文化・芸術

2020年11月14日 (土)

一年振りのドライブ旅行は久しぶりの箱根へ!(その9)「箱根彫刻の森美術館」(最終回)

左手方向に同行者が期待する巨大な作品が現れましたので、散策路を外れて立ち寄ることにしました。ピサの斜塔に似た円筒形をしたガブリエル・ロアールの作品「幸せをよぶシンフォニー彫刻」はSNSの世界(インスタグラム)で人気が高いそうです。外見は平凡ですが、全周がステンドグラスで彩られた塔なのです。シンプルな外観のアクセントとして周囲に太陽および昆虫などのような装飾が施されています。後で調べると、伊本淳のレリーフ彫刻「よろこび」(3点)でした。

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内側にある螺旋(らせん)階段で上部へ上がれるようですから、入って見ることにしました。この日は好天に恵まれていましたから、外光によってガブリエル・ロアール制作のステンドグラスが美しく輝いています。

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見上げると印象が大きく変わりました。

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「幸せをよぶシンフォニー彫刻」に立ち寄ったあとは散策路に戻りました。先ほど見えた白い建物は5年前にリニューアルされた「彫刻の森美術館カフェ」(旧店名:ギャラリー・カフェ)でした。周囲の景色を見ながら軽食を採(と)ることができる休憩所です。手前に見える金色のオブジェはジャン・アルプの作品「大きな種」です。

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緩(ゆる)やかにカーブする散策路(橋)の先に「ピカソ館」が見えてきました。こちらも同行者が期待する場所です。

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その右手前にはフェルナン・レジェの作品「歩く花」(1952年)も確認できました。ブロンズ彫刻にエナメル塗装を施した作品は高さが6mもあるそうです。

「ピカソ館」は壁面が大きくカーブするユニークな建物で、40数年前にも訪れています。写真では分かりませんが、入り口は”P”側で、出口は”O”側にあります。ちなみに、館内は撮影禁止。

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2階建ての館内にはピカソの作品が陶器(188点)を中心に絵画・彫刻・タピスリー(英語:タペストリー、日本語:綴織壁掛)・ジェマイユ(ガラス細工)・金銀オブジェなど多彩なピカソ作品が展示されていました。ちなみに、所蔵作品は300点余りとのこと。

館を退出したあとは、曲りくねった上り坂の散策路ではなく、前回と同様に「ピカソ館」の入口近くにあるエレベータに乗りました。と言うのも、上の写真で分かるように、高い場所にある散策路へアクセスする近道です。

橋を渡って大きなカーブを過ぎた右手(低地)に奇妙なオブジェがありました。初めて見るものであり、「木製のピラミッド」なのかと思いましたが、大断面集成材を積み上げた木造ドーム「ネットの森」(注釈:2009年5月に「箱根彫刻の森美術館」の開館40周年を記念してオープン)でした。名前の由来は内部に子供が遊べる大きなネット(ハンモック)があることのようです。

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上の写真の左端にわずかに覗(のぞ)くジョアン・ミロの作品「人物」の脇に入口がありました。

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屋外展示場をほぼ一周して最初に通った散策路に戻りました。下の写真(左端)にまだ紹介していなかったオシップ・ザッキンの作品「住まい」があります。複雑な形をしていますが、2人の女性で構成される家族(家)を表現する作品のようです。

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なお、正面に見える建物はショップ、レストラン、マルチホールが入る「新館」です。ちなみに、傾斜地に建っていますから最上階が1階で、屋外展示場の出入り口は地下2階にあります。

本館ギャラリー」の前まで戻りました。オーギュスト・ロダンのブロンズ作品「バルザック」(19811898年、ブロンズ像)が迎えてくれました。なお、「バルザック」とはフランスを代表する小説家の「オノレ・ド・バルザック」のことです。

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その先に印象的な形をした出口がありました。

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エスカレーターで最上階の1階へ上がると、「彫刻の森ダイニング」と「ビュッフェ(バイキング)レストラン・ベラ・フォレスタ」がありました。

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同行者はそれらの前にある「ショッピングモール」で土産物を探し始めました。知人たちの好みを考えながら慎重に選んでいますから、筆者は脇に置かれたベンチシートでしばし休憩です。

午前11時半過ぎに入場待ちの車列ができ始めた駐車場を出発しました。ちなみに、館内で事前に清算(5時間内の割引料金料金500円)すると、15分以内に駐車場を出る必要があるようです。

県道723号線を強羅方面に進むと、後方から近付いてきた箱根登山鉄道の電車としばらく並走しました。

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箱根登山鉄道の終点である「強羅駅」の前に到着しましたが、「大涌谷」へ向かう県道733号線へ直進することができません。やむなく右手にある踏切を渡ることにしました。後で知りましたが、踏切を渡ったところを左折すれば県道733号線に入ることができたのです。

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曲がりくねった急坂を下りて国道138号線に出ました。早川沿いの道を走ると「宮城野の温泉街」を通過し、昨年10月の台風19号による豪雨で山の斜面が崩落した現場(注釈:早川の反対側にある崖)では大規模な修復工事が始まっていました。

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この現場に到着するまで10分ほどノロノロ運転が続きましたから、行楽客の車が仙石原方面に殺到したことによる自然渋滞なのかと思いましたが、修復工事のため片側交互通行規制が行われていたのです。唐突ですが、ここで「箱根ドライブ旅」の記事投稿を小休止します。(続く)

2020年11月13日 (金)

一年振りのドライブ旅行は久しぶりの箱根へ!(その8)「箱根彫刻の森美術館」(3)

十字型に交差する散策路を右手に折れました。緩やかな上り坂(切通し)になっている散策路の右手にあるのは右からアルナルド・ポモドーロの作品「球体を持った球体」(19781980年)、流政之の作品「風の刻印」(1979年)、ジュリア―ノ・ヴァンジの作品「偉大なる物語」(大理石製、2004年)です。

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左手にあるのは伊本淳(あつし)の作品「断絶」(1969年)

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切通しを抜けた場所で振り返ると、流政之の作品「風の刻印」(1979年)、ジュリアノ・ヴァンジの作品「偉大なる物語」(大理石製、2004年)を間近で見ることができます。

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それらの左手に見覚えがあるものが・・。40数年前に訪れた時に撮影した古い写真が今も残っています。後藤良二の作品「交叉する空間構造」(1978年)でした。ダイヤモンドの分子構造を母体として、4本の手足を持つ炭素原子を人体に置き換えて構成したものだそうです。

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切通しの前方に巨大な目玉焼きが2つありました。休憩用のベンチのようですが、『クツをぬいでね』 と表示されていますから、子供用の遊び場でもあるようです。ちなみに、名称は「目玉焼きのベンチ」。

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左手には橋のような散策路が伸びています。袂(たもと)にある彫像はセザール・バルダッチ―二の作品「ヴィルタヌーズの勝利」(1965年)。頭と両腕がない女性像です。

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左手の坂道を下りた場所にバリー・フラナガンの作品「ボクシングをする二匹のうさぎ」(1985年)が見えました。

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橋の先に大きな手(親指と人差し指)に載った人物像が見えます。カール・ミレスの作品「神の手」(1954年)でした。お釈迦様(おしゃかさま)の手のひらを金東雲(きんとんうん)に乗って飛び回った孫悟空(そんごくう)の行為に似た発想と言えます。

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サン・ヴィゴール・ド・ミュー礼拝堂」の脇を抜けて先へ進みました。「緑影広場」に突然現れたビゴールニキ・ド・サン・ファールの奇抜な作品「ミス・ブラックパワー」(1968年)はポリエステル樹脂とポリウレタン塗料を用いて作られているそうです。

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猪熊源一郎の作品「音の世界」(1979年)は色使いがユニークなモザイク画です。

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散策路脇に草花の説明看板があります。

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奇抜さのためテレビ番組でも取り上げられることが多いアントニー・ゴームスリーの作品「密着」(1993年)

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その隣にはヘンリー・ムーアの作品「ふたつに分けられた横たわる像:カット」

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散策路が続きます。

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ヘンリー・ムーアの作品「横たわる像:アングル」(1979年)

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前方に白い建物が見えます。(続く)

2020年11月12日 (木)

一年振りのドライブ旅行は久しぶりの箱根へ!(その7)「箱根彫刻の森美術館」(2)

円形広場の隣に立方体の黒い建物がありました。井上武吉の作品「天をのぞく穴」(1979年)です。

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曲がりくねった地下道自身が彫刻であるという変わった作品です。

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地下道の様子

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「円形広場」の先に続く細長い広場にはエミール-アントワーヌ・ブールデルの作品群(ブロンズ像)が並んでいます。

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手前にあるのは「力―大」(1918-1922年)

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次いで「勝利―大」

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こちらは「自由―大」

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そして「雄弁―大」

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日時計(ひどけい)」を見つけました。日時計作家の小原輝子の作品(2009年)です。

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一番奥まった場所に「方位地図」がありました。箱根の地図と外輪山を構成数る山々が描かれています。

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その先に緩やかに下る散策路が伸びています。

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左手にあったのはサンティアゴ・デ・サンチアゴ・エルナンデスの作品「抱擁(ほうよう)」(1986年、ブロンズ像)

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次いで、朝倉響子(きょうこ)の作品「女」(1970年、ブロンズ像)

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右手に関取を連想させる体形をした3体の彫像はフランシスコ・スニガの作品「海辺の人々」(1984年、ブロンズ像)

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アギュスタン・カルデナスの作品「休息する女」(1976年)は東京国際フォーラム(有楽町)の地上広場、東京ミッドタウン丸の内仲通りにある「意心帰」(いしんき、1991年 安田侃作)と雰囲気が似た作品です。

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ちなみに、後方に見えるのは左側が伊藤隆道の作品「16本の回転する曲がった棒」(1969年)で、右側は流政之の作品「風の刻印」(1979年)です。開館10周年を記念して製作された作品とのこと。

芝生の斜面に新宮晋(しんぐうすすむ)の作品「終わりのない対話」(1978年)があります。上部にあるキャンバスを貼った2つの帆(昆虫の羽のような)が風で複雑な動きをするそうですが、この日は残念ながら風がありません。左側にあるのはハンス・エッシュバッハーの作品「フィギュールⅠ」(1989年)で、見る角度で作品の形が変化します。

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散策路が十字型に交差する場所にある「空に浮かんだ鏡の球体」は井上武吉の作品「マイ スカイ ホール(天への道)」です。鏡面に写る自分と周囲の景色を見ていると不思議な世界へ迷い込んだような錯覚に囚(とら)われました。

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(続く)

2020年11月11日 (水)

一年振りのドライブ旅行は久しぶりの箱根へ!(その6)「箱根彫刻の森美術館」(1)

午前940分ころ、元箱根交差点から入った国道1号線を箱根湯本駅方面へ向かって、「国道1号最高地点874m」付近にある「芦之湯」の脇を通過しました。

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さらに、小涌谷で県道723号線に外れて、次の目的地である「箱根彫刻の森美術館」(Hakone Open‐Air Museum)へ向かいました。同美術館は1969年にフジサンケイグループによって創設された国内初の野外美術館(運営は彫刻の森芸術文化財団)です。今から40数年前に同居者と一緒に訪れた懐かしい場所です。

午前10時少し前、「箱根彫刻の森美術館」の入口に到着しました。券売窓口の前に人の列ができているのが見えます。ちなみに、開館時間は9:0017:00 、年中無休。入館料は大人1,600円。なお、駐車料金は、美術館・レストランを利用する場合、普通車が500円(最長5時間)になる割引サービスがあります。

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右手奥へ車を進めると、350台あるという駐車場にはまだ空きスペースがありました。なお、ネットで入手した割引券を持参すると入館料が1,500円になるようです。

「箱根彫刻の森美術館」は7万平方メートルの広大な敷地内に、ロダン、ムーア、ミロ、ピカソなど近代・現代を代表する彫刻家の作品が約120点も展示してあります。遊歩道を散策しながら芝生内に配置されたさまざまな作品を鑑賞できる「彫刻庭園」になっているのです。また、ピカソ館など5つの室内展示場に入ることも楽しみです。ちなみに、収蔵作品総数は1,250点とのこと。

入館ゲートを通過。エスカレーターで下に降り、コンクリート製のトンネルを抜けて、県道と入館ゲートよりかなり低地にある「彫刻庭園」に入ります。

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トンネルを抜けた右手にある「本館ギャラリー」の手前に立つアリスティド・マイヨールの作品「とらわれのアクション」(1906年)が出迎えてくれました。注釈:以下、作者の敬称を省略

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反対側(左手)にある「アートホール」の横には、一目見て分かる岡本太郎作品の「樹人」(1971年)が。

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岡本作品の右隣にあるのはマリノ・マリーニの作品「戦士」(1959-1960年)

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園内を巡る前に、中央に設置された「施設の案内図」で美術館内の配置を確認しました。前回、訪れたのは40数年前のことですが、展示内容にはあまり変化がないようです。

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「施設の案内図」の脇にある小さな看板には、『彫刻の森シールラリー「魔女ユーリーの森」が開催されている』 ことが紹介されていました。「魔女ユーリー」を倒す力を持つ7人の勇者(彫刻)を探し、そのシールをすべて集めて、最後にクイズに正解すると記念の「缶バッジ」を手に入れることができるイベントのようです。

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それらの前方にあるのはエミール-アントワーヌ・ブールデルの作品「弓をひくヘラクレス―大」(1909年、ブロンズ像)

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さらに前方にある円形広場2体の彫像が並んでいます。

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左側は土田隆生(たかお)の作品「眩驚(げんきょう)―V」(1990年、同名シリーズ4番目)

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右側も同じく土田隆生の作品「風韻(ふういん)」 注釈:風韻とは風流な趣(おもむ)きを意味する

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さらに右手にあるのはカール・ミレスの作品「人とペガサス」(1949年、ブロンズ像)です。ちなみに、その奥、芝生内に見えるのはヘンリー・ムーアの作品「横たわる像:アーチ状の足」(1969-1970年、ブロンズ像)。

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「アートホール・マンズルーム」の脇にあるジャコモ・マンズ―の作品「衣を脱ぐ(大)」(1967年、ブロンズ像)

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その近くにある浅いプールに置かれたのはフランソア=ザビエとクロード・ラランヌの作品「嘆きの天使」(1986年)

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(続く)

2020年11月10日 (火)

一年振りのドライブ旅行は久しぶりの箱根へ!(その5)箱根神社

午前9時少し過ぎに「恩賜箱根公園」の駐車場を出発。国道1号線(東海道)をさらに北上し、「箱根神社の第一鳥居」を潜った元箱根交差点を左折して「神社通り」を進むと、「箱根神社」(別名:三所大権現)がありました。「第二鳥居」は右手にある石段参道の先にあり、駐車場は車道をこのまま進んだ所にあります。芦ノ湖沿いの道(箱根町道)をさらに進むと、「箱根駒ケ岳ロープウェー」の乗り場がある「箱根園」を経て、芦ノ湖の北端にある「桃源台」に至るようです。

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午前915分ころ、参道と町道の間にある道に入って、その坂を上がり切った「第1駐車場」(180台、無料)に車を停めました。ちなみに、奥にある「第2駐車場」と合わせて180台の容量があるそうです。

757年に創建された「箱根神社」は、山岳信仰(神山と駒ヶ岳)の対象として「伊豆山神社」「三嶋大社」とともに、後北条氏の時代まで武家たちの信仰を集めたそうです。古来より「関東総鎮守箱根大権現」と尊崇されてきた名社であり、そのご利益は開運、交通安全、心願成就、安産祈願など多岐にわたります。祭神の「箱根大神」は、「天照大神」の孫である「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」、「大山津見神」の娘である「木花咲耶姫命(このはなさくやびめ)」、「山幸彦(やまさちひこ)」として知られる「彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)」の3神の総称とのこと。

第一駐車場から引き返す形で、「御神印(御朱印)」をいただく「御札所(南)」がある裏参道を歩いて「箱根神社」へ向かいました。裏参道を左に折れると正面に急な石段と「第五鳥居」が見えました。

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「第五鳥居」を潜(くぐ)ると正面に「箱根神社」の社殿が見えてきました。

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一礼して「神門」を潜(くぐ)ると左手に「御札所(西)」があります。

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「御本殿」に参拝したあと、右手にある「九頭竜神社」へ向かいました。

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「九頭竜神社」は元々「箱根神社」の境外社として創建されました。言い伝えによれば、芦ノ湖に棲む9つの頭を持つ竜が住民を苦しめていたため、奈良時代の高僧「万巻上人」がこれを倒し、その後改心した毒龍が龍神となったのを祀ったとされています。現在は、「縁結びのご利益」があるとされ、人気があるようです。

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「九頭竜神社」の手水場「竜神水」では新型コロナ禍のため手水が禁じられていました。

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こちらは「成就水盤」です。立て看板に「誓願(せんがん)」の方法が詳しく説明されています。

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石段を下りる途中、右手に「曽我神社」がありました。鎌倉時代、箱根権現の稚児(ちご)であった曽我五郎時致(ときむね)と、兄十朗祐成(すけなり)の霊を慰(なぐさ)めるため「勝名荒神祠(しょうみょうこうじんし)」として祀(まつ)られたのが始まりとされます。ちなみに、15年前に「曽我兄弟」所縁(ゆかり)の「曽我梅林」を訪れたことがあります。

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「兄弟杉」は大きな根株が残っています。

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石段の反対側には杉の大木が聳(そび)えていました。「安産杉」と呼ばれているようです。

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石段は下り切ったところにも鳥居があるようです。

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参道(表参道と裏参道)を横切りました。

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立て看板にある順路はなぜか右手にあるループを指しています。鳥居を背景に写真撮影する人が多いため、並んで待つ人たちの混雑を防止するためでしょう。

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芦ノ湖の湖上にある水中鳥居「平和の鳥居」の由来が説明されています。

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『1952年(昭和27年)、今上天皇の立太子礼とアメリカ合衆国をはじめとする連合国との講和条約締結を記念して建てられたもの。1964年(昭和39年)には、御鎮座1200年と東京オリンピック開催を記念して、講和条約に調印した吉田茂によって揮毫された「平和」の額が掲げられている。』

芦ノ湖の中に建てられた「平和の鳥居」を撮影した後、「箱根神社」を退出することにしました。

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(続く)

2020年11月 4日 (水)

ショーン・コネリーさんの逝去を悼む

今週初め(日曜日)にショーン・コネリーさんの訃報(ふほう)が報じられました。享年(きょうねん)90歳。筆者にとって1963年に製作された映画「ロシアより愛を込めて」で主役のジェームズ・ボンド(007のコードネームを持つ)を演じたショーン・コネリーさんと出会ったことは衝撃的でした。

高校生のころから洋画に嵌(はま)っていた筆者が大学に入学した19644月に日本で公開されたのです。それまでの2枚目俳優(ポール・ニューマン、アラン・ドロン、ロバート・レッドフォードなど)とは一味違っていました。

翌年(1965年)には映画「ゴールド・フィンガー」と「サンダーボール大作戦」が続きました。いずれの映画もジョン・バリーが作曲した主題歌が使われ、マット・モンローシャーリー・バッシートム・ジョーンズが魅力的に歌いました。

ショーン・コネリーさんは、1930年にイギリス北部のスコットランド(エジンバラ)で労働者階級の家庭に生まれ、芸能界で長い下積み生活を経て、007シリーズ第1作の「ドクター・ノオ」(1962年)の主役に抜擢され、一躍世界に知られる俳優になりました。

ジェームズ・ボンド役を卒業したあとは、「薔薇の名前」(1968年)で好演し、1987年の「アンタッチャブル」ではアカデミー助演男優賞を受賞しました。そして、「プレシディオの男たち」(1988年)、「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」(1989)、「レッドオクトーバーを追え」(1990年)、「ザ・ロック」(1996年)などで主演または助演をしました。

そして演劇界への貢献が評価され、1999年にはエリザベス女王からナイト(中世の騎士階級に由来した栄誉称号)を叙任(じょにん)されました。したがい、正しくはサー・ショーン・コネリーと呼ぶべき人です。

ちなみに、同様にサーと呼ばれる芸能人にはミュージシャンのミック・ジャガートム・ジョーンズエルトン・ジョンクリフ・リチャード、俳優のアンソニー・ホプキンスロジャー・ムーアなど。女性にはDame (デイム)の称号が使われますが、女優のジュリー・アンドリュースエリザベス・テイラー、歌手のシャーリー・バッシーなどがいます。名前を列挙すると、筆者には映画「007シリーズ」の関係者が目立つように思われます。◇

2020年10月26日 (月)

一年振りのドライブ旅行は久しぶりの箱根へ!(その4)箱根関所跡と箱根関所資料館(後編)

「大番所」のさらに右側には「高札(こうさつ)」がありました。ここにあるのは複製で、本物は「箱根関所資料館」にあると教えていただきました。そして、「出女」とは主に大名の家族であることと、書きやすくて読みやすい行書体で書かれていること、条文のなかにカタカナの「ハ」が2か所で使われていることも知りました。

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その向かい側にある「足軽番所」に移りました。その左端から関所破りをした罪人などを一時的(最長1か月ほど)「獄屋(ごくや、留置所)」です。パンプレットには中に入って体験できると説明されていますが、現在は・・・。

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次いで「足軽の控室」(兼寝床)のようで、多くの刀が壁に掛けてあります。手前にはなぜか「和釘(わくぎ、巻頭)」の説明パネルがあります。

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「足軽番所」の右端にある入口を入った「土間(どま)」には炊事をするための「釜戸(かまど)」「七輪(しちりん)」「水桶(みずおけ)」「流し台」などがあります。

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「足軽の休息所(きゅうそくじょ)」の様子です。先ほど見た「足軽の控室」と一続きになっています。右手奥には雑用をする下番(しもばん)が控える「下番居所(しもばんきょしょ)」がありました。

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「足軽番所」を抜けると裏手に「復活した井戸」がありました。平成13年度遺構調査で見つかった木枠を復元したもので、平成19年に水が溜(た)まって井戸が復活したと説明されています。

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ここが「下番居所」の窓です。

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「足軽番所」の裏手には丘に続く急な石段がありました。69段あるそうです。丘の上には「見張り小屋」があるようです。

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石段を上がり切った場所で振り返ると、「箱根関跡」と「芦ノ湖」を展望することができました。

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右手の三角形をした「神山」のあたりに見えるはずですが、富士山はまだ姿を現していません。ちなみに、「箱根関跡」の右手(江戸口御門の近く)にあるのは茶店の「御番所茶屋」です。

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丘の一番高い場所に2階建ての「遠見番所(見張り小屋)」がありました。

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強風に飛ばされないように四隅に突っ張り棒が設置してあります。

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石段を注意しながら下まで下りて「江戸口御門」を出ると、「江戸口御門」と「御番所茶屋」の間に「矢場」(弓矢の練習場)があることが分かりました。距離は28mと短い「近的場」です。ちなみに、「遠的場」は距離が60m。

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石畳の道を「箱根関所資料館」まで戻りました。

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小学生の団体客が入館しているため、しばらく外で待つことにしました。『小学生たちは午前9時に集合する』 ことを係の女性から聞いたからなのです。午前9時過ぎにその団体が「箱根関跡」へ向かった後に入館しました。実は、この団体客のお陰で「箱根関跡」は通常より30分以上早く開館していたのです。

展示内容は、「箱根関所」の移り変わり、役割、役人たち、関所破りと藪入り(注釈:お玉の事例)、通行手形、要害山(注釈:立ち入り禁止の山)、大名行列、武器・武具などと多彩ですを。展示された「本物の高札」をじっくり見ることができました。(注釈:館内は撮影禁止)

とは言っても、同行者が駐車場に停めた車の中で待っていますから、5分ほどの滞在で切り上げて駐車場へ戻りました。「箱根関跡」と「箱根関所資料館」の滞在時間は計45分強です。ここで「箱根ドライブ旅」の投稿を少し休止したあと、次回は「箱根神社」の記事を投稿します。(続く)

2020年10月25日 (日)

一年振りのドライブ旅行は久しぶりの箱根へ!(その3)箱根関所跡と箱根関所資料館(前編)

県道732号線が国道1号線(東海道)に行き当たる畑宿入口交差点を左折して芦ノ湖畔の元箱根へ向かいました。箱根駅伝第5区の下り坂で走者がスピードを上げつつ往路のゴールを目指すルートです。「箱根旧街道杉並木」を抜けた先にある「恩賜箱根公園」(注釈:函根離宮跡、国の登録記念物)の駐車場(普通車62台、大型車9台)に車を停めました。駐車料金は320/h(以前は310円/h)。なお、早朝(午前820分ころ)ですから駐車する車は数台とわずかです。

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「恩賜箱根公園」の案内看板には「塔ヶ島」と呼ばれる半島が「芦ノ湖」に突き出している様子が地図と写真で説明されています。その展望台からは箱根外輪山や富士山が一望できるそうです。

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唱歌「箱根八里」(滝廉太郎作曲)の歌碑がありました。

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案内標識に従い石畳の遊歩道へ向かいます。

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箱根関所資料館」は後で立ち寄ることにして国指定史跡の「箱根関跡(箱根関所)」まで進むことにしました。木陰から芦ノ湖に浮かぶ多数の釣り船を見ることができます。箱根の外輪山方面に雲があるため富士山を望むことはできません。

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午前8時30分少し前に「箱根関跡」へ到着、前方に見えるのは「箱根関跡」の「江戸口御門(ごもん)」です。なお、その右手前には茶店の「御番所茶屋」があります。

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「箱根関所」の案内看板には、『江戸幕府によって元和5年(1619年)に江戸防衛のために設置された。東海道では新居(静岡県)と並んで規模が大きく重要な関所である。江戸方面からの「出女」が厳しく取り締まられた。設置から250年後の明治2年(1869年)に廃止された。』 の主旨が説明されています。

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午前9時の開館時間までまだ30分以上ありますが、係の方から『観覧券は反対側の「京口御門」の外で購入するように』 と言われました。飲食店や土産物店が並ぶ「京口御門」側が正面の入口のようです。「江戸口御門」を入ると、左手に「足軽番所(あしがるばんしょ)」がありました。

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写真の右端に写るのは「三つ道具建(たて)」と呼ばれる捕り物道具で、向かって左から「刺股(さすまた)」(棒の先に付いた二股で首や喉を抑える道具)、「突棒(つくぼう)」(棒の丁字型頭部に多くの歯がついている)、「袖搦(そでがらみ)」(柄の先に多くの鉄の棘が付いている)です。

「足軽番所」の前を通り抜けた先の右手にある建物は「厩(うまや)」です。

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「通行手形」と表記された観覧券(関所・関所資料館共通、大人500円)を購入して、午前8時30分頃、あらためて「京口千人溜(せんにんだまり)」を抜けて「京口御門」を入りました。ここで、JAF会員は100円引きのサービスが受けられることをうっかり失念していました。さて、「京口御門」の奥に見えるのは関所の中心となる建物である「大番所(おおばんしょ)・上番(かみばん)休息所」です。ちなみに、その手前にあるのは「鑓建(やりたて)」と「長柄建(ながえたけ)」。

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ちなみに、「鑓(やり)」は長刀(なぎなた)を改良した武士が使う最強の武器であり、「長柄(ながえ)」は足軽が用いた槍(やり)のことを意味します。そして、「建(たて)」は建てるための台です。

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ここで係の方から順路が「京口御門」と「厩」、その脇の通路を出た「台所土間・湯殿」、そして「大番所・上番休息所」「獄屋(牢屋)」「足軽番所」であることを教えていただきました。

まず、「厩」の内部です。

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芦ノ湖畔に出ました。左手に「レストラン箱根関所跡」から伸びる遊覧船の桟橋があるようです。富士山の姿を見ることはまだできません。

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「厩」の裏手には、建物の基礎となる礎石(そせき)や石垣の上に乗せる土台を手作業で整える技術である「ひかりづけ」を見ることができる場所(写真左)と「上番所下雪隠」せっちん)」があります。

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ここが「湯殿」(左側)と「揚り場(あがりば、脱衣場)」(右側)です。案内看板には『「湯殿」(ゆどの)は風呂桶があるわけではなく、たらいに湯を入れて、湯浴(ゆあ)みをしていた。」 と説明されています。ちなみに、「台所土間」は「揚り場」の右手にあります。

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大番所」では定番人(じょうばんにん)の母親である「人見女(ひとみおんな)」が女性の旅人も髪を解いて取り調べをする様子が再現されています。髪に隠した密書などを見つけるためだと思っていましたが、その他にも痣(あざ)や傷跡などで人物を特定する目的もあったことを担当の方からお聞きしました。

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同じく「大番所」内の「面番所(めんばんしょ)」では箱根宿に住む定番人(写真左)が小田原藩に雇われて旅人の通行改めなどを行う関所役人を補佐していたそうです。写真の右にいる人物は通行するための証文を改めて行き先などを記録する番士(ばんし)です。


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右手の「上の間」には小田原藩から「箱根関所」に赴任してきた侍の責任者である「伴頭(ばんがしら)(写真左)とその補佐役(人事管理を行う任務を負う)である「横目付(よこめつけ)」(写真右)が並んでいます。

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(続く)

2020年10月24日 (土)

一年振りのドライブ旅行は久しぶりの箱根へ!(その2)甘酒茶屋とお玉が池

その先に金色に輝く「箱根大天狗山神社 別院天聖院(てんせいいん)」がありましたので、参拝することにしました。ちなみに、「別院天聖院」は平成6年に完成したそうですから、前回(10年前)この道を利用した時には気づかないで通り過ぎたようです。なお、境内は撮影禁止のようですから、門の外から撮影しました。

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「ホテル はつはな」

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箱根大天狗山神社」の大きな鳥居を見かけました。先ほど立ち寄ったのは別院で、こちらが神仏習合を今も残す神仏金剛宗(新宗教)の「箱根大天狗山神社」でした。昭和55年(1980年)に開山されたそうです。ちなみに、神社庁には属していないようです。また、この少し先では「天聖稲荷大権現神社」(平成18年完成)の参道を見かけました。

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畑宿にある「畑の茶屋」と「寄木細工すぎや」の間に「箱根旧街道一里塚」(箱根路東海道の碑、江戸より23里)がありました。石段の先は「守源寺」で、その脇を抜ける道が「旧東海道」のようです。

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「金指寄せ木工芸館」

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東海道の旧道(県道732号線)の急な坂を上り、「つづら折れ」を抜けりと、見覚えのある「甘酒茶屋」(甘味処)に差し掛かりました。

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江戸時代から続く茶屋が現在に残っていることで、同じく東海道沿いの鞠子(まりこ)宿(静岡市)の「丁子屋」(とろろ汁が有名)とともに良く知られます。広い無料駐車場に車を停めました。午前7時から営業しているようです。

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店内に入ると先客がいました。

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地場産のうるち米と米麹のみで仕込んだ無添加の甘酒が名物です。 そして、毎朝杵(きね)でついたお餅を炭火で焼き上げた「力餅(ちからもち)」は味が「いそべ」「うぐいす」の2種類、そして擦(す)りたての胡麻(ごま)をまぶした限定品の「黒ごまきなこ餅」もお勧めとのこと。

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朝食を済ませていみまたため、甘酒(400円)だけをいただきました。山菜(蕨)の漬物が添えられています。同行者にも少しお裾分けしました。

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午前8時過ぎに「甘酒茶屋」を出発。「箱根旧街道」の石畳を横切りました。

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そして、「お玉ヶ池」に立ち寄りました。40年ほど前に家族全員で箱根を訪れた時に美しい山をと池を背景にして撮影した写真が残っています。

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案内看板には、『箱根の関所破りの罪で処刑されたお玉は、江戸の奉公先から国元に帰る手形がないことで裏山を通り抜けようとしたのです。』(細部は省略)と説明されています。

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昔を思い出しながら池の端に下りてみました。

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(続く)

2020年10月23日 (金)

一年振りのドライブ旅行は久しぶりの箱根へ!(その1)金湯山早雲寺

昨年9月下旬から10月上旬にかけて大阪までのドライブ旅行に出掛けて以来、1年振りのドライブ旅行先には久しぶり(201011以来)の箱根を選びました。ちなみに、それ以来の遠出は今年2月に新幹線を利用して出かけた日帰りの名古屋行きだけで、それを除くと神奈川県東部(横浜市と川崎市)に行動範囲を絞ることで自粛してきました。

箱根といえば、昨年10月の台風19号の豪雨で線路に被害を受けたため運休していた登山電車が今年の723日に全線が再開通したことに加え、「GoToトラベル」に101日から東京都在住者が追加されたことで、以前の賑(にぎ)わいを取り戻しつつあるようです。つい最近(926日)、テレビ東京の番組「出没!アド街ック天国」のテーマに「箱根」が取り上げられたことで思い出が甦(よみがえ)りました。そして1017日(土)にはTBSテレビの「じょんのび日本遺産」でも箱根の観光地が紹介されました。そのため筆者が車を初めて購入した約50年前から何度も訪れたことがある箱根をまた訪れたくなり、記憶に残る場所を一筆書きのルートで巡ることにしました。

明るくなった午前6時過ぎに自宅を出て、東名高速道路の厚木ICで小田原-厚木道路に入りました。雲間に浮かぶ富士山を見ながら約30㎞先の「箱根口IC」へ向かい、そこで国道1号線(東海道)へ出ました。

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早川沿いに小田急の箱根湯本駅の手前まで走り、三枚橋交差点で東海道の旧道(県道732号線、湯本元箱根線)に入りました。最初の立ち寄り先は500mほど先にある「早雲寺」です。最初の写真は県道732号線(旧東海道)に面した惣門(そうもん、正門のこと)です。ちなみに14年前(2006年)に訪れています。

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こちらは専用駐車場の脇から見た「早雲寺」の前景で、昨年、復元された「中門」は県道から一本入った町道に面しています。

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「早雲寺」は箱根町湯本にある臨済宗大徳寺派の寺院で、その山号は金湯山(きんとうざん)、本尊は釈迦三尊仏(室町時代の作)です。北条早雲の菩提寺として大永元年(1521年)に創建されました。ちなみに、寺内には「北条早雲(平氏の伊勢盛時)」を祖とする後北条氏(注釈:鎌倉幕府の執権であった北条氏との繋がりはないため後世になって後を付けて区別、小田原北条氏ともいう)5代の墓と室町時代の連歌師で第一人者とされる飯尾宗祇(そうぎ)の句碑などがあります。

そして、国の重要文化財である「織物張文台及硯箱」、「北条早雲肖像画」、県指定文化財の「北条氏綱・氏康らの肖像画」があるそうです。なお、11月初旬の3日間、本堂の襖絵(龍)と寺宝を特別公開など、今年度の行事はすべて中止されていました。

なお、午前6時から境内が公開されていますそして、駐車場の料金は10分以内が無料、それ以上は400円となっていました。

中門を入ると、参道の正面に庫裏(くり)がありました。

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中門の右手奥にある鐘楼(江戸後期の寛政年間の建物と伝えられる、注釈:秀吉の一夜城で使われた県重文の梵鐘がある)も綺麗に修復されていました。右隣に見えるのは千利休の高弟「山上宗二」の追善碑です。

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左手にあるのは箱根町文化財の本堂(非公開)です。その右手前には「宗祇(そうぎ)の句碑」が見えます。『世にふるも更に時雨(しぐれ)の宿(やど)りかな』 と刻(きざ)まれているようです。

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本堂の前にある苔(こけ)の庭には参拝順路の飛び石(踏み石)が続きます。

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案内看板にしたがって右手に折れると正面の石段の先に「北条五代の墓」(供養塔)がありました。後北条氏の早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直を祀っています。

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「史跡 北条五代の墓」の案内看板には秀吉による小田原城攻めと戦後処理にについて簡潔に説明されています。

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石段の手前を右手に折れた場所にこの寺で客死(かくし、きゃくし)した「連歌師(れんがし)宗祇(そうぎ)の墓」がありました。

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その先に「開山堂」(説明:以天宗清像が安置されている)が続きました。工事中と聞いていましたが、訪れた時には完了していました。

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「早雲寺開山以天宗清(いてんそうせい)」の説明

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高みから本堂を見下ろすと、傾斜地を利用して造られた緑豊かな「枯山水式庭園」がありました。ちなみに、早雲の三男の北条長綱(幻庵)の作と伝えられます。(注釈:異説あり)

なお、紅葉にはまだ早かったようです。

以前利用したことがある「天山湯治郷」と最近できた「星野リゾート 界箱根」の近くを抜けました。

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(続く)

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