日記・コラム・つぶやき

2017年7月26日 (水)

自動車革命

前回までの記事で紹介した「自動運転バス」に続いて自動車の話題です。日本ではあまり注目されていませんが、150年以上の長い歴史がある自動車は近いうちに最大の変革期に差しかかることが明らかになりました。「自動車の変革」とはいったい何でしょうか。ここでいう変革は先に紹介した自動運転のことではありません。それはガソリンや軽油などの化石燃料を使う内燃機関(エンジン)を搭載する自動車が終焉(しゅうえん)を迎えるかもしれないことです。つまり、1885年にドイツ人技術者のダイムラーが内燃機関付き自動二輪車を開発してから約130年、揺(ゆ)るぎないと思われてきたエンジンを搭載する従来型の自動車が姿を消すかもしれないのです。

 

この動きは昨年からヨーロッパを中心に具体化し始めています。ドイツでは2030年までに内燃機関(エンジン)を動力源とする自動車を電気自動車に置き換える決議を昨年11月に採択しました。オランダとノルウェーも2025年までにガソリン車を廃止すると伝えられました。これに続いてフランスも2040年までにガソリン車とディーゼル車の販売を停止する目標を7月の始めに発表しました。アメリカでは電気自動車を販売しなければ反則金を課す制度が発足しています。

 

また、アメリカを凌駕(りょうが)して世界第一位の自動車大国になった中国は、大気汚染対策として電気自動車の普及に力を注いでおり、電気自動車・プラグインハイブリッド車・燃料電池車の生産目標をメーカーに義務付けています。2020年には市場全体の7%に相当する200万台超、2030年には同じく40%の1500万台以上に引き上げ目標を掲げています。ちなみに、中国でのエコカーは電気自動車とPHVだけで、ハイブリッド車とガソリン車は対象外です。

 

現在、自動車の生産台数が中国とアメリカに次いで世界第3位である日本は、日産と三菱自動車が電気自動車を、トヨタ・ホンダ・三菱自動車がPHVを販売していますが、いずれも年間の販売量は数万台以下に留まっています。これは従来のガソリン車の大半とハイブリッド車がエコカーに認定されて減税の対象になっていることで、電気自動車とPHVが特別に優遇されているわけではないことが一因であると考えられます。ハイブリッド車で優位な状況にあるトヨタ自動車も、従来の燃料電池車(FCV)の開発を優先する方針から転換し、遅ればせながら平成32年(2020年)までに電気自動車を量産する計画を持っているようです。

 

歴史を振り返ると、意外なことに1839年に開発された電気自動車はガソリン自動車よりも50年ほど長い歴史を持っています。ただし、当時は実用化に必要な技術がなかったため、実用化されたのは30年以上後の1873年です。そして、1900年ころには蒸気・ガソリン・電気と3種類の動力源を利用する自動車が普及し、その内電気自動車が40%を占める時期がありました。その理由は、電気自動車は製造と保守が容易で、排気ガスが出ないことでした。しかし、ガソリン自動車の技術(点火装置など)が飛躍的に進歩したことで、性能面でガソリン車が電気自動車を上回り、圧倒的に優位な状況になりました。さらに、1908年に量産型T型フォードの登場でその差は決定的に。

 

1960年代になるとガソリン車の排ガスによる大気汚染が深刻になり、1970年代には石油ショック(原油価格の高騰)で電気自動車に再び注目が集まりました。しかし、ガソリン車の排出ガス浄化技術が進歩し、石油価格が落ち着くと、電気自動車への関心は薄れてしまいました。そして、1990年代に地球温暖化問題と化石燃料の枯渇問題が喫緊(きっきん)の課題となると、各メーカーが電気自動車の開発を始めたのです。その象徴が「フォーミュラE」です。国際自動車連盟(FIA)が開催するフォーミュラー・カーレース「フォーミュラワン(F1)世界選手権」に相当する「電気自動車のカーレース「フォーミュラE選手権」を同じFIAが2014年にスタートさせました。
 
日本では先述したように三菱自動車と日産から実用車が販売されましたが、国の積極的な支援や政策がないため、普及は進んでいません。一方、アメリカではベンチャー企業のテスラモーターズが政府からの援助を受けて事業を拡大し、昨年(2016年)の生産台数は約8万4000台(前年比64%増)となっています。またアメリカを凌駕(りょうが)して世界一の自動車大国となった中国は国策として電気自動車の普及を図っています。増加し過ぎたエンジン付きのバイクを規制して、電動バイクの分野で世界を牽引する実績(バッテリーや充電インフラなど)も中国の強みと言えるでしょう。

 

電気自動車が各国の目標通りに普及するかどうかは予断を許しませんが、多数の自動車メーカーを生き残らせる日本政府の現状政策は皮肉なことに他の自動車先進国との格差を拡大させる恐れがあります。一時はガラケイで世界に存在感を示した日本製の携帯電話端末が、他国のスマホに駆逐(くちく)されて、壊滅状態に陥った悪夢が自動車においても再発しないとは限りません。日本産業の大黒柱である自動車業界を電気自動車で活性化させることは日本において喫緊(きっきん)の最重要課題であることは確かです。

2017年7月21日 (金)

驕り高ぶりの怖さ

人生の終盤に差し掛かると、これまでの様々な事柄が思い出されます。社会人になって無心に仕事に取り組んだ20年間、そして向かうところ敵なしと感じられた10年間が続きました。しかし、そこで私は目に見えない壁に突き当たることになりました。市場環境の急激な悪化(1997年のアジア通貨危機や2000年から2002年にかけての世界的なITバブルの崩壊など)に対処することができなかったのです。攻めには強くても、守りにはからきし弱いことが露呈したのです。

 

今思えば、自分自身が生み出した壁(限界)が災いしたのです。つまり、成功体験に裏付けされた自信そのものが、一転して自らの自由な発想を阻害するようになったのです。失敗することの恐れが理屈重視の姿勢となり、逆に正確な判断力を奪うことになったのです。それでいながら、自らの能力をもってすれば不可能はないはずだとも考え始めました。

 

しかし、現実は残酷です。私の思いとは裏腹に成果を挙げることはできなくりました。しかも、それまでは気にも止めなかった小さな障害が目に付くようになり、目標を達成できない理由をあれこれ数えることも。その結果、大きな失敗はしなかったものの、私の限界が顕在化しました。守りきる術(すべ)を持ち合わせていなかったのです。

 

歴史を振り返るともっと大きな事例に事欠きません。「驕(おご)る平家は久しからず」や仏教徒を弾圧し、天下統一を目指した「信長の高転び」、近代では中国戦線で手一杯であった日本がアメリカと開戦した太平洋戦争で惨敗したことなどが挙げられます。攻めには強いため、守ることが疎(おろそ)かであったと考えられます。いずれも自身の力を過信した結果、予想外の悲惨な結果が待っていた事例です。

 

人は自らの能力を過信しがちです。例え、卓越した能力を備えていても、物事が思うように運ぶとは限りません、ましてや、時の運に助けられて成功した場合は、流れが変われば、いずれは運も離れて行きます。成功体験が度重なると、自らのなかに「傲慢(ごうまん)」が知らずしらずに生まれます。これを自ら認識できるか否かで大きな違いが生じます。例え、それに気付いたとしても、手遅れであることが多いのです。

 

最近の世界は、これまでの常識からはかけ離れた、思いがけないことが起こっています。アメリカでのトランプ大統領の誕生、イギリスのEU脱退、フランスでは既存政党との関係を持たないマクロン大統領の選出と、彼が新たに立ち上げた政党が第1党になり、共闘する政党と合わせて過半数を上回る議席を締めたことなどかあります。英国でも政治基盤を盤石にしようとしたメイ首相が総選挙(6月8日)に打って出ましたが、思惑とは逆に与党が過半数を下回ったことで、メイ首相は厳しい政治状況でEUからの離脱交渉に臨むことになりました。

 

日本でも政界に激震が走っています。傲慢(ごうまん)な国会運営と閣僚の不適切な発言を首相が咎(とが)めなかった(実質的に擁護した)ことが選挙民の反発を買い、東京都議会選挙(7月2日実施)で政権与党が惨敗する一方、新しい政党が躍進して協力する政党と合わせて過半数を大幅に上回ったことはフランスと似ています。最近の共同通信社の世論調査(7月上旬実施)によると阿部内閣の支持率は50%代から半減して29.9%に急落し、ANNの世論調査(7月中旬実施)では29.2%、いずれも第2時安部政権発足以来の最低水準になりました。評判の良くないあのトランプ大統領の44%(就任100日目の4月現在)、36%(7月16日発表)よりはるかに低い水準です。

 

支持しない理由で最も多いのは、共同通信社の調査では阿部首相を信用できないというもの(67.3%)です。国のトップが国民に信頼されない状況は異常としかいえません。最近のテロ等準備罪法案の強行採決(6月15日)や森友学系・加計(かけ)学園問題の審議などにおける国会運営のやり方と国民への説明不足がその理由であることは明白です。このためか、政府の動きが慌(あわ)ただしくなりました。焦(あせ)りの現れなのでしょう。今回のことで、国民を軽視する姿勢は政府と政権与党への支持を著しく損うことが明白になりました。

 
これまでのように、耳触りの良い言葉(名詞・形容詞・副詞)を羅列(られつ)したり、成果を出せない目玉政策の看板を頻繁(ひんぱん)に架け替えたりするだけでは、国民の信頼を回復することは覚束(おぼつか)なく、さらに国民を失望させることに首相は気づいて欲しいものです。国民が望むことは『有言実行』 なのです。しかも、これまでのような「大言壮語」で煙に巻くことはもちろんのこと、弥縫策(びほうさく、注、一時逃れの方策)や美辞麗句(びじれいく)を並べることで事態を改善することは困難でしょう。そして、このままの状態が続けば、政治の混迷はさらに深まり、日本社会はさらに世界における地位(社会・経済・文化の質)を低下させ、衰退の道を突き進むことになりそうです。

 
その中で、週明けの7月24日(月)と25日(火)の両日には衆議院と参議院において安部首相が出席する予算委員会の閉会中審査で加計学園問題が審議されることになっています。今や安部首相の口癖となった「真摯(しんし)で丁寧(ていねい)な説明」の実現を国民が見守っていることは間違いありません。安部首相が本当に信用・信頼できる政治家であることを公開の場で示す「大一番」(絶好のチャンス)と言えるでしょう。この場において、「はぐらかし」や「責任転嫁」は「百害あって一利なし」であることは明らかです。安部政権にとっては「信用を挽回する好機」(最後のチャンス)である、言い換えれば政権発足以来「最大の危機」に直面しているのです。

 

歴史に学ぶまでもなく、このような状況を放置した責任を次の選挙で審判を受けるのは、国会議員を始め、国民(住民)から政治を預かるすべての議員たちなのです。(注、今夏は多くの地方選挙が予定されている) そして、一強体制がいつまでも続くものではないことに早く気付いて欲しいものです。つまり、議員先生も選挙で落選すれば我われ庶民と同じただの人になるのです。

 
驕(おご)り高ぶること、つまり傲慢であること尊大であることは、時代と世の東西を問わず、非常に怖いことなのです。

2017年7月 9日 (日)

テキサス州に注目する日本企業

7月6日、トヨタ自動車が北米新本社をテキサス州ダラス市近郊のプレーノ(Plano)市に移転しました。これまでアメリカのカリフォルニア州、ケンタッキー州、ニューヨーク市に分散していた本社機能(販売・製造・金融・コーポレート)を一か所に集中させたのです。約40万平米(東京ドーム8.5個分)の敷地に7棟のビルが建ち、従業員は4,000人規模になるようです。なぜテキサス州ダラス近郊が選ばれたのかと疑問に思われる方がいらっしゃるかもしれません。

 

実は、トヨタ自動車の他にもテキサス州に進出する日本企業が増えているのです。住宅関連では、大和ハウスがダラスに、積水ハウスが隣接するフォトワースに、そしてシェールガス関係では中部電力・大阪ガス・東京ガスなどのエネルギー企業がテキサス州南部へ進出することを進めています。ちなみに、テキサス州に進出している日系企業は約120社(現地法人が約190社)あり、従業員数1,000人以上の現地法人はトヨタ自動車のほか8社もあるそうです。これはカリフォルニア州の11社に次いで2番目に多いとのこと。2年前には100円ショップのダイソーが、昨年にはくら寿司もダラス市近郊にテキサス2号店(全米で12号店)をオープンしました。

 

テキサス州、中でもダラス地区が注目される理由を説明しましょう。先ず、法人税(地方税)がないことが挙げられます。(注、連邦税は全米すべての州で課せられる) 次いで、北米のほぼ中央に位置し、ハブ空港であるダラス・フォートワース空港(5つのターミナルがある世界で3番目の規模)が交通の要衝(ようしょう)であること。そして、土地・家賃・物価・税金(個人税)が安く、生活の質(Quality of Life)が高いのです。(注、個人所得についても連邦税のみで州税はないが、固定資産税(Property Tax)は2.17%で全米4位、消費税は8.19%で全米12位と高い、またテキサス州は全米で5番目に日本人居住者が多く、日本食の店も多い)

 

ちなみに、州内ではヒューストン市とサンアントニオ市に次いで人口が多く、ダラス・フォートワース大都市圏(ダラス郡を中心にコリン郡・カウマン郡・エリス郡・タラント郡など)の人口は500万人強。テキサス州は面積がアラスカ州に次いで全米第2位、人口と経済規模はカリフォルニア州に次いで全米第2位となっています。地理的には州のほとんどがグレート・プレーンズ(注、ロッキー山脈の東側に南北方向に続く台地状の大平原)とメキシコ湾平原であり、山らしいものは州西端(ニューメキシコ州に近い)のグアダルペ山脈(標高2667m)とメキシコとの国境であるリオ・グランデ川に近いビッグベンド山脈(標高2400m)だけといっていいでしょう。分かりやすくイメージで表現すれば、コロラド州・オクラホマ州などとともに西部劇の主要な舞台です。
 
 注、米国の郡(county)は州内を地理的区分する行政組織(日本の県に似ている)で、その下に通常自治体の市・町などがある。ただし、郡境は直線的に置かれることが多いため、ひとつの市が複数の群に属することがある
 
テキサス州の気候は、州の東部(ルイジアナ州とアーカンソー州寄り)は温暖・湿潤であり、中部はステップ気候(亜熱帯性乾燥気候)、西部の一部は砂漠気候(注、モナハンズ砂丘がある)、と3種類に大別できます。メキシコ湾で発生するハリケーンが上陸することは良くありますが、州の北部にあるダラスなどへ進むことはありません。ただし、北隣のオクラホマ州やカンザス州に近い北部では竜巻が良く発生します。そして、巨大な雷が季節を問わず頻発(ひんぱつ)すること、さらには今日本で話題沸騰の「火蟻(ひあり)」(英語名:Fire Ant)の巣をゴルフ場などで見かけましたが・・。

 

中でもコリン郡のプレーノ市はダラスから国道75号線(ノース・セントラル・エクスプレス)で北へ車で1時間弱、ダラス・フォートワース空港へ向かうダラス環状線の州道190号(大統領ジョージ・ブッシュ・ターンパイク、注、途中から州道161号線となる)と交差する場所にあります。高温かつ乾燥した地域との印象があるテキサス州にあって、年間を通して適度な降水量があり、巨大な溜め池(人口湖)がいくつも存在することで過ごしやすい気候なのです。また、州内では裕福なエリアであり(州平均:5万ドル、プレーノ市:8万ドル)、ヒスパニック系住民が多いテキサス州にあって、ヒスパニック系よりもアジア系の住民が多く、全米で最も優秀な公立学校区うであると言われます。
 
また、南隣(ダラス市との間)にある同じくコリン郡に属するリチャードソン市は、AT&Tやベライゾンなどの大手通信会社が多く、プレーノ市と同様、高級住宅地があり、住みたい街として人気があります。

 

大きく変貌を遂げつつあるプレーノ市をまた訪れてみたくなりました。私にとってのプレーノ市は、25年ほど前の5年間を家族とともに快適に暮らした、楽しい想い出がたくさん残る場所なのです。

2017年4月12日 (水)

中西輝政著『日本人として知っておきたい「世界激変」の行方』を読む

世界情勢が激動・激変し始めるとの認識について、-4か月前の当ブログの記事「日本が壊れて行く: 世界情勢の流動化と日本経済の先行き」と「汎アメリカ主義が復活する?」で触れて、EUからの離脱の可否を問うイギリスの国民投票において離脱が僅差で決まったこと、アメリカの大統領選挙で大方の予想に反して実業家のトランプ氏が大統領に選ばれたこと、中国を取り巻く地政学的・経済的なリスクが継続していること、そして韓国では政治的な大混乱(大統領の失職)が生じたことの4つを挙げました。最近になってその具体的な影響が連日のように報道されています。

 

世界情勢の動向についての理解をさらに深められる書籍を探したところ、PHP新書の最新刊『日本人として知っておきたい「世界激変」の行方』(中西輝政著、2017年1月)を見つけましたので、その要旨とポイントを紹介します。ちなみに、当ブログ記事「ビジョナリーカンパニー3 衰退の五段階」で京都大学名誉教授中西輝政氏の著作「なぜ国家は衰亡するのか」(1998年)を紹介しています。
 

                            ☆

 

本書のカバー裏書には、『<内容紹介> トランプ大統領の誕生と「孤立主義化」するアメリカ。覇権主義的動きを強めるロシアのプーチンと中国の習近平。激震のEU。「地獄のオセロゲーム」と化すアジア・・・。すべての構図は「グローバリズムの終焉」とそれに伴う「アンチ・グローバリズム」「オールド・グローバリズム」「ネオ・グローバリズム」という三勢力の相克から読み解ける。いま直面する「危機」を考えるとき、もはや日本は「普遍的価値」も捨てるときは捨て、自らの生存を最優先に考えねばならぬ――現在の世界を動かす大きな流れを読み抜き、日本人の覚悟を問う、刮目(かつもく)の書。』 と書かれています。

 

<要旨> 章ごとにキーワードとその説明を箇条書き風に列記します。注、かなり長くなってしまいましたから、興味を持たれた部分だけを拾い読みされることをお勧めします。

 

第一章 トランプのアメリカで世界に何が起きるか
 

●グローバリズムの終焉(しゅうえん)にともない、それがオールド(旧)とネオ(終末期の堕落形態)の2つに分裂し、アンチ(反)・グローバリズムの三者が「三すくみ状態」)になった状況が、トランプ大統領を生んだ

●アメリカが、建国以来の理想を捨て、「普通の国」としてひたすら国益を追求するトランプ

●トランプはポピュリストではなく、稀代(きだい)の戦略家であり、究極の現実守護者・ニヒリスト

●したがって、旧来の観念的な「普遍的価値」はもはや決定的に時代遅れ

●日本と日本人にとって最も重要な目標は「自立」の二文字

 

第二章 日露“北方領土”交渉と売国の危機
 

●日露交渉の「夢」と「悪夢」

●狂騒的な日露接近の契機となった「八項目の提案」

●北方領土問題の「理」は明らかに日本にある

●「サンフランシスコ平和条約で放棄」説は明確に誤り

●「二島返還」であれば、いつでも誰でも妥協できた

●「新しいアプローチ」の正体は日本の最も大切な立脚点を自ら放棄する交渉アプローチ

●日露接近では中国を牽制(けんせい)できない

 

第三章 介入か孤立か――パックス・アメリカーナの行方
 

●アメリカにとっての「理念」と「国益」は周期的に振れ幅が大きい

●積極的な外交政策である「対外不介入主義」と消極的な政策の「孤立主義」とは異なる

●初代大統領ジョージ・ワシントンが掲げた理念は民主主義を守るための「対外不介入主義」

●アメリカは「孤立主義」だけで生きていける国

●地球上でわれわれだけが普遍的な価値を守れるという殺し文句(理想主義のレトリック)で湾岸戦争に踏み切ったが、中東介入が挫折したことで民主主義が裏切られて「帝国への道」となった

●つまり、「アメリカの理念」はどちら向きにもなる

●パックス・アメリカーナ(アメリカの平和、冷戦後の世界に君臨)の三つの指標は「アメリカ経済の力強い回復」「テロとの戦い」「南シナ海に大きく膨張し続ける中国への対応(アメリカの掲げる航行の自由を守る戦略)」

●「米軍の抑止力」の本質は相手国とのあいだで武力衝突が起きないようにすることだけが目的であり、いったん衝突が起こればそこから先は別の段階(シナリオ)になるとする考え方

●第二次大戦後の世界秩序の崩壊: 中国の南シナ海域領有(軍事拠点化)、ロシアによるクリミア占領、北朝鮮の核武装化

●冷戦時代にソ連の封じ込め戦略を立案したジョージ・ケナンの慧眼(けいがん): ソ連の崩壊後、アメリカは、国力に余裕のあるうちに、常識的で持続可能な外交戦略に転換すべきと主張

 

第四章 「グローバリズムの限界」に直面し流動化する世界
 

EU(欧州連合)からの離脱を決めたイギリスは世界の激動の先導役となり、パックス・ブリタニカ(イギリスの平和、つまり世界の経済・政治秩序)が復活する

●グローバル経済の限界に気づきだした金融界

●民主主義の「敵」としてのグローバリズムがイギリスのEU離脱とギリシャの債務危機における国民投票を通して明らかになった

●アングロサクソンの覇権(はけん)を取り戻すための「嘘」がドルを基軸通貨とする金融グローバリズムである

●ソ連崩壊後の世界で、共産主義や全体主義、アジアの封建主義などを一掃し、「自由」「人権」「法の支配」といった普遍的価値観を再確立するシナリオが、湾岸戦争やイラク戦争、アフガン戦争などでイスラムをひどく圧迫したことで綻(ほころ)びが見え、世界が大きく乱れだした

●歴史を転換させた1979年の五つの出来事: イランのホメイニ革命、ソ連のアフガニスタン侵攻、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の母国ポーランド訪問、中国で鄧小平によって始められたる経済改革、サッチャー政権の成立(翌年はサッチャリズムに倣ったレーガノミクスも)

EUはアメリカが冷戦を戦うための「入れ物」(ヨーロッパのアングロサクソン化)だった、ASEAN(東南アジア諸国連合)、日米安保、NATO(北大西洋条約機構)なども同じである

●原理主義化した「グローバリズム」がもたらした破壊と混迷

●東西ドイツの統一(1990年)によって強大になったドイツを羽交(はが)い絞めに(つまり監視)するための逆張りがEUである

●サッチャーが直面した矛盾(ヨーロッパ統合への反対、貿易障害のない単一市場の利点、スコットランドの独立運動)は自身の失脚(1990年)につながった

●しかし、イギリスにはいわれるほどの「EU依存」はない: ヨーロッパで繁栄しているのはドイツとイギリスだけ

●「アメリカを動かせるイギリス」は安定の要: EUに加盟する東ヨーロッパはドイツ経済圏、西ヨーロッパにとって安全保障上の最大の脅威はイスラムテロとロシアの存在

●ドイツはロシアとの「相互理解」に向かう

●英米の「血の同盟」から見た世界: NATO、金融資本、グローバルな監視機構(インテリジェンス)

●ヨーロッパが再び「動乱の巷(ちまt)」と化す日: ドイツと東ヨーロッパ各国のロシア接近

EUの立ち枯れと形骸化(けいがいか)の動向は不可避

 

第五章 「地獄のオセロゲーム」化するアジア
 

●中露は相互の「核心的利益」を死守すべく結束した

●日米を引き離し、アメリカをアジアから追い出す

THAAD(高高度ミサイル防衛体制)ミサイル配備をめぐる中露と米韓の対立

●2016年6月、日本の海上自衛隊およびアメリカ海軍とともに海上共同訓練を行ったインドが上海協力機構に正式加盟する見通しとなったことは国際政治の常道である(不可思議ではない)

●国益のため日中を「秤(はかり)にかける」アジア諸国とアメリカの中国を見る「複雑な視線」

●日本の高度経済成長時代に唱えられた「雁行(がんこう)的発展モデル」は「鳶(わし)」の登場で四散する: 例、日本の後を追って経済成長を遂げようとしたASEANを中国が攪乱(かくらん)、南シナ海問題における対中包囲網の形勢が逆転して逆包囲網化

●日中に「両張り」するアメリカ: 政策決定に大きな影響力を持つのは国防総省(ペンタゴン)や国務省ではなく究極の国益であるドル基軸通貨体制の維持を主導する金融業界である

●ロシアとドイツが接近する悪夢はヨーロッパだけではなく、中露同盟とともに、歴史的(注参照)にも地政学的にも、悪夢の再来が濃厚になる恐れがある。注、ソ連のスターリンとドイツのヒットラーが電撃的に締結した独ソ不可侵条約

●中国とドイツが手を携える恐怖: 例、AIIB(アジアインフラア投資銀行)、一帯一路構想(21世紀の陸海シルクロード)、戦前ドイツが行った中華民国への人的・武器支援、中国市場におけるドイツ車フォルクスワーゲンの圧倒的な覇権

●イギリスがEUから離脱するとヨーロッパの最新軍事技術がフランスなどから中国に流れる危険性が高まる

●イギリスは今後、親中に動くかは不透明: 習近平主席の訪英(2015年)、中国の融資で中国メーカーによる原子力発電所の建設計画

●「中露独の三国同盟」に日米同盟は対抗できるか: 日本が清と結んだ下関条約(遼東半島の割譲)に対する「三国干渉」(1895年)はドイツが陰で中露双方を操って対日恫喝(どうかつ)の行動に出させたことを思い起こされる 注、三国目のフランスは孤立を恐れて参加した

 

第六章 これから十年、日本はどうすべきか
 

●国際社会のなかで生き残るためには、「早く見つけ」、「ゆっくり行動し」、「粘り強く主張し」、「潔く譲歩すること」が肝要である

●アメリカの方向性を決めているのは誰か: 国防総省でも国務省でもなく、ドライなニューヨークの現実主義であり、その代表的なのがウォール街やメディアである

●CFR(外交問題評議会)の対中戦略が親中から中国批判に変わってきた

●ヨーロッパのかつてない「極右化」を理解するにはそれぞれの国の「空気を読む」ことが不可欠

●中国共産党が経済危機を乗り越えた先の未来: 中国経済の落ち込みも2030年までには回復すると考えられ、同時に国防予算でアメリカを上回る、さらに2030年代にはGDPでも追い越す可能性がある

●日本は幕末の長岡藩が「重武装の局外中立」という路線を選択して失敗したことに学べ: 自力をつけることは大事だが、大勢(たいせい)を見て行動をすることも大事である 注、重装備とは英国製大砲などの最新兵器、局外中立は独立独行の姿勢

●「大きな底流」を見つけるための2つのシナリオを考察: アメリカが中国になびくシナリオではこの二国についていく、あるいはアメリカが中国との妥協に走り始めればもっと先を走る(いずれもリスクは高いが)

●大事なのはアメリカに「位負け」しないこと: 観念論ではなくプラグマティズム(実用主義)で国益を守ることは、「新しいパートナを増やす」「新しい時期がきたと肯定的に捉えて自立を目指す」、「このため大事なときだけアメリカの力を利用する」ことがひつようであるが、アメリカを利用するにはイギリスのように「位負け」しない外交が不可欠

●いまこそ突き抜けた歴史的思考を持て: 日本の針路をめぐる戦いの最大の激戦場は「戦後」への終着と「冷戦後」に固執する勢力が根強い「国内」であり、いかにそれらを正すかが肝要である。ちなみに判断を間違わせる大きな要因は、「新しい見方に惹(ひ)かれること(古い考えと決めつけること)」、「多くの人がそういっていることを根拠にすること」、「わが国に都合が悪いことは口にするなという集団主義的やタブー間隔に発する自己規制」など
 
                             ☆
 
 

<読後感> 「なぜ国家は衰亡するのか」の著者らしく、大局的(巨視的)な視点からの分析により「世界激変の行方」を大胆に分析して、その中で日本はどう対処すべきかを明快に提言する良書である。なかでも、パックス・アメリカーナとパックス・ブリタニカを歴史的視点から詳しく解説し、EUが設立された背景と冷戦が終了したあとの戦略におけるアメリカの失敗、EUの起源や意義、中露と独の関係(各国のパワーバランス)など学ぶことが多い。
 
世界に拡散した経済のグローバル化と民主主義が相容れなくなった事例として、イギリスのEU離脱(自国の独立性を選択)とギリシャのEU残留(EUの恩恵を受けるために自国の緊縮財政や行政サービスの削減などを受け入れた)を挙げて詳しく説明し、グローバルな自由経済主義がもはや限界に直面していることを容易に理解させてくれた。
 
<あとがきにかえて>崩れゆる世界秩序の項においては、いま世界はむしろ「よい方向に向かって動いている」のであると筆者が強調したことが印象的であり、次作においてはその先にある「もう少し素晴らしい新世界」について論じたいと思っていると締めくくったことは大いに期待が持てる。

2017年3月31日 (金)

映画『キングコング: 髑髏島の巨神』がついに公開された

新たなキングコング・シリーズである『コング:スカル・アイランド(Kong: Skull Island)』、邦題は『キングコング:髑髏島の巨神』が、先週土曜日(3月25日)に日本でも公開されました。この映画の舞台となったスカル・アイランド(髑髏島)は、キングコングや恐竜、巨大昆虫などが暮らす南太平洋の未知の島で、岩石層が髑髏(どくろ)の形をしていることから命名されたようです。ちなみに、キングコングは、1933年の第1作以降、続編や2005年のピーター・ジャクソン監督によるリメイク版「キングコング」でも描かれました。(オフィシャルサイトはこちらを参照)

 

昨年、ベトナムを訪れた時、ロケ隊がベトナムで撮影を行うと聞いた映画が完成したのです。ベトナムでは、北中部地方クアンビン省にある世界最大のソンドン洞窟や紅河デルタ地方クアンニン省にある世界遺産のハロン湾などでロケを行い、撮影する映像はキングコングの故郷の風景として使用されているようです。一昨年10月に撮影を開始し、米国のハワイとデトロイト、オーストラリアのクイーンズランドなどでロケを敢行。

 

ハリウッド版の『ゴジラ』を成功させたレジェンダリー・ピクチャーズとワーナーの両社が再び手を組んだこの新キングコング映画『コング:スカル・アイランド』のジョーダン・ヴォート=ロバーツ監督が今年に入ってベトナム観光大使に指名されたそうです。その理由はこの映画がベトナムの自然の美しさを世界各国にピーアールするチャンスになるからとのこと。

 

参考として、あらすじと登場人物を紹介します。『ベトナム戦争も終結を迎えつつあった1973年。秘密研究機関モナークは、未確認生物の存在を求め、太平洋に浮かぶ未開の孤島「スカル・アイランド(髑髏島)」に調査隊を派遣する。そこは、異形の怪獣たちが跋扈する先史時代さながらの危険地帯であった。彼らの前に突如姿を現した巨大なる「守護神」キングコング。本能と暴力が支配する原始空間の中で、人類たちは究極のサバイバルを強いられる。』

 

主人公は元SAS(英陸軍特殊空挺部隊)大尉で、ベトナムでは米軍の仕事を請け負うフリーランスの傭兵稼業でその名を知られていたコンラッド。ハイリスクな今回のミッションに対して、サバイバル術と追跡技術に優れた彼に白羽の矢が立つ。

 

ヒロインはベトナムで活動していた反戦カメラマンのウィーバー。戦争行為を正当化する政府の悪行を暴こうと活動していたが、髑髏島の調査ミッションには裏があると踏み、コネを駆使して「アテネ」号に乗り込む。

 

そして、主人公らと知り合って髑髏島の案内役となるのが太平洋戦争中に日本のゼロ戦との戦闘で相打ちとなり、見知らぬ島にパラシュートで不時着した戦闘機「P-51」のパイロット、マーロウ。共に墜落した日本人兵とは髑髏島で夢中で戦っていたその時、二人の元に30mをゆうに超える超巨大な類人猿が姿を現した。二人は「義兄弟」と呼ばれる程の絆となり、8回も脱出を試みるが、いずれも失敗する。

 

また、登場する巨大な怪物は、コングのほかに、スケル・バッファロー、バンブー・スパイダー、スポア・マンティス、リバー・デビル、スカル・クローラー、そして30m級でコングの最大のライバルであるスカル・デビル。

 

興味を持たれた方は映画館へ足を運んでみてください。CGで描かれたかいじゅう怪物とともに未開の地に設定されたロケ地の美しさを堪能することができるでしょう。

2017年3月23日 (木)

40年ぶりのミャンマー訪問(その3) 機内映画「ラ・ラ・ランド」を観ながらヤンゴン空港へ

12時50分ころ、飛行機は高度9100mで鹿児島県の屋久島上空(やや西寄り)を通過しました
 
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昼食のあとは入国カードに記入しながら、座席のスクリーンで話題のアメリカ映画「ラ・ラ・ランド(LA LA LAND)」(2016年作品、127分)を観て楽しむことにしました。アカデミー賞では13部門で14ノミネートされて前評判が高かったものの、結果は主演女優賞をはじめ、撮影賞・作曲賞など最多6部門で受賞しました。変わった題名は、”LA"つまりカリフォルニア州ロサンゼルスが舞台であることを意味するとともに、「おとぎの国」(ハリウッド)を指すようです。ネタバレがありますから、嫌な人は以下のあらすじを読み飛ばして下さい。
 
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[あらすじ]  渋滞する高速道路(空港から市内へ向かうフリーウェイ)のシーンで始まった。車から降りた大勢の若者が車の周りで踊りはじめるシーンは半世紀前の映画「ウエストサイド・ストーリー」を真似たよう。映画のタイトル”LA LA LAND”が表示されると元の大渋滞シーンにもどる。

 

まず、渋滞にイライラする男性、ついで近くの社内で書類を確認する女性がいる。売れない男性ジャズピア二ストのセバスチャンと女優志望の若い女性ミアだ。そして車の窓越しに一瞬だけ視線があった二人は偶然にも再会して知り合うことに。舞台はロスアンゼルス。男性が弾くピアノはもちろんアメリカが誇るスタインウエイ・アンド・サンズ製。

 

若い女性は青春ドラマのオーディションに参加できることになるものの、台詞(せりふ)を一言いっただけであっけなく不合格。春が訪れたころ、丘の上(グリフィス公園)で女性の車(プリウス)を探しながらの二人のシーン(歌とダンス)はその後の展開を期待させる。映画撮影所(ワーナー・ブラザーズ・スタジオ)のカフェでアルバイトをする女性に映画スタジオ内を案内される男性。ジャズバーと映画館でのデートで二人は熱く語りあい、夢を追う二人はやがて互いに惹(ひ)かれ合う。博物館のプラネタリウムでは星空の中で踊る二人。夏が訪れた。愛し合う二人は一緒に暮らしながらデートで音楽とダンスを楽しむ。そして、男性ジャズピア二ストが参加するバンドの舞台を観る若い女性の輝く顔をアップ。

 

秋が訪れた。ツアー公演を続ける男性との突然の再会に驚く女性。しかし、夢を巡(めぐ)って二人は言い争いになる。そして、男性は自らの劣等感から言ってはいけない言葉を女性にぶつけてしまう。レコード針がクリック音で曲の終わりを告げ(注、古い演出)、台所のオーブンからけたたましい警報音とともにモウモウと煙が出るカットは通俗的すぎる?!   深く傷ついた女性にさらなる困難が待ち受けていた。順調に進み始めたかと思われた女優への道にも試練が訪れたのだ。これに追い詰められた女性は、女優を目指す理由は単なる女優への憧れであり、毎回つまらない理由で駄目になると気落ちする。ミアは男性に別れを告げ津る。

 

それでも、何とか償(つぐな)おうとするセバスチャンの紹介でオーディションに挑戦するミア。それまでの拘(こだわ)りが吹っ切れたミアは自然体の演技(台詞と歌)が認められて・・。古い映画「フラッシュダンス」を想起させるシーンだ。男性も街に留まって好きな音楽を追求しながら店(ジャズハウス)を経営することを決心する。

 

冬が訪れ、そして5年後。ミアと新しい男性が小さな男の子と暮らすシーンが登場し、街頭に貼られたミアの主演映画のポスターがさりげなく写る。冒頭シーンと同様、大渋滞のシーン。夫と思われる男性と一緒にジャズハウスに立ち寄ったミアは店名の”SEB's” を見て驚く。それは以前彼女がセバスチャンに提案した店名だったからだ。

 

店内には好きなジャズピアノを弾く5年前に別れた男性、セバスチャンが。そして、ミアとセバスチャンは(冒頭で偶然出会ったシーンの続きとして)突然熱いキスを交わしたあと、絵本のようにカラフルな世界で楽しく踊る。窓の外には夜景が・・。二人のシルエットとダンスシーン、ジャズ音楽(トランペット演奏)、絵本の中に居るような二人のダンス。セバスチャンとミア、そして二人の子供は、すべては現実ではなく、パラレルワールドでの出来事(あるいは夢想)なのだ。夫とともに席を立つミアは、セバスチャンと一瞬だけ見つめ合って、微(かす)かながら思いの籠(こも)った微笑みを交歓してエンドロールに移ります。

 

[鑑賞後のコメント]  ミュージカル映画にしては「サウンンド・オブ・ミュージック」のように美しい音楽と歌が少なく、ダンスも「ウエストサイド・ストーリー」と較べて中途半端。主演の男優と女優は、決して美男と美女ではなく、どこにでもいる平凡な人間です。アカデミー賞が確実と前評判が高かった作品ですが、シーンとストーリーが交錯して難解なエンディングは賛否両論があると思われます。映画「2001年宇宙の旅」のように消化不良気味です。窓を開けると眼下には雲海が広がっていました。
 
                              ☆

 

さらに1時間が過ぎ(成田空港を出発して3時間半)、台湾の東を通過するころには雲海はほとんどなくなりました。真対気速度859km/h、対地速度857km/h、高度10,363m、外気温-41.0C。中国の海南(ハイナン)島の南からベトナムのダナン上空を通過し、そこから徐々に西へと方位を変えてラオスの上空を通過、タイ最東部のウボン(ウボン・ラチャタニ)上空を経たあとはわずかに北寄りの方位に転じ、コンケンでほぼ真西の方位に戻し、ピッサヌロークからヤンゴンへ向かいました。雲海が立ち込めていて、地上の様子を見ることができないため、機内映画をもう一作品観ることにしました。
 
                              ☆
 
題名にインパクトがある邦画「ボクの妻と結婚してください。」(2016年公開)は余命が6ヶ月と宣告されたバラエティ番組の放送作家の主人公が自分の死後に残される妻と小さな息子が笑顔でいられるのために妻の再婚相手を探すという奇想天外な人生最後の企画を実行しようとする話。私には可もなく不可もない(織田雄二ファンにはたまらないと思われる)作品でした。第三者から見て理想的な組み合わせと思われる男女が結ばれない結末は、意外性があるようでいて実は良くある成り行きであり、妻役の吉田羊さんとと再婚の候補者である原田泰造さんが好演をしたことが印象に残りました。つまり、吉田羊さんの夫への余りある愛情表現と原田泰造さんの飄々(ひょうひょう)とした演技に好感を持ったのです。注、樋口卓治氏の原作(2012年発刊)、内村光良主演で2014に舞台化と2015年にテレビドラマ化されている
 
                              ☆

 

国境付近にあるタノントンチャイ山脈/メーピン国立公園(Mae Ping National Park)を越えてミャンマーに入ると、眼下に巨大な川が現れました。サルウィン川(長さ2,815km))です。
 
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ミャンマーの主要河川であるシッタン川(全長500km)が注(そそ)ぐマルタバン(モッタマ)湾に差し掛かりました。ラッパ状の河口では土砂の堆積が進んでおり、船舶の航行はほとんどできないそうです。
 
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モッタマ湾横断した
飛行機は旋回しながら徐々に高度を下げます。
 
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ヤンゴン川の河口付近には広大なデルタ地帯(湿地帯と整備された田圃)が広がります。ちなみに、ミャンマーの三大河川は、支流チンドウィン 川を含むイラワジ(エーヤワディー)川、シッタン川、サルウィン川とのこと。注、ヤンゴン川はイラワジ川の分流
 
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ヤンゴン周辺に約20か所あるとされる工業団地のひとつ“Shwe Lin Ban Industrial Zone”には日系企業の工場もあるそうです。
 
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よく整備されたゴルフ場“YCDC Golf Couse”(1994年オープン)は池を活かしたコース設計になっているようです。
 
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いよいよヤンゴン空港(正式名称:ヤンゴン国際空港、所在地の地名から)に着陸します。ちなみに、成田空港からヤンゴン空港までの飛行距離は約5330km。この軍民共用の飛行場には滑走路が1本だけしかありませんが、長さ3,414m、幅61mですから、ほとんどの大型旅客機が十分発着することができそうです。
 
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フラップを上下に全開して急減速するころにはヤンゴン空港のターミナルが見えてきました。昔のままと思われる管制塔の右手にあるのは国際線の飛行機が発着する第一ターミナルです。昨年3月に完成し、夏ごろまでには多くの航空会社が利用できるようになったそうです。
 
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主滑走路から誘導路でエプロンへ向かいます。左手に主滑走路、右手(主翼の辺り)に主滑走路と平行する誘導路が確認できます。
 
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国際線用第一ターミナルの全景です。40年前のエキゾチックな小さなターミナルビルからは想像できない現代的で大きなターミナルビル(3階建)です。写真には写っていませんが、その右隣には第二ターミナル(2007年に完成した国際線用ターミナルで現在も使用中)と昨年12月に完成したばかりの国内線用ターミナルが並んでいます。40年前に訪れた時にはビルマ(ミャンマー)の寺院を模した小さなターミナル(50年近く前に完成、2007年から国内線専用)があったと記憶しています。ターミナル1の右脇ではその旧国内線用ターミナルの基礎部を取り壊す作業がまだ行われています。ちなみに、駐機する“MAI”と表示された飛行機はミャンマー国際航空(Myanmar Airways International)の近・中距離向け旅客機(エアバスA320、座席数150-180)。
 
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全日空NH0813便はシンガポールの子会社で地域航空会社の”SILK AIR”の隣(ターミナル1の右端)にある14番ボーディングブリッジ付近に停止しました。
 
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余談です。ミャンマーの巨大財閥であるアジア・ワールド・グループによって拡張工事が昨年完成したヤンゴン空港は従来の年間270万人の2倍以上となる年間600万人の旅客に対応できるよう設計されているそうですが、2022年には急増する需要がその許容量に達すると予測されるため、ヤンゴンの北東約70kmにあるパゴー地域に年間1200万人の受け入れ能力がある大型の新空港がシンガポールと日本の企業連合(JV)によって2022年までに建設される予定とのこと。(続く)

2017年3月17日 (金)

40年ぶりのミャンマー訪問: 「ミャンマーのビザ取得方法」

ビザの申請と取得は個人(自分)でもできますが、旅行代理店などが手続きを代行してくれます。自分で申請するのが面倒だと思う方は、ビザ料金のほかにサポート料(代行手数料)が一人当り3,000-8,000円掛かりますが、業者に依頼すると良いでしょう。以下は、自分でやってみたい方の参考として、私が実践した大使館に出向いて取得する方法と、大使館に出向くことが困難な方に便利な自宅からインターネット経由で取得する"e-Visa"についての手続き方法をできるだけ詳細にまとめたものです。

 

1. 大使館に出向いて申請・取得する方法(東京の大使館または大阪にあるミャンマー大使館公認ビザセンターの窓口を利用、郵送申請も可)

 

まず、日本にあるミャンマー大使館のホームページ(英文)にアクセスします。

 

 左欄の”Visa Information and Visa Form Download”をクリックして表示された一覧表の中から2項のTourist Visa(観光ビザ)について表の右端にある”Download”の中から”MS-Excel”あるいは”PDF”を好みに応じて選択(クリック)して様式(Form)をダウンロードします。あわせて、”SAMPLE”もダウンロードすると、申請書に記入する際の参考になります。

 

 Name in fullin Block letters)     姓名(アルファベットの大文字)

2 Father’s Name in full             父親の姓名(同上)

3 Nationality                   国籍 JAPANESE

4 Sex                      性別 MALEまたはFEMALE

5 Date of birth 生年月日           例、2 Jan 1950

6 Place of birth                 出生地 JAPAN

7 Occupation                  職業 例、OFFICE WORKER

  あるいは主婦 HOUSE WIFE

   8 Personal description

(a) Color of hair 髪の色            BLACK

(b) Height                身長   165 CM

(c) Colour of eyes           目の色 BLACK

(d) Complexion             肌の色 YELLOW

  9 Passport

(a) Number               パスポート番号

(b) Date of Issue            発行年月日 例、 1 JAN 2000

(c) Place Issue               発行地 TOKYO JAPAN

(d) Issuing authority           発行機関   MOFA(外務省)

(e)  Date of expiry           有効期間満了日 例、 1 JAN 2010 


  10 Present address in Japan          現住所
   

   11 Permanent Address            本籍地
 

   12 Contact Phone Number         電話番号 e-mail address (未記入可)
   

   13 Address in Myanmar           ミャンマーでの滞在先 XXX HOTEL
 

   14 Purpose of entry into Myanmar     渡航目的  SIGHTSEEING
     

   15 Detail Travel Programs in Myanmar   日程表(日毎の訪問地)
 
  

   16 Attention for Applicants                  注意事項を確認

 

     Date; 申請日            Signature of Applicant パスポートと同じサイン
 

 
なお、申請受付時間は平日の午前9時-12時(ミャンマーの休日を除く)で、添付するものは以下の通りです。
 

1) 本人のパスポート(6か月以上の有効期間)

2) ビザ申請者のカラー写真(45mm×横35mm 注、ビザ申請書に貼りつけ

3) パスポートの写真があるページのコピー

4) Eチケット(航空券)のコピー
注、在職証明書が必要との情報があるため、年金受給者である私は年金振込通知書のコピーを持参しましたが窓口で要求されず

 

上記に記載漏れなどの不具合が無ければパスポートの預かり証(支払うべきビザ料金と受け取り可能日が記載)が手渡されます。なお、バイオメトリックス機能を採用したことによるサービス料1000円はビザ申請時に窓口で現金で支払います(領収書が発行される)が、ビザ料金(4200円)は銀行振り込みで大使館が指定する口座に振り込む必要があります。大使館で直接受け取る時、または申請書を郵送する時にこの振り込み受証(原本)とパスポート預かり証を提出する必要があります。郵送の場合は返信用の書留あるいは簡易書留封筒(切手を貼ったもの)も同封することを忘れないでください。

 

注、指定された銀行と同じ銀行のカードを使ってもATMからは振り込みができなかった(注、銀行による)ため、銀行の窓口で振り込みの手続きをしました。ちなみに、ATMを使う振り込みは同じ銀行の同一始点であれば無料、他の支店へは108円。窓口での他の視点への振込手数料は通常324円ですが大使館宛のため300円(無税)です。

 

また、必要な手続き期間は前者が5営業日(1週間ほど)、後者は約3週間かかるとされていますから、時間的な余裕を持って申請することに留意してください。ちなみに、私の場合は金曜日の午前中に申請して、翌週月曜日の午後3時30分-4時30分に受け取ることができました。

 

[東京にあるミャンマー大使館へのアクセス]

 

JR山手線の大崎駅で下車。東口または南口から山手通りに出て、右手(東方向)へ緩やかな坂を下りて500mほど先の居木橋(いるきばし)交差点(目黒川)を渡り、神戸製鋼東京本社ビルと大崎MTビルの脇にある御殿山通りにはいる。急な坂を上りきると左手に小さな公園があり、右手の住宅街にエキゾチックな建物が見え始め、行き当たった丁字路(翡翠原石館前)を右折するミャンマー大使館がある。(大崎駅からは約800mの距離) 正門脇の通用門にあるインターフォンのボタンを押すと守衛が扉を開けてくれる。守衛所で名前と住所などを記帳してアネックス(手前の別館)に入ると待合所の正面に受付窓口がある。注、京浜急行の北品川駅からは約300mと近い
   

大使館へのルートの目印になる写真(左上から右方向へ)は、「大崎駅南口から伸びるペデストリアンデッキ」、「ゲートシティ大崎」、「山手通り」、「居木橋交差点」、「御殿山通り」、「ミャンマー大使館の遠景」、「ミャンマー大使館の入口」、「同本館(左)とアネックス(右)」
 
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2. インターネット経由でe-Visaを取得する方法

 

出発間近に申請する場合と東京または大阪の窓口に出向くことが困難な場合に有効な方法です。

 

まず、ミャンマー政府(労働・入国管理・人口省)のe-Visa”申請窓口のサイト(英文)にアクセスします。

 

 ビザの種類(商用/観光)、国籍、入国場所(空港名/検問所名)を質問されますので、それぞれの項目を選択して、その下の欄に表示されたセキュリティ確認の文字列(アクセスするたびに変化する)をそのまま入力します。大文字と小文字の区別に注意しましょう。

 

Visa Type : (種類) Toulist Visa(観光用)を選択

Nationality : (国籍) Japan」を選択

Port of Entry : (入国空港) Yangon International Airport」を選択

Security Verification : 「入力欄の下に表示された大文字と小文字の英字と数字」を入力

下部にある青いボタン「continue」をクリック

 

 次いで取得条件(Term and Condition)が9項目表示されますから、確認して”I Agree”のボタンをクリックする。

 

◯発行手数料は返却しない

◯観光ビザで働かない

◯ミャンマーの法律と規則を守る

◯法的処置はミャンマーの法律に基づく

◯ミャンマーの制限エリアに立ち入らない

◯承認レターを出してもビザを発行するとは限らない

◯承認レターの有効期間は発行から90日間

◯申請が却下されても却下理由は教えない

3日以内に申請結果を知らせる

 

上記を正確に理解し、無関係な活動を行わない

 

下部にある青いボタン「I Agree」をクリック

 

 個人情報(Personal Information)の確認)

 

Full Name : パスポートに記載した姓名

Nationality : (国籍) Japan

Gender : (性別) MaleまたはFemale

Date of Birth : (生年月日)

Country of Birth : (出身国) Japanを選択

Occupation : (職業)

Port of Entry : (入国空港)

Purpose of Entry : (入国空港)

Permanent Address : (パスポートに記載した本籍地)

Country : () Japanを選択

Postal Code : (郵便番号)

Accomodation Type : (ホテル) Hotel

Name and Address of Selected Accomodation in Myanmar : (ミャンマー国内の宿泊施設名と住所)

E-mail Address : (電子メールアドレス)

Retype E-mail Address : (再入力)

Cntact Phone : (電話番号) +81-(最初ね”0”を除く910桁の番号)

 

Pasport Information (パスポート情報)

 

Pasport No. : パスポート番号

Visa Type : (ビザの種類) Toulist Visa

Country of Issue : (発行国) Japan

Date of Issue : (発行日)

Date of Expiry : (失効日)

Are you travelling with Package Tour? If (yes) please fill -
 

Agency Name : (旅行代理店の名前)

Agency Cntact No. : (旅行代理店の電話番号)

 

Children Information

 

親のパスポートに記載された7歳以下の同行する子供

 

Minor Name : (名前)

Date of Birth : (生年月日)

Gender : (性別)

 

人数分を繰り返す

 

ビザ申請者のカラー写真(45mm×横35mm)をアップロードし、一番下にある青いボタン「continue」をクリックする。

 

確認画面をチェックして「confirm」をクリック

 

 ビザ発行手数料の支払いへ進んで、クレジットカードの情報を入力(注、観光ビザの場合はUS$50)すれば申請手続きは完了。配布された申請番号と支払い参照番号を進捗状況のページで入力して「under processing」と表示されれば、処理中であることを確認できる。

 

 ビザ申請用に入力したメールアドレスに承認レターが3営業日後に送られてくるので、発行から90日以内にミャンマーに入国しなければならない。旅行時にはそのコピーを持参して入国審査時に提出すればパスポートにビザ印を押印してもらえます。このために余白ページが2ページ以上あることと有効期間が6か月以上残っていることが必要です。

 

ちなみに、このビザ(e-Visa)により滞在可能な期間は最長28日となっています。

注、上記の情報は2017年2月か中旬現在
 

参考として、このサイトにアクセスしてデータを入力してみましたが、上記したように大使館でビザを申請しましたから、"e-Visa"は申請はしていません。

2017年3月14日 (火)

40年ぶりのミャンマー訪問: 「事前準備編」

ミャンマー(正式名称はミャンマー連邦共和国)は東南アジア諸国連合(ASEAN)に加盟する10か国のひとつで、アウンサン・スーチーさんが率いる国民民主連盟(NLD)が2015年の総選挙で勝利したことで、2016年3月に50数年続いた軍事政権から民主的な文民政権へ移行しました。(注、形式上は2011年に民政移行) ちなみに、日本では映画「ビルマの竪琴」(1956年公開、安井昌二主演)の舞台であったことから、ビルマの国名の方が知られているかもしれません。注、1985年に中井貴一さんの主演でリメイクされた

 

脇道にそれますが、「ビルマの竪琴」のストーリーと時代背景を説明します。

 

[ストーリー] 終戦間近の1945年7月、敗色濃厚で中立国のタイへ撤退する日本陸軍のある小隊では音楽学校出身の小隊長が隊の規律と団結を高めるため兵士に合唱を指導し、楽才のある水島上等兵はビルマの竪琴を演奏する人気者でした。敗戦を知った小隊長は敗戦を知らずに抗戦する他の部隊を説得するため水島上等兵を派遣。一方、小隊は降伏したイギリス軍の捕虜となって収容所に入れられる、そして、帰国が近づいたある日に水島上等兵によく似たビルマの上座仏教(昔は小乗仏教と呼ばれた)の僧が収容所のすぐ近くに現れる。イングランド民謡の「埴生の宿」と明治から昭和にかけての卒業式で歌われた「仰げば尊し」(アメリカの曲)が小隊の兵士とビルマ僧の間で交感される。

 

[背景説明] 中国(中華民国)との本格戦争(日中戦争、以前は支那事変と呼ばれた)に突入した日本は、連合国軍の中国(中華民国)への支援輸送ルート(通称:援蒋ルート)を遮断するため、日本陸軍が中国の広州(イギリスの植民地であった香港ルート)、仏領インドシナ(ベトナムのハイフォン-雲南省昆明ルート)に進駐し、次いでビルマ(ラングーン-昆明ルート)、さらにはインド北部のインパール(アッサム州-昆明ルート)を目指しましたが、いわゆるインパール作戦(1944年3月-7月)で補給が不十分であったため、日本陸軍は連合国軍に大敗(日本側戦死者2万人以上)してしまいます。

 

当ブログ記事で紹介しましたように、見聞を広めるためと称して会社から長期休暇の許可を得てヨーロッパへの観光旅行に出かけた翌年、41年前(1976年)にミャンマー(当時はビルマと呼ばれていた)を訪れました。初めての海外出張でしたが、2年間で3回におよび、滞在期間も都合2か月と長期になりました。その時の様子は「ビルマの竪琴」と「想い出に残る海外の旅行先」の記事を参照してください。

 
さて本題です。ミャンマーを訪れるための準備は、予防接種など特別なことは必要ありませんが、事前にミャンマーおよび訪問する場所についての歴史と、入国に不可欠なビザを取得する方法を説明します。
 

1.ミャンマーの歴史

 

例によって、ミャンマーの歴史を概観します。10世紀以前のミャンマーにはモン族やピュー人などの民族が住んでいましたが、唐の時代に中国南西部(雲南地方)の王国「南詔(なんしょう)」(738-902年)に滅ぼされてしまいました。その200年後の11世紀に雲南省の南詔国の支配下にあって中国西部(青海省付近)出身のチベット系ビルマ族が雲南省から南下してビルマで最初のパガン王朝を樹立。ビルマにおける勢力を拡大したパガン王朝は約250年後の13世紀にモンゴルの侵攻を受けて1314年に滅びました。

 

その後、内戦が起こりパガン王朝を建国したビルマ族の末裔(まつえい)によってタウングー王朝が建国されます。同王朝はビルマ内を平定するとともにタイのアユタヤ王朝や雲南の一部も支配しましたが、17世紀に入って衰退すると再興したペグー王朝(ビルマ族とタイ族の混血民族であるモン族とシャン族)によって滅ぼされてしまいます。1754年にはタウングー王朝の王が反撃してビルマを最統一してコンバウン王朝を建国し、南アジアで最強の王国となりました。

 

19世紀の3度にわたるイギリスとの戦争に敗れて1886年にイギリスの植民地になる前のビルマ(コンバウン王朝、1752-1886年)は東南アジアの大国でした。第二次世界大戦の末期(1943年)に日本軍の支援でイギリス軍を追い出してビルマ国が建国されますが、日本軍の敗色が濃厚となるとクーデターが起こり、イギリスの支配下に戻りました。

 

そして、二次世界大戦が終結した直後の1948年に独立した軍事政権は社会主義を標榜(ひょうぼう)して鎖国的な経済政策を継続したため誕生したビルマ連邦はアジアにおける最貧国のひとつになりました。2011年から解放政策を実施したことで、アメリカなどによる経済制裁が緩められ、他の東南アジア諸国に遅れて経済成長が期待される国(ラストフロンティア)として注目されています。注、1997年に東南アジア諸国連合(ASEAN)に加盟、国内では人口5500万人の約40%を占める多数の少数民族との間に問題を抱えている

 

2.訪問する都市

 

今回訪れることにしたのは、ミャンマー最大の都市(人口約250万人、都市圏人口は約500万人)で2006年まで首都であった(現在は州都である)ヤンゴン(1989年にラングーンから改称)、北部にある古都マンダレー、マンダレーの南西にある古都バガン(現在は地方の小都市になっている)の三か所です。ちなみに、現在の首都はヤンゴンの北方(ミャンマの内陸部)に新たに建設された都市であるネピドー。

 

ヤンゴンは海に近く、ミャンマーの重要な交易地として輸出拠点になっています。古くは6世紀にモン族が下ビルマに建設したシュエダゴン・パゴダを中心とする小さな漁村ダゴンでした。1755年にアラウンバーヤ王がダゴンを征服してヤンゴンと改名。1852年のイギリスとの戦争に敗れて、ヤンゴンと下(南部)ビルマを占領されます。イギリスはヤンゴンをラングーンに変更してイギリス領ビルマの中心地としてヤンゴン(ラングーン)川沿いに都市整備を行いました。1948年に独立すると植民地時代の多くの名前がビルマ的な名前に変更し、1989年にはラングーンをヤンゴンに名称変更されました。

 

マンダレーはヤンゴンに次ぐ第2の都市で、人口は約90万人(都市圏人口は約200万人)。イギリスに併合されるまではビルマで最後の王朝である「コンパウン王朝」(1752-1886年)の首都(1860-1885年)でした。バガン王朝の首都バガンが陥落するとその難民が流れ込むとタウングー王朝の初代王がこの地に王宮を建設してビルマ人の王朝を再興し、16世紀後半にはミャンマーの大半を支配下に置き、タイのアユタヤに侵入して属国としました。

 

さらにその勢力をミャンマーとタイの北方に拡大すると、中国の明王朝の柵封(さくほう、宗属関係)にあった多くの小国をその勢力下に入れたため、明王は軍隊を派遣してそれら地域を奪回した。明王朝に取って代わった清王朝に朝貢を始めた直後の1752年に第二次タウングー王朝は滅亡しました。これに取って代わったのが上述したコンバウン王朝(1752-1886年)です。

 

3.観光ビザ

 

ミャンマーについての説明はここまでにして、ミャンマーを観光目的で訪れるために必要なビザについて説明します。東南アジアにおいてミャンマーはカンボジアとともに観光のためであっても入国ビザが必要な数少ない国なのです。注、韓国、中国、台湾、フィリピン、香港、シンガポール、マレーシア、ベトナムとラオス、タイは指定された期間内の観光目的であれば不要です。なお、インドネシアは指定された空港から入国する観光客は30日以内の滞在であればビザが免除されますが、バリ島のデンパサール空港は指定空港ではないため、入国する際に簡単な手続きでビザを取得する必要がありました。

 

ミャンマーの観光ビザ(28日間有効)を取得するためには次の3つの方法があります。①在日大使館に出向いて申請する、②申請書を郵送する、③ネットでe-Visa(ETA)を取得して入国時にビザを取得する

 

①は短期間(約1週間)で取得できますが窓口が東京と大阪の2か所しかないことが不便であり、②は申請に出向く必要はありませが3週間ほどかかり、③は両者の利点を兼ね備えていますが入国時にも手続きが必要である(取得できる保証がない)ことが難点です。手続きに自信のない方は旅行代理店などの代行サービス(手数料3000~8000円)を利用すると良いでしょう。ちなみに、ビザの料金(大使館のサービス料1000円込み)は50ドルまたは5200円です。

 

いずれの方法もミャンマー大使館のホームページにアクセスして申請書をダウンロードして必要事項を記載するか、e-Visaの申請ページで必要事項を入力するだけで準備完了ですが、注意することはパスポートの有効期限(残り6か月以上)と未使用査証欄(2ページ以上)、証明写真(6か月以内に撮影した縦45x横38mmのサイズでカラー)、取得日から3か月以内に入国すること

 

次回はビザを申請・取得する方法について詳しく説明します。

2017年2月12日 (日)

高齢者による自動車運転を考える

交通事故はさまざまな対策が取られたことで事故数がピークに達した10年前の半数の水準まで低下(改善)された一方で、高齢者による交通事故、特に運転中に起こした事故が最近増えていることが、マスコミによって連日のように報道されます。交通事故の2件に1件、つまり半数が高齢者によることが耳目を集めているのです。

 

死亡事故では、高齢者が約3割を占めますが、年代別にみると、10代と80代が一番高く、次いで20代と70代、そして30代から60代までは大差がないという鍋底形の分布になっています。

 

また、65歳以上の男性ドライバーでは6割以上が中程度の認識症を抱(かか)えていることが日本老年医学会で報告されていますが、人は認知症だけではなく、加齢とともに運動能力が衰えることは避けられません。それも徐々に進行するため自身では気づきにくいのです。特に反射能力の低下は顕著といわれます。

 

一方、古い経験(なかでも良いこと)の記憶はいつまでも残りますから、現在の運動能力と経験記憶のギャップが拡大してしまうのです。つまり、昔は容易にできたことが今はなかなかできない状態に陥る一方で、逆に慢心(過剰な自信)が生まれます。しかも、それを自分で認識することはまれであることが厄介(やっかい)です。

 

高齢者による運転事故の原因は二つに大別できます。(注、認知症によるものを除く) それたは交差点での飛び出し事故と駐車場(あるいは料金所)におけるブレーキとアクセルの操作ミス(踏み間違い)です。自動車の運転に必要な基本行動は「認知」「判断」「操作」の三つですから、この行動に対応させて考えてみます。

 

前者の劣化要因として考えられるのは、「注意力散漫」、「判断力低下」、そして「視野狭窄(きょうさく)」などです。つまり、交差点を通過する時に必要な情報(交通信号、対向・横断・右折車両、歩行者など)を十分に収集および確認しないまま通過しようとすること、あるいは十分に収集したとしてもタイミング遅れ(あるいは不適切なハンドル操作)で通過しようとするケースです。出会い頭の衝突や一方通行区間を逆走して起こす正面衝突事故が代表例でしょう。

 

また、後者の事故原因は「運動能力の低下」によるペダルの踏み間違いに、あるいは踏み込む度合いを適切に制御できずに(強く踏みすぎて)運転者がパニックに陥ることです。コンビニの店内に突っ込む事故や立体駐車場から落下する事故などがこれに該当(がいとう)します。

 

以上の原因または要因を客感的に自己認識することは意外に難しいのです。ですから、助手席に乗る人(運転経験者)の意見を聞くことはかなり役立ちますが、最も有用だと考えられる方法はドライブレコーダーで撮影された運転状況の映像を再生して、自分の癖(くせ)や欠点を確認することです。

 

事故が起こった後、その原因を科学的に解明する手段としてはEDR(イベントデータレコーダー)と呼ばれる装置があります、この装置は事故の5秒前からの操作をデータとして記録することができます。

 

私は、車の加速または減速状況を確認しながらブレーキまたはアクセル・ペダルをゆっくり操作する(踏む)よう習慣付けることで、急な加速または減速を行わないように心がけています。この理由は快適さと安全性を重視するからなのです。最近になって、急な操作をしがちな運転者のために(フェイルセーフの観点から)、万一誤操作をしたとしても重大な事故を防止する仕組みが実用化されています。つまり、不適切なペダル操作による衝突事故を防止する技術としての安全運転支援システムです。

 

トヨタ自動車において、インテリジェントクリアランスソナー(ICS)という運転支援機能がいくつもの車種にすでに搭載されています。ICSはペダルの踏み間違いなどにより急発進した時には、バンパーなどに設置されたセンサーが障害物を検知して自動ブレーキを作動させる仕組みです。駐車場における暴走、あるいは交差点での信号待ち時や渋滞する道路の最後尾車両への追突を防止することが期待できます。

 

最後に、高齢者の運転に関心が集まり、その対策が検討されることは望ましいことですが、そのセンセーショナルな視点(高齢者による運転を罪悪視)に陥(おちい)るのではなく、「高齢者の自動車を運転する能力の個人差把握」「若年層が引き起こした交通事故の原因究明」「認知症患者の運転を制限するルール」などの総合的な対策が不可欠だと考えます。

 

長年、将来の夢として語られてきた自動運転については、ドライバーの責任において行われる加速・操舵・制動の実用化が数年後(2020年ころ)には、そしてシステムの責任で行われる自動走行システムは10年以内(2025年ころまで)に実用化(市場化)されると予測されています。

2017年1月23日 (月)

汎アメリカ主義が復活する!?

1月20日、アメリカの第45代大統領にロナルド・トランプ氏が正式に就任しました。大統領選挙期間中に、「アメリカ第一主義」「企業活動(雇用機会)のアメリカ本土回帰」「貿易不均衡を解消する関税障壁の強化」「不法移民・麻薬流入対策としての国境壁建設」など、汎(はん)アメリカ主義(いわゆるモンロー主義)を想起させる発言を繰り返してきた経緯から就任演説の内容が注目されていました。

 

やはり予測通り(あるいは変わるのではないかとのかすかな期待を裏切って)、1月20日(現地時間)に開催された就任式における演説でトランプ氏は選挙期間中と同様のスローガンを繰り返すだけで、政治理念は言うにおよばず、スローガンを実現するための具体的な政策を述べることはありませでした。また、ホワイトハウスのhpで6分野(エネルギー/外交/雇用・経済/国防/治安・移民/貿易)の基本政策を発表して、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)からの離脱と北米自由貿易協定(NAFTA)について再交渉することを表明しました。

 

そして、目立ったのはオバマ前政権の重要政策からの方針転換を強調するものです。大統領令を出して、医療保険制度改革(いわゆるオバマケア)の撤廃方針を指示しました。ただし、ひとつだけ含まれていなかったことがあります。それはドル高の主要原因として中国を為替操作国に指定することでした。あまりにも現実と乖離した(注、現状の中国は大量のドルを売って自国通貨、元の低落を押さえており、その結果としてドル安に貢献中)ステレオタイプ(思い込み)の考えを自覚し、悪影響(逆効果)を考慮せざるを得なかったからでしょう。

 

閑話休題。200年前に第5代大統領のモンロー氏が孤立主義(アメリカ大陸と欧州の相互不干渉)を提唱しました。その背景は北米大陸にあったスペインの植民の独立運動に対して反ナショナリズムのオーストリアやラテンアメリカに工業製品を売り込もうとするイギリスなどが干渉したことであり、それをアメリカに対する敵対行為とみなすというもので、モンロー主義とも呼ばれました。また、ロシアが当時ロシア領であったアラスカから南下することも警戒していたとされます。注、当時のアメリカは東部の19州からなり、それ以外の地域(深南部のフロリダ/ミシシッピー/アラバマとミシシッピー川以西、ただしフランスから買収したルイジアナを除く)はフランスとスペインなどの領土であった

 

その後も、スペインの植民地から独立したメキシコから分離独立したテキサスの併合に次いで、メキシコとの戦争に勝利したアメリカはメキシコの領土(カリフォルニア、ネバダ、ユタ、アリゾナ、ニューメキシコ、ワイオミング、コロラド)を割譲(かつじょう、所有物の一部を譲ること)させてアメリカ大陸での勢力拡大を図り、1898年にはハワイを併合し、グアムとフィリピン(1946年に独立)を獲得して太平洋全域にも進出しました。

 

このことから明らかなようにアメリカの孤立主義、つまり汎アメリカ主義は相互に干渉しない単純な一国主義(単独行動主義)ではなく、他国からの干渉を排除しながら、自国の利益(特に領土獲得)を周辺地域で最大化するご都合主義であったことが特徴的なのです。

 

このモンロー主義を堅持して国力を蓄えたアメリカは日本との太平洋戦争を機に第二次世界大戦に参戦し、戦後になると台頭していたソ連との冷戦により、孤立主義を放棄して、いわゆる「世界の警察官」として国際社会へ積極的に介入する覇権(はけん)主義へと方針を転換しました。主要な対戦国のひとつであった日本を望ましい体制の国(親米国家)にすることに成功して自信を深めましたが、その後は朝鮮、イラン、ベトナム、ユーゴスラビア、アフガニスタン、イラク、東部アフリカ諸国などへの軍事干渉・介入の事例は枚挙に暇(いとま)がありません。しかし、いずれのケースも失敗に終わったことで2013年ころからアメリカ国内と議会に孤立主義の考えが復活し始めたのです。

 

この潮流にうまく乗ったトランプ候補は当初、泡沫(ほうまつ)候補とされましたが尻上がりに支持を集めて、最終的には大統領に選ばれたのです。経済のグローバル化により凋落(ちょうらく)・貧困化した白人労働階級やグローバル化とは無縁であった中西部の地域住民の心を巧みに掌握(しょうあく)することに成功。劇場型の演出により、論理的な矛盾を覆い隠し、具体的な政策と実行可能性の論議よりも、従来とは違うことだけを強調することに終始しました。

 

さきに述べたように、トランプ政権が繰り返し述べたスローガンをどのように実現するのかはまだ不明であり予断を許しません。しかし、200年前のような領土拡大は困難としても、経済分野と軍事分野での覇権(はけん)を目指していることは先の宣誓式における演説とホワイトハウスのhpに掲載された6つの基本政策からみて明らかです。

 

これに半年先行する形で昨年6月にイギリスでおこなわれた国民投票でEUを脱退する意見が過半数を占めて世界を驚かせました。EUとの難しい交渉を行うことになったテリーザ・メイ首相の考え方はトランプ大統領のそれとは異なります(むしろ対極をなす)が、世界経済への影響という点では同等に重要であり、今年はこの二人の政治家の動きから目を離せません。注、トランプ大統領は最初の首脳会談の相手としてメイ首相を選択(1月27日の予定)

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