薬を点眼(局所麻酔)。さらに、目の周囲を念入りに消毒し、瞼(まぶた)の周囲に麻酔薬を注射し、半透明のパッチを右目を覆うように貼られ、目が開いたままにする器具が装着されました。さらに、右目の部分だけを出す穴が空いた顔全体を覆う布(ドレープ)を顔に被せて、右目の周囲を両面テープで固定し、目の表面を清潔な水でたっぷり洗浄して、白内障の手術が始まりました。

 

右目の上には大きな医療器械(顕微鏡)があり、そこから右目に向けてカラフルな光が照射しながら手術が行われたため、患者である私には何が行われているのかはまったく伺い知れません。(注、あえて例えると半世紀前のSF映画「2001年宇宙の旅」のラストシーン近く、ボーマン船長が木星の軌道上に見つけたモノリス(石柱状の謎の物体)から別の銀河へワープ(超光速航法)する時に見た移り行く銀河) 

 

事前に入手した知識によれば、細いメスで角膜と結膜の境界あたりを切開し、その切開口から眼内に挿入した超音波が出るパイプで白濁した水晶体の核と皮質を細かく砕くとともに外へ吸い出し、その代わりに小さく折りたたんだ人工的な眼内レンズと清潔な水を残した嚢(のう)の中に挿入・注入し、傷口を閉じるプロセスが行われたようです。

 

すべて順調に進んだようで、右目の手術は15分ほどで終了。眼帯を着けてもらったあと、再び車椅子に乗せられて午後230分過ぎに病室へ戻りました。血圧を測った後、2時間はベッド上で安静にするように言われました。そして、2時間後にも血圧を測定して安静時間が終了。病棟における自由行動が許可されました。ちなみに、この日は2つある手術室で15名ほどの患者が白内障の手術を受けたようです。夕食は午後6時。この日はシャワーと洗髪は厳禁です。

 

翌朝(3日目)630分ころ、看護師さんが手術を受けた右目の眼帯を外してくれると、室内の見え方がいつもとは違っていました。極度の近視と霞みがかかっていた右目の視界がクリアで明るくなった反面、左目の方は微(かす)かに霞みがかかってやや薄暗いことを知りました。つまり、これまでとは逆の状態になったのです。そして、午前715分に室内灯が点灯され、午前8時に朝食が配膳さるました。午前830分から眼科診察室での診察(毎日)があり、手術した右目は正常であるとの診断を受けました。これに安心した私はシャワーを浴びたくなり、午前930分から(30分間)のシャワー浴と洗髪を予約しました。首から下のシャワーは自分でしますが、洗髪は担当医師からOKが出るまで看護師さんにしてもらう必要がありました。

 

午前10時過ぎには前日あった説明通りに3種類の目薬が新たに処方されました。術後の化膿止め(朝昼夕に点眼)です。3-5分間隔に眼薬を点眼した後は通常のティッシュペーパーではなく、大学病院の売店で購入したクリーンガーゼ(ウエットティッシュ)を使うように指導されました。午前中に眼科外来で術後初めての裸眼視力検査を受けましたが、体感と同様、視力は裸眼で0.7まで大幅に改善しました。そして、左目の手術の準備として、右目と同様、目を清潔に保つ目薬を手術までの3日間、朝昼夕に点眼するプロセスが始まりました。 

 

午前930分から首の下に限定してシャワーを浴びた後、看護師さんに洗髪してもらったことで、スッキリすることができました。午前1210分ころ、昼食が配膳されました。

 

この日の午後から5日目までの2日半は朝の眼科診察と視力測定以外は予定が入っていませんので、ラジコでラジオ番組をたっぷり楽しみながら、中欧旅行のブログ原稿を書き溜めることにしました。チェコのプラハ(投稿済み記事の続き)、同じくチェスキー・クルムロフ、オーストリアのザルツブルクとウィーン、ハンガリーのワルシャワ、帰国フライトまですべてカバーしたいと思います。プロローグの「久しぶりの欧州旅行」で書きましたように、旅行の終盤に差し掛かったウィーンで、それまで旅行中に書き溜めて来た詳細メモ(忘備録)を誤って消してしまう失態を仕出かしたため、記憶が薄れる前に詳細メモを復元する作業を続けているのです。(続く)

2014年11月25日 (火)

メガネについての雑感

先週、私が40数年振りに入院して受けた手術が上手く行き、予定通りにわが家へ戻ると、近所のメガネ屋さんからメッセージが届いていました。10日ほど前に不具合が発生したメガネの修理が終わったと言うのです。この15年ほど愛用しているお気に入りのメガネも退院していたのです。

 

実は半年前(今春)、度が合わなくなったレンズを交換してもらった時に、メガネの蝶番(ちょうばん、ヒンジ)にヒビか入っているので、丁寧(ていねい)に扱うようにアドバイスされたことで十分注意していたのですが、突然メガネの片方のツル(テンプル)が折れた蝶番から外れてしまい・・・。

 

蝶番の小さなネジは見当たりません。止むを得ませんので、それ以外の部品を慎重に集めて、長年の付き合いがある近所のメガネ屋さんへ持ち込みました。店のスタッフと相談した結果、メーカーで修理してもらうことになりました。

 

退院した足でただちに、そのメガネ店へ向かいました。「どんな風に修理されたのか」と期待しながら目の前に出された私のメガネを手に取りました。蝶番の部分はまるで新品のように傷一つありません。その出来栄えに満足してメガネ全体を眺(なが)めると、先セル(モダン、あるいは耳パッド)にあったはずの小さな欠落が見当たりません。

 

私の様子に気づいた店のスタッフはおもむろに説明を始めました。「古くなった先セル・鼻当て(ノーズパッド)・蝶番用板バネ・ナイロール(メガネの上部リムとともにレンズを固定するプラスチック部品)がすべて新しいものに交換してある」とのこと。

 

蝶番の修理というよりも、メガネの全面的なオーバーホールであり、どこから見ても新品のメガネになっていました。あと何年使えるかと気にしながら使っていたメガネが完全に甦(よみがえ)ったのです。まさに「災い転じて福となる」でした。

 

ここからはメガネにまつわる私の履歴(りれき)です。

 

私がメガネと出会ったのは30歳代の終わりころでした。仕事にワープロをよく使うようになったためか、視力の良さが自慢だった私の目が近視になってしまいました。仕事に支障はありませんが、私の大好きなドライブを快適に楽しむため、始めてメガネを誂(あつら)えました。ですから、メガネを掛けるのは車を運転する時だけでした。

 

ほどなくアメリカの子会社勤務になりました。会社における私の個室にはアップル社製PCMcIntosh SEが初日から置かれていました。しかも、社内のPCはすべてアップルトーク(インターネット・プロトコルであるTCP/IPとは異なる)というネットワークでつながっていたのです。日本ではPCがまだ一部の専門スタッフしか使っていない時代です。

 

私は仕事を口実にMcIntosh SEの画面に向かい合う日々が続きました。そして、私の近視は徐々に進み、メガネの度が合わなってしまいました。評判の良いメガネ屋を秘書に尋(たず)ねると、彼女は「その前に申込書(Application)を書きなさい」と言うです。

 

意味を理解できない私に彼女は、「会社が契約している医療保険を利用すると標準的なメガネが無償で購入できる」と説明してくれました。フレームは2年に1回、レンズは必要があれば毎年でも新しくできる特典があると言うのです。アメリカは医療費が高いと聞いていましたから、私の驚きも2倍になりました。無償でメガネを買い替えたのは言うまでもありません。

 

話がメガネから逸()れますが、歯の治療も同様でした。中学生の時に治療した歯が30年振りに痛み始めました。評判が良いと聞いた歯科医を早速受診しました。治療は順調に進みましたが、一部の神経が複雑に折れ曲がっているため、それを治療できる神経の専門医を紹介してくれました。どれだけ高額な治療費を請求されるかと心配しましたが、治療費の合計は日本の保険治療より安いくらいでした。

 

5年間のアメリカ勤務を終えて帰国すると、社内の健康診断で老眼が見つかりました。ちょっとショックでしたが、処方箋(しょほうせん)を書いてもらい、会社が提携するメガネ屋でレンズを作ってもらいました。それが、遠近両用メガネとの出会いでした。

 

レンズの下部に小窓がある二重焦点レンズではなく、連続的に屈折率が変化するニコン製「バリラックス」を選びました。その後は乱視が加わり、近視の度が上がったため、3-5年でレンズを交換していますが、フレームの方は15年ほど前に現在のものと出会ってからは、予備用には違うタイプを買いましたが、ずっとそれを使い続けています。

 

今や手放せないこのメガネを大事にしながら、自分の身体の一部のように仲良く(大切に)付き合って行きたいと思います。

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