日記・コラム・つぶやき

2019年5月14日 (火)

「いきなり!ステーキ」で「300gのワイルドステーキ」に挑戦する

ソフトバンクが提供する5月のスーパーフライデーは「丸亀製麺」です。「かけうどん(並)」と「ぶっかけうどん(並)」(いずれも290円)のいずれかが無料で選ぶことができるものです。さっそく同居者と二人で近くの「丸亀製麺」の店に出かけました。「かけうどん」を選んだ同行者はトッピング(有料)に「大海老天」「れんこん天」「いかアオサかき揚げ(ミニ)」を選んだため、お皿の上は山盛りになっています。「ぶっかけうどん(並)」を選んだ私は、これに圧倒されて「野菜かき揚げ」だけに留めました。ネギとオロシ生姜(しょうが)を「かけうどん」にたっぷり振りかけて快調に食べ始めた同行者でしたが、懸念した通り、「れんこん天」を半分残したところでギブアップ! これまでとは逆のパターンですが、半分になった「れんこん天」を私が美味しくいただくことになりました。帰路の車中、同行者が言うには、『美味しかったわ! もし、来週も来るなら、貴方だけにしてね!!』 と満足そう。
 
2019_05100002
 

翌週初め、イケヤの港北店へ出掛けた折り、同行者の期待に応える形で隣接する「コーナン港北インター店」のフードコートにある「いきなり!ステーキ」で昼食を摂ることにしました。テレビの情報番組で「いきなり!ステーキ」が紹介された時に同居者が「ここへ行ってみたい!」と言ったことがあったことを思い出したのです。隣接地といってもかなり歩く必要がありそうですから、車で移動することにしました。「コーナン」の西側にある広い駐車場に車を停めて「コーナン」の建物に入りましたが、フードコートは見当たりません。店内の案内図で確認すると、フードコートは道路を挟んだ西側の駐車場と園芸店舗の先(北側)、ロピア港北インター店の手前にあることが分かりました。
 
2019_05090001  
2019_05090002
 

フードコー棟の前にある駐車場を抜けて高速道路のサービスエリアにあるようなフードコー「ジョワイユレスト」に入ると、6店舗が並んでいました。3年前の7月16日にオープンした比較的新しい施設は左手前から「サーティワン アイスクリーム(Baskin Robbins)、そば店「そば処 味奈愛庵」、「いきなり!ステーキ」、「Pepper Lunch(ペッパーランチ)」、「はなまるうどん」「幸楽苑」「ジョワイユ レスト」の順です。ちなみに、ステーキ専門店が2店並んでいますが、両店は同じ系列(ペッパーフードサービス)のようです。
 
2019_05090020  
2019_05090008
 
ちなみに、「いきなり!ステーキ」の店構えはイトーヨーカ堂大井町店とほぼ同じです。
   
2019_05090006  
2019_05090005
   

事前に心積もりをしていた私は迷わず一番人気といわれる「CABワイルドステーキ」(300g、ライス無、1290円+税)を注文しましたが、同行者はしばし逡巡(しゅんじゅん)したあとに「CABアンガスビーフ サーロインステーキ(1840円+税)」に決めました。そして、焼き方はお勧めのレアではなくミディアムレアを、ライスは小を選んでいます。ちなみに、店頭のパネルによるとCABはトップシェア36%の部分を指すそうです。
 
2019_05090010 
2019_05090003   
2019_05090009
 
初めて「いきなり!ステーキ」を訪れた同行者は勧められるままに「肉マイレージカード」にも加入。
 
2019_05090004
 
待つこと約15分で呼び出しベルが鳴り、受け取りカウンターへ向かいました。ちなみに、5月5日の「がっちりマンデー!!」でこの呼び出し器の名称が「ワンタッチコール」(茅ヶ崎市の株式会社パシフィック湘南製)であることが紹介されました。
  
2019_05090007
   
「CABワイルドステーキ」は見た目にも迫力がありました。厚めの鉄皿に載せられているため、目の前で確認しながら自分の好みに焼くことが。できます。野菜サラダとスープが付いていて、コスパの良いランチメニューとして人気があるようです。ドレッシングはカウンターに置かれた3種の中から好みに応じて選ぶことができます。カウンターで受け取った時から左端が掛けていたのは重さを調整するためにカットされたのでしょう。
 
2019_05090016
   
一方、味見をさせてもらった「CABアンガスビーフ サーロインステーキ」は前回「イトーヨーカ堂大井町店」で食べたままの美味しいステーキです。

2019_05090012 
2019_05090018
 
「ワイルドステーキ」は厚切り肉が表面だけを焼いたレア状態で提供されましたから、野菜サラダを食べながら、鉄製皿の上でしばらく焼くことにしました。厚切り肉のためか適当な大きさにカットされて提供されますので、頃合いを見計らって一切れを口に入れました。見た目以上に柔らかい弾力のある肉で、意外なほど噛み切りにくい肉でした。ネット上でのコメントには硬い肉であるとの評価が目立ちましたが・・。二切れ目からはおろしにんにくをトッピングした肉片にホットステーキソースをかけると味は濃くなりましたが、脂身のような柔らかな食感は相変わらずであり、食べ難(にく)い肉であることにがっかりしました。
 
2019_05090015
 
店頭ではどの部位かは明示されていませんのでネットで調べると、肩ロース(プレミアム・アンガスビーフ)であるとの書き込みを見かけました。しかし、筋が多いことからみて、筋切りがされていないカットしただけの肩ロースあるいはモモ肉かもしれません。次回は「ヒレステーキ」にしたいと思います。
  
 
同行者は「アンガスビーフサーロインステーキ」が気に入ったようで、「小ごはん」とともに早々に食べ終わり、食べ難い「ワイルドステーキ」に苦戦した私は少し遅れをとりましたが、それでも二人とも約20分で完食。同行者は目星を付けていたと思われる入口に一番近い「サーティワン アイスクリーム」でワッフルコーンに装われたナッツ入りでコーヒー味の甘いアイスクリームを購入し、さらにご機嫌になったようです。

2019年5月12日 (日)

又吉直樹著「劇場」を読む

又吉直樹氏の処女作「火花」に続く第二作である「劇場」(20175月新潮社刊)を読みました。文藝春秋社から発行された前作とは異なるモノクロの無機質な画を装丁した表紙を捲(めくる)と、『まぶたは薄い皮膚でしかないはずなのに、風景が透けて見えたことはまだない。(中略)あきらめて、まぶたをあげると、あたりまえのことだけれど風景が見える。』 という唐突な文章で本文が始まりました。
 

[粗筋]
 

8月のある午後、新宿から三鷹の家へと向かっている主人公の永田は代々木体育館の脇を過ぎたところにある画廊の前で見かけた若い女性に思わず声を掛けた。自分でも訳が分からないと思う言葉を交わすうちに永田は近くのカフェでアイスコーヒーをおごってもらうことになる。その女性は青森県出身の沙希(さき)、高校卒業後すぐに女優を目指して上京し、現在は服飾の大学にも通っているという。永田も問われるままに無名の劇団で芝居の脚本(ほん)を書いている大阪出身者であると答えた。
 

沙希を相手にくだらないことを長々と話した後、郵便局のATMで残金1万円を下ろした永田は適当な店に入って二人でパスタを食べた。夜の匂いがする公園通りを抜けて渋谷駅まで歩いたところで二人は別れる。連絡先を交換したものの電話をかける理由がなく、携帯電話でメールだけは何度か送ったが、内容はどうしようもないものばかりで、再会を果たせるかどうかが気がかりである。そして、永田には十月に下北沢の駅前劇場で公演を控えていることも不安の一つだった。
 

公演の準備に追われる永田は沙希とメール交換を続けてはいたが、脚本がほぼ完成したような気持ちになったことで、劇団仲間のアドバイスにしたがい、渋谷に家具を見にゆくことを口実にメールで沙希を誘う。渋谷の西武百貨店のあたりで午後五時に待ち合わせた二人はあてもなく歩き始める。驚いたことに沙希は美容師やら雑誌の編集者やらに信じられないほど声をかけられるが、知らない人と話したくない永田はそれらの人々を無視する。結局、適当な家具屋にはたどり着けず、夜になっても二人は歩き続けた。こうして二人の付き合いが始まる。
 

脚本を書き上げた永田は女役に沙希を起用することを決める。沙希のキャラクターが劇作家と一緒に暮らす女の役にふさわしいと考えたのだ。本番まで三週間しかなかないことで永田はさっそく沙希のアパートを訪れる。自室で原稿を読んだ沙希は意外なことに感動して泣き始めた。永田の提案に対して最初は『できないよ』 と言う沙希に永田はゆっくりと時間をかけて丁寧に説明する。そして、『やってみる』と沙希が口にした時には、窓の外が明るくなりはじめていた。(以下略)
  
 

[読後感]
 

演劇へ一途に取り組む永田と彼を見守りながら理解しようとする沙希との奇妙な出会いから数年にわたる交流が著者一流の文体で生き生きと表現され、永田の頑(かたく)なな性格によって次第に追い詰められて行く二人の精神状態の変化とついには避けられないエンディングへと繋(つな)がる様が見事に描かれている。前作に比べると、関西弁での会話が最小限に抑えられていることもあり、やっと私にも著者の卓越した文章力が理解できました。また、著者が持つ登場人物への暖かい思い遣りが行間から自ずと伝わったことも特筆すべき点でした。

2019年5月 9日 (木)

又吉直樹著「火花」を読む

文藝春秋社から2015年3月に発行された掲題の著作を読みました。同社の『文學界』2015年2月号にまず掲載されると現役の人気お笑いタレントが書いた純文学小説として話題を呼び、新人小説家の登竜門である第153回芥川龍之介賞(2015年上期)を受賞した中編小説です。(注、羽田圭介氏との同時受賞) 250万部を突破する超ベストセラーとなったこの作品を発行から4年が経過した今になって読もうと思った理由は特にありませんが、敢(あ)えていえば人気を博した作品への評価が大きく分かれたことに影響されて、読むタイミングを逸したことだと思います。
 

[あらすじ]
 

花火の観覧場所へ向かう人で賑わう熱海湾に面した沿道脇にある簡素な舞台の上で松永(主人公)とその相方のコンビ「スパークス」が漫才を披露しているが二人に気をとめる人は皆無である。後方の海では花火の爆発音が成りはじめたころに二人は舞台から降りて、控えとなる粗末なテントの中で最後のコンビ「あほんだら」とすれ違った時、その一人から「仇(かたき)とったるわ」との言葉を投げつけられた。「あほんだら」の漫才は大衆に喧嘩を売るような激しいもので主人公はそのコンビから目を離せなくなっていた。そして、「ギャラ貰ったから飲みに行けへんか?」と同じ人物が声をかけてきた。こうして知り合ったのが「あほんだら」の神谷(かみや)さんだった。東京で活動している僕は二十歳、大阪の大手事務所に所属する神谷さんは二十四歳。僕はなぜか型破りな神谷さんに弟子にしてくださいと頭を下げた。
 

会う機会がほとんどない二人は携帯電話で近況を伝えあうようになった。熱海の花火大会から一年が過ぎたが、「スパークス」は小さな劇場に出演するため、月一度のネタ見せと呼ばれるオーディションを受ける日々が相変わらず続いていた。それでも、少しずつ劇場での出番が増えていくに伴い、他事務所のライブにも呼ばれるようになり、劇場に足を運んでくれる人達に名前を憶えてもらえるようになった。そのころ、神谷さんが拠点を東京に移すことになる。劇場システムから零(こぼれ)れ落ちた人と同様に新天地を求めて東京に出てくることになったのである。周囲と上手く関係を築くのが不得意のようだ。
 
その神谷さんからのメールで私は住まいがあるという吉祥寺へ向かう。吉祥寺駅で落ち合った二人はいつの間にか井の頭公園に向かう人達の列に並んでいた。神谷さんは公園で太鼓のような細長い楽器を叩いている若者が気になったのか、やおら絡み始めた。それでも雨が降ってきたことで珈琲店に場所を変えると、神谷さんが漫才に関する持論を長々と展開する。
 
それから吉祥寺で毎日のように二人は会うようになった。そんなある日、泥酔した僕を神谷さんは家に誘った。押し問答の末、僕は神谷さんの後をついて行くと、吉祥寺通りを抜けてトラックばかりが通過する青梅街道を突っ切って富士見通りと中央通りから「西武鉄道 上石神井駅」前のロータリーに出た。神谷さんの住いは吉祥寺ではなかった。二人が着いたのはとあるアパートで、「真樹」という女性が住む部屋である。神谷さんはこの部屋に転がり込んでいるようだ。
 

年が明けて間もない頃、珍しく神谷さんから渋谷に呼び出された。スクランブル交差点を横断して、宇田川交番の近くにある居酒屋で女性たちと待ち合わせているようだ。男女が出会う飲み会に参加するのが初めての僕はかなり気遅れ(注、気後れとも表記)していた。神谷さんは僕や真樹さんと一緒にいる時よりも少し明るいように見え、飲み会は神谷さんの独壇場だった。井の頭線の終電近く、二人は吉祥寺へ向かった。下北沢と明大前で多くの人の乗降があり、永福町でも。吉祥寺に着いた二人は北口を出て、神谷さんの誘いで「ハーモニカ横丁」へ行く。
 

子供の頃からテレビで見ていた大師匠の訃報を聞いて僕はすぐにネタ合わせがしたくなって、高円寺の自宅から程近い公園に相方の山下を呼び出した。ネタを考えながら口で合わせる時は新宿の喫茶店。実際に立って合わせる時は、この公園が多かった。取りあえず、次のオーディションでやる予定のネタを合わせてみたが、あまり上手く行かない。繰り返し何度もやってみたが、いつも以上に噛み合わない。お互いのテンポがまるで合っていないのだ。いつまで経っても僕達には自分達のリズムというものが見つからないのだ。そして二人は言い争いになる。(以下省略)
   

[読後感]
 

著者の又吉直樹氏は大阪府寝屋川市(北河内)出身のお笑いタレントで、相方の綾部裕二(茨城県古河市出身)とお笑いコンビ「ピース」を結成して活躍(現在は活動休止中)。又吉氏の生い立ち(大阪府出身)とお笑いタレントとしての経歴が十二分に反映された小説だといえるでしょう。
 

本書の特徴となっているポイントを私なりに列挙すると、①一人称で書かれている、②多用される関西弁(大阪弁)による芸人同士の会話を通して人物描写と心情表現が行われる、③芸人である著者の考え・心情を登場人物に語らせている、④豊富な語彙(ごい)と長文を自由に操る優れた文章力で書かれている、となりますが、これらの特徴が中編小説「火花」の評価を二分させているともいえるでしょう。特に、④の文体が芥川賞に相応しい水準であるか否かを疑問視する意見があるようです。
 

しかし、純文学に馴染みのない私はその文体の是非についてコメントすることはできませんが、②と③はこの作品の大きな魅力であると感じました。また、エンディングへと至る後半のストーリー展開も著者の並々ならぬ才能を反映していると思いました。乱暴な意見ですが、私には「火花」が上方漫才の手法を用いて書かれた中編小説のように思われてなりません。
 
題名が「火花」であることも私の心に引っ掛かりました。冒頭の場面と最後の場面はともに熱海の「花火」大会を背景としていることから「花火」で良かったのではという疑問です。一方、主人公「徳永」が結成していた漫才コンビの名は「スパークス」(火花)で、こちらは「ぱっと出てぱっと消える」ことを意味しており、この漫才コンビの行く末をそのまま予言しています。ちなみに、報道によればこの題名は文学界の編集部サイドから提示されて、又吉氏が気に入って受け入れたものだそうです。つまり、この小説に出てくる芸人は花火の中の1つの火花みたいな存在という意味があるそうです。
 

又吉直樹氏の「火花」は芥川賞よりも直木賞のほうが相応しいのではないかと思った私は第二作の中編小説「舞台」も読んでみることにしました。
   

[参考情報]
 
公益財団法人日本文学振興協会のhpによると芥川賞と直木賞は次の通り説明されています。
 

芥川賞(正式には芥川龍之介賞)は文藝春秋の創業者・菊池寛(明治21年~昭和23年)が、友人である芥川龍之介(明治25年~昭和2年)の名を記念し、直木賞と同時に昭和10年に制定しました。雑誌(同人誌を含む)に発表された、新進作家による純文学の中・短編小説のなかから、最も優秀な作品に贈られる賞です。
 

直木賞(正式には直木三十五賞)は同じく友人である直木三十五(明治24年~昭和9年)の名を記念し、芥川賞と同時に昭和10年に制定しました。新進・中堅作家によるエンターテインメント作品の単行本(長編小説もしくは短編集)のなかから、最も優秀な作品に贈られる賞です。

 

少し噛み砕いて説明すると、両賞はそれぞれ純文学と大衆文学の作品を対象としている点に違いがあります。また、前者は「芸術性」と「形式」を重んじる小説で、主に文章の美しさや表現鵜の多彩さが評価され、後者は「娯楽性」と「商業性」を重んじる小説で、読んで楽しいと感じるエンターテイメント小説とされます。また、対象なると作者については、前者が無名~新人であり、後者は無名~中堅と微妙に異なり、両賞を同時に受賞することはできません。

2019年5月 6日 (月)

菅野仁著「友だち幻想」を読む

筑摩書房から2008年3月に出版された掲題の新書(2018年4月初版第25刷)は『人と人の〈つながり〉を考える』 を副題としています。インターネット、なかでもSNSの普及によって急速かつ大きく変わったといわれる「人と人の繋がり」を考える上での参考になることを期待して、気軽な気持ちでこの本を手に取りました。
 

その裏表紙には『友だちは何よりも大切。でも、なぜこんなに友だちとの関係で傷つき、悩むのだろう。人と人との距離感覚をみがいて、上手に〈つながり〉を築けるようになるための本。』 とあります。ちなみに、目次は次の通りです。
  
 

[目次

はじめに― 「友人重視指向」の日本の高校生

第1章 人は一人では生きられない?

第2章 幸せも苦しみも他者がもたらす

第3章 共同性の幻想――なぜ「友だち」のことで悩みは尽きないのか

第4章 「ルール関係」と「フィーリング共有関係」

第5章 熱心さゆえの教育幻想

第6章 家族との関係と、大人になること

第7章 「傷つきやすい私」と友だち幻想

第8章 言葉によって自分を作り変える

あわりに――「友だち幻想」を超えて
   

[出版社からのコメント]

本書は、もともとは2008年に社会学を専門とする著者が人間関係で初めてつまずきを感じる多感な年頃の中・高校生に向けて書いたものです。他者との距離感についてもう少し敏感になることで、もっと豊かな関係を築くことができると説いています。今では学生だけでなく、老若問わず深く共感する声が多数寄せられています。と同時に、初学者向けに社会学を紹介するテキストとしても定評があり、中学から大学の課題図書や入試問題文としても繰り返し使われています。 
   

[要旨]

著者は「はじめに」から第1章と第2章において、友だちや人との付き合い方、つまり人間関係とは何かを教育者としての知見に基づいて分析し、『友だちは何よりも大切。でも、なぜこんなに友だちとの関係で傷つき、悩むのだろう。』 という疑問を取り上げた。つまり、過剰な〈つながり〉がもたらす息苦しさに目を向けたのである。かつての「ムラ社会」が貨幣が浸透するとともに変質し、お金さえあれば一人で生きることが選択可能と思われるようになったことで、逆に人のつながりが大切になっているが、 『一人は寂しい』 との感覚があると著者はいう。そして、「親しさを求める作法」が昔と違い、人と人のつながりには「利益をを得ようとする場合」と「つながることそのものが目的である場合」の2つがあると分析し、後者には「幸福そのものの歓び」と「他者から承認される歓び」(脅威の源泉になる場合も)があるという。
   

第3章では教育界でこれまで常識とされた共同性、つまり 『みんなと仲良くしなければいけない』 といったような人間関係の常識が幻想であったことを明らかにし、同調圧力により友情が強迫になることがあり、それとどう折り合いをつけるのかが課題となることを事例で紹介。つまり、「同調性」から「併存性あるいは共在性」(やりすごすという発想)へ発想転換することの意義を述べた。また、第4章では「ルール関係」(自由のために必要であるが最小限が望ましい)と「フィーリング共有関係」(負の部分がある)の考えを提起して人間関係の多様性を捉え、第5章では教育界で定着する上記の共同性が思い込みであることを明示し、「村社会的な人間関係」や「話せば分かる」はもはや幻想であると指摘した。
 

以上の検討結果を踏まえて、第6章と第7章で成長過程にある子供たちが家族(定位家族)との関係を通して人と人の関わりを学ぶ過程において他者と適切な距離を取ることが重要であることを詳しく解説した。つまり、他者を100%理解して受け入れることは極めて難しいことはもちろん、逆に「自分を丸ごと受け入れてくれる人がきっといる」 と考えることも現実的ではないと分析し、他者との関係を共有関係あるいはその真逆である拒絶関係として捉えるのではなく、相応の距離を保つ能力の重要性を明らかにして、社会人となる前にその能力を取得する必要性を指摘。つまり、人と人との距離感覚をみがいて、上手に「つながり」を築くことが生きていくために大切なことであると著者は言う。

 

第8章では相手の働きかけに対してきちんとレスポンスすることの重要性と他者とのコミュニケーションを阻害する言葉である「ムカツク」「うざい」「ていうか」「チョー」「カワイイ」「ヤバイ」「キャラがかぶる」「KY(空気読めない)」などの危険性に言及した。そして、「他者とのつながり」に必要な情緒や論理の深度を深める言葉を増やすためには読書が一番の早道だと指摘した。つまり、「言葉によって自分を作り変える」ことの有用性である。最後は、『他者への恐れの感覚や自分を表現することの恐れを多少乗り越えて、少々苦労して人とぶつかり合いながらも理解を深めることで人とつながることができるようになる。』 と締めくくった。
   
[読後感]

成長過程にある中高生だけではなく、様々な世代の社会人、そして豊富な経験を積んだ高齢者においてさえ難しい人間関係を根本から見直し、その改善策である「他者との適切な距離感を取る(敏感になる)こと」と「情緒を共振させながら他者との交流を通して生を深く味わうこと」の有用性を提示することで、生きる上で大切な「人との良いつながり」を可能にする手法を解説する実用的な良書です。

2019年5月 3日 (金)

ユヴァル・ノア・ハラリ著「ホモ・デウス 〜テクノロジーとサピエンスの未来」(下巻)を読む

株式会社河出書房新社から2018年9月に出版された掲題のハードカバー本(下巻)の要旨をまとめてみました。ちなみに、下巻の目次は次の通りです。

6章 現代の契約
銀行家はなぜチスイコウモリと違うのか?/ミラクルパイ/方舟シンドローム/激しい生存競争

7章 人間至上主義
内面を見よ/黄色いレンガの道をたどる/戦争についての真実/人間至上主義の分裂/ベートーヴェンはチャック・ベリーよりも上か?/人間至上主義の宗教戦争/電気と遺伝学とイスラム過激派

2部 ホモ・サピエンスが世界に意味を与える

8章 研究室の時限爆弾
どの自己が私なのか?/人生の意味

9章 知能と意識の大いなる分離
無用者階級/八七パーセントの確率/巫女から君主へ/不平等をアップグレードする

10章 意識の大海
心のスペクトル/恐れの匂いがする/宇宙がぶら下がっている釘

11章 データ教
権力はみな、どこへ行ったのか?/歴史を要約すれば/情報は自由になりたがっている/記録し、アップロードし、シェアしよう! /汝自身を知れ/データーフローの中の小波

謝 辞

訳者あとがき
 
 
[要旨]
 
第2部の後半部である「第6章 現代の契約」では現代における力の追求を取り上げ、「第7章 人間至上主義革命」では人類がしだいに大きくなる力をどのように使って宇宙の無限の空虚さの中になんとか再び意味をこっそり持ち込もうとしてきたかを考察した。

まず、現代の契約とは人間に途方もない誘惑と桁外れの脅威を抱き合わせで提供する。そして、現代における力の追求は科学の進歩と経済の成長の間の提携を原動力としているとも。それまでは、科学がゆっくり進歩し、経済は完全な凍結状態にあった。したがって、人々は経済が成長すると信じていなかった。世界は決まった大きさのパイであるという伝統的な見方は、世界には原材料とエネルギーという2種類の資源しかないことを前提としていた。

だが実は、資源には3種類ある。原材料とエネルギーと知識だ。最初の2つは限りがあり、使えば使うほど残りが少なくなる。それに対して、知識は増え続ける資源で、使えば使うほど多くなる。これに気づかなかった理由は、この世界が提供しうる重要な知識はすべて聖典や古代からの伝承の中に含まれていると信じていたからだ。しかし、人類は科学革命によって、この素朴な思い込みから解放された。科学の助けを借りて、これまでよりもはるかに多くのエネルギーと原材料を思いのままにしており、生産は急激に増えている。蒸気機関や内燃機関やコンプューターなどの発明から新しい産業がいくつも誕生した。

20年先にはナノテクノロジーや遺伝子工学やAIがまたしても生産に大革命を起こすことは確実だ。したがって、資源の欠乏という問題を克服する可能性は十分ある。現代の経済にとって真の強敵は生態環境の崩壊だ。たとえ経済の破綻と生態環境のメルトダウンの両方をなんとかかわせたとしても、さまざまな大問題を引き起こすだろう。現代社会の崩壊から人類を救出したのは需要と供給の法則ではなく、革命的な新宗教、すなわち人間至上主義の台頭だった。

人生の意味も神や自然の法もない生活への対応策として登場した人間至上主義は、人間性を崇拝し、キリスト教とイスラム教で神が、仏教と道教で自然の摂理がそれぞれ演じた役割を、人間性が果たすものと考えである。つまり、これまでのように宇宙の構想が人間の人生に意味を与えるのではなく、人間の経験が宇宙に意味を与えるのが当然だと考えを反転させた。

過去2世紀にわたる世界観であった人間至上主義は3つの主要な宗派、自由を重視する正統派の人間至上主義、社会主義的な人間至上主義、ナチスを最も有名な提唱者とする進化論的な人間至上主義に分かれた。1914年から1989年まで3つの人間至上主義の宗派間で宗教戦争が猛威を振るい、最初は自由主義が敗北を喫したが、第二次世界大戦では自由主義の大勝利となったが、ドイツ軍を打ち負かしたのは自由主義陣営がソ連と手を結んだからだ。そして、社会主義的な人間至上主義はソ連から東欧や中国へと広まった。

1975年、自由主義陣営は最も屈辱的な敗北を喫した。ヴェトナム戦争が北ヴェトナムの勝利で終わり、共産主義は南ヴェトナム、ラオス、カンボジアを相次いで掌握した。これにより、社会主義陣営が自由主義陣営を上回る勢力となったが、南欧で独裁者政権が倒れ、インドでも民主主義が復活し、1980年代には東アジア(中華民国・韓国)とラテンアメリカ(ブラジル・アルゼンチン)などで軍事独裁政権が民主的な政権に取って代わられたことで自由主義陣営が冷戦で決定的な勝利を収め、人間至上主義の宗教戦争の趨勢が決まった。ソ連が内部崩壊し、東欧と旧ソ連の共和国の多くが自由主義政権となったことは世界の他の地域(ラテンアメリカ・南アジア・アフリカ)にも広がった。

しかし、著者は21世紀に人間が不死と至福を人間至上主義の文明が最大化するとしても驚くまでもないと言いつつも、夢の基盤を損なう恐れを、「第3部 ホモ・サピエンスによる制御が不能になる」で述べる。

「第3部 ホモ・サピエンスによる制御が不能になる」のポイントは、人間はこの世界を動かし、それに意味を与え続けることができるか? バイオテクノロジーとAIは、人間至上主義をどのように脅かすか? 誰が人類の跡を継ぎ、どんな新宗教が人類至上主義に取って代わる可能性があるのか? であることをまず示唆した著者は最後の第3部を紐解き始めた。

第8章 研究室の時限爆弾

2016年の世界は、個人主義と人権と民主主義と自由市場という自由主義のパッケージに支配されているが、21世紀の科学は自由主義の秩序の土台を崩しつつある。自由主義も他のあらゆる宗教と同じで、抽象的な倫理判断だけではなく、自らが事実に関する言明と信じるものに基づいているが、それらは厳密な科学的精査には到底耐えられないのだ。自由主義者が個人の自由を重視するのは、人間には自由意志があると信じているからだ。しかし、自由意志と現代の科学との矛盾は研究室の持て余し者であり、多くの科学者はなるべくそれらから目を逸らしている。しかし、サピエンスのブラックボックスを開けると、魂も自由意志も「自己」も見つからず、遺伝子とホルモンとニューロンがあるばかりで、それらはその他の現実の現象を支配するのと同じ物理と化学の法則に従っていた。

自由へのとどめの一撃を加えたのは進化論だ。自由意志という概念を受け容れることができない。人はこのような科学的説明を突きつけられると、自分は自由だと感じていることや、自分自身の願望や決定に従って行動していることを指摘する。もし「自由意志」とは自分の欲望に即して振る舞うことを意味するのなら、たしかに人間には自由意志がある。

だが、肝心の疑問はその欲望を選ぶことができるかどうかだが、科学は自由意志があるという自由主義の信念を崩すだけではなく、個人主義の信念も揺るがせる。人間は分割不能な個人ではない。さまざまなものが集まった、分割可能な存在なのだ。例えば、右脳と左脳には情動的な違いと認識的な違いがあることが多くの実験で明らかになっている。また、経験する自己と物語る自己が緊密に絡み合いながら存在することも。そして、物語る自己は経験する自己の経験を使って物語を創造する。

とはいえ、必ずしも物語る自己が優位とは限らず、物語る自己が練り上げた計画を台無しにすることがよくある。しかし、私たちのほとんどは自分を物語る自己と同一視する。つまり、私たちが「私」というときには、自分がたどる一連の経験の奔流ではなく、頭の中にある物語を指している。例え、何度となく書き直されて、今日の物語で生涯変わることのない単一のアイデンティティがあるという感じをつねに維持するのだ。これが分割不能の個人である。

第9章 知能と意識の大いなる分離

前章では自由主義の哲学を切り崩す近年の科学的発見を眺めたが、本章ではその実際的な意味合いを考察する。自由主義が支配的なイデオロギーとなったのは、たんにその哲学的な主張が最も妥当だったからではない。むしろ、人間全員に価値を認めることが、政治的にも経済的にも軍事的にもじつに理に適っていたからこそ、自由主義は成功したのだ。しかし、21世紀には、自由主義は自らを売り込むのがずっと難しくなるだろう。過去には人間にしかできないことがたくさんあった。だが今ではロボットとコンピューターが追いついてきており、間もなくほとんどの仕事で人間を凌ぐかもしれない。人間は経済的な価値を失う危機に直面している。なぜなら、知能が意識と分離しつつあるからだ。

21世紀の経済にとって最も重要な疑問はおそらく、厖大な数の余剰人員をいったいどうするか、だろう。これは新しい疑問ではなく、産業革命が勃発して以来、人々は機械化のせいで大量の失業者が出ることを恐れてきた。ところが、そういう事態にはならなかった。新しい職業が誕生し、機会よりも人間のほうがうまくこなせること(認知的技能が必要な仕事)がつねにあったからだ。

また、21世紀の新しいテクノロジーは、人間至上主義の革命を逆転させ、人間から権威を剥ぎ取り、その代わり、人間ではないアルゴリズムに権威を与えるかもしれない。ハイテクの権威たちが、神とはおよそ無縁でテクノロジーがすべてである素晴らしき新宗教を私たちのために生み出しつつある。こうした新しいテクノ宗教は、テクノ人間至上主義とデー教という、2つの主要なタイプに分けられる。データ教によると、人間はこの世界における自分の任務を完了したので、まったく新しい種類の存在に松明(たいまつ)を手渡すべきだという。もう一つはより保守的な宗教であるテクノ人間至上主義である。

この宗教は依然として、人間を森羅万象の頂点とみなし、人間至上主義の伝統的な価値観の多くに固執する。はるかに優れた人間モデルであるホモ・デウスを生み出すために、遺伝子工学やナノテクノロジーやブレイン・コンピューター・インターフェースなどのテクノロジーを使うべきだと結論する。つまり、人間は自分の頭脳を積極的にアップグレードしなければならないという。しかし、人間の意志がこの世界で最も重要であると考えているため、その能力をどう使えばいいのか分からなくなり、どうしようもないジレンマに直面する。

一方のデータ至上主義は、森羅万象がデータの流れからできており、どんな現象やものの価値もデータ処理にどれだけ寄与するかで決まる。生物化学では生き物を生化学的アルゴリズムとして考えており、コンピューター科学者はしだいに高性能の電子工学的アルゴリズムを設計できるようになった。データ至上主義はこれら2つをまとめ、まったく同じ数学的法則が生化学アルゴリズムにも電子工学的アルゴリズムにも当てはまると指摘する。そして、動物と機械を隔てる壁を取り払う。そして、ゆくゆくは電子工学的なアルゴリズムが生化学的なアルゴリズムを解読して、それを超える働きをすることを見込んでいる。

データ至上主義の視点に立つと、人類という種全体を単一のデータ処理システムとして解釈し、一人ひとりの人間はそのシステムのチップの役目を果たす。そして、このシステムは「すべてのモノのインターネット」と呼ばれる。この宗教が信奉する至高の価値は「情報の流れ」だ。データ至上主義によると、人間の経験は神聖ではないし、ホモ・サピエンスは、森羅万象の頂点でもなければ、いずれ登場するホモ・デウスの前身でもない。人間は「すべてのモノのインターネット」を創造するための単なる道具に過ぎない。人類はそれと一体化する定めにある。(注釈:著者はデータ至上主義の出現で考えられる多くのシナリオを描くが、それについては説明を省略する)

最後にデータ至上主義が与える可能性があることについて次のようなシナリオを提供した。今のところ、人間至上主義に取って代わるものとして最も有力なのは、人間ではなくデータをあらゆる意味と権威の源泉とするデータ至上主義だ。データ至上主義の観点に立つと、人類全体を単一のデータ処理システムと見なし、歴史全体を、このシステムの効率を高める過程と捉えることができる。この効率化の極致が「すべてのモノのインターネット」だ。だが、大量で急速なデーターフローには、人間をアップグレードしても対処できない。
 
「人間はその構築者からチップへ、さらにはデータへと落ちぶれ、ついには急流に呑まれた土塊(つちくれ)のように、データの奔流に溶けて消えかねない」「人間と動物の関係は、超人と人間の未来の関係」やデータ至上主義と人間にとって、「私の手元にある最良のモデルだから」でもある。このモデルに従えば、こうなる。「自動車が馬車に取って代わったとき、私たちは馬をアップグレードしたりせず、引退させた。ホモ・サピエンスについても同じことをする時が来ているのかもしれない」 だが、サピエンスにも未来に希望が見える。まず、現在の科学の教義が正しくないと考える余地が残っている。意識が知能より重要である可能性は今後も真剣に研究・検討していく価値がある。
 
そして、もう一つ。本書の予測が、予測のための予測ではなく、未来は変えられるという前提で思考や行動を促す提言である点だ。「本書の随所に見られる予測は、今日私たちが直面しているジレンマを考察する試みと、未来を変えようという提案にすぎない」「予言ではなく可能性として捉えるべきだ」、歴史を学ぶことの意義については、「歴史の研究は、私たちが通常なら考えない可能性に気づくように仕向けることを何にもまして目指している」とする。(終)

2019年5月 2日 (木)

ユヴァル・ノア・ハラリ著「ホモ・デウス 〜テクノロジーとサピエンスの未来」(上巻)を読む

株式会社河出書房新社から2018年9月に出版された「ホモ・デウス ~テクノロジーとサピエンスの未来」(上下巻)の「書評」に続いて、上巻の要旨をまとめてみました。ちなみに、上巻の目次は次の通りです。

   第1章 人類が新たに取り組むべきこと

  生物学的貧困線/見えない大軍団/ジャングルの法則を打破する/死の末日/幸福に対する権利/
  地球という惑星の神々/誰かブレーキを踏んでもらえませんか?/知識のパラドックス/芝生小史/
  第一幕の銃

第1部 ホモ・サピエンスが世を征服する

   第2章 人新世

  ヘビの子供たち/祖先の欲求/生き物はアルゴリズム/農耕の取り決め/五00年の孤独

   第3章 人間の輝き
  チャールズ・ダーウィンを怖がるのは誰か?/証券取引所には意識がない理由/生命の方程式/
  実験室のラットたちの憂鬱な生活/自己意識のあるチンパンジー/賢い馬/革命万歳!/セックス
  とバイオレンスを越えて/意味のウェブ/夢と虚構が支配する世界

第2部 ホモ・サピエンスが世界に意味を与える

   第4章 物語の語り手
  紙の上に生きる/聖典/システムはうまくいくが・・・・・

   第5章 科学と宗教というおかしな夫婦
  病原菌と廃物/もしブッダに出会ったら/神を偽造する教義/魔女狩り
 

[要旨]

第1章 人類が新たに取り組むべきこと

人類にとって新たに取り組むべきことは何千年も不変であった3つの問題であったことを世界各地域の事例を引用しながら解説した。その1つ目は何千年も前から人類が「生物学的貧困線」ぎりぎりのところで暮らしてきており、何かの災難に見舞われると、栄養不良になり、飢え死にする。つまり「飢餓の問題」である。筆者は古代のエジプト、中世のインド・フランス・フィンランド・スコットランドで発生した飢餓、そして何千年にも渡って飢餓に付きまとわれた中国を事例として説明した。そして、現在は逆に太り過ぎの人は21億人を超え、栄養不良の人は8億5千万人に過ぎない。これにより、飢餓と栄養不良で亡くなった人は約100万人だったのに対して、肥満で亡くなった人は300万人以上いたと筆者は言う。

第2の大敵は疫病と感染症である。最も有名なのが1330年代に東アジアあるいは中央アジアからアジア、ヨーロッパ、北アフリカ全土に広まった「黒死病」で、死者は7500万人〜2億人を数えた。1520年にスペインの艦隊がキューバから天然痘のウィルスをメキシコへ持ち込んだことで、アステカ族の首都で、25万人の人口を擁する都市テノチティトランの人口の3分の一が命を落とした。1778年にはジェームズ・クック船長はハワイにインフルエンザと結核と梅毒の病原体を持ち込んだ。感染症は20世紀に入ってからも、1918年には数か月のうちに当時の地球人口の3分の1に当たる5億人が「スペイン風邪」に感染して発病した。しかし、過去数十年間に感染症の発生数は劇的に減った。特に、世界の小児死亡率は史上最低を記録し、成人するまでに亡くなる子供の割合は5%に満たない。先進国では1%を切っている。エイズ、SARS、鳥インフルエンザ、エボラ出血熱などは「黒死病」に比べれば少数の犠牲者しか出ていないと筆者は指摘する。

第3の朗報は戦争も無くなりつつあることである。20世紀後半に、国際関係はいわゆる「ジャングルの法則」弱肉強食の法則)は打破され、ほとんどの地域では戦争がかってないほど稀になった。21世紀初頭の今、全世界の死亡率のうち、暴力に起因する割合はおよそ1%にすぎない。それ以上に重要なことは、しだいに多くの人が戦争は断じて考えられないものと見るようになったことである。

飢餓と疫病と戦争はおそらく、この先何十年も犠牲者を出し続けることだろうが、それらはもはや無力な人類の理解と制御の及ばない不可避の悲劇ではなか。すでに、対処可能な課題になった。そして、人類が取り組むべきこととして、今度は人間を神にアップグレードし、ホモ・サピエンスをホモ・デウス注、デウスは神の意)に変えることを目指すだろう。具体的にはまず不死を目指す努力であろう。次いで幸福への鍵永続的な快楽)を見つけることであると著者は予測する。至福と不死が神の特性だからである。人間を神へとアップグレードするときに取りうる道は、生物工学、サイボーグ工学、非有機的な生き物を生み出す工学の3つのいずれかとなるだろうと著者は考え、自らの機能を一つずつ変えていき、ついにはもう人間ではなくなってしまうと著者は考える。

プロローグに続いて「第1部 ホモ・サピエンスが世界を征服する」で著者は人間と他のあらゆる動物との違いをアルゴリズム(一連の秩序だったステップ)および近代科学と産業の台頭の観点から考察さ、人間がどのようにして世界を征服したかを心(意識)と宗教、そして大規模な協力を可能にする能力との関係から考察し、想像の中にだけ存在する力・物・場所についての共同主観的なウエブ(言語を使う新しい現実)とそれに見合う想像力を持つことでホモ・サピエンスが世界を支配する存在になったことを明示した。

「第2部 ホモ・サピエンスが世界に意味を与える」では、人間がどのようた世界を生み出したか、人間はどのようにして世界を支配するだけではなくなく世界に意味を与えていると確信するようになったか、人間至上主義人類の崇拝)はどのようにして最も重要な宗教となったかについて次々と考察した。

個々の人間の基本的な能力は石器時代からほとんど変わっていないが、およそ7万年前に始まった認知革命物語によってウェブは強力になり、それによって歴史を石器時代からシリコン時代へと推し進めできた。つまり、狩猟採集民が約1万2000年前に農耕を始めたことで物資的基盤が拡大・強化され、それにともない約5000年前にシュメール人メソポタミア南部に居住)が書字と貨幣を発明したことでデータ処理能力が飛躍的に強化された。これにより、シュメールの神殿と同様、ファラオが統治したエジプトでも実務を担う役人が生まれた。つまり、人間は社会をまるごとアルゴリズムの形で組織できるようになった。
 
しかし、書字は強力な想像上の存在の出現を促し、虚構の存在が現実と乖離するようになる。その場合、書字で記述された内容か現実に合わせて修正されると考えるべきであるが、実際は書字の世界が優先され、現実は無視あるいは切り捨てられたことを著者は数多くの事例を挙げて解説した。皮肉なことに虚構のおかげで人間は、大きな代償を払いながら、上手に協力できることでシステムが上手くいっているように見えてしまうと著者な看破する。そして、「科学と宗教というおかしな夫婦」とのタイトルで両者は単純な対立関係にあるのではなく、微妙な補完関係にあることを詳説する。(下巻へ続く)

2019年5月 1日 (水)

ユヴァル・ノア・ハラリ著「ホモ・デウス ~テクノロジーとサピエンスの未来~」の書評

今年のゴールデンウィークは5月1日(水)に元号が平成から令和へと変わることにともない、4月27日(土)から6月6日(月)まで連続10日間の休日が続くことになりました。これまでになかったこの長い連休をどのように過ごすかを考える人が多かったと思います。かく言う私も一応考えてみましたが、毎日が日曜日である私には、この10連休といえども私の日常とほとんど変わりが無いことに思いが至りました。つまり、改めて過ごし方を考える必然性がないのです。とはいっても、いったん考え始めたからには何らかの結論を導き出さないと気が済まないのが私の悪い癖です。そして、無理やり考えついたのは、暇つぶしとして「これまでWOWOWで撮り溜めた映画(BD)を視ること」に加えて、「読書」と「ウォーキング」でした。「ウォーキング」については2月下旬からほぼ毎日続けていますから、新たなアイディアは体調不良によってこの半年間遠ざかっていた「読書」です。

そこで先ず選んだ本が株式会社河出書房新社から2018年9月に出版された掲題のハードカバー本(上下2巻)です。この本のキャッチ・コピーは 『全国で売れてる本1位! あなたは「神の人(ホモ・デウス)」か「無用者階級」か、全世界1000万部突破『サピエンス全史』の著者が描く衝撃の未来』 とインパクトがあります。このキャッチ・コピーは何度読んでも私にはまったく理解できません。創作語と思われる「ホモ・デウス」とは何なのか? 「無用者階級」とは? 疑問が私の脳内に溢(あふ)れました。

早速、上巻を手にとると、表表紙の裏側である「そで」には、『世界的なベストセラー「サピエンス全史」は、取るに足りない類人猿が、どのように地球の支配者となったのかという、人類の過去についての物語である。本書「ホモ・デウス」でユヴァル・ノア・ハラリは、人類の未来を描く。人類は自らにとって最悪の敵であり続けた、飢饉と疫病、戦争を克服しつつある。この三つの問題を克服した我々は、今後不死と幸福、神性の獲得を目標とするだろう。人類は自らをアップグレードし、ホモ・サピエンスをホモ・デウス「デウス」は「神」の意に変えるのだ。生物工学や情報工学などのテクノロジーを用いて、世界を、そして自分自身をも、思いどおりに作り替え、創造することを目指すのである。それではこの神のような力は、すべての人々が享受するものとなるのだろうか? あるいは富む者と貧しい者の間に、想像を絶する生物学的な格差をもたらすのか? 我々人類がどこへ向かうのかを、かつてないスケールで描く衝撃の書!』 とありました。

また、下巻の「そで」には、『今、生命科学者たちは、生物は遺伝子やホルモン、ニューロンに支配された、ただのアルゴリズムであることを明らかにしている。人間の心や意識は、脳の中でニューロンが信号を発し、あるパターンに則ってデータを処理しているだけなのである。我々は何一つ自由に選択などしておらず、意識や意志を持った「私」でさえも、虚構なのだ。それならば、人工知能が人間の能力を凌駕(りょうが)するようになったとき、そしてコンピュータがあなた自身よりもあなたについて詳しく知るようになったとき、資本主義や民主主義、自由主義は崩壊するのだろうか? そのとき、あなたはこの世界に何を求め、何のために生きればいいのか? 過去の条件から自由になり、人類の新たな運命を想像することを可能にする、すべての現代人必読の世界的ベストセラー!』 とあります。

上巻(272頁)と下巻(288頁)はいずれも難解な内容でしたが、何とか読み切ることができました。著者であるイスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリ氏はその類(たぐ)い稀(まれ)なる人類史の知識と深い思考により、人類が創りだした文明は人類を幸福にしたのだろうかとの問いを考察した前書 『サピエンス全史』に続いて、人類の未来における様々な可能性(シナリオ)を提起しました。

つまり、類人猿から進化して東アフリカで誕生したホモ・サピエンス(知恵のある人の意)が他の動物との生存競争に勝ち抜いて地球上で最も大きな勢力を持つ存在になりましたが、新たな強敵との戦いが待っていたのです。それは飢餓・疾病・戦争の3つでした。いずれも克服することは困難と思われましたが、ホモ・サピエンスの定住化と農業の発達、衛生環境の整備と医療の進展・普及、国家間の紛争を解決するルールの普及によりホモ・サピエンスの環境は思いもよらぬほど改善され、完全に克服することが視野に入ってきたのです。このため、21世紀(3000年紀)では次なる目標がホモ・サピエンスの関心事となったのです。

それらは神(デウス)が差配する領域である不死と幸福の二つです。それではホモ・サピエンスはホモ・デウス(神の人)を目指すのか? そして神(デウス)の存在に近づけるのか? これまで大きな課題を科学と情報処理(プロセスコントロール)を駆使して克服してきたホモ・サピエンスは自身の能力を超えて増大する情報とそれを処理するコンピュータ・ソフト(AI)とバイオテクノロジーによって今後数十年で如何(いか)に自らを作り変えることができるか? 何が待ち受けているのか? についていくつかのシナリオを提示するものの、一方的に未来の人類の姿を予測するのではなく、私たちはどのように身を処すればいいのか? 私たちは、巨大な力を持つに至ったバイオテクノロジーと情報テクノロジーをどう使えばいいのか? について読者に考えさせました。

著者は『生物はただのアルゴリズムであり、コンピュータが人のすべてを把握する。生体工学と情報工学の発達によって、資本主義や民主主義、自由主義は崩壊していく』 との大胆な仮説の元、人類はどこへ向かうのか? について新しい切り口で分析した良書です。

2019年4月24日 (水)

携帯電話(スマホ)の利用料金を最適化する

携帯電話料金が高止まりしている状況に対して昨年21日に菅官房長官が、『携帯電話料金は約割下げられる』 と異例の発言をしたことを受け、携帯電話会社の大手社が料金体系の大幅な変更を順次決定しました。先行したソフトバンクは昨年10月日に端末料金(分割払い)と利用料金を分離する利用料金の体系を発表したのです。例えば、分割払いで購入した携帯端末の支払いが終了している場合、携帯電話の利用料金が最大で約割安くなることが期待できるものです。
 

従来は様々なサービスの組み合わせ条件(制約有)によって複雑な契約内容になっていたことを改め、料金の大半を占めるデータ・サービスの利用料金をデータ量に応じて変動するデータ定額ミニモンスター(1G/月以下が最低料金)と50G/月以下であればデータ量に関わりなく一定額とするギガモンスターつに集約。そして、通話についてはデータとは独立して、掛けた時間に比例する従量制、通話時間に関係無く一定、その中間ともいえる1回当たりの通話時間が分以下の場合は無料とする、3つのプラン(従来とほぼ同じ、1200円~2700円)としました。
 

ちなみに、留守番電話やテザリングなどのオプションサービスは別途申し込むことで利用可能有料)です。つまり、携帯端末の支払いが完了しており、データ定額ミニモンスターと通話従量制を選んだ場合は従来(の選択可能な最低料金)よりも約割だけ料金が安くなります。ただし、年間の継続契約や3人以上の家族加入という条件がある場合です。ちなみに、これは従来からあった携帯電話会社の顧客囲い込み作戦。
 

今年月13日には"au"(KDDI)もほぼ同様のプランを発表し、同15日にはドコモも追従しました。細部では異なる点がありますが、社の新料金はおおむね4,500円/月~10,000/月の範囲で横並びとなりました。ちなみに、私が従来の料金体系で機能を可能な限り絞り込んだはずの月額料金(2台使い)は税込約7,800円x2=15,600円でした。(注、オプション・サービスの留守番電話とテザリングを含む)
 

出そろった大手3社の新料金体系は従来の料金と比べて利用者にとって有利(値下げ)になったのでしょうか? サービス内容を最低まで絞った場合は、上記の通り約割だけ月額料金が下がります。しかし、良かったて喜ぶのは早とちりのようです。冷静に考えれば、損しない料金体系を選べるようになっただけなのです。つまり、料金体系全体を見れば、携帯端末の支払が終わっているにもかかわらず据え置かれていた料金が携帯端末の支払い分だけ減っただけなのです。新料金体系で携帯端末の購入価格が通話料金と別建てになったことは、携帯電話会社が提供するインセンティブが無くなるあるいは少なくなる)ことを意味します。このため、携帯端末の新規購入価格は従来よりもかなり高くなる可能性があります。よって、中古スマホの流通市場が従来以上に求められることになるでしょう。
 

つまり、これまでは機種変更を年毎に行う利用者に最適化された料金体制であったものが、新しい料金体制では機種変更の頻度(ひんど)によらず利用料金が決まる仕組みと言えますから、携帯端末が劣化(バッテリーや表示機能など)がへたるまで利用し続ける私のような携帯電話加入者には望ましい仕組みです。
 

端的に言えば、残念ながら携帯電話の利用料金はほとんど下がっていません。私見ですが、利益を優先させる携帯電話会社が、官房長官の発言を逆手に取り、見た目が良い新しい料金体系を考え出したのです。新しい料金体系には上記したような背景がありますから、携帯電話会社の高収益体質にはさして影響が出ないと思われます。菅官房長官は最近、『電気通信事業法の改正案の早期成立に向けて取り組み、利用者にとって分かりやすく納得のいく料金、そしてサービスをできるだけ早く実現したい』 と述べたことが報道されています。大山鳴動(たいざんめいどう)してなんやとらでしょう。今回の携帯料金騒動は2016年に総務省が行ったいわゆる「ゼロ円携帯の禁止指導」の結果、携帯電話会社の利益が増大した事実と良く似ています。その一方で、国産の携帯電話端末メーカーはその存在感をほとんど無くしてしまいました。
 

[私の対応策]
家族で加入している携帯電話会社の新料金プランの中から、とりあえず最低のサービス内容を選んでネット経由で変更しました。もし、サービスに過小または過剰などの不都合が見つかれば、その点についてだけ後日変更するつもりです。加えて、今年10月に本格参入する楽天モバイルの料金体系のレベルと来年から始まる5G携帯電話サービスが従来の4Gサービスの料金体系どのような影響を与えるのかについても注視したいと思います。
 
注釈1)
 利用料金の切り替え日は申請日(即日)ではなく利用料金の請求締め日となります。ソフトバンクの場合は利用期間を1ヵ月間として、請求締め日は「末日」「10日」「20日」の3通り(いずれかを新規契約時にソフトバンクが決定)あり、自分がそのいずれであるかはMy Softbankの料金・支払い管理で請求締日を確認できます。そして、支払日はそれぞれ翌月の「26日」「6日」「16日」です。ちなみに、ドコモとauの場合は締切日が毎月末日のみで、その支払日は携帯電話単独の場合は翌月末日となります。

注釈2) 大手3社の新しい料金体系を厳密に比較することは本稿の目的でないため、ここで引用した料金は概算値です。

2019年4月11日 (木)

新名神高速道路の新規開通区間(四日市JCT~亀山西JCT間)を走る(上り線)

  数日後のことです。土山SAで小休止した後、新名神高速道路の上り線に入り、さらに鈴鹿トンネルを抜けると亀山西JCTが近づきました。これまでは東名阪道路へ向かうルートのみで単調なエリアでしたが、亀山西JCTができたことで様子が大きく変わっています。
  
2019_04060307
 
亀山西JCTに差し掛かりました。亀山JCTへ向かう亀山連絡路は本線より低い位置(左下)にありますから確認することはできません。
 
2019_04060308
 
左手に分かれる亀山連絡線(旧新名神本線)は緩やかに左カーブする本線の下へ徐々に潜(もぐ)るように続いています。
  
2019_04060313
 
亀山西JCTを過ぎて新規開通区間に入りました。
  
2019_04060314
 
亀山市から鈴鹿市へ続く野登(ののぼり)トンネル(長さ4130m)に入ります。鈴鹿山脈の東にある野登山(標高852m)の山麓を貫く三重県で最長のトンネルです。
  
2019_04060315 
2019_04060316
   
鈴鹿PAまで2kmの地点を通過
   
2019_04060318
 
復路でも鈴鹿PAに立ち寄りました。
   
2019_04060321   
2019_04060322
 
新規開通区間を説明する地図パネル
  
2019_04060323  
2019_04060324
  
四日市トンネル(長さ1350m)に入ります。
 
2019_04060326 
2019_04060327
 
切通しを通過
 
2019_04060328
 
菰野第二高架橋
 
2019_04060329
 
菰野ICを通過
  
2019_04060331
 
一直線の道路が続きます。
 
2019_04060332
 
新四日市JCTを通過
 
2019_04060334
 
そして、東名阪道路と交差する四日市JCTに差し掛かりました。
 
2019_04060335

このJCTを直進して伊勢湾岸道路へ向かいます。
  
2019_04060338
 
新設区間が開通したことで、往路と復路とも渋滞とは無縁の快適なドライブを楽しむことができました。

2019年4月10日 (水)

新名神高速道路の新規開通区間(四日市JCT~亀山西JCT間)を走る(下り線)

新名神高速の三重県区間、新四日市JCT~亀山西JCT間およそ23kmが、2019年3月17日(日)16時に開通しました。これにより四日市から亀山にかけて、既存の東名阪道を山間部経由で迂回するルートが完成し、全国有数であった東名阪の「渋滞区間」がほぼ解消することが期待されます。2008年(平成20年)2月に新名神高速の亀山JCT~草津JCT間が開通した時から期待されていたことが11年ぶりに実現したのです。これにともない、これまで新名神の一部であった亀山JCT~亀山西JCT間は新名神高速と東名阪を接続する亀山連絡路へと変更されました。
  
東京方面から新東名と伊勢湾岸道に入った車は四日市JCTを直進して2016年8月11日に開通した区間を走行し、新四日市JCTで今回開通した区間に入ります。
 
2019_04060076 
2019_04060078
 
新四日市JCTを通過します。ここで接続する東海環状道路は東員ICと終点となる大安(だいあん)ICまでが開通しています。
 
2019_04060082
 
朝明川(あさけがわ)に架かる朝明川橋を渡ります。シンプルなデザインに見えますが、複数の道路と河川を斜めに跨(また)ぐ中央径間(長さ225m)を鋼アーチ補鋼箱桁、残りの側径間(長さ40mと60m)をPC桁とした鋼PC混合3径間連続アーチ補鋼箱桁だそうです。土木学会で田中賞を受賞しています。
  
2019_04060083
 
菰野(こもの)ICを通過
 
2019_04060088
 
鈴鹿PAまで7km、亀山西JCTまで16kmの地点を通過
 
2019_04060090
 
三滝川に架かる菰野第二高架橋(最大支間長161m)を渡ります。主塔から斜めに張ったケーブルで主桁(しゅげた)を支えるエクストラドーズド構造を採用して、長い支間長を実現しています。また、橋脚は上下線を一体化しています。
  
2019_04060091
   
小雨が降り始めました。
 
2019_04060093
 
四日市市と鈴鹿市を繋(つなぐ)ぐ四日市トンネル(長さ1350m)に入ります。
 
2019_04060095
  

その先にある鈴鹿PAに立ち寄りました。ちなみに、このPAにはスマートICが併設されているようです。
 
2019_04060098 
2019_04060100 
2019_04060101
 
鈴鹿PAの駐車スペースに車を停めて建物に入ります。
 
2019_04060102 
2019_04060103
 
入口の先にF1フォーミュラーカーが展示されています。鈴鹿サーキットが近くにあるからでしょう。
 
2019_04060104 
2019_04060114
 
建物の内部には、フードコート、セブンイレブン、土産物店などがコンパクトに配置されていました。
 
鈴鹿PAを出発すると、ほどなく野登(ののぼり)トンネル(長さ4130m)が待ち構えています。
 
2019_04060115 
2019_04060117
  
鈴鹿PAを出発して10分ほどで山裾にある亀山西JCTに差し掛かりました。
 
2019_04060119
 
伊勢方面をつなぐランプウェイは2019年度中に完成する予定とのこと。本線の下にランプウェイを建設するための大型クレーンが本線(上り線)から覗いています。
 
2019_04060120

従来からある新名神高速道路の本線に入りました。この先は走り慣れていますから説明は割愛します。
 
余談です。新名神高速は草津JCTで名神高速に合流しますが、こちらも従来の東名阪ほどではありませんがしばしば「渋滞区間」となり、車速が落ちることをしばしば経験しています。実は、草津JCTの手前にある大津JCTと名神高速の高槻ICの間では迂回ルートとして新名神高速の延伸区間が建設されています。ちなみに、城陽JCT-八幡京田辺JCT(3.5km)2018年4月30日に開通済みです。2023年度には大津JCT-城陽JCT(25.1km)と八幡京田辺JCT-高槻JCT(10.7km)が開通する予定です。また、2019年3月29日に亀山西JCT - 大津JCT間の6車線化が国土交通省より正式に事業許可されました。

より以前の記事一覧

2019年5月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ