文化・芸術

2018年7月16日 (月)

中欧旅行(ダイジェスト版) チェコのプラハ

47回にわたり詳細に紹介した中欧(チェコ/オーストリア/ハンガリー)旅行を都市別にまとめたダイジェスト版として改めて紹介します。主要5都市(プラハ、チェスキー・クルムロフ、ザルツブルク、ウィーン、ブダペスト)の最初はチェコのプラハです。

 

                             ☆

 

チェコの首都であるプラハは、地理的にはヴルタヴァ(モルダウ)川の両岸に市街が広がり、ロマネスク以降の時代様式の建造物と石畳の小路など中世の趣が残る古都である。人口は約120万で、中央ヨーロッパ(中欧)で有数の大都市である。歴史的には1346-1437年および1583-1611年の2度にわたって神聖ローマ帝国の首都であった。プラハの中心部は、ヴルタヴァ(モルダウ)川の左岸(西岸)にあるプラハ城と城下町の小地区(マラー・ストラナ)、そして右岸(東岸)の旧市街に大別される。

 

プラハ城での見どころは正門を入った「第一の中庭」で毎時行われる衛兵の交代式 注、正午にはフラチャニ広場に面した正門で大規模な交代式が行われる
 
201804110064
   

1600年代に造られた大きな噴水がある「第二の中庭」を通り抜けたプラハ城の中心部にある聖ヴィート大聖堂の正面と右側面(南ファサード)を撮影。高さが99mもあるゴシック様式の鐘楼(南塔)には2つの時計(それぞれ時と分を示す珍しい方式)が設置されており、287段の階段で最上部まで上がることができる。
   
201804110069 
201804110098
   

交差ヴォールトの高い天井が印象的な中央祭壇付近
 
201804110093
   

後陣(入り口付近)にあるバラ窓は天地創造の場面を表現している。
 
201804110094
   

920年に木造で創建された聖イジー修道院(教会)はプラハ最古の教会で、1142年の火災後に石造りで再建され、17世紀後半にバロック建築によるハァサードが追加された。後方には2つの白い尖塔があり、右側の部分が礼拝堂。
 
201804110110
   

黄金の小径を抜け、プラハ城からヴァルタヴァ(モルダウ)川畔に出てカレル橋を渡ると、プラハ城を遠望することができる。
 
201804110143 
201804110144
   

旧市街の中心部にあるゴシック様式の旧市庁舎。右端の塔には天文時計があり、毎正時には12人の使徒が姿を現わすとのこと。
 
201804110155
 
塔の展望回廊から見るプラハの旧市街(南側)の家並み
 
201804110177
   

北方向にある聖ミクラーシュ教会
 
201804110183
   

東方向にはティーン聖母教会と旧市街広場
 
201804110186 
201804110185
   

ミクラーシュ教会の内部
 
201804110204 
201804110205
   

ヴァルタヴァ(モルダウ)川の対岸にある桟橋からクルーズボートに乗船
 
201804110214
   

クルーズボートはカレル橋を潜って下流方向へ
 
201804110221
   

クラシックな観光船とすれ違う。
 
201804110230
   

赤い屋根の建物はナ・フランティシュク病院で、14世紀から教会が医療を続けできた場所である。
 
201804110235
   

大きな建物は産業貿易省
 
201804110236
   

フラーヴクーフ橋の手前でUターンして広いレトナー公園脇を通過
 
201804110239
   

いくつもの橋と両岸の建物をたっぷり楽しむ約一時間のボートクルーズはプラハ観光には欠かせないもので、ローレライ渓谷の急斜面に広がるワイン畑を眺めながら両岸に点在する城を巡るドイツのライン川下り(所用時間:1時間40)とは異なる趣(おもむ)きがある。(続く)

2018年6月12日 (火)

中欧3か国を巡る旅(その44) ドナウ川のボートクルーズ

3時間後の午後7時に再集合して貸し切りバスに乗車し、ブダペスト観光のハイライトであるドナウ川のボートクルーズへ向かいました。一旦下流方向に走ったあと、折り返して上流方向へ戻り、インターコンチネンタルホテルに近い桟橋に到着。桟橋に係留されていたクルーズボートが出発して15分ほど経ったところで乗船するクルーズボート(定員150人)が桟橋に接岸しました。
 
201804110957
 

午後6時30分になるとクルーズボートが上流方向へ向けて出発しました。太陽はすっかり地平線に沈んで薄暮になっています。
 
201804110958
   

ブダ地区側の河畔にも並ぶ多数のクルーズボートの先に「マルギット橋」が見えてきました。
 
201804110959
   

「マルギット橋」が近づいたところで大きくUターンしました。
 
201804110960 
201804110961
   

ペスト地区側の「国会議事堂」の右手遠くに「セーチェーニ鎖橋」が小さく見えます。
 
201804110962
   

ブダ地区側です。左端に「漁夫の砦」と「「マーチャーシュ教会」、中央はバロック様式の「聖アンナ教会」(Felsővízivárosi Szent Anna-plébánia és templom)、右は「聖フェレンツ教会」(Szent Ferenc sebei templom)。
 
201804110963
   

河畔に建つのは改革派教会 ( Szilágyi Dezső téri református templom )
 
201804110964
   

ライトアップされた「セーチェーニ鎖橋」を通過します。
 
201804110965 
201804110966
   

スタッフが船内を周りはじめましたので、私はホットワインを、同行者はコーヒーを注文
 
201804110967
   

ブダ地区側の「ブダペスト工科大学
 
201804110969
   

鯨をモチーフにしたといわれる未来型デザインのモールBálna Budapest
 
 
201804110970
   

船内の様子
 
201804110974 
201804110975
   

国会議事堂」の目の前を通過
 
201804110976 
201804110977
   

「ドナウの真珠」と呼ばれるブダペスにおける1時間弱の「ドナウ川ボートクルーズ」は、河畔に建つ主要な建物と橋がすべてライトアップでロマンチックに演出されたコースを往復するもので、美しい景色をたっぷり楽しむことができたことは期待以上でした。(続く)

2018年6月11日 (月)

中欧3か国を巡る旅(その43) 自由行動: セーチェーニ鎖橋

セーチェーニ広場の脇を歩いてセーチェーニ鎖橋」の袂(たもと)に出ました。吊り橋型の石橋です。1849年に完成したこの橋の全長は380m、ドナウ川の沿岸で最初に架けられた恒常的な(変化がない)橋です。つまり、ドナウ川を挟んで発展したブダとペストを結ぶ橋として大きな意義がありました。数十年後には他にもドナウ川に架かる橋ができたことで、「セーチェーニ鎖橋」の改修工事が始まり、1915年にその工事は完了しました。しかし、第二次世界大戦でドイツ軍によって中央径間が破壊されたため、1949年に中央径間が再建されて現在に至っています。
 
201804110929 
201804110930
   

橋の欄干には舌がないと言われた(注、実際は口の奥にあった)ライオン像が飾られています。
 
201804110931
   

係留されたレストラン船
 
201804110932
   

「セーチェーニ鎖橋」から見た「ブダ王宮」
 
201804110933
   

鎖橋の名前は橋桁を吊るこの巨大な鎖です。通常の鎖ではなく、強度が高いアイバーチェーン(注、自転車のチェーンのような構造をしたチェーン)で出来ています。
 
201804110934
 

ドナウ川を航行する小さな遊覧船
 
201804110935
   

「ブダ王宮」の北側の門」と伝説の鳥「トゥルル」北門付近、およびケーブルカーが確認できます。
 
201804110936
   

下流に架かる「エルジェーベト橋」
 
201804110937
   

橋の欄干に設置された照明灯
 
201804110938
   

ドナウ川西岸の主要道路であるフリードリッヒ・ボーン(Friedrich Born)通り
 
201804110939
   

「セーチェーニ鎖橋」を渡りきったところにある「クラーク・アーダーム広場」 (Clark Ádám tér)はハンガリー国内の道路の0km点(道路原票)になっています。
 
201804110940
 

「王宮の丘」へ上がるケーブルカー
 
201804110941
   

「クラーク・アーダーム広場」の西側から見た「セーチェーニ鎖橋」です。ライダーの一団が続々と橋を渡って来ます。公に認められて走行しているようで、決められたコースから逸脱しないように、広場を取り巻くロータリーの要所にはパトカーが数台停まっていました。
 
201804110942
   

「クラーク・アーダーム広場」の北側から見た「セーチェーニ鎖橋」
 
201804110943
   

ライダーを眺めたり撮影したりする人たち
 
201804110944 
201804110945
   

「セーチェーニ鎖橋」から見たドナウ川の上流方向
 
201804110946
 
ボートが橋の下を通過して行きます。遠くに見えるのは上流側に係留されているレストラン船。
 
201804110947
 
「セーチェーニ鎖橋」を往復した後はドナウ川東岸エリアで軽く夕食を摂ることにしまいした。 この日の昼食がヘビーだったからです。インターコンチネンタルホテルの脇を南へ歩いて見つけたカフェI Quattro Artistiを選びました。店名から分かるようにハンガリー料理とイタリア料理を提供する店のようです。広いテラス席は開放的で良いのですが、陽が傾くと寒くなりそうですから、建物の中に入りました。
 
ドリンクとしてビールを選びました。アルコールが駄目な同行者はカフェ・マキアートです。
 
201804110948
 
ブルスケッタ(トーストにチーズやミニトマトと各種野菜をトッピングした軽い料理)を注文して2人でシェアしました。
 
201804110949
 
午後6時からは女性歌手がキーボードの伴奏でジャズ曲とポップス曲を何曲か歌うパフォーマンスがあり、ドナウ川の河畔を散策する予定は取りやめて、歌声を楽しむことにしました。同行者も気に入ったのか、休憩のタイミングを見計らって2人に話しかけています。見かけによらず度胸があるのです。席に戻ってきた同行者によれば、二人はハンガリーに来ているパートナーとのこと。
 
201804110950
 
もう少し腰を据えることにした私はフルーティー・ティーを、同行者はカフェラテを頼みました。
 
201804110951 
201804110952
 
(続く)

2018年6月10日 (日)

中欧3か国を巡る旅(その42) 聖イシュトヴァーン大聖堂

貸し切りバスを降りたバイチジリンスキ通りを挟んで反対側から見る「聖イシュトヴァーン大聖堂」
 
201804110909
 
建物の脇を通って「聖イシュトヴァーン大聖堂」の正面に出ました。1905年に完成した新古典主義様式の建物で、高さ96m、幅55m、奥行87.4m。
 
201804110910
 
巨大なドームと2本の鐘楼
      
201804110911
   

入口付近
 
201804110912
   

宗教画
 
201804110917
   

その前に置かれたガラスケースに入った聖遺物箱のパネル展示
 
201804110916
   

聖遺物箱(礼拝堂)に収められているのはハンガリー王国の初代国王イシュトヴァーン1世の右手のミイラです。遺体から失われていた右手がトランシルヴァニアで発見されてから各地を転々とし、1771年マリア・テレジアによってブダペストに戻されたものだそうです。ステンドグラスを通り抜けた光が写り込んでいるのは残念です。
 
201804110919 
201804110918
 
ハンガリーのキリスト教化に貢献し、1083年にカトリック教会が列聖、つまり死後になって聖人に列せられたイシュトヴァーン1世の遺体から失われていた右手がトランシルヴァニアで発見され、1771年マリア・テレジアによってブダペストに戻されたとのこと。
   

主祭壇には大理石製の初代国王イシュトヴァーンが祭られている。
 
201804110922
   

ドーム天井
 
201804110921
   

イエスの磔刑(たっけい)画とステンドグラス
 
201804110920
   両脇に計2つあるステンドグラスのは中央部分(黒丸の中)には微妙な違いがありました。
 
201804110924 
201804110925
   
立派なパイプオルガン
 
201804110923
 
バイチジリンスキ通りの反対側(大聖堂側)で貸し切りバスに乗り、次の目的地へ向かいました。「聖イシュトヴァーン大聖堂」からほど近いインターコンチネンタルホテルの前にある広場に午後4時ごろ到着。ここで一旦解散です。広場には19世紀にハンガリーの政治家で詩人であった「エトヴェシュ・ヨージェフ(EOTVOS JOZSEF)の銅像」があります。 注、“VARD”は吟遊詩人を意味する
 
201804110926
 
2時間と指定された自由行動では、貸し切りバスで走った街の中を散策するよりも、目当ての「セーチェーニ鎖橋」を渡ることに加えて、インターコンチネンタルホテルの近くで軽く夕食を摂ったり、ドナウ川の過半を散策したりすることにしました。

 

すぐ先のセーチェーニ広場(Szechenyi Square/Széchenyi tér)には巨大な「セーチェニイシュトヴァーン像」があります。ネット検索の結果によれば、19世紀のハンガリーの政治家(伯爵)で、セーチェーニ鎖橋(くさりばし)の建設に尽力したことで知られるそうです。また、セーチェーニ温泉の名前もこの人物に因(ちな)んでいるとのこと。
 
201804110928
 
(続く)

2018年6月 9日 (土)

中欧3か国を巡る旅(その41) 「漁夫の砦」(後編)

「マーチャーシュ教会」の裏側から横手の路地に入りました。
 
201804110884
 

そして右手に折れると、雰囲気が変わりました。古い建物には”Mathias RFX” ANNNO”(A.D.)、”MCCCCLXXXVI”(1186)、“SALV”(英語Savior:救世主)と表示されていますが、私の知識では意味するところを理解できません。ちなみに、ラテン数字では、M=1000C=100LXXX=0VI=6
 
201804110891
   

民芸店“VOROS SUNに立ち寄りました。
 
201804110893
   

「漁夫の砦」を出て、貸し切りバスの到着を待つ間、前の空き地から前景を撮影
 
201804110894
   

貸し切りバスに乗車してペスト地区の中心部へ向かいました。派手な外観の建物は「現代美術館」(Palace of Exhibitions/Mucsarnok)”。
 
201804110895
 

アンドラーシ通りの突き当たりに位置する「英雄広場」(世界遺産)には聖イシュトヴァーンの王冠と大主教十字を握っているガブリエルを戴く柱がありました。建国1000年を祝って建てられた高さ35mの記念碑です。
 
201804110899 
201804110896 
   

広場が接する「デューラー公園」の池と対岸にある「ヴァイダフニャド城」
 
201804110897
   

左手にあるのは「西洋美術館」
 
201804110898
   

ソンディ通りと思われる道を直進
 
201804110900 
201804110901 
201804110902
   

路面電車が走るテレツ環状通り
 
201804110903
   

アンドラ―シ通りの古い建物は「国立オペラ劇場
201804110904 
201804110905
   

商店のショーウィンドウに大きなライオンを見かけました。10年前に丸の内で見た「カウパレード東京丸の内2008」を「思い出させます。
 
201804110907 
201804110906
   

聖イシュトヴァーン大聖堂」が見えてきました。
 
201804110908
   

(続く)

2018年6月 8日 (金)

中欧3か国を巡る旅(その40) 「漁夫の砦」(前編)

尖塔が立ち並ぶ城壁の上(2階、有料)へ上がってみました。正面には「ブダ地区」(手前)と対岸の「ペスト地区」の町並みが広がっていました。
 
201804110871
 

その右手は「インターコンチネンタルホテル」など現代的な建物が立ち並ぶエリア
 
201804110872
   

見下ろすと、U字型に折れ曲がって坂を上がる道路と「漁夫の砦」に入る石段を一望することができました。
 
201804110873 
201804110877
   

マンホールも紋章入り
 
201804110874
   

左手奥の尖塔の先にある建物は「ヒルトン・ブダペスト」のモダンな建物
 
201804110875
 

ドナウ川の上流方向(左:ブダ地区、右:ペスト地区)
 
201804110876
   

「漁夫の砦」の南エリア
 
201804110879 
201804110880 
201804110882
 
ドナウ川の下流方向に架かる橋
 
201804110878

   

爬虫類動物のような装飾
 
201804110881
     

ギフトショップが入る尖塔の下に置かれた西洋式甲冑
 
201804110883
   

広場の右手奥にあるのは1200年代後半に建てられた「マーチャーシュ教会」(正式名称: 聖母マリア聖堂)で、街がオスマントルコに1541年から145年間もの長きにわたって占領された時にはモスク(イスラム教寺院)だったとのこと。そして1800年代後半にはゴチック様式の要素を残しながらバロック様式に改修されたそうです。ステンドグラスやフレスコ画などが美しいそうですが、訪れた時は結婚式が行われていたため、あいにく中へはいることはできませんでした。(有料)。美しいことで有名なステンドグラスが見られなかったことは残念です。ちなみに、この教会を改修した建築家フリジェッシュ・シュレクは「漁夫の砦」をロマネスク様式化する設計も行ったとのこと。 
 
201804110866
 
その尖塔上部 注、ガイドツアー(有料)がある
 
201804110869
   

ダイヤモンド模様でデザインされたカラフルな屋根
 
201804110868
   

「マーチャーシュ教会」の前にあるのは「三位一体像」(Holy Trinity Statue)
 
201804110867  ク
201804110889
   

(続く)

2018年6月 7日 (木)

中欧3か国を巡る旅(その39) ブダペストのドナウ川河畔から「漁夫の砦」へ

貸し切りバスに乗ってレストランからドナウ川方面へ向かいました。ハンガリーの建国に関わる伝説の鳥「トゥルル」が4本の支柱にとまる「自由橋」は1896年に建設されました。当初はオーストリア=ハンガリー帝国(二重帝国)の皇帝兼王であったフランツ・ヨーゼフ1世にちなんでフランツ・ヨーゼフ橋と呼ばれていました、1918年の二重帝国の終焉とともに現在の名前に変えられてしまったそうです。ちなみに、後方の建物は「ゲッレールト温泉」。そうです、ハンガリーには温泉があるのです。
 
201804110846
   

自由橋の袂からドナウ川に沿って上流方向へ進んだところで、対岸の丘の上に銅像らしきものを見つけました。デジタル・ズームで撮影したため明瞭な画像ではありませんので、調べると「ゲッレールト山の女神像」でした。
 
201804110847
 
 ちなみに、このエリアは「ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り」として1987年にハンガリーで最初の世界遺産となっています。具体的には、上記したゲッレールトなどの温泉とゲッレールトの丘、これから順次紹介するブダの王宮、マーチャーシュ聖堂と三位一体広場、漁夫の砦、セーチェーニ鎖橋、マルギット橋、国会議事堂、アンドラーシ通り、英雄広場、ブダペスト地下鉄1号線(注、ヨーロッパ大陸で初となった地下鉄)のなどが含まれています。
 

次いで、バロック様式の美しく大きな建物「ブダの王宮」には国立美術館、国立図書館、歴史博物館、軍事博物館などがあるそうです。
 
201804110848
   

「王宮の丘」(右端、標高167m)に「王宮の北側の門」と伝説の鳥「トゥルル」を見つけました。ケーブルカーも線路も確認できます。
 
201804110849
   

インターコンチネンタルホテル」の前にある広場にある銅像は、ネット検索によると、画家のロシコウィチ・イグナーツ・イグナーツ・ジュニアとのこと。バスでこの場所にわざわざ来た理由は、自由行動の後の集合場所に指定されたことで、その場所をメンバーに確認させるためでした。
 
201804110850
   

自由橋の下流側に架かる「エルジェーベト橋」はオーストリア=ハンガリー二重帝国時代の1903年に完成しました。当時、吊り橋としては世界最長を誇る装飾的な橋でしたが、第二次世界大戦で破壊され、戦後再建される時に現在のシンプルな形に変わったそうです。
 
201804110851
   

エルジェーベト橋の下を通過した後は一旦街並みの中を経由してエルジェーベト橋の取り付け道路に入りました。
 
201804110852
   

エルジェーベト橋でドナウ川を渡ります。正面、ドナウ川に面した中腹には十字架を右手に高く掲げた「聖ゲッレールト像」((Szent Gellért-szobor)、「聖ゲレールト」は、ここで殺された千年紀の英雄で、樽に入れられてドナウ川に投げ込まれたと伝えられるそうです。ちなみに、この場所は展望台としても人気があるようです。
 
201804110853
   

「ブダ王宮」の下を通過してセーチェーニ鎖橋」の袂(たもと)に出ました。
 
201804110856
   

漁夫の砦は、1895年から1902年にかけて、建国千年祭における市街美化計画の一環として建築家シュレク・フリジェシュによって建てられたネオロマネスク様式の砦です。つの白い尖塔が白い回廊で結ばれた構造になっており、名前の由来はこの地をドナウ川の漁師組合が守っていたことによるとされるそうです。
 
201804110858

 
7つの小塔(監視塔)から景色が楽しめるそうです。ちなみに、7つの塔はブタペストに古くから居住していた7つの部族を象徴しているそうです。
 

201804110859 
201804110860
   

階段を上がると対岸の「国会議事堂」が良く見えました。
 
201804110861
   

その右手には「聖イシュトヴァーン大聖堂」
 
201804110862
   

砦の中に入りました。広場の中央にあるのはハンガリーを統一した王である「聖イシュトヴァーン一世の騎馬像」(1906年)です。
 
201804110864
   

右手にダブルクロスの十字架を手にし、頭の後ろには聖人に相応しく光輪を戴いていて、威厳に満ち堂々としています。
 
201804110863
   

台座の4面にあるレリーフの最初は玉座の「聖イシュトヴァーン一世」(977-1038年)
 
201804110885
   

戴冠式
 
201804110886
   

教会の縮尺模型を指して指示をする王
 
201804110887
 

戦いに勝利したシーン
 
201804110888
   

(続く)

2018年6月 6日 (水)

中欧3か国を巡る旅(その38) ウィーンからハンガリーのブダペストへ

ウィーンを出発する日になりました。午前6時30分ころ、自室の窓越しに表通り(ラントシュトラーセル・ハウプト通り)を撮影。
 
201804110823 
201804110824
   

午前7時から1階のカフェテリアで朝食。こちらは同行者の選択で、
 
201804110825
   

こちらが私の欲張ったメニューです。
 
201804110826
   

午前8時30分にホテルを出発。アウトバーン(A4)と高速道路(E60)でハンガリーのブダペストへ向かいます。距離は243km、約3時間の長距離バス旅です。途中、無数とも思えるたくさんの風力発電所が存在していました。
 
201804110827 
201804110828 
201804110829 
201804110830
 
南東方向へ約70km走り、ハンガリーに入った最初のガソリンスタンドでトイレ休憩
 
201804110831
 
出発した時のウィーンからガソリンスタンドに到着するまでは晴れていましたが、さらに東南東方向へ約140km走ってブダペスト(人口183万人)が近づくと小雨が降りはじめました。そして、案内標識には、高速道路”E60”に加えて、“M1 Budapest”の表示も現れました。
 
201804110832
   

ハンガリーという国名は知っていても日本人にはあまり馴染みのない国の一つかも知れません。思いつくものを挙げてみると、フォアグラ(灰色ガチョウの肝臓)、グースダウン、貴腐ワイン、カロチャ刺繍、パプリカ、木製雑貨、などと、農業国のイメージが強いといえます。以下に、ハンガリーを理解するために概要を紹介します。
 

農業国であったハンガリーは第二次世界大戦後、社会主義国(現在は資本主義国)として重工業化が進められたことで車両生産を始めとする各種工業が盛んになり、輸入した原材料を加工して輸出する産業構造になっています。ちなみに、現在は輸出額の80%以上を工業製品が占めていることからみて、日本に近い産業構造といえるでしょう。
 

地理的には北にカルパチア山脈、南にバルカン半島、東はウクライナ、西はオーストリアに接し、ドナウ川が国土を貫流しています。国土全体はほぼ平たん(西部は丘陵、東部は平野)で、西欧・ロシア・バルカン・トルコなどを結ぶ交通の要所となっています。
 

現在のハンガリー人はウラル山脈周辺から移動したマジャル人であると考えているようです。今のウクライナを経て9世紀の後半に今のハンガリーに移動し、スラブ系を中心とする原住民と混血し、定住したとされています。現在の人口は約1000万人(首都ブダペスト:175万人)。
 

ハンガリーの歴史を2000年前からレビューしましょう。
 
紀元前1世紀にローマ帝国の属州となり、4世紀後半にフン族、6世紀に遊牧民のアヴァール人が侵入。8世紀にはフランク王国の支配下となり、9世紀にマジャル人が侵入。1000年にハンガリー人がハンガリー王国を建国。13世紀にはモンゴル帝国軍が来襲して大きな被害を受けるが、14-15世紀には中央ヨーロッパの強国になる。
 

15世紀後半からオスマン帝国の強い圧力を受け、1541年にオスマン帝国軍との戦いに敗れてブダを占領されたことで領土の2/3がオスマン帝国の支配下となり、残り1/3はオーストリアが分割支配した。1683年にオスマントルコ帝国が軍事的に後退すると、ハンガリーおよびハンガリー王国領のクロアチアとトランシルヴァニアはオーストリアに割譲され、1867年にオーストリア=ハンガリー帝国となる。
   
第一次世界大戦で敗戦国になり、オーストリアから独立して1918年に共和国(1920年にハンガリー王国)となる。1945年に第二次世界大戦の敗戦国となり、1946年に王政を廃して共和国(ソ連の支配下)となる。1989年に第三共和国が成立。2004年にEUに加盟。
 
高速道路
M1)は、「ドナウの薔薇」と讃えられる美しい首都ブダペストのブダ地区からドナウ川対岸(東岸)のペスト地区へと続きます。
   
201804110833 
201804110835
   

ペスト地区に入って一般道のトムバ通りにそれて東進し、”Leonard Hotel”の前を通過するところまでは確認できました、その後は複雑なルートを走っているようです。前方に黄色い教会が確認できましたが、名称は不明です。
 
201804110836 
201804110838
   

社会主義時代のものと思われる銅像の台座には”VITAM ET SANGUINEM!”と刻まれています。
 
201804110839
   

午前11時45分ころ、昼食のためハンガリー料理のレストラン「カルテンべルグ」(Kaltenberg)に入るようです。
 
201804110840
   

階段を下りるとレンガ造りの地下倉庫をリノベーションしたストランであることが分かりました。
 
201804110841
   

セットアップされたテーブル
 
201804110842
   

ハンガリー起源のスープ「ハンガリアングヤーシュ」は、牛肉、ラード、タマネギ、パプリカなどから作られるそうです。少し濃いめの味付けが食欲をそそりました。
 
201804110843
   

「ドルマ」というトルコ料理がヨーロッパに伝わって形を変えたと言われる「ロールキャベツ」ですが、キャベツの酢漬け(ザワークラウト)に載せてサワークリームをかけたハンガリー風はマイルドな味でとても美味しい料理です。長い歴史があることから、今やハンガリー料理と呼んでもよいでしょう。
 
201804110844
   

温かいスープ「ハンガリアングヤーシュ」をベースにしたハンガリーで定番の牛肉料理で、ご飯が添えられています。「グイヤーシュ」はカレーのように見えますが、濃くのあるスープで、牛肉との相性の良いものです。カレーライスのようにご飯と一緒に食べると味がマイルドになりました。
 
201804110845
 
ちなみに、グヤーシュは牛肉とみじん切りにしたタマネギを一緒に炒めて、パプリカパウダー/コンソメ/胡椒を入れ、パプリカ/トマト/ニンジン/ジャガイモを大まかに切ったものを加えて良く煮込んだものです。(続く)

2018年6月 5日 (火)

中欧3か国を巡る旅(その37) ウィーン旧市街観光(自由行動⑤) ウィーン・モーツァルト・オーケストラの演奏会

通常のトラム(2番)に乗ってリングトラムに乗りながら確認したバス停まで移動しました。ちなみに、バスの路線番号は”74A”。ちなみに、左端に写る建物は「オーストリア応用美術博物館」。注、”HALTESTELLE”は停留所、“A”は”AUTOBUS”のイニシャルではなく、”A””B”の2つのグループがあるうちの”A”
 
201804110795
     

当初の心積もりでは、旧市街の南東にある(トラムDのシュロス・ベルヴェデーレ駅に近い、宿泊するホテルから約1.5kmの距離)[ベルヴェデーレ宮殿(上宮)]へ出掛けて、クリムトやシーレなどの展示を鑑賞することにしていました。もちろん、わが家にポスターがあるクリムトの「接吻」(1908年に描かれた絵画)を鑑賞するためです。しかし、時間的には可能ですが取り止めて、ホテルの自室で1時間余り休憩することにしました。夜のクラッシク・コンサートを鑑賞するためには観光用のカジュアルな服装をフォーマルなものに着替えることも必要です。

 

バスに乗って市立公園脇の“Stubentor U”停留所まで戻り、2時間後にはStubentor”(シュトゥベントール)駅でトラムに乗車し、市立公園の前を通過します。
 
201804110796 
201804110797
   

「ウィーン国立歌劇場」近くの”Kärntner Ring, Oper”停留所に到着。
 
201804110798
   

「ケルントナー通り」から右手のマーラー通り(アーケード街)に入りました。
 
201804110799
   

夕食の会場はオーストリア料理の人気レストラン“BRISTOL LOUNGEです。「楽友協会」で開催される夜のコンサートと夕食がセットになったコースを事前に予約してありました。
 
201804110800 
201804110801
   

ウィーンの中心部の人気レストランらしく、高級感が漂う落ち着いた雰囲気があります。
 
201804110802 
201804110804
   

前菜に次いで「牛肉のカルパッチョ」(Rindercarpaccio)が配膳されました。ロケットの葉(ルッコラ)とパルメザン・チーズがトッピングされています。
 
201804110806
   

この日はオーストリアで主流である白ワインをあえて注文
 
201804110807
   

メイン料理はスィート・ポテトのクリームおよび茹(ゆ)でたブロッコリーを添えた「サーモン・トラウト(切り身)の焼き物」(Gegrilltes Lachsforellenfilet)またはハンガリー風牛肉煮込みの「オニオン・グレービーソースをかけたロースト・サーロイン・ステーキ」(Alt Wiener Zwiebelrostbraten)から選べます。ちなみに、後者はガーデン・ビーンとフライド・ポテトがトッピングされています。
 
201804110808 
201804110809
   

デザートはホワイトチョコレート・ソースおよびピスタチオ・アイスクリームと組み合わせた「モーツアルト・クノーデル」(Mozartcnodel)。ちなみに、「・クノーデル」はジャガイモの団子で、「モーツアルト」を冠しているのは無類のお菓子好きであったモーツアルトに由来すると思われます。
[作り方の例] 皮を剥(む)いて茹(ゆ)でたジャガイモを潰(つぶ)し、バター/セモリナ粉/塩/卵黄/粉糖と混ぜ、捏(こ)ねて生地にしたものを麺棒で延ばて約2時間待つ。それを巻いて、適当な大きさに切り、それぞれを団子に成形して約10分間茹(ゆ)でた後、水を除いてからバターを入れたパン粉を塗(まぶ)して完成。
 
201804110811
   

こちらが夕食とクラッシク・コンサートがセットになったチケット(シルバー・パス)の料金は1人100ユーロ(約1万3000円)です。ちなみに、座席はカテゴリーCの1列目6番 注、郵送してもらったため2人分の合計金額は212.9ユーロ
 
201804110812
   

日没したリング通りを歩いて「楽友協会」へ向かいます。ちなみに、「モーツァルトVIPチケット」(320ユーロ)を購入するとレストラン「オープス」からコンサート会場までの辻馬車フィアカーサービスなどを受けられます。
 
201804110813
   

昼間にも訪れていますから、迷わず最短コースで到着したころには、急に薄暮となりました。
 
201804110814
   

受付けのようなショップは、午後のガイド・ツアー後に立ち寄って、「楽友協会」の写真集を買い求めた場所です。
 
201804110815
 

大きな手荷物や外套などはホールに持ち込めませんからクロークへ立ち寄った後、開演30分前にチケットの種類ごとに指定された階段で2階へ上がりました。チケットはブラームスホールの各入口で担当者が確認します。ただし、日本のようにチケットの捥(も)ぎりはありません。
 
201804110816
   

「ブラームス・ホール」は観客がまだ疎(まば)らです。”B”席と”C”席の間に柱があることが気になり、後で調べると、完成後にホールを縦長に変更したためでした。
 
201804110817
   

チケットの種類と座席の関係を説明します。VIP席は両側にある2階席(バルコニー)の前半分、上級席は舞台に一番近い正面のエリア、その次は“A”、”B”、”C”の順。そして、2階席(バルコニー)の後ろ半分は”B”に、舞台の後ろの2階席は”C”に、後方2階席(バルコニー)の最前列は”A"席、その後方は”C"席に指定されています。ちなみに、総座席数は601。

 

徐々に客の数が増えたところで、2本の柱の間からも撮影。左側の壁にはブラームスの胸像のようです。ちなみに、”C"席は一番後ろですが、”B"席よりも一段高くなっており、しかも我われの席はその最前列ですから、前の席に座る人の頭を気にする必要はありません。つまり、ほぼ写真のように部隊の演奏者を見ることができます。
 
201804110818
   

開演3分前になると、当時の様式に従った豪華な衣裳と鬘(かつら)をつけた「ウィーン・モーツアルト・オーケストラ」の団員がステージに登場。ズームアップしながら慌てて撮影したため手振れ写真になってしまいました。綺麗な写真が「ウィーン・モーツアルト・オーケストラ」のhpで見ることができます。
 
201804110820
   

ここから先(演奏中)はカメラ撮影ができません。

 

演奏曲目はモーツアルトの名曲集的な内容が続きました。ドン・ジョバンニから序曲、アリア、デュエット、フィガロの結婚、魔笛、アイネ・クライネ・ナハトムジーク、などのセレナーデ、交響曲40番、同41番「ジュピター」、ピアノ・バイオリン・フルートコンツェルトなど。そして、フィナーレは「ウィーンフィルのニューイヤー・コンサート」のアンコール曲であるシュトラウスの「美しく青きドナウ」と「ラデツキー行進曲」が演奏されました。後者ではお決まりの手拍子を観客に求めるサービスもあり、500名弱の観客は大いに盛り上がりました。

 

約1時間40分のクラッシク・コンサートが終わり、正面の大きなドアを開けて外に出ました。
 
201804110821
   

トラムの最寄り駅であるシュヴァルツェンベルクプラッツ(Schwarzenbergplatz)駅まで歩き、トラムに2駅乗車したあと、路線番号は”74A”のバスに乗り換えました。次の写真はホテルの近く、”HEINBURGGASSE”(ハインブルク通り)停留所に差し掛かったころのバス内です。ちなみに、2両連結のワンマンカーの座席は横3列。
 
201804110822
   

(続く)

2018年6月 2日 (土)

中欧3か国を巡る旅(その36) ウィーン旧市街観光(自由行動④) リングトラムの車窓から

ドナウ運河の対岸、アスペルン橋の袂に建つ建物は超モダン・オフィスビルの「ウニカタワー」(UNIQA Tower、高さ75m)はウィーンの新しいランドマークで、夜間になるとライトアップされるそうです。右端に写るのは“VHS Wiener Urania”映画館とプラネタリウム。注、”UNIQA”はオーストリアの保険会社、ファサードが平面と曲面で構成されるこのビルの平面図は“A”と”O”を組合せた設計
 
201804110775
   

リング通り(シュトゥーベンリング)を挟んで郵便貯金局の向かい側、“Stubenring 1 Vienna”にある連邦政府の合同庁舎(旧陸軍省)の屋根(上)と広場(左下)に飾られた「双頭の鷲像」はハプスブルク家の紋章です。その下には“IMPERATORIS”(大元帥)、“FRANCISCI JOSEPHI Ⅰ.”(皇帝フランツ・ヨーゼフ 1世)と“ANNO MCMXII”(1912年)の文字が見えますから、旧陸軍省の建物が完成したことを記念しているようです。
 
201804110776
   

その下、駐車場と駐輪場の間に建つのはラデツキー行進曲で有名な「ヨーゼフ・ラデツキー将軍(Johann Joseph Wenzel Graf Radetzky von Radetz)の騎馬像」と「双頭の鷲像」(台座の前面)で、台座の碑文には”In deinem Lager ist Österreich”と賛辞が書かれています。建物の入口の上にはギリシャ(あるいはローマ)戦士と思われる彫像が数体飾られています。ちなみに、「ウィンナーシュニッツェル」の記事でも触れたように、貴族出身の軍人であったラデツキーは多くのオーストリアの戦争に参加して、元帥にまで出世した人物です。
 
201804110777
   

「オーストリア応用美術博物館」(右)を撮影するつもりでしたが、目立つ絵画(街路樹で隠れている)に気を採られて、隣にあるオーストリア料理のレストラン“Salonplafond im MAK(中央)と「応用美術大学」(左)も入れたため、ほんの一部分しか撮れていません。
 
201804110778
   

バスの停留所付近を通過します。地下鉄のシュトゥーヘントール(Stubentor)駅の近く、市立公園の脇(ヴァイスルヒナー通り)にあるStubentor U”(シュトゥバントール)停留所は宿泊するホテルへ帰る時に利用する路線(74A)の始発停留所です。実際に乗車した時に知ったことですが、手前にある「ドクトル=カール=ルエーガー広場」に合わせて中央分離帯が楔(くさび)形に広がることを利用して、乗客を降ろした上りのバスが三角形を構成する道路をロ要した折り返し、写真に写る停留所から下りのバスが出発します。
 
201804110779
   

旧市街の外側(東側)に広がる市立公園にはヨハン・シュトラウスの像があるはずです。
 
201804110780
   

市立公園の南端にあるのはクラシック・コンサート会場の「クアサロン・ウィーン」(Kursalon Wien
 
201804110781
   

この交差点は先ほど「楽友協会」へ行く時に歩いた場所です。銅像の脇からその先に見える噴水の方向へ少し歩いて、白い建物の先で右手に入れば「楽友協会」があります。
 
201804110782
   

「ウィーン国立歌劇場」と「新王宮」を通過すると、国会議事堂の前に出ました。1883年に完成したこの建物はギリシャ神殿様式で建てられました。その理由は自由と法治を基礎とする民主主義がギリシャで生まれたからだそうです。100年以上が経過した建物が老朽化したために改修工事が行われています。それが終わる2020年まではホーフフブルク(王宮)などで日常業務が行われているそうです。ちなみに、右端に写るプレハブ構造の建物は工事事務所かも知れません。
 
201804110783
   

議事堂正面入り口前のパラス・アテナの泉は国家の叡智を象徴するものです。「旧市街の中心部へ」の記事にも掲載していますが、このアングルの方が見やすいため、再度撮影しました。左手には「調教師の馬の像」が。
 
201804110784
   

同じく「市庁舎」
 
201804110786 
201804110787
     

トラムの「ショッテントーア駅」と「ヴォティーフ教会の尖塔」
 
201804110788
   

ヒルトン・ホテル・ウィーン・プラッツHilton Vienna Platz)の前を通過します。ちなみに、ウィーンにはもう一つのヒルトン・ホテル(Hilton Vienna)が市立公園とウィーン・ミッチ駅との間にあるようです。
 
201804110789
   

その隣ブロックにあるビルには”RAHU architekten”の表示がありますから、建築設計会社のようです。
 
201804110790
   

こちらのたてものには細長い旗が何本も掲揚されています。看板らしきものは見当たりません。
 
201804110791
   

ウィーン警察署の隣にある広場に「ドイツ王者の記念碑」(Deutschmeister-Denkmal)を発見
 
201804110792
   

ドナウ運河沿いに出ました。旧市街を一周するリング通りの最北部です。
 
201804110793
   

変わったモニュメントに気づきました。「グライフ」(ドイツ語)は鷲の翼と上半身、ライオンの下半身を持つ伝説上の生物で、王家の象徴とされます。
 
201804110794
   

シュヴェーテンプラッツ駅に到着してリングトラム(一周約4km)を利用した旧市街早回り(所要時間約25分)はエンディングを迎えました。
 
ここで投稿を小休止します。(続く)

より以前の記事一覧

2018年7月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ