文化・芸術

2017年4月27日 (木)

40年ぶりのミャンマー訪問(その24) マンダレー観光④ 旧王宮(前編)

予定よりすこし早い午後3時20分ころ、マンダレー市内観光に出発しました。写真は本館の前方(両側)に並ぶバンガロースタイルのスイート(左側)です。ちなみに、車は右側通行のため、一方通行のアクセス路は反時計廻り。
 
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正門付近から見た本館
 
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まだ路肩の整備が行われていない高速3号線から市街地に入ると、バイクの通行が目立ちました。インド製と中国製が多いようです。ガイドさんによると、マンダレーの市街地ではバスやタクシーがほとんどないとのこと。
 

26番通りで見かけた苦行のため痩せた釈迦の像
 
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関連すると思われる話を紹介します。『出家した釈迦は、ヒンドゥー教の師に付いて
冥想(めいそう)を修行し、心を内側につなぎとめる訓練(ヨーガ)に習熟して、瞑想(めいそう)中は絶対的な自由を得ることができました。しかし、冥想から醒(さ)めるとそれが失われるため、釈迦は何かが違うと考えます。そんな折、村娘のスジャータの差し出す乳粥を受け取って断食を中断します。そして、体力を取り戻した釈迦は、ブッダガヤの菩提樹の下に座り、「十二縁起」の深い思考冥想を繰り返し、覚りを得ることになります』

 

旧王宮の南東角を右折して、幅の広い掘りに沿って66番通りを北上すると、旧王宮の入口(東の橋)がありました。
 
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ミャンマー最後の王朝となったビルマ族のコンバウン朝(注、1755年にビルマ族のアラウンパヤーが興した王朝)は1757年にモン族の都バゴーを占領して全土を統一。1767年にはアユタヤを陥(おとしい)れ、1785年にはアラカン王国を征服するなど領土拡張を続けたことが、英領インドとの緊張を生みました。1824年の第一次英緬戦争、1852年の第二次英緬戦争に敗れ、ビルマ王国(コンパウン朝)はベンガル湾に面した領土を失い、内陸部に閉じこめられることになりました。
 

窮地(きゅうち)に立たされたコンバウン朝の王となったミンドン王が、アマラプラから釈迦が仏教の都が現れるであろうと予言したというマンダレーへの遷都を決定し、1857年から建設を開始し4年がかりで完成したこの王宮は一辺が約3kmの正方形をした敷地が高さ8mの城壁と幅約70mの堀に囲まれています。要所に物見の塔が建てられており、東西南北計4本の橋で市街と結ばれているそうです。そして、3度にわたるコンバウン朝との戦争に勝利したイギリスが、24年後の1885年にティーボー王をインドへ追放するとともに、王宮を軍の施設としました。

 

一直線の道を1km近く走ると王宮の中心部に到着。車を降りて右手を見ると、七重の塔が要所に設置された城壁の先にマンダレーヒルがありました。
 
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正門へ向かう途中、城壁の脇で写真撮影が行われていることに気づきました。レフ板(リフレクター)を持つ男性がいて、被写体の女性たちもきれいな衣裳を身に着けていますから、プロカメラマンが撮影しているようです。女性たち、はいずれもミャンマーらしく、黒髪美人でした。
 
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正門越しに観光客が向かう玄関と思われる建物と階段が見えます。
 
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観光客は窓口がある右手の通用口(東入口)を利用します。注、外国人に開放されているのは東入口のみ
 

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階段を上がったところで振り返って見た正門
 
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建物中に入ります。ここでは履物を脱ぐ必要はありません。
 

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書院風の建物を描いた絵が壁面に飾られています。一際目を惹(ひ)くのは七重の塔。
 
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第二次世界大戦中の1942年には日本軍が占領し、1945年3月劣勢の日本軍と反攻に転じた英印連合軍との戦闘によって、王宮は消失して、城壁だけが残ったそうです。戦後はミャンマー国軍の施設として利用され、現在も軍の施設や軍人の住宅があるようです。ちなみに、現在の建物群は1990年代末に復元して建てられた新しいものです。

 

王宮の歴史的写真が展示されていました。まず、二代目にして最期の王となったティーボー王とその王妃スパラヤッ。
 
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ミンドン王とその王妃たち、そして皇子・宰相
 
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(続く)

2017年4月23日 (日)

再開発で誕生したギンザシックス(中編)

南端に東京タワーが良く見えるポイントがありました。
 
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三原通りに面した長い回廊の中ほどではソーラーパネルが壁面に設置されていました。
 
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庭園エリアへの通り抜け
 
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東端角にある靍護(かくご)稲荷大明神は文化12年(1815年)に根岸で奉安され、昭和4年に神霊を分霊して松坂屋銀座店(大正13年/1924年開業、地上8階)の屋上に遷座されたことがパネルに説明されています。
 
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回廊の北東部
 
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東京スカイツリーがビルの間から見えるスポット
 
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北端まで進むと、銀座四丁目交差点の角にある和光ビル、その後方には東京駅周辺の高層ビル群
 
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先ほど反対側から見た通り抜けと壁面緑化の設備
 
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13階へ下りる階段
 
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13階のレストラン街には、写真撮影したラウンジ・レストラン・バー・バンケットの”THE GRAND GINZA” と天ぷらの「山の上」のほか、カフェバーの”Grand Cru Café Ginza”(グラン クリュ カフェ ギンザ)、フレンチの”L’homme du Temps signe a nu”(ロムデュタン シニエ ア・ニュ)、創作肉料理の「旬熟成(しゅんじゅくせい)GINZA GRILL」、寿司の「つきじ鈴富」、カフェバーの「ミクソロジー サロン」がありました。
 
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エレベーターで6階まで下りました。アート・ブック&カフェ・レストランのフロアですが、「蔦屋(つたや)書店」はひときわ目立つ広さ(フロアの約1/3を占める)があります。屋上へ上がる時にも説明したように、7階から12階はオフィスになっているため立ち入ることはできません。
 
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インド料理専門店の“Tamarind”(タマリンド)
 
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フランスの伝統的・庶民的な料理を提供する“Bistro AUXAMIS”(ビストロ オザミ)
 
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肉料理・ビールがうまいというGrill&PUBの“The NICK STOCK”(ザ・ニックストック)
   
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5階はファッション&ライフスタイルのフロアで、文具やライフスタイル雑貨の“MARK’STYLE TOKYO”(マークスタイル トーキョー)、隣はアイウエア(ファッション眼鏡)のセレクトショップ”EYESTYLE”(アイスタイル)
 
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吹き抜けの反対側にあるパーカーの専門店“Dartin Bonaparto”(ダルタン ボナパルト)、その奥にある日本のデニムブランド”KURO”(クロ)と1908年創業のフランスの靴メーカー「パラブーツ 銀座店」です。さらに先にはライカ銀座店(世界初の直営店)もあるようです。
 
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4階にあるレディース服の専門店“ADORE”(アドーア)には女優さんたちから贈られた開店祝いの白いバラが飾られています。他の店では定番の胡蝶蘭(こちょうらん)が置かれていますが、白いバラのイメージがこのブランドの拘(こだわ)りなのかもしれません。ちなみに、ADOREには、憧(あこが)れる、あるいは熱愛するという意味があります。
 
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同行者は店舗の横側でも気になる展示を見つけたようです。店員さんからあれこれ説明を聞いただけになりましたが、白いバラの花束を貰(もら)ってうれしそう。ちなみに、手に持っているビニール袋にはバラが3本入っています。帰宅後に調べると、”ADORE”は港区青山にあるサンエー・インターナショナルのブランドのひとつでした。
 
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次いで同行者が足を止めたのは玉川堂(ぎょくせんどう)銀座店。大小の急須(きゅうす)・湯沸(ゆわかし)・茶筒(ちゃづつ)などが展示してあります。1816年に創業した新潟県燕三条の銅器専門店(金属加工業者)です。一枚の銅板を木槌(きづち)と金槌(かなづち)で叩き起こして作る鎚起(ついき)銅器の伝統技術を200年にわたって継承しているそうです。
 
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茶筒やぐい飲みのように深いものはヘラ絞り(注、銅版を回転させながらヘラと呼ばれる鉄棒を押し当てて少しずつ変形させる塑性加工)である程度形を作ってから仕上げるそうです。

 

私は発色の方法が知りたくて、不躾(ぶしつけ)な質問をすると、長身の若い男性は丁寧に説明してくれました。銅色のほかに、さまざまな色を出すことができるそうです。ちなみに、青紫色を出すためには、銅の表面に錫(すず)を焼き付けたのち、硫化カリウムなどの液に漬け込んで銅器の表面を変色させ、それを磨いて光沢を出すそうです。内部は化学的に安定している錫(すず)張りのままでした。 

同行者はコーヒーポットとコーヒードリッパーのセットが気に入ったものの、その値段は数十万円と高く、手が届かないことが残念だったそうです。(続く)

2017年4月20日 (木)

40年ぶりのミャンマー訪問(その22) マンダレー観光② マハムニ・パヤーの黄金大仏

国道1号からサガイン-マンダレー道路に入って北上し、マンダレーの市街地に入りました。市街地の南部に、次の目的地であるマハムニ・パヤーはあります。ヤンゴンに次ぐ第2の都市、マンダレー(人口約90万人、都市圏210万人)において最大で、最も重要な仏塔だそうです。仏塔の名前は本尊にあたる高さ約4mのマハムニ仏(金属製の仏陀座像)からきているとのこと。ちなみに、アマラブラから車で15分ほどの距離です。履物を脱いで西参道(ペデストリアン・パス)へ向かいました。
 
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マハムニ仏は創建者のボード―パヤー王(在位1782-1819年)の手によってヤカイン地方(注、ミャンマー南西部、ベンガル湾岸のエリア)から運ばれてきたとの伝承があるそうです。

 

西参道の両側には商店が並んでおり、これまでの寺院やパヤー(仏塔)とは異なり、お供え物とお土産以外に仏像や仏具なども売られています
 
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なかでも黄金の仏像がひときわ目を惹きました。寺院に寄進したり、自宅に祀ったりするために信者が仏像を購入するそうです。ちなみに、中身は白い大理石であるとのこと。
 
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参道の奥に設置された大きなビデオスクリーンには黄金の仏像が映し出され、信者が金箔を貼る様子がリアルタイムで見ることができます。
 
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参道を抜けると広い本堂に出ました。前方に黄金の仏像が現れました。その手前の参拝エリアには熱心に拝む信者の姿があります。注、写真撮影をする場合は撮影料を支払って、シールを上着の目立つ場所に貼る必要がある
 
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マハムニ仏の近くにも人の姿があります。金箔を貼りすぎたようで、仏像の表面がお釈迦様の頭にある螺髪(らほつ)のようになっています。
 
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左手にあるセキュリティ・ゲートは仏像に金箔を貼りたい人が仏像近くへ立ち入る入口です。ただし、女人禁制とのこと。
 
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左手に折れて時計回りに本堂内を巡ると、仏像の横顔を見ることができる場所に出ました。こちらからも金箔を貼る人を確認することができます。もともとヤカイン地方にあったとされる仏像らしく、インド風の顔立ちのように見えます。ちなみに、黄金で輝くマハムニ仏は、このパヤーに安置された当時、金箔は貼られておらず、青銅製のままであったとのこと。
 
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本堂の広い回廊にヨーロッパの雰囲気があるのは、1884年に発生した火事で焼けた建物を立て直す時に、イタリア人が協力してイタリア式のデザインとしたためです。
 
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本堂を出て、別棟に向かいました。人間やライオンなど6体のクメール様式の青銅像を収められたお堂です。3体が獅子で、2体がインドのシヴァ(ヒンズー教の神の意)で、一体は頭が三つついた象があるとのこと。ちなみに、下の写真はシヴァと象。
 
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そして、これが獅子像
 
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自分の具合が悪い部分と同じ場所をなでると体の調子が良くなるという言い伝えがあるとのこと。
 
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これらの像はいずれも12世紀にカンボジアで造られ、アンコールワットに置かれていましたが、1431年にタイ(アユタヤー)の軍が持ち帰り、さらに1564年にはアユタヤ―(関連ブログ: アユタヤーへの船旅アユタヤ遺跡)に攻め込んだモン族の王バイナウンの軍がバゴー(注、ミャンマー南部、ヤンゴンの東北にある町)へと奪い去った。1600年にはやカインヤカイン(注、ミャンマー南西部のベンガル湾岸の地域)のラザヂー王がバゴーを侵略してこの像を持ち去ったが、1784年にコンパウンド朝のボード―パヤー王(在位1782-1819年)が奪い返し、マハムニ・パヤーへ収めた経緯があるそうです。注、カンボジアのクメール王朝(9-15世紀)では土着の信仰とヒンズー教、仏教が混じり合った宗教が信仰されていた

その先にある巨大な鐘
 
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主塔の周りにはこのような小仏塔が80基もあるそうです。
 
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もと来た参道を戻ります。ちなみに、写真右側の窓口で金箔を購入できます。
 
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朝のフライトが約1時間遅れたため、午前中の観光はやや端折(はしょ)り気味になりました。マハムニ・パヤーの境内はこちらのビデオも参照してください。正午を過ぎ、昼食会場へ向かうタイミングで、投稿を小休止します。(続く)

2017年4月19日 (水)

40年ぶりのミャンマー訪問(その21) マンダレー観光① 「古都アマラブラ」(後編)

思ったよりも長い木製のウー・ベイン橋は長さが約1200mもあるそうです。ちなみに、以前、渡ったことがある静岡県島田市の大井川に架かる同じ木製の蓬莱橋(ほうらいばし)は長さが897.4mでギネスブックに登録されているそうですが、この橋の四分の三ほどの長さです。また、木津川流れ橋(八幡流れ橋)は長さ356.5m。
 
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タウンタマン湖のほとりにある純白のパトドーヂー・パヤー(仏塔、1820年バージードー王が建立)が湖面に映り、手前には漁や観光のためと思われる小舟が並んでいます。
 
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かなり大きな湖です。
 
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200mほどまで歩いたところに休憩所がありました。注、写真は反対側から振り返って撮影
 
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その前方には同じような光景が対岸まで続くようです。やや左手にはコンバウン朝のパガン王によって1847年に建てられたチャウトージー・パヤーがあるそうです。注、帰国後に確認すると、2つ上の写真(右半分)に小さく写っている
 

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右手には柵が巡(めぐ)らしてあり、その手前にある藁(わら)ぶき屋根の建物内には多数のイスが並んでいます。ひょっとしてレストランまたはカフェなのでしょうか。
 
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そして、畑の中には登呂遺跡のような竪穴式住居もあります。農作業小屋かもしれません。
 
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休憩所内では輪切りにしたスイカが売られています。
 
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こちらはコーン・アイスクリーム
 
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一休みしたところでガイドさんに促(うなが)されて、元来た道を引き返し、車を停めた寺院の参道入口に到着。
 
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境内にある連理の大木
 
 
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ちなみに、連理木(れんりぼく)は2本の樹木の枝あるいは1本の樹木の枝が癒着結合したもので、縁結び・夫婦和合などの象徴として信仰の対象となっています。当ブログではこれまで何度も紹介しています。

 

車中から見かけたパヤー(仏塔)
 
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ガイドさんから織物工房へ案内したいとの提案に無論異存はありません。路地に入った場所にある工房で他の観光客と一緒になりました。
 
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ミャンマーの伝統的な正装を示す写真
 
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男性は、ガウンバウン(帽子)を被り、上着は絹製のタイポン・エンジ―、下半身は絹製のロンジーを着用。一方、女性は美しい髪形を結い、上着との上にレースのベールを羽織るのが特徴です。そして、履物(かきもの)はもちろん草履(ぞうり)。
 
 

この水平織機(しょっき)は日本やベトナムとほとんど同じに見えます。
 
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竹製のペダルは3本
 
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緯糸(よこいと)を通すサスも同じです。
 
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経糸(たていと)を巻き取る木製のビーム
 
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色鮮やかな多数の緯糸を使って複雑な模様を描き出す織り方をするランジは完成まで約1か月もかかるそうです。
 
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波形(アチェイッ)はミャンマーで人気がある模様だそうです。
 
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次回はいよいよマンダレーの市街地に入ります。(続く)

2017年4月18日 (火)

40年ぶりのミャンマー訪問(その20) マンダレー観光① 「古都アマラブラ」(前編)

突然でしたが、国道1号をそれて、集落の中を抜ける田舎道に入りました。バガンのニャンウーよりもバスや車の通行量の多いようです。到着したのはマンダレーの南約11kmにあるエーヤワディー川とタウンタマン湖の挟まれた「古都アマラブラ」です。

 

マンダレー周辺では18-19世紀にかけて何度も遷都が繰り返され、都になった4つの町のひとつです。パーリ語で「不死の町」という意味だそうです。1783年、ミャンマー最後の王朝となったコンパウン王朝のボードーパヤー王の手によって下流のインワから遷都され、1823年にパージードー王によって都はインワへ戻されました。1841年にはターラーワディ王が再びアマラプラへ遷都しましたが、1857年にミンドン王がマンダレーへ遷都しました。その際、主要な建物もマンダレーに運ばれたため、かつての都をしのばせるものはほとんどないそうです。注、日本でも飛鳥時代と奈良時代には、平均すると約10年ごとに遷都が行われ、それぞれ6か所、計12か所(ただし前期・後期難波宮だけは同じ場所)に都が置かれた。(当ブログ記事「平城京(後編)」を参照)

 

まず、訪れたのはミャンマー最大級で最高位の僧院のひとつ「マハーガンダーヨン僧院」(写真左手)。全国から集まった約1500人の僧侶が修行生活を送っている場所です。
 
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塀越しに、立ったまま談笑する何人もの僧侶の姿が見えます。広い部屋に多数のテーブルが並んでいますから、僧院の食堂と思われます。
 
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来し方を振り返ると人気のない道が確認できます。時計は午前11時15分を指していますが、早朝にはこの道で托鉢(たくはつ)をする僧侶たちの列も見られるそうです。
 
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僧院構内の地図には100以上の建物が表示されています。現在地は右下の入口付近。
 
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ガイドさんは入場する許可を得てくれました。ご飯を作る深絞りの大釜が積まれています。午前10時15分ころから1500人の僧侶が列をなして食事(昼食)を受け取り、大きなホールでいっせいに食事する行事は終わっていました。電光掲示板に書かれているのはこの日の食事を寄進した人の名前だそうです。なお、朝食としては早朝に軽いものを食べるそうですから、一日二食なのです。
 
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この僧院では僧侶の数が多いため、寄進された金品を使って、僧院内で食事の準備をするそうです。つまり、全員が外に出るのではなく、大半の僧侶は僧院内で托鉢を行っているのです。
 
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小さな僧侶見習いたちは托鉢の鉢を持っています。
 
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奉仕のためにこの僧院を訪れた信者(ボランティア)の集会所でしょう。全国からの希望者が多いため、1年前からボランティア活動への参加を申し込むのだそうです。
 
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装飾画施された純白の建物は創立者である高僧の住居跡と思われます。ちなみに、この僧院はイギリス統治下の1914年に創立されました。
 
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新しい建物も
 
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選択した僧衣が干されています。ミャンマーでは赤黒い色(あるいは海老茶色)が僧侶用、ピンク色が尼僧用です。ちなみに、僧衣はロンジーのような下半身用と袈裟として着用する上半身用(2x3mの四角い布)で構成されているそうです。
 
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駐車場にある見事な菩提樹の大木
 
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車で屋根付参道がある寺院の駐車場へ移動
 
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両側に衣料品などを売る店舗と露店が並ぶ道を歩きます。
 
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アマラプラは織物産業が盛んなことを示しているようです。
 
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ウー・ベイン橋の袂(たもと)に出ました。160年近く前、大地震により甚大な被害を受けたインワからアマラブラへ遷都された時の市長にあたるウー・ベイン(ベイン氏)がインワの旧王宮からチーク材を運び、アマラプラの東に広がるタウンタマン湖を渡るために架けた木製の橋です。注、インワは1364年からシャン族の都となり、後にビルマ族王朝の都となって約400年間栄えた
 
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昨年、洪水で破損したため、改修されたことが写真で説明されています。
 
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橋の上にも露店が出ています。
 
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1086本ある橋桁にはビルマ数字で番号が振られています。そうでした。几帳面(きちょうめん)なミャンマー人は番号を振るのが大好きなのです。
 
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(続く)

2017年4月17日 (月)

40年ぶりのミャンマー訪問(その19) バガン・ニャンウー空港からマンダレーへ

午前9時15分ころ、突然のアナウンスで港内バスに乗り、機体があるエプロンへ向かいました。昨日の朝、ヤンゴンから利用した飛行機とは機体番号が違いますが、同じAIR KBZの同型プロペラ機と思われます。ガイドさんが私の荷物を持ってくれています。
 
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機体の前方にあるハッチドアが開けられて荷物が搬入中
 
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先行するミャンマー・ナショナル・エアウェイズのプロペラ旅客機がエプロンから滑走路へ向かっています。
 
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機内は乗客がまばら
 
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マンダレー行きK7 262便は1時間5分遅れでエプロンから滑走路の南端に移動して一時停止
 
 
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発進と同時に急加速した機体は、プロペラ機らしく軽快に上昇を始めました。ただちに雲の中に入り、2-3分で雲の上に出ました。マンダレーは、バガンの北東約120km、エーヤーワデイ川沿いにあります。
  
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雲のため地上は良く見えません。K7 262便は20分ほど飛行したあと、高度を下げ始めました。眼下には高速道路のようなよく整備された道路が見えます。ヤンゴン/ネーピードー(首都)/マンダレーを南北に結ぶ国道1号線かも知れません。
 
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マンダレー空港に着陸。ヤンゴン空港と同様、滑走路(長さ4267m)に平行する誘導路がありました。
 
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現代的なデザインのターミナルビルは現代的なデザインの建物です。
 
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その脇にある管制塔
 
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エプロンから港内バスで移動してターミナルビルの到着エリアに入りました。ヤンゴン行きとなる飛行機への搭乗を待つ人たちがターミナルビルで待機していました。乗客が少なかったのは、バガンとマンダレー間は、飛行機や団体用観光バスのほかにも、長距離バス、急行列車、エーヤワディ川を航行するフェリーがあるためだったようです。到着エリアに入ると、国際線()と国内線()の間は仕切りテープスタンドがあるだけです。国際線の便数が少ないからでしょうか。
 
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ターミナルビルを出ると、シンプルなデザインに見えた建物にはミャンマー風の装飾がある塔がアクセントとなっています。団体客と一緒に車寄せから少し離れた駐車場へ向けて歩きました。
 
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マンダレー市街地内にあった旧空港を廃止して、2000年にマンダレーの南西約40kmの場所に開港した国際空港です。ちなみに、この空港の建設はタイの大手ゼネコンが施工。ターミナルビルと滑走路などの運営・維持管理業務(航空管制など一部業務を除く)については、日本企業とミャンマー企業で設立した空港運営事業会社がミャンマー航空局と2014年11月に事業権譲渡契約を締結。2015年4月に運営を開始し、開港して15年が経過したターミナルビルなどの改修工事が行われたそうです。
 

ターミナルビルの駐車場を出て一直線の道路を北上しました。 願いが叶ったようで、前日のバガンとは打って変わり好天です。
 
 
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6kmほど先で国道1号線に入りました。路傍の標識はヤンゴンからの距離(マイル)を示しているそうです。

 
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国道1号線はコンクリート舗装された片側3車線の立派な高速道路
 
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と思っていると、片側2車線に変わりました。
 
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牛の大行列と遭遇、その脇をバイクを改造したと思われるオート三輪の乗合バスが通過してゆきます。
 
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小型トラックを利用したトラックバス(ピックアップ)が前方を走っています。後で知ることになりますが、寺院へ参拝に出かける人たちのようです。
 
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前方からジーゼル機関車が現れました。
 
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何両もの客車を牽引していますから、マンダレーからヤンゴンへ向かうミャンマー国鉄の列車でしょう。1日3本運行されているそうです。
 
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ちなみに、ミャンマーでは日本の技術協力でヤンゴン地区の環状線と臨港線が電化され、その一部でJR九州の103系電車(軌間・電圧を改造)や広島電鉄の路面電車などが使われているとのこと。(続く)

2017年4月16日 (日)

40年ぶりのミャンマー訪問(その18) ホテルからバガン・ニャンウー空港へ

午前5時少し前に起床。しばらくすると、外で何人もの人が歩く気配があります。庭園内の歩道をたどってエントランスホールへ向かうと、フライイング・バルーン(熱気球)観光に出かける団体でした。霧が立ち込めている午前5時20分ころ、20名ほどのグループは2台のマイクロバスに分乗して出掛けて行きました。

 

軽くシャワーを浴びてから、午前6時にオープンするカフェテリアへ向かいました。仕切りのない庭園の濃い霧と鴨居に描かれた仏経画と思われる装飾が雰囲気を出しています。
 
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左手に並ぶ料理
 
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私のプレートに盛られた朝食メニューは軽めです。
 
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同行者の選択はと見れば、さらに控えめ
 
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外がかなり明るくなってきました。
 
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最初のプレートをほぼ食べ終えたころ、オムレツ・コーナーでプロパンガスの接続に手間取っていたコックさんが調理を始めました。やはりオムレツの誘惑には逆らえませんから、いつもとほぼ同じ具材を入れてもらい、しかり食べてしまいました。
 
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カフェテリアを出る時、入口脇にビルマの竪琴が飾られていることに気づきました。前日にホテルのエントランスホールで見たものとは異なり、ブチャトリウム・ホテル・ロイヤル・レイク・ヤンゴンにあったものと同様、調律用ペグが付いた新しいタイプです。ちなみに、ビルマの竪琴の正式名称(現地名)は曲がった琴を意味するサウン・ガウ(saung-gauk、サウン・ガッとも表記)。
 
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その隣にはワーパタラ(竹製の木琴)
 
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その上には操り人形
 
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自室へ戻る途中に見かけたヒンズー風の色っぽい雰囲気がある像
 
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建物内のホールにあった木製の装飾彫刻
 
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荷物を確認して、午前7時少し前にフロントがあるエントランスホールへ向かいました。
 
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エントランスホールに置かれた藤製のテーブルとイスにはミャンマー女性が描かれた砂絵が置かれています。
 
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すでに到着していたガイドさんによると、その日のフライイング・バルーンはキャンセルされた(中止になった)とのこと。ミャンマー旅行を計画する時に有力候補として考えたプランの一つでしたが・・・。

 

午前7時少し前にホテルをチェックアウトして空港へ向けて出発しました。アノーヤター通りに入り、緩やかな下り坂になったところで、ガイドさんから托鉢(たくはつ)に出かける僧の列が道路の反対側にあると教えられました。そして、撮影するため道路脇に車を停めてくれました。
 
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僧侶は托鉢する時も素足であり、
 
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思ったよりも大人数です。
 
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早朝で道路が空いていたため、15分ほどでバガン・ニャンウー空港に到着。ガイドさんによると、ヤンゴンからの便が霧で遅れているため、マンダレー行きの出発も遅れることになるそうです。
 
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2時間近くが経過した午前9時過ぎにヤンゴンからの便が到着。アナウンスによりターミナルビルの待合室から搭乗待合室へ移動し、そこで出発を待つことになりました。(続く)

2017年4月15日 (土)

40年ぶりのミャンマー訪問(その17) 「ナンダ・レストラン」で中華料理と人形劇を楽しむ

午後5時30分ころ、シュエサンドー・パヤーを出発し、アノーヤター通りからメイン通りに入って、ニャンウー村の西端にあるナンダ・レストランに約10分で到着。シュエズィーゴン・パヤーの近くです。午後6時に予約されている夕食(中華料理))を食べながら、午後6時30分から店内のステージで行なわれる伝統芸能・操り人形劇(パペット)のショーを鑑賞することになっています。注、ナンダ(難陀)とは釈迦の異母弟の孫陀羅(そんだら)難陀、または釈迦の弟子である牧牛(ぼくご)難陀を意味する
 
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門は寺院跡のアーチを利用しているようです。
 
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右手には、入り口近くに舞台がある、開放的なテーブル席が並んでいました。午後6時まで15分ほどありますが、テーブル・セッティングは終わっています。
 
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店の奥にも舞台付のやや狭いテーブル席があり、操り人形が飾られていました。
 
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10分前には、舞台の右手最前列、楽団ブース前のテーブル席へ案内されました。プラスチック製の屋根板の端から空が覗いていますから、夜風が通り抜けるかもしれません。
 
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ビールには選択の余地が少なく、今回もミャンマー・ビール(缶)になりました。
 

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同行者はライム・ジュースを選びました。その隣の小皿に盛られたパパラは人気の揚げ煎餅とのこと。軽い塩味はおつまみにも向いています。
 
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中華料理は、唐揚げ、牛肉の炒め物、空芯菜(くうしんさい)の炒め物など。料理のボリュームを考えてライスは辞退しました。
 
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野菜スープ
 
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ミャンマーの伝統楽器が並んでいます。向かって左から、真ちゅう製のゴングであるチェイナウン、縦笛(たてぶえ)のパエ、そしてシュエズィーゴォン・パヤーで見かけた打楽器のドーバッ。正装をしている演奏者が頭に被っているものはビルマ帽子(ガウンバウン、英語:Turban)で、上着はタイポン・エンジ―と呼ばれるそうです。写真では見えない下半身にはもちろんロンジーを着用しています。
 
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冒頭、お釈迦さまに祈る人たちが登場
 
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操り人形を操作する演者をみせるために緞帳(どんちょう)が上まで上げられました。天井部がアーチになっていますから、舞台も寺院跡を利用していると思われます。
 
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別の人形が登場
 
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屋外のシーンに変わると白馬が登場しました。お釈迦様の愛馬なのでしょうか。
 
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皿に載せられたバナナがフランベされました。演出効果と香りづけのためでしょう。
 
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突然の雷鳴とともに土砂降りの雨がプラスチック製の天井を叩(たた)きました。インドネシア・ジョクジャカルタのプラウィサタ劇場でラーマーヤナバレエを鑑賞したときと同じです。
 
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もちろん、雨の影響を受けることはなく、操り人形劇は進行します。
 
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緞帳が再び上がってフィナーレのようです。
 
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演者はテーブル席に座る観客を周って、一緒に記念撮影をサービスするようです。しかし、突然の雨に驚いて引き上げた客がかなりいたようで、後方では空席が目立ちました。
 
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インドネシアのガムラン演奏とベトナム・ハノイの水上人形劇をミックスしたようなパペットで、その上演時間は約45分。鮮やかな衣装に身を包んだ人形たちがこの舞台で繰り広げるのは、ミャンマーの民話や伝説、仏教寓話(ぐうわ)などだそうですが、この日の出し物はお釈迦さまにまつわる話と思われます。ベトナムの「水上人形劇」のような規模と豪華さはありませんが、間近で見る人や馬の人形がアクロバティックな動きには見応えが十分ありました。

 

雨が小降りになった午後7時10分、ホテルへ向けて出発。ガイドさんと一緒に乗る専用車はあちこちに水たまりができた真っ暗な道を走ってホテルには午後7時30分少し前に到着。あとで地図を確認すると、メイン通りからエーヤワディー川沿いの脇道に入った最短ルートを通ってホテルの前に出たようです。WiFiで着信メールをチェックして、午後9時に就寝。(続く)

2017年4月14日 (金)

40年ぶりのミャンマー訪問(その16) オールドバガンの寺院群③ シュエサンドー・パヤー

アノーヤター通りを戻って(西進して)夕日が美しいと評判のシュエサンドー・パヤーへ向かいました。初代王アノーヤターがタトォン国を征服した後、ただちに建てられた仏塔のひとつで、タビィニュ寺院の南(城壁の外)にあります。バガン黄金期のなかでは初期にあたる1057年の建立。5層のテラスと2層の八角形をした台座の上に塔がそびえるユニークな構造をしています。ちなみに、シュエは金、サンドーは聖髪を意味し、この仏塔の中にはタトォン国(ミャンマー南部にあったモン族の国)が所有していた釈迦の遺髪が安置さられているそうです。午後5時10分ころに到着しましたから、日が沈むまでまだ1時間近くあるはずです。
 
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境内に入って見上げると、高いテラスに人の姿を確認できました。
 
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四方に設けられた急な階段はメキシコにある世界遺産、チェチェン・イツァ遺跡のピラミッドを思い出させます。ガイドさんを見習って北側の階段を上がりました。
 
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3層目のテラスです。ここから上部は煉瓦(れんが)の上に漆喰(しっくい)が塗られています。
 
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4層目のテラスに到着すると、一番上(5層目)のテラスは修復工事中で立ち入り禁止になっていました。
 
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階段を上から見下ろすと、下から見上げた時よりも急峻に感じられます。
 
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視線を上げるとやや西寄りの北方向、アノーヤター通りからシュエサンドー・パヤーへ入る未舗装の道の先には先ほど訪れたばかりのタビィニュ寺院が
 
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その少し右(北方向)には同じくアーナンダ寺院が
 
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左手へ視線を移すと、境内の入口付近と境内内で椰子の実を売る店を見渡すことができます。またそれらの先、仏塔や寺院が林立するやや北よりの西方に一つだけ外観が異なる建物があることが気になりました。
 
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その建物方向をズームアップすると、城壁の西端近くにある考古学博物館でした。バガンの寺院などから発掘された品々と、王宮や各遺跡の模型、古代文字の情報などが展示されているそうです。
 
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西側には小さな寺院が並び、境内への入口付近にはテント張りの飲食店も。山並みは薄っすらと見えますが、厚い雲が垂れ込めていて、夕日を見ることは絶望的のようです。オールドバガン南西端、エーヤワディー川沿いにあり、竹の骨組みに覆われている仏塔はミンガラー・ゼディ・パヤーでしょう。1284年にナラティハパテェ王によって建立された約10年後にはモンゴル軍の侵略が始まったため、バガン王朝最後の仏塔となったそうです。
 
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人で混み合う4層目のテラスを一周することにしました。写真は3層目のテラスと西側の階段。
 
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南の階段越し(東方向にひときわ大きな仏塔がありますが、方向とその特徴ある外観から見てダマヤンヂー寺院と思われます。
 
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父のアラウンスィードゥー王と兄の皇子を暗殺して王位に就いた第5代王ナラトゥは、罪の意識にさいなまれ、罪滅ぼしのためにそれまでで最大といわれる寺院を建て始めましたが、自身も何者かによって暗殺されてしまい、未完成のまま現在に至っているそうです。

 

東階段の前にある仏塔とアーナンダ寺院(左遠方)
 
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その仏塔の前にある赤と白の派手な日除けテントが気になって調べると、”KENBO”はミャンマーで人気がある中国製のバイクを販売する会社でした。

 

塔の先には観光用の馬車が走っており、さらに遠方にはピラミッドのような形をした改修中のスラマニ寺院(右寄)と地平線近く(ミン・ナン・トゥ村)には鉛筆のように細長いバガン・ビューイング・タワー(中央)が小さく見えます。バガン空港へ着陸する直前にその遠景を見ています。
 
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東側のテラスから北側のテラスに出るコーナーでは雨や日光による漆喰の風化が斑模様(まだらもよう)を描いています。
 
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煉瓦が剥(む)き出しになっている部分も
 
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見上げた改修中の塔
 
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夕日を鑑賞することは断念することにして、北の階段を下りると、階段脇で砂絵が売られていることに気づきました。
 
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夕日鑑賞は残念ながらできませんでしたが、バガン平野に現存する遺跡群を展望できたことは大きな収穫でした。観光客が多い理由を分かった気がします。マンダレーでの夕日鑑賞に期待しました。(続く)

2017年4月 9日 (日)

40年ぶりのミャンマー訪問(その15) オールドバガンの寺院群② アーナンダ寺院(後編)

外側の回廊越しに見た明り取りの窓
 
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3番目の過去四仏である東回廊の拘那含牟尼(Konagamana、くなごんぶつに)も復元されたものです。
 
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ここにも不思議な電飾があります。
 
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壁の仏龕に納められたレリーフは釈迦にまつわる話を表現しているようです。
 
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それを真剣に撮影する観光客の横で同じものを見上げる同行者
 

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回廊の天井が高くなった場所にはチーク材で造られた大きな扉が
 
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竹を使って複雑に組まれた足場に遮(さえぎ)られて4番目の過去四仏である北回廊の拘楼孫仏(Kakusandha、くるそんぶつ)を見ることはできません。進入禁止の警告とともにASIArchaeological Survey of India、インド考古学調査)の張り紙に気づきました。ガイドさんが回廊を反時計廻りに巡った理由はこの拘楼孫仏を最後にするためでしょう。
 
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回廊はまだ続きます。天井に描かれた絵が少し見えています。
 
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出家を決断した釈迦が、深夜 馬に乗って王宮を出ようとするシーンで、信者たちが馬の足首を持つことにより、蹄(ひづめ)の音を消している様子を描写したものです。つまり、釈迦の行動が釈迦の家族や臣下に気づかれないよう手助けしているのです。
 
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最初の場所(西回廊)に戻った同行者は、ガイドさんに勧められて、金箔を貼ってみることになりました。売り子の女性から購入した金箔は薄くて破れやすいため、表紙だけを剥がして裏紙と一緒に貼りつけるのがコツだそうです。同行者は漆器店で購入したブレスレット(バングル)を腕にはめています。
 
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アーナンダ寺院は私がミャンマーを始めて訪れた1975年の地震によって塔の先端部分が折れるなどの大きな被害を受けたことを記録する写真
 
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西の参道に設けられた出入り口から境内の南西エリアに出ました。
 
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やや褐色がかった白い外壁の本堂は確かに美しいのですが、あちこちに竹の足場が組まれているのは残念です。本堂の下部(明り取りの窓の下)には門時代のものとされる多数の浮き彫り(レリーフ)が飾られていました。
 
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さらに南東方向へ移動して見た本堂と南回廊
 
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境内の南西角にある人工池で逆さ寺院が見られるそうです。
 
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ベストポジションから本堂と塔を撮影しました。この日は弱い風があるため水面がなかなか静止してくれません。
 
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午後5時を過ぎました。いよいよ夕日を鑑賞する場所へ向かいますが、ここで投稿に2度目の小休止を入れます。(続く)

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