文化・芸術

2017年5月22日 (月)

40年ぶりのミャンマー訪問(その43) ヤンゴンでの自由時間② 植民地時代の雰囲気が残るストランド通り

ダウンタウンに入る前に渋滞があり、しかもボータタウン・パヤーに立ち寄ったため、チャトリウム・ホテル・ロイヤル・ヤンゴンを出発して30分もかかってストランド・ホテル(正式名称はザ・ストランド・ヤンゴン)に到着。

 

ホテルに入る前に、その前に続くストランド通りを歩いてみることにしました。イギリスの植民地であった時、最初に開発された場所です。 ストランド・ホテルのほかにも、税関局、中央郵便局、イギリス大使館など、イギリス植民地時代に建てられた重厚なコロニアル建物群が残されているはずです。ちなみに、ストランド(Strand)は英語で岸辺を意味します。

 

まず、道を挟んだ西隣は税関局などの建物が立ち並んでいたはずです。少し歩いたところに見慣れないものがありました。立派な横断歩道橋です。40年前には無かった(車が少なかったので不要であった)施設です。
 
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交差点の先には昔のままの建物もありました。イギリス植民地時代に建てられた税関局の古い建物です。
 
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パンソダン通りを横断。税関局の古い建物と向かい合う右手の建物もコロニアル風です。ちなみに、この建物の右端には初日にサクラタワーの展望レストラン「ティリピサヤズ・スカイ・ビストロ」から見えた尖塔(せんとう)があります。
 
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旧税関局の前の風景は、カラフルなイスとパラソルに新味があるものの、40年前を思い出させてくれます。
 

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隣の建物は税関局(CUSTOM HOUSE)の新しい建物で、書類を持った人たちが出入りしていました。
 
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その横にあるマハバンドゥーラ通りの先には新旧の建物が混在するエリアがあり、200-300m先にはマハバンドゥーラ公園と旧最高裁判所があるはずです。
 
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その通りを挟んで税関の西側にある建物の脇では工事が行われていました。
 
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ストランド通りの反対側、ヤンゴン川縁に新しい建物が並んでいます。コンテナ用トレーラーの姿が見えますから、おそらく保税倉庫でしょう。
 
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横断歩道橋まで引き返し、
 
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ストランド・ホテルの前を通過します。
 
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セイカンター通りを挟んだ東隣にあるのはオーストラリア大使館で、正面玄関は左横にあります。
 
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さらにイギリス大使館が続きました。
 
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こちらは中央郵便局です。建物を改修されたようで、昔より外観が綺麗になっています。
 
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その東側にあるボーアウンチョー通りにも昔の雰囲気がそのまま残っています。この通りにあったと思われる中華料理店に毎日のように通って、名物の「蟹爪(かにつめ)のフライ」をよく食べたものです。40年前にはかなり高価な料理であったため、訪れなかった翌日には店主から「昨日は待っていたのに・・」と言われたことを思い出しました。注、中華料理を代表する揚げ物の「百花蟹剪(パイホアシェージェン)」のこと
 
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これでストランド通りにおいて私の記憶に残る場所を一通り見終えたようです。さらに500mほど東へ進むと、先ほど立ち寄ったばかりのボータタウン・パヤーに至りますから、ここで引き返すことにしました。(続く)

2017年5月21日 (日)

40年ぶりのミャンマー訪問(その42) ヤンゴンでの自由時間① ボータタウン・パヤー

この日は正午までのレイトチェックアウトが可能ですが、自由に行動できるよう午前10時30分ころにチェックアウトしました。もちろん、大きな荷物はホテルのクロークに預けることは忘れません。ドアマンに呼んでもらったタクシーに正面玄関で乗り、ホテルから4-5kmの距離にあるヤンゴン川に近いストランド・ホテルへ向かいました。事前の交渉により料金は3000チャット(約300円)。途中、ある場所に立ち寄る条件付きです。
 
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カンドーヂ湖の南湖畔からテイン・フィウ通りに入って南下しました。古い建物の屋上には大きなパラボラ・アンテナが並んでいます。通信衛星で中継される電波(ビデオ番組)を無料で受信するためでしょう。東南アジアでよく見かけます。前日、ガイドさんに教えてもらった民営の国内衛星放送”SKY NET”用の小型パラボラアンテナ(青色)も隣の大きなアパートにいくつか設置されています。
 
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テイン・フィウ通りをさらに南下し、ミャンマー国鉄の線路上に架かる跨線橋(こせんきょう)を通過。
 
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左折して入ったボーヂョーアウンサン通りを500mほど東進し、こんどは右折して入った一方通行のボータタウン・パヤー通りをさらに南下しました。
 
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ボータタウン・パヤー通りがストランド通りと交差する場所に近いボータタウン・パヤーに到着。タクシーの運転手に立ち寄りたいと言った場所です。ホテルの真南、約3.5kmの距離を走るだけですが、途中の混雑で20分以上もかかりました。
 
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交差点に面して立つゲート(山門)の前には頭部が金色のライオンがあります。その手前には食品を売る露店が営業しています。
 
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ゲート(山門)を潜った左手にボータタウン・パヤーの正式名称を冠したスーパーマーケット ”BOTAHAUNG FIRST SACRED HAIR RELIC PAGODA MARKET”(ボータタウンにある最初の聖なる遺髪仏塔市場)を見かけました。生真面目なミャンマー人らしい命名です。
 
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その隣にある建物の“IN”と表示された入口付近(写真左)にいる人たちのほとんどが地元の参拝者のようです。そして”EXIT”と表示された右側が出口。それ以外はビルマ語で書かれているため、建物が何であるかは分かりません。外装から見て礼拝堂でしょうか。
 
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ここで余談です。ビルマ語の文字はタイ語の文字とよく似て丸っぽい曲線を多用しています。帰国後に調べてみました。これらは南インドのパッラヴァ王朝(3世紀後半~9世紀末)のグランタ文字が起源でした。仏教とともにグランタ文字を使うパーリ語(上座部仏教の経典に使用される言語)を導入したミャンマー南部の先住民のモン族とカンボジアのクメール族がグランタ文字をもとにそれぞれモン文字とクメール文字を創ったのだそうです。そして、モン文字を雲南省から南下したビルマ族がさらにビルマ文字化し、クメール文字からタイ文字が生まれたそうです。つまり、中国から漢字を導入した日本・朝鮮・ベトナムの漢字圏と同様、ミャンマー・タイ・カンボジア・スリランカ・インドネシア(ジャワとバリ)は南インド文字圏と呼べそうです。


閑話休題。タクシーから降りてボータウンパヤーを撮影意することにしました。 ”BOTAUNG”および ”BUDDHAS FIRST SACRED HAIR RELIC PAGODA”の表示が確認できました。外国人は右側にある履物預かり所で参拝料金を支払う
ようです。
 
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主塔(高さ約40m)へ向かう参道が塀越しにも確認できます。参道が東側だけにあることはこれだけ立派な仏塔としては珍しいと思われます。ボータタウン・パヤーは主塔の中にある8つの小部屋に入ることができる、ミャンマーでも珍しい仏塔です。またの機会があれば、シュエダゴン・パヤーに次いで有名と言われるこのボータタウン・パヤーに参拝したいものです。
 
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伝説かもしれませんが、2500年以上昔、8人の僧がインドから仏陀の遺品を持ち帰ってここに安置したことが始まりとされるようです。ちなみに、ボータタウンという名前はその8人の僧の警護に当たっていた1000人の兵士を意味しているとのこと。仏塔は第2次世界大戦中、連合軍の爆弾を受けて崩れ落ちましたが、その瓦礫(がれき)の中から宝物や仏陀の遺髪や聖歯と思われるものが見つかったそうです。注、「ボー」は「兵士」を、「タ タウン」は「1000」を意味する

 

帰国後に航空写真で確認すると、主塔は参道の両側にある小塔とその他の建物(お堂)に取り囲まれています。また、南側のエリアは空き地になっているようです。

 

塀越しに主塔と小塔が見えます。外観が綺麗になっていますが、やはり見覚えのある場所のようです。
 
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変わった塔もあります。左側は蛇(コブラ)が巻きついており、右側は頂部に魚のような装飾があります。蛇は塀の上のものと一体なのでしょうか。
 
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この角度から5つの仏塔が確認できます。
 
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タクシーの運転手には写真を撮るだけだと言ってありましたので3分後には出発。ストランド通りを西進して目的地へ向かいました。振り返って見たボータタウン・パヤーです。
 
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大きなクレーンが木立の先に見えますから、パンソダン埠頭(ふとう)に差し掛かったようです。
 
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(続く)

2017年5月20日 (土)

40年ぶりのミャンマー訪問(その41) ホテル内散策

ミャンマー旅行における最終日の朝は午前6時ころに起床。東の空が赤味を帯び始めています。
 
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この日は夕方にヤンゴン空港へ向かうまではガイドなしで自由行動ができます。ヤンゴン市内の主な観光地は前日までに巡(めぐ)りましたから、ややマイナーな観光地であるインド人街・中国人街、国立博物館・宝石博物館、ボーヂョーアウンサン博物館などを訪れるのも一案です。しかし、ヤンゴン川沿いの昔懐かしいストランド通りとパンソダン埠頭を散策することを旅行を計画した時から決めていました。同行者には興味が湧(わ)かない場所かもしれませんが、私にはバガン遺跡とともに今回のミャンマー旅行の最大の目的なのです。

 

帰国準備をしたあと、いつもより遅い午前8時ころ、グランド・フロアにあるカフェテリア「ジ・エンポリア・レストラン」へ向かいました。朝食ビュッフェで私が選んだのは相変わらずのオムレツを中心にした内容です。
 
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同行者の選択はバラエティに富んでいます。
 
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朝の散歩代わりにホテルの敷地内を散策することにしました。たまたま見かけた壁面の装飾は2羽の鳥が首を絡(から)ませたデザインの木目透(す)かし彫りです。酉年(鶏年)を祝っているのでしょうか。バガンのシュエズィーゴン・パヤーで大きな鶏の像を見かけたことをふと思い出しました。
 
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同じグランド・フロアで中国の神様のような置物も見かけました。ヤンゴンにおけるグルメ料理と夜の娯楽に関連する業界に贈られる“MYANMORE Dining & Nightlife Awards 2016”の中華料理部門で、このホテルのグランド・フロアにある中華レストラン”Tiger Hill”(虎丘楼)が受賞したことを祝う記念品のようです。右手前には「ミャンジャポ!」と題したヤンゴン・ベスト・ランチの小冊子(日本語)が置かれています。今年3月に創刊されたばかりの生活情報誌です。
 
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前日、チェックインする時に見かけたプール・エリアへは「ジ・エンポリア」の脇にあるドアからアクセスすることができました。左手に見えるのはロビーラウンジの先にあるミャンマー風の建物で、正面がプール・エリアです。
 
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左手へ進むと、階段状の噴水の最上部に騎乗するお釈迦様の像がありました。
 
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よく見ると、水はロビーラウンジの人工池から流れ落ちているようです。
 
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泳いでいる人がいますが、今回は水着を持参していませんから、彫像(ちょうぞう)とプール・バーが並ぶ周囲を歩くだけです。
 
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プールに水を注(そそ)ぐ噴水
 
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本館を見上げました。横に長いロビー・フロア(ロビーとロビーラウンジ)の下がグランド・フロアにあるカフェテリア「ジ・エンポリア」です。ちなみに、我われの部屋は右側の7階です。注、階数の呼び方はグランド/ロビー/その上が1階とするイギリス(ヨーロッパ)方式
 
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「四面佛」の案内看板を見つけました。
 
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順路にしたがって進むとミャンマー風の建物に行き当りました。
 
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その中に祀られているのがこの「四面佛」
 
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四面佛は古代インドのバラモン教の神様「ブラフマー」(4つの顔と腕を持つ創造神)を指し、その影響を受けた仏教では仏法の守護神(釈迦の脇侍)である「梵天(ぼんてん)」と呼ばれます。ちなみに、古代インドのバラモン教における神ではない魔族の「アスラ」も釈迦の眷属(けんぞく、従者の意)、つまり八部衆の一神として仏教に取り入れられ、中国語で阿修羅と表記されるようになりました。その影響を受けた奈良・興福寺にある国宝の阿修羅像は三面六臂(三つの顔に六つの腕)です。

 

虎の像も祀られています。東南アジアでは強いものの象徴である虎を信仰の対象とする国が多いようです。また、ミャンマーのシャン族は白い虎を先祖として崇(あが)めているそうです。
 
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その後はしばらく自室でNHKのテレビ放送(日本語)を観て過ごしました。(続く)

2017年5月19日 (金)

40年ぶりのミャンマー訪問(その40) カンドーヂ湖の水上レストラン「カラウェイ・パレス」(後編)

変わった衣裳の男性が数名、テーブル席の間から舞台へ向かい、
 
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舞台に上がると、武器を使って雄々しく群舞をはじめました。
 
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象がテーブル席脇の通路から再登場し、舞台の上で象らしい仕草で軽快に踊りました。逆立ちやお座りのポーズまでして観客を驚かせます。もちろん、中に入った二人がうまく連携動作をしているのです。
 
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そして、最後には逆立ちの態勢から後ろ足を下ろすと同時にステージから飛び降りました。手を叩く同行者の目の前で方向転換したため、同行者は大興奮。そして、象が客席の脇を歩いて退場すると、真っ赤な衣裳を着た女性たちの踊りが始まりました。
 
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次いで白い衣裳の女性たち
 
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こんどはミャンマーの民族楽器が登場しました。左から、音階を持つ金属打楽器のチェイナウン(真鍮製ゴング)、動物の皮を張った打楽器であるオーシー(携帯型小太鼓)で、それらの前で踊る人物(写真右端)は両手に刀を持っています。ミャンマー東部に居住するシャン族の伝統芸能のようです。
   
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さらに、大きな翼を着けた踊り子が登場。嵐に引き裂かれたのちに再会を果たす鳥のカップルを演じました。
 
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池の畔の絵を舞台にして、ひとりの演者が何体もの人形を交換しながら自在に動かす操り人形(マリオネット)。ストーリーは分かりませんが・・。
 
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"Sidaw"あるいは"Sidawgyi"と呼ばれる一対の長い太鼓(サイドドラム)で刻まれるリズムに合わせて、2人の女性が優雅に踊り始めました。この様式から見て、王宮の儀式で行われる"Sidaw Dance"と思われます。
 
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ほとんどの客が退出した8時20分ころ、民族楽器(左から打楽器のワーレコツ、手に持つゴング、前述したオーシー)の伴奏と女性たちの合いの手で、男女が掛け合い踊りをしてフィナーレを迎えました。
 
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ちょうど2時間の民族舞踊ショーは8つの主要民族を網羅(もうら)していたようです。見どころはシャン族の伝説の鳥のラブストーリーと11-13世紀のチャウセー(マンダレー近郊)で生まれた象ダンス、そして多様な民族衣装だったと思います。
 
しかし、古代インドの大長編叙事詩「ラーマーヤナ」をアレンジしたインドネシアの民族舞踊ショーのようにストーリー性がなく、また踊りと演出もそれほど
洗練されているとはいえません。その理由は、ミャンマーが最近になって観光地として注目され始めた、つまりまだ発展段階にあるためなのか、あるいはミャンマー人の生真面目(きまじめ)で控えめな気質に影響されているためなのでしょうか。 

ホテルには午後8時30分ころ帰着。「カラウェイ・パレス」での食事とショーをもって、ミャンマー滞在中に予定されていたガイド観光はすべて終わりました。そして、最終日は午後10時過ぎに成田空港行きの全日空便に搭乗する予定ですから、ホテルを出発する夕方までの日中はすべて自由時間です。実はこの時間を利用して、私がミャンマー旅行を思い立った懐かしい場所を訪れようと出発前から考えていました。次回から最終日の行動を紹介します。(続く)

2017年5月18日 (木)

40年ぶりのミャンマー訪問(その39) カンドーヂ湖の水上レストラン「カラウェイ・パレス」(前編)

チャトリウム・ホテル・ロイヤルレイク・ヤンゴンの近く、カンドーヂ湖の東湖畔に浮かぶ黄金の鶏を模った水上レストランで、夕食として「アジアンビュッフェ」と「民族舞踊」を楽しむことにしました。シュエダゴン・パヤーの駐車場を出て、カンドーヂ湖の南側にある道路を東進し、南東の角付近からカンドーヂ自然公園に入りました。

 

レストランがオープンする午後6時まで数分の余裕がありましたから、ガイドさんが湖畔の夕日鑑賞スポットへ案内してくれました。もうすぐ沈む夕日と先ほどまでいたシュエダゴン・パヤー(右端)を同時に望むことができます。服装から判断して観光客と思われる人たちも夕涼みを兼ねて夕日を眺めていました。
 
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夕日を鑑賞するベストポイントと思われる位置へ移動すると、黄金の鳥を模(かたど)った「カラウェイ・パレス」が右端にあり、遠くにはシュエダゴン・パヤー(右端)とマハ・ウィザヤ・ゼディ(中央)も写っています。また、湖畔の木立の隙間から屋根の頂部が少し見えるのは老舗リゾートの「カンドーヂ・パレス・ホテル」です。ちなみに、同ホテルには湖の中に設置された散策用の木道があるようです。
 
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夕日とシュエダゴン・パヤーを撮影したあと、「カラウェイ・パレス」がオープンする午後6時になるタイミング入店しました。スタッフは手に持つ予約リストでガイドさんに我われの名前を確認したようです。
 
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カラウェイ・パレス」は左右に並ぶ2羽の黄金の鳥で構成されていますが、我われは左側の鳥(建物)に案内されました。後方からは船の形に見えます。
 
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通路の左脇にある小さな屋台ではミャンマーで人気があるというタコ焼きに似たお菓子を売っています。タコ焼きといっても日本のそれとは異なり、ミャンマー人が嫌いなタコの小片は入っておらず、この屋台のものは球体に丸めるのではなく、タコ焼き器の形のままの半球です。ちなみに、その名前は「モン・リンマヤー」(注、モンは菓子、リンヤンマーは夫婦の意、つまり半球を2つ合わせて丸くした菓子)、中身は米、豆、油、塩、味の素などが入っているそうです。ミャンマー人好みの油っこい味で右端に写る爪楊枝(つまようじ)を使って食べるようです。脇に置かれているのは赤ザラメ(粗糖)と思われました。
 
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入口には衛兵の衣裳を身に着けたスタッフが控えています。
 
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オープンとほぼ同時に入館したため、豪華なインテリアが施された広いホールには先客がわずか一組だけ。レストランのスタッフはガイドさんを舞台に近い前列の席へ案内するようです。
 
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やはり、最前列の1番テーブルでした。
 
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お仕着せのミャンマービールを注文し、アジアンビュッフェの夕食です。ミャンマー料理、タイ料理、インド料理などから選びましたが、少し多めに盛ってしまったようです。
 
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同行者はと見ればまずは控えめな選択
 
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楽団席にミャンマーの民族衣装(正装)の男性が現れました。
 
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午後6時20分に民族舞踊ショーが始まり、舞台にビャンマーの民族衣装を身を纏(まと)った美しい女性が現れました。マンダレー近郊にある「古都アマラプラの記事」で紹介したように、女性は艶やかな長い黒髪を固く結い、下半身には女性用のロンジーである絹織物のタメインを着け、エンジーと呼ばれる同じ生地で作られた上着の上にレースのベールを羽織るのが正装です。注、男性用のロンジーはパソーと呼ばれる
 
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ミャンマーの民族舞踊はンドネシアよりもスローで優美な踊りです。この写真以降は諸事情によりデジカメとiPhone SEを使い分けて撮影したため、画質にムラがあることをご容赦ください。注、撮影した動画は残念ながら容量オーバーとなるためココログにアップロードできない
 
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舞台を転換する幕間のあとは、小芝居に続いて3つの民族舞踊が披露されました。
 
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バンブーダンスが始まりました。バンブーダンスはフィリピンの中部にあるヴィサヤ諸島の民族舞踊として有名ですが、台湾・タイでも行われているようです。帰国後に確認すると、出演者が着ていたのはインド・バングラディッシュとの国境に接するチン州に居住するチン族の民族衣装でした。
 
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カラフルな衣裳を身に纏った巨大な象がテーブル席脇の通路から舞台へ上がります。11世紀に起源をもつといわれる象の踊りはマンダレーの南、約40kmに位置するチャゥセーの地を灌漑してくれたバガン王朝のアノヤーター公に感謝する900年続く祭りのようです。
 
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(続く)

2017年5月14日 (日)

40年ぶりのミャンマー訪問(その38) ヤンゴンのシュエダゴン・パヤー(後編)

北の参道」の近くから見るシュエダゴン・パヤー。その右手前にはゴータマ仏を祀る北の祈祷堂が少し見えます。
 
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左手に別の仏塔が少し見えました。
 
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境内の北東角にある仏塔は主塔に次ぐ規模を持つナウンデージー・パヤーでした。シュエダゴン・パヤーで主塔に次いで2番目に大きな仏塔です。

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帰国後、この写真が40年前に撮影した写真と構図が良く似ていることに気づきました。しかも、昔の写真をよく見ると、右後方にもう一つ仏塔が小さく写っているのです。前回の記事(その37)紹介した古い写真にあった北の参道から境内に入った時、大きな感動を覚えながら、ナウンデージー・パヤーとシュエダゴン・パヤーの主塔を一緒に撮影したようです。
 

塀の外に装飾を施した建物を見かけました。ガイドさんに尋ねると、水道局の配水用タンクとの答えが返ってきました。景観に配慮されているのです。
 
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菩提樹Bodhi Tree)の大木の下で瞑想する仏陀像
 
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少し南側の建物内にある「ターヤーワディ―王の鐘」は、1841年に鋳造され、コンバウン朝第8代ターヤーワディー王により奉納されたものだそうです。重さは42トン。写真では分かりませんが、パーリ語とビルマ語で仏陀と王の功徳について数百行の文字が刻まれているそうです。ちなみに、パーリ語はこれまで何度も言及した南伝上部座仏教の経典に使われる言語。
 
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境内の東側テラスに出ました。左手前方にカクタン仏を祀る東の祈祷堂があります。その脇に月曜日の神様、つまり同行者が祈るべき場所があるようです。
 
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西日に照らされた主塔は明暗のコントラストが生じています。
 
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左手前にある“Htidaw Sacres Umbrella Pagoda”(傘パヤー)には金箔が貼られていない木製の仏像が何体もありました。
 
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ガイドさんは上部を指さして何か説明しています。
 
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1871年にコンバウン朝第10代ミンドン王が寄進した傘の部分が天井裏に保管されていたのです。
   
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東祈祷堂の前を通過。南東のテラスに入ったところで箒(ほうき)を使って床を清掃するボランティアたちを見かけました。ロンジ姿ではない若い人も交じっています。
 
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最初に見かけた火曜日生まれの人が祈る神様の前に出ました。信者たちは守護神に自分の年齢と同じ回数だけ水を掛けるのだそうです。
 
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歩道橋を渡ってエレベーター棟へ向かいます。
 
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出場口を抜けると、そこにはチャトリウム・ホテル・ロイヤルレイク・ヤンゴンを出発する時に見かけたような黒塗りの高級車(首都ネーピードーのナンバー・プレート)とMP(軍警察、憲兵)の姿がありました。
 
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濃い目のカーキ色に塗られた軍用と思われる救急車およびミャンマー軍の軍服(大尉クラス)を着た人も控えています。ちなみに、後方に見えるのは南の参道です。
 
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やたらと写真を撮影すると拘束されるかもしれませんので、そのまま駐車場へ移動。午後5時半を過ぎましたから、夕食の会場へ向かうことにしました。例によって、ここで記事の投稿を小休止します。(続く)

2017年5月13日 (土)

40年ぶりのミャンマー訪問(その37) ヤンゴンのシュエダゴン・パヤー(中編)

西の祈祷堂の先(右前方)には小塔が並び、左手には白い象がいます。そこには仏陀の聖なる歯のレプリカがあるようです。
 
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また、西の祈祷堂の脇には木曜日生まれの人が祈る場所(Thursday Corner)があります。ちなみに、主塔の下部は下から、”Plinth”(基台)、小塔の上は”Ledges”(棚)、”Octagonal Ridges”(八角形の棟)、そして”Circular bands”(円環)。
 
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北西の角、建物が密集するエリアに入りました。右側に土曜日生まれの人の神様が見えます。つまり、私が祈るべき場所です。
 
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釣鐘を打とうとする人たち
 
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ピンク色の僧衣を纏(まと)って黄金の仏陀の前に並ぶのはまだ幼い尼僧たち
 
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仏陀博物館の前を通過
 
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その先にある建物内にあるのはコンバウン朝第4代のシング―王(1776-1782年)が1788年に寄進した巨大な「マハーガンタの釣鐘(重さ23トン)です。
 
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1825年、第一次英緬戦争中にイギリス軍が持ち出しましたが、船への積み込みに失敗して川底に沈んでしまいました。これをミャンマー人が引き上げて、シュエダゴン・パヤーに戻された経緯があるそうです。ちなみに、マハーガンタはパーリ語で偉大なる鐘を意味するとのこと。
   
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隣の建物にあるシュエダゴン・パヤーで最大の仏像“Chanthargyi Buddha Image”(チャンタージー仏陀像)
 
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その手前の床にはタイルで描かれた蓮の花のモザイク画が
 
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東隣のフォトギャラリーに入りました。入口脇にシュエダゴン・パヤーの頂部にあるダイヤモンド蕾(つぼみ)の写真が架けられています。
 
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最初に北の参道(階段)を写した古い写真が目に入りました。1975年は私が最初に訪れた年の前年です。当時の雰囲気が少しだけ思い出されました。
 
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こちらは1970年に撮影された南祈祷堂の写真
 
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コンバウン朝第8代ターヤーワディ王(1837-1846)が寄贈した巨大な釣鐘
 
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初代のチャンタージー仏陀像 注、上に掲載した写真(現在の仏陀像)とは雰囲気が異なる
 
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昔のシュエダゴン・パヤーは小塔の数が現在より少なかったことが分かります。
 
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こちらのカラー写真コーナーは最近のシュエダゴン・パヤーを紹介しています。
 
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パゴダを取り囲む上部テラスの仏舎利塔(俯瞰撮影)
 
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主塔の頂上部にある傘の骨に吊るされた多数の小さな鐘
 
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最上部に置かれた「聖なるダイヤモンドの蕾(つぼみ)」
 
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(続く)

2017年5月12日 (金)

40年ぶりのミャンマー訪問(その36) ヤンゴンのシュエダゴン・パヤー(前編)

これまで何度も遠景写真を紹介してきたヤンゴン最大の聖地「シュエダゴン・パヤー」へ向かいました。カンドーヂ湖の西方約2kmにあり、チャウッター・パヤーとチャトリウム・ホテル・ロイヤルレイク・ヤンゴンからほぼ同じ距離です。カンドーヂ湖近くまで戻り、南参道に口に近い駐車場に入り、右手にある入場口へ。
 
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ちなみに、南参道口には大きなライオンが仏塔を守るように置かれており、そこから104段の階段で57mの丘の上にある境内へ上がるのが一般的な順路ですが、南東の角にはエレベーターが、そして東側と北側参道とエレベーターが、西側には西参道とエスカレーターが配置されているそうです。

 

参拝料を支払った証明になるシールを胸に貼り、手荷物検査を受けたあと、我われは南東の角にあるエレベーターを利用しました。
 
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エレベーターが上昇すると、すぐ近く(500m南東)にあるマハ・ウィザヤ・ゼディが見えます。注、ゼディは仏塔の建物を指し、パヤーは仏像・仏塔・聖遺物・経典などの総称
 
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エレベーター棟と境内を結ぶ歩道橋の入口でロンジを身に着けて満足げな西洋人のグループとすれ違いました。
 
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左手には屋根がある南参道が見えます。
 
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同行者は入場する時にもらった案内図を確認し始めました。注、現在地は写真の左下
 
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いよいよ境内(テラス)に入ります。
 
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40年前に見て以来、忘れたことのないシュエダゴン・パヤーの主塔が目に飛び込んできました。
 
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今から2600年以上も昔、二人の兄弟商人がインドで仏陀と出会って8本の聖髪をもらいうけ、紀元前585年にこの地に奉納したのがシュエダゴン・パヤーの紀元と伝えられます。(注、考古学者は6-10世紀の建立と考えているとのこと) それ以降、度重なる拡張工事の末、大小合わせて60あまりの塔に囲まれた大仏塔となりました。現在の仏塔の原型は15世紀中頃に時の権力者でバゴーの女王シンソープによって完成されたとされます。
 
 

写真中央には子供を抱いているブラマ―(梵天)と蓮(はす)の花を持っているブラマ―(左)が写っています。男の子が欲しい場合は子供を抱くブラマ―に、女の子が欲しい場合には蓮の花を持つブラマ―に祈ると良いそうです。
 
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そして、少し右手には八曜日のうち火曜日生まれに人が祈る祭壇がありました。チャウッターヂー・パヤーの記事で説明したように、ミャンマーの伝統暦による「八曜日」(注、生まれた日の曜日、ただし水曜日は午前と午後を2つに分ける)の守護像です。

 

面白い装飾のある小塔
 
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反時計回りに主塔の周りを巡ります。右手には、境内の東西南北にある祈祷堂のひとつ、コーナゴォン仏を祀るお堂があります。昔より豪華な建物になっているようです。その両脇に水曜日生まれの神様がありました。
 
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ちなみに、4つの祈祷所にはシュエダゴン・パヤーにゆかりのある仏陀像が祀られているそうです。東には1番目の仏陀「カクタン」、南に2番目仏陀「コーナゴォン」、西には3番目仏陀「カタパ」、そして、北には4番目の仏陀「ゴータマ」が配置され、各々の聖遺物、「杖」「水濾し」「浴衣」「8本の聖髪」が奉納されているそうです。
 

左手の建物内には釈迦にまつわる話が8枚の絵に描かれていました。注、最初と最後だけを抜粋
 
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主塔の高さは99.4m、基底部の周囲は433m。使われている金箔(金の板)の数だけでも8688枚といわれるそうです。
 
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塔の最頂部には1個76カラットのダイヤモンドをはじめ、総計5451のダイヤモンドと1383個のルビー、ほかにもヒスイなどの宝石がちりばめられた「聖なるダイヤモンドの蕾(つぼみ)」が取り付けられていますが、すべては善男善女の寄進によるものだそうです。その下は"Screw pine flower"(松ぼっくりに似た阿檀の実)と大きな傘、そしてバナナの蕾(写真下部)と呼ばれる部分です。
 
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40年前の写真は西参道に近いこの南西のテラス(もう少し近寄った上向きのアングル)で撮影したようです。

 
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左手の建物内にある翡翠(ひすい)の仏陀像
   
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カタパ仏が祀られる西の祈祷堂が近づきました。
 
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ボー・ボー・ヂー像(注、土着宗教のナッ神)が祀られる南西角の方向を振り返って撮影
 
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(続く)

2017年5月11日 (木)

40年ぶりのミャンマー訪問(その35) ヤンゴンのチャウタッシー・パヤー(後編)

熱心に祈る信者たち
 
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足の裏に描かれた黄金の仏教宇宙観、つまり涅槃(ねはん)に入る前の輪廻転生(りんねてんしょう)が108のイメージで描かれています。ガイドさんからのアドバイスがあり、ベストアングルで撮影できる展望台に上がりました。ちなみに、寝仏は生前の釈迦を表していますから、両足は涅槃仏(ねはんぶつ)と異なり揃(そろ)っていません。
 
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接近してクローズアップすると、各イメージとともに、指紋がすべて渦状紋であることが分かります。指紋占いでは自尊心強く包み隠さない性格を示すようです。
 
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そして、その解説パネル
 
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こちらは釈迦の説話を絵で表現しているようです。
 
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釈迦の母親である摩耶夫人が白い象(聖獣)が天から舞い降りて体内に入る夢をみる場面
 
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釈迦が生まれてすぐにとったという唯我独尊(ゆいがどくそん)のポーズ
 
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それぞれの絵に対応した解説(ビルマ語と英語)もありました。これは菩薩がカピラ城主のシュッドーダナ王の第一夫人である摩耶夫人(まや-ふじん)の夢を通して、その体内に宿ったことを説明しています。
 
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こちらは摩耶夫人の妊娠から出産までの経緯を説明しています。
 
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左端には鐘と柱状のものがありました。縦にスリットがあることから打楽器かもしれません。インドネシア・ジョグジャカルタのクラトン王宮で丸太をくり抜いた打楽器を見ています。
 
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寝仏の裏手には多くの仏像が並んでいました。
 
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生まれた日の曜日(八曜日)を事前に確認しておいたことで、同行者と私は決められた場所でお祈りしました。ちなみに、私の守護動物は龍または蛇、同行者のそれは虎。注、ミャンマーでは、水曜日が午前と午後に分けて考えられているため、月曜日から日曜日まで8つの曜日が存在する
 
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寄進された仏像群
 
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寝仏の周りを一周して頭の近くに出ました。
 
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出口付近から見た寝仏
 
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まるで生きている人のようにリアルでビビッドな表情を持つ寝仏は、日本人である私にとってやや違和感があり、信仰の対象にはなりにくいものと思われます。とはいえ、現代のミャンマー人の感性には驚かされました。次回はいよいよヤンゴンを代表する観光地を訪れます。(続く)

2017年5月10日 (水)

40年ぶりのミャンマー訪問(その34) ヤンゴンのチャウタッシー・パヤー(前編)

昼食を摂った中華レストランからカンドーヂ湖の畔にある道路へ出て、東へ約200m進んだところにあるチャトリウム・ホテル・ロイヤルレイク・ヤンゴンに午後2時ころ到着しました。初日に宿泊したホテルですが、夜になってチェックインし、翌朝も暗いうちに出発したため、正面ゲートを見るのは初めてです。門の上には何やら建物らしきものがあり、右手には国旗掲揚ポールがならんでいます。左から、ホテルの旗に並んで、ミャンマー、米国、タイ各国の国旗があります。
   
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初日の記事に書いたように、もともとはホテル・ニッコー・ロイヤルレイク・ヤンゴンでしたが、タイの金融資本(バンコック銀行)が買収して名称も変わりました。「チャゥトリ」とはタイ語で勇気の象徴を意味するとともに、その金融資本家(中国系)を指す言葉だそうです。

 

大きな玄関ポーチ(屋根)の下にある車寄せと玄関付近
 
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ガイドさんがチェックインを代行してくれている間、ロビーの装飾をゆっくり楽しみました。このホテルのボールルームで数日後(3月19日)に開催される結婚フェアを紹介するため、西洋式のウエディング・ドレスとともに、ミャンマーの伝統的な正装(結婚衣装)が展示されています。同行者は後者に興味を持ったようです。記録として何枚も撮影することに。
 
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馬車に乗る釈迦の透かし彫り
 
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これはロビーに続くロビー・ラウンジから見たカンドーヂ湖
 
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右手に続く人工池(手前)とスイミングプール
 
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テラスの最前列まで移動すると、右手にユートピア・タワーが聳(そび)えていました。
 
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バガンの南東約50kmにある休火山のポッパ山(標高1518m)の山麓にあるタウン・カラッ(Taung Kalat)といわれる岩峰(標高737m)を擬(ぎ)したものだそうです。古くパガン朝の時代よりミャンマーの土着宗教であるナッ神信仰の聖地とされる場所です。火山噴火したポッパ山の山頂にあるクレーターと形も大きさもほぼ同じで、過去の大噴火の際、山頂部が吹き飛ばされて現在の場所に落下したとの説があるそうです。777段の急な階段を上りきった頂上からポッパ山などの絶景を望むことができ、山頂の寺院には人気の聖人ボー・ミン・ガウンの像があるとのこと。(地球の歩き方から引用)

 

ここでヤンゴンについての概要を紹介します。ヤンゴンは6世紀に当時低地ビルマを支配していたモン族によって「ダゴン」の名創設された小さな漁村で、シュエダゴン・パヤーの門前町でもありました。先の記事に簡単に書いたように、1755年にはアラウンパヤー王がダゴンを征服し、その土地に入植するとともに「闘争の終わり」を意味するヤンゴンへ改名ました。 英国は1852年の第二次英緬戦争によってヤンゴンおよび低地ビルマを占領。その後ヤンゴンをラングーンに名称変更し、英国領ビルマの商業的かつ政治的な中心地としました。

 

独立後は2005年までミャンマーの首都。1989年に当時の軍事政権によって国名(英語呼称)をバーマ(Burma)からミャンマー(Myanmar)に変更するのと同時に、首都のラングーン(Rangoon)も現在の名称ヤンゴン(Yangon)に変更された。ちなみに、日本ではバーマではなく、ビルマとの呼び方が一般的です。オランダ語では”Birma”(ビルマ)と表記されますが、明治初期にこのオランダ語の呼び方が日本に導入されたことがその理由のようです。

 

自室で1時間半ほど休憩した午後3時40分ころ、ヤンゴン市内観光に出かけるため、ホテルのロビーから外に出ました。すると、車寄せに黒塗りの高級車が停まり、周辺には見守る人が多く、何やら物々しい雰囲気です。要人がこのホテルから出かけるところだと思われます。少し離れた場所へ移動して迎えに来てくれた車に乗ることに。
 
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カンドーヂ湖畔から北上してチャウタッシー・パヤーへ向かいました。直線距離では約1.5kmですが、丘陵地帯には直行する道路が無いようで、到着するまで10分ほどかかりました。写真は駐車エリアがある入場ゲート付近。
 
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素足になって長い通路を歩きます。
 
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仏花とお供え物を売る店
 
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中ほどに入口がありました。
 
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大きな屋根の下に全長65.8m、高さ17.7mの巨大な寝仏(寝釈迦像)が祀られていました。目鼻立ちがはっきりした顔にはアイラインとアイシャドウ、そして赤い口紅が引かれ、男性と言うより女性的(あるいは中性的)な印象的です。ちなみに、ミャンマーで4番目の大きい仏像とのこと。
 
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近づいてみるとその巨大さが分かります。手と足の爪には口紅と同じ赤いマニキュアが!
 
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顔を見上げるとその印象がより強くなりました。どの角度から見ても中性的で優美な表情をしています。
   
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ちなみに、大きさが1.8mx0.6mの両眼はガラス製なのだそうです。

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脇にモノクロ写真が2枚吊り下げられ、それぞれに”The Buddha Wingaba”、Reclining Buddha, Wingaba, Rangoon”と表記されています。(注。Wingabaは地名と思われる) 20世紀初頭(1907年)にインド人の職人によって制作された初代の寝仏は上半身を起こした姿で容貌も厳(いか)つい印象です。このためミャンマー人の不興を買い1950年代に取り壊され
、1966年に現在の寝仏が再建されたとのこと。新旧では形も表情も明らかに異なります。
 
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この写真の人物は初代の寝仏を寄付した実業家“Sir Po Tha”(ポーター卿)
 
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 (続く)

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