日記・コラム・つぶやき

2020年9月24日 (木)

古いイタリア映画「道」を観る

NHK BSプレミアムで917日に放送された1954年(昭和29年)製作の古いモノクロのイタリア映画「道」(原題:La Strada、注釈:邦題と同じ意味)を観ました。監督は「映像の魔術師」の異名を持つイタリアの巨匠フェデリコ・フェリーニ。主演はメキシコ生まれでアメリカ人俳優アンソニー・クインとイタリアの女優ジュリエッタ・マシーナ。

『怪力自慢の大道芸人ザンパノが、白痴の女ジェルソミーナを奴隷として買った。男の粗暴な振る舞いにも逆らわず、彼女は一緒に旅回りを続ける。やがて、彼女を捨てたザンパノは、ある町で彼女の口ずさんでいた歌を耳にする……。野卑な男が、僅かに残っていた人間性を蘇らせるまでを描いたフェリーニの作品。』(出典:all cinema

映画を観ながら書いたあらすじは以下の通りです。

貧しい家庭に生まれた知恵遅れの女性ジェルソミーナは口減らしのため大道芸人のザンパノに僅かなお金で売られて、一緒に旅に出ました。大男で怪力のザンパノは胸に巻いた鎖を胸筋で引きちぎる曲芸を得意としています。一方、ジェルソミーナは教えられるまま道化役で客の関心を惹(ひ)きます。二人は順調に町から町へと旅をしますが、女好きのザンパノはジェルソミーナを一人残して女と出かけたりしてジェルソミーナを寂(さび)しくさせます。

『自分にしたことをあの女性にもしたの?』 と言うジェルソミーナの言葉をザンパノは無視します。耐えられなくなったジェルソミーナはザンパノと別れて故郷に帰ることを決心し、貰った服と靴を返して、徒歩で故郷を目指しました。後を追ってきたザンパノに連れ戻される形で二人の旅がまた始まりました。ザンパノはサーカスの興行師と組んで一座に参加しましたが、トラブルを起こして警察に捕まってしまいます。サーカスの座員はジェルソミーナにザンパノと別れて一座に同行するように勧めましたが、ジェルソミーナはザンパノを見捨てることができません。

ジェルソミーナに親切にした男性との関係を邪推(じゃすい)したザンパノはその男を暴行して死なせてしまいます。ザンパノはその死体を隠して旅を続けました。二人の逃避行のような旅が始まったのです。『ザンパノと一緒に居られるのは自分だけだ』 と言うジェルソミーナの優しさに対して、ザンパノは苛立(いらだ)ち、かつ憔悴(しょうすい)し始めます。そして、ザンパノは寝入ったジェルソミーナを「置いてけ堀」にしました。

4-5年後、別のサーカスの一員となって大きな町に入ったザンパノは、ジェルソミーナが良く歌っていた歌を耳にして、歌を歌う住民に尋ねました。『旅の女性から教わったが、体調を壊していたその女性は身元不明のまま死んだ』 と聞いたザンパノは大きな衝撃を受けます。そして、酔い潰(つぶ)れたザンパノは、夜の海岸に出て波に濡れながら、ジェルソミーナを思い出して悔悟(かいご)の涙にくれるシーンでエンディングを迎えました。

〈視聴後記〉古き良き時代の名作を久しぶりに観ることができました。主演のアンソニー・クインは筆者が好きな映画「ナバロンの要塞」と「アラビアのローレンス」などて強い印象が残る名優です。ジュリエッタ・マシーナはこの映画で初めて知った女優ですが、見事な演技に心惹(ひ)かれました。ちなみに、フェデリコ・フェリーニ監督 とは夫婦関係にあったそうです。そして、この映画を盛り上げたのは何と言ってもクラシック音楽と映画音楽で活躍したニーノ・ロータによる主題歌「ジェルソミーナ」(Gelsomina)です。映画「戦争と平和」「太陽がいっぱい」「ロミオとジュリエット」「ゴッドファーザー」などのヒット主題歌でも良く知られる作曲家です。

2020年9月22日 (火)

右耳が聞こえない!?

最近、右耳が聞こえ難(に)くなったことに気づきました。ワイヤレス・ヘッドホンで聴く音楽の音像が頭の中央から左側へ大きくずれているのです。注意してチェックしたところ、右耳の聞こえ方(聞きやすさ)は日によって変わりますが、改善される気配はありません。お気に入りのワイヤレス・ヘッドフォンを使いすぎたのでしょうか。

日常生活に不便はなくても、イヤフォンやヘッドホンで音楽やラジオ放送(radiko)を聴く時にはステレオがモノラルの様になって不快なのです。また、プールに入った後のように右耳が詰まっているように感じられることも。アレルギー性鼻炎の治療をしてもらっている医師の診察を受けることにしました。

問診と鼓膜の目視検査の後、聴力検査を受けました。定期検診で受ける聴力検査と基本的に同じですが、いくつか特別な検査が追加されていました。音が聞こえる間は手元のスイッチを押し続けること、反対側の耳に雑音が流されること、耳(鼓膜)ではなく耳の近くの骨に「骨伝導スピーカー」で検査音が加えられること、同じ検査でも反対側の耳に雑音が印加されることなど、多様な検査になりました。

鼓膜の振動と骨伝導とを切り分けて聴力を調べる目的のようです。最後は鼓膜に空気圧を加えて鼓膜がどれだけ反応するかの検査がありました。測定結果は聴力の周波数特性と空気圧による鼓膜の動きがグラフの形で出力されました。高音(8000Hz)の聴力が両耳とも下がっていることはこの2-3年の定期検診で指摘されている通りです。

医師の説明では右耳の聴力は左耳のそれよりも10dB以上低く(かなり聞こえ難いレベル)、鼓膜の動きは空気圧がゼロの付近にピークがあるのが正常ですが右耳についてのグラフは1本調子で緩やかな傾斜になっている、つまり動きが悪いと指摘されました。左耳のグラフもピークが空気圧ゼロのポイントからずれているとも。ただし、鼓膜には異常が見られないとの所見説明がありました。

以上の検査結果から、『右耳の聴力低下は、風邪あるいは鼻炎が原因で中耳に水が溜まり、鼓膜の動きを妨げていることが原因である』 と診断されました。聞こえにくい症状を改善するため、痰(たん)を出しやすくする薬とアレルギー性鼻炎の症状を抑える薬を3週間服用して経過観察をすることになりました。病名が分かって投薬で治る可能性はあるようですが、初めての経験(注釈:耳石が原因のめまいは経験あり)であるため、心許ない気持ちで自宅へ向かいました。もし、改善しない場合は再検査を受けることになります。

処方された2種類の薬を服用し続けたところ徐々に症状は軽くなり、10日後には右耳の聴力がほぼ元に戻り、ヘッドフォンで聞く音楽の音像も頭のほぼ中央に位置するようになりました。3週間分の薬を処方してもらいましたから、あと10日ほどで飲み切る頃には完治していることを期待しています。◇

2020年9月20日 (日)

小さな旅「滔々(とうとう)たる水郷(すいきょう)~大分県 日田市~」

NHK総合テレビで913日に斉放送された掲題の番組を観ました。関連のhpには以下の様に紹介されています。

『大分県日田市は、山々から幾筋もの川が注ぐ水の恵み豊かな町。古くから伏流水を生かし、みそ作りや鵜飼い、陶器が受け継がれてきました。伝統を大切に生きる人々の物語。』

『大分県日田市は、周囲の山々からのいく筋もの川がそそぐ、水の恵み豊かな町。清らかな水の都ということから、水郷(すいきょう)と呼ばれます。伏流水を活かした老舗しょうゆ・みそ作りや、夜の川で楽しまれる鵜飼い。川の上流では、水の力で土をつく唐臼(からうす)の音が響き、江戸時代から一子相伝で伝わる焼き物・小鹿田(おんた)焼が作られてきました。ふるさとの自然に育まれた伝統を大切に生きる人々の物語です。』

番組の内容は上記の紹介文で良く表現されていますので、ここでは日田市についての情報を思いつくままに紹介しましょう。ちなみに、大分県日田(ひた)市は福岡県と熊本県に近い県北西部の内陸都市で、筑後川水系にあるため歴史的に福岡県の筑後・筑前地方とのつながりが強い町です。地理的には、周囲を山に囲まれた典型的な盆地であり、多くの河川が流れ込み「水郷(すいきょう)」を形成しています。

戦国時代には豊後国を治める大友氏の領地でしたが、秀吉によって大友氏が改易された後は豊臣家直轄地となり、支配者が目まぐるしく変わりましたが、江戸時代に入ると江戸幕府直轄地(天領)となり、明治維新を迎えるまでほぼ天領地として繁栄しました。このため、岐阜県の高山市に似た街並みと文化が現在まで残っています。秀吉の家臣が岐阜県の長良川にいた鵜匠(うしょう)を日田へ招いたことで鵜飼が始まったと伝えてられます。

筆者が日田市の存在を知ったのは、年前に大分県から長崎県までのドライブ旅した途中、九州電力「八丁原発電所」の展示館を見学しましたが、地熱を利用して発電された電気は日田市などへ送られるとの説明を受けたことによります。最近は、ミネラルウォーターの「日田天領水」に加えて、最高気温や天災(集中豪雨による被害)に関するニュースで日田市の名前をよく耳にします。一度は訪れてみたい魅力的な町であることをこの番組で再確認することができました。

2020年9月18日 (金)

車が年々若返る!

自動車の運転免許を取得してから56年、自分の車を購入したからでもほぼ50年が経過しましたが、車オタクの筆者は自分の車を大事にしてきました。安全運転を心掛けるとともに車の整備を怠らないことで、10年以上乗り続けることをモットーとしています。ちなみに、最長は前車の「トヨタ製カムリ」で16年間、10数万km乗りました。しかも、いずれの車も大した事故に遭うことはありませんでした。

現在乗っているのはトヨタ製プリウスです。9年(総走行距離8万㎞)を過ぎましたが、故障はまったくありません。とは言っても、小さな自損事故やもらい事故が増えて来たようです。その最初は、遠出ドライブをした時、不慣れなコインパーキングで料金支払い機へ接近し過ぎてコンクリート製の土台に右前方部を軽く擦(こす)りました。ボディは変形していないため、自宅近くの自動車修理工場でその部位を再塗装してもらうことに。自動車の任意保険を使うほどではなく、自己負担額は約2万円でした。

2回目は交差点で信号待ちをしている時に後続車に追突された事故でした。後部バンパーが変形して車体内へめり込む大きな損傷となり、先方の任意保険で修理しました。後部バンパーの交換と車体シャーシの修正に必要な費用は10数万円だったと思います。そして、3回目の事故は自損事故でした。同居者が出先の屋内駐車場で止める時に、車止めがなかったこともあり、コンクリート製の柱に後部バンパーをぶつけたのです。修理して間もない後部バンパーを再度交換することになり、筆者が加入する任意保険で対応しました。

それから数年が経過した今夏、同居者が運転中、交差点で右折する際にブレーキ操作の遅れで前方の車に軽く接触する事故を起こしたのです。警察は軽微な事故と判断してくれましたが、双方のバンパーに軽い傷ができました。同居者から電話連絡を受けた筆者は直ちに保険会社へ通知して、任意保険により双方の車を修理することが認められました。そして保険会社から送られてきた「保険金請求書」に必要事項を記入して必要書類のコピーとともに即日返送。

損傷が軽微であるため運転には支障がなく、都合の良い2週間後に近所の自動車修理工場へ車を持ち込みました。以前、擦り傷を塗装修理してもらった修理工場です。今回も擦り傷ですから塗装のし直しかと思いましたが、自動車修理工場の判断で「前方のバンパー」と「少し変形したナンバープレート」(自動車登録番号標、注釈:"number plate"は米国で"license plate"と呼ばれる)を交換することになりました。

「交換用バンパー」は短期間で入荷するようですが、「再発行されるナンバープレート」は製作と交換には2週間ほどの時間がかかるそうです。自動車修理工場に指定された日時(10日後)にプリウスを持ち込みましたが、交換・修理が完了するまでにはさらに10日ほど(事故日から1か月強)かかりました。その10日間は代車を利用することになりましたが、『事故が大事に至らず、しかも部品の交換で済んで良かった』 と安堵(あんど)しました。

軽微な損傷だと思われましたが、バンパー周辺部への影響がありフェンダー部の板金塗装(約8万円)が必要になったため修理費用は30万円弱に及びました。しかし、すべて任意保険でカバーできました。幸いなことにヘッドライトには影響ありませんでした。ただし、割引率が最大になっていた任意保険は割引グレードが下がって、次年度からは保険料金が少し高くなりますが・・。

修理する前のプリウスでは前方にある「バンパー」と「ナンバープレート」には高速道路の飛び石などで出来た小さな傷をタッチペイントで補修した跡がいくつもありましたが、「バンパー」と「ナンバープレート」の両方を交換したことで、フロント部が真新しくなりました。自動車は顔ともいえるフロント部の印象が強いのです。前方から見ると9年モノのプリウスには見えません。まるで「染み取り」の整形美容手術(レーザー治療)を受けたように若返ったのです。

しかも、2か月前に受けた車検でも重要な指摘事項が無く、すべての機能が正常でしたから、まだ数年は乗り続けることができそうです。つまり、現在の車も「10年以上乗るという筆者のポリシー」の要件を十分満たしてくれることを期待しています。

2020年9月16日 (水)

アメリカ生活を堪能する(最終回) ダラス日本語補習校

「アメリカ生活を振り返る」(その3生活環境を立ち上げる(前編)教育の項で簡単に触れましたが、英語ができない子供たちを受け入れるESLEnglish as a Second Language/第二外国語)クラスが充実しているダラス地区では、日本人学校ではなく、日本語補習校(正式名称:ダラス日本語補習授業校)の前身であるダラス日本語補習教室が1970年(昭和45年)に設置されています。

日本語補習校とは日本の教科書を使い、週一回(土曜日午前830-1235分)日本語での教育(教科:国語と算数/数学)が行われます。対象はアメリカの義務教育該当者(幼稚部・小学部・中学生部・高等部)です。なお、日本語補習校の教室は現地校の一部を土曜日だけ借用することで対応します。わが家の家族が滞在した時には、日本人が多く住むダラス北部エリアのほぼ中央にあるキャロルトン(説明:ダラス市の中心から北西へ約20km)の"Dan F. Long Junior High School"(注釈:日本の中学校に相当)にダラス日本語補習校が置かれていました。

また、校長先生は日本の文部省(当時)から3年間派遣された教員(校長または教頭)が就任しますが、補習校の教員は必ずしも教員資格を持っている必要はありません。ちなみに、日本語補習校の運営はダラス日本人会が行っていました。生徒数は300人前後、教員数は約20名だったと記憶しています。

ちなみに、運営委員会は日系企業により推薦された日本人会会員(生徒の父兄)12名ほどがボランティア(1年任期、半年で半数が入れ替え)として参加し、教員の後方支援や年一回開催される運動会の運営に当たります。日本人会が運営する組織としての体制であるため、日本人会に加入していない少数の日本人住民にとって運営委員会は参加しにくいものであったかもしれません。

日本の企業から派遣される人の赴任時期は不定ですから、入学・退学を常時受け付けていました。毎月の授業料は定額ですが、高校生は少し高く設定されていたと思います。また、幼稚部を除いて、各学年とも1クラス15名以下に制限して、行き届いた教育とする配慮がありました。ちなみに、入学金は授業料1か月分です。(注釈:日本人会会員以外は授業料がやや高く設定されていた) 土曜日だけの授業時間が限られているため、希望者を対象とするサマースクールが開催されることもありました。

現地校は月曜日から金曜日までありますから、生徒たちに土曜日の授業(4時間)は負担ですが、日本人の友達たちと日本語で自由に話ができることはストレス解消になっていたようです。また、日本の習慣やマナーを知る機会でもありました。そして、ほとんどの児童は親の帰任にともなって日本へ帰国するのですが、帰国子女問題の軽減に役立っていたと筆者は考えます。また、帰国後は同窓生としての繋がりが続くケースが多いようです。

ダラス日本語補習校の対象地域はダラス全域と広く、スクールバスはありませんから、父兄が車で送迎する必要があります。わが家はダラス地区の北東部に位置していましたから、コイト道路とフランクフォード道路を経由して日本語補習校まで約20kmの距離があり、車で20-30分掛かりました。子供たちの送迎はもっぱら同居者の担当で、運転技術がメキメキ上達しました。かく言う筆者は毎週土曜日に「ゴルフ補習校」へ通う必要がありました。

ダラス滞在が2年を過ぎて、その生活に慣れた頃、突然の辞令がありました。ダラス日本語補習校の運営委員長に任命されたのです。仕事(会社での業務)と週末の練習とラウンドを欠かさなかったゴルフがやっと波に乗ったところでしたから、気が進みませんでしたが、名誉なことと考えことにして引き受けました。しかし、これは甘い考えでした。委員長は名誉職ではなく11名の委員と協力して様々な課題や問題への対応に毎週欠かさず土曜日(丸1日)を費やす必要があり、業務への差し障りが出ないように、ゴルフは1年間休止することになりました。

何とか1年間の任期を終えることができて、以前の日常が戻ってきました。そして、再開したゴルフの腕前は1年ほど後退しており、翌年の大半はスコアを挽回するための練習とラウンド時間に費やすことになりましたが、運営委員長を担当したことは貴重な経験で充実感はありました。ゴルフスコアの向上とともに、仕事も順調に進み、帰任するまでのさらに充実した2年間が待っていました。(終)

2020年9月15日 (火)

アメリカ生活を堪能する(その7) ダラスの竜巻と雷

大陸国であるアメリカは気象などの自然現象もかなり日本と異なります。テキサス州はアメリカ南部の亜熱帯(乾燥地帯)にあるため、はっきりした四季がありません。春と秋が極端に短いため、あえて言えば冬季と夏季だけの「ニ季」があるのです。もっと厳密に言えば寒い冬季と暑い夏季の境界にある短期間には、一日の中に寒い時間帯と暑い時間帯があり、その割合が徐々に移り変わるのが春と秋といえます。

ですから人々の服装は、日本のように一様に変化するのではなく、人によって様々です。つまり、春夏秋冬が移り変わるタイミングでの「衣替(ころもが)え」の概念はありません。これはテキサス州だけでなく、アメリカでは普通のことなのです。

ただし、西海岸は太平洋の暖流が近くを流れているため、通年にわたって温暖な季節が続きます。日本人にとって珍しいことは、冬季には雨が良く降って木々の葉や草(冬芝)が緑に色付きますが、夏季は乾期となるため冬芝は枯れたような茶色に変わります。(注釈:これを避けるため夏芝をミックすることがある) 

そして、常夏(とこなつ)の島「ハワイ州」は一年中気温が安定しており、雨が少ないのですが、あえて言えば乾季(夏)と雨季(冬)があります。

話をテキサス州に戻しましょう。日本の面積の約2倍と広大なテキサス州は気候も多様です。東端部(説明:ルイジアナ州とアーカンソー州寄り)は雨がある程度降る湿気地帯であるため森林が豊かであり、中央部のダラスやサンアントニオ、そして最大の都市ヒューストンを含むエリアは川や丘がある半乾燥地帯の「プレーリー」(北米大陸中央部でカナダからアメリカ南部まで続き「大平原」と呼ばれる)です。

そして、それ以西は雨がほとんど降らない乾燥地帯で土漠(どばく)が広がっており、ニューメキシコ州とメキシコ高原の北部にもまたがる「チワワ砂漠」とテキサス州の最高地点である「グワダルーペ山脈)(標高 2,667mの)が存在します。また、パンハンドル(鍋の柄)と呼ばれる最北部にはグランドキャニオンに次いでアメリカ第2の規模を誇る「パロ・デュロ・キャニオン」があります。

ちなみに、テキサス州の西隣にあるニューメキシコの東部にある「ホワイトサンズ国定公園」(説明:石膏の砂でできた白い砂漠)は有名な観光地です。

筆者が住んでいたダラス地区は自然林が少なく、川沿いの限られたエリアにだけ木々が見られます。つまり、都市として開発されたエリアには人工的に植えられた木々と敷き詰められた芝生があるため緑に溢れていますが、市街地を離れると荒れ地のような殺風景な土地に変わります。

また、冬季には休眠期に入るため、たとえ散水をしても、芝生(夏芝)が茶色くなることは日本国内と同じです。また、テキサス州は亜熱帯にあるため、雨は間欠的に激しく降りますが、日本国内のような梅雨はなく(ただし、5月頃は雨が多い)、雨季や乾季というべきものはありません。

テキサス州で特筆すべきことは「トルネード(竜巻)」と「雷」です。「トルネード」はアメリカの中西部で多く発生しますが、特にカンザス州からオクラホマ州とテキサス州の北部にかけて南北に続く「竜巻街道(Tornado Alley)」で被害が多発しているようです。テキサス州北部では夏の前(4月~5月)に多いようです。

ちなみに、カンザス州は映画「オズの魔法使い」の舞台になりました。竜巻を避ける地下シェルターがある住宅が多いと聞きました。ちなみに、筆者がダラス地区に居住した5年間で一度だけ大きな被害が隣町で発生したことがあります。

そして「雷」です。ダラス地区の5月は雷雨や雷を伴う嵐(サンダーストーム)も多い月です。雷雨というと日本国内でもよくあると思われるかもしれませんが、テキサス州では雷の規模が巨大なのです。強い風雨に伴う雷は空一面を覆い尽くすほどに広がります。日本国内の雷は上から下へ落ちるというイメージがありますが、テキサス州の雷は上下左右に広がって、まるで巨大な「仕掛け花火」のようです。

早朝にも雷鳴が轟くこともしばしばでした。サンダーストームが来襲した時には雹(ひょう)が降ることがあります。大きなものはゴルフボール大のものもあり、車で走行中に遭遇した時には恐怖を感じました。

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テキサス州の雷がなぜ大きいのかを調べたことがあります。その結果、雷の総エネルギーは大気の量に比例するそうです。つまり、巨大な大気の固まりが出来やすいテキサス州は巨大な雷が発生しやすいのだそうです。ただし、上には上があり、アメリカでは巨大な盆地であるジョージア州アトランタが雷の大きさで優っているようです。

最後に、アメリカで毎年大きな被害を発生させる「ハリケーン」に触れます。メキシコ湾に接するテキサス州では州の南部にハリケーンが上陸することはよくありますが、海岸線から約400kmも離れたダラス地区まで勢力を保つハリケーンはないようで、ダラス地区では筆者が住んでいた5年間ではその被害はありませんでした。(続く)

2020年9月14日 (月)

アメリカ生活を堪能する(その6)自宅のメインテナンス

アメリカの住宅は日頃のメインテナンス(手入れ、注釈:メンテナンスとも表記)がとても大事です。第一には快適に暮らすためですが、美観を維持することは住民の義務なのです。また、住宅の価値を維持する、時にはその価値を高めることにもつながります。つまり、居住者の努力によって財産価値を増やすこともできるのです。

新築物件を購入した筆者は前庭の芝刈が必要最低限のメインテナンス作業でした。テキサスの夏は暑くて芝の成長が早く、毎週末芝刈り機を使って刈る必要がありました。それはアメリカの古い(昭和30年代の)ホームドラマを白黒テレビで観て育った筆者が憧れていた芝刈作業です。日本の実家にも芝を植えた庭がありましたが、芝の成長速度が緩(ゆる)やかであるため手動(手押し)の芝刈り機を使っていました。

一方、テキサスでは動力付(説明:ガソリンエンジン)の芝刈り機が必須です。毎週、刈り取った大量の芝をゴミとして出すことになります。また、建物の脇や芝刈り機が入らない場所はトリマーと呼ばれる動力付(説明:ガソリンエンジンまたは電動モーター)の小型芝刈り機も必要でした。トリマーはプラスチック製のワイヤーを高速に振り回して芝を細かくカットする道具です。

ちなみに、芝刈りを怠(おこた)っていると、市の環境部門から警告文が郵送されてきます。もし、それを無視していると強制的に芝刈りが行われて、その費用を請求されることになるようです。

アメリカではこの事態に遭遇することはありませんでしたが、帰国して何年か後に親から空き地を受け継ぎましたが、雑草のが伸び過ぎていることに市役所から警告を受け、地元のシルバー人材センターに草刈りを年に数回お願いすることになりました。日本でも地方自治体による環境美化活動が始まったのです。これは余談でしたが・・。

芝刈の後は肥料を散布します。これは手押し型の専用散布機を使いました。ダラス周辺では土壌が粘土質で痩(や)せているため、芝を張る時に置かれた少量の土だけでは芝生が成長しません。定期的に追い肥をする必要があります。夏季には毒アリの「ファィアー・アント」が発生しますから、専用の殺虫剤をホームセンターで購入して、蟻塚ができ始めた場所へ大量に散布しました。

さらに、筆者の美的感覚にしたがって、緩(ゆる)やかな傾斜地に建つ建物脇と裏庭の傾斜を整えるため、ガーデニング用の土をホームセンターで大量に購入して整地しました。後知恵ですが、住宅の購入契約をする時に要求条件に入れておけば良かったのです。

先の記事「アメリカ生活を振り返る」(その5)で触れたように、芝生への日々の水遣(や)り(自動散布)が不可欠です。それは芝生の成長のためだけではなく、建物周りに適度な湿り気を維持することは粘土質の地盤の安定維持に重要です。もし、異常に乾燥させると地盤が下がって建物が傾く、あるいは歪む恐れがあるのです。ダラスにおける住宅は建物の下一面にコンクリートを打って造ったプレート(盤)状のコンクリート土台の上に木造の建物が載る構造になっていますから、土壌の乾燥はこのコンクリート土台を痛める(説明:極端な場合は亀裂が入る)ことがあるかもしれません。

屋内のメインテナンスは日本の住宅と特に変わるところはありませが、唯一異なることがありました。天井高が3m以上と高いため、天井灯(ダウンライト)に使われている電球の交換が大変なのです。脚立を使って交換作業をしてみましたが危険に感じました。そこで見つけたのが電球を交換するための専用道具「ランプチェンジャー(lamp/bulb exchanger)」(説明:和訳すると高所電球交換器)です。

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日本でも使われるトイレ掃除用のラバーカップ(吸盤付き)と形状が似ていますが、取り付けられたアルミ製の棒は伸縮が自在で、3m近くまで伸ばせました。球形ではなくフラスコを逆さまにした形の電球に吸盤を押し付けて吸着させれば高い場所にある電球の取り外しと、新しい電球の装着が簡単にできる優れ物です。ホームセンターで普通に売られているアメリカでは当たり前の道具でした。ちなみに、現在は日本でも「モノタロウ」などで入手できます。

 

屋根があるピロティ風のオープンスペースは夏の暑さと冬の寒さが厳しいテキサスでは利用時期が限られるため、大工さんに依頼して改造してもらいました。それまではバーベキューをして楽しむ場所として使っていましたが、一面にガラス窓を配した仕切り壁を追加し、裏庭に出入りするドアも付けたことで、子供たちが自由に遊べるスペースに変わりました。家族用の居間から出入りできて便利ですが、難点は冷暖房の設備がないことです。しかし、この問題は客間との間にある窓を開ければ難なく解決し、安い費用で一間を増設することができました。

セントラル冷暖房システム(簡易型空気清浄機能付き)がありましたから、各部屋の空気がフィルターを通して循環するため、室内に埃(ほころ)が溜(た)まることはほとんどなく、電気掃除機はほぼ無用の長物でした。その代わり、定期的にフィルターを交換するため上記システムが設置してある屋根裏に上がる必要があり、収納式の階段を出したり入れたりするのは面倒でした。

また、新築物件を購入しましたからペンキ塗りなど建物の外装をメインテナンスする必要はありませんでした。しかし、5年後に自宅を売却する時、不動産業者からアドバイスされました。屋内のちょっとした瑕疵(かし)は値下げ交渉の口実になると言うのです。床や壁紙の汚れはもちろんのこと、壁面上部と天井との境目にあるパテのヒビ割れも対象になるため、筆者自身で週末に対処しました。

唯一、業者に依頼したことは筆者の好みで玄関付近の床に貼った大き目のタイルです。地盤の歪みが原因と思われるヒビ割れが数枚見つかりました。日常生活では気づかなかった小さなヒビでしたが不動産業者から指摘されました。

早速、改修業者に依頼しました。道路工事などで使う動力付きのドリルでタイルを剥(は)がし、新しいタイルを貼ってもらいました。以上の対応をしたことで、買主から瑕疵(かし)を指摘されることはありませんでした。しかし、筆者が提示した価格(説明:購入価格と同額)は買主のモーゲージ(住宅ローン)枠の上限を超えるとのことで、帰国時期が近い弱みがある筆者は買主の要求を受け入れました。

これだったら、数百ドル(約10万円)のお金を使って補修しなくても良かったのではないかとの思いが生まれましたが、筆者にとってはタイムリーな良い売却だったと思い直しました。

アメリカにおける住宅の購入と売却を通じて、日本とアメリカにおける住宅税制の違い、特に建物の価値評価は大きく異なることを理解できました。そして、筆者には不動産取引の才能がないことも。(続く)

2020年9月13日 (日)

アメリカ生活を堪能する(その5) ゴルフ三昧の週末

アメリカ人と日本人では週末の使い方が異なります。アメリカ人のほとんどは日曜日の午前には教会へ家族で向かい、ミサ(礼拝)に参加します。アメリカでは中西部から南東部にかけての地帯はバイブルベルト(聖書地帯)と呼ばれて、キリスト教(福音派プロテスタント)への信仰に厚い人が多いことがその背景にあります。

つまり、文化的保守性と言い換えることができるでしょう。ちなみに、テキサス州においても福音派の信者が多いようです。この福音派は全米の総人口で約4分の1を占め、人種別では圧倒的に白人が多いとされます。つまり、アメリカにおける現トランプ政権の基盤(コア)となる支持層と言えます。

一方、前日の土曜日は家族団欒(だんらん)や友人夫婦を招待してホームパーティーを開く家庭が多いようです。筆者も招待されたり、招待したりしたことが何度もあります。広いリビングやプールサイドで飲食しながら会話を楽しむのです。

また、子供を持つ日本人にとっての土曜日は子供たちが通う日本語補習校への送迎があります。通常は同居者が担当してくれましたが、都合がつかない場合は筆者が対応することになります。子供たちが授業を受けている間は打ちっぱなしのゴルフ練習場で汗を流し、日曜日はその成果をゴルフ場で確認することが日課になりました。

アメリカへ赴任する前には海外出張先で週末の暇つぶし程度にゴルフを経験したことはありましたが、ダラスへ赴任した時に先輩に連れられて行ったゴルフショップでゴルフクラブのセット(マクレガー製)とバックを購入。近くのパブリック・ゴルフ場でデビューしました。

全米で今一番ホットなゴルフ天国と言われるテキサス州ダラスにはゴルフ場が数えきれないほどありますが、筆者が住んでいたプレーノ市および会社があるリチャードソン市とその隣のガーランド市には計5‐6か所ほどあったと思います。いずれも事前予約が必要でした。熱心な同僚(日本人)は早朝にラウンドしてから出勤していたことに驚きましたが。そして、プレイに慣れた2年目にはダラスの日本人会が開催するゴルフ・コンペにも参加するようになりました。

時には家族でラウンドすることもありました。ダラスにおけるゴルフ場の雰囲気を伝えるため、その写真を何枚か掲載します。

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プレーノ市のI-75沿いにある"Chase Oaks Golf Course''(民営、現"The Courses at Watters Creak")はわが家に近く(車で10分足らず)、オープンして間もない綺麗なコースで良いのですが、難コースであるため、プレイする頻度はそれほど多くはありませんでした。リチャードソン市の"Shrill Park Municipal Golf Course"は周囲に住宅が並んでいるため、庭へボールを打ち込まないようにする必要がありました。

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ガーランド市の"Firewheel Golf CoursePark"木立と池に恵まれたコースで人気がありました。予約が取りやすい"Plano Municipal Golf Course"1973年オープン、現在はリノベーションされて"Pecan Hollow GC")は料金が安いのですが、コースアレンジが平凡で好スコアがでますが、コース整備が良くないので不人気でした。

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プレーノ市北方のフリスコ市にある"Plantation Golf Club"(6,402ヤード、パー72)は新興住宅地内に造成されたゴルフコースで、細長い池を超える18番ホールが印象的でした。アウトは3オーバーとまずまずのスコアで回り、インに入ってからは通算でパープレイが17番ホールまで続きました。18番ホール(パー4、左ドックレッグ)をパープレイにまとめれば初めてのパープレイ(注釈:ハーフコースで)になります。

 

池に浮かぶ島にある18番ホールのティーグランドでは、池越えの左ドックレッグをショートカットするため、思い切ってグリーン方向を狙いました。しかし、力が入ったためかクラブヘッドのスイートスポットを外したボールは右方向へ力なく飛んで安全なフェアウェイの真ん中に落ちました。残りは150ヤードほどでしたら十分2オンも可能です。しかし、さらに身体が硬(かた)くなってしまった筆者のセカンドショットはまたもやミスショットで、グリーンの手前に止まりました。

ピンに寄せればまだパープレイの可能性が残っています。クラブヘッドが強く入ったアプローチショット(第3打)で高く上がったボールはホール奥の微妙な距離に落ちました。そして、慎重にプレイしたはずのパットがわずかに外れて18番ホールはボギーになってしまいました。つまり、インはワン・オーバー・パーに終わったのです。しかし、ハーフでのワンオーバーは初めての好スコア(説明:筆者のベストスコア)でしたから、微妙な満足を感じながら帰宅したことを今でも覚えています。

最後にダラスにおける30年前のプロ・スポーツ情報を紹介します。プロ野球はダラス近郊のアーリントン球場をホームとするMLB(Major League Baseball/メジャーリーグ・べイスボール)の「テキサス・レンジャーズ」(Texas Rangers)、バスケットボールはNBA(National Basketball Association/全米プロバスケットボール協会)の「ダラス・マーべリックス」(Dallas Mavericks)、プロフットボールはNFL(National Football League/全米フットボール協会)の「ダラス・カウボーイズ」(Dallas Cowboys)がありました。(続く)

2020年9月12日 (土)

アメリカ生活を堪能する(その4) 日本との連絡および日本からの出張者へのサポート

海外の子会社に勤務していると避けられないことがあります。一つは日本の関係部門との打ち合わせです。ほとんどの情報交換は電子メールで可能ですが、重要な案件については関係者が一堂に介してテレビ会議が行われました。月に一回くらいの頻度でしたが、大きな問題があるのです。それは時差です。日本時間から14時間遅れているため、日本の午前中(ダラスでは午後7-午後10時)に開催されることが多かったと思います。時には、逆に日本の夜(午後7-午後9時)が選ばれると、ダラスでは早朝(午前5-午前7時)に出勤する必要があります。自身の業務もありましたから、時間の調整が大変です。

海外勤務者にとってもう一つの重荷は日本からの出張者へのサポートです。海外出張に慣れない人には、ダラスにおける移動方法を案内(実際はアッシー君役を担当)したり、週末には自宅への招待・ゴルフの相手・観光案内をすることが求められます。それはそれで楽しいのですが、週末の家族サービスが疎(おろそ)かになることを辛(つら)く感じることがありました。

下の写真は、ダラスのダウンタウンにある教科書倉庫(左側の建物)の前で撮影した家族写真と会社の先輩とのツーショットです。ちなみに、今から57年前の1963年11月22日にケネディ元大統領が暗殺された場所なのです。この暗殺直後には日米間で初めての衛星テレビ中継の冒頭にニュース速報として日本へ伝えられた時、早朝のテレビに噛(かじ)り付いていたことを思い出します。

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社内の人(顔を見知っている人)であればそれほど気を使いませんが、日本国内の重要顧客がアメリカを訪れる時のサポートは気疲れしてしまいます。

今でも覚えている例があります。フロリダ州オーランドで開催されるIT学会に参加する人のサポートを業務上は関係ない部門から依頼されたのです。ゴルフが好きな方であり、「ウォルト・ディズニー・ワールド(Walt Disney World Rsort)」内のゴルフ場で一緒にプレイすることが主なミッションでした。ダラスからオーランドまでのフライトは所要時間が約3時間と長い(羽田-台北間に相当)のですが、ウォルト・ディズニー・ワールドは家族と一緒に訪れたことがあって土地勘がありましたから、ディズニー・ワールド行きを引き受けました。もちろん、接待であるため費用はすべて日本側の負担です。

好天に恵まれた「マグノリア・ゴルフ・・コース(Magnolia Golf Course)」でのツーサム・ゴルフ(2人でのプレイ)は気楽かつ楽しいものになるはずでしたが、筆者が相手をした方は生憎なことに負けず嫌いでした。それに気付いた筆者は、それまでの「観光ゴルフ」が一転して、本来の「接待ゴルフ」に変わりました。やはり、この世に旨(うま)いい話はないのです。ちなみに、筆者が日本へ帰任した後にその方と仕事上の関係ができるとは夢にも思いませんでした。『人間(じんかん)万事塞翁(さいおう)が馬』 です。注釈:人生における幸不幸は予測し難(がた)いを意味する (続く)

2020年9月11日 (金)

アメリカ生活を堪能する(その3) 会社における上司とは

アメリカの会社における雇用関係について説明しましょう。30年前のアメリカでは日本国内におけるような終身雇用の慣習はありませんでした。日本で戦後になって生まれた雇用慣習は古き良き時代(戦前と戦後のある時期)のアメリカにおける大企業(GMやGEなど)のシステム(終身雇用)を真似たもので、30年前のアメリカでは既にその労働環境が失われていて、雇用は雇用主である上司と雇用される部下の間で結ばれる契約に変わっていました。注釈:戦前の日本では正社員は少数のエリート

上司が部下を雇いたいと考えた場合、その予算処置を講じた上で、人事部(Human Resources)を通じて人材を募集します。日本のように人事部あるいは勤労部が採用した社員を配属する仕組みとは異なります。筆者が秘書(Secretary)を雇った時の例で説明します。赴任直後は派遣社員である秘書がいましたが、正規の秘書は募集に応じた志願者について人事部門が秘書としての基礎的な能力テストと身元調査(Background Check)をした上で、通過した志願者数名について筆者(雇用者)自身が面接して最適と判断された人を選びました。

この時、人事部は助言をすることはありますが、最終的に判断する権限は部下を採用する上司にあります。つまり、部下の採用を含めて担当部門の成果がその上司の功績とされるのです。採用した部下(社員)が期待通りの働きをしなかった場合は、即刻解雇することができます。アメリカの映画やテレビドラマの中で"You are fired."(首だ)と上司が部下に宣告するのはやや大袈裟(おおげさ)な演出だとしても、『明日から出社しなくて良い』 と部下が言われることは日常です。

ですから、日本の会社のように出来の悪い部下を我慢して抱えておく必要はありません。「随意雇用原則」があり、解雇は自由なのです。余談ですが、その上司にも彼/彼女を雇った1ランク上の上司が存在しますから、安閑(あんかん)としてはいられません。絶えず存在感と成果をアピールする必要があります。テレビドラマ「半沢直樹」の主人公のように面と向かって上司を罵倒(ばとう)する社員はアメリカにもほとんど存在しないと思います。

閑話休題。アメリカでは解雇された社員が解雇理由を不当であるとして裁判所に訴えることができます。ここで解雇理由が正当であるか否か(注釈:雇用上の差別の有無を含む)が判断されますから、元上司と元部下は双方とも明確な主張と記録を準備しておく必要があります。アメリカは自己主張と記録文書が重んじられる社会なのです。

私が勤務した会社には正規社員の他に少数の契約社員(Contractor)がいました。正規社員については上記しましたが、この契約社員は日本の契約社員(注釈:期間を限定して通常業務を行う)とは大きく異なります。アメリカの契約社員は特殊な能力あるいは高度な知識・豊富な経験を有する人材であり、上司が特定プロジェクトの期間と必要な能力を指定して採用する特別な存在で、請負契約社員と呼んだ方が分かりやすいでしょう。

期待する成果と支払う対価はいずれも正社員よりもかなり高いのです。つまり、契約社員とは自らの能力と知識を高く買ってくれる会社(上司)を求めて会社を渡り歩く人材と言えます。あえて例えると、テレビドラマ「ドクターX」に登場する医師の大門未知子のような存在です。

上司は業務を部下に割り振るとともに、その成果を部下との協議を踏まえて評価し、給料(昇給)に反映します。日本の会社との違いは部下に割り振る業務(内容と難度)が前もって明確に規定されていることです。曖昧(あいまい)さや後追いの変更を極力排除して、評価時の混乱(認識の相違)を避けなければなりません。また、アメリカでは働きながら大学院などで勉強する社員がいますから、それらの社員(部下)へ割り振る仕事量に配慮する必要があります。日本の会社でも夜学(定時制大学)へ通う人はいますが・・。

部下の採用とともに日本の会社との大きな違いは残業です。日本の会社では当たり前ですが、アメリカの会社において年俸制で働く社員には残業の概念は存在しません。つまり、上司が大学を出た技術者や事務職に残業を指示することはなく、また残業代という賃金も存在しません。そして、アメリカ人は家庭を大切にする人が多く、ほとんどの社員が定時で職場を後にしますが、車での通勤が楽な早朝に出社して仕事(注釈:早朝残業ではない)をする人もいます。

アメリカのサラリーマンでは「ホワイトカラー・エグゼンプション」(脱時間給制度)、つまり年俸制が当たり前なのです。現在の報酬に不満な人はより良い条件を求めて転職することになります。ただし、時給で働く社員(説明:工場や店舗で働く人に多い)には繁忙期に残業が指示されることはあります。ちなみに、週40時間を超える労働時間(残業)には時給が1.5倍になります。

以上の説明をまとめると、アメリカにおける上司と部下の関係は雇用者と被雇用者の関係にあり、日本の会社における社員間の上下関係ではないのです。プロのスポーツ選手のように、仕事と勤務先を選ぶ自由はありますが、現実は絶えず成果を求められる厳しい労働環境だと言えるでしょう。(続く)

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