文化・芸術

2018年1月 4日 (木)

「川崎大師」への参拝に始まるわが家の年末年始

毎年参拝することを恒例としている「川崎大師 平間寺(へいけんじ)」へ年末の12月29日に出掛けました。いつも通りに、「大師公園」の駐車場に車を停めて、まだ参拝者はまばらな表茶道を歩きました。ちなみに、仕事の都合などで参加できないメンバーが二人いたため、今回の総勢は11名です。
 
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大山門にはすでに21mもある注連縄(しめなわ、注、前垂注連)が取り付けられたところで、高さ1.7m&30kgの玉飾りを中央に設置するための足場などの準備が進められているようです。ちなみに、寺院である「川崎大師」には三が日(初詣)だけで、およそ300万人の参拝が見込まれているそうです。
 
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注連縄は神様をまつるための神聖な場所を表していて、神様の領域と現世の領域を隔てる結界(注、不浄の物が入らないようにする役割)であり、伊勢神宮を除く出雲大社などの神社では一年中飾られていますが、真言宗の寺である「川崎大師」にはなぜか年末年始にだけ取り付けられます。呪術などを使う「密教」の流れを汲む真言宗だからでしょう。東京都中野区の「新井薬師」や千葉県成田市の「成田山新勝寺」でも年末年始に、形は異なりますが、注連縄が飾られるそうです。

 

大山門を潜ると、大本堂が正面に現れました。
 
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前年に授けられた護摩札(ごまふだ)を「納札殿」にお返ししたあとは「お水屋」(手水舎)へ
 
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午前11時30分の「お護摩」を申し込み、「献香所」に線香を備えます。写真に写るのはオチビちゃんとチビエちゃん。
 
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10分前までに本堂へ入るように言われています。
 
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25分ほどのお護摩のあと、新しい護摩札を頂きました。

 

午前12時直前になっていましたから、さっそく山門前にあるいつもの蕎麦屋「はやま」へ向かいました。年末年始など混雑する時は事前に食券を買う必要がありますが、食券売り場には10数人が列を作っています。一階席はほぼ満員のため、2階席(小上がり)に案内されました。
 
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オチビちゃん・コチビちゃん・同行者・叔父ちゃんの4人は「せいろそば(2枚)」(1400円)、
 
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二人のお母さんは赤ちゃんと一緒に「花巻うどん」(680円)、
 
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チビスケくん・チビエちゃんが「力うどん」(900円)、そのお母さんは「なめこそば」(900円)、
 
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お父さんは「鍋焼うどん」(1400円)、
 
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そして私は定番の「鴨南そば」(1120円)
 
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メンバー全員は蕎麦やうどんを平らげて満足そうです。なかでも中学生になったオチビちゃんは「せいろそば」をコチビちゃんと同行者からもらって4枚も食べきりました。

 

お腹を満たしたあとは、子供たちが楽しみにしている「大師公園」でのお遊びです。2時過ぎまで遊具やサッカーボールで遊んだことで、全員が大満足したようです。
 
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大晦日(おおみそか)から3が日は例年通りに自宅で過ごしました。夕方から飲み始めたため、NHK総合テレビで「紅白歌合戦」の放送がスタートして1時間を過ぎたころには睡魔に襲われてしまいました。続きはビデを録画で見ることに・・。元旦の午後に再生して見ると、知らない出場者が多かったものの、例年以上にバランスが良い構成でした。なかでも、出場が取りざたされていた桑田佳祐さんと安室奈美恵さんのそれぞれが登場するコーナーがあり、しかも私の好きなX-JAPANも出演しました。

 

半年前に頸椎(けいつい)の手術をしたYOSHIKIさんは、首に負担が掛かるドラム演奏ができないとして、ピアノで伴奏するEndless RainをToshIさんが静かに歌いました。一曲目が終わると、なんと舞台の前方にドラムスのセットがせり上がってきたのです。YOSHIKIさんはその前に座って両腕を交差させてXの文字を表現(Xポーズ)しました。私は演奏できないという意味かと一瞬思いましたが、スティックを握ってドラムをたたき始めました。曲はもちろんX-JAPANの代表曲である「紅(くれない)」です。私はサービス精神に溢れる演出を楽しみながら「紅」を思い入れをもって聞きました。紅白歌合戦では前年に続く「紅」の披露です。

 

元旦は寝坊しましたが、お雑煮を食べ終えた午前8時30分にはTBSテレビで「全日本実業団対抗駅伝競走大会」が始まりました。午前9時15分にスタートした第1区は下馬評にある旭化成・ホンダ・トヨタ自動車は出遅れて住友電工がトップで第2区の走者に襷(たすき)を渡しました。第2区では9位の旭化成がトップに、10位のトヨタ自動車が3位に躍り出ました。第3区では2位以下に変動がありましたが、第4区では下馬評通りに旭化成・ホンダ・トヨタ自動車の順番となり、最終の第7区でもその順番は変わらず、旭化成の強さが目立った大会になりました。ちなみに、第4位はトヨタ自動車九州、第5位は富士通、第6位はDeNA(注、旧エスビー食品の監督と選手が移籍)、第7位はコニカミノルタ、と順当な結果だったと思います。

 

元旦の夜(午後7時から)はNHK-Eテレ「ウィンフィル・ニューイヤー・コンサート2018」がオーストリアのウィーンからライブ中継されました。指揮者はウィーン・フィルから名誉団員の称号を得た数少ない指揮者の一人であるイタリアのリッカルド・ムーティ氏。ちなみに、「ニューイヤーコンサート」への登場は5回目とのこと。2004年以来、14年振りです。演奏された曲目は次の通り。

 

ヨハン・シュトラウス作曲 : 喜歌劇「ジプシー男爵」から「入場行進曲」

ヨーゼフ・シュトラウス作曲 : ワルツ「ウィーンのフレスコ画」

ヨハン・シュトラウス作曲 : フランス風ポルカ「花嫁探し」

ヨハン・シュトラウス作曲 : ポルカ・シュネル「浮き立つ心」

ヨハン・シュトラウス(父)作曲 : マリアのワルツ

ヨハン・シュトラウス(父)作曲 : ウィリアム・テル・ギャロップ

フランツ・フォン・スッペ作曲 : 喜歌劇「ボッカッチョ」序曲

ヨハン・シュトラウス作曲 : ワルツ「ミルテの花」

アルフォンス・チブルカ作曲 : ステファニー・ガヴォット

ヨハン・シュトラウス作曲 : ワルツ「ウィーンの森の物語」

ヨハン・シュトラウス作曲 : 祝典行進曲

ヨハン・シュトラウス作曲 : ポルカ・マズルカ「都会と田舎」

ヨハン・シュトラウス作曲 : 「仮面舞踏会」のカドリーユ

ヨハン・シュトラウス作曲 : ワルツ「南国のばら」

ヨーゼフ・シュトラウス作曲 : ポルカ・シュネル「短い言づて」
 

そして、アンコール曲は「雷鳴と電光ポルカop.324」に加えて、もちろん、「美しく青きドナウ」と「ラデツキー行進曲」の2曲も。リッカルド・ムーティ氏と一体になったウィーン・フィルの演奏を聴きながら、ウィーンの景色と建物、およびバレリーナの踊りをたっぷり楽しむ3時間になりました。
   

1月2日は午前8時から日本テレビで「箱根駅伝」(往路)のライブ中継です。下馬評では青山学院・東洋大学・東海大学・早稲田大学などが上がっていましたが、往路は1区で抜け出した東洋大学が安定に襷(たすき)をつなぎ、2位の青山学院大学(36秒差)と3位の早稲田大学(1分56秒差)の追従を許さず、トップで芦ノ湖のゴールでテープを切って往路優勝。

 

復路の6区では青山学院大学が見事な山下りでトップに立ち、7区でも区間新を記録し、8区は区間賞、9区は東洋大学と早稲田大学に追い上げられましたが、10区でもアンカーが安定した走りを見せたことで、トップで大手町のゴールに飛び込みました。2位東洋大学(4分52秒差)、3位早稲田大学(11分29秒差)、4位日本体育大学(11分48秒差)、5位東海大学(12分29秒)、6位法政大学(12分41秒差)、7位城西大学(14分33秒差)でした。

2017年12月29日 (金)

山陰と山陽の城を巡るドライブ旅 岡山県津山市の「津山城跡」(後編)

再現された白壁土塀(左)、「五番門」(中)、「本丸跡」と「天守曲輪」を隔てるの石垣(右)、および後方にある「天守台」の石垣群
 
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1階に下りて出口へ向かいました。
 
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「天守曲輪(天守台)」へ向かうため「備中櫓」の北側に再現された「五番門」を潜ります。左側(南側)の石垣は変形が著しいかったため、積み直しを行い、その上には土塀を復元したそうです。右手奥の「六番門」から突きだした石垣は侵入者の進路を妨げる目的があるようです。
 
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西側から見た「天守台」の石垣
 
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南側には「五番門」から続く土塀と「備中櫓」が重なって見えます。安全対策のため木製の杭にロープが張られている場所(天守台の南側・西側・北側)にはコの字型をした「多門櫓」があったそうです。ちなみに、左端の石垣は「六番門」(木立に左側)と「五番門」(白壁の土塀と石垣に隠れている)の間を繋(つな)いでいます。
 
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「多門櫓跡」から見る市街地
 
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「天守台」の北側へ移動すると、「多門櫓跡」の石垣(左手)、および「七番門跡」(左端)と「長櫓跡」(左奥)の石垣が整然と並んでいます。
 
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「七番門と虎口」の説明によると、「腰廓」の「裏中門」と「裏下門」を経由すると登城ルートですが、橋子(梯子)を使えば「二の丸」にも出ることができたと推測されるそうです。
 
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「天守台」の東側に天守に上がる石段がありました。左端に少し映るのは「本丸跡」と「天守曲輪」を隔てる石垣です。
 
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その石段を上がって「天守台」の石垣上に出ました。
 
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「天守台」の石垣(西側)から東方向を撮影
 
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「八番門跡」を抜けた「本丸」にある「長櫓跡」
 
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その先(東側)に続く「涼櫓跡」
 
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「本丸」の中央付近にある「常用の井戸」
 
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「城内表玄関跡」
 
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「本丸」からもと来た順路(表門・三の丸・二の丸)を逆に辿(たど)って、午後4時40分ころには「津山観光センター」脇の石段まで戻りました。
 
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1年前に続いて2度目の「山陰・山陽の城を巡るドライブ旅」を終えた満足感を感じながら帰路につくことにします。(続く)

2017年12月28日 (木)

山陰と山陽の城を巡るドライブ旅 岡山県津山市の「津山城跡」(中編)

「包(鼓)櫓跡」の石垣と「太鼓櫓跡」へ至る幅の狭い石段
 
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その左隣にある「表鉄門跡」
 
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『「表鉄門」は、本丸への入口にある櫓門で、門扉全体が鉄板で覆われていたことからこの名前がついています。「表鉄門」を北向きにくぐると、西向きに石段があり、それを登って、南に180度方向をかえると、そこに本丸御殿の玄関があります。この玄関は、先にくぐった「表鉄門二階の櫓部分にあたり、全体は北に向かってのびる「コ」の字形をしていました。玄関の石段を東向きにのぼると、式台と呼ばれる板敷の部屋があり、四十二畳の「広間」へ続きます。(以下略)」
 
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「本丸跡」に出ました。右手(東側)に長く続く石垣は武者走りの石段がある「矢切櫓跡」と「月見櫓跡」
 
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左手(西側)には「天守台跡」の石垣群が前方に見えます。その手前に立つのは「森候入封三百年記念碑」です。
 
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「天守台跡」の左手には再現された「備中櫓」があり、目の前(足元)には「津山藩の注意書き」が立っています。
 
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「備中櫓」へ向かう途中に見かけた「国指定史跡 津山城跡」の説明パネルには「津山城」の縄張りと「津山城本丸」が分かりやすく図解されています。
 
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午後4時15分に「備中櫓」に到着しました。入館が打ち切られるわずか15分前です。
 
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『本丸御殿の南西端に位置する「備中櫓」の名鳥取城主・池田備中守長幸(ながよし)に由来すると伝えられることが書かれています。森忠政は長女於松(おまつ)を池田備中守長幸に嫁がせており、長幸は忠政の娘婿にあたる。その長幸が津山城を訪れるのを機に完成したのが備中櫓であったと考えられている。(中略)外観は漆喰(しっくい)仕上げで通常の櫓と同様だが、「備中櫓」とその東に接続する「長局・到来櫓」とともに本丸御殿の一部として認識されていた。(以下略)』
 
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右手にある入り口から「備中櫓」に入りました。
 
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南西角には16畳の部屋がありました。
 
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襖(ふすま)で仕切られた3つの部屋を見通すことができます。
 
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「御座間(ござのま)九畳」は、床の間、天袋や違い棚などがあり、書院風の部屋です。
 
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南東の角部屋
   
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東隣にあったという「長局跡」(左上)も「備中櫓」と同じ高石垣の上です。
 
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「本丸跡」の先には津山市の中心部を一望することができました。注、NTT西日本の電波塔の延長線上、吉井川の対岸にJR西日本・姫新線の津山駅がある
 
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2階へ上がる階段
 
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2階にある「御上段(おんじょうだん)」はもっとも位の高い人のための場所で、格式の高い格子天井になっています。
   
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格子越しに外を見ると瓦葺の屋根の先に津山市外地が広がっています。
 
 
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(続く)

2017年12月27日 (水)

山陰と山陽の城を巡るドライブ旅 岡山県津山市の「津山城跡」(前編)

「鶴山(かくざん)公園(津山城跡)」の案内看板には天守閣跡(中央やや左より)を中心に見事な石垣がほぼ完全な形で残っていることと、「花の見ごろ」が表示されています。訪れた9月下旬は「ひがんばな」が見られそうです。
 
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「忘れさられた石」は、『平成10年の台風10号通過後、津山市大谷の石山登山道近くの谷川で、津山城築城時に切り出されたと思われる石が見つかりました。石の重さは約2.3トン、近くにある「津山城石切り場跡」にある矢穴(石を割るためにノミで穿った穴)と同じ大きさものが石の上下に計9か所残っています。津山城築城時に切り出された石の一部であることは間違いなく、何らかの理由で築城現場まで運ばれなかったようです。(以下略)』 と説明されています。
 
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「史跡津山城跡」の標柱
 
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石段の先にある「表門」へ向かう登城道
 
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「津山城復元図」には、梯郭式平山(ひらやま)城(注、日本三大平山城のひとつ)である城郭と、「表門」(写真右下)から「三の丸」「表中門」「二の丸」「切手門」「表鉄門」「本丸」「備中櫓」「多門櫓」を経て四重五階の層塔型「天守閣」(建物の全高は約23m)に至る登城路が描かれています。ちなみに、日本三大平山城はこの津山城、姫路城(岡山県姫路市)、松山城(愛媛県松山市)の三城で、平野の中にある山や丘陵に築かれた城を意味します。
 
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「津山城跡」の説明看板には、前回の記事で述べた森忠正による築城を中心に経緯が書かれています。
 
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「森忠正公」の像とその略歴紹介
 
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表門跡にある入城口を入ります。
 
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180度折り返して「三の丸」へ向かう途中、長柄櫓付近の石垣上に「ひがんばな」が咲いていました。
 
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 「三の丸」へ上がる石段
 
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 「三の丸」に出ました。
 
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 「津山城」の「城郭構成」と城内最大の櫓門であった「中表門」の説明
 
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 『津山城は、吉井川と宮川の合流点を見下ろす小高い山(鶴山)を利用して築かれた「平山城」といわれる形式の城郭です。山頂を平坦に削って本丸とし、本丸を囲むように二の丸、三の丸が高い石垣によって階段状に配置され、南を大手、北を搦手(からめた)としています。三の丸下段の南、西北側は総曲輪(そうくるわ)を形成し、その周囲を土塁と掘で固めています。一方の東側は急な断崖であり、その直下に南北に流れる宮川を自然の防衛線としています。本丸への通路は、大手、搦手とも鍵の手状に曲がる「枡形虎口(ますがたこぐち)」が繰り返し形成されており、きわめて防御を意識した構成となっています。場内の櫓の数は60棟を数えます。(以下略)』
 

「二の丸」に至る長い枡形の石段(表中門跡)
 
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石段を上がりきる手前で、右手上方に聳え立つ建物が見えました。再現された「備中櫓」です。
 
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「四足門(よつあしもん)」は、大手の二の丸の入口にある門で、廃城後の明治7年に中山神社(津山市一宮)の神門(しんもん)として移築されたことが石の台座に置かれたプレートに説明されています。そして、その周辺に咲いている「ひがんばな」が季節感を演出していました。
 
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「二の丸」から見上げた「「備中櫓」です。本丸への入口は右手方向に、そして左手に進むと「裏門」に出るようです。
 
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「本丸」の石垣の下に一直線の登城道が続いています。
 
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「切手門跡」に到着しました。ちなみに、石段を上がった右手は「弓櫓跡」。
 
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枡形状に位置をずらした石段を上がると「辰巳櫓跡」に出ます。
 
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(続く)

2017年12月21日 (木)

岐阜市の金華山・美江寺神社・伊奈波神社・善光寺を巡る

「岐阜大仏」に参拝したあと、岐阜市の主な神社仏閣を巡ることにしました。国道256号(長良橋通り)を北上して「岐阜公園」前を通過して長良川に架かる「長良橋」を渡り、長良川の右岸(北側)に出ました。長良丘1交差点を左折して、長良川の堤防沿いの県道163号を西進し、金華橋北交差点を左折して長良川に架かる「金華橋」に入りました。金華山とその山頂にある「岐阜城」を望むスポットにひとつです。
 
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「金華山」(標高約338m、注、三角点は約329m)に山頂には「岐阜城の天守閣」(左)と、「岐阜地方気象台金華山分室」(中)、「展望台」と「ぎふ金華山ロープウェーの山頂駅」(右)が確認できます。
 
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ちなみに、私が一番好きなスポットは長良川の上流側、「鵜飼い大橋」付近から長良川越しに見る「金華山」と「岐阜城」です。

 

平和通に入って南下すると、「美江寺」の脇を通過しました。天台宗の寺院で、山号は「大日山」、院号は「観昌院」、通称は「美江寺観音」と呼ばれているようです。ちなみに、美濃三十三観音霊場第十八番札所。岐阜観音札所第三番札所。東海白寿三十三観音第三十一番札所。奈良時代の作とされる重要文化財の「乾漆十一面観音立像」があるとのこと。
 
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伊賀国名張郡の伊賀寺の十一面観音を美濃国に移したのが寺の起源で、この十一面観音を本尊として、養老3年(719年)に美濃国の美江寺村(現瑞穂市美江寺)に美江寺が養老7年(723年)に創建されたと伝えられるそうです。室町時代には土岐氏の帰依を受け、永正3年(1506年)、土岐成頼が伽藍を修造し、天文8年(1549年)に斎藤道三が稲葉山城を築城した時、稲葉山城の南西に位置し、裏鬼門を守護するために現在地に移転させたとされます。注、織田信長が移転させたという説もある

 

裁判所前交差点を左折して県道152号に入り、今小町交差点を左折、国道256号を北上した矢島町1交差点を右折、市道を東進すると行き当りに「伊奈波神社」がありました。金華山の山麓に向かって参道が右斜め方向に続いています。この三連休(11月3日-5日)は「七五三参り」のピークかもしれません。
 
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プチ薀蓄(うんちく)です。「七五三」は、子供の成長を祝い、これからの健康を願う日本の伝統的な行事で、本来は旧暦(現在は新暦)の11月15日に行われる行事です。しかし、最近では日にちにこだわらず、10月中旬~11月下旬の縁起の良い日(大安、先勝)や家族の都合のよい休日にお祝いをする家庭が増えているようです。年齢も本来は、数え年の3歳で「髪置きの儀(かみおきのぎ)」、同じく5歳で「袴儀(はかまぎ)」、同じく7歳には女の子が成人と同じ丸帯(まるおび)をつけ始める「帯解きの儀」を祝っていましたが、現在は満年齢にしたがうことが一般的です。また、関西地方などでは、男の子は3歳と5歳、女の子は3歳と7歳と、それぞれ2回祝うのが普通(注、最近は男女とも3回とする家族もある)ですが、「七五三」の風習が武家を中心に始まった関東地方では3歳のお祝いは女の子だけがするようです。ちなみに、今年はチビエちゃんが7歳のお祝いをしました。

 

この神社を訪れた目的は参道脇にある「岐阜・伊奈波 善光寺」です。
 
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「岐阜・伊奈波 善光寺」真言宗醍醐派の寺院で、山号は愛護山、本尊は善光寺如来(注、信州善光寺の本尊の分身)。この地に「善光寺」が創建された背景は、戦国時代に織田信長が甲州を征伐した後、甲斐の武田信玄が信濃善光寺から善光寺如来様を持出して甲府に新善光寺に祀ったものを、信長が天正10年(1582年)に岐阜城下の伊奈波神社の近くに移されたことによるそうです。その後、徳川家康により遠江国の鴨長寺へ、さらに慶長2年(1597年)、豊臣秀吉により京都の方広寺の本尊にされ、翌慶長3年(1598年)、信濃国に戻されました。信長の嫡孫織田秀信は、稲葉善光寺堂を建立し、善光寺如来様の分身を祀ったのが、現在の「岐阜・伊奈波 善光寺」(旧善光寺安乗院)の始まりとのこと。

 

その左手には真新しい「弘法堂」があります。
 
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美濃国三宮である「稲奈波神社」の参道を上がりました。正面にあるのが「大鳥居」です。
 
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坂道の参道を上がった「参集殿」と「社務所」(左手前)の前には「七五三」の受付所(テント張り)があります。そして、右端に写る朱色の鳥居が並んでいるのは「楓稲荷神社」、右手前にあるのは「神輿庫」。
 
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「二の鳥居」と「神橋」の先には「楼門」があり、その奥には「神門」、「拝殿」、「本殿」が直線的に並んでいることが「伊奈波神社」のhpで確認できます。
 
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「伊奈波神社」は、垂仁天皇の第一皇子(第12代景行天皇の同母兄)で、この地の開拓神である五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)を主祭神とし、妃の淳熨斗媛命(ぬのしひめのみこと)、母の日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)、外祖父の彦多都彦命(ひこたつひこのみこと)、臣下の物部十千根命(もののべのとちねのみこと)を配祀する。これらの神を伊奈波大神と総称する。ちなみに、記紀に伝わる五十瓊敷入彦命が朝廷の命により奥州を平定しましたが、五十瓊敷入彦命の成功を妬んだ陸奥守豊益の讒言(ざんげん、注、目上の人に悪く言うこと)により朝敵とされ、現在の伊奈波神社の地で討たれたと伝えられます。

 

振り返って見た参道
 
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つかの間の再会のあと、オチビちゃん・コチビちゃん一家に別れを告げて、帰路に着きました。三連休の最終日であり、東海北陸自動車道から名神高速道路に入る一宮JCT付近で渋滞が発生しているとの情報がありますので、東海北陸自動車道には入らず、一般国道(国道248号、国道156号、国道22号)で名神高速道路の「一宮IC」を目指しました。

 

名神高速道路の一宮ICに入るところには一宮JCT付近の渋滞がほぼ解消しており、順調に小牧JCTで東名高速道路に入り、名古屋ICを過ぎた「上郷SA」で遅い夕食を摂(と)りました。「単品天丼(小)」(450円)と「「まぜ味噌きしめん」(980円)を同行者とシェアすることに。いずれも名古屋らしいグルメです。
 
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豊田JCTで入った新東名高速道路での走行はほぼ順調でしたが、御殿場JCTで合流した東名高速道路では海老名SAを先頭に10数kmの渋滞が発生していました。今回は駿河湾沼津SAで時間調整をしなかったため厚木ICの手前から渋滞に巻き込まれましたが、海老名SAの先、「大和トン年」や「横浜町田IC」を通過する時は通常のスムーズな走行に戻り、午後11時過ぎには帰宅することができました。
 
投稿を小休止した後は、山陰・山陽の城廻りの最後となる岡山県津山市の「津山城」を紹介します。(終)

2017年12月20日 (水)

懐石創作和食の「後藤家」と日本三大大仏「岐阜大仏」(後編) 

右前方から見上げた「岐阜大仏」
 
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右脇に置かれた「大仏殿」の骨格モデル
 
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建物を支える複雑な木組みが露出しています。
 
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「大仏断面図」には「六尺大真柱」、胎内物の「薬師如来坐像」の位置、そして籠大仏を形作る竹材・粘土・一切経(和紙)・漆(うるし)・金箔(きんぱく)の断面も分かりやすく説明があります。
 
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回廊のようになったその周囲には五百羅漢が並んでいました。
 
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1997年の表示がある「日本一・かごの大仏」のポスター
 
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「涅槃(ねはん)像」
 
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「岐阜大仏」の反対側にも「五百羅漢」が並んでいました。
 
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「賓頭盧(おびんずる)様」はお釈迦様の弟子の内、永くこの世にあり正法を護持し衆生しゆじようを導く という16人の羅漢の第一の人で、正式名称は賓度羅跋囉惰闍(びんどらばらだじゃ、ピンドーラ・バーラドゥヴァージャ)といいます。
 
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「正法寺の秘仏」として、「大仏」、「文殊菩薩」、「薬師如来」、「地蔵菩薩」、「五百羅漢」、「多宝塔」、「涅槃(ねはん)像」、「江説き欄間」がリストアップされています。
 
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左前方から見上げた「岐阜大仏」
 
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「大仏殿」から外に出て、複雑な形状の建物を撮影しました。入口付近、右側の部分、そして3層になった大屋根です。
 
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日本三大大仏のひとつといわれる「岐阜大仏」は知名度が高くないためか訪れる参拝客(観光客)が疎(まば)らで、一人静かに参拝することができました。(続く)

2017年12月19日 (火)

懐石創作和食の「後藤家」と日本三大大仏「岐阜大仏」(前編) 

翌日は岐阜県岐阜市を訪れました。北陸から東海地方を旅行中である大阪のオチビちゃん・コチビちゃんの家族と合流するためです。昼食は岐阜市の繁華街である柳ケ瀬に近い美園町にある懐石創作和食の「後藤家」で食べることにしました。若宮町通りに面した場所にあります。
 
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ちなみに、裏手には駐車場(20台強)とジェラートとケーキの「後藤家ドルチェラコント」があります。
 
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店内は、大きな円卓(13席)を取り囲むよう配置された小上がりの座席(40席)、2階には個室(座敷またはテーブル席)、3回には大広間があり、計185席もあるそうです。

 

選んだメニューの「後藤膳」(2920円)は、「自家製豆腐」、「和え物」、「お造り」(2種)、「焼き魚」など12品の小鉢と、
 
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「秋の味覚小鍋仕立て(つみれ団子と彩り木ノ子)」、「海老と野菜の天婦羅」(抹茶塩)、そして、「御飯」、「茶碗蒸し」、「香の物」などと多彩な内容で、季節感に溢(あふ)れています。注、季節により内容と価格が変化
 
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そして、お好みのデザート(私はバニラ・アイスクリームを選択)が続きました。
 
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昼食後は全員で「後藤家ドルチェラコント」へ移動。色とりどりのジェラートとパフェを楽しみ始めましたが、昼食でお腹がいっぱいになっただけでなく、白を基調とした店のインテリアに落ち着かなさを感じた私は、オチビちゃん・コチビちゃん・同行者が選んだジェラートやアイスクリームを味見させてもらうだけにしました。ジェラートは、アイスクリームよりも乳脂肪分が少なくさっぱりしていますが、逆に味に濃(こ)くが感じられます。ちなみに、イートイン・コーナー(10席ほど)があり、寒風に震えながら食べる必要はありません。

 

皆の様子を見ていると、注文方法がユニークでした。まず、最初に4種類あるサイズから好みのサイズを選んで会計を済ませた後、20種類あるジェラート(2色・3色・7色)を選ぶので、ショーケースの前に人だかりが出来るには  などのアイスクリーム屋と同じです。また、店内には乳製品や卵を使わないジェラートを指定できることも案内パネルに説明されていました。

 

オチビちゃん・コチビちゃんの一家の所用に付き合う同行者を残して、私だけで金華山に近い大仏町にある金鳳山正法寺(きんぽうざんしょうほうじ)を訪れました。日本三大大仏の一つとされる「岐阜大仏」に参拝するためです。ちなみに、日本三大大仏としては、奈良・東大寺の「奈良の大仏」と鎌倉・高徳院の「鎌倉大仏」の2つが定説ですが、3つ目がこの金鳳山正法寺の「岐阜大仏」あるいは富山県高岡市・大仏寺の「高岡大仏」を呼ぶとされます。
 
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「岐阜大仏」は元禄5年(1692年)に創建された黄檗宗(おうばくしゅう、注、禅宗の一宗派)金鳳山正法寺(注、京都宇治黄檗山万福寺の末寺)にある籠(かご)大仏で、岐阜県の重要文化財に指定されています。第11代惟中和尚は、歴代の大地震および大飢饉の災霊の祈願をたて、奈良東大寺大仏の聖徳を敬って大釈迦如来像の建立をはかり、第十二代肯宗和尚は師の志をよく継ぎ、約38年の歳月を費やして天保3年(1832年)に開眼供養(かいげんくよう)が行われたと伝えられます。
 
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大仏は、体内の骨格を周囲1.8mのイチョウを真柱として木材で組み、竹材を編んで外形を作り、その上に粘土を塗り、各地で集められた一切経、阿弥陀経、法華経、観音経等の経典が書かれた美濃和紙を貼り付け、さらに漆(うるし)と金箔(きんぱく)を重ねて仕上げてあります。このことから、別名を「籠大仏(かごだいぶつ)」というそうです。ちなみに、像高13.63m、顔の長さ3.63m、目の長さ0.66m、耳の長さ2.12m、口幅0.70m、鼻の高さ0.36mで、日本で最大の乾漆仏です。注、「奈良の大仏」は像高14.98m、「鎌倉大仏」は像高11.39m、「高岡大仏」は像高7.43m
 

境内にあるこの「多宝塔」は、『徳川時代の中期のころの作とされるもので、当初は伊奈波山(稲葉山)に中腹伊奈波神社境内に奉安されてありましたが、明治10年神仏混淆(しんぶつこんこう)禁止令が発布された時に正法寺に移されたもの』 と説明されています。
 
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「大仏殿」(岐阜市重要文化財)の正面に出ました。黄檗宗らしい中国風の特徴のある造りです。
 
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拝観料(大人200円)を納めて小さな入口を入ると、正面に優しい表情で耳たぶの大きな「岐阜大仏」がありました。印相は転法輪印(てんぽうりんいん)で、右手は親指と中指を結ぶ説法印という印相で、お釈迦様が説法をした時のポーズを表現しています。
 
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そして、左手は自分側に向けて、自分への説法でもあることを示していました。
   
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胎内(たいない)には薬師如来坐像(岐阜県指定重要文化財)が祀られているそうです。
 
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大仏のお前立ちとして安置されているのが、平安時代後期の製作と推定される阿弥陀如来像(岐阜県指定重要文化財)。 この阿弥陀如来像 は、一木造彫眼の総金色像で、上品上生印[じょうぼんじょうしょういん]を結んで、二重の蓮華座(れんげざ)に結跏趺坐(けっかふざ)しています。
 
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見上げると、「岐阜大仏」の上部は吹き抜けになっていました。
 
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「岐阜大仏」の左右前方にある仏像
   
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(続く)

2017年12月18日 (月)

愛知県犬山市の「博物館明治村」を堪能する(最終回)

入園直後に見かけた「アーチ橋」の上に差し掛かりました。「帝国ホテル中央玄関」などが見えてきましたから、「SL東京駅」はもうすぐです。
 
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SL東京駅」に到着
 
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プラットフォームには「ボイラーの仕組み」の説明パネルと、
 
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「蒸気機関車12号・9号」の説明パネルがありました。後者には、『「蒸気機関車12号」は日本で最初に鉄道が開業した、新橋-横浜間を走った機関車の中に一機です。当初は鉄道員に所属していましたが、明治44年(1911年)に尾西鉄道に払い下げられ、同社の12号機として活躍しました。動態展示されているものの中では日本最古の蒸気機関車です。9号は富士身延鉄道や日本鋼管鶴見製鉄所で使用されていました。』 と説明されています。
 
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SLは車庫方面へ向かっています。
 
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その手前に「転車台」がありました。
 
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2人掛かりで回転させるようです。
 
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方向転換したSLが戻ってきました。
 
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同行者は「SL東京駅売店」でお土産に「栗菓子」を求めています。
 
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「回転台」を間近で撮影
 
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その隣に石炭置場と給水設備がありました。
 
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「北口」まで戻って、駐車場へ向かいます。
 
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私が車を停めた駐車場の一番奥のエリア
 
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駐車場を出た道路脇に何台もの車が停まっていました。到着時に駐車場が満車状態だったのでしょう。元来た道を戻り、午後4時10分前、「小牧東IC」から中央高速道路に入って、この日の宿泊施設へ向かいました。
 
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(続く)

2017年12月17日 (日)

愛知県犬山市の「博物館明治村」を堪能する(その9)

「歩兵第六総隊兵舎」の裏口から外に出ると、眼下に「鉄道寮新橋工場・機械館」(東京都品川区)の建物がありました。「村営バス」でその前のメインストリーㇳを手前方向に通過しながら見た建物です。
 
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午後3時近くになりましたので、そちらには立ち寄らず、「SLのりば」へ向かいました。次のSLが発車する午後3時25分まで30分近くあります、窓口はまだ閉まっています。
 
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SLを待つ人たちが「入鹿池」を眺めています。
 
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 右手には先ほどまで立ち寄っていた「歩兵第六聯隊兵舎」が見えます。
 
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 「SL 東京駅」からSLが到着しました。
 
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 腕木式信号機の模型(フェイク)が設置されています。腕木式信号機は19世紀の中ごろにイギリスで使われ始めた信号方式で、赤白の腕木が信号柱の中に収納されている時は通行可、直角(水平)に出ている場合は停止を表しています。また、腕木に連動する赤と青のフィルター(注、後方に白色電球がある)も設置されていますが、こちらは夜間のみ使用されます。
 
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 客車のデッキ
 
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 網棚と天井
 
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 「秘密の宝箱の鍵」とは?
 
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 SLが方向転換をして待避線から現れました。転車台があるようです。
 
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 SLが後退して客車に接近
 
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 連結が完了
 
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 SLに牽引された客車は「SLなごや駅」を出発
 
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 「菊の世酒蔵」(愛知県刈谷市)です。そして、右後方は「聖ザビエル天主堂」(京都市中京区)。
 
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 「高田小熊写真館」(手前)と「宮津裁判所法廷」「金沢監獄中央看守所・監房」(その後方)
 
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(続く)

2017年12月16日 (土)

愛知県犬山市の「博物館明治村」を堪能する(その8)

「歩兵第六総隊兵舎」(名古屋市中区)
 
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入口に続く通路とT字型に直行する長い廊下
 
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「下士官室」
 
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「中隊長室」
 
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「中隊事務室」
 
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「見習士官室」
 
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突き当りの「展示室」に入りました。名古屋城の二の丸にあった「歩兵第六聯隊配置図(昭和16年頃)
注、場所は現在の愛知県体育館の辺り
 
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「軍服」が展示してあります。左から、「近衛二聯隊歩兵服」、「騎兵服」、「陸軍歩兵少佐正衣」。
 
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「帝国陸軍の銃」が16挺(ちょう)も展示してありました。型式は表示されていませんが三十年式歩兵銃または三八式歩兵銃と思われます。
 
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「明治6年六鎮台(ちんだい)設置図」 注、鎮台は陸軍の地方組織で、東京・大阪・鎮西(熊本)・東北(仙台)・名古屋・広島に設置された
 
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「赤坂歩兵第一聯隊第9中台第6給食班の食事」
 
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2階では「射的と矢的」の催し物が開かれていました。
 
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(続く)

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